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4・一升の米と四月の来るを待つ
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投稿者:世話人
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(2024年03月13日 (水) 13時47分)[23667] |
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2点 宜子・榮一
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月番 > 月番には理解する力が足りませんでした。宜子様宜しくお願いします。 (2024年03月13日 (水) 19時29分)[23676]
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義之 > 言葉通りに読むと季節は3月、作者は一升の米と4月が来るのを待っているという。これは難解句である。想像力をめっちゃ働かせてこのシチエーションを、理解してみよう。一升の米と云えば、若い女性一人の1か月の米の消費量の様に思う。地方出身の女性が、大学への入学を機に東京の親戚の家に居候をするのであろうか。田舎からは、毎月一升の白米が、送られてくるのであろう。私の想像力は、せいぜいこのあたりである。米のブランドは秋田小町であって欲しい。 (2024年03月14日 (木) 18時56分)[23687]
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宜子 > 掲句のような作品を、言葉で説明するのはとても難しいのですが、敢えて説明するとすれば、「一升の米」という確固たる具体物と「四月を待つ」という春への期待感の取り合わせでしょう。300年前、松尾芭蕉は「発句は取り合わせものと知るべし」(三冊子)と教えています。掲句、上五と中七以下の取り合わせ。作者の地に足の着いた生活信条、これから先への期待感が気持ちよく伝わってきました。抽象的な思いを、具象で提示した見事な一句と感じ選びました。
(2024年03月14日 (木) 21時15分)[23691]
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月番 > 義之様、有り難うございます。義之様の秋田小町迄の楽しい想像力に凄いと思いました。松尾芭蕉の言葉も初めて知りました。「一升の米と四月」というヒントがありながら手前で引き返してしまった自分に反省です。勉強になりました。宜子様、有り難うございます。 (2024年03月14日 (木) 21時54分)[23695]
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榮一 > 四月は新しい出発の時である。学業も仕事に就く新社員もしかりである。一升の米は僅かな安心であろう。安心感と希望を待つ気持ちのようである。 (2024年03月20日 (水) 04時37分)[23754]
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榮一 > それとミスマッチのように感じる取り合わせであるが一升の米の存在と四月の明るさを感じるだけでよさそうである。そこに感じるものは人さまざまで良いのである。これは言い訳である。 (2024年03月20日 (水) 04時45分)[23755]
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世話人 > 作者は石田剛さんです。 (2024年03月21日 (木) 16時06分)[23770]
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