三戸ゼミ掲示板 ―大学院版―
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[ No.535 ]
2014年度春学期第13回 大学院三戸ゼミ報告
投稿者:
2014年07月05日 (土) 00時36分 |
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【日時】7月2日(水)13:00〜18:50 【場所】国社棟604室 【出席】 三戸先生 (博士後期1年)中村さん (博士前期2年)岩田さん、阪本さん、鄭 (博士前期1年)黄さん、沙さん、陳さん、唐 (研究生)孫さん (学部生)木田さん
1、先生のお話 ソニーとVAIOはこれから発展していくのか、 そしてVAIOに限らず、ノートパソコンの行方はどこにあるのか。 現在、ノートパソコンしかできないことを考え、どの端末と戦っていくのかを決めなければならない。
批判と否定との違い 批判は、存在を認め、言動を認めない 否定は、言動を気にするが、存在自体を認めない→排除したがる 両者とも認めないのが、無視である
社会の利益と個人の利益は一致するのか 断面ではんだんするのではなく、長期的な視点からみれば、 社会の利益=個人の利益のはずであり、 それが一致しなければ、その社会に、必ず問題がある(政治的・法的など)
2、鄭の「企業とはなにか」第十章の報告 まとめ: 企業は社会の要求を満たすべき組織であり、企業と社会は同一の利害を有する そして企業の独占は反社会的であり、分権制を通じて、規模の大きさを最大限に活かすべきである。
3、唐の「企業とはなにか」第十章の報告 まとめ: 本章では、企業にとって利益の位置づけ、社会にとって利潤動機の正当性、自由企業体制のもとで市場というものを議論することによって、 企業の生産活動という視点から、企業と社会の関係を検討していく。
4、課題 @、なぜ、単に財・サービスのための生産という考えでは、社会の要求と企業の要求が対立するのか A、第十一章では、「利潤と利益」2つの言葉を併用しているが、果たして適切なのか(これは私が先生の質問に対する理解ですが、もし間違ったら皆さんご指摘お願いします)
5、来週の予定 @、「企業とはなにか」第十二章の報告 A、M2三人の卒論についての報告 |
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[ No.543 ]
投稿者: 黄 徐全
2014年07月07日 (月) 01時52分 |
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課題1.単に財・サービスのための生産という考えでは、社会の要求と企業の要求は対立することになっている。何故か? 企業が社会に必要とされる財・サービスを提供して、その中から、利益を得ているのは最も大衆的な考え方である。これは19世紀の企業観であると考えている。 当然のことではあるが、企業は社会の中に存在する、社会あってこその存在である。 企業は社会から事業活動に必要な経営資源、 すなわち人材、資材、資金などを調達し、自社の製品やサービスを社会に提供することで事業を行っている。 社会の中で自らの居場所を確保して、事業活動を継続していくためには、 投資家、消費者、取引先、従業員、などのステークホルダーからは勿論のこと、社会全体からも一定の信頼を得ていなければならない。 これに背く行為を行い、それが発覚した際に、企業は厳しくその責任と存在意義を問われていることになる。 もしも企業が単に財・サービスのための生産という考え、つまり、企業が常に行っている事業活動のみを重視し、 企業が社会に与えている影響に責任を負わなければ、 社会の要求と企業の要求は対立することになっているのは必至だと思う。 よって、企業は利益を追求するのみならず、企業活動が社会に与える影響に責任を持ち、 あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して適切な意思決定をしなければならないと考えている。
課題2. 利益は、収入(売上)から、その売上にかかった原価や必要経費を差し引いた額である。 利潤は、会社や企業全体としての収入(売上)から、生産をするための総経費(原価、賃金、利子、地代、減価償却費、などの経費)を差し引いた額である。 ドラッカーは利益が経済合理性のことであり、経済活動の評価において、経済合理性に勝るものがあるはずがないと考えている。 このように初歩的なことが理解されないのは社会的行動に関わる客観的事実としての利益と人間の主観的欲求としての利潤動機の混同があるからである。 テキストの書いたところから読み取れると、利益の対象は社会的行動であり、利潤は人間の主観的欲求である。
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[ No.544 ]
投稿者: 陳媛
2014年07月07日 (月) 22時35分 |
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課題: 1、唐楠さんのレジュメ1ページに、「単に財・サービスのための生産という考えでは、 社会の要求と企業の要求は対立することとなっている。」と書いてある。ドラッカーは 本当にそう思っているかどうかを第11章で確認する。 2、第11章では、利潤と利益が使い分けている。なぜ使い分けているのか。この 使い分けが適切なのか。
