三戸ゼミ掲示板 ―大学院版―
ホームページへ戻る
【投稿に際しての説明】
● 新規書き込みの投稿
掲示板トップページの上部で【名前】と【件名】、【内容】に加え、
【削除キー】を忘れずに入力し、 「書き込み」ボタンをクリックしてください。
※削除キーは、「編集」する際に使います。
※【MAIl】、【URL】、【アイコン】に触る必要はありません。
● 書き込み対するコメントのつけ方
コメントをつけたい書き込みの投稿日時の横にある「返信」ボタンをクリックすると、
新たにコメントを付けることができます。
ページが変わった後は、「新規書き込みの投稿」と同じように書き込んでください。
● 書き込み(「返信」を利用したコメントを含む)の「編集」の仕方
@ページ最下部の「Number」、「Pass」にそれぞれ、
・Number …投稿番号(各投稿のタイトルの前に書いてある数字)
・Pass …投稿する時に、各自で設定した「削除キー」と同じもの
を入力し、「編集」ボタンをクリックする。
Aページが変わるので、「Message」内の書き込みを編集し、
ページ下部の「編集を実行する」をクリックして完了。
※その他、もし不明な点があれば、掲示板にその旨を書き込みしてもらうか、
正直に先輩に聞きましょう!
| このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください |
|
[ No.461 ]
経営学史学会 第22回 全国大会 報告・感想
投稿者:
2014年05月21日 (水) 02時48分 |
|
|
|
|
5月18日、三戸先生にお誘いいただき、 経営学史学会での津久井さんのご報告を聞きに、 関東学院大学まで訪ねました。
【日時】2014年5月18日(日曜)09:30〜16:00 【場所】関東学院大学 フォーサイト21 【参加】三戸先生、津久井さん、中村、阪本、木田、岩田
【gakushi】 |
|
[ No.462 ]
投稿者: 中村貴治
2014年05月21日 (水) 02時53分 |
|
|
|
|
ひとまず、日曜日夜の段階でまとめた各報告の感想を(一部)投稿します。 煩雑になっているので各発表の内容報告と合わせて、 再度、整理したいと思います。
■自由論題:津久井稲緒「地域社会レベルからみる企業の社会的責任」 (1)【図表.イシューの認識を可能にする「地域社会レベル」の特徴】 図表は、社会(イシューの発生源)を空間的に切り分けることで、 イシューの認識の分析的枠組みを提供するものである。 ただ、今後の方向性として、いかに認識したイシューを解決するか、 という点では、階層ごとに配置された(?要質問)主体と企業との「協働」が提示され、 そこに至ると、ステークホルダー・マネジメントに属する議論になる。 ソーシャルイシュー・マネジメントの側面とステークホルダー・マネジメントの側面が混在しているのが、 報告としてのわかりにくさ=多くの質問がステークホルダー理論に偏ってしまった原因であろうが、 逆に面白いと感じる点である。
(2)【図表の可能性】 なぜ面白いかといえば、ステークホルダー理論は、企業に対する機能的側面から「ステークホルダー」の切り分けを行うと言われるからである※。 機能的側面から切り分けられることにより、「ステークホルダー」の主体的側面は捨象される。 つまり、同一の主体が消費者・株主・従業員など複数の側面をもつ複雑な存在であるということや、 同じ「消費者」であっても、全く異なった権利、利害をもつ点が見えなくなってしまう。 今回の「地域社会レベル」の図表は、社会の空間的な切り分けを行うことによって、 社会的責任を果たすにあたっての、ステークホルダー理論のこのような欠点を補う役割を持つのではないか、と感じるからである。 (※ステークホルダーが権利主体であると考えれば、権利に焦点を当てて分類されている考えた方がよく、 機能と権利、どちらが良いかは要検討)
(3)【空間的な切り分けと、機能的な切り分けを意識すべきでは】 同じ「地域社会」でも複数の階層を持つ、と理解すべきではないのではないか。 機能的な切り分けと空間的な切り分けでは、行っていることの次元が異なる。
(4)【今後の検討への考察】 その他、ソーシャル・イシューマネジメントとステークホルダー・マネジメントの 関係性が詰められないままに、両者の対比表を出されていたことが気にかかった。 逆にこの点を詰めることが、可能性を拡げる糸口の一つにいえるかもしれない。
