玄鳥 定例句会

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01・骨軽く今夜は春の闇の中 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時50分)[1481]
 0点(なし)


月番 > 無点句ですが皆さんのご意見をお願い致します。 (2013年04月13日 (土) 13時37分)[1485]

> 今夜は春の闇の中にと、とれば当然春の昼の感覚である。自身の身体の好調を骨に託して軽くと云っているのかも、重いよりずーっと良いと思う。春の闇に何が潜むか、なにが居るのか解らないが、夜を待つている期待感らしき事が骨の軽さに見えている。ある年代になれば積み重なる歳とともに、滅多に今日は好調とか、快調と云える人間は少ない。春の闇に何かがきっと有るはずと身体も好奇心も動く。こんな気持ちに憧れるのは私だけではあるまい。 (2013年04月14日 (日) 10時26分)[1506]

循子 > いま居るのが春の闇の中かと思っていましたが、なるほどこれからやって来る夜への期待感なのですね。…とすると、なんとなく「骨軽く」もわかる気がしてきました。 (2013年04月14日 (日) 22時49分)[1513]

梟夢庵 > 「骨軽く」をどう読むかによって、句の様相は大きく違ってきます。
初め私は「ほねかるく」と何気なく読んでました。
ところが、二度目には、どういうわけか「コツかるく」と読めました。 (2013年04月15日 (月) 12時53分)[1518]

月番 > 梟夢庵先生ありがとうございます。
私は「ほねかるく」と読みましたが、「コツかるく」もありですね。 (2013年04月15日 (月) 18時41分)[1521]

循子 > 「コツかるく」に違いない…と思えてきました。そう読むと、梟夢庵先生のお書きになったとおり、「句の様相は大きく違って」、それは、読み直すほどに「大きく違って」しまった様相が迫ってくるのを覚えます。俳句がいかに読まれるか、今更ながら大きな問題と思います。 (2013年04月15日 (月) 20時54分)[1524]

> 骨を「ほね」と「こつ」に読み分けると、間違いなく句の持つ意味や印象は変はるようです。春の闇から床の間にまだ置いてある骨壺もあるし、私は理科室の骨体標本くらいと思ったのですが、すっきりしませんでした。単純に思いましたが、平凡に死ねば何れ私も骨(ほね)になる身ですが、骨壺に入れられて「こつ」と子供等に呼ばれたら、これは何故か浮かばれないような気がしたものです。やはり「お骨(こつ)」でしょうか、この句もお骨軽くなら納得いたしします。 (2013年04月19日 (金) 10時08分)[1557]

> 枡室杏花さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時25分)[1579]
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02・桐に花次第に妻の言いなりに 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時50分)[1480]
 8点(剛 惠美子 進二 鈴子 循子 宜子 梟夢庵)


月番 > 「次第に妻の言いなりに」は解るような気がしますが、皆さんいかがでしょうか。 (2013年04月13日 (土) 13時40分)[1486]

循子 > いまどきの若いひとは初めから妻の言いなりのようですが、ここは「次第に」とあるので、この男性は昭和1桁から10年代くらいの生まれではないでしょうか。彼らの親世代は男の子が家事に手を出すなど以ての外であるとして育てた筈です。ましてや大事を決めるのは当然夫であると思い込んでいたのに、気がつけば主導権は妻に移っており、たまには家事も手伝ってくださいなどと言われる。しかし、嘆き節かと思いきや、実は妻の言いなりになってるほうが楽でっせ、とおっしゃる向きもありそうです。どうなのでしょうか?「桐の花」でも「花桐」でもなく、「桐に花」であることが中七以下と微妙に響きあっている気がします。 (2013年04月13日 (土) 22時39分)[1503]

> 嘆きでも無く、女房と畳のユーモアの類でも無いようだ。きっと頭の中には男の持つ矜持のようものがあって、ともに過ごしてきた歳月が甦るのだと思いました。おんな子供の云うことと思っていたが、諸事万端についてもいつの間にか妻の云う通りに従って居るようだ。まだ少し心の余裕があるようにも思えるが、だんだんと男の悲哀のような事を、自覚しながらも満足しているのだ。 (2013年04月18日 (木) 12時25分)[1541]

榮一 > 桐に花はふと気が付けばぐらいの時間の経過を意識させます。家庭でのことでは句のような男の心理はままあることですね。 (2013年04月19日 (金) 02時41分)[1549]

> 新保吉章氏でした (2013年04月20日 (土) 14時24分)[1578]
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03・背に寝入る児の口動く夕桜 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時49分)[1479]
 6点(杏花 孝子 保子 吉章 榮一)


月番 > 背中で眠る児の様子が見えますが、皆さんのご意見をお願いいたします。 (2013年04月13日 (土) 13時44分)[1487]

吉章 > 寝入る児が作者の背なのか?否かでかなり異なりますが、作者の背として戴いた句。何か言葉にならない寝言みたいなことを呟いている背中の児と混雑している花見風景を対比させた舞台造りが効を奏していると思います。 (2013年04月16日 (火) 10時15分)[1527]

えいいち > 母親の背に負んぶされている児をみているのではとおもいます。乳を吸って寝かしつけられたて眠っているのでしょう。口が動くのは乳を吸っていることを思い出しているのかもしれません。夕桜は軽く記憶を呼び覚ます効果があるようです。 (2013年04月19日 (金) 02時58分)[1550]

> 跡治順子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時23分)[1577]
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04・あこがれる美人薄命四月馬鹿 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時48分)[1478]
 2点(杏花 進二)


月番 > 「美人薄命」に憧れますね。四月馬鹿との関係はどうでしょう (2013年04月13日 (土) 13時50分)[1488]

循子 > 四月馬鹿とあるので、今更憧れる必要もなくて、掲句のヒロインはもともと美人なのです。不美人になった積りでちょっと言ってみたかった。だって今日はエイプリルフールなんだもの。 (2013年04月13日 (土) 22時52分)[1504]

榮一 > 季語の四月馬鹿の意味性に引きずられているようだ。エイプリルフールの気分だけがあって具象性に乏しいく弱い。 (2013年04月19日 (金) 03時07分)[1551]

> 小川紫翆氏でした。 (2013年04月20日 (土) 14時23分)[1576]
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05・養生を終へし桜の蕾かな 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時47分)[1477]
 5点(眞佐子 紋子 章子 順子 紫翠)


眞佐子 > 桜の古木かと思います。樹木医さんによって樹勢を回復させてもらった木でしょうか。蕾がでて、もう大丈夫とおもいました。 (2013年04月13日 (土) 14時03分)[1489]

梟夢庵 > ふと、加賀の千代の著名な句<朝顔に釣瓶取られてもらひ水>とこれに対する子規の『俳諧大要』の評言を思い浮かべました。
千代女の句は平明でやさしいこころ根の表れた句のようですが、子規に言わせると、この句「人口に膾炙する句なれど、俗気多くして俳句といふべからず」と手厳しい。
子規は「釣瓶取られて」と朝顔を擬人化し、朝顔へのやさしさを詠むことにより自分の心持ちを炙りだしているところを、「趣向俗極まりて蛇足なり」と断じています。
子規のみならず、この句が世の俳人たちの評判がわるいのは、阿部宵人流(『俳句・四合目からの出発』)にいえば、風流押しつけ型、同情強要型によると思います。
掲句のなんとなく同情を引きたいというところが厭味では…。 (2013年04月16日 (火) 22時59分)[1531]

循子 > 擬人化することである種の厭味が生まれることは、ときどき実感することです。掲句にもちょっとそんな感じを持ちました。しかし「同情を引きたいという」ほどの厭味があるとも思えないのですが…。公共施設の庭園などに「芝生養生中」と札を挿して注意を促しているのをときどき見かけます。何気なく読んで通りすぎますが、句にすると、それが俗に響くということでしょうか。なかなか難しいです。 (2013年04月18日 (木) 23時05分)[1547]

紫翠 > まだ工夫の余地があると思いますが、古木の生命力を感じました。 (2013年04月19日 (金) 18時07分)[1558]

> 太田鈴子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時22分)[1575]
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06・紺ブレの新卒教諭朝ざくら 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時46分)[1476]
 7点(杏花 紋子 鈴子 紫翠 吉章 梟夢庵)


月番 > 紺のブレザーが爽やかです。「紺ブレ」は紺のブレザーと読みましたが、いかがでしょうか。 (2013年04月13日 (土) 14時09分)[1490]

紫翠 > 新鮮味はありませんが、情景をしっかり捉えた、手堅い作品と思います。 (2013年04月14日 (日) 14時20分)[1507]

吉章 > 私事で恐縮ですが、孫の女も新卒高校教諭として四月一日に初出勤したばかりで、このまま実感として戴きました。
(2013年04月16日 (火) 10時32分)[1528]

