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02・ワルツかな晩春の水沸騰す
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投稿者:剛
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(2013年03月12日 (火) 22時36分)[1349] |
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1点(循子)
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剛 > 水の沸騰をワルツのようだと云っていると思いましたが,違うかも知れません。タンゴならなんて不届きでしょうか。 (2013年03月13日 (水) 08時36分)[1354]
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循子 > 何度目かの孤軍奮闘と相成りました。 先週、FMで「旬のピアニスト」というのをやっておりました。中の一人カティア・ブニアティシヴィリという女性ピアニストだったと思いますが、アンコールで「小犬のワルツ」を弾きました。笑えるほど軽快な速さが耳に残りました。ステンレスの薬缶で湯が、いつの間にか沸騰している音は「小犬のワルツ」そのもの。掲句のワルツは、社交界の貴婦人たちの優雅な三拍子とは無縁です。無論タンゴでは…と書き出して、いま急にラ・クンパルシータが出てきましたが、これも×です、剛さま。 作者は、ワルツっ!と感じて思わず初五に置き、しかも詠嘆をこめて「かな」を付けられたに違いない。ただ、「〜かな」を初五においた場合、「沸騰す」という収め方はどうなのでしょうか?お教えください。晩春感はあると思っています。 (2013年03月13日 (水) 16時27分)[1371]
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剛 > 失礼しました、安田さん。水から沸騰に至るまでの状態、音では無くラテン系のステップを思ってしまいました。浅はかですね〜。音色なら晩春の感じはあると私も思い始めました。 (2013年03月13日 (水) 20時43分)[1376]
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梟夢庵 > 循子さんの疑問にお答えしておきます。質問の要旨は、本来終助詞として句末(文末)に置かれるべき「かな」を、初五や中七に置いた場合、句末を「沸騰す」(動詞の終止形)とするのは、どうも収まりがわるいように思う、ということだと思います。 確かに、終助詞という常識を破って、初五にいきなり「ワルツかな」と打ち出す技法は強烈ですが、レトリックとしては倒置法の一種でしょう。 つまり掲句を普通の構文になおしますと、<晩春の水沸騰すワルツかな>となって確かに収まりがわるいです。 ここは「沸騰す」(終止形)ではなく、「沸騰し」として連用形の中止法を使って<ワルツかな晩春の水沸騰し>が妥当と考えられます。 なかなか例句がありませんが、<なく声の大いなるかな汗疹の児 虚子>を参考にして下さい。 これは余計なことかもしれませんが、私は大きな鍋の中の沸騰した水面の揺れ動くさまにワルツを思いした。 (2013年03月14日 (木) 22時28分)[1382]
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循子 > 梟夢庵先生、有難うございました。出して頂いた虚子の句を見て、なるほど…と。ちょっとした胸の閊えが消えました。水面の動きは、意外でした。 (2013年03月14日 (木) 22時55分)[1384]
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月番 > 枡室杏花さんでした。 (2013年03月20日 (水) 11時44分)[1458]
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