【広告】Amazonからスマイルセール!1月31日から開催

BBS言葉の対局室

言葉の対局室管理規定 をご一読、ご了承の上、ご参加ください。
「将棋」に関する話題、提言、人物記、その他「あらゆるジャンル」の議論をお楽しみください。
本掲示板では1スレッドの上限を35に設定しています。継続する場合は、新しいスレッドを立ててください。

2013年8月27日(火)22時より「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室を開設致します。

合計 今日 昨日

ただいまの閲覧者

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
アップロード
URL
削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[441] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信 ※ログ終了※
JC IMPACTU (/) - 2012年04月22日 (日) 16時49分

世渡り下手爺さま

さきほど、web「駒音」〈http://www.koma.ne.jp/〉の〈将棋界雑感〈8〉76.  世渡り下手爺 - 2012/04/22(Sun) 12:37 No.42918 を拝読致しました。

------------------------------------------
通りすがりの者さま

実は、JCさんのHPが今メンテナンス中であるのか、或いは新しくされているのか、のようでして、その為にか最近の評論が消えておりまして、それが戻りますまでお待ちをしている処です。

私としても、是非続けたいなと、考えておりましたので、もう暫く待ってみます。
------------------------------------------

ありがとうございます。
実は私の方に運営会社から「サーバー障害」の情報は届いておりません。また、アクセス管理につきまして、開設当初よりレベルの変更を一切致しておりませんので、何か別の要因かとは思いますが、今回、私の方でも単独スレッドを立てさせていただきました。現在までの進行は、「日本将棋連盟の未来 -過去は変えられないけれど-」にあります〈タイトル左側のフォルダマークをクリックいただきますと、スレッドが出現致します〉

[430] 世渡り下手爺さんへの公開私信(1)
[431] 世渡り下手爺さんへの公開私信(2)
[432] 世渡り下手爺さんへの公開私信(3)
[435] 世渡り下手爺さんへの公開私信(4)

となっております。

今回、そのスレッドの発言はそのまま残しますが、こちらの方に
転載致しますので本スレッドをご確認いただけますと嬉しく思います。

BBS「言葉の対局室」のトップページアドレスは

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/jcimpact.html

となっておりますので、こちらの方にアクセスいただき、タイトルの〈【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〉左のフォルダマークをクリックいただけますと拙見をご覧いただけるかと思います。

「web駒音」と仕様がことなりますので、お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。

このあとに私の発言を移動しておきます。

Pass

[442] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈1〉
JC IMPACTU (/) - 2012年04月22日 (日) 16時53分

[430] 世渡り下手爺さんへの公開私信(1)転載

JC IMPACTU (TGo7q7Qx7s/RyXbgJG7zA) - 2012年04月13日 (金) 00時49分

世渡り下手爺さま

さきほど「web駒音」の参加者のHNをもじった方からメールを頂戴しました。「世渡り氏が私のサイトの発言に応えられている」とのことでしたので、改めて、web「駒音」にアクセスさせていただきました。拙文をお読みいただけましたことに感謝申し上げます。

今回の世渡り下手爺さんの発言で、本サイトにアクセスしてくださっていることがわかりましたので、もし、よろしければ「言葉の対局室」と「駒音」という場を通じて、意見の交換をさせていただければと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。

色々な経緯と様々な偶然を重ねて、こういう機会が訪れたのだなぁ、ということについては些かの感慨を覚えるという面もあります。正直に申し上げれば。

「日本将棋連盟の今後を様々な見地から考えて」という駒音でのスレッドは、私の印象では、もう世渡りさんの望むような世界には戻らないだろうという気もしていますし、私が内心、期待していた「多様なかたちの建設的な対話と議論の場」からも遠く離れていくばかりだと考えております。

私も本件に関する世渡りさんの発言を拝読させていただきますし、世渡りさんは「駒音」でご自身の主張を展開していただければ嬉しく思います。

次回以降、世渡りさんの「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)における「米長さんのお言葉[六]」の世渡りさん発言(2012/04/12(Thu) 22:01 No.42161 )を適宜、引用しながら、世渡りさんや他のみなさんとも、それぞれの「場」で「建設的なやりとり」ができればと思っています。もちろん、こちらに発言していただいても構いません。そのご判断はおまかせ致します。

ということで今日はご挨拶としていくつか。

改めて「駒音」のいくつかのスレッドをざっと眺めてみました。世渡りさんに「はっきり書いて」というリクエストがいくつかあるのをみて、実は、みなさん案外「残酷」なことをさらっと求めるなぁ、と思いました。自分が関心を有することについて「知りたい」という欲求が芽生えるのは当たり前のことですし、応じなければ、それはそれで「出し惜しみしている」という声が上がる。実はそれもまた仕方のないことでもあります。ただ、私の想像ですが、世渡りさんはどこかで「気持ちはわかるけれど、誰か察してくれないかなぁ」とお考えになりながらPCの前に向かっていたのではないかなぁと感じましたね。

書かれた内容というよりは、その行間にある「葛藤」のようなものが、伝わってきたという方が正しいのかもしれません。

「盤側の談話室」で寅金さんが、ある発言者の「遠くから見ているのが一番良いのではないかと思います」という野球界のヒーローへの視点を引き取って「これこそ至言と思います」と述べていますが、私もしみじみそう思います。「大山十五世名人、中原十六世名人、凄い、凄い、強い、強い」それだけの方が、よほど楽でした。

私がある棋士と長時間話した内容について、ここに紹介をすると決めたのは、谷川十七世名人の「守る」発言が引き金でした。その機会がなければ、ここで紹介することはなかったということは確信できます。いくつかの情報が入ってくる中で、噂のレベルやらありそうな話やら、唖然呆然とさせられる話やら、書いたところで信じてももらえないであろう内容やらが錯綜する中で、この「守る」発言は、遂に私の思考回路をぐしゃぐしゃにしてしまったという感じがありました。私は、特段、谷川十七世のファンではありませんでしたが、いわば「自身をあれほど押し殺してきた人が、何故、今回、これほど明快にそう語ったのか、語らせたものは何だったのか」ということです。

日本将棋連盟の未来を考える、語るという上において、この問題が、ある種の輪郭として掴めないと、何を書いても空しくなるばかりという気がしたというのも事実です。

そういう意味では、今回の一連の内容は、ある意味仕上げるのは大変でした。棋士の真意を抽出する中で、できるだけ「現実として存在する状況」を(書けないものはあるにしても、それらを削ぎ落としながら)できるだけきちんと伝えたい、しかし、そう簡単ではなかったですね。実際にやってみると。

ただ、とにもかくにも「現状」をきちんと提示し、認識というベクトルを共有し、そこからスタートをしないと、棋士という実態には迫れませんし、であるならば建設的な議論もなかなか成立しないだろうと、そんなことを考えてもいました。

本筋からは離れますが、LPSAで山下カズ子女流五段が「ツアー女子プロ」として活動を継続されることが過日、発表されました。「駒音」では批判的なコメントが少なからずあったと思いますが、私はそれを今日、みたときに不思議だったんですね。もし組織というものに「情と理」の存在を認めるならば「女流棋士の先駆けとしての大先輩の希望に応え、礼を尽くす。一体その何が悪いのか、渡辺愛さんの今後とそれは全く別の次元だ」と私は考えていましたね。「理」だけで何もかにもが動くわけじゃないと。

今日はご挨拶ですので、このへんにしておきましょう。改めましてよろしくお願い致します。

私は駒音で世渡りさんとやりとりをした中で、確か芹澤さんのスレッドだったと思いますが、野村秋介氏の獄中句「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」を紹介したことを今でも覚えています。