梟夢庵 > 採っていながら苦情を云うのは申し訳ありませんが、「紺ブレ」には最後までこだわりましたし、今でも気になっています。「デパ地下」などもそうです。
もう少し時間が経って、日常会話や散文の中でもまれてゆけば、「モボ」や「モガ」のように気にならなくなるかもしれません。
でも、全部がぜんぶ俳句の中で使えるとは思いません。 (2013年04月16日 (火) 21時27分)[1530]

循子 > 「デパ地下」、「地デジ」と同じくらい「紺ブレ」という言葉に抵抗がありました。青春のさわやかさを感じさせる景として好感を持ちましたが。 (2013年04月18日 (木) 23時17分)[1548]

> 樋口進二氏でした。 (2013年04月20日 (土) 14時21分)[1574]
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07・叔父も居し家族写真や庭ざくら 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時45分)[1475]
 5点(剛 惠美子 孝子 循子 宜子)


月番 > この叔父さんはもう無くなった方でしょうか。 (2013年04月13日 (土) 14時12分)[1491]

宜子 > わざわざ「叔父も居し」となっているので、「家族写真」に写っているこの叔父さんは、今はいない。それは結婚でもして、遠くへ行って「家族」から「親戚」になったのか、もしくは亡くなったのか・・・この方はどうしたのだろうと思いを巡らしました。その思いを巡らしている間、庭のさくらが、ハラハラと散っていました。きっと誰もが似たような経験をしているのではないでしょうか。思いの中で桜が散りきったころ、叔父さんの影も消えていました。美しい句と思います。「庭ざくら」が少し苦しかったです。 (2013年04月15日 (月) 05時52分)[1515]

循子 > 古い家族写真でしょう。昔は写真屋さんを呼んで、折々に家族写真を撮ってもらったものです。叔父さんは戦争で若くして亡くなったのだと思ってしまったのは「庭ざくら」のせいか。叔父さんのこと子供ごころに好きだったのです。庭の桜もいまや老に…。 (2013年04月15日 (月) 21時04分)[1525]

> その古い写真に居る父母や叔父はもうこの世には存在はしない。セピア色に焼けてしまった子供の頃の写真でしょうか。叔父も同居なら家族の一員ではあると思いますが、たぶん印象の深い叔父であったと思はれました。推測すれば風来で何時も所在の知れない事もあった父か母の弟、その昔冷や飯食いの厄介叔父等と呼ばれた時代もあったようですし、そんな事もふと思いました。私の庭ざくらの位置は、写真の中の庭さくらと見立てたかったのですが、可なり無理があるようでした。大きな敷地と屋敷の中のさくら、こんな写真を見た記憶が何故か残っていました。 (2013年04月16日 (火) 10時00分)[1526]

榮一 > 長押にかかっている写真。ことさら叔父のことを意識するのはやはり戦争の影を見る思いです。写真の中の小さな桜は大きくなって今年も花を咲かせたのでしょう。父も母も叔父も今はいないのでしょう。ただ、庭がどうかとは思いました。 (2013年04月19日 (金) 03時20分)[1552]

> 三島章子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時19分)[1573]
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08・しかと抱くゴリラの母や花吹雪 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時45分)[1474]
 4点(眞佐子 紋子 順子 吉章)


眞佐子 > ゴリラの母も人間と同じように子供をしっかり抱きしめているようすが見えました。花吹雪が優しさを増幅させてくれます。 (2013年04月13日 (土) 14時18分)[1492]

吉章 > ゴリラやチンパンジ-は我々に最も似た動物でその一挙手一投足が人間のそれに類似している。愛児を必死に抱くその様と折からの花吹雪とを対比させた心情が何となく分かるような作品。 (2013年04月16日 (火) 10時59分)[1529]

榮一 > 花吹雪との関係がもう一つしっくりしないように感じます。動物園のたまたまの景であったような気がしています。 (2013年04月19日 (金) 03時23分)[1553]

> 浅村惠美子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時18分)[1572]
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09・革命のあさきゆめみしヒヤシンス 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時44分)[1473]
 5点(宜子 章子 紫翠 榮一)


月番 > リズムがいいですね。 (2013年04月13日 (土) 14時19分)[1493]

宜子 > 月番さんの言われるとおり、リズムの良い句と思います。むしろ、リズムで選んだ感すらあります。それはもしかしたら、中七の「いろは歌」からの引用「あさきゆめみし」の効果かもしれません。「いろは歌」自体が、七五調のリズムを持っていますから。「革命」という重い言葉を、軽くこなしてしまう七五調の面白さを感じています。 (2013年04月15日 (月) 06時13分)[1517]

梟夢庵 > 宜子さんの言っておられることはよく分りますが、これは重要なことですので、あえて反論しておきたいと思います。これは、漢字仮名まじり文を使って文芸を試みる私たちにとって、宿命的な問題です。
言い換えますと、表意文字を使って俳句などの文芸を書く場合、表意文字のもつ意味性から完全に逃れることは不可能といえます。
掲句の場合、上五に「革命」と置いたとたん、「あさきゆめみし」という「いろは歌」は「浅き夢見し」という意味を復活させるのです。そしてヒヤシンスにまでその「水栽培」を通じて何らかの象徴的な意味をまとうように感じさせます。
もし、意味を消すということに近づけるならば、阿部完市氏流に<かくめいのあさきゆめみしヒヤシンス>とするしかないでしょう。
この種の問題は、梟句会では何度も言っていますが、漢字(表意文字)を使って意味から離れること自体矛盾といえます。 (2013年04月15日 (月) 13時55分)[1519]

紫翠 > 軽いタッチとリズム感に好感を持ちました。革命をひらがなの案は賛成です。阿部完一は無意味ではなく「非意味」が前提だったと思います。 (2013年04月15日 (月) 17時13分)[1520]

月番 > 梟夢庵先生ありがとうございました。教えて頂いたと思うのですが、ごこかへ飛んでしまっていました。すみません。 (2013年04月15日 (月) 19時02分)[1522]

榮一 > 革命は「ひらがな」がいいですね。ガラスの器の水耕栽培の幾本もの白い根と紫の花が印象的に見えてきました。 (2013年04月19日 (金) 03時28分)[1554]

循子 > 先生方のご意見どおり、掲句の「革命」は、やはりひらがなであろうと思います。ところで、最近、目にとまった句があります。
<窓隔てて金雀枝と金糸雀と  片山由美子>
これは逆に漢字でなければ成立しない句だと思うのですが、しかも視覚の面白さだけで、音読の場合は読者が自分の頭のなかで漢字に(無意識にか意識的にか)変換してはじめて、面白いか否か判断するわけです。だからどうなのかといわれれば困るのですが、「だからどうするの?」と自問しつつ、なんだか(俳句の)このことについて消化不良のまま句会は終りそうです。俳句のおもしろさという感じもありますが。
わけの分らぬこと書いているようで…。お許しください。
(2013年04月19日 (金) 21時42分)[1562]

> 安田循子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時18分)[1571]
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10・壺焼に黒猫の眼の定まりぬ 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時43分)[1472]
 1点(孝子)


月番 > 壺焼きは栄螺でしょうか。 (2013年04月13日 (土) 14時30分)[1496]

> 壺焼きは三春の季語で海岸沿いの観光地には店も並ぶ。薩摩芋の壷焼も何処かで見た記憶がありますが、この壺焼きは栄螺でしょう。江の島も城ケ島も温暖の地で野良猫が多く居ました、匂いの所為かこんな場所には人も猫も寄りついて目の焦点を絞る。 (2013年04月18日 (木) 10時52分)[1540]

> 今井紋子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時17分)[1570]
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11・ポポの辺りがこむら返りや春の河馬 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時42分)[1471]
 4点(惠美子 循子 榮一)


月番 > 「ポポの辺り」はどの辺でしょうか。坪内稔典さんの句に「ポポの辺りが火事ですよ」と言うのがありましたが ? (2013年04月13日 (土) 14時24分)[1494]

循子 > 坪内さんの句は正確には「ポポの辺り」ではなくて「ぽぽのあたり」なのですが、どの辺りと聞かれても、答え難い。こむら返りするといえば、ふくらはぎの腓腹筋が多い、と言っても格別そのことにこの句の場合意味があるとも思えません。ともかくポポといい河馬といい、坪内さんの句でぬけぬけと、大胆に遊んでしまった作者のかたの度胸に点を投じました。
<たんぽぽのぽぽのその後は知りません  坪内稔典> (2013年04月14日 (日) 16時51分)[1509]

月番 > [たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典]でした。「辺り」は「あたり」でした。
(2013年04月14日 (日) 21時36分)[1511]

