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[1148] 米長邦雄永世棋聖の訃報に接して
JC IMPACTU (/) - 2012年12月18日 (火) 15時30分

18日午前、米長邦雄邦雄永世棋聖が亡くなられた。

数ヶ月前から一部の報道機関では「予定稿」を準備していたし、Twitterや日記の更新も途絶えていたから、訃報そのものにはさほどの驚きはない。

中学生の時に中原ー米長の王位戦を生で観戦する機会に恵まれた。社会人になってからは、お弟子さんのタイトル二冠を記念しての将棋大会に審判長としてお招きするという仕事にも関わった。さわやかな人だったという印象が私にはある。

中原誠十六世名人の存在がなければ、私はおそらく米長ファンになっていた。芹澤九段に似ている面もあった。当時の私は「非なる」面には気がつかなかった。

氏は五十歳直前に念願の名人位に就いた。その時の相手は中原誠である。翌年度の挑戦者まで、早々に予言した。防衛は叶うことなく、勝者のために万歳まで行った。英雄になれない米長邦雄の姿を自身が最も自覚した瞬間だったのかもしれない。そして、会長就任は、念願というよりは永世棋聖の悲願になった。

そして、悲願もまた叶ったのである。その悲願を守るために、米長永世棋聖は、ただただ走り続けた。振り返ることなく走ると決められたのだろう。後ろをみれば、零れ落ちてしまう。その確信だけが、氏を支えてきた。時として暴走もご本人には、その風もまた快適であったかもしれない。

最後まで現職として、goalを迎えた。テープを巻きつけたまま、天空に歩を進める会長の姿がみえるようだ。「ボクが空に向かっていることは、誰にも言わないで」米長会長は、どこかでそう呟いているに違いない。その方が米長会長らしいと私は思っている。

だから私は、追悼はしない。

Pass

[1150]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月18日 (火) 22時25分

「米長邦雄の家」は閉鎖されたようである。

ただご本人のさわやか日記対局型掲示板は、レンタルサイトということもあり、現在も閲覧が可能である。米長邦雄永世棋聖が、このふたつの掲示板に発言されることは、もうない。

掲出した写真は11月28日、役員会で撮影されたもの。

Pass

[1152]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月20日 (木) 00時18分

昨日「米長邦雄の家」は閉鎖されたようであると記しましたが、現在、アクセスが可能でした。おそらく、私が何度かアクセスした昨日の段階では、集中していたのか、繋がらなかったのかもしれません。結果的にこれは誤りでした。お詫び致します。

昨日から今日にかけて、メディアで訃報は相当数報じられましたし、羽生十九世名人、森内十八世名人、谷川専務理事、中原十六世名人、内藤国雄九段ら多くの棋士がコメントを寄せられていますし、新聞各紙でも米長会長への論評はこの二日で出尽くしたという感があります。

西村一義九段が、亡くなる数日前に会長と会った際に「総会までは生きていたい」米長会長はそう述べたそうです。

私はここにも書きましたとおり「追悼」はしません。

既に様々な事象が出現しています。故 米長邦雄氏がどう考えたかは別として、メディアの連盟に対するスタンスは、ある意味様変わりするでしょう。既にそういう事実が伝えられてもいます。

新たな羅針盤を構築できなければ、連盟はかってない危機を迎えることになるかもしれません。

Pass

[1154] 巨星おつ
ポン太 (/) - 2012年12月20日 (木) 22時06分

米長会長が亡くなられた。おそらくかなりの混乱が連盟やプロ将棋界に巻き起こるのではと危惧します。
いろいろな反動や、ここぞとばかりの陰険な対応が一部の方面から起きるのではと思うのです。
米長氏自身の行動の結果により引き起こされることも少しはあるでしょうが、それよりも氏が盾になり連盟や棋界を防御していたことが、その盾が喪失したことにより、一挙に各種の難問が押し寄せることのほうがはるかに多いのではと、危惧するのです。
氏が各種の著名人と懇意であることをブログ等で記載していることを、色々揶揄するかたもおられましたが、そのような交友関係はある種の防御力になるのは事実だとおもいます。政治力というもの、のすくなからずの部分を占めていると思います。
強力なリーダーシップをもった会長の早すぎる死は、特に現役のままの死は、どれほどのダメージを連盟やプロ将棋界にあたえるのでしょうか。