氏の思想を支持するしないは全く別としても、野村さんには間違いなく「覚悟」というものがありました。「俺に是非を解くな」が、もし米長会長に当てはまるのだとすれば「それほどの覚悟はあるのかなぁ」と、当時、私が考えていたからかもしれません。

「情と理」の問題、「仲間」という問題、関係性の問題、掘り下げていくと、意義のある議論になるのでは、と思ってもいます。

>金と銀さん

「何書いてもどうしようもない」とは、少なくとも私は思っていません。私も、そしておそらく世渡りさんも「運動家」ではないとは考えていますが、できることは続けていかないと。

そんな気がしています。

Pass

[443] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈2〉
JC IMPACTU (/) - 2012年04月22日 (日) 16時55分

[431] 世渡り下手爺さんへの公開私信(2)転載

JC IMPACTU (TGo7q7Qx7s/RyXbgJG7zA) - 2012年04月14日 (土) 14時55分

さて、世渡りさんからも意見交換について、承諾をいただきましたので、ゆっくりと始めていくことにしましょう。

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「米長さんのお言葉[六]」

23.世渡り下手爺 - 2012/04/12(Thu) 22:01 No.42161 のものです。

----------------------------------------------------
>「大阪でのペンクラブの会場拒否」問題

この点については、世渡りさんからのご説明でよくわかりました。いずれにしても5月には東京でも交流会が開催されます。来年の開催場所がどうなるかについては、そこからのスタートということになるのでしょう。私自身は、米長会長が昨年の東京交流会の時点では「ペンクラブとは今後も仲良くしていきたい」と発言されたことを会報の紹介にもありましたとおり、存じておりますし、後日、湯川博士幹事が表明された見解についても全面的にそれを支持するという立場をとります。ですから、今の段階で、来年が云々という想像や推測を働かせてどうこうそのことをここで述べようとは思いません。この掲示板にも書きましたとおり、ペンクラブの交流会が「連盟」で開催されることについて、私は私なりの意義を感じておりますし、そのことが今後も続いて欲しいということを一会員の立場として願ってもおります。世渡りさんはスポンサーという立場で「ペンクラブ」については支援をいただいていると広告出稿から推測しておりますし、或いは私が感じている「意義」に近いものをお感じいただけているのではないかと想像もしております。

>棋士の世界は、他の人間には理解が出来ない棋士独特の世界感によって構築をされていますし

この点については私もそう痛感しています。例えば芹澤九段が木村十四世名人に憧れたのは「名人という絶対的な権威」であり、そのことを周囲も認め、権威にふさわしい対応をしてくれる、ということもあったのかもしれません。そうだとするならば芹澤九段が「命を差し出してでも」と回想した意味とは何だったのだろうか、そんなことを考えたりもします。

>実際彼らは自分自身をよく分かった上で、今の連盟を支持しているのです。

「私の実績と手腕をみれば、連盟の未来は薔薇色であり、あなたたちの生活も、報いる者には応える。そんなことができるのは私だけだ。他の棋士には到底まかせられないし、将来の生活設計も私なしではどうにもならなくなるのだよ」米長会長が内部に主張してきたのは、実はそういうことです。

「ああ薔薇色なんだ、じゃあいいのかなぁ。好きじゃないんだけどなぁ、米長さんは」まぁ、そういうことが投票結果に反映されてきたわけです。今までは。

ただ私は公益社団法人の移行を巡る時期に、何度も驚かされたことがあります。大変申し訳ないけれども「年金のしくみ」というものをわかっている棋士は、本当にいなかった。給与制の廃止がどういうことなのか、賞与もなくなるとはどういうことなのか、自分で年金を負担するというのはどういうことなのか。説明する側もちゃんと説明しない。というか説明する側が「わかっていないから」できないといった方がいいのです。私もそれほど詳しいわけではありませんが、話をしながら頭を抱えました。そもそも生活の設計などという意識があるのかないのか。

ある棋士が「生活の困窮を訴えられたこと」があります。生命保険を解約するという。一定期間保険料を支払っているのでしたら融資を受ければいいですよ、と話したら「そんなことができるんですか」という。私は担当の保険会社の方に電話をして手続きを依頼しました。(担当者はいい顔をしませんでしたが)

「これで消費者金融にいかずにすみます」

また、こんな話もありました。

「癌にかかったら保険に入ろうと思います」

「いやがん保険というのは、癌になった後では入れませんよ」というと「JCさんは私を騙すのですか」と怒った棋士がいました。
この棋士はタイトルもとられたことがあります。

>それを知った時には私も悲しくなったものです。「こんな連盟な>ど解体をしてしまえ」、と思ったものです。

私は少し醒めているのか、権力闘争というのはそんなものだろうと思っていました。所帯が小さいだけに尚のこそ、ですが。

政治の世界であれ、大学医学部の世界であれ、そういう話自体は特段、新味を感じるものではありません。勿論、私は「善悪」の話をしているわけではないのです。あえていうなら、そこまでして「頂点」に立って、棋界のために何をやるのか、ビジョンとして何を掲げるのか、ということを問うことも大事なのかもしれません。

世渡りさんは「将棋界はバブルだ」ということをweb「駒音」で述べていらっしゃいます。ただ実質の所得でいうなら、大山、二上、中原会長時代の「棋士」の方が、遥かに多くの所得を得ていますし、あの時代は「四段」になれば、生活は保証されました。芹澤九段が「全敗宣言」していた時の所得は当時で6〜700万円くらいです。連盟からの収入だけで。(彼はB1クラスでした)おそらく、今の方が遥かに厳しいでしょう。

この所得自体が「多過ぎるのだ」という意見はおそらくあるだろうと思います。せっかくですので、世渡りさんのご意見をお伺いしたいと思いますが、総じて、現行の棋士の所得について、どのようなお考えをお持ちなのか、お聞かせいただけますと嬉しく思います。

>私には、現在の連盟の姿がその様な環境から生まれてきた歪な事としか見えません。

そのとおりだと思います。世渡りさんはよくご存知だと思いますが、今の会館が建設される時に、確か、加藤治郎さんが会長の時代でしたが、建設の際の基金を集める際に、今は引退されている当時の理事が「ある企業から大口の寄付を獲得するから、バックマージンを寄こせ」などという話は平然と行われていました。裏の話ではありません。公然と行われていたことです。大山十五世名人が、会館建設の委員長を務める条件は、前体制の一掃でしたし、二上九段、芹澤(当時八段かな)、米長九段らは不正を糺す側に回りました。

私は何だかんだいっても大山十五世名人の時代は「よかった」と思っています。大山十五世名人の「女性問題」など知られてはいてもそれは表に出なかった。写真週刊誌の記者が証拠となるそれを現像したら光にさえぎられて何も写っていなかったなどというジョークもあります。

しかしその大山十五世も晩年はご親戚絡みの「データサービス」を巡る経理処理の問題という厭な面が出てきました。誰が鈴をつけにいったかといえば中原十六世名人です。厭な話だけれども中原名人しかいないというか、現実、できないわけです。辞めてくださいなどといえるのは。

この時に「ある理事」が述べたそうです。「米長さんはやめろよ」と。

中原十六世名人を襲った事件についてはご承知のとおりです。要するに、こんな魑魅魍魎な世界にいれば、普通の感覚ではなくなるのでしょう。誰も信じられないから疑心暗鬼は募るばかりで、だから、とりあえずイエスマンを置く。しかしイエスマンといえども信用できない。故に独裁になる。実にわかりやすいと思いますよ。

私はいわゆる経営部分、金銭を取り扱う部門は米長会長が辞めたところで、誰がやっても今のような時代、まして公益社団法人になった限りは誰が会長になっても、コントロールはできないと考えています。いわゆる「経営」を判る者はいないのですから。

米長会長が辞めても五十歩百歩ですよ。誰かが会長を画策するでしょうし、辞めても隠然たる影響力を作りたいと考える者もでるでしょう。

>連盟はもうもたないと感じ始めているのではないでしょうか。

ここは具体的に絞り込みましょう。

具体的にもうもたないというのは

「経営的な危機」なのか「急速なファン離れ」ということなのか
「社会的な糾弾を受ける」ということなのか、世渡りさんはどうイメージされているのでしょう?