> 「どこと問われてもねえ」と、笑っているだけの作者の顔が浮かんでくるようだ、と云っている人もある。坪内稔典さんのぽぽの火事は俳句を詠む(作る)人に親しまれ、記憶に残している人は多い。今の俳句の世界は、思いを物に託してそれを言葉に置き換え表現し、伝える(見てもらう)、その手段は自由に披露できる文字に他ならない。俳句には縛りのような伝統の姿はあるが、それを認めつつ納豆も河馬も、その表現の特異さと自由な言葉の面白さに、世の人は拍手喝采した(私もその一人ですが)。歩き疲れた春の動物園に泰然、茫洋としている河馬の池の辺りで突然脚が攣った、意識と潜在している記憶の中から忽然として稔典さんのぽぽが浮かび出た。攣るのは人間の脚でも、あの河馬の図体と動きの鈍い短い脚のどちらでも良い、取り合わせの面白さで、「その後は知りません」と安田さんの云う、「大胆に遊んでしまった作者のかたの度胸にと」私も賛同致しました。「ぽぽのあたりをそっと撫でた」のは亡くなった短歌の河野裕子さん。 (2013年04月17日 (水) 09時58分)[1533]

榮一 > ポポも河馬も稔典さんですね。時にこんな遊びの軽い句もいいのではと思います。 (2013年04月19日 (金) 03時32分)[1555]

> 梟夢庵先生です。 (2013年04月20日 (土) 14時16分)[1569]
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12・濠の面に香具師の呼び声花三分 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時42分)[1470]
 1点(順子)


月番 > ご意見お願いいたします。 (2013年04月13日 (土) 14時52分)[1500]

> 桜は蕾が膨らみ始めてからの、お天気まわりにもよるが、おおよそ一週間くらいで満開になると思われる。この句の桜はまだ三分咲きで濠の水面に散ることはまず無い。花の咲き具合と濠の水面を眺めながら、満開ののちに風が吹き散らした花びらが、水面を覆う景を想像しているに違いない。花見の人達を目当てに、もう露店が店開きをしているが、桜だけでは無く香具師の呼び声もまだ熱が入らず、三分なのである。 (2013年04月15日 (月) 20時39分)[1523]

順子 > 桜まだ三分、花見客もまだまばらの中、香具師の大きな売り声が濠の水面を揺らしている・・・と、読みました。三分位の桜に際だって耳から目へと「濠の面に・・・」と作者の虚しいような思いが通じたので頂きました。 急ぎの用で三日間留守にします。すみません。 (2013年04月18日 (木) 12時34分)[1542]

> 松谷真佐子さんです。 (2013年04月20日 (土) 14時15分)[1568]
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13・動線の狭まりはじむ鳥の恋 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時41分)[1469]
 3点(鈴子 梟夢庵)


月番 > 「動線」は難しい言葉ですね。 (2013年04月13日 (土) 14時50分)[1499]

> 動線の意味を初めて知りました。「建築や都市における人や物の動きを示す線。方向・頻度・時間的変化などを表示し、建築設計や都市計画の判断材料とする。」
人の動きや流れを専門的科学するもので、普通の人はまず知られない。いろいろ考えて辿り着けたのは、パソコンや電子機械の画面、紙の図面にされている線やグラフ?。「鳥交る」と云われる鳥の恋と、狭くなり始めた動線の取り合わせになりましょうか。
(2013年04月18日 (木) 15時25分)[1543]

梟夢庵 > オスの鳥は急いで近づくとメスに逃げられますので、まずは距離をおいて遠くの枝から枝へと恋の囀りを歌いながら飛び移っていきます。あいてのご機嫌を損ねないよう飛び移る枝を少しずつ近づけていきます。この涙ぐましいオスの努力の結果、うまくゆけば遂にはメスと同じ枝に並ぶことができます。
このオスの行動を三次元の動線でイメージしてみますと、なんと目標としているメスの姿が見えないほど動線が重なり合って隠してしまってます。なんというけなげなオスの求愛行動なのでしょう。
一見俳句表現に使えそうもない動線という用語を使い、一見オスの求愛行動の表現には適しそうもない直線の動線をあえて使ったことが、何となく漫画チックで滑稽でありながら、その本質というか、本能というものの哀しさに、少しは近づいているようにも思えたのですが…。 (2013年04月18日 (木) 20時16分)[1545]

循子 > 鳥の生態を知らないので、梟夢庵先生の読み解きをうかがうまで、恥ずかしいことですが、「鳥の恋」との係わり方が分かりませんでした。ありがとうございました。 (2013年04月18日 (木) 22時35分)[1546]

月番 > 梟夢庵先生ありがとうございました。私も鳥の求愛行動は解りませんでした。 (2013年04月19日 (金) 19時53分)[1560]

> 伊藤保子さんです。 (2013年04月20日 (土) 14時14分)[1567]
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14・花の下抜けるこの世の持ち時間 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時40分)[1468]
 9点(惠美子 孝子 進二 紋子 循子 鈴子 保子 章子 吉章)


月番 > 沢山の方がおとりです。書き込みお願いします。 (2013年04月13日 (土) 14時29分)[1495]

吉章 > 昨日夕方の古城公園の桜を見る機会に恵まれた。快晴で無風状態、土曜とあってさぞ混雑?と思ったが案外に少なかった。平均にしてまだ七分から八分咲の状態だからである。然し処によって正に満開を誇る開花が多く観られ大分シャッターを切ってきた。真っ青な空を背景に物言わずびっしり開く花の集団を仰ぐ時に大げさではあるが、この国に生まれて良かった、という思いと、自分に残された時間などが実感として自然に湧いてくることなど...色々と共感できる作品として戴いた。 (2013年04月14日 (日) 14時56分)[1508]

梟夢庵 > この句は、内容的には、「花」(花の命は短くて)と「この世の持ち時間」(余命)という、古来からの付き過ぎの素材の取り合わせといえます。
そのうえ形の上では、「抜ける」のところの切れがわるく(口語下一段活用)最後まで行ってしまいそうな句です。正直、自分なればどうするか、思案に暮れてます。多くの方のご意見聞かせて下さい。
(2013年04月17日 (水) 23時06分)[1536]

循子 > これは「花の下抜ける」まで続いて読むのですね?そう思って頂いたのですが、「花の下」で切るのもあるかなあ…と考え出したら、妙に気になってきました。ともあれ、私も「この世の持ち時間」がいつも頭のどこかにあり、ご他聞にもれず、それは花と抜きがたく結びついています。桜と命の対比というか結びつきは、もう昔から使い古されていますが、でもなお心捉えるものがあります。若いときは桜もその季節も嫌いだったこと思うと、この現実は複雑なのですが。 (2013年04月17日 (水) 23時26分)[1537]

> 剛です。 (2013年04月20日 (土) 14時13分)[1566]
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15・紙袋の志功の女紫雲英畑 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時39分)[1467]
 6点(眞佐子 順子 宜子 保子 梟夢庵)


眞佐子 > 志功の描く女性はふくよかな女性が多いようですが、一面ピンク色の紫雲英畑とよくあってるとおもいます。 (2013年04月13日 (土) 14時36分)[1497]

宜子 > 紙袋に描かれているのは「志功の女」、そして、あたりは紫雲英畑。袋の中身や、その場所まで想像できます。のどかな晩春の或る日です。 (2013年04月15日 (月) 05時59分)[1516]

> 岡部榮一主宰でした。 (2013年04月20日 (土) 14時11分)[1565]
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16・手を拭いて短い春を惜しみけり 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時38分)[1466]
 9点(剛 杏花 眞佐子 進二 保子 章子 紫翠 榮一)


眞佐子 > お勝手から手を拭き拭き出てきて僅かの時間春の空を眺めている主婦の姿でしょうか。 (2013年04月13日 (土) 14時46分)[1498]

循子 > 手を拭くという日常のありふれた、さりげない行為が上五に置かれて、不思議な効果を上げていると思います。これが俳句なんだろうなあと思ったりしています。 (2013年04月14日 (日) 23時08分)[1514]

> 何気ないことだが、濡れ(らし)たり汚したりした手は、無意識のうちに何かで手をぬぐってしまう。手を拭くという殆ど意識しない人間の行為は連続的であり、日常の生活に刷り込まれた本能のようなものであろうと思う。季語と取り合わせると改めて俳句の奥深いことを感じてしまう。短い春の愁いはこんな行為にも気が届くことになる、夕食の用意でもしているのであろうか、エプロンで手をぬぐって、一息ついている姿が見えるようだ。 (2013年04月17日 (水) 16時00分)[1534]

梟夢庵 > あまり憎まれ口ばかり云ってますと、そのうち百叩きの罰を受け、江戸払いになるかも知れませんが、事のついでにクイズ一つを出すことにしました。
さて、次のような句想を得て推敲して一句にしあげなければなりません。
 「エプロンで手を拭き短い春を惜しみけり」
みなさんなれば、どこを省略しますか?
A:「エプロンで」は説明ですので省略して<手を拭いて短い春を惜しみけり>とします。
B:春に短いをつけると、思いが出過ぎますので<エプロンで手を拭き春を惜しみけり>としたいです。

