玄鳥 定例句会

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08・言葉少なに娘と駅へ初仕事        投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時43分)[2621]
 (紋子 千尋 吉章 主宰)5点


月番 > 娘を持たないので、なんともいえないのですが、駅へ向かっているのは母と娘ではなく、やはり父と娘であろうという気がします。お採りになったかた、いかがでしょうか? (2014年01月13日 (月) 22時06分)[2641]

千尋 > 父親と成人した娘を思いました。朝の出勤時にはこんな感じでしょうか。 (2014年01月14日 (火) 11時52分)[2655]

月番 > なんとなく笠智衆と原節子が浮かんできます。元来、父と娘はこういう感じのものなのかも知れません。 (2014年01月15日 (水) 23時28分)[2713]

吉章 > 長かった休日あけの一齣。父も娘も今日から始まる仕事の事で頭が一杯。家庭と仕事の厳然とした区切りを詠んだ一句。 (2014年01月16日 (木) 13時45分)[2727]

榮一 > 父と娘ですね。初仕事は初五のほうがおさまりがよさそうです。 (2014年01月17日 (金) 05時46分)[2748]

月番 > <初仕事言葉少なに娘と駅へ> (2014年01月17日 (金) 11時17分)[2756]

紋子 > 私も父親と成人をした娘を思いました。初仕事に出掛ける緊張感がよく出ていると思います。

(2014年01月19日 (日) 16時36分)[2780]

> 樋口進二氏でした。 (2014年01月21日 (火) 10時23分)[2803]
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09・二人して暫し黙の間除夜の鐘 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時42分)[2620]
(剛 洋子 杏花 孝子 紋子 保子)6点


月番 > 年越しの状景としてよくわかる句ですが、中七の表現に月番は、やや熟れの悪さを感じました。採られたかたのご意見をどうぞ。 (2014年01月13日 (月) 22時17分)[2643]

> 月番の書かれた通り、中七は言葉として硬く、こなれが悪いようには感じましたが、仮にこの二人は歳を経た夫婦と思えば、年代のもつその情景や雰囲気は自分に当ててもよく解る。今年も押しつまり、年を送り年を迎える鐘が聴こえはじめた、お互いに暫しの間は神妙に除夜の鐘に耳を澄まし、新年を敬虔な気持ちで迎える。馴れあっている夫婦(人間)の、間合いのような事が見えて面白い。 (2014年01月14日 (火) 11時20分)[2652]

孝子 > 剛さんにすべていっていただきました。その一時的な、暫しの間合いがいかにも俳句的とも思いました。 (2014年01月14日 (火) 23時31分)[2689]

杏花 > 二人は夫婦なのか、それとも
連れ合いを亡くした親子なのか震災で家族を亡くした二人なのか、神戸の1・17の震災も含め考えさせられジ〜ンと感じました。 (2014年01月17日 (金) 11時15分)[2755]

紋子 > 除夜の鐘に耳を澄ます、長年連れ添った夫婦の機微のようなものが感じられて、頂きました。
(2014年01月19日 (日) 16時53分)[2781]

> 宮本義之氏でした。 (2014年01月21日 (火) 10時21分)[2802]
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10・わらしべも紛れていたる初詣 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時41分)[2619]
(加津子 惠美子 紋子 眞佐子 鈴子 保子 宜子)7点


月番 > わらしべ=藁稭ということですが、わらしべ長者の話と関係があるのですか?月番として申し訳ないのですが、7点も入っているこの句が、全くわからないのです。どなたか助けてください。 (2014年01月13日 (月) 22時40分)[2644]

> 初詣に紛れて付いてきたわらしべに、今昔物語にある長者の運のような事を見ているのかも知れない。わらしべはうち藁の屑である。鄙びた地も新年には、その地の神社や寺は新年を言祝ぐ行事が取り行われる。その初詣のご仁の背にでも付いているのか、この句は衣類に纏わり着いてきた、藁蘂(わらしべ)の発見にあると思う。「いたる」は、(居たる)ではなく(至る)であるかと思っているが、果たして。 (2014年01月14日 (火) 13時17分)[2662]

月番 > いたる=至る、にまで考えが及びませんでした。ありがとうございます。ぼんやりとしていた私の頭にイメージが見えてきました。他の方がたは如何でしょうか。 (2014年01月14日 (火) 13時24分)[2663]

惠美子 > お二方のお考えをそうなんだ!と。   わらしべを「わらしべ長者」だと考え、5円玉(ご縁)で神頼みをしている自分をだぶらせていた私でした。 (2014年01月14日 (火) 13時50分)[2667]

加津子 > 農家に育った私には、もち米の藁で(もち米の藁は青いのでお飾り用に使っていた)30日にお飾りを作っていた父母を思い出します。わらしべが靴のうらにでもついていて初詣についていってしまったのか。人波の中で、満たされて何の願い事などないような人も、いっぱいある人もそれぞれの初詣だと見ている作者、二通りに感じました。 (2014年01月15日 (水) 09時05分)[2695]

月番 > 加津子さんのご実家では、もち米の藁で正月飾りをお作りになっていたそうで、懐かしい日本の農村風景です。 (2014年01月15日 (水) 23時46分)[2714]

梟夢庵 > 月番さんが最初に書かれていたが、私もこの句は分りません。「紛れて」とは何が何に紛れてなのでしょうか。「藁しべが人に紛れて初詣」と藁しべを擬人化したおもしろさをねらった句なのでしょうか。藁しべが衣服などについているとの意見もありましたが、それならば「藁しべを背につけしまま初詣」というように、端的にわかりやすく書けば良いとおもう。とにかく問題にしている句やその表現から離れて、皆さんが勝手に自説を主張しているようで、私にはよく分かりません。
(2014年01月16日 (木) 22時53分)[2743]

眞佐子 > 注連縄や正月飾りは藁で作ってありますので、「わらしべ」が一緒に付いてきたのかと勝手な解釈をしました。よく考えてみますと、やはり曖昧になってきました。 (2014年01月17日 (金) 19時35分)[2767]

紋子 > わらしべ長者のお話が下地にあっての句と読みました。梟夢庵 先生のおっしゃる『「藁しべが人に紛れて初詣」と藁しべを擬人化したおもしろさをねらった句 』としていただきましたが、この面白さを狙った擬人化は難しのですね。 先生、ありがとうございます。 (2014年01月19日 (日) 17時15分)[2782]

梟夢庵 > 紋子さん、誤解のないように言っておきますが、私は藁しべを擬人化した読みをおもしろいとは思っていません。こうした擬人法はむしろ嫌いです。結論的には私にはわかりませんでしたし、どなたの鑑賞にも納得できるものはありせんでした。 (2014年01月20日 (月) 21時58分)[2787]

> 岡部榮一主宰です。 (2014年01月21日 (火) 10時20分)[2801]
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11・観音の今息吐けり底冷えす  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時41分)[2618]
 (義之 淳子)2点


月番 > 東大寺法華堂の不空羂索観音、室生寺の十一面観音、橘寺の如意輪観音、大安寺の馬頭観音など、いろいろ思い浮かびますが、この観音さまは何処に在しますのやら。底冷えの堂内が見えるようですが。義之さん、淳子さん、どうぞ。採られなかったかたも、そのご意見を忌憚無く。 (2014年01月14日 (火) 11時41分)[2653]

義之 > それ程仏像に興味があるわけではありませんが、寺で見る本物は迫力があります。2日に訪れた奈良興福寺の観音像は巨大で、掲句のように観音様が実際に息を吐いても不思議はないと感じました。

(2014年01月14日 (火) 22時58分)[2679]

月番 > 室生寺の十一面観音、橘寺の如意輪観音は頬ふっくらと、実に美しいですよね、千尋さん。ご両体ともにその吐息は桃いろではないかと、高橋真梨子さんではないけれど、思ってしまいます。
ところで、「…吐けり底冷えす」というように動詞重ねて終る作り方はどうなのでしょうか? (2014年01月16日 (木) 12時23分)[2724]

千尋 > 「・・・息吐けり底冷えす」は、「けり」も助動詞の終止形、「す」も動詞の終止形ですので二段切れではと思っています。
観音さんは色々で大勢いらっしゃいますが、どなたもは「サブ〜(寒ゥ)」とは言われないのでしょうね。 (2014年01月16日 (木) 15時02分)[2731]

淳子 > 文法は1番の苦手課目でした。時々尋ねる大仏様の下に仏様がいらっしゃいます。底冷えの日、合掌したとき、よく来たね、寒かったろうねと、仏様も息を吐いて迎えてくださった様な思いがいたしました。勝手な思いで俳句の道に外れている かと、思います。 (2014年01月16日 (木) 16時58分)[2740]

> 山内宜子さんでした。 (2014年01月21日 (火) 10時19分)[2800]
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12・丁寧に仕舞う重箱福寿草  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時40分)[2617]
 (洋子 義之 孝子)3点