Pass

[444] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈3〉
JC IMPACTU (/) - 2012年04月22日 (日) 16時59分

[432] 世渡り下手爺さんへの公開私信(3)転載

JC IMPACTU (TGo7q7Qx7s/RyXbgJG7zA) - 2012年04月16日 (月) 02時40分

世渡り下手爺さま

「駒音」で本意見交換のための「独立スレッド」まで作成いただきましたこと、深く感謝申し上げます。世渡りさんと私だけではなく「駒音」でも「言葉の対局室」でも、それぞれの参加者やROMの皆さんもご覧いただいていますし、私自身もできるだけ「様々な問題点」を抽出しながら、意見交換ができればと思っています。

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/04/15(Sun) 09:28 No.42308
のものです。(スレッドNo.1)(引用発言は点線内)

--------------------------------------------------
私は、実際に連盟自体は未だにバブルであると感じております。
約十数年程前には棋院は約30億、連盟は20億程の収入がありましたが、その関係は逆転をして、棋院の収入は連盟よりも下ではないかと考えます。もちろん棋院の棋士数と連盟の棋士数は違っておりますし、棋院は改革の後、給料制を以前より撤廃をしておりましたが、個人的な収入源(稽古先の絶対量の違い等)がありますので、金額が下がっても各個人は収入の維持が出来ていたのではないかと想像をしています。
--------------------------------------------------

以下に私が記しますことについては「実態として本当かどうか」は確信がありませんが、ある棋士から、こういう話を聞いたことがありました。

「確かに今年度から普及協力金はなくなりますが、公益社団法人化に伴う優遇税制のことを思えば、そうたいしたダメージではありませんよ」

実はこう語られた棋士が「経理に明るい」という印象が全く感じられませんでしたので、私としては「それはそれは」という程度に話を伺っておりました。

世渡りさんがご指摘のとおり、囲碁と将棋についてプロ棋士が将棋に比べ沢山の稽古先(企業・個人)を有しているという実感は私も日常、痛感することがあります。勿論、その背景には囲碁の棋士たちがアマチュアとの交流に積極的であり、私の知っている囲碁サロンは(何度かそこで、知人と待ち合わせをしたことがあります)まず、綺麗ですし、くつろぎの雰囲気があり、社交のためのサロンという実に洒落たものです。

私は以前、棋士何人かとそんな話をしたことがありました。

「JCさんは、まぁ負けても負けても私たちにおつきあいしてくださいますが、アマチュアへの指導というのは、大変なんですよ。まず、下手側が「駒落ち」を忌避したがるというか、指したがらないという面があるのです。二枚落でも上手が言い分を通しているというのに、少し勝つとすぐに平手という話になる。で、その手合いでは勝負にならないというか、こちらもそんなに緩めないという面もあるものですから、下手は勝てません。それが続くとだんだんアマチュアの方が厭になってくるのでしょう。突然教室にこなくなったりします。つまり習う事をやめてしまう」

別の棋士がそれを引き取って

「そうですね。中級未満、初級以上の大人は難しいですね。持続しないという面が最近は顕著です。不況という問題もあるかもしれませんが、負けることは不愉快ですよ、それは。プロだってそう思います。だからというと何ですが、ふたつの女流も連盟も「子ども教室」の充実に力を入れている。ただし、教えることができない高段者は沢山いますけどね」

将棋であれ囲碁であれ何であれ、それを「芸事を習う」と考えるならば、やはり目標を持って、楽しく、しかし向上心をもたなければいけないと私は考えますし、いわば「芸に接する」機会をいただくわけですから、それを一瞬でも会得するためには、続けなければ「わからない」という気が私はしています。ただし、こういう感覚は一定の年齢を重ねてわかる、というものなのかもしれません。

さて、世渡りさんから提起いただいた囲碁と将棋の「稽古先の絶対量の違い」それは何故、生じているのかということについて、例えば寅金さんは「囲碁も打たれます」し、井上隕石さん、更には駒台は掌さんも「アマチュアと囲碁棋士の距離感、指導の問題や或いはルールの特性面、ハンディキャップの有様(ありよう)など、色々なご意見をお持ちではないかと考えています。もしよろしければ、ぜひお知恵をお借りできればと願っております。
(駒音の当スレッドでも盤側でもここでも、どこでも構いません)

--------------------------------------------------
「見えました」という過去形は、今後の普及協力金が無くなったことや、各棋戦の絶対合計金額自体が減少傾向を見せており、新聞社自体の体力が以前のようには応援を出来なくなりつつあることを考えての事です。結果として、より下位の収入は減ってくるのではないでしょうか。
--------------------------------------------------

ご指摘のとおり、棋戦については過去とは違い、金額に変動が生じていますし、棋戦の序列順位も変わっています。その結果、正会員の構成は、宣言によるフリークラスへの転出、四段の昇格定員を考えれば、このクラスは徐々に増え続けるということになるものと思われます。かってのA級棋士の姿も何人かこのクラスにいらっしゃいますし。

その結果、より下位のクラス棋士の収入は減少します。もう少し言うならば「棋譜も戦績も人の記憶に残らない棋士たちの収入」は低下するということは、なかなか歯止めがかからない。

で、私は「盤側」でこの件については何度か議論をしました。いわゆる「連盟解体論」みたいなところにも通じるのですが、「敗者には何もやるな。誰もみない棋譜など無価値に等しい」という話ですが、私は随分と抗った記憶があります。「普及というのも大きな役割なのだと」「タイトルホルダーやA級棋士は、そういう役目は担わないのだからと」、ということです。

ただ、現実問題として「対局以外の業務」について、適正な分配が今の連盟で執行されているとは全く思えません。ならば自分たちで仕事を創出する以外に「道を切り拓く」のは困難です。

例えばこんな方法があります。

日本青年会議所という組織があります。私は個人的にはこの組織はあまり好きではありませんが、全国に存在しますし、地元の有力企業の二世、三世の集まりですから、基盤はしっかりしていますし、裕福でもあります。この組織と新聞の県紙(全国紙とブロック紙を除く全ての地方紙)に協賛を依頼し、棋戦を創設する。公式戦扱いでも非公式戦扱いでもいい「奨励会員、C1、C2の一定年齢以上の古参棋士と女流棋士の棋戦の創設」です。そもそも男性棋士と女流棋士の「対局」というのが、まだまだ圧倒的に少ないわけですし「男性と女性の対局」ですから、男は負けたくはないし、女流棋士は「勝てば金星」になります。棋譜はそれぞれの県紙に自選記で掲載するわけです。

優勝者は望む手合いでA級棋士やタイトルホルダーを指名して祈念対局を開催。CPU相手ではありませんから「指すな」とはいえないはずです。

普及というならば、今、全国の大学に棋力は別としても「将棋部」はかなり存在しますから、そこに棋士を派遣するプロジェクトの展開であったり、色々と考えられそうです。いずれにしてもそのような「創出」をしなければいけない時期にきていると思いますね。

