三戸ゼミ掲示板 ―大学院版―
ホームページへ戻る
【投稿に際しての説明】
● 新規書き込みの投稿
掲示板トップページの上部で【名前】と【件名】、【内容】に加え、
【削除キー】を忘れずに入力し、 「書き込み」ボタンをクリックしてください。
※削除キーは、「編集」する際に使います。
※【MAIl】、【URL】、【アイコン】に触る必要はありません。
● 書き込み対するコメントのつけ方
コメントをつけたい書き込みの投稿日時の横にある「返信」ボタンをクリックすると、
新たにコメントを付けることができます。
ページが変わった後は、「新規書き込みの投稿」と同じように書き込んでください。
● 書き込み(「返信」を利用したコメントを含む)の「編集」の仕方
@ページ最下部の「Number」、「Pass」にそれぞれ、
・Number …投稿番号(各投稿のタイトルの前に書いてある数字)
・Pass …投稿する時に、各自で設定した「削除キー」と同じもの
を入力し、「編集」ボタンをクリックする。
Aページが変わるので、「Message」内の書き込みを編集し、
ページ下部の「編集を実行する」をクリックして完了。
※その他、もし不明な点があれば、掲示板にその旨を書き込みしてもらうか、
正直に先輩に聞きましょう!
| このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください |
|
[ No.609 ]
2014年度秋学期第15回大学院ゼミ報告
投稿者:
2015年01月22日 (木) 10時11分 |
|
|
|
|
【日時】1月15日(水)13:00〜17:30 【場所】国社棟604室 【出席】
三戸先生 (博士後期1年)中村さん (博士前期2年)鄭さん、阪本さん、岩田 (博士前期1年)陳さん、唐さん、黄さん、沙さん 1、先生のお話
・○○(表現、報道、言論)の自由vs○○(信教)の自由 ・自由vs生命 いかなる理由があろうと「生命」を奪ってはいけないのか。 他者に「人間」以外も含まれているのか。 ・価値の相対化=自由 自由:責任ある選択(理性に限定された) ・身体―脳 身体:有限 脳:無限 ・市場―空間、歴史―時間
2、修士論文要旨の報告
阪本さん:企業の社会的責任論からのバーナード「伝達」概念の再検討 ―サプライチェーン内不祥事に対する責任問題を事例に―
鄭さん:キャロルのCSRピラミッドモデルの研究 ―「倫理的責任」という名は適切なのか―
岩田:日本CSRにおける江戸時代経営倫理の影響
3、中村さんの報告
テーマ: 「企業と社会」論におけるステークホルダー理論の検討 ―経営戦略論の視点とCSR論の視点―
4、来週の予定 修士1年四人の発表
先生へ: 今回も、ありがとうございました。 お体に気をお付けください。 皆様へ: みんなも体調管理を。
*削除キー:nono |
|
[ No.611 ]
先生のお話
投稿者: 阪本夏美
2015年01月22日 (木) 14時32分 |
|
|
|
|
「イスラム過激派テロ事件に見る問題の本質と21世紀の課題」
はじめに 今年に入ってからも一部のイスラム過激派による冷酷なテロ行為は止まない。 1月7日にはフランスの週刊新聞社、シャルリ・エブドが襲撃され、 12名者もの尊い命が奪われた。 この事件をきっかけとしてフランスやドイツで「表現の自由」「反イスラム」を掲げた大規模なデモが行われた。 日本も他人事ではない。一昨日、「イスラム国」とみられるグループが 人質となった2人の日本人の殺害予告と約2億ドルもの身代金を要求している。 「イスラム国」は日本を十字軍に加わった「敵」とみなし、我々に牙を向けている。 何故、このようにイスラム過激派は我々に敵対心を向け、残虐な行為を繰り返すのだろうか。 三戸先生にこのような問題の本質についてお話して頂いた。
(1)フランス銃撃テロの本質
「○○の自由」vs「○○の自由」 表現←報道←言論 信教…自由の抑制
今回の問題は風刺画という「表現」についての問題である。 〔風刺画とは…社会や人物のあり方を批判、嘲笑を目的に描かれた絵のこと。〕
表現の自由も個人的な価値・信条(大切にするもの)に過ぎないため、 今回の問題は「自分の価値・信条vs他者の価値・信条」であると言える。
(2)何故、表現の自由は価値とされ、イスラム過激派の行為は「悪」なのか。 何故、「表現の自由」は認められ、イスラム過激派の価値・信条は問題となるのかだろうか。 それは、@自分の価値・信条を暴力という手段により主張しているからであり、 A人間の生命を奪うからである。
@しかし、「ペンは銃より強し」というように、 「暴力」を身体的、直接的なものに限定せずに苦痛を与える行為と捉えるならば、 「風刺画」によりイスラム教徒に不快感を与えており それも「暴力」といえる。 つまり、自分の価値・信条を「暴力」により主張するという 暴力 vs 暴力の問題であった。
Aそれでも、「表現の自由」は支持され、テロ行為が非難されるのは、 テロ行為が人間の「生命」を奪う暴力だからである。
(3)「価値の相対化」という近代の理想 自分と他者の価値・信条を対等に捉えることは近代が目指す一つの理想である。 「価値を相対化」して考えなければならないのは、 人間は真理を知りえず、誤つ可能性のある「限定的な理性」しか持ちえないからである。 (だからこそ、自由=責任ある選択が重要となる)
(4)大脳により生み出された価値・信条 このように「限定された理性」による価値・信条はすべて大脳の産物である。 身体(生命)は滅びてしまえば、残ることはない、つまり有限であるのに対して、 大脳は宗教や社会システム、文章などを次々に生み出し、後世に受け継がれるため無限である。
「大脳」の産物…宗教、法、市場[無限]⇔「身体」の繋がり…生態系、地域・家族[有限]
(5)身体を置き去りにした21世紀 以上のように今回のフランス銃撃テロ事件は、 「自分の価値・信条」vs「他者の価値・信条」であることがわかった。 そして、この価値・信条は「(大)脳」による産物であり、 「身体」が置き去りにされている。
現在の「市場」システムは暴力に頼ることなく価値が認められないものを淘汰できる点で優れている。 しかし「市場」の取捨選択はあくまで現在の価値観にのみ基づいたものである。 「歴史」は脳の働きにより記録され、先祖から子孫という身体の繋がりにより受け継がれる。
「市場」…現在、空間的、(現在)最上なものを選択、脳により作り出されたシステム 「歴史」…時間的、身体と脳により未来へと受け継がれる。
身体を意識し、生態系と一体となり、物事を考えることで、 人間の生命だけでなく、他の生き物の生命をも尊重した未来を目指せるのではないだろうか。 |
|