月番 > 三が日過ぎれば、年末に美しくお節料理をを詰め合わせた重箱も、そろそろ片付けなければなりません。先祖伝来の見事な重箱であったりすれば、薄紙や布に包んで、疵のつかぬよう気を使う筈です。福寿草は重箱の図柄でしょうか?あるいはお正月のシンボルとして置かれたもの? (2014年01月14日 (火) 11時59分)[2656]

洋子 > 結構大変だったお節作り、そしてみんながおいしいと言って食べてくれた時の幸福感、そういうものをかみしめながら重箱をかたずけている主婦の姿が見えてきます。福寿草のように、寄りあって笑い合っている幸せな家族が見えてきました。 (2014年01月14日 (火) 16時15分)[2670]

月番 > 福寿草は家族団らんの象徴なのですね。 (2014年01月14日 (火) 16時58分)[2673]

義之 > 洋子さんの書かれているようなことを感じながら頂きました。福寿草はぴったりだと思います。 (2014年01月14日 (火) 23時07分)[2683]

孝子 > 今年初めてというか、結婚以来はじめて重箱を出しませんでした。夫婦ふたりで、お節料理にとらわれないようにと、好きなものだけつくりました。結婚したてのとき、消防署勤務の主人から結婚したら、お正月には独身の署員のために、妻帯者が料理をもっていく習わしときいて、お重箱を二セット買いました。若い人のために、あたり前の物のほかに、お肉料理とか、各家庭ごとに工夫したものです。そして空っぽになったお重のしまいかたも覚えました。はるか昔のことです。福寿草はそのやさしさのぴったりな季語とおもいました。 (2014年01月14日 (火) 23時48分)[2690]

千尋 > 孝子さん、消防署勤務の方にそんな習わしがあったんて初めて知りました。
ありがとうございました。

しかし、この句は既視感から逃れられません。特に福寿草でしょうか。 (2014年01月15日 (水) 01時40分)[2694]

千尋 > 「丁寧に仕舞う重箱」が出来上がったフレーズなので「福寿草」がべたべたに付きすぎと言わんとしたのですが、どうも書き方がへただったようです。 (2014年01月15日 (水) 23時51分)[2716]

> 石田加津子さんでした。 (2014年01月21日 (火) 10時17分)[2799]
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13・十三佛固く目瞑る大雪報 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時39分)[2616]
 (杏花)1点


月番 > 十三佛というのは初七日から三十三回忌までの追善供養仏事に掲げられる掛軸、掛図に描かれたもののようです。掲句はどこで切って読めばいいのでしょうか。 (2014年01月14日 (火) 22時48分)[2677]

> 「目瞑る」で切れている。仏教の宗派によって異なるが、この掛け軸は一連の追善供養の際にお寺さんが持ってくるのが普通のようだが、宗教に縁の深い家なら、この掛け軸を持つ家もあると思う。降雪が直接的に生活に関係する土地は、冬になると気象台が雪の予報を出して警戒を呼び掛ける。注意報もあるが、警報などが発令されると、これはドカ雪である。仏事に参列する縁者もお寺さんも難儀をせねばならない。そんな事がこの句の裏にある。 (2014年01月17日 (金) 10時13分)[2754]

杏花 > 今年年末から雪の警報が多い年です、雪の怖さは北陸の旅にて、経験したことがある、供養の仏事は尚更難儀が思われる
今年は寒さ厳しく訃報を耳にする 剛様のこの句の裏を考えさせられますね・ (2014年01月17日 (金) 11時36分)[2757]

月番 > 年が明けて早々に身内の葬儀があったのですが、十三仏の掛軸などは無かったので、宗派にもよるのでしょうか。お寺さんが持って見えるというのも、初めて知りました。「固く目瞑る」が現実であるような、ないような、ちょっと曖昧さを感じました。滅多に雪の降らぬ地に住んでいて、句の裏にある雪国の難儀には思い及ばず、反省です。 (2014年01月17日 (金) 23時07分)[2772]

> 新保吉章氏でした。 (2014年01月21日 (火) 10時15分)[2798]
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14・仕舞湯のはははと流す初昔  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時38分)[2615]
 (淳子 宜子)2点


月番 > 「ははは」はオノマトペと思いますが、仕舞湯「を」ではなく、「の」なので仕舞湯がはははと初昔を流している、ということでよろしいのでしょうか。 (2014年01月15日 (水) 13時13分)[2705]

宜子 > 仕舞湯が、はははと流れていると読みました。新しい年になって湯船のお湯を流す時、なぜかその音を「ははは」と聞いた、そのような感じです。あり得るかなと思っています (2014年01月16日 (木) 14時53分)[2729]

月番 > そうしますと、はははと流「す」ではなく「流る」ではないでしょうか?
「ははは」は「初昔」と響かせてあって、面白いなぁと思いましたが。

(2014年01月16日 (木) 16時24分)[2736]

循子 >   <終ひ湯を落とすやなだれくる芒   土肥幸弘>(玄鳥歳時記・秋)
bP4の句とは季も景も異なるので、比較することは出来ませんが、「仕舞湯・終ひ湯」とあればすぐに浮かび、忘れられない一句です。「なだれくる芒」という措辞は11年前の私にとって衝撃でした。ちょっとわき道に逸れましたが、お許しを。 (2014年01月16日 (木) 16時42分)[2737]

宜子 > 「流る」でしょうね。 (2014年01月16日 (木) 16時43分)[2738]

榮一 > オノマトペのはははが肝心な句です。はははと感じられれば問題はありませんが。 (2014年01月17日 (金) 06時00分)[2750]

淳子 > 仕舞湯を流す音を”ははは”と、とらえられたところに、深い意味を感じました。悲しい事も多かったであろう昨年も昔となって、新しい年を迎えて気持ちを新たに進む気配が感じられました。
勝手な読みです。教えてください。 (2014年01月17日 (金) 21時43分)[2769]

月番 > 主宰先生が書かれたとおり、掲句は「ははは」というオノマトペが肝心なところ。瞬時に読者の感性に響くものがあれば、そのオノマトペは成功したといえるのでしょう。オノマトペを考えるとき、おおかたの人が秋元不死男の作品を思い浮かべるはずです。<鳥わたるこきこきこきと罐切れば>、<へろへろとワンタンすするクリスマス>、<ライターの火のポポポポと滝涸るる>など。あとの二句はともかく、「こきこきこきと罐切れば」は季語「鳥わたる」と相俟って二十年前の初学当時から忘れられないものです。オノマトペは使い難いと私は降参しています。でも掲句について、「『ははは』ととらえたところに、深い意味を感じ」られた淳子さんに対しては確かに訴えるものがあったわけで、勝手読みとか、読みが間違っているとかの問題ではないと思います。読んで何を感じるかは、人それぞれであろうと考えています。…が、何せこの月番、頼りになりません。皆さまのご意見をお待ちしております。
(2014年01月19日 (日) 12時47分)[2778]

梟夢庵 > 私には、「ははは」が仕舞湯を流している擬音とは感じられないのです。「ははは」は平凡ですが笑い声と感じたのです。この作中人物は、仕舞湯を流しながら、「これで去年も終った。思えば私にとって何の意味があった歳だったのだろうか」と思うと、思わず「ははは」と笑えてきたというのではないでしょうか。
そう解したのですが、初五が「仕舞湯が」ではなく、「仕舞湯の」でしたから、この句の読みを断念した次第。 (2014年01月20日 (月) 22時57分)[2788]

作者 > 梟先生、お教えありがとうございます。  先生が感じて下さった意味で詠んだつもりでした。 「仕舞湯がはははと流る初昔」 この場合の「が」はよく効いていますねぇ〜!? (2014年01月21日 (火) 07時46分)[2789]

> 浅村恵美子さんです。 (2014年01月21日 (火) 10時14分)[2797]
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15・初鏡あなたはどなたさまですか? 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時38分)[2614]
 (剛 オサム 洋子 杏花 孝子)5点


孝子 > この句をそのまま詠むと問いかけているのは自分が自分に向って問いかけてると思はれるのですが、それってずいぶん怖いことですよね。でも季語をはなして読むと、また別にもとれます。実は私はこの言葉がいま一番こわいのです。自分の母がこの一月三日に九二歳でホームにお世話になっていて、一人娘のわたしにとっては、私しかいないわけで、週に二度ほど通っているのですが、車いすのため体は大したことないのですが、恍惚度が、行くたびに違うのです。あなたが生んだたった一人の娘よ、わかるときくと笑うのですが、いつこうなる日がくるのかおそろしいのです。やさしく書かれているけれど恐ろしい句だとおもいます。 (2014年01月15日 (水) 00時05分)[2691]

月番 > 孝子さんと同じ経験をしました。やはり私も一人娘でした。誰か知らないけど、優しくしてくれてありがとう、と母は言いました。でも孝子さん、まだ来ぬ(来ないかも知れない)自分の不幸(幸福かも知れない)を心配するのも、つまらないと思いませんか?
話変わりますが、一年先輩で非常に若くみえる女性がいます。お化けのように若く見えますね、と言ったら、「なに言うてんのん。鏡見るとき、いつも何が悲しゅうて、こんな皺くちゃにならなアカンねん、と思うよ、ほんまに」と言いました。大笑いするしかない、これも現実です。 (2014年01月15日 (水) 13時43分)[2706]