将棋にしても囲碁にしても、プロスポーツのように「何千人、何万人という観客を集めて、その競技に一喜一憂する」というものでは残念ながらありません。そもそも「どちらが優勢なのか」についても、終盤になってもよく判らない。1回表にジャイアンツが5点とったから、今日はいけそうだ」という判断にならないんですね。「わからない時間」を考えながらじっとみるというのは、一般向けではないのかもしれません。

--------------------------------------------------
そして、それが理事選挙へ与える影響があるような傾向で偏っているとお感じにはなりませんでしょうか。また、昨年度よりは引退棋士・フリークラス棋士に対する新陳代謝を行うこともなく、逆に「彼らに仕事を回しているかのように見せかける」ことにより、下位の方々への収入は、より厳しくなるのではとも感じております。つまりは、「ものを言うべき人間に、物を言わせない方
式」になって来ているのではないかと思っているのです。
--------------------------------------------------

「協力すれば仕事を与える」というのは、間違いなく存することですし、それで(みかけ)協力するという棋士もいます。ただし、私は時々掲示板に書いたりもしますが「人間、生きることと生活することは違う」「人はパンのみに生きるわけではない、しかしパンがなければ人は生きることができない」と考える面があることも事実です。

「クレームもコンプレインもこれだけ存在しながら」それが単なる愚痴であり、改革への動きに結びつかないというのは、どんなクラスにいようとも「勝負師として生きる」ことを決意して、みなさん、この世界に入られたわけですから、おそらくは「俺は弱いんだから仕方がない。波風立てずにひっそり生きていこう。それでも棋士だから」ということでしょうし、前回、棋士の「生活という将来設計について、あまりにも無頓着に過ぎる」という事例を記しましたが、要するに「モノをいわなくても、それを担保に資格を剥奪されることもなく、年間百数十万でも与えられるのであれば、やり過ごした方が得だなぁ」ということではないでしょうか。厭な言い方を承知で述べるならば。

--------------------------------------------------
所得に関しては、このように感じておりますが、JCさんは如何だと思われていますでしょうか?
--------------------------------------------------

http://live.shogi.or.jp/ryuou/tournament.html

読売新聞の「竜王戦」は優勝賞金含めて、対局料が公開されていますので、↑のURLを例に思うことを述べてみます。

1組優勝者の対局料が190万円、6組優勝者の対局料が45万円とあります。勿論各クラスで勝ち抜けばクラスアップしますし、対局料も増えていくわけです。優勝賞金は4200万円。

正直に申し上げればこの対局料なり賞金が「高い」のか「妥当」なのか「安い」のか、というのは私には判断がつきません。要するに新聞社サイドが「棋戦最高賞金額がタイトル戦のブランドクオリティ」であると判断し、それを合意できたのであれば、悪いことではないという気はしています。7番勝負で勝者の一手あたりを換算すればいくらになる、などと弾いても意味もないだろうと思いますし。

むしろ、その賞金額なりクラス毎の「対局料」が高いとか安いとかおかしいという話は、私は聞いたことがないのです。

ただその一方で、今後、履行されるのかもしれませんが、少なくとも昨年度は、全員なのかある特定の棋士なのかわかりませんが「段位×1万円×12ヶ月+会費10万円」が果たされていないとボヤいている棋士がいる」とメディア関係者から聞かされたことがあります。

面白い算出基準だなぁと思いましたね。

(追記)以降の提起につきましては、改めまして拙見を述べてみたいと思います。

Pass

[445] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(4)
JC IMPACTU (/) - 2012年04月22日 (日) 17時04分

[435] 世渡り下手爺さんへの公開私信(4)転載

JC IMPACTU (TGo7q7Qx7s/RyXbgJG7zA) - 2012年04月17日 (火) 02時55分

世渡り下手爺さま

後半部分について拙見を述べてみたいと思います。

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/04/15(Sun) 09:28 No.42308
のものです。(スレッドNo.1)(引用発言は点線内)

----------------------------------------------
私は、第一には「経営的な危機」では、と考えております。

実に、棋士による、棋士だけの、保身的な考えに基づいた、社会観念からは程遠い経営方針であり、それが現状のスポンサーとしての新聞社の立場を理解していない事から起こるギャップをより深めていくのではないでしょうか。それは自分で、自分の首を絞めているのと同じことに見えてしまいます。
----------------------------------------------

----------------------------------------------
また、それも知っていながら行っているように見える事が、より経営を危機的な状態に追い込みかねません。また、昨今のネット関連の問題(ネット配信の同時多発中継等)は棋士に対する目くらましにすら見えてしまいますし、「棋譜」という、よくわからない知的所有権?がより不明瞭となり、問題はこれから多発するのではないでしょうか。経営が計画的ではなく、経験が浅い事に対しての専門的助力を求めることもなく、思いつきで飛びつき的に行動をしている事には呆れております。サテライト・カルチャー・ジャパンの買収劇などはその一例にしか過ぎません。焦りが見えすぎています。
----------------------------------------------

さて、このあたりから少し世渡りさんと私の「考え方」は異なってくるのかもしれません。ただし、それは「どちらかが正しくてどちらかがダメ」というものではないような気がしますし、それはおそらくは世渡りさんにもご理解いただけるのではないだろうかと推察をしております。

まず「棋士による、棋士だけの、保身的な考えに基づいた」という点ですが、確かに一般の企業感覚、CSR、内部統制という問題も含めて、不思議な組織だなぁと思います。

以前、世渡りさんが「株式会社と比較しても仕方ないと思いつつ」という趣旨のことを書かれていました。「棋士」が個人事業主に近いという感覚は私にも非常によくわかりますし、そもそも企業の社員のような「企業との労働契約というような意識」はまぁないと思います。連盟というのは「個人タクシーの協同組合」のようなイメージが私にはありますね。

毎日出社の義務はありません。何時から何時まで「働く」という縛りもありません。各棋戦の将棋を指す。その棋譜を勝手に棋士が公開したり、提供してはいけません。免状を個人が発行するのはご法度です。大きな縛りというのはそれくらいです。棋士はひたすらにコンテンツ(棋譜)を作成し、営業部員は会長以下の執行部が先頭に立ち、メディアと交渉する。構造自体も歪といえば歪です。

収入の大半は「メディア・媒体社・協賛社」から得るわけです。もちろん個人というか、ファンも将棋雑誌を購入したり、大盤解説会に足を運んだり、ということはあるのですが、その割合は微々たるものです。例えばプロ野球ですと、プレイヤーは何万人という観客に「みられる」という実感、球場に足を運んでくれるお客さんの存在を体感として得ることができますが、棋士には実感として、そういうものを感じる機会がありません。スタジアムに広がる大声援や拍手という形で具体的な称賛を感じることができない。実はそれを媒体を通して伝える機関はメディアであり観戦記者です。更にいえば「プロの将棋はプロにしかわからないし対局者にしかみえない」というやっかいな面もあります。

現実に解説者の指し手は対局者とは一致せず、「わかりまらんねぇ」を連発し、「これが羽生さんの手なんですねぇ」と驚嘆するばかり。観戦する方も「ああ、そういうものか」で、更にはそれもまた将棋の魅力のひとつとなっています。

つまり「ファン」と「棋士」の距離が元々、実は遠いのではないかと、そういう構造だろうと思います。棋士が将棋を指して対価を得る環境を維持しているのは「メディア」であり「協賛企業」であるという構造をみれば、彼らの視線は自ずとそこに向かうわけです。