なお、答えはありません。
(2013年04月17日 (水) 22時27分)[1535]

循子 > 答えはないそうですが、Cさんは「エプロンで」も「短い」も省略したいそうです。そうすると4音たりないので、どうすればよいのか困っているそうです。 (2013年04月17日 (水) 23時34分)[1538]

> 手を拭いてから始まった、見えないこの句の即物の視点は、私はエプロンだけでは無かったのですが、仮の一つとしてエプロンが適当だろうと思い書きました。手を拭う事は、必ずしも洗うから始まるとは限らないと思っています。先生の云われるように、短い春は惜しむべしが付きまといますので、短い春よりエプロンの具象と思います。私は勘ぐって作者は意識して具象物を露出させない事を考えていたのではと思いました。 (2013年04月18日 (木) 10時49分)[1539]

月番 > 循子さんの「エプロンで」も「短い」も省略した場合の良い案はないでしょうか。皆さん書き込みお願い致します。 (2013年04月18日 (木) 19時47分)[1544]

榮一 > 手を拭くのは料理に限ったことではないのではと思えば「エプロン」も「短い」も省力できそうです。 (2013年04月19日 (金) 03時54分)[1556]

紫翠 > 「手を拭いて」と「春惜しむ」の取り合わせは素晴らしいと思います。 (2013年04月19日 (金) 18時14分)[1559]

> 山内宜子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時09分)[1564]
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17・花見舟牙をむく川昨日今日 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時37分)[1465]
 1点(剛)


月番 > 「牙をむく川」は怖そうですね。 (2013年04月13日 (土) 15時01分)[1501]

> 花見舟と云えば、酒の席を設えた隅田川辺りの船であろうと思いましたが、違うかも知れません。昨日今日と春の嵐が吹き荒れて川には白波が立ち、花見舟の欠航が続いている。はっきりとした切れが無いようで、字余りでも「花見舟に」ではなかろうかとも感じました。井伏鱒二さんは干武陵の五言絶句の「勧酒」の一節を意訳して、花に嵐のたとえもあるさ(は付きものである)さよならだけが人生だと云ったし、待たれる桜という花の在りようから、私には「この盃を受けてくれ」が、何となく浮かぶのでしたが、考えすぎかも。 (2013年04月14日 (日) 10時01分)[1505]

循子 > 三段切れのように思いましたが、間違いでしょうか?
井伏さんの「ハナニアラシノタトへモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」には思いつきませんでした。一度読んだら忘れない、これは名訳ですよね。 (2013年04月14日 (日) 17時05分)[1510]

月番 > 剛さん、循子さんありがとうございました。井伏鱒二さんには至りませんでした。私も三段切れのように思います。 (2013年04月14日 (日) 21時45分)[1512]

> 久野孝子さんでした。 (2013年04月20日 (土) 14時08分)[1563]
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4月定例句会について 投稿者: (2013年04月12日 (金) 20時36分)[1464]
ただいまから句会の準備をします。
 
  熱のある耳生え変わる桃の花  千尋
  春愁を猫のしっぽに問いにけり 千尋

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25年度ネット句会参加費(年会費)納入のお願い 投稿者:節子 (2013年03月20日 (水) 00時20分)[1441]
今年度のネット句会参加費をお願いいたします。
なお、今年度より年会費の対象期間は1月〜12月と変更させて頂きます。
 年会費  1000円 
 締切日  5月末日
 納入先  紀平節子(みなと支部) 郵送又はメール便でお願いします。
(受領確認:句会掲示板に掲載します。ご確認ください)

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3月定例句会について 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時40分)[1351]
 3月も半ばになりますと、気候の変化も早くなり、どうやら春の気配がしてまいりました。東日本大震災から二年が過ぎましたが、テレビ等の報道によれば思いの外復興は進まないようで、その当時の状況を思い起こせば改めての涙に誘われます。出来るだけ早く被災地の安定が望まれます。
 3月の定例句会の準備が出来ました、4月を控えてお忙しい方もいらっしゃると思って居ますが、参加していただいて句の選評などをお願いいたします。
 先月は点をたくさん入れていただきました剛が、今月は進行と世話役を務めますので、皆さま宜しくお願い致します。


保子 > 先月はお世話さまになり有難うございました。今月の月番宜しくお願いいたします。 (2013年03月13日 (水) 19時42分)[1374]

> 今日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」。春分の日です。寒さも和らいで、今年の桜前線も四国九州に始まり、都心や横浜は既に到達しているようで、追々と春爛漫になり新しい年度になだれ込みます。ネット定例句会も今月はまだ寒さの所為で、登場されない方もいらっしゃいましたが、期日が来ましたので投句者名を記載しました。お忙しいにも関わらず、主宰、梟夢庵先生始め参加の皆さま有難うございました。来月もよろしくお願いいたします。期日が過ぎましたけれど、まだ覗いて書いて下さる方がいらっしゃるかも知れません、ご自由に書いて下さい。
今月の最高点は「園丁の昼餉」で14点を獲得された松谷真佐子さんでした、来月の月番をよろしくと、お願い申し上げます。
少し寂しいお知らせになりますが、室蘭の四方花紅さんが今回限りでネット句会を退会されます。賜わるところによれば「年齢と病気に負けました」との事であり、お引止めする事も出来ません。願はくば年齢は兎も角として、病気が平癒される事をお祈りしながら、私は平穏に過ごされることを祈って止みません。長い間お付き合い下されまして有難うございました。皆さまお元気で。 (2013年03月20日 (水) 11時58分)[1461]

眞佐子 > 剛さん月番ありがとうございました。
私は月番としてあまり役に立たないかもしれませんが、一生懸命務めたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。 (2013年03月21日 (木) 20時59分)[1463]
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01・朧夜の素人寄席のめくりかな 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時37分)[1350]
7点(孝子 眞佐子 循子 順子 宜子 主宰)


> 独特の文字で書かれていた、常設の寄席のめくりを記憶しています。落語とは言って居ませんが、大学の落研(おちけん)などは素人の寄席、玄人はだしとか聞きました。 (2013年03月13日 (水) 08時31分)[1352]

循子 > 最近、町おこしのイベントの一環として、古い町家や酒蔵を利用して寄席を開いたり、寺の報恩講の余興(?)に落語があったりしますが、大抵は若手の落語家だと思います。素人寄席というのは、町内の落語好きが嵩じたという程度の人の集まりでしょうか?落研を私も思いましたが、「朧夜」とあるので、ちょっと違うようです。これはめくりを見ているのだと思いましたが、自分がめくっているのかも。 (2013年03月14日 (木) 22時16分)[1380]

孝子 > 落語好きのあつまる素人の寄席にさそわれていってみた。今宵の朧月のようにほんのりあたたかい客席。さて、次のだしものはとめくりのあくのを楽しみにみている。さてつぎは招待してくれたあのひとの出番だ。身をのりだして見ている私です。 (2013年03月15日 (金) 13時41分)[1391]

梟夢庵 > 今日は墓参り(草むしり)明日、明後日は医者通いの連ちゃんで書き込みをする余裕がないかも知れませんので、疑問点など簡単にふれておきたいと思います。
この句、ふつうなれば季語の顔を立てて<朧夜や素人寄席のめくり台>などとしたいところを、なぜ「めくり」に「かな」をぶらさげてまで、重点を置いたのでしょうか。
素人寄席だからといってめくり台がイビツであった、とは材料さえあれば誰でも出来そうな構造から考えられません。
めくりには演目は書いてなくて出演者の名前だけ書いてあるだけです。
しかし、素人寄席ですから、まだ正式な名前をもらえるわけがありません。それでそれぞれが勝手な名前をつけていて、その名前に吹きだしたのではありますまいか。
ちなみに、素人寄席・天満天神の会の例をみてみますと、「天神亭ひれ克」「天満家彦う喜」…思わず笑ってしまいます。採られた方はどう思われましたでしょうか。 (2013年03月17日 (日) 22時16分)[1414]

眞佐子 > 町の素人寄席しか思いつきませんでしたが、梟夢庵先生のおっしゃるような名前があったら面白いですね。 (2013年03月18日 (月) 21時12分)[1420]

循子 > 「めくり」を私はめくられる紙ではなくて、めくるという動きについて詠んでいると思いました。素人寄席なので、噺と噺の合間に出てきてきて紙をめくる人も無論素人でしょうから、その所作に何か可笑しいことがあったのか、それとも演者が自分でめくりもやっているのかと思ったりしたのです。素人寄席なら、そういうまの抜けたこともあるか、と。 (2013年03月18日 (月) 23時54分)[1422]

榮一 > 素人寄席とは言っていても内々の勉強会のようなものではないかと思っています。老人ホームの慰問などは昼間ですから朧夜は当てはまりません。ごく親しい人たちだけが集まっている勉強の落語会。めくりも演者が順送りにしているような。 (2013年03月19日 (火) 04時09分)[1426]