オサム > なるほど、(あなたはどなたさまですか?)には、そんな恐ろしく、深い意味があったのですね。単純な私は、そこまで考えず、久しぶりにお化粧でもされた、ちょっと年配のご婦人が正月の晴れやかな気分の中で鏡を覗くと、普段見慣れているはずなのに、なぜか希望に満ちた神々しい顔が映っており、思わず心の中で呟いた句と受け取り、いただきました。新年は、様々な物事に加え、自分自身との新たな出会いをもたらしてくれる季節でもあるのですね。句の最後の「?」はなくてもいいような気が少ししました… (2014年01月15日 (水) 14時50分)[2707]

月番 > オサムさんのおっしゃる通り、「?」は邪魔かも知れません。 (2014年01月15日 (水) 15時13分)[2709]

洋子 > オサムさんのコメントを読みアッと思いました。単純な私は全く正反対に感じていたのです。初鏡に化粧気のないしわしわの顔、ゆく年くる年を見て夜更かしをして疲れた顔、が見えてだれの顔だろうと思うくらいびっくり仰天した時の句のように思ったのです。句は明るく読まなければいけませんね。年は取りたくないものですね。 (2014年01月15日 (水) 20時50分)[2711]

孝子 > オサムさんのコメントで年齢環境が変わると、書き手はともかく、詠み手のとりかたもまったくかわると面白くおもいます。これが句会でないと味わえない醍醐味なのですね。やめられない理由が分かった気がします。?は私もいらないと思います (2014年01月16日 (木) 11時49分)[2720]

> 年が改まった日の鏡に、自分の顔を覗きながらに間違いは無い。孝子さんの書く通りに高齢の親の状況を重ねる人も居る、またオサム氏のように晴れやかな正月の顔と思う人も居る。齢を重ねて生きていると誰もが若さを願うが、歳は争えない。この句の自問自答はそんなところにあると私も思う。正直に云って私などは自分の顔など余りにも哀れで見たくもないが、そんな顔でも人前に晒しながら現世を生きねばならない。鏡の奥に隠れているが、老い先の見たくない自分を垣間見るのだ。ある時ごく近い人に「あなたは誰だったかしら」と言われ愕然とした事もあり、突如この句から熊田ひとしさんを思いだし、辛子明太のようにピリリと効いた、私には自虐ではない、諧謔のきいた怖ろしい句であった。「?」は(疑問を表す終助詞「か」で終わる文には疑問符をつけなくても疑問文だとわかる)ので要らない。 (2014年01月16日 (木) 13時29分)[2725]

月番 > たしかに疑問を表す「か」に「?」はシツコイですね。 (2014年01月16日 (木) 16時47分)[2739]

榮一 > 句読点や感嘆符や疑問符の俳句を見た記憶がありません。どちたさまですかが疑問形なので散文のような?はいらないと思います。 (2014年01月17日 (金) 06時07分)[2751]

> 安田循子さんです。 (2014年01月21日 (火) 10時13分)[2796]
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16・故郷の一番星や年惜しむ  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時37分)[2613]
 (剛 惠美子 千尋 梟夢庵)5点


惠美子 > 故郷のない「京都市東山区で生まれ山科区(昔は東山区山科だった)で48年」私には、故郷の一番星は大変うらやましいものです。 去年は良い一年だったようですね〜! (2014年01月14日 (火) 14時04分)[2668]

月番 > 帰るべき故郷の無い、つまり私はデラシネです。 (2014年01月14日 (火) 22時55分)[2678]

孝子 > 月番さま、デラシネってなんですか?ふるさとが生まれたところなら、私はいまだに故郷には帰れません。戸籍の土地を、見にいったこともありますが、結局親戚かどうかも確認できませんでした。 (2014年01月15日 (水) 00時14分)[2692]

孝子 > 月番さますみません。辞書をひいてわかりました。 (2014年01月15日 (水) 00時16分)[2693]

> 今はもう語り草であるが、東北や北陸のターミナル駅であった上野駅は年末に夜行列車で故郷へ帰る人達の為のテント村が出現する時代があった。新幹線が手足のように伸び、豊かな車社会に高速自動車道路が出現し、帰郷する時間は短縮され今や故郷は近い。故郷を持たぬ人も居るし、また、帰れない帰らない人もいるが、都会では高層建築物やビルの谷間に星などは望めない。何処かは知らねども、正月休暇に帰り着いた故郷の澄んだ空に見上げる夕暮れの星。 (2014年01月15日 (水) 10時36分)[2699]

月番 > 文部省唱歌の雰囲気をちょっと感じました。 (2014年01月18日 (土) 21時22分)[2777]

> 小川紫翠氏です。 (2014年01月21日 (火) 10時11分)[2795]
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17・風邪声で珈琲豆を煎る男 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時36分)[2612]
 (加津子 杏花 眞佐子)3点


月番 > 風邪をうつさないでね、と先ず思いますが、男は要らないような気もします。いかがでしょうか。 (2014年01月14日 (火) 23時22分)[2687]

加津子 > 人には任せられないこだわりの仕事と思っていただきました。でも、風邪で豆のいり加減ががわかるのか心配になりました。 (2014年01月15日 (水) 09時26分)[2697]

月番 > 今ふっと思ったことですが、そこを言いたくて生まれた句かも知れません。 (2014年01月16日 (木) 22時34分)[2742]

眞佐子 > 何が何でも自分で豆を煎らなければ気が済まない男性が見えました。加津子さんのおっしゃるように「こだわり」の人のようです。風邪声が気になります。 (2014年01月17日 (金) 18時09分)[2765]

> 太田鈴子さんです。 (2014年01月21日 (火) 10時10分)[2794]
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18・牛小屋の裸電球寒に入る  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時35分)[2611]
 (進二 千尋 吉章 梟夢庵)5点


月番 > 近頃は現実に牛小屋を見ることは、まず無くなりました。これは酪農家の牛小屋でしょうか。 (2014年01月15日 (水) 13時03分)[2704]

吉章 > 牛小屋の裸電球で.十二分に寒さが表現されており、「寒に入る」は駄目押しのように思えたが、それでもつい最近までの冬の農家の懐かしい牛小屋が彷彿として捨てがたい処があった。 (2014年01月16日 (木) 14時04分)[2728]

千尋 > 少し山の中へ入ってドライブしていると、牛を数頭飼っている小さな牧場?のある道を走ることがあります。今でも牛はあちらこちらで飼われているようです。新鮮な牛乳を得るためでしょうか。「裸電球」には既視感がありましたが、山中の寒中の牛を思っていただきました。春には子牛が生まれるのでしょう。 (2014年01月16日 (木) 15時36分)[2734]

> 松谷真佐子さんでした。 (2014年01月21日 (火) 10時09分)[2793]
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19・噛むものは臍にはあらずごまめ噛む  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時35分)[2610]
 (鈴子 主宰)3点


月番 > ちょっと理屈を聞かされている感じがしますが、どうでしょうか? (2014年01月14日 (火) 23時05分)[2682]

榮一 > 大して内容のない句です。はしゃぐこともなくなった正月ですね。 (2014年01月17日 (金) 05時55分)[2749]

梟夢庵 > 後で後悔するくらいなら、しっかりごまめでも噛んでおれ…という箴言にも似たざれ歌。お遊びの句。ふと、天童よしみの「♪なめたらあかん〜なめたらあかん〜人生なめずにこれなめて〜が聞こえてきた。 (2014年01月17日 (金) 23時58分)[2773]

> 剛です。 (2014年01月21日 (火) 10時08分)[2792]
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20・広縁の碁盤に日ざし福寿草  投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時34分)[2609]
 (義之 淳子 孝子 進二 眞佐子 保子 循子 紫翠 吉章 梟夢庵)11点


義之 > 福寿草は新年にぴったりの花、鉢植えが一般的な植物でしょうか。そして広縁といえば母屋から渡り廊下を介した離れ座敷のご隠居夫婦の座敷が想像されます。庭には木蓮の木がたくさんの蕾をつけ春を待っています。いかようにも物語は作れますが、けれんみの全く感じられぬ句柄から、新年のほのぼのとした雰囲気が漂ってきます。 (2014年01月14日 (火) 22時35分)[2675]

孝子 > 福寿草かわいらしく明るく、大好きな花ですが、新年ににあうはなです。池上の梅園で雪のなかから顔をだしてる福寿草が一番好きでした。上五も中七も義之さんの言うとうりやさしい家庭が想像できます。 (2014年01月14日 (火) 23時01分)[2680]

月番 > 義之さん、丁寧な書き込みありがとうございます。孝子さん、今年もよろしくお願いいたします。今月の最高点句です。皆さま、どうぞご意見を。 (2014年01月14日 (火) 23時13分)[2685]