Pass

[1156]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月27日 (木) 00時04分

ポン太さん

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米長会長が亡くなられた。おそらくかなりの混乱が連盟やプロ将棋界に巻き起こるのではと危惧します。
いろいろな反動や、ここぞとばかりの陰険な対応が一部の方面から起きるのではと思うのです。
米長氏自身の行動の結果により引き起こされることも少しはあるでしょうが、それよりも氏が盾になり連盟や棋界を防御していたことが、その盾が喪失したことにより、一挙に各種の難問が押し寄せることのほうがはるかに多いのではと、危惧するのです。
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とりわけ対外的な面で相当厳しい状況が出現することになると思います。ただ、ここはポン太さんと少し違うかもしれませんが、米長会長とて未来永劫「会長」であり続けることはできないわけですから、ある意味、この「事実」を乗り越えて、棋界の様々な問題に真摯に向き合い、ある意味「連盟再生」をはっきりと打ち出す体制が求められると私は考えています。それができなければ私は「連盟そのものの危機」を迎えることになると思っていますね。別に大袈裟ということではなく。

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強力なリーダーシップをもった会長の早すぎる死は、特に現役のままの死は、どれほどのダメージを連盟やプロ将棋界にあたえるのでしょうか。
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うーん、私は「リーダーシップ」があったとは正直思えないんですよ。「会長」という最高の権力という立場を得て、ご自身がやりたいことを耳目も集めることなく、ただただ強引に推進したという印象でしょうか。

だから当然「ツケ」はやってくるのです。そのことを真摯にみつめ、ひとつひとつ解消していくことが「再生」の一歩ではないでしょうか。




Pass

[1158]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月27日 (木) 22時40分

web版のスポーツ報知に次のような記事が掲載されていた。

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奨励会と女流棋戦の兼業を米長さんから特例で認められた里見香奈女流四冠(20)は「無理なお願いを受け入れていただきました。結果を出して感謝を伝えたい気持ちが強くなりました」。米長さんの尽力を受け、アマチュアからプロに編入した瀬川晶司五段(42)は「先生がいなければ今の僕はいません。安らかに眠っていただけるよう、棋士一同頑張ります」と感謝を口にした。
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この件について「web駒音」でも話題になっているようだ。
私自身は、正直に言うなら「特段の感想」というものをこの件についてもたない。一体、組織のトップの告別式の談話で語られることに「本心」や「経緯の詳細」などが中心に語られるはずもなく、全ては「故人を偲ぶ」という大きな目的が存するわけだから、語られることは全てが「明」になる。そういう一言一句を事更に追求しようという気持ちが私にはない。

第一「里見さんが兼業という(無理なお願い)をどうして会長に要請したのか」は、ここには語られていない。「一局でも多く将棋を指したい」「女流棋士のトップであると同時に男性棋士の中でも揉まれたい」「常に自分を緊張の場に置きたい」「いわゆる女子の目標でありたい」おそらくは、どのひとつをとってみたところで、それ自体は悪いことではない。

「(女流棋戦)で勝つことにより対局料、賞金を獲得したい」それもまた一概に悪いとはいえない。私は「奨励会員と女流棋士の兼業ということについて」未だに揺れ動いている面はあるけれど、
女流棋界総体ということでいうならば、数も予備軍も、まだまだ発展途上であるし、今回の里見さんのコメントに違和感とか嫌悪感というものは全く覚えない。強いということで、そのことに溺れさえしなければ、別に問題でもないのかもしれない。その棋力と共に「人間的にも」女流総体を牽引してくれれば、それでいいし、尊敬される人であって欲しいと願うばかりだ。