そしてファンは「名人戦」や「竜王戦」といったビッグタイトルの番勝負を様々な場所で断片的に、コアなファンは更に深めて視聴するという、実は「それが満たされればいい」という面があります。つまり「米長体制がどうであれ」多くのファンは、そんなことは「どこにでもあること」であり、私たちは「将棋がみたい」というその欲求が満たされることが第一義なんですね。不公平な棋戦を協賛する企業の商品をボイコットするということはあっても、その棋戦はウォッチする。その棋戦を支えているのはスポンサーである、という自己矛盾の世界もある。極論するならば「米長さんは嫌いでも名人戦や竜王戦はみる」「ナベツネは嫌いでもジャイアンツ戦はみる」ということです。何故ならば、対局や試合を通しての息詰まる熱戦と感動が与えられれば、それでいいからということになってしまいます。だから棋士たちは、米長体制云々よりも「将棋」を大事にする。実は、これはこれで理に適ったことでもあるのです。

私は毎日新聞社は、率直に申し上げるならば「名人戦」の契約料を負担する対価を、他のことに使った方がいいと思っています。ただしここには、読売、朝日、毎日という「意地の関係」のようなものが三社間にありますし、だから媒体は、自社の負担だけで賄えなくなれば、特別協賛をどんどん増やしていくでしょう。その意味では水面下も含めて様々な交渉があると考えますが、同様の手法により、メディアが棋戦を手放すことは「ない」だろうとみています。将棋という文化性を少なくとも一定、メディアは認めていますから、そういう弱い小さな価値のあるものを、なかなか見放すことはできない。そういう意味では「共催」というのは戦略的には優れた手法だと私は思っています。

web配信事業については、個人の加入負担金が安価であることを思えば、今までの既存メディアではできなかった「完全中継システム」というのは、一定の利用は保たれると思います。好きなものを視聴するために、コーヒー一杯、喫茶店で呑まないということは、おそらくそれほど難しいことではありません。こういう双方向のメディアシステムは、棋士にも経験のなかったことだと思います。1980年代の初頭に「ニューメディア」という言葉とシステムがそれなりに世の中で騒がれましたが、結局は定着しませんでした。ただし、それは当時のシステムに「双方向性」という概念がない、もしくは非常に希薄だったからです。

----------------------------------------------
公益法人としては、百年の体系とまでは言いませんが、長期的なビジョンが無く、思い付きだけでの行動は、経営を破たんさせる要因としては十分すぎます。それらの事により、スポンサーとしての新聞社との軋轢は増してくるでしょうし、将棋という文化性を持っている筈の世界が別のスポンサーを求める為には、より「興業的」ならざるを得ませんし、新聞社にとっては応援をし辛くなる環境を自ら行っております。
----------------------------------------------

もちろん、思いつきだけではいけませんが、経営という面には「スピード」が求められるということもあろうかと思います。

私は幸いにして、中学、高校時にプロ棋戦を生で〈対局室〉ほんの数分ですが、観戦する機会が何度かありました。感想戦では後ろの方から、勝負の世界の余韻を体験することもできました。その後、名人戦が中継され〈中原名人は、カメラが対局室に入るということになかなか慣れなかったわけですが)今では更に手軽に視聴できる環境が生まれました。映像というメディアが伝える情報量というものは、おろそかにはできませんし。

私はそのこと自体を世渡りさんが「否定」しているとも考えていませんが、この点はいかがでしょうか。

----------------------------------------------
公益法人として、国からの援助を期待するのであれば、より文化的になる必要を感じます。新聞社は、故大正力が新聞棋戦を考え始めた頃とは状況が違います。三派に訣れて、新聞社同士が棋士を抱えて、「劇場」を作ってくれていた時代ではないのでは。また、次の小菅剣之助を期待できるような夢の世界は終わってしまっております。

歴史的・文化的な将棋を前面に打ち出してこその公益法人取得であり、それを打ち出さないのであれば、新聞社は応援の糸口を失い「より興業的に走る」ようになるのではないでしょうか。これでは、長期的なビジョンを持っているなどとは言えません。
----------------------------------------------

少し御手間をかけてしまいますが、世渡りさんがお考えになる「将棋の文化性」という問題。「興行的」という問題。この点をもう少し噛み砕いていただければ幸いに存じます。世渡りさんのお考えになるこれら「定義」を踏まえた方が、やりとりが「明後日の方向にいかなくて済む」という気がしています。

----------------------------------------------
ファンは、それほど急速には離れてはいかないのではないでしょうか。しかしそれは、すでに現在のファン事態がよりコアなものへと変質をしてしまっているようにも見えるからです。将棋人口を増やすことには時間がかかるものであると考えております。逆を言えば、世界に将棋というゲームを紹介する方が、現実味を感じさせてくれます。
----------------------------------------------

私はファン層というものは、少なくとも私が将棋を覚えた昭和40年代後半から羽生さんの出現以前までの方が、ある意味、遥かにコアだと感じています。当時はご承知のとおり、女流棋士という存在自体が、本当に少ないものでしたし、棋譜に接するという機会も極めて限られていました。そもそも棋士の「生活の基盤」すら認知されていなかった面もありました。

さて、私のコメントも2回に渡って、随分と長くなってしまいました。

これは言わずもがなのことですが、返信は全く急ぎません。

Pass

[449] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(5)
JC IMPACTU (/) - 2012年04月26日 (木) 23時35分

JC IMPACTU (TGo7q7Qx7s/RyXbgJG7zA) - 2012年04月26日 (木) 23時33分

世渡り下手爺さま

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 - 2012/04/25(Wed) 02:39 No.43093 のものです。(スレッドNo.4)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さんの発言を拝読させていただきました。

--------------------------------------------------
実に長くなりましたので、この話は続くものとして本日は終了をさせて頂きます。
--------------------------------------------------

承りました。それではこの問題についてのご見解をお示しくださり、一区切りつきましたらご発言内でお知らせください。私にとっては知らないことが多く、このような視点からのアプローチももちろん歓迎致しますし、区切りの時点で、私の方から、お尋ねも含めて拙見を述べさせていただければと思います。

尚、世渡りさんの方で、今後、アクセスをいただきます場合、

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=jcimpact&mode=res&log=54

をご活用いただけますと幸いに存じます。

私の方でも「独立したスレッド」を作成し、環境を整えさせていただきました。

よろしくお願い致します。

Pass

[452] ご連絡
JC IMPACTU (/) - 2012年04月30日 (月) 00時33分

世渡り下手爺さま

「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)の「JCさんとの意見交流」(6.世渡り下手爺 - 2012/04/29(Sun) 06:02 No.43248)を拝読させていただきました。世渡り氏がアクセスできない原因としてひとつ想定していますことに

「JCさんとの意見交流」トップに世渡り氏が作成されましたハウスマークのURLに(http)が重複していることが考えられます。私もこのハウスマークからのアクセスは不可能でした。

ハウスマークのURLを修正いただき、前回お示しさせていただきました

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=jcimpact&mode=res&log=54

を挿入いただけますと常時アクセス可能になるものと思われます。どうぞ、よろしくお願い致します。

Pass

[453] 見つかりました。
世渡り下手爺 (/) - 2012年04月30日 (月) 16時40分

今まで、表面しか眺めていなかったせいでしょうか、ここへ辿りずけずに居りました。今、やっと出来ましたので^^;今後は問題が無いと考えます。

よろしくお願いいたします。

Pass

[455] おはようございます
JC IMPACTU (/) - 2012年05月01日 (火) 07時24分

世渡り下手爺さま

おはようございます。こちらまで「お運びいただき」ありがとうございました。

>今、やっと出来ましたので^^;今後は問題が無いと考えます。

中原名人の件で「金と銀」氏がこちらに投稿されていますが、氏が「駒音」で、色々とご案内をしてくださっていましたので安心しておりました。

さて「文化性」の問題につきまして「一区切りつかれた」という印象を有しております。改めて私も拝読の上、連休があけて、拙見を述べてみたいと思います。

どうぞ、よろしくお願い致します。

Pass

[464] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(6)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月02日 (水) 09時05分