循子 > 広縁、碁盤、日ざし、福寿草。四語の名詞だけで仕立てられた句。ひとつひとつが具体的なイメージで立ち上がってきます。具体性の強みを感じています。 (2014年01月17日 (金) 12時01分)[2758]

月番 > この句会の半数の方が共感された高点句ですが、お採りにならなかった方々、また別の見方を書いて頂けたら…と思います。 (2014年01月17日 (金) 12時18分)[2760]

オサム > 私の場合、広縁、碁盤、日ざし、福寿草という具体的なイメージを持つ四語が、同じベクトルに響き合いすぎているような気がちょっとして、いただけませんでした。あえていうなら(安定感)というベクトルでしょうか…。ただ、義之さんが書かれているように、この句が醸し出す(新年のほのぼのとした雰囲気)は素晴らしいと思います。 (2014年01月17日 (金) 13時24分)[2762]

> 整然と穏やかな冬の家が見えるだけで、私には面白くないんです。出来過ぎ、整いすぎて興味が湧かないのですが、焦点を絞って広縁の碁盤に冬日が射しているだけなら注目しますが、揃いすぎと云うか、予定調和のように置かれた福寿草が不満でした。 (2014年01月17日 (金) 13時41分)[2763]

眞佐子 > 揃いすぎと言われればそのような気もしますが、穏やかな新年の様子が良くでていると思いました。 (2014年01月17日 (金) 19時43分)[2768]

月番 > オサムさん、剛さんの反論が出ました。揃い過ぎれば面白くないというご意見はいかにもオサムさんであり、剛氏である、と納得しています。どこかで外したい気持ちもありますが、恐らく作者の方はお正月のめでたさを詠みたかった筈です。福寿草ゆえに、眞佐子さんの書かれた「穏やかな新年の様子が良く出ている」と思います。ものの本にも正月はめでたさを書くべしとあります。
現実が火宅であっても、せめて虚の世界の正月は「めでためでた」でありたい、と考える私です。 (2014年01月18日 (土) 00時07分)[2774]

惠美子 > どなたさまのご意見にも頷いている私です。  すこし穏やかすぎる・・と言いましようか?福寿草でダメ押しされているように感じて・・上手く纏められている句なのに、インパクトが弱かったのでしょうか・? (2014年01月18日 (土) 09時05分)[2775]

紫翠 > 素材が多すぎる感じもしますが、情景に焦点が合っいるので良かったと思います。 (2014年01月20日 (月) 15時14分)[2786]

> 今井紋子さんです。おめでとうございました。 (2014年01月21日 (火) 10時07分)[2791]

千尋 > 紋子さん、おめでとうございます。
両先生からお預かりしております、俳句手帳をお送りいたします。

(2014年01月22日 (水) 00時59分)[2812]

千尋 > 掲示板で紹介しています。 (2014年01月22日 (水) 12時30分)[2813]
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21・一行目力みて書くや初日記 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時33分)[2608]
 (紋子 鈴子 紫翠)3点


月番 > いつごろからか日記に感情的なことは一切書かないようになりましたが、新年の決意を書くということでなくとも、年改まり、手擦れもない日記帳に書き始めるときは、軽い気持ちの昂りのようなものがありますね。 (2014年01月15日 (水) 12時58分)[2703]

榮一 > 長く日記をつけている人ならば初日記でも力むことはなさそうです。初めて日記をつけ始めた人ならば気分はわかりますがそのようなことでもなさそうです。力みて書くは初との予定調和の措辞のようです。 (2014年01月17日 (金) 06時16分)[2752]

> 力(りき)みて書くから、三日坊主のような俗な事が見えてしまう。自然体に「りきまずに書く」ではなかろうか。        (2014年01月17日 (金) 09時31分)[2753]

月番 > おっしゃるように「力まずに書く」としたほうが、俗の嫌味がなくていいですね。 (2014年01月17日 (金) 12時07分)[2759]

紫翠 > 淡々と書くにしても、元旦の初日記では、気分的にいろいろな思いが浮かぶ、その感慨のような感じに共鳴しました。 (2014年01月17日 (金) 17時23分)[2764]

> 渡辺淳子さんでした。 (2014年01月21日 (火) 10時05分)[2790]
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新年定例句会について 投稿者: (2014年01月13日 (月) 12時32分)[2607]
新年句会の準備中です。

   大寒や転びて諸手つく悲しき 西東三鬼
   寒卵薔薇色させる朝ありぬ  石田波郷


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12月定例句会について 投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時34分)[2519]
定例句会の皆さま、お早うございます。
富山市では、昨日の朝から西高東低の気圧配置が強まり、大陸から寒気が流れ込んで平野部でも積雪を見ました。平年より一日くらい遅いようでした。
表日本はどこも快晴、裏日本は冷たい時雨や雪が降り、今頃になりますと気象は明らかものです。選句の際に、雪が降って寒かろうのメッセージを、皆さまから頂戴致し有難うございました。
冬支度とは大袈裟ですが、エアコンの暖房の切り替え、電気炬燵はもう11月の中頃から。車も一週間くらい前に冬用のタイヤに履き替えて、何とかフットワークだけは整えました。どうか皆さまもこの冬は気を付けてお過ごしください。
選句が揃いましたので定例句会の準備を致しました。今月の月番は剛が務めますが、皆さま自由に書き込みをお願い致しします。師走に入りお忙しい方もいらっしゃるでしょうが、岡部主宰、梟夢庵先生にはご指導をお願い致しますと共に、皆さま宜しくお願い致します。


> 皆さまにはお忙しいにも関わらず12月の定例句会に参加下さいまして、有難うございました。期日が来ましたので投句者名を記載いたしました。
梟夢庵先生、岡部主宰には、適切なご指導を戴き誠に有難うございました。厚くお礼もうしあげます。定例句会が今年一年無事に過ぎた事を感謝して居ります。今年も残り少なくなり気忙しい日が続きますが、皆さまにはお元気で良いお年を迎えられるよう祈念しております。
(2013年12月20日 (金) 16時40分)[2606]
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01・下手な字の落書きを見る毛糸帽  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時10分)[2518]
(無)0点


月番 > 落書は市街の塀などに大書される。行きずりの絵のごときものも有りますが、掲句は「字」ですから、判別がつかないくらい下手なのでしょう。寒空の下と説明はつくのですが、それでも私には「見る」は、言い過ぎのような気がしました。 (2013年12月13日 (金) 12時54分)[2522]

榮一 > 月番さんが言う通り「見る」が散文的でよくないと思う。 (2013年12月19日 (木) 10時19分)[2563]

> 小川紫翠氏でした (2013年12月20日 (金) 16時15分)[2590]
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02・玉垣に講の赤文字牡丹鍋 投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時09分)[2517]
(剛 保子 循子 千尋 主宰)6点


月番 > 神社の境内や社殿の周囲にめぐらす玉垣は、御影石が多い、奉納者を募り奉納した人の名前が刻まれるようです。赤文字は人名のようで、鮮やかです。 (2013年12月13日 (金) 21時30分)[2526]

循子 > 講には伊勢講、稲荷講、bSに関わる富士講など、いろいろあるようです。土地柄から私は女人禁制の大峯山の講を思い浮かべます。牡丹鍋とあるので、それが名物である土地の神社かも知れません。赤い文字で刻まれてるのは珍しい気もしますが、赤が際立っているとすれば、比較的新しいものかも。 (2013年12月16日 (月) 22時16分)[2541]

> 玉垣に取り合わされた、牡丹鍋は猪の鍋料理である、盛り付けが牡丹の花に似ている季節の物だ。東京や神奈川は古来より富士講もあるが多いのは大山講(たぶん今でも続いている)。盛んだった江戸時代には、四方八方の道はすべて大山に通ずると聞いた事も有る。講に属する各人が会費を納めて代表がお参りに行き、お札などを持ち帰って配ったと言われ、玉垣にはその講の名が刻まれる。赤文字は火の色であり、疫病除けや魔除けの力があるとされている。丹沢山系の大山一帯は猪が名物のようで、ハイキングの帰りにでも見かけた光景だと思った。 (2013年12月17日 (火) 16時11分)[2551]

榮一 > 玉垣の名前に朱を入れたのを何処で見たのか思い出せない。一般的には板を赤く塗って文字は黒、石材のものでは彫のままのものが多いようである。講の社中の名前などが書かれたものだろうと思う。猪肉も鮮やかな赤であるが牡丹鍋の配合は推敲の余地がありそうである。 (2013年12月19日 (木) 10時29分)[2564]

梟夢庵 > 講の名だけが赤い字で書かれているのでしょうか?個人の名前は黒字なのでしょうか?それが分かりませんので、読めません。墓石であれはそれを建てた人が存命であれば赤字にするようですが、何か理由はあると思います。少なくとも採られた方は、何らかの説明責任のようなものがあると思います。それでないと句会の意味がありません。
(2013年12月19日 (木) 18時31分)[2583]