月番 > 太田鈴子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時45分)[1459]
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02・ワルツかな晩春の水沸騰す 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時36分)[1349]
1点(循子)


> 水の沸騰をワルツのようだと云っていると思いましたが,違うかも知れません。タンゴならなんて不届きでしょうか。         (2013年03月13日 (水) 08時36分)[1354]

循子 > 何度目かの孤軍奮闘と相成りました。
先週、FMで「旬のピアニスト」というのをやっておりました。中の一人カティア・ブニアティシヴィリという女性ピアニストだったと思いますが、アンコールで「小犬のワルツ」を弾きました。笑えるほど軽快な速さが耳に残りました。ステンレスの薬缶で湯が、いつの間にか沸騰している音は「小犬のワルツ」そのもの。掲句のワルツは、社交界の貴婦人たちの優雅な三拍子とは無縁です。無論タンゴでは…と書き出して、いま急にラ・クンパルシータが出てきましたが、これも×です、剛さま。
作者は、ワルツっ!と感じて思わず初五に置き、しかも詠嘆をこめて「かな」を付けられたに違いない。ただ、「〜かな」を初五においた場合、「沸騰す」という収め方はどうなのでしょうか?お教えください。晩春感はあると思っています。 (2013年03月13日 (水) 16時27分)[1371]

> 失礼しました、安田さん。水から沸騰に至るまでの状態、音では無くラテン系のステップを思ってしまいました。浅はかですね〜。音色なら晩春の感じはあると私も思い始めました。 (2013年03月13日 (水) 20時43分)[1376]

梟夢庵 > 循子さんの疑問にお答えしておきます。質問の要旨は、本来終助詞として句末(文末)に置かれるべき「かな」を、初五や中七に置いた場合、句末を「沸騰す」(動詞の終止形)とするのは、どうも収まりがわるいように思う、ということだと思います。
確かに、終助詞という常識を破って、初五にいきなり「ワルツかな」と打ち出す技法は強烈ですが、レトリックとしては倒置法の一種でしょう。
つまり掲句を普通の構文になおしますと、<晩春の水沸騰すワルツかな>となって確かに収まりがわるいです。
ここは「沸騰す」(終止形)ではなく、「沸騰し」として連用形の中止法を使って<ワルツかな晩春の水沸騰し>が妥当と考えられます。
なかなか例句がありませんが、<なく声の大いなるかな汗疹の児 虚子>を参考にして下さい。
これは余計なことかもしれませんが、私は大きな鍋の中の沸騰した水面の揺れ動くさまにワルツを思いした。 (2013年03月14日 (木) 22時28分)[1382]

循子 > 梟夢庵先生、有難うございました。出して頂いた虚子の句を見て、なるほど…と。ちょっとした胸の閊えが消えました。水面の動きは、意外でした。 (2013年03月14日 (木) 22時55分)[1384]

月番 > 枡室杏花さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時44分)[1458]
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03・しもた屋の仏間空っぽ鰊群来 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時35分)[1348]
3点(剛 惠美子 眞佐子)


> 鰊がたくさん捕れた時代が有りました。北海道には「鰊御殿」が文化財として残っています。鰊(にしん)は「れん」と読めば「れんむれく」で5音になります。        (2013年03月13日 (水) 08時38分)[1355]

梟夢庵 > 鰊は寒流性の回遊魚ですが、春には産卵のため岸に近づいてきます。かっては、北海道西海岸に大群をなして押し寄せたものです。これを「鰊群来(にしんくき)」と言って季語鰊の傍題の一つに載っています。
山口誓子の句に<どんよりと利尻の富士や鰊群来><唐太の天ぞ垂れたり鰊群来>があります。
もちろん、それは昔のこと、今は海流の影響かどうか知りませんが、日本近海ではほとんど獲れなくなりました。 (2013年03月13日 (水) 17時51分)[1372]

> 梟夢庵先生有難うございました。「鰊群来(にしんくき)」と読むのですか。北海道では、その昔鰊漁で冬が明けて、春の訪れを感じたところから、春告魚と呼ばれていたようです。その鰊で財を成した網元や漁師たちの贅を尽くした家が「ニシン御殿」と呼ばれ、後の世までの語り草となっています。現代は海流、海水温の変化や、乱獲により鰊は激減して、ロシアやカナダからの輸入が大半を占めているようです。この句は当時には何百代の仏壇が安置されていたが、今は無い空っぽの仏間からその当時を偲んでいるのでしょう。仕舞屋と云い空っぽと云い、少し哀しい句でありました。 (2013年03月13日 (水) 18時36分)[1373]

循子 > 「鰊群来」は読みが変わっているので、歳時記のなかでは記憶に残るものでしたが、恐らく一生使わない(使えない)季語だと思っていました。「しもた屋の仏間」がピンと来なかったのですが、北の海の網元のものだとすると、剛氏のおっしゃるように「少し哀しい句」ですね。「仏間空っぽ」も…。私は読みが浅い。 (2013年03月14日 (木) 22時27分)[1381]

作者 > 先生のいわれるように昭和10年ころまでは
前浜が白く濁る群来状態で鰊はとれたようです。でも数年前からまた採れるようになり昨年も今年も小樽近辺はにしん群来の状態が何度か見られるようになりスーパーでも生鰊が売られています。
実家は 札幌に引っ越したとき仏壇のサイズや 輪島塗や金泊がはげ落ち修復が大変とのことで札幌東本願寺別院で引き取り修復して別院にあります。いままた 鰊が採れるようになり 思いだしてしまいました。 (2013年03月15日 (金) 17時27分)[1396]

眞佐子 > 「鰊群来」の季語にはじめて出会いましたので、珍しくて頂きました。鰊が来なくなって、店もやめてしまい、仏間も空っぽになり「鰊群来」は昔の事と思いましたが、最近はまた鰊が捕れるのですね。 (2013年03月18日 (月) 21時20分)[1421]

榮一 > しもた屋の仏間空っぽは作者自壊のように個人的な経験の内にあります。そのこと自体は何の問題もありませんが、その経験がどれだけ客観性に富み普遍性があるかではないかと思います。 (2013年03月19日 (火) 04時20分)[1427]

月番 > 四方花紅さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時43分)[1457]
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04・カフェテラス梅園奥の美術館 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時34分)[1347]
2点(花紅 吉章)


> こんな場所は少しリッチな気分になれましょうか。 (2013年03月13日 (水) 08時40分)[1356]

吉章 > 次元の異なる時間帯の美術館を出て、目の前に広がる梅の見頃に思わずうっとりしている様子が見えて来る。珈琲の香りと静かな佇まいの梅林の取り合わせに惹かれた一句。 (2013年03月13日 (水) 20時26分)[1375]

梟夢庵 > 熱海梅園が頭に浮かんできました。梅園から初川沿いに少し奥に入りますと澤田正廣記念美術館があります。ただ、熱海梅園は二三度行ったことがあるのですが、いづれも梅の時季を過ぎていて、澤田美術館へはいっておりません。ですから、残念ながら具体的な記憶はありません。
熱海にはモア(MOR)美術館もあります。そしてその敷地内に瑞雲郷梅園があって千鳥紅梅や白加賀など三百五十本余りの梅が植えられていました。だが、ここも梅は咲いていませんでした。
ただ、ここには、尾形光琳の国宝「紅白梅屏風」や「黄金の茶室(復元)」、信長・秀吉・家康が愛用していた茶道具などの展示もあり、強い印象が残っております。
これで梅が咲いていたならばきっと画になるに違いないと思いました。
しかし、句のなかに特に場所を特定するような物や情景が出ていませんので、そこに弱さがあるように思います。 (2013年03月13日 (水) 21時05分)[1378]

花紅 > 梅園に美術館や博物館などいぇくある景でやはりたちよってみたくなる。
熱海のはあまり記憶がないが 美術館とカリヨンのなる梅園もあり とてもロマンチックで 句の中に香りまで感じてしまいました。 (2013年03月15日 (金) 17時51分)[1397]

花紅 > 訂正です
一行目博物館などよくある景

です。 すみません。 (2013年03月15日 (金) 18時01分)[1398]

榮一 > 景が見えそうで見えてこないのは一般的な表現で終わっているからではないかと思います。やはり物足りなさがあるようです。 (2013年03月19日 (火) 04時27分)[1428]

月番 > 久野孝子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時42分)[1456]
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05・カラフルな百円ショップ春日傘 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時33分)[1346]
2点(鈴子 順子)


月番 > 大量に生産して安く売る、プラスチックの籠などは百円では買えないような物もあります。近くのモールのような所に最近出来ました。 (2013年03月13日 (水) 08時42分)[1357]

榮一 > ショップと春日傘に間(切れ)はあると思いますが百円ショップ「の」春日傘と続いているような弱さを感じます。 (2013年03月19日 (火) 04時35分)[1429]

