三戸ゼミ掲示板 ―大学院版―
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[ No.622 ]
2015年度春学期第一回ゼミ報告
投稿者:
2015年04月11日 (土) 06時49分 |
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日時】04月08日(水)13:00〜19:00 【場所】国社棟604室 【出席】 (博士後期2年)中村さん (博士後期1年)阪本さん、 (博士前期2年)陳、黄さん、沙さん、唐さん、坂倉 (博士前期1年)木田君 (研究生)謝さん
T.先生のお話
(1)「型」から見る「前近代」「近代」「現代」 @「型」と「型通り」 「型にしたがう」「形になる」という言葉がある一方で、 「型通り」という言葉が存在する。 「型通り」とは「つまんない、オリジナリティがない」という意味である。
A「文化」という「型(―心)」 「型を失った富士山」は「富士山」だろうか。 もし、富士山が噴火し、あの美しい形が失われたら それはもう“富士山”でなくなるのではないだろうか?
中国の京劇や雑技団の学校で「学ぶ」事も、 大学院で先生から「学ぶ」事も「型を学ぶ」ということである。
B「規則」という「近代の型」 M.ウェーバーの正当な支配の3類型の理論 (@「カリスマ(型)支配」、A「伝統(型)支配」、B「合法(型)支配」) によると、「近代化」「組織の大規模化」が進むにつれ、 「法」「規則」による「合法(型)支配」になっていく。その典型が、「官僚制」である。 また、「市場」も「規則」であり、 「規則」であるから「誰でも参加できる」し「グローバル化」する。 一方、「共同体」では「文化(型)の共有」を果たすことで、一員として受け入れられる。
C「型」を否定する「近代」 「近代」とは「個人」と「合理性」 (「科学」は「「個別「特殊」」と「普遍性」)の時代である。 「型」を「型通り」(=つまらない、オリジナリティがない)と言うのも、 「個人」という「近代イデオロギー」による。
D現代の「個人主義」の変化 現代の「個人」は、「個人の意思決定を尊重する(「自由」「責任」)」から、 「個人を不快にさせることに対する反対」に変わる。 (セクハラなど) E「美術(絵画)」の変化 前近代の美術はジャンルにグレードがあり、「権威」(「文化」「型」)に従っていた。 (@「宗教画」A「歴史画」B「人物画」) −(「風景画」「静物画」は存在しない) 近代の美術は、18c〜19cには、「美(とは何か)」の追求」の時代、 そして20cは「自己表現」の時代になる。 F「経済学(市場)」と「経営学(大企業)」 「経済学」は、「既にある欲求(=需要と供給)」に応える。 (「資本(金利)「通貨(為替)」「株」など)
「経営学」は、「欲求の創造(=顧客の創造)」を行う。 「(「マーケィング」と「イノベーション」)
フォードの「大量生産」では、いずれ「顧客の創造」が出来なくなる。 だから「マーケティング」と「イノベーション」が必要となる。 (GMの「モデルチェンジ」「商品のステータスによる序列化」)
しかし、他方で「大企業」の「欲求の創造」により「環境破壊」が生まれる。 「CSR」の議論が生まれ、「NPO」「社会的企業」が登場してくる。
(2)「社会」のお話―「NPO」「社会的企業」とは何か−
@「NPO」「社会的企業」「行政」「現代企業」の区分
「NPO」「社会的企業」「行政」「現代企業」はどのように軸で分けられるのか。 まず、「単一の社会的課題-―複数の社会的課題」「営利―非営利」という 2軸で分けることができる。
「社会的企業」・・・「単一の社会的課題」かつ「営利」 「NPO」 ・・・「単一の社会的課題」かつ「非営利」 「行政」 ・・・「複数の社会的課題」かつ「非営利」 「現代企業」・・・「複数の社会的課題」かつ「営利」
しかし、「事業NPO」「公企業」「社会的器官としての現代企業」の存在を考えたとき、 「営利」「非営利」ではなく、「商品化」「税・寄付」で分けた方が適切ではないだろうか。
A「NPO」「事業型NPO」「社会的企業」の登場の背景
「家共同体」「村落共同体」が「近代化」することにより、 「システム世界(行政と市場)」「生活世界」に分かれ、 その後、「システム世界」が拡大し、「生活世界」を浸食していく。
その「システム世界」が拡大していくなかで、 そこから落ちこぼれていくものを補完する機能を担っているのが「NPO」ではないか。 「システム世界」の「行政」が「公助」、「市場」が「自助」、そして「NPO」が「共助」である。
(3)「公」のお話―日本の「公」の歴史、これからの「common」―
@20cまでの日本の「公」概念 日本において、11c〜20cの「公」は「家」であり、 19c末〜20c末の「公」は「官」であった。
日本は、「統治者が土地の所有者でない」というユニークな中世を経た後、 明治維新の「王政復古」により古代の「公(天皇(朝廷)」への復古が起こる。 ・日本の「公」の歴史的推移 @古代 7c〜11c 公地公民制―農民の所有権はない
A中世1 11c〜14c初 鎌倉幕府 ―(開墾地主の)土地所有権を認める B中世2 15c〜16c 戦国大名−実力によって土地を得、領民のための統治を行う C中世3 16c〜17c初 織田信長―兵農分離によって武士(統治者)≠地主となる
D近現代 19c末〜1980’s 王政復古―「国家」が「官」となり「公」となる。
A新しい「公」を模索する日本 1980’s以降、「日本的経営」が否定され、個人主義への倫理観の変容の中で ヨーロッパ型の「公」が模索されている。
家(うち)→開open 官(上下)→共 common(横)
・問題点 日本では「開」ばかりが言われ(「市場」「株式会社(会社は株主のもの)」)「共」が弱い。 また、「協力」が「競争」「利潤拡大、コストカット」の為になってしまっている。 しかし、最近の「絆」という言葉、「地域」への関心の高まり、 そして「NPO」の登場に見られるように、真の「共」への動きも高まってきている。 また、「家」は「うち・そと」の観点だけでなく、「共」の観点からも考えるべきではないか。
B世界、自然との「common」 「自分達の今」を正当化するためだけに歴史をつかうものは、お互いを理解できず、世界の「common」は実現しない。 また、人間以外の他の生き物は本当に犠牲になってよいのだろうか。 人間が行っていることも「Humanism(人間中心主義)」として相対化して見ていくことが必要である。
U.今年度のスケジュール決め [No621]を参照
V.来週の予定 M2陳さん、沙さん 修士論文の経過報告 M1木田君 学部卒業論文の発表
p.s. 阪本さんが博士後期に進まれ、木田君も博士前期に進学。 私、坂倉も復帰することとなりました。来週には王さんも復帰される予定です。 また研究生として謝さんが新たに参加することになりました。 皆さん共に学んでいきましょう!
削除キー [2015haru1] |
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