保子 > 「講の赤文字」は長い間風雨にさらされて鮮やかとは解釈しませんでした。若い頃に両国の橋のたもとで猪の皮の磔になったようなものと「牡丹鍋」の文字を見ました。座五におかれた牡丹鍋には少々の違和感もありましたが、この句を読んだ時その何十年も前の事を思いだしました。 (2013年12月20日 (金) 00時54分)[2589]

> 今井紋子さんでした (2013年12月20日 (金) 16時17分)[2591]
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03・鈍色の能登半島や浪の華  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時07分)[2516]
(杏花 鈴子 保子 章子 紫翠 梟夢庵)7点


月番 > 能登半島の冬は晴れても何故か鈍色の感覚です。輪島辺りの海辺はそんなに雪は積もりませんが、強い風の吹く日がおおく、波の花は能登の風物詩です。 (2013年12月13日 (金) 12時56分)[2523]

紫翠 > 情景をしっかり捉えていると思いますが、やや新鮮味に欠ける印象がありました。 (2013年12月16日 (月) 16時43分)[2538]

鈴子 > 情景に共鳴して選をしました。日本海特有の冬の波、荒れた時の独特の浪の華、故郷の海もまた同じ光景でした。子供の頃を思い出しております。 (2013年12月17日 (火) 20時03分)[2553]

千尋 > もの好きは昔からだったようで、まだ子供が生まれる前、夫と二人で能登まで波の花だけを一泊二日で見に行ったことを思い出しました。
初めて見た波の花は日本海の灰汁の塊と思いました。この句「能登半島」と長いのでは?「能登」だけで十分と思いました。 (2013年12月18日 (水) 20時04分)[2560]

鈴子 > 千尋さんが書いておられるように「浪の華」はたしかに日本海の灰汁のようなものですよね〜
おもしろい表現にかんしんしました。 (2013年12月18日 (水) 22時11分)[2561]

榮一 > 冬の能登半島の風情はよく出ていると思う。ただ、半島と漠然とおさめないほうが良かったように思う。 (2013年12月19日 (木) 10時33分)[2565]

梟夢庵 > 遠近法をを使って、近くの浪の華を強調して良いかと思いましたが、紫翠さんの指摘のとおり、やや新鮮味にかけるかもしれません。 (2013年12月19日 (木) 18時47分)[2584]

> 松谷眞佐子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時18分)[2592]
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04・富士塚の短き鎖冬ざるる  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時06分)[2515]
(剛 惠美子 進二 眞佐子 宜子 保子 章子 循子 千尋 梟夢庵 主宰)13点        


月番 > 今月の最高点句です。その昔からの富士信仰に基づく、富士山のミニチュアは横浜や東京に多い。鎖の短さが何とも面白い。 (2013年12月13日 (金) 21時32分)[2527]

循子 > 江戸八百八講といわれるほど富士講があったそうですが、掲句に私は品川富士をすぐ思い浮かべました。先月梟吟行会で連れていって頂きました。息切れしながらも目出度く頂上踏破を果たしましたが、成程なあ…と掲句の「短き鎖」に感心しております。ミニチュアと言えども「短き鎖」無くして私の富士踏破など有り得ませんでした。冬ざれのなかで、命綱とも言うべきあの鎖もさぞヒンヤリして。 (2013年12月16日 (月) 21時58分)[2540]

千尋 > わたしも先月連れて行っていただいた品川富士を思い出していました。富士塚は話には聞いていましたが、登るのは初めてでした。三十歩ほどで登頂できる富士山でしたが、鎖場まであるのには驚きました。
「短き鎖」にあの鎖を握った感触を思い出しました。 (2013年12月17日 (火) 00時22分)[2545]

榮一 > 東京には富士塚が何基かあるようである。富士講が何日かの旅になればそれなりに暇とお金と体力がいりそうである。講が行くたびに石や砂を持ち帰り行けない時や行けない人のために作ったものだろう。江戸から見える富士の姿は美しさに憧れと信仰を熱くしていたものと思われる。今は一般的にはあまり見向きもされていないのかもしれない。短い鎖に冬ざるるがそんなことを感じさせていいと思う。 (2013年12月19日 (木) 10時44分)[2566]

> 主宰が書かれた通りです。唯一無二の霊峰富士は、信仰する集団によって関東各地に「富士講」や富士塚を各地に残し、富士講は兎も角として、塚や山と呼ばれるのは100近く残っているようです。峻険な高い山には鎖場があり鎖に繋がって喘ぎながら登る。冬ざれは果ての富士にも、それに似せて都会の中に造られた、ほんの10段くらいの、この塚の鎖にも及んている。 (2013年12月19日 (木) 11時14分)[2574]

眞佐子 > 私も梟吟行会で始めて富士塚を見せてもらい、登ってみました。鎖場もあり、頂上では小さな達成感もありました。掲句の「短き鎖冬ざるる」にその時の様子がよくでているとおもいました。 (2013年12月19日 (木) 15時19分)[2579]

梟夢庵 > 富士塚や富士講についてはかねてから歳時記で知っていましたが、実際に頂上まで登ったのは先日の梟句会の吟行が初めてです。知識として知っていても実際に体験することは今後の作句の大きな力となります。改めて吟行の大切さを再認識しました。しかも品川神社の富士塚は15メートルの最大級のものであり、五合目を過ぎると階段も狭く急峻となり、両側に築造された溶岩の風貌もそれらしく感じられるようになります。すがりつつ登った鎖の感触といい、造られたミニチュアとはは思えぬ風景でした。真佐子さんの言われるとおり、「短き鎖冬ざるる」が、実感として体感できます。 (2013年12月19日 (木) 17時40分)[2581]

> 太田鈴子さんです。 (2013年12月20日 (金) 16時19分)[2593]
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05・風花に絹の悪戯ありしかな  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時05分)[2514]
(無)0点


月番 > 晴天に雪が風に舞うのを、風花と呼ぶが、日本海側で雪が降りその雪雲の一部が山脈を越えて関東平野に至り風花が見られる。絹の産地は群馬や栃木に多く、日本が近代化を進めた基幹産業も今は衰えた。「ありし」は過ぎ去った日とか、以前の、昔の、だろう。さて悪戯からの私の連想は、和服の下の縮緬の裾払い「赤い蹴出し」でした(情けない)。 (2013年12月14日 (土) 20時32分)[2535]

循子 > 「絹の悪戯」は比喩なのでしょうが、「に」、「の」という助詞から単純に考えると、風花に悪戯したのが絹ということになります。そうすると、だんだんわからなくなって、私ごとき感性ではお手上げです。赤い蹴出も悪くないですが… (2013年12月16日 (月) 22時33分)[2542]

> 岡部主宰でした。 (2013年12月20日 (金) 16時20分)[2594]
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06・ふたつめの湯たんぽ買ひぬ根津谷中 投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時04分)[2513]
(杏花 孝子 眞佐子 鈴子 梟夢庵)6点 


月番 > 湯たんぽは懐かしいものである。陶器あり、ブリキあり。昨今はプラスチックが多い。 (2013年12月13日 (金) 13時03分)[2524]

循子 > なんだか面白い句だなあと思ったのは、根津谷中という地名の持つ情感のせいでしょうか。「ふたつめの湯たんぽ買ひぬ」は意味あるような無いような、微妙なフレーズです。想像というより妄想がどこまでも広がってゆく感じ。そのことに忸怩たるものあり(笑)、通過しました。迷わずに一点投じるべきであったと今は後悔しております。 (2013年12月17日 (火) 11時52分)[2550]

千尋 > 循子さんの書かれたように「根津谷中」と「湯たんぽ」が面白いと思ったのですが、何で「ふたつめ」?と思ったのです。この頃、からだ全体のお肌が乾燥して良くないと電気毛布が嫌われ湯たんぽ派が増えたそうですが。 (2013年12月18日 (水) 00時51分)[2556]

循子 > 「ふたつめ」が肝心なのですよ、千尋さま。 (2013年12月18日 (水) 11時18分)[2558]

千尋 > はて・・ (2013年12月18日 (水) 13時34分)[2559]

榮一 > ふたつめが微妙ですね。ここで迷ってしまえば取れなくなりそうです。迷った一人です。根津谷中は湯たんぽとよく合う街だと思います。 (2013年12月19日 (木) 10時48分)[2567]

眞佐子 > 「ふたつめ」は一つめを壊したから買うのか、家族のためにもう一つ買うのかいろいろ想像してみました。結論はでませんでしたが「湯たんぽ」と「根津谷中」が面白くていただきました。 (2013年12月19日 (木) 15時36分)[2580]

梟夢庵 > このままでも結構おもしろいのですが、私なら絶対<ふたつめの湯たんぽ買ひに根津谷中> (2013年12月19日 (木) 18時58分)[2585]

> 山内宜子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時21分)[2595]
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07・着脹れて帰り待ってる鼻眼鏡 投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時03分)[2512]
(孝子 鈴子)2点


月番 > 老眼鏡の視点を考えると、兎角鼻眼鏡になりやすい、ユーモアが少し勝っていると思う。 (2013年12月13日 (金) 10時36分)[2520]