世渡り下手爺さま

おはようございます。

ここに記しましたとおり「文化性」の問題も踏まえて、連休明けから「意見交換」を再開させていただくつもりでしたが、ここでの拙見につきまして、本日、コメントを頂戴しましたので、この点について、少し進めてみたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/02(Wed) 04:16 No.43335 のものです。(スレッドNo.9)(引用発言は点線内)

----------------------------------------------
彼が、【守ろうとしているものとは?】。一つには、JCさんも触れている「名人」という権威でしょうね。しかし、「名人」が動けば事が面倒となるとは思いません。他に何か、その行動を躊躇しなければならない事があるとすれば、それは、多分「恥をかく」という思いがそこにあるのではないでしょうか。
----------------------------------------------

棋界における発言力やその重みという点で考えますと「名人」の威光は、おそらくこの世界では大変強いもので、永世名人が「この件で何かを表明すれば」他の棋士に与える影響も大きく「将棋を指す」「プロとしての棋譜を提供する」という一義的な部分が揺らいでしまうということではないのかな、と私は考えていました。特権階級というよりは、非常に「身内意識」の強い集団ですから、とにかく「世間の耳目に晒す前に、何とか自分たちで処理したい。できればそういうものは、なかったことにしたい」という意識は非常に強いと思います。そこには勿論、世渡りさんが指摘された「恥」という問題もあると感じています。

----------------------------------------------
今まで起こってきた棋士の異次元での考え方からの「社会性のなかった行動」を、どなたかが「個々にリークをしてトラブルが発生をするのではない」(例えば林葉事件・中原事件)か、といったような疑心暗鬼がある限りは、本当の意味での浄化などは出来やしないと思います。そのような事を許してきた、棋士の根本的な社会観を変えない限り、抜本的な改革など起こるはずもないか
らです。
----------------------------------------------

私は今の連盟をみていると「上場を果たしても、気分は未だに未上場」という企業の姿が思い浮かびます。未上場というのは、ある意味、好き勝手とはいいませんが、企業独自のルールでやることをそれほど咎められるということはありません。「自分たちでやるというなら、どうぞお好きに」という面があります。故に「上場」を果たした瞬間から「窮屈さ」という空気が蔓延することになります。十年も経てば「(社会的に)普通の企業になる」と言われますが、ここで求められる「意識改革」についていけなければ、それこそ社会的に指弾されることになります。ただ、棋士の殆どに、そもそもそういう「実感」が形成されていない。

----------------------------------------------
まずは、将棋界の人間も、他の「同じ社会の中の一員である」という基本的な社会観念を表に出して行動を起こさなければ、どなたかの術中に陥るだけです。
----------------------------------------------

おそらく世渡りさんも私も「魑魅魍魎たる千駄ヶ谷の世界」を直接、間接に知る機会は多かったと思います。ある意味「面白可笑しい」面があるのですね。「これでやっていけるのかしらん」という感じです。私もある時期まで「それならそれでいい」と感じてもいました。これは単なる「愚痴」なのだと。

例えば組織のトップが会員に仕事を依頼する際に「おーい、みんないい仕事があるぞぉ」と、それを記したそのままに文字にして文書を発送する。そんな組織はおそらくありません。自分が個人的に主宰するサークルか何かであれば、お遊びの類で割り切ることもできますが、例えばこういうことを「変だと、おかしいのではないかと言える感覚」というのは、実は重要なことだと私は考えています。

----------------------------------------------
基本概念から言っても、現在の棋士に必要なことは、【「公益社団法人日本将棋連盟」の一員としての社会性を持つことがこれから求められている事からも、改革に対して、過去の下らない細かいゴミは全て消し去って、キレイになる心構えがあるかどうか】だけではないでしょうか。いくら、居心地がよくとも、そこには現在の社会性が欠如をしてしまっているからです。まぁ、それ
で、棋士各位の個性が失われることもないでしょうからね。
----------------------------------------------

この点についてはそのとおりだと私も思います。私は「現会長」が、例えば今までの選挙で「会長」として選ばれ続ける理由は何だろうか、ということを以前考えたことがあるのですが、それは「B2 C1 C2の古参棋士たちの生活も視野に入れた施策の実現(のようにみえるもの)」を一定、示してきたからではないかと思っています。LPSAの分裂問題の最中(さなか)に、ある棋士が「いつまでも女性と言うだけで得はさせない」と呂律の回らない口調でそう繰り返していました。「何と世間の狭いことよ」と、私は実に厭な気がしたものですが、なるほどこの意見が男性棋士たちの内面にあるのだとするならば、少なからぬ棋士たちは米長会長の方針を是としたのかもしれません。

私は以前から別のサイトでも述べていましたが、連盟の「公益法人化」は実現するだろうという確信に似たものがありました。類似や競合する組織もなく、伝統もあり、メディアとの関係からいっても「公益化」を阻むものが(みかけ上)存在しないからです。

更には「公益法人化」されることによって、この組織に自浄作用が働くならばそれもよし、働かないなら、少なくともトップは責任を問われる。行政官庁は「臍の下」レベルで腰は上げませんが、いわゆる「経理的な不正」には案外敏感なものです。この点が問われれば、谷川十七世名人が「守る」と声をいくら枯らしたところで、守れはしないからです。

そして、こうも考えています。今日では日本将棋連盟のトップが「棋士」である必要はもうないといえばないのです。専務理事、常務理事は、棋士が入っても構いませんが、少なくとも彼らが具申してきた案件について「千駄ヶ谷の論理ではそれは通るのかもしれないけれど、社会通念としては到底認められないよ」と、そういうことを「教育できるトップ」が求められていると感じています。棋士から選ぶから、そのたびに妙な粛清がおこり、イエスマンが配置され「我々の若い頃はね」という煙幕みたいな話にみんな目をつぶってしまう。将棋が強くなくとも、或いは全然わからなくとも、そのことと「トップの資質や経営センス、倫理観」とは全く別の次元の問題ですから。

自分たちで改革できないのであれば、自立もできません。

----------------------------------------------
しかし、プロの機関との融合となりますと、さてどうでしょうか?政治色を嫌うことは相手も同じで、各県・各都市単位での町興し的、棋戦の招致等の単年度計画で終わってしまいそうなんですよ。「青年会議所には子供」これって、ワンペアでなければ意味がないと思います。
----------------------------------------------

なるほど、これはご指摘をいただいてみると、そのとおりですね。継続性を考えれば、世渡りさんの意見の方が長い目でみるならばより有効ではないかと感じます。

世渡りさんご承知のとおり、web駒音でも「連盟解体論」に近い「護送船団方式」への批判が顕著にみられるようになりました。私は、今からの「連盟」が「現状のB2、C1、C2のタイトル戦出場の機会もなければ挑決にも絡まない、記憶にも記録にも残らない棋士に対して、どういう方向性を今後、打ち出していくのか」この点に注目しているものですから、どうしてもそういう視点で物事を考えてしまいます。

現実問題としては彼らは事実上は「教室運営、指導対局、出稽古など」のいわゆる「レッスンプロ化」している面があろうかと思います。アマチュアの世界でも、実力三段、四段となると、まだまだ少ない(というか簡単にはなれない)面があります。ただ、大人は「将棋のような激しい世界」は、年齢を重ねるごとにだんだん辛くなってくるでしょうし、対価を支払い負け続けるということについての耐性が希薄になってもいます。趣味に費やせる時間も金銭面も圧迫されていますから、なかなか持続しない。

となれば居ながらにして楽しめる「環境」に寄り添うことがおそらくは求められるのだろうと思います。となればwebでの指導対局をもっと増やすということは考えられるのかもしれません。