1月30日、その里見女流四冠と石橋幸緒四段のマイナビ準決勝が行われる。これは楽しみだ。石橋さんはインタビューで「私に期待している人はそういないかもしれない」という趣旨のことを述べているが、そんなことはない。少なくとも私は石橋さんに大いに期待している。いい将棋をみせて欲しい。そして勝って欲しい。

Pass

[1159]
喝采 (/) - 2012年12月28日 (金) 13時06分

 米長会長が逝去され10日ほど経ちましたが、まだ(将来的にも、かもしれません)何かまとまった事を考える気になりません。ということで情報提供程度。

 今週号の『週刊新潮』と『週刊文春』に逝去関連記事が掲載されていました。昨日立ち読みしました。

 前者は、会長氏の連盟運営の負の部分という視点で書いていたように思います。
 後者は、林葉さんのコメント中心の記事でした。会長氏の女性関係という視点でまとめようとしたのでしょうか。 

Pass

[1176] 大崎氏による記事
喝采 (/) - 2013年01月15日 (火) 12時07分

 『週間ポスト』で大崎氏が米長さんにまつわる思い出を語っていました。ページ数はこの手のものとしては多めだと思います。
 「功罪」の存在を前提としながら、あえて「功」の個性を心情的につづっていたと捉えました。

 個人的には物足りなくは思いましたが、大崎氏の現在の立ち位置からは無理からぬところかと。

 小生はまだ、米長氏の連盟運営手腕について何か書きたいという気にはなりませんが、切り口としては、同氏が会長として連盟運営に貢献した点とは何なのかという視点になると思います。

 連盟(関係者)に対してと、将棋ファンに対してと二つの面で同氏が強調(自画自賛?)してきた貢献をどう評価することができるのか、そういう側面で考えてみる事になるのかなと思っています。

Pass

[1177]
JC IMPACTU (/) - 2013年01月15日 (火) 22時01分

喝采さんのご紹介にある「週刊ポスト」1月18日号「追悼・米長邦雄 「負け姿の美しい男」」(大崎善生〉を読んでみた。

喝采さんとは少し評価が違うのかもしれない。実にいい作品だと私は感じた。

「追悼」である以上、追悼しなければいけないのは当然である。しかし、だからといって装うというか、飾るというか、少なくとも「思ってもいないこと」は書いてはいけないと私は思っている。氏の大作である「赦す人」に比べれば遥かに出来がいい。それは何より、大崎氏が「連盟」で等身大の米長邦雄に接した時間が少なからず存したからであろう。以下いくつか引用してみたい。(点線内)

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「負けた棋士と付き合える編集者になれよ」と米長にことあるごとに言われていた。将棋のタイトル戦は旅館やホテルで行われることが多く、戦いが終わるとそのまま大広間のようなところで食事をして打ち上げとなることが多い。必然的に勝者と敗者にテーブルが分かれるが、そんなときには必ず敗者の側に座れというのである。

勝者の周りには放っておいても人が集まっていく。しかし敗者の周りというのは、なかなか座りにくいものだ。

この言葉は将棋のことだけを指しているのではないと肝に銘じた。編集者はまず敗者に目を向けるべきなのだ。そこにある本当のドラマを探す。
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私も昔のことになるが、何度かタイトル戦の打ち上げに参加させてもらたことがある。実はそれほど鮮明な棲み分けがあったという記憶はないのだけれど、ひとつ言えることは、話の中心がどうしても「勝者」を中心に回ってしまうという面は存在する。敗者を前に、人は案外に語りかける「言葉」をもたないし、そっとしておきたいという意識が働くからだ。例えば中原十六世名人が、勝局後、打ち上げも終わり麻雀の席で「はしゃぐように牌を放る」姿をみて、私は驚いたことがあった。あの中原名人ですら、そうやって勝利の喜びに浸るということがある。

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米長と編集部の間に、嘘のような平穏な時間が流れたことがある。50歳直前にして、7度目の挑戦で米長は悲願の名人位に就いたのだ。米長は中高年の星となり、大急ぎで作った増刊号は飛ぶように売れ、新宿京王プラザでのパーティは2000人を超す人で埋め尽くされ、今でも語り草となっている。