鈴子 > 可笑しみもありながら、しんみりとした句でした。共に年老いて、恙なく暮らしておられる夫婦、鼻眼鏡の夫の背中が見えて来るようです。 (2013年12月17日 (火) 20時17分)[2554]

孝子 > 鼻の低い私が鼻眼鏡は当たり前すぎるくらい、自覚しているのですが、この句の鼻眼鏡さんはご主人さまで、いかにも鈴子さまのいわれるとうりで我が家そのままのようにも思えて、この年頃になって主人のありがたさも感じております。 (2013年12月18日 (水) 22時12分)[2562]

榮一 > せめて倒置法にしてでも散文的な表現を脱したいと思う。 (2013年12月19日 (木) 10時52分)[2568]

> 三島章子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時21分)[2596]
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08・日向ぼこ一日一本皺生る  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時02分)[2511]
(紋子)1点


月番 > この句も前句と同じような感があります、加えるなら自虐かも知れない。 (2013年12月13日 (金) 10時37分)[2521]

循子 > bVとbWは月番氏のおっしゃるように視角は違うようでありながら、通じるものがあります。いわば自虐の裏表といったところでしょうか。読み手はしたがって少々辛いものがあります。 (2013年12月17日 (火) 11時33分)[2549]

榮一 > 中七以下が意識としても直接的でいただけない感じでした。 (2013年12月19日 (木) 10時56分)[2569]

> 浅村恵美子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時22分)[2597]
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09・日傾く迅さ阿騎野は枯芒  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時01分)[2510]
(章子)1点


月番 > 飛鳥時代の宮廷に仕えたとされる推測の人、歌人柿本人麻呂。三十六歌仙の一人、阿騎野に残る史跡。 (2013年12月14日 (土) 20時28分)[2533]

榮一 > 本歌取りと思うがなぞっているだけのようで弱い。 (2013年12月19日 (木) 10時58分)[2570]

> 安田循子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時23分)[2598]
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10・極月の一幕見席六段目  投稿者: (2013年12月13日 (金) 07時00分)[2509]
(惠美子 宜子 主宰)4点


月番 > 歌舞伎にこんな席が有るのを知りませんでした、六段目は仮名手本忠臣蔵の勘平? (2013年12月14日 (土) 20時21分)[2532]

千尋 > 今月の歌舞伎座は忠臣蔵一色のようですね。 (2013年12月17日 (火) 00時26分)[2546]

宜子 > 12月といえば、赤穂浪士、忠臣蔵。品川にある泉岳寺には、参拝者のお線香が絶えないようです。その六段目だけを観る「一幕見席」・・忙しくても、お金が無くても、江戸っ子は一幕だけでも観たいもの。そんな心意気が感じられて選しました。 (2013年12月17日 (火) 22時43分)[2555]

榮一 > 歌舞伎のことはよく知りません。一幕見席などがあるとは粋な計らいですね。ひいきの役者の舞台を少しでも見たいとの想いが出ているようです。極月は少し意味を持ちそうですが。 (2013年12月19日 (木) 11時03分)[2571]

梟夢庵 > 作者は、むしろ「極月」こそこの句にぴったしだと思っているのでしょう。そこを早く乗り越えるべきでしょう。 (2013年12月19日 (木) 19時08分)[2586]

> 樋口進二氏でした。 (2013年12月20日 (金) 16時24分)[2599]
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11・軍神の混みあう沖や虎落笛  投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時59分)[2508]
(剛 惠美子 杏花 孝子 進二 紋子 眞佐子 循子 宜子 保子 主宰)12点


月番 > 軍神として祀られるのは限られているようだが、この句の軍神は海軍、船に乗って海に沈んだ数多の人達の鎮魂の趣があるようでした。 (2013年12月14日 (土) 20時29分)[2534]

循子 > 開戦日を思いました。軍神とありますが、海や空に散った人々はいうまでもなく、戦にかかわって命を落としたすべての人々への鎮魂句と思いました。
残念ながら、多少の既視感があることは否めません。季語に疑問もあります。それでもこの時季、作者の素直な感慨であろうと思って、採らせて頂きました。 (2013年12月18日 (水) 11時12分)[2557]

榮一 > 戦後68年。それでも消えないものがある。虎落笛は時として
心の中まで攻めるのあろう。消えない過去もあるのだろう。重たいのは激しさゆえであろうと思う。 (2013年12月19日 (木) 11時08分)[2572]

> 古くは勇猛な戦死者の軍人を神格化して軍神と呼んだ。最近読んだ本に、海軍の予備士官であった平野邦雄さんの著書「私の「昭和」」によれば、終戦の年の4月に沖縄に向かう途中、アメリカ軍航空機の集中攻撃を受けて沈没した不沈戦艦「大和」には3,000人以上の乗組員が乗っていたそうで、生還を果たした人もいるが、多くは九州沖の海底に眠っているとされる。連合艦隊の最後は真に痛ましい。大戦中は第二国歌と呼ばれた、万葉集の大伴家持の「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)」を思い出すに至った。 (2013年12月19日 (木) 18時19分)[2582]

孝子 > 高校時代の本、きけわだつみの声だったか、学徒の書を思い出しました。 (2013年12月19日 (木) 22時11分)[2587]

> 梟夢庵先生でした。 (2013年12月20日 (金) 16時25分)[2600]
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12・数えきれない黄落の夜の羊かな  投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時58分)[2507]
(進二 紋子 鈴子 循子 紫翠 千尋)6点


月番 > 今でも時折寝つきの悪いのに悩まされる事もある。「羊が一匹〜〜〜」と数えても眠れないんです。 (2013年12月14日 (土) 11時13分)[2528]

紫翠 > 「黄落」がぴんと来ないのですが、寝付かれない夜の印象でとりました。回りくどい表現がどうなのかなと思いました。 (2013年12月16日 (月) 16時52分)[2539]

循子 > 「数えきれない」が黄落と羊の両方に係っているので、ややゴタゴタ感がありますが、夜中も散り続ける黄葉と、数えても数えても眠れない夜の羊。とても実感のある句と感じました。眠りつけない夜は、まさに「…かな」です。 (2013年12月16日 (月) 22時59分)[2543]

千尋 > 七.七.五でリズムが良くなかったのですが、眠れない夜に数えるに足る羊がうらやましくていただきました。羊だけでなく犬も猫も猿も数えても眠れない不眠症です。 (2013年12月17日 (火) 00時34分)[2547]

榮一 > 黄落やと二句一章にすればもっとすっきりしそうな気がします。 (2013年12月19日 (木) 11時12分)[2573]

> 剛でした。 (2013年12月20日 (金) 16時26分)[2601]
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13・黄落や淡海の酒に泥酔し  投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時57分)[2506]
(剛)1点


月番 > 泥酔が意味深なのですが、飲みたくない酒もある、その先に広がるのは黄落の琵琶湖。 (2013年12月14日 (土) 11時15分)[2529]

循子 > 何故か好きな句です。黄落という季語が俳句を始めた頃から好きだったり、淡海の酒に惹かれることもあり、ひょっとして泥酔への憧れもあるか、と。 まったく理由にもなりません。 (2013年12月16日 (月) 23時13分)[2544]

> 湖西線から眺める琵琶湖辺りの末枯れ(黄落)は、格別であると電車の窓から何時も思ったものです。心中に何か屈託があって飲めば、この句のように時には泥酔することもあったし、振り返って人間だもの、と、逃げる感がありました。この句の泥酔から良くも悪くも、自分の若い時代が浮び出て、その頃がとても懐かしい。呑みすぎる事も多く、殆どは悪い酔い、所謂泥酔で正気を外れていました。今はもうそんな事は有りません、歳が歳ですから。この句は淡海の酒だから呑みすぎたと、言い訳をしているようでした。 (2013年12月17日 (火) 10時28分)[2548]

榮一 > 琵琶湖周辺の景は見えなくもありませんが淡海の酒は個人的に過ぎるような気がします。 (2013年12月19日 (木) 11時24分)[2577]

> 若林千尋さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時26分)[2602]
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14・熱燗やときに近づく波頭 投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時56分)[2505]
(杏花 孝子 進二 眞佐子 章子 宜子 千尋 梟夢庵)9点


月番 > 寒い冬は熱燗に限るなんて良く言われますが、少し酔いが回ると私などは酒に弱いので、うつらうつらと致します。 (2013年12月14日 (土) 11時16分)[2530]

榮一 > 波頭が象徴的で悪くないと思ったのですが時にで迷いました。 (2013年12月19日 (木) 11時27分)[2578]

梟夢庵 > 海に近い宿の座敷ででも飲んでいるのでしょう。ある周期で岸に寄せて来る波頭がが見える。波頭はある程度岸に近くなると崩れて波音を残して引いてゆく。平凡な情景である。ところが何回かに一度、通常よりはるかに高い波が近くまで寄せて来ることがある。それは別に異常なことではなく当たり前のことではあるが、津波被害以後はときに押し寄せる高い波がしらに、体が反応してしまうのである。
…そんな震災体験者特有の恐怖というか、心身の反応のように思えました。
(2013年12月19日 (木) 23時33分)[2588]