1、単に財・サービスのための生産という考えでは、社会の要求と企業の要求は 対立することとなっている。「となっている」というのが少し言い過ぎるかもし得ない。 単に財・サービスのための生産という考えでは、社会の要求と企業の要求は対立する 「恐れがある」というのであれば、そうかもしれない。 第11章で元の言葉がこういう風に書いてある「単に財・サービスのための生産という 考えでは、社会の要求と企業の要求は対立せざるを得ない。」 ここでのドラッカーは一つ、二つの企業を対象にだけ考えているのではなく、社会に あるあらゆる企業つまり全体の企業はみんな単に財・サービスのための生産という考え では、社会の要求と企業の要求は対立せざるを得ないと考える。 というと確か非営利組織は利益のための生産を考えていなく、財・サービスのための 生産を考えている。このような現実からすれば、ドラッカーの言っていることは間違って いるかもしれない。 しかし、ドラッカーは非営利組織のことを意識しながらその言葉を語っている。第11章 の218ページのところにこう書いてある。「もちろん社会には、利益を上げえようのない 社会的な活動というものがある。しかし、それらの活動に要するコストは、ほかの経済的 な活動があげる利益によって賄わなければならない。さもなければ社会全体が地盤沈下を きたす。」つまり、利益のための生産を考えていない組織も存在していることを認めている。 しかし、そのような非営利組織も利益のための生産を考えている組織のバックアップが なければならないと読み取れる。つまり、利益のための生産ではないことを認めるが、 社会にある企業全体が利益を追求せず、単に財やサービスだけを考えるのであれば、 社会崩れる恐れがある。 つまり、利益のための生産を考えていない組織も存在しているとドラッカーは認めている。 ドラッカーは個々の企業を対象にその言葉を言っているのではなく、社会にある企業全体は 全部財やサービスをのみ考え生産のであれば、社会も崩してしまうと言ってると考える。
2.ドラッカーは「社会的な行動に関わる客観的事実としての利益と人間の主観的欲求として の利潤混同」をかなり批判した。ドラッカーによれば、利益の対象は社会的行動であり、 利潤は人間の主観的欲求である。このドラッカーの考えによれば、利益と利潤の使い分けが 必要である。
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[ No.546 ]
投稿者: 岩田之之
2014年07月08日 (火) 22時46分 |
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1.単に財サービスのための生産であれば、 企業はできればより多くの経済的利益を求めるようになるのに対し、 社会はできれば平和的豊かな生活できる環境を求める。 何のための生産でも、社会の要求は大きく変わらないと思うが、 企業の立場は全然違うのではないか。 単に財サービスのための生産をすると、 社会全体への配慮は全くしないようになり、 環境や資源への配慮も、消費者生活者との関係も、 完全に自由に利益を追求するようになってしまう。 それは、社会の要求と全く反対の立場であり、対立である。
2.利益は、経済活動の客観的基準であるのに対し、 利潤は主観的欲求である。 利益は企業か組織が事業活動を通じて獲得するものであるが、 利潤は個人が意欲を満足するためにほしいものであるのではないか。 |
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[ No.547 ]
投稿者: 鄭 ヨ
2014年07月09日 (水) 01時13分 |
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なぜ、単に財・サービスのための生産という考えでは、社会の要求と企業の要求が対立するのかついて、 それは、財・サービスの提供は、社会が企業に対する要求の一つにすぎないからである。 財・サービス以外に、社会が企業に対して、社会的責任や社会貢献などの要求もある。 企業がそれらを無視して、単に財・サービスという経済的な役割を果たそうとすると、 社会において企業の役割が不完全であり、社会の要求と企業の要求が対立することになる。 そして利潤と利益について、 利潤は企業の総収益から全ての費用(賃金・原材料費・(支払うべき)利子等々)を引いたあとに残る金額であるに対し、 利益は事業などをして得るもうけであり、様々な分野において意味合いが違ってくる。 この2つの言葉は使い分ける必要がある。 |
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[ No.548 ]
投稿者: 唐楠
2014年07月09日 (水) 14時33分 |
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1、社会は財・サービスの提供だけではなく、安定的発展も要求される。 企業の存続発展のために利益が不可欠である。 利益を否定して単に財・サービスのための生産は、 社会の利益に反する、社会の要求と対立する恐れがあると思う。
2、利潤は企業の売上から費用を差し引いた額である。 利益はお金という経済的ものだけではなく、社会的な入手するものも意味すると思う。
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