三戸ゼミ掲示板 ―大学院版―
ホームページへ戻る
【投稿に際しての説明】
● 新規書き込みの投稿
掲示板トップページの上部で【名前】と【件名】、【内容】に加え、
【削除キー】を忘れずに入力し、 「書き込み」ボタンをクリックしてください。
※削除キーは、「編集」する際に使います。
※【MAIl】、【URL】、【アイコン】に触る必要はありません。
● 書き込み対するコメントのつけ方
コメントをつけたい書き込みの投稿日時の横にある「返信」ボタンをクリックすると、
新たにコメントを付けることができます。
ページが変わった後は、「新規書き込みの投稿」と同じように書き込んでください。
● 書き込み(「返信」を利用したコメントを含む)の「編集」の仕方
@ページ最下部の「Number」、「Pass」にそれぞれ、
・Number …投稿番号(各投稿のタイトルの前に書いてある数字)
・Pass …投稿する時に、各自で設定した「削除キー」と同じもの
を入力し、「編集」ボタンをクリックする。
Aページが変わるので、「Message」内の書き込みを編集し、
ページ下部の「編集を実行する」をクリックして完了。
※その他、もし不明な点があれば、掲示板にその旨を書き込みしてもらうか、
正直に先輩に聞きましょう!
| このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください |
|
[ No.423 ]
2014年度春学期第4回 大学院三戸ゼミ報告
投稿者:
2014年05月01日 (木) 23時48分 |
|
|
|
|
【日時】4月30日(水)13:00〜19:10 【場所】国社棟604室 【出席】 三戸先生 (博士後期1年)中村さん (博士前期2年)岩田さん、阪本さん、鄭さん (博士前期1年)黄さん、沙さん、唐さん、陳 (研究生)(孫さん) (学部生)木田さん
・DVDの視聴(中村さん、阪本さん、岩田さん) 「福島第一原発の安全神話」
DVDを視聴された方は感想の書き込みをお願いします。
◎先生のお話 ・休日の話 休日の意味が変化してきた。昔は「労働者」のための休日だったが、 今は消費者のための休日になってきた。 休日に、子供たちはお休みになったが、親たちは休みに なっていない場合がある。この場合に、どうすればいいだろう、 どのようなビジネスチャンスがあるだろうか。 →子供を預ってキャンプや教育ビジネスのチャンスがあるなど
・システムの話 4月29日の「JTBのバス手配ミス」のニュースからお入りになった。 このニュースから、JTBの管理は「科学的な管理」ではない。 ミスを防ぐシステムをまだできていないことが分かる。 ※中国において: 漢朝の劉邦は儒家の周勃や法家の萧何を重用し 国をうまく治めていた 法家はシステムを作って国を治める。 儒家は無為の思想を基盤にし、国を治める。 周勃によれば、国を治めるためには、獄や市を見るべきである 原因:この二つのところで、欲求や欲望を見ることができる。 この二つのところを見れば、社会はうまく行っているかどうかわかる。 問題があってから、行動をする。
◎中村さんの発表 三戸公(1971)『ドラッカー ―自由・社会・管理―』未来社 第二章の第四節 先生からのコメント ・19c マルクス「労働者の労働手段からの分離」 20c ウエーバー「生産者の生産手段からの分離」 ドッラカー「専門化と統合=大量生産原理」 表面上、この三人は同じことを言っているようだが、実は三人の主旨、対象、 問題意識は違う。 三戸公はこの三人は同じことを言っていると思っているところが間違っている。
・旧 私的所有 → 社会的所有 ↓ 新 個人所有 → 機関所有 ‖ ‖ 財産中心機関中心 この図式は間違っている。 理由:組織中心の時代においては、組織は「所有」することができない。 機関所有という言葉は意味がない。 ※日本はすてに機関中心の社会になっている。 しかし、中国はまだ財産中心の社会に止まっている。
・公と官は違う 公の反対は私であり、官の反対は民である。 「公企業」は官営企業というべき。 公企業の民営化ではなく、私営化のはずである。
・社会主義 社会的「所有」していたのか 所有とは使用、収益、処分の三つの側面を持っている。 しかし、社会主義の下で、労働者は結局使用権しか持っていない。 労働者は国の意思決定にも実質的に参加できていない。
◎唐楠さんの発表 三戸公(1971)『ドラッカー ―自由・社会・管理―』未来社 第二章の第五節
◎来週の予定 1.三戸公(1971)『ドラッカー ―自由・社会・管理―』未来社 第二章の第六節のむすび部分 発表者:阪本夏美 2.DVDの視聴
削除キー【fiona】
|
|
[ No.425 ]
投稿者: 黄 徐全
2014年05月03日 (土) 19時13分 |
|
|
|
|
今朝電車中にラジオを聴きながら、社会に貢献できる小さな名刺屋さんの生き残りというお話がありました。 耳を澄まして、聞いてみると、立派な会社ですね。 ここで皆さんと一緒に共有したいと思います。 ネットで検索すると、以下のような内容が出てきました。若干修正しました。
北海道郊外の小さな名刺屋さんは、不景気で、安売りさらに競合相手と価格競争、 そして、自分で名刺を印刷する厳しいビジネス環境の中で、 このままではつぶれてしまうと思いだったが。他社が絶対にやらないに、名刺販売に取り組もうとしている。 それは1枚が30円もする名刺である。 いったいそんな高い名刺は誰が買うんだ。とけなされたが、 10年かけて、1か月に700件の新規顧客!。