> 伊藤保子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時28分)[2603]
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15・リビングはおもちゃ箱なりクリスマス 投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時53分)[2504]
(紋子 紫翠)2点


月番 > リビング全体を眺めての、実感のように思いました。 (2013年12月14日 (土) 11時17分)[2531]

紫翠 > 「なり」が気になりましたが、下5のクリスマスが分かりやすいので選をしました。 (2013年12月16日 (月) 16時31分)[2536]

榮一 > クリスマスらしい景ですが常識的におさまって平凡だろうと思います。 (2013年12月19日 (木) 11時19分)[2576]

> 枡室杏花さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時28分)[2604]
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16・百八つの無患子拾う男かな 投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時52分)[2503]
(惠美子 紫翠)2点


月番 > 知りませんでしたが、黒色の種子は、追い羽根の球や数珠(じゆず)に用い、「子が患わ無い」という意味で、羽子板が 無病息災のお守りになった由来とのことです。(ネットから引いて来ました) (2013年12月13日 (金) 13時10分)[2525]

紫翠 > 今年の感慨を込めての作品と思い取りました。 (2013年12月16日 (月) 16時37分)[2537]

榮一 > 数珠にするのでしょうね。百八つが意味を固定して想像が断ち切られた感じがします。 (2013年12月19日 (木) 11時15分)[2575]

> 久野孝子さんでした。 (2013年12月20日 (金) 16時29分)[2605]
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12月定例句会について 投稿者: (2013年12月13日 (金) 06時47分)[2502]
  冬の灯のいきなりつきしあかるさよ 久保田万太郎
  先生ありがとうございました冬日ひとつ  池田澄子

 句会の準備中です。

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11月定例句会について 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時33分)[2376]
 東京にも「木枯らし1号」が吹いて、昨日(11日)の夕刻から全国的に気温が下がりました。当地の今朝の気温は5℃前後で日中も10℃まで届かず、立山山麓は雪が降ったようで、冬の前触れでは無く一挙に冬に突入の感がして居ります。皆さまには寒さに気を付けてお過ごしください。
 今月の投句は17名でした、句会の世話をする者としては、嬉しい限りです。有難うございました。
 句会は明日13日からの予定ですが、選句が揃いましたので、早めに定例句会の準備を致しました。
 今月の月番は前月最高点の久野孝子さんです。岡部主宰、梟夢庵先生にはご指導をお願い致しますと共に、皆さま宜しくお願い致します。


孝子 > 遅くなり申し訳ありません。今月の月番仰せつかりました久野孝子です。なにせはじめてのこととて困惑しております。不都合があるかと思いますがどうぞ寛大にお願いします。梟夢庵先生、岡部主宰先生どうぞご指導よろしくお願いします。梟夢庵先生おかぜのほうは如何でしょうか。予後お大事にしてください。どうぞ皆様よろしくお願いします。 (2013年11月13日 (水) 19時11分)[2377]

月番 > みなさま。書き込みすぎたかどうか、うるさくしてしまったかもわかりませんが、どうぞ月番の書き込みは気にしないで句会参加おねがいします。剛さんもたくさんの参加よろこばれていますので、月番のまずさは無視して、どうぞたくさんの書き込みおねがいします。 (2013年11月13日 (水) 20時41分)[2395]

月番 > 皆様、句会も終盤になってまいりました。まだ書き込みなされてない方、もっともっといれてくださるかたよろしくおねがいします。 (2013年11月19日 (火) 08時55分)[2449]

> この所、北陸は天気が悪く今朝も冷たい雨が降って居りますが、晴れると立山連峰は雪をいただいているでしょう。来月はもう一年の終わりですが、年が詰まると一日が感覚としてとても短く感じ、この11月も足早に過ぎて行きました。終了の日が来ましたので、投句者名を記入いたしました。
お忙しそうだった月番の久野さん有難うございました。また梟夢庵先生、岡部主宰には、熱心なご指導を戴き有難うございました。参加の皆さまにも厚くお礼を申し上げます。皆さま方にはお身体に気を付けて過ごして下さるよう、願っております。
(2013年11月20日 (水) 10時06分)[2499]

月番 > 11月の句会無事?終了しました。梟夢庵先生主宰先生お忙しい中、また体調ご心配のなかご指導いただきまして、ありがとうございます。お礼もうしあげます。また、皆々様つたない月番にあわせていただきありがとうございます。今月はボランテァのNPOの会の大田区のフェスタの中のバザー会場のため、値ずけやら売り子やら、何日もとられ、今日は同じシルバーの会のピアノコンサートの受け付け集金等々で先ほどもどりました。プロのピアニストのかたのおかげで、もう13年もボランテァのピアノコンサートがつづいています。今回はお二人の15分ものシューベルトの連弾もあったりして、音楽音痴のわたしでも感動しました。今月の最高点の剛さま次月の月番お願いします。また拙い月番のフォッロウありがとうございました。感謝しております。皆様ありがとうございました。 (2013年11月20日 (水) 19時07分)[2501]
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01・晩年の短日うろうろ使い切る 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時17分)[2375]
7点(剛 惠美子 紋子 進二 章子 主宰)


月番 > 晩年の短日、実感としてよくわかるのですが、使い切るとはどいうことなのでしょうか。 (2013年11月13日 (水) 19時19分)[2378]

循子 > 心情的に共感できるものがあります。晩年というところにさしかかって十分過ぎる年齢ですから、掲句は私自身の日常そのものです。探し物に一日の殆どを使い切ってしまったのではないかと思う日があります。日が短いこの季節、うろうろして結局のところ何ほどのことも出来ない、それの繰り返しです。切れが欲しい気もして、迷ったというところです。 (2013年11月16日 (土) 23時37分)[2413]

> 晩年とか余生という言葉は、恥ずかしながら自分も良く使う。何故か心地よい響きがあるような気もする、そんな年齢と云うところだろうか。うろうろは道に迷った等ではなく、目的も無いままに出かけたりして、晩秋の短い一日を無為に過ごしてしまったに取れる、勿論悔などは有る筈がない。使い切った一日に満足していると見た。 (2013年11月17日 (日) 16時41分)[2424]

梟夢庵 > 「予算を使い切る」、碁や将棋などの「持ち時間を使い切る」などと同じ用法です。以前にも提言したことがありますが、「晩年」「短日「うろうろ」と同じようなネガティブなヴェクトルを持った言葉が重なりますと、暗い内容の句になるばかりでなく、表現としてもくどい感じです。折角神が与えて下さった余生なのですから、もっと積極的で明るく楽しくありたいものです。
(2013年11月17日 (日) 17時53分)[2425]

月番 > 内容はよく見えてきました。ありがとうございます。とられたかたのほめ言葉もお願いします。 (2013年11月17日 (日) 21時32分)[2428]

紋子 > お恥ずかしい限りです。今、梟夢庵先生のご発言を読ませて頂きまして、私が「うろうろ」を「ろうろう」と読み違え改作をして頂いていることに気が付きました。作者の明るく楽しく老後を送っていらしゃるご様子として頂いたのですが。 改めて句を読み直し致しますと、私も作者と同じように「うろうろ」として日を送っていることが多いです。「使い切る」のなかにそれを肯定して、晩年の満足感のようなものが窺えます。作者さん、申し訳ございませんでした。
(2013年11月18日 (月) 16時03分)[2444]

榮一 > 最終日になってしまいました。申し訳なく。さて、身につまされるます。あれもこれもと考えているうちに一日があっという間に過ぎてしまうのでしょう。うろうろとたわいもない感じですが悲しい句です。 (2013年11月20日 (水) 04時25分)[2472]

> 新保吉章氏でした。 (2013年11月20日 (水) 09時32分)[2484]
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02・トラピスチンのサブレと紅茶七竈 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時17分)[2374]
7点(惠美子 眞佐子 鈴子 梟夢庵 主宰)


月番 > 二先生がおとりです。函館のトラピスチヌ修道院でしょうか。トラピスト会系の女子の修道院ですね。 (2013年11月13日 (水) 19時24分)[2379]

循子 > まだ今ほど物の流通がよくなくて、飽食といわれる時代に入る前、トラピストのサブレを頂くことがあると、こんな美味しいものが…と思ったものです。垢抜けのしないパッケージも、修道院らしいと思ったものです。いまやスイーツの類は巷に溢れて北海道物産展などで「トラピスト」の文字を見ても胸が躍ることがなくなりましたが、一種の懐かしさがあります。トラピスチンと厳密に表記されたものは見かけた記憶がありません。女子修道会はトラピスチンなのですね。…とすれば私はトラピスチンのサブレを、食べたことがないということで、それがショックです。七竈が楽しい。 (2013年11月17日 (日) 00時13分)[2414]

