石橋湛山の経済評論、
[6612]グッキー
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2017年04月25日 (火) 08時17分
「「財政支出は、いうまでもなく一種の消費または投資である。ゆえにこの財政支出と、財政以外の国民の消費および投資とを合計して、その総額が国民の生産力を超過せぬかぎり、増えてけっして悪い結果は生じない。いなもしその総額が国民の生産力を完全に働かすだけの量に達しないときは、ここに即ち生産過剰、操短、失業などを生じて、経済は不況に沈衰し、国民は困窮する」 https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/55927439.html ーーーー
昔は生産力に基づいて考える人が多かった。生産力に基づいて需要を創れと。ケインズ流の考え方だ。 しかしここから一歩も進歩が止まってしまった。 ここから大いに進歩発展させなければ成らないのに無駄な脇道に入ってしまった。
新自由主義、自由貿易、自由な市場信奉、悪魔崇拝だ。 とにかく市場を自由にすれば上手く行く、鰯の頭も信心だ。 市場は経済主体間に拮抗力が無いのでアンフェア・トレードが発生するということを無視して居る。 寡占市場では悪魔のスパイラルが起きるということを無視して居る。 そして政府は均衡財政にしろ、政府部門は不効率だから小さな政府を目指せと。 まるで悪魔に取り疲れたようだ。
欲望の凝縮 経営者にはお金を儲けろという圧力が集中し凝縮する。 株主、幹部、従業員、すべてお金を儲けたい。その圧力がすべて経営者に集中し、経営者はお金を求めて必死に動かざるを得なく成る。 周りの人々の欲望がすべて経営者に凝縮する。 社会にお金を求める欲望が強いほど、その欲望が経営者に凝縮する。 結果、お金が儲かれば何でも良いということに成る。 経営者は金儲けの鬼と化す。
貧困が無く成れば社会のお金を求める欲望も薄く成る。企業もお金オンリーでは無く変わって来るのでは無いか。
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