リピーターの方も90件〜と、 北海道以外の地域から注文が入り、 ビジネスは大繁盛。差別化して販売することに成功した。
その差別化、付加価値とは? 1枚30円の中身を見ていくとわかってくる。
エコな素材、エコロジー環境にやさしい配慮された原材料エコロジーペーパーで製作している。 ここまでは、それほど珍しいことではない。
名刺の意匠・デザインは、難しい部分があるので自社でやるが、 それ以外の作業は、なんと、障害者雇用を目的に設立された作業場に仕事を発注する。
さらに、国からの補助金をもらわない形で、仕事を出す。
通常、このような障害者に仕事を発注するときは、 国や地方公共団体から補助金が支給されていて企業にとってメリットがある形で仕事を発注するのだが、
企業も、補助金をもらえて、雇用すれば、社会貢献をPRできると、 大企業、中小企業とも補助金もらっての障害者雇用がほとんどが実情である。
そんな世の中にあって、この小さな名刺屋さんは、時給700円以上を支払い、仕事を発注している。
さらにさらに、海外のザンビア、貧しい貧困家庭の女性に仕事を作って取り組もうとしている。
コストで勝負するのではなく、この1枚30円の名刺を使うことにより、仕事をつくりだした。 人助けができる名刺〜心のこもった名刺を売り出した。 そこに価値あるビジネス・生き残りの答え、光があった。 でも始めた当初は、なかなか、この社会貢献できる付加価値名刺の価値をわかってくださる方がなかなか現れず苦労したとのこと、 10年の長い時間コツコツ続けてきたことにより、心をこもった名刺は多くの方に支持されるようになった。 利他の心、正しい経営、生き方していれば、きっと誰かが見ていてくれるそんなこと思わせるいい話であった。
|
|
[ No.427 ]
投稿者: 阪本
2014年05月04日 (日) 16時52分 |
|
|
|
|
黄さん、情報ありがとうございます! 素敵な名刺屋さんですね! そのような会社があるとは知りませんでした。 是非、会社名も教えてください!! |
|
[ No.428 ]
投稿者: 阪本
2014年05月04日 (日) 18時02分 |
|
|
|
|
DVD「安全神話」
○原発の安全神話はどのようにして生まれ、そして崩壊していったのかを 原発技術が日本に輸入された時代にまで遡って追っていく。
原発の誕生: 原発は日本の国策として計画され、アメリカから技術と原発建設指針が輸入された。 アメリカの指針には、@低人口地帯であること、A事故の際に住民を安全な場所に避難させられる場所に原発を建てることが条件として記載されていた。 しかし、アメリカ版の指針にそのまま従うと、日本の国土では原発を建設できる場所がないという理由で、 この2点は日本版の建設指針からは取り除かれた。 事故の可能性、安全性を問うことなく、建設ありきで考えられた日本の原発建設は、 「事故は起きないだろう」という神話を生み出すきっかけとなった。
安全神話の確立: 国は原発の安全性の多くを電力会社の自主性に任せていた。 スリーマイル島原子力発電所事故を受けて日本の電力会社にはシビア・アクシデントに備えた規制の強化が求められていた。 規制の方法には、政府によるものと自主的に行うものの2つがある。 1980年代〜90年代にかけて日本では反原発運動が高まり、 国はいくつかの訴訟を抱えていた。 政府は、シビア・アクシデントを認め規制に乗り出すことで、裁判に負けてしまうことを恐れ、 電力会社側は、政府の規制を受けることによって、これまで築き上げてきた地域住民との信頼関係に影響をもたらす可能性から、 政府の規制を受けず、自主規制を行うという方向性が定まった。 電力会社は、外部に安全性を説明することによって、安全神話に縛られていくようになる。
○安全神話生成メカニズムの考察 ○DVDの事例から企業の自主規制を考える
|
|
[ No.430 ]
投稿者: 中村貴治
2014年05月05日 (月) 22時26分 |
|
|
|
|
【「『産業社会』とは何か」は3通りある】 @「社会的原理」が「大量生産の原理」である。 A個人が地位と機能を得ている場が企業体である。 B企業体が決定的・代表的・典型的制度体である。
【「これからの社会は“ネットワーク型社会”か」の検討】 @の場合:ネットワーク型社会でも、「大量生産の原理」の中味である、「専門化と統合」は当てはまる。 Aの場合:ネットワーク型社会でも個人が「機能」を得るのは、企業体においてである。しかし、「地位」はどうであろうか? Bの場合:企業体が決定的・代表的・典型的制度体であることは、変わらないだろう。
【感想】 「大量生産の原理」の中身は「専門化と統合」である。 しかし、原理としての専門化と統合は、「大量生産」の全てではない。 @)「大量生産」を構成する要素を明らかにすることで、 ネットワーク型社会の「専門化と統合」との違いを検討することができるのではないか。 A)ネットワーク型社会における専門化と統合は、 管理―被管理の関係に焦点をあてていないのではないか。 ネットワーク全体として統合されているのであり、 全体の管理主体は必ずしも存在しない。 |
|