孝子 > 循子さんは間違いなく、トラピスチヌのサブレを召し上がってると思いますよ。修道女さんたちが焼いてうっていますからね。というよりも男の修道士が焼くサブレのほうが考えられません。七竈でますます函館に意識がいきます。ただ私てきにははまなすの実が強力でした。 (2013年11月17日 (日) 21時42分)[2429]

循子 > 孝子さん、有難う。ちょっと調べてみると、矢張り「トラピストクッキー」は函館のトラピスト修道院で作られていると明記されているので、場所からして女子修道院のトラピスチンとは違うようです。いずれにしても、なんだか懐かしい気持ち。通販で買うことにします。お騒がせしました。 (2013年11月19日 (火) 11時01分)[2459]

榮一 > 函館の修道院です。紅葉が美しいななかまど、ちなみにななかまどは西洋では悪魔よけの効果があるようです。トラピスチヌに植えてあるのは自然な感じです。 (2013年11月20日 (水) 04時31分)[2473]

> 若林千尋さんです。 (2013年11月20日 (水) 09時33分)[2485]
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03・ヘリコプターのよく飛ぶ日なり七五三 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時15分)[2372]
3点(宜子 千尋 紫翠)


月番 > 気持ちよい吉日なのですね。 (2013年11月13日 (水) 19時26分)[2380]

循子 > ヘリコプターと七五三の取り合わせは梟句会(新人句会当時)で出たような記憶があって、ちょっと新鮮味に欠けました。記憶違いであれば、すみません。 (2013年11月17日 (日) 00時18分)[2415]

千尋 > いいえ循子さま、間違いではないと思います。
四方を電車の駅や駅前ビルで囲まれた垂水の海神社の小さい境内をまた思っています。 (2013年11月17日 (日) 02時22分)[2417]

> ヘリは緊急の事故や事件などで警察や新聞社が飛ばす筈で、家の中で聴いているのかも知れないが、それを確かめるべく、外へ出て目にした親子の晴れ姿に、今日は七五三と覚えたのでは、と感じました。良く飛ぶヘリは、突如割り込んでくる平凡な日常生活への不安感(違和感)のような事を、この句は述べているように思えたのですが、どうでしょうか。11月になると名の知れた神社は、晴れ着の子供達で賑わい、親たちの正装?もそれに付いて回る。謂れも殆どは知らないのかもとよく思う。私も漫然とそれを行った者であるが、今はもう皮肉の目で見てしまうようになってしまった。 (2013年11月19日 (火) 11時55分)[2462]

紫翠 > 非日常的な事の取り合わせですが、「七五三」に少し違和感を感じながら選をしました。 (2013年11月19日 (火) 16時41分)[2463]

榮一 > 神戸マラソンの日に朝からヘリの飛ぶ音を久しぶりに効きました。七五三詣は土曜日、日曜日が込み合うようです。どちらも日頃はあまり縁のないものですが取り合わせは悪くないようです。 (2013年11月20日 (水) 04時49分)[2474]

> 梟夢庵先生です。 (2013年11月20日 (水) 09時34分)[2486]
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04・大叔父の肩章冬の三宅坂 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時14分)[2371]
8点(剛 章子 循子 紫翠 梟夢庵 主宰)


月番 > 二先生がおとりです。肩章官職、等級によって、区別があるそうですね。三宅坂とのかかわりは? (2013年11月13日 (水) 19時31分)[2381]

循子 > 東京は坂の多いところで、その名前一つ一つに江戸時代の名残があります。その坂を出来るだけ歩いてみたいと思いますが、なかなか無理のようです。三宅坂は江戸の三宅備前守の屋敷があったことから、その名がついたようで、のちに井伊家の上屋敷もあったとか。世が移り、やがて陸軍参謀本部が置かれたので、大叔父さんは恐らく陸軍軍人であられたのでしょう。冬とあるので、2.26事件など思いました。好きな句です。 (2013年11月17日 (日) 00時30分)[2416]

月番 > やはり、循子さんは深いです。陸軍軍人に三宅坂から行けるとはすばらしいとおもいます。とても考えられませんでした。ありがとうございます (2013年11月17日 (日) 21時48分)[2430]

> 東京の冬は晴れて空気が澄みきり風は冷たい。三宅坂は皇居の濠に下る大きな丁字路交差点、お濠を挟んで国の重要な施設が集中している。連綿と続く歴史の交差点でもある。通るたびに思い出すのは、安田さんの書かれた通り、2・26事件に連座した、軍人だった大叔父の記憶かも知れない。近くに警視庁や警察庁もあるので何とも言い難いが、肩章から礼儀正しい官の人だったに違いない。あの辺りを通ると、何故か背筋が伸びるような気がするのは私だけではあるまい。 (2013年11月18日 (月) 11時25分)[2434]

紫翠 > 内容的にはお二人の書かれた通りと思います。「冬の三宅坂」に共鳴しました。。 (2013年11月18日 (月) 17時10分)[2446]

榮一 > 循子さんの言われる歴史が三宅坂にはあります。冬の三宅坂をのぼりながらふと座敷の長押にかかっていた大叔父の写真を思い出してのでしょう。長押の写真も障子が閉められた冬場のほうが印象が強かったようにおもいます。 (2013年11月20日 (水) 05時40分)[2480]

> 山内宜子さんです。 (2013年11月20日 (水) 09時35分)[2487]
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05・新築の釘打つ音や神無月 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時13分)[2370]
2点(杏花 千尋)


月番 > 神無月とのかかわりはいかがでしょうか。 (2013年11月13日 (水) 19時33分)[2382]

千尋 > 今年は伊勢神宮で20年に一度の大祭式年遷宮、出雲大社も60年ぶりに新しい社殿に建て替えられました。そのことが頭を過りました。「新築の釘打つ音」この頃は、ガガガガと電気金槌で、昔のように大工さんが口に釘を含んで一本づつ打っていたような風情はありません。 (2013年11月18日 (月) 01時19分)[2433]

月番 > 千尋さまありがとうございます。 (2013年11月19日 (火) 09時30分)[2456]

循子 > 千尋さんのご発言どおり、最近は大工さんが口に銜えた釘を一本ずつ打っていく風情は見なくなりました。まさにガガガガ…です。掲句はお伊勢さんの遷宮を念頭に書かれたような気がします。神無月もその辺からの発想では、と思いました。 (2013年11月19日 (火) 10時15分)[2458]

> 浅村恵美子さんでした。 (2013年11月20日 (水) 09時59分)[2498]
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06・お初徳兵衛越えし川跡冬の虹 投稿者: (2013年11月12日 (火) 19時12分)[2369]
(無点)


月番 > 無点ですが、どうしてでしょうか。近松門左衛門の曽根崎心中の主人公ですね。今回ちょっと勉強させていただきましたが、こういう句にあって、うろ覚えの勉強ができるのも句会のよいところではないでしょうか。
ちなみに私は越えし川跡を見つけることができずにパスしてしまいましたが、ひとつ勉強できたことを感謝しています。 (2013年11月13日 (水) 19時42分)[2383]

> この句は、投句の際に「現在の北新地、江戸時代の曽根崎新地には今も近松の戯曲の現場跡が幾つか碑の形で残っております。二人が渡った蜆川跡等々です。同じ二人が渡った梅田橋は、その跡に建ったビルの名前として残っております。二人が命を絶った神社の森は市街地になりましたが、ご存知の通り宮は今も。」と、作者の注釈が付されておりました。 (2013年11月15日 (金) 10時28分)[2397]

月番 > 剛さん、ありがとうございます。やはり川跡はあったのですね。その内容を知らないと、とれないということにつながることもあるのですね。 (2013年11月15日 (金) 22時05分)[2403]

> この句は近松の残された史跡から、当時を偲んで一句をなしているのだと思う。見たもので無ければ等と極論は云えませんが、私の場合文楽も人形浄瑠璃もまったく見たことは無いし、歌舞伎もまた見る機会が無かったと言い訳するより外は無い。古典落語の「船徳」は、曽根崎心中の名前取りと云われ、下敷きはこの両人であるらしい。随分以前に何処かの寄席で聴いたような記憶はあるが、もう忘れてしまっているし、またこの句の背景は落語では無かろう。時としてさんざめく現代の三業地の碑から、幻のように近松の心中物を思いつくのも一興であるし、想像をかき立てての句もあってしかるべきと思う。私には知らぬ存ぜずであるが、道行に冬ざれの川跡と冬の虹はいかにも寒々としてしまうのだが。 (2013年11月16日 (土) 10時07分)[2409]

循子 > 剛さん、詳しく書いて頂き、ありがとうございます。曽根崎心中の最後の流れるような名文は印象的です。あまりに近松門左衛門の原文が名文であるだけに、「越えし川跡」で一句をものすることは難しいということでしょうか。でも美しい心中場面を思い出したりして、またあのあたりを歩きたくなりました。 (2013年11月17日 (日) 12時53分)[2423]

> 樋口進二氏でした。 (2013年11月20日 (水) 09時37分)[2489]
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