極端なことを言うならばそのサイトには「24時間」誰か専門棋士がいる、というものです。対価を支払うケース+いくつかの信販会社(クレジット会社)と提携して、ポイントに応じてそれをweb対局に転嫁できるという方式も導入してみる。日本全国どこにいても「プロ棋士といつでも将棋が指せる」という環境を作ることによって、いわゆる地域間格差は解消されるという面があります。

回数や利用実績に応じて、A級もしくはタイトルホルダーとの指導対局も受けられるというスタイルです。私は、そこで一定の成績を得ることができれば、奨励会の入会検討資格を与えてもいいと思ってもいます。その後の面談や一定の条件は更に必要となるにしても。

----------------------------------------------
プロ棋士の所得に関しましては、対局料等は確かに減っているでしょう。棋戦の契約金額が減っている以上は仕方がない事ではあるでしょう。しかし、これまでには朝日新聞の普及協力金や文化庁の協力金で普及事業なるものをやっとたわけですよね。そこで支払われてきた金額は対局料の減る金額よりは総体的には多かったから不満もなかった。
----------------------------------------------

そういう面はあるかもしれません。ただ、どんな状況下であったにしても「露骨な不公平感」というものがあり、それがいよいよ多くの棋士にとっても気づく機会が増してきた、という気もしています。

----------------------------------------------
もし、【経営対策】として取得をしたのであれば、それなりに効果のある手法は数限り無くある筈で、その使い方が分からないのでは?と考え込んでしまうこの頃です。
----------------------------------------------

そもそも棋士に「経営」という感覚がどこまであるのだろうかという気もしなくはありません。(身も蓋もありませんが)ただ、これだけ「言いたいことが言えない」組織では、何も考えたくはないということなのでしょう。今回「理事を増やす」という話もあるようですが、だんだんなりふり構わずという感じにはなってきました。

Pass

[465] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(7)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月03日 (木) 13時14分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/02(Wed) 21:17 No.43343 のものです。(スレッドNo.10)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

----------------------------------------------
意見が合いすぎるのもどうかとは思いますが
----------------------------------------------

こうやって「やりとり」をさせていただくことによって初めてわかるということが私にはありました。おそらくは最も驚いているのは他ならぬ私自身ではないかと自分自身を振り返っているところです。といいますのは、

----------------------------------------------
実にそのクラスの棋士が一番厄介であるのでしょうね。「先は見えてしまった、一方で連盟からは離れたくはない(他の職業で働く意欲は無い)、その為にはより保身的な行動となる」のような感じでしょうか。ならば、自分たちの道を探しなさい、と言いたくなります。
----------------------------------------------

私は世渡りさんはこういう主張はされない方だと一昨日まで考えていました。「棋士の世界や棋士という方々の魔力にも似た魅力溢れる世界」を世渡りさんはよくご存じの方ですから、いわば「彼らの組織総体をも守る」視点で、物事を考えていらっしゃるのだろうと感じていたわけです。そう、極端なことを言えば「記憶にも記録にも残らない棋士も守る、或いは守りたい立場」ということになるのかもしれません。

正直に述べるならば私は心情的には「そういう立場」なのだなと思います。引退棋士も合わせれば250名程度の組織ですから、数的には微々たるもので、彼らはいずれも将棋に関しては、子どもの頃から周囲の中で卓越した才能を如何なく発揮してきた。いつの時代も奨励会は厳しい競争社会で、それを突破し「四段」といういわば「正会員の資格」を得た者は「プロ」と呼ばれます。

勿論、昇段後、彼らには更に厳しい「競争の世界」があり、棋譜が新聞紙面に一度も掲載されることなく、それでも「この世界」と決別できない棋士もいます。平成22年度の総収入が26億5000万円ぐらいですから、売上からみれば、一人あたりのパーヘッドは1000万円ぐらいでしょうか。中小企業でもこれより高い数字を示すところは沢山あります。甘いと言われればそれまでてすが、社会全体や企業協賛で「守ることができる社会」であって欲しいという気はしなくもありません。保護するに値するものではないかな、と感じるところもあります。スポーツのような興行形態にはどうやっても「なれない」ということを考えれば、ですが。

世渡りさんが冒頭示した発言No.の中で語られていることは、ある意味「連盟解体論」に通じるものがあります。勿論、それ自体を私は批判しているというわけではありません。私自身も「そろそろ棋士の手には余る時代になってくるだろう」とは感じていますし、そもそも経営改革などというものを今の体制、つまり棋士たちだけでは「絶対にできはしない」と思っているからです。外部の人間がある意味、冷徹に旗を振らなければ、おそらく事は一歩も進まない。

何故ならば「棋士というムラ社会で仲間を斬り捨てるような施策を自分たちで推進できるような力がそもそもない」からです。ムラ社会であれば「仲間を守る」というのは、法や規則、規範に先んじても取り組むべき「掟」ですから。「掟」と「村八分」が存在する社会なんですね。連盟という組織を眺めていますと。

さて、この問題は、とりあえず置くことにしたいと思います。私なりに考えたこともありますが、これは「愉しみのひとつ」として後半にとっておきましょう。

今からは「女流棋界」をテーマに世渡りさんのご意見を拝聴できればと思います。そう、LPSAについてです。

分裂から今日に至る様々な経緯につきましては濃淡は別としましても、両サイトの読者はある程度ご存じのことと思いますので、ここでは省きます。世渡りさんはかってLPSAの相談役という立場にいらっしゃいましたので、おそらくはこの組織の長所も問題点もいちばんご存知ではないかと推察しております。

私はこの意見交換が始まる前の「前段」として、山下カズ子さんの「ツアー女子プロ編入問題」のことについて触れました。この点については「駒音」でも批判的な視点に立つ方が多かったように記憶していまして、そのこともまた私を驚かせました。

今日、ここ数年間でいうならば山下カズ子女流五段の棋士としての存在は、おそらくは「記憶にも記録にも残らない」ものでした。今回、山下さんは「公式戦出場資格」を失い、いわばそれを受けての、本人の希望も含めての措置だったのだろうと私は認識しています。

私はLPSAという組織が、いわば女流棋界の先駆け的な存在のお一人でもある山下カズ子女流五段を、この世界の大先輩として、敬意を表し、遇するという今回の措置を批判するつもりは全くありません。前にも書きましたが「いいことじゃないか」と思っています。組織というものに「情と理の存在」を認めるのであれば、むしろ評価されてしかるべきことです。渡辺愛さんを今後、どう見守り、力をつけてあげるか、その道則を如何に指し示していくかということとは、全く別の問題だと私は考えています。時々の強さだけが絶対じゃないとも思います。

これは或いは「連盟」の問題とも「かぶる」部分があるのかもしれません。今回の山下さん問題について、世渡りさんのご意見をお聞かせいただければ、と思っています。

私は以前、現代表の石橋幸緒さんと「連盟への復帰」という問題についてやりとりをしたことがありました。「いつか無理なく一緒になれれば」というご意見だったと記憶しています。

しかし、少なくともこの一年間をみる限り、私は「一緒になったところで、いいことなどあまりないのではないか」と思うようになりました。公益法人認可日の直前に、連盟会長は「奇怪な勧誘」というか「踏み絵」というか、そういうことを行いましたし、その結果も踏まえてのことではありますが、私は会長が誰になろうがどうなろうが、いずれにしても戻ったところで「外様」扱いはみえていますし、今のLPSAのような意思決定の方式はとれません。ならば何も窮屈な思いをすることもなく、自分たちで運営できるだけの「力」を蓄えて(←これが難しいのですが)いけばいいという気もしています。