月番 > 若林千尋編集長でした。 (2013年03月20日 (水) 11時41分)[1455]

順子 > 作者さん、遅くなってすみません。カラフルは色鮮やかな色彩を感じたのですが、衣食住、文具に玩具、趣味系まで・・・なにしろ沢山。その上思い掛けないアイデア商品がいっばいなのです。私、「謎懸け」「ことわざ」などにかかわる景品選びにはまっていす。なので、カラフルに軍配。百円ショップ出た途端澄まし顔の女性が見えたのは、。たぶん「春日傘」と思います。明るい句でした。 (2013年03月20日 (水) 17時44分)[1462]
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06・花街を斜めに抜けて蝌蚪生まる 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時32分)[1345]
4点(惠美子 杏花 花紅 章子)


月番 > 私の若い頃は花街といえば遊郭でした。今の東京では芸妓さんのいる赤坂や向島の地域を指すようです。京都では舞妓さんの祇園になりますか。 (2013年03月13日 (水) 08時53分)[1358]

循子 > 「…抜けて」で切るのでしょうか? (2013年03月14日 (木) 22時38分)[1383]

梟夢庵 > この句の構成は、「花街を斜めに抜ける」という前段のフレーズAと「蝌蚪生まる」という後段のフレーズBとを接続詞「て」でつなげたものでしょう。そしてフレーズAとBは、例えばAがBの原因や理由であるとか、AがBの方法や手段を表しているわけでもなく、また、Aに引き続いてBが起こったわけでもありません。
いわば関係のないAとBとを接続助詞「て」で組み合わせたものといえます。
ですから、AとBとはもともと切れているわけです。(俳句の切れとは少しちがいます)
つまり、「…抜けて」の後にはわづかな間(ま)をおいて読むべきだと思います。
なお、この方法は、俳句の取り合わせというよりも、映画でいうショットとショットのつなぎ方で、単独のショットでは表現できない新しい意味内容を作り出す、いわゆるモンタージュ理論に近い方法といえると思われます。
ただこの句の場合、成功しているとは思われません。
(2013年03月16日 (土) 22時05分)[1406]

章子 > 昔々小学校の低学年の頃お昼に何時も温かいお弁当が届く子がいて不思議でした、其の子は花街の子と知りました、誘われるまま遊びに行った事がありました・・・・送ってもらった帰り道に菜の花が咲いていた記憶があり、思わず選をしました。難しいですね。母の渋い顔もうかんできました。 (2013年03月17日 (日) 09時50分)[1411]

循子 > 梟夢庵先生、よく解りました。「て」が気になったのですが、この接続助詞、使うには厄介のようです。というよりも、ぶつけるものが難しいということでしょうか。
章子さんのお話ですが、大和郡山市にいまも残る豪壮な遊郭の建物が並んでいます。70代、80代のお年寄りたち(女性)は、近くに住んでいても、この区画に足を踏み入れたことが無い人も居られます、とガイドの青年の話でした。そんな時代だったんですね。いまは市の登録文化財となって、公開時期には見学者が押しかけています。 (2013年03月17日 (日) 14時07分)[1413]

月番 > 山内宜子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時40分)[1454]
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07・自動ドア春愁の男放り出す 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時31分)[1344]
6点(剛 惠美子 進二 宜子 梟夢庵)


月番 > 入るのも出るのも自動ドア。何となく、このおとこは屈託を抱えているように思いました。 (2013年03月13日 (水) 08時58分)[1359]

宜子 > 自動ドアが男を放り出している、というように見える。男はなにやら悩み事を抱えているような・・・悩み事があろうと無かろうと、春の街へ放り出される。そんなやるせなさを感じます (2013年03月17日 (日) 08時13分)[1408]

梟夢庵 > この句が「秋思」ではなくて「春愁」であったからおもしろかったと思います。
(2013年03月17日 (日) 22時37分)[1415]

> 自動ドアは乗り物をはじめ、会社や病院、商店等、いつの間にか当たり前の出入り口になりましたが、この句の放り出された男から改めてこの自動装置の在りようを思いました。立つだけで開き出て行く気持ちも無いのにと、やるせない悄然とした男の顔が浮かんだものです。春愁とははっきりしない漠然とした陰性の感情との事である。勤め人の春は憂鬱にもなることが多い。海外や他県に出先や支店があれば、異動もあるし、また年齢による定年もこの時期だ。意に解したものではなく、仕方の無く従わなければの事も多い。もと勤め人はそんな事をこの句から伺いました。 (2013年03月18日 (月) 09時50分)[1417]

月番 > 新保吉章氏でした。 (2013年03月20日 (水) 11時38分)[1453]
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08・着飾りし言葉のように雪が降る 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時30分)[1343]
2点(杏花 千尋)


月番 > 改めて雪の俳句的表現は広いと、感じて居ります。 (2013年03月13日 (水) 09時01分)[1360]

循子 > 「着飾りし」と「雪が降る」では語法にチグハグな感じがあるのですが。 (2013年03月14日 (木) 23時00分)[1385]

梟夢庵 > 初五が文語調で、中七以下が口語調となっています。統一するべきです。
ただ、文語に統一した場合、座五の「雪が降る」が弱いので<着飾りし言葉のごとし春の雪>ということになるのでしょうか。
念のため付け加えますと、<着飾りし言葉のごとき春の雪>では切れがなくずらずらと最後までいってしまいます。
そこで<春の雪(は)着飾りし言葉のごとし>を倒置したわけです。
しかしながら、この作者は、本当は口語調で<着飾った言葉のように雪が降る>と詠みたかったように思います。
(2013年03月15日 (金) 22時32分)[1401]

循子 > 有難うございます。口語に統一されてほっとしました。 (2013年03月16日 (土) 11時21分)[1404]

月番 > 小川紫翠氏でした。 (2013年03月20日 (水) 11時37分)[1452]
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09・黄砂降る鏡の指紋消してをり 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時29分)[1342]
1点(眞佐子)


月番 > 海を越えて中国からは黄砂も来るし、最近は公害のとばっちりまで。自分の家の洗面所の鏡に指紋なら私もぬぐいます。 (2013年03月13日 (水) 09時07分)[1361]

眞佐子 > 最近は黄砂の他にPM2.5迄降ってきますので、掲句読んですぐに同感とおもいましたが、黄砂降ると指紋消しておりは、原因と結果のような気がしてきました。 (2013年03月16日 (土) 12時22分)[1405]

月番 > 跡治順子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時35分)[1451]
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10・逃げ水や一箇大隊消滅す 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時29分)[1341]
6点(惠美子 孝子 花紅 章子 紫翠 千尋)


月番 > 初学の頃、逃げ水は当季とは知らず暑い夏だと思っておりました。空いていて先が良く見える北陸道などでは経験することが出来ます。  (2013年03月13日 (水) 09時31分)[1362]

循子 > 細かいことですが、表記は一個大隊と思ったので、いただきませんでしたが、「逃げ水」と大隊消滅とのイメージには惹かれるものがありました。 (2013年03月15日 (金) 10時56分)[1389]

孝子 > 私も熱いころの季語と思っていたので勉強になりました。車に乗っていた時によく見た覚えがありますが、どうしたのでしょう。この頃考えてみたら見た覚えがしばらくありません。懐かしい現象です。その季語に中七下五を持ってきた思い。なんとなく感覚的にはかなさ、つらさを共感しました。 (2013年03月15日 (金) 14時00分)[1392]

章子 > 一個大隊も一つの街も幻の様に消えてしまった様な錯覚を逃げ水に感じました、一寸大げさかと思いましたが、これも春の夢の中。 (2013年03月17日 (日) 09時20分)[1410]

紫翠 > 戦争体験者の悲哀のようなものを感じました。 (2013年03月18日 (月) 11時42分)[1418]

榮一 > ふとマレーネ・ディートリッヒのモロッコのエンディングの場面をを思い出しました。ただ、逃げ水に一個大隊が大きすぎるように感じました。とはいっても一個大隊がどれほどの大きさの組織かよく知りません。先の太平洋戦争の戦友への想いまでには至りませんでした。 (2013年03月19日 (火) 04時52分)[1430]

> 一箇大隊の消滅と云う数字の重さは、計ることの出来ない命の重さでもある。歴史の中に残る敗北の大戦は、私の年代でも厳然として影のように心に残っている。大陸の原野や広大な砂漠を行進して行った大隊は誰も還らなかった。逃げ水の中で消えてしまったように。三島さんと同じ春の夢の中。 (2013年03月19日 (火) 14時27分)[1436]

月番 > 梟夢庵先生です。 (2013年03月20日 (水) 11時34分)[1450]
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11・工房のステンド硝子日脚伸ぶ 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時27分)[1340]
7点(孝子 進二 鈴子 保子 紫翠 梟夢庵)


月番 > この工房は硝子工房でしょうか。教会ばかりでなくステンド硝子は洒落た店舗などにも見かけるようです。  (2013年03月13日 (水) 09時35分)[1363]