晴れて名人に選ばれた米長は、自分が発したその言葉の呪縛から解放され、名人位へ対する自らが抱いていた概念や幻想から自由になっていった。発言も大らかで伸びやかなものとなり表情も鋭さが影を潜め、見違えるように柔和なものとなった。

ある日、米長が対局を終えてふらりと編集部に現れた。夜なべをする編集部員たちの席の片隅に座り、突然色紙にサインをはじめた。

「惜福」名人、米長邦雄。編集部員たちの為書き入りのもの、それが一通り終わると為書なしのもの。頼みもしないのに何枚も何枚も書き連ねていく。

「大崎君、これなんて読むと思う?」と聞かれた。

「ちゃくふく、ですか」と私が答えると「何で君はそんなにバカなんだ」と言って米長は大声を出して笑うのである。それから「これは福を惜しんで誰かに分け与えるという意味なんだ」と教えてくれるのだった。30枚以上も書いてくれただろうか。その後私に向かってポツリと言った。

「いくら練習しても、この名人という字だけはうまく書けないよ」

その顔は一生の悲願を達成した喜びや誇り、そして自信に満ちていた。
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私は米長会長の逝去に接して「追悼はしない」とここに何度か記した。ただ、この一文、米長名人が頼まれもしない色紙を書き続けるくだりで「落涙」した。その瞬間まで涙を流す自分など、全く想像できなかった。コンチクショウ。

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そんな米長がもっとも将棋に裏切られたと感じた瞬間が、理事選に立候補してよもやの落選の憂き目を見たときではないだろうか。それからしばらくの間、将棋界は荒れ果てた。連盟内が米長派とそうでないものに真っ二つに二分されたようになり、怪文書が40通以上も乱れ飛び理事会は対応に追われた。
その翌々年に私は将棋連盟を退職した。

米長は再び理事選に立候補。このときは十分な根回しをして、2年前に反対票を入れた棋士たちを次々に味方に引き入れ、完勝といってもいい内容だった。しかも後輩に当たる中原を前面に立てて自分はナンバー2に回るという周到さも見せつけたのである。そして次の選挙では圧倒的な棋士たちの支持を集めいよいよ将棋連盟会長に就任する。

足かけ5年以上もかけて会長に就任したのだから、名人位についたときのように穏やかになるかと思えばそうはならなかった。瀬川昌司という奨励会を退会してサラリーマンとなっている青年に資格試験を受けさせプロに編入させるというイヴェントを打ち出し、興行的な大成功を収めると、次々と動き出した。手腕は冴えたときもあれば、結果的に女流棋士会を分裂させてしまったように失敗に終わることもあった。

名人戦騒動ののときには新聞社に頼まれて私が出したコメントが気に入らなかったらしく、久しぶりにミサイルが飛んできた。自らのホームページ上でまるで部下を叱りつけるにあることないこと書かれるのである。反論するべきだという友人や棋士もいたが、私は何もしなかった。あまりの米長の子供のようなやり方に呆気にとられていたという意味もあったし、過去に何度も同じようなことがあったので慣れっこということもあった。

半年もすると米長本人から私にいきなり電話がかかってきた。「今度、食事にいきませんか」と誘われ驚きのあまり私は「はぁ」と答えるのが精一杯。それから米長は将棋連盟の今の状態やあり方などをぺらぺらと捲し立て、今度は誰々を「将棋世界」の編集長にするつもりだと一人でしゃべりまくり私の返事も聞かないまま勝手に電話は切れてしまったのだった。その数日後にたまたま会った棋士から「米長先生が大崎さんと和解したといっていましたよ」と言われて更に面食らった。一人でミサイルを撃ち込み、ある日突然、勝手に和解する、そんなことばかりだった。
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大崎氏はそんな米長氏を「自分の人生を大いに刺激してもらったしまた活性化してもらったと感謝している。将棋連盟からときとして伝わってくる暴君ぶりが過剰で辟易することも正直あったが、しかしその中にも何ともいえないユーモラスなところもあり、また底の底は明るさを感じさせる」と述べている。