■統一論題:岸田民樹「状況適合理論から組織化の進化論へ」 (1)【理解できる議論、できない議論】 コンティンジェンシー理論とWeickの理論、組織論の高度な議論であって、理解が難しい。 合理―非合理、客観―主観、実在―被実在、認知、実現的―想像的、科学―新しい科学、科学―非科学・反科学…。 など、複数の次元に渡る、それぞれが拡がりを持つ言葉・軸を用いていることが、 何を問題としているのかを理解することが難しくなった理由ではないか。 →わかる議論をするためには、使う言葉は限定すべき。
(2)【何が問題だったのか(推測)】 恐らく、大きくは、岸田先生は両者の「実践的接合」は可能ではないかという議論をしており、 稲村先生は「理論的接合」は不可能である(「実在的・客観的環境vs非実在的・主観的環境という根本的対立)、 という議論をしているように思われた。 →その「根本的対立」が現実においてどのように問題となっているのか、という指摘を行うことで、 議論が少し進んだのではないだろうか。
(3)【科学 vs 非科学・反科学・新しい科学?】 Weickは「観念的反科学主義」なのか?「科学への攻撃」。 不可避的な観念的側面を織り込んだ科学といえないのか。 →中條先生はそれを「新しい科学」と呼んだのではないか。 →他にどのような「新しい科学」があるのか。 →バーナード「信念 faith」との関連(『官僚制』)。
■統一論題:上林憲雄「人的資源パラダイムの展開」 (1)【提示する「これからの人的資源管理」の学史的な位置とは】 統一論題は、「これからの経営学」。提示されたPR→HRM→SHRM(※)という既存の展開の中で、 「これからの人的資源管理」はどのように位置づけられるのかがよくわからなかった。 @「SHRM」の次に位置するのか、Aパラダイムが違うとすれば全く異なる軸に移動するのか、 B「人のマネジメント」という点では「PR」にもう一度立ち帰って検討し直すことが必要なのか。 Cまたはそれ以外か。 →「HRMパラダイムの特徴1)〜5)」それ自体、 それが「HRMパラダイムの限界(1)、(2)」とどのようにつながるのかを検討が必要ではないか。 パラダイムである限り、“全とっかえ”が必要なのか。修正すればいいのか。
(2)【「人のマネジメント」とは、どのような意味を持つのか】 強調された「人のマネジメント」であるが、既存のHRM・SHRMどのように異なるのだろうか。 その人間モデルは?提示していた「生身の人間」という表現や、「参考文献.内田樹『修業論』」等を見ると、 市場における労働力などの単純な存在vs「複雑な人間モデル」といえるのかもしれない。 →「HRMパラダイム」とは「市場パラダイム」? だから、日本的経営における人的資源管理(労務・人事管理)との接合が問題になった?
■ 学会について (1)経営学史学会について 〜統一論題を聞いて〜 経営学史学会とは学史を扱うことで、学説同士の関連性や、 その展開の意義を問うなど、メタなレベルの議論を扱っている。 それが議論の難しさになっており、今回の統一論題の両報告では、その点を強く感じた。 それは若手の研究者にとっては、非常に高いハードルを提示しているが、 しかし、近年の研究がそれぞれの専門に閉じこもりがちな傾向があるとすれば、 広い視野を常に提供すると言う点で、極めて貴重で参加・報告するのに意義深い学会になのではないか。 それだけに、自由論題の報告者・コメンテーター以外に若手に見られる研究者が少なく見える点が気にかかった。
(2)報告者の振る舞い・ポイント 様々な領域の先生がいらっしゃるので、基本的に報告者の視野にない質問が出る。 しかしそのような中で、答えられる質問と答えられない質問をきっちりと選り分け、 答えられない質問には「〜とのご質問、有難うございます。今後検討して研究に活かしたいと思います。」などと答え、 一方でその分答えられる質問についてはきちんと答える。その選り分けが大切であると感じた。 「相手が『質問してよかった』と思うように答える」
特に「自由論題」において、強く「言うんだ」という気持ちを感じた。 何故か?若手であるから?
水村先生の津久井さんに対するコメントが秀逸だと感じた。 過去の論文をサーベイし、報告者の問題意識、概念の定義を炙り出す。 質問も、学史学会とは何かという観点から行われており、 コメントを通して有能さがアピールがされるものになっていた。 |
|