孝子 > ステンドガラスで昔句会に入って間もないころ、木村元生先生からごほうびに手製のステンドグラスをいただいたことをおもいだしました。協会で見ることが多いですが、ふつうの家でもつかわれることがおおいです。日脚伸ぶの季語がきいてるとおもいます。 (2013年03月15日 (金) 14時11分)[1393]

紫翠 > 「ステンド硝子」と「日脚伸ぶ」の取り合わせで採りました。 (2013年03月18日 (月) 11時46分)[1419]

保子 > 「ステンド硝子」で教会をイメージ」しました。工房の忙しげな一面も見えてきます。 (2013年03月19日 (火) 00時30分)[1424]

月番 > 三島章子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時33分)[1449]
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12・よちよちの稚この星の青き踏む 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時26分)[1339]
4点(剛 進二 主宰)


> 広い公園辺りを連想しました。視線の中に見える幸福。 (2013年03月13日 (水) 09時39分)[1364]

> 「よちよちの稚」は言わずもがなであろうとも感じました、また稚も「ち」とか「じ」にしか読めないように思いながら、この句は稚児(ちご・ややこ)の児を捨てて、稚(やや)と読ませるのだろうと思いました。観念としての壮大なスケールの物との、取り合わせになるのでしょうか。ようやく暖かくなり始めた日に、この星のこの地につたない一歩を踏み出した、幼い命に注がれる慈愛の目がありました。 (2013年03月15日 (金) 09時32分)[1388]

循子 > 「やや」であれば、嬰を使えば済むし、わざわざ「稚」であることを考えると、「わか」と読ませるお積りかなどと、悩みました。中七以下から、この「稚」は生まれて初めて自分の足で青草を踏んでおり、作者はそのことの感動を詠っていると思う。すれば、矢張りここは剛氏の書かれたように、「やや」と読むのでしょうね。 (2013年03月16日 (土) 10時11分)[1402]

榮一 > 広辞苑には稚(やや)もややこの略として出ています。句またがりですがそれほど無理があるようにはみえません。明るくていいと思いました。 (2013年03月19日 (火) 05時00分)[1431]

月番 > 浅村恵美子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時31分)[1448]
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13・ガレージセールのをんなのチーフ竹の秋 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時26分)[1338]
2点(杏花 孝子)


月番 > リサイクル運動として1970年代のアメリカの西海岸ではじまったと云われていますが、日本では集会場や公園に於いて集団で不用品を販売する「フリーマーケット」として定着しました。仕切るのは女性。 (2013年03月13日 (水) 11時11分)[1366]

孝子 > 不勉強の私は、このごろやっと実感としての竹の秋をかんじています。昔は本当にちいさな幼稚園仲間のガレージセールでしたが、あれよあれよというまにフリーマーケットとして大きくなりました。私も年一回大田区フェスタのフリマにボランテアとして売り子をしますが、値ずけその他何日がかりです。ガレージセールだからおんなの…重大な間違いをしました。ハンカチーフとか、小物とおもっていましたが、おんなの長だったんですね。となると、なぜ、をんなにこだわったのでしょうか。スカーフとかハンカチぐらいのほうが上五下五にあうとおもうのですが。 (2013年03月15日 (金) 14時34分)[1394]

> 今の季節に竹が黄ばんだ葉を散らすのは、地中の筍を育てる為だそうですが、葉が盛んになる秋は竹春(ちくしゅん)と呼ばれ、他の多くの植物と季節が逆で面白い。ガレージセールと云っても、久野さんも書いておられるように、今では大がかりに開催される事もあるようで、他愛のない催しなどとはもう言えないのでしょう。私は下種の勘繰りのように思いました、竹林の中のガレージなら相当な屋敷の中の大邸宅。このチーフ手際が良いのか、悪いのか、この句は世話好きな女性(をんな)の口説や面目が視えるのだと思いました。 (2013年03月15日 (金) 20時05分)[1399]

> 岡部主宰でした。 (2013年03月20日 (水) 11時30分)[1447]
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14・園丁の昼餉の時間いぬふぐり 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時25分)[1337]
14点(杏花 循子 鈴子 章子 保子 順子 宜子 紫翠 吉章 千尋 梟夢庵 主宰)


月番 > 多くの方が支持されました。園丁といい昼餉といい、ひと昔前の言葉で巧みな句と思いました。 (2013年03月13日 (水) 11時15分)[1367]

宜子 > のんびり感が伝わりました。園丁の昼餉ですから、この園丁の前にはきっと、手入れされた庭がほどほどの広さを持って広がっているのでしょう。そののびやかさと、手入れをした庭師の安堵感が、春のひと時を一層柔らかく感じさせてしてくれています。「いぬふぐり」が、少しつきすぎかとも思いますが。
(2013年03月17日 (日) 06時45分)[1407]

循子 > 庭師、植木屋など、同じようなものだと思いますが、園丁と云われると、「ひと昔前の」貴族や富豪の広大な庭園が浮かびます。最近はほとんど使われないようで、有島武郎の「或る女」あたりまで遡ると、普通に使われているみたいです。三島由紀夫の小説に出てきそうな気もしますが、どこかノスタルジックな言葉です。「いぬふぐり」は広い庭園にさりげなく存在して、いい感じと思いました。 (2013年03月19日 (火) 00時20分)[1423]

榮一 > 菜っ葉服に手ぬぐいの園丁が出てきます。やれやれといった感じで思い思いに弁当を広げている様子が見えてきます。いぬふぐりがよく効いています。 (2013年03月19日 (火) 05時05分)[1432]

> 安田さんの書かれた通り、園丁も庭師や植木屋さんと同じようなものなのですが、殊更に園丁の昼餉と云っているこの句の場合は、公園の草木の手入れや清掃などをする人を指しているのだろうと思っています。雪国ではならの事でありますが、冬囲いや雪吊をした樹木を季節が終わると、先月の主宰の句のように春の木の菰を取り外す作業もあり、何度か兼六園や大きな寺などで見学しました。彼らに決められた昼食の時間は無いようで、仕事の一区切りついた時間に適宜弁当を開く、中には若い人達もいるので、そこいら辺りにある各種を取り揃えているコンビニの物かも知れない、私は昼餉にそんな想像の面白さを感じ、この句の取り柄だと思い作者の狙いではなかったかと感じました。振り向かれる事も無い、いぬふぐりは生命力の強い越年性の雑草で、この句の取り合わせには丁度嵌っていると感じています。 (2013年03月19日 (火) 14時37分)[1437]

紫翠 > 簡潔な表現に魅力を感じました。「いぬふぐり」が上手いと思いましす。 (2013年03月19日 (火) 16時38分)[1438]

梟夢庵 > 私の場合は、いきなり財閥や貴族など、広大な庭園のある邸宅がみえたのです。
私には庭師と園丁は違うように思えるのです。園丁はその屋敷に雇われている使用人ですが、庭師は何年か契約によって庭園全体の仕事を任されているわけです。
庭師は植木の種類の選択や石の配置など、庭園の設計・製作や維持管理など広く全般に関わりますが、園丁は剪定や
雑草の除去や落ち葉などの処理といった雑役をやらなければなりません。
しかし、昔は園丁は決してそれを差別とか格差と考えず、将来は立派な木を育て一人前の植木職人になれるよう励んでいたに違いありません。
一見、前近代的な在りようが
何だか懐かしく、現代の社会は何か重要なことを置き去りにしてきたのではないか、などとヘンなことをかんがえてました。どうも正規分布から外れた鑑賞のようです…。 (2013年03月19日 (火) 23時53分)[1440]

> 最高点は高岡の松谷真佐子さんです。 (2013年03月20日 (水) 11時29分)[1446]
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15・啓蟄の洋館二階赤い窓 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時24分)[1336]
1点(紫翠)


月番 > 殊更に洋館と云っているので、この赤い窓はその昔の外国人居留地なのかも知れません。 (2013年03月13日 (水) 11時18分)[1368]

紫翠 > 中七はイメージを乱すように思いますが、「啓蟄」と「赤い窓」の取り合わせは捨てがたい気がしました。 (2013年03月19日 (火) 16時44分)[1439]

> 樋口進二氏です。 (2013年03月20日 (水) 11時27分)[1445]
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16・大学の半地下食堂ミモザ咲く 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時23分)[1335]
11点(剛 眞佐子 章子 保子 順子 宜子 千尋 梟夢庵 主宰)


月番 > なるほどと妙に納得致しております。市ヶ谷に勤め先が有った頃会社にも食堂がありましたが、法政の学食へよく行きました。値段はまったく覚えておりませんが一緒くらいであったと思って居ます。 (2013年03月13日 (水) 11時30分)[1369]