今では、大崎氏は「外」の方だから、率直に述べもしたのだろう。ただし「中」の方との温度差は相当のものがあったはずだ。

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かって私は米長ほど負け姿の美しい棋士はいないと書いたことがある。今、こうして訃報に触れてみて思い浮かぶのは、大きな戦いに敗れ、その悔しさや哀しみをすべて胸のうちに封じ込め静かに将棋盤に相対する姿だ。それはときとして息を飲むほどに美しく、哀切に満ち、光の中に溶け込んでしまいそうなほどに危うい人間の本質が見え隠れしているようだった。私は将棋記者の一人として、いつも震えるような思いでその背中を眺めていた。

強い逆光の中で和服に身をまとい、将棋盤を前に静かに考え続ける米長の姿は、人間の思考そのものあるいは哲学そのものが浮き彫りにされているかのように冴え渡っていた。今も忘れられない思考という静寂の中にいる米長の姿である。

思えば人生自体が一局の将棋のようだった。敗れては勝ち、勝っては敗れ、その喧噪の中で激しい炎を燃やし続けた。ありとあらゆる駒を使い手筋を駆使し、人生という盤上を縦横無尽に駆け回った。

間違いや諍いや、そんなものもすべてひっくるめ抱きかかえてエネルギーに変えていく。その凄まじい胆力。見事な一局だったというほかない。
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大崎さんは棋士、米長邦雄永世棋聖のファンであったという。その意味でも、バランスを考えた追悼になっているように思う。

ただし、今後も米長邦雄氏のような会長を棋界が排出することがいいことかどうか、勿論これはまた別の話でもある。

Pass

[1179]
世渡り下手爺 (/) - 2013年01月16日 (水) 03時04分

私は、週間ポストを読んではいない。ここで、JCさんが抜粋をした幾つかの文章を見ているに過ぎない。

しかし、年月の立つ事の速さを知り、人生の面白さを感じざるを得ない何かがある。

大崎氏の文章は美しいが、実には丸くなったものである。それが良いか悪いかは別次元としてなぜかため息をついている。

私の知っている大崎氏は「牙をむいた狼」であり、それは賞賛に値する孤狼だった筈だが、今回の内容を見て、その穏やかな表現には、ちと驚かされた。

棋士米長邦雄は確かに魅力のある存在であった側面を持っていたが、それに対する大崎氏の文章には目を見張る何かを感じる。それは「赦す人」を読んだ時に感じた違和感と同じで、何故か馴染めない。

「赦す人」こそ追悼文ではなかったろうか。

時の速さを感じながら、なぜか酒がほろ苦い。

Pass

[1182] 週刊新潮の記事
喝采 (/) - 2013年01月17日 (木) 16時38分

 『週間新潮』の記事。米長さんの連盟運営における負の側面の一部が、公取の調査対象となっているという記事ですね。

 連盟以外の唯一の将棋プロ団体(公益法人)LPSAに対し、米長会長在任時の連盟が、主体性をもって不公正に損害を生じさせていたし、会長逝去後の現在もそれが改められていない。

 小生の感覚では、公取のしごくまっとうな職務遂行だと思います。若干遅きに失している感はありますが。

Pass

[1184]
JC IMPACTU (/) - 2013年01月17日 (木) 21時55分

世渡り下手爺さん

おそらく年齢〈とし〉を重ねると、人は削ぎ落されるものが増えてくるのだと思います。削られていく。だんだん丸くなっていく。

不条理に慣れてしまうということもあるのでしょう。環境も生活も「安定してくる」という面もあるのでしょう。生きることと生活することの「違い」に気がつくということもあるのでしょう。

私は大崎さんには、できるものならば「今まで」というよりも今後は「これから」を語って欲しいと思いますね。




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