孝子 > 思い出しました。最初の学食は講堂したの半地下でした。ごちゃごちゃしていて混んでいてゆっくりなんかできませんでした。改築した新しい会館の学食は明るく居心地良くミモザもぴったりでしたが。こんなわけで季語にこだわりました。いまは渋谷の高台に高層ビルとなり食堂といえないぐらい素敵なホールがいくつもあります。 (2013年03月15日 (金) 14時44分)[1395]

宜子 > 「半地下」ですから、地上からも見えている、そのほの暗さと明るさが見えて、楽しい句でした。京都大学にも半地下の学食がありました。大学と半地下の食堂、なぜかセットのような気がします。「社食」に半地下・・・少し違うような。
(2013年03月17日 (日) 08時23分)[1409]

> 山内さんが経験されているように、半地下に学食を残しているのは古い一部の伝統校でしょうか。時代は過ぎていま都内の大学などは生徒も多くなり学部を郊外に移設したり、施設もいつの間にか高層建築物に変わっている学校もあります。恐らく食堂などは居心地の良い場所にあるのではないだろうかと思っています。半地下食堂で思いだすのは、もう姿を消した東京の丸の内辺りの古いビルにあった地下のような食堂。いずれも道路に面して明り取りのような硬質のガラス窓から歩く靴が見えた記憶が残っています。この句に取り合わされている「ミモザ咲く」を考えてみれば、丁度この季節は卒業や入学の時節でもあります。いま見ている目前のミモザは現実の景色であり、そのミモザから、時空をこえて遥か遠くになった自分の時代の大学の半地下食堂に思いを移らせているように思いました。大学では無く仕事で私は都会生活をしましたが、この句はそんな頃の軽いカルチャーショックのような事であろうかと、私は感じているのですが、どうなのでしょうか。 (2013年03月17日 (日) 10時37分)[1412]

梟夢庵 > ネットで調べてみますと、かっては大学の食堂の多くが半地下であったし、今でもそのまま残っているところもすくなくないように思います。それで、この句には何となく説得力があり、抵抗なく選句に入れました。
でも、半地下が多いのには何らかの理由があるはずだと考えます。どなたかお教え下さい。もちろん、その理由が分らなくても選句を取り消すことは決してありません。 (2013年03月17日 (日) 23時06分)[1416]

榮一 > 実際に半地下の建物も半地下食堂も見た記憶はありません。大学の学食も食べたこともありませんが何故か古くからある大学の校舎には確実にありそうに思えます。ミモザから角帽が連想されました。半地下の建物の理由は知りませんが欧米の建築様式をまねたのではないかと想像しています。 (2013年03月19日 (火) 05時29分)[1433]

> 安田循子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時26分)[1444]
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17・ふらここに誰あれもいない揺れている 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時22分)[1334]
3点(花紅 鈴子 吉章)


月番 > 言葉の柔らかい句です。鞦韆(ぶらんこ)や風車、風船シャボン玉など、子供の遊ぶものは殆ど春。何故春の季語なのはいまだに納得がゆきませんが、中国の宮廷行事から来ているようです。 (2013年03月13日 (水) 11時43分)[1370]

吉章 > 誰もいないぶらんこが揺れている。色々な推測が出来るという着眼点につい惹かれた句、つい先刻までは誰かが揺らしていたこと迄は事実だがそれからは述べずに完結しているのは余情とも無責任とも?「誰あれ」は誰で良いのでは?
(2013年03月13日 (水) 21時07分)[1379]

循子 > 誰は「タ」ですから、ここは「たあれもいない」と読むのだろうと思いますが、まず「誰」を普段の癖で「だれ」と読んでしまうので、違和感を覚えてしまいます。でも素っ気無い表現に惹かれるものがありました。ふらここ、ふらんど、ゆさわり、半仙戯などがみなブランコを言う言葉だとは、俳句をやるまで、全く知りませんでした。 (2013年03月15日 (金) 11時26分)[1390]

榮一 > 全体が口語調で「ふらここ」は違和感がありました。句はいないの打消しで切れてているとおもいます。揺れている主体がぼやけたように感じました。 (2013年03月19日 (火) 05時38分)[1434]

榮一 > 「いない」は終止形。 (2013年03月19日 (火) 07時52分)[1435]

> 伊藤保子さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時25分)[1443]
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18・眼も耳も衰えさせて冬送る 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時21分)[1333]
4点(進二 循子 保子 吉章)


月番 > 歳とともに五感は衰えます。「冬送る」という措辞がどうなのでしょうか  (2013年03月13日 (水) 10時29分)[1365]

吉章 > 寂しいが実感として共鳴。近眼も老眼も卒業しての視力低下、慢性では無いが音によって聞き取り難いテレビや会話など、人間寄る齢には勝てないという鉄則に逆らうことは許されない現実を駄目押ししたような一句として戴いた。 (2013年03月13日 (水) 20時46分)[1377]

梟夢庵 > 日常そのままではありませんか。そうであれば、何もわざわざ俳句にするまでもなく、日記に一行書きたせば、それでことたりるでしょう。 (2013年03月14日 (木) 23時09分)[1386]

循子 > 現実を突きつけられて、ドキッとしたところへ、「冬送る」という決定打。ここまでくると、マゾヒスト的共感で採らされてしまう、というわけです。 (2013年03月14日 (木) 23時20分)[1387]

梟夢庵 > ひつこいようだけど、それにしても「冬送る」は月番さんの指摘のとおり、喉に刺さった魚の骨のように引っかかります。「冬過ごす」ということでしょうか、そうであれば「冬籠」というちゃんとした季語があります。
ついでに、中七の使役の助動詞の放任・許容的用法を少し変えて<眼も耳も老い放題に冬籠><眼も耳も老いに任せて冬籠>とすることを提案します。
(2013年03月15日 (金) 21時56分)[1400]

循子 > すみません。私は「冬送る」を、「冬過ごす」とは思わなくて、むしろ「冬を見送る」「冬が行ってしまう」という意味に取りました。「春隣」か「早春」に近いものと思いましたのが、「冬送る」という表現もありかなあ、と。月番さんの疑念もそういうことなのかと思っていました。勝手読みでしたか…。
ところで、けさ偶然にこんな句が目に止まりました。《耳も眼ももうすうかすか牡丹雪 鈴木八洲彦》
私ならさしずめ<頭の中はもうすうかすか春の雪>かと思いつつ、床を抜けだしました。 (2013年03月16日 (土) 11時14分)[1403]

保子 > 「眼も耳も衰えさせて冬送る」なんときっぱりとした生き方なのだろう。「冬」を送った!送り切った!耳も眼も衰えたけどね。さあ次の季節へ。私は雌伏の作者を感じます。 (2013年03月19日 (火) 00時52分)[1425]

月番 > 目も耳もは直情に過ぎて俳句には相応しくないと自分でも感じております。ひと冬を過ごすと云うことは、年齢も住んでいる風土にもよりますが、それなりに身体に影響を与えることになります、後退しかないのですが、冬の終わりが近くなれば、当人の心境は、来年が有るのか無いのか解らないけれど、それなりに少し穏やかになり終わったと云うより、送ったと惜別の情のようなものが毎年ありました。剛でした。 (2013年03月20日 (水) 11時22分)[1442]
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三月の定例句会について 投稿者: (2013年03月12日 (火) 22時20分)[1332]
只今より定例句会の準備をします。

昭和など忘れて久し春時雨 高野ムツオ
流れたき方へ流れて春の川 坊城俊樹

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2月定例句会について 投稿者: (2013年02月13日 (水) 08時24分)[1207]
皆さまお早うございます。富山は昨夜から湿った雪が少し降りました。二月もまだ半ば辺りで寒い日が続いておりますが、先に控えているのは春です。あとひと月くらい我慢をして寒さに耐えれば、各地から桜の便りが聞こえて来るでしょう、待ち遠しいことです。
定例句会の準備が出来ました、今月の当番は先月最高点で短冊を獲得された伊藤保子さんです。よろしくお願い致します。


保子 > 月番の伊藤保子です。こちらは晴天でしたが、午後から風がでて少々寒かったです。宜しくお願いします。 (2013年02月14日 (木) 00時27分)[1208]

> 二月も残すところ8日間になりました。立春がすぎて日が長くなり、春が近くなっているのは確かなようです。去年の二月、富山は雪が多く今頃は1メートルの雪にうんざりして居ましたが、今年は庭の隅に少し残るだけで、このまま春になって欲しいと思っております。お忙しいにも関わらず参加の皆さん、月番の伊藤さん、また熱心にご指導をして下さいました梟夢庵先生にもお礼申し上げます。
期日が来ましたので投句者名を記載しました。来月の月番進行は決まりにより私が申し付かりました、来月も皆さま宜しくお願い致します。
(2013年02月20日 (水) 09時38分)[1330]

保子 > 拙い月番でしたが、皆様、剛さんありがとうございました。次回月番となります剛さん宜しくお願いします。 (2013年02月21日 (木) 00時30分)[1331]
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