ただ問題は、今のトップUも、他の棋士たちも、いわば「人間の約束」として、必ず年齢(とし)をとっていきます。老いていくわけです。ファンクラブイベントで、サザエさんの鬘(かつら)かぶって笑いをとれる時代というものがいつまでも続くというわけでもありません。何より懸念するのは、新しい会員が入ってこないということです。そういう意味では「問題」が山積しているようにもみえるわけです。

世渡りさんからごらんになっての「LPSAの未来、或いは今後の展望」ということについて、御教示をいただければと思います。どうぞよろしくお願い致します。

以下は余談です。

ご承知のとおり、私は中原十六世名人のファンでもあります。その影響を否定するつもりも勿論ありませんが、立場の違いはあるにしても、まぁ、どこかの常務理事は除きますが、高柳門下の棋士には頑張って欲しいと思っています。

ご承知のとおり清水市代さんも石橋幸緒さんも高柳一門ですし、しかも二人は師弟関係にある。この二人の関係というのは、どういうものなのだろうかと考えることもあるのですが、私にはさっぱりわかりません。というかみえないんですね。

ただ、私は清水さんがあからと対局した時に、会場にCPUの開発者だったかの写真が飾られているのをみて「私も何か」と、盤の側に「会長」の写真を飾りました。この「精神」は私には全く理解できないというか、赦しがたいものがあります。

まぁ立場上わからなくもないということはともかくとしても、ならばそこに「高柳名誉九段の写真」が何故一緒に飾られないのかと。

清水市代を見守り育てた棋士は一体誰であったのか、ということです。以来、私は一秒たりとも彼女のファンでありたいと思ったことはありません。

Pass

[467] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(8)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月04日 (金) 01時49分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/03(Thu) 21:04 No.43361のものです。(スレッドNo.11)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

「web駒音」のひとつの特徴と申し上げていいかと思いますが、いわゆる「連盟に対して批判的な立場」の書き手(おそらくこの層が多数を占めるものと思われます)と「連盟を擁護する立場」の書き手の間で、一旦、論争が始まると「本質の問題」がどこかに吹き飛んでしまい、私自身、それを追うのを何度か諦めたことが、実はありました。「LPSAと連盟女流」の問題についても、何かこう「これからの女流棋界の発展」というよりは「枝葉の部分」から話は進展せず、時に「挑発と人格攻撃」ばかりが目立ってしまう。私はそのことを残念に思っていた一人でもあります。

世渡りさんと私との間では、幸い「それぞれの場所」からの意見交換が実現する運びとなり、私自身「ご本人に直接お尋ねをする機会は今後、どこかであるかもしれない」と、悠長に構えていた部分も実はありましたが、改めてお話を伺うと、やはり意外なことが少なからず示され、そのことに驚きを感じてもおります。

ということで、もう少し、この「LPSA」の問題におつきあいいただければと思います。

その前に

----------------------------------------------
しかしながら、JCさんが書かれている通りで、外部からの旗振り役がいなければ、その指針さえ社会から逸脱したものが作られてしまうという
----------------------------------------------

世渡りさんが示された「組織改革」というものは、それが必要なものであるとしても、既存の会員の「身分保証」を大きく揺るがすことになります。こういう御旗を打ち立てて、今年でも来年でも理事が立候補したとします。彼は当選するでしょうか。私はしないと考えます。それこそ現会長は「全ての棋士を守り続ける私の実績を評価して欲しい」この一言で「多くの名もない棋士」は現体制を支持することでしょう。愚痴をこぼしながら。

大山さんの時代から数えても、そんな提案が行われたことは実際にはないと思います。今のフリークラス制度をみましても、宣言者の中に「ああもう順位戦はしんどいし、引退もしなくてすむことを考えれば、助かりました」そう口にする棋士を私は何人か知っています。勿論、そういう棋士の中にも、いきなり師匠に金の無心に走る者もいれば、普及活動に積極的に取り組む方もいます。このあたりも実は様々であります。

山下さんの件については

----------------------------------------------
意味もなく、その実行を現執行部が行うことも有り得ないのではないか、とも受け止めてはおります。
----------------------------------------------

と世渡り氏は「駒音」で述べていらっしゃいます。私もそう思いますし、これは想像ですが、意外と話は単純で「大先輩が将棋をLPSAの一員として今後も指し続けたい」という希望に、理屈抜きに応えたかったということなのかもしれませんね。勿論、全ての所属棋士にこれが認められるというわけではないと思いますが、私は「ああ、いいことをされたな」と単純に考えているところです。

----------------------------------------------
基本的に、LPSAは連盟の体質をしょって新しい団体を作ったものであると考えております。そこに個人的には疑問を持っておりました。考え方の基本がそれほどには違ってはいなかった事にはある意味驚かされました。
----------------------------------------------

驚いてばかりというのも何ですが、私はやはり、心底驚きました。だからというわけではありませんが「駒音」の書き手、或いは読者の方々も、この発言には相当の驚きと戸惑いを感じられたのではないかな、と感じています。

ここに女流棋士会分裂の経緯のご説明という当時の女流棋士会が発表された資料があります。公益法人後、一定の条件が緩和されましたが、この時点で全ての要求が却下された以上、独立への動きが加速するのは、当然だろうという認識が私にはありました。

(1)非公式会談と米長会長コメントの内容も実に不思議といえば、不思議なもので、こう言われたのであれば「独立しよう」と考えても私は全く不思議なことではないと思います。もっというなら「独立させたくもあった」というのが本音だったと思いますね。

寄付金の問題を巡って「連盟」が慌てたというのが実態だろうという感じもしますが、私自身は最終的な結果としての「独立志望17名・残留39名」が、何とも残念でならないという気がしています。もし、この数字が「逆」ならば様相は随分と変わったのではないかという気もしています。

私は当時の中井さん、石橋さんが要求したことは社会通念上、これを置き換えてみても不条理なことではないと感じますし、そういう志が、なぜ、どのようにして瓦解していったのか、実に不思議なのです。勿論「切り崩し」は相当のものがあったでしょう。しかし、これは「志」の問題でもあるわけですから。

そういう点も含めまして、勝手なお願いではありますが、可能な範囲で「連盟の体質をしょって新しい団体を作った」という点を少し補足いただければ嬉しく思います。

それともうひとつわからなかったのは、

http://www.shogi.or.jp/topics/2009/11/post-233.html

です。ここに至る過程で「どういう力学」が働いたのか、私にはさっぱりみえてこなかったんですね。もっというならば、当時の中井さんに「勝算があったのか」「あったけれども読み間違えた結果なのか」「何か全く別の理由が存在したのか」ということでもあります。

「松本事件」については次回に改めますが、今回の「王将戦騒動」というか、氏の突然の「web上における失踪も含めて」何故LPSAは、少なくとも表向きは沈黙されたのか。勿論、非公式の水面下で「動いた」というのであれば、それはそれで全く構わないことだと私は思っています。しかし「そういうこともしない」ということであったならば、それこそ「何故」という疑問符がついてしまいます。

一ファンという立場でのご感想、ご意見などを頂戴できますと幸いに存じます。どうぞ、よろしくお願い致します。

Pass

[469] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(9)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月04日 (金) 22時50分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/04(Fri) 20:16 No.43382のものです。(スレッドNo.12)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

実は以下の話を棋士のひとりから伺ったのか、棋界関係者からの話だったのか、それとも何か別のところでだったのか、私自身記憶が曖昧になっている面があるのですが、世渡り氏ご自身が米長会長本人から「女流の面倒を何とかならないものか」というご相談を受けたというような話に接したことがありました。これはもし間違いであるならば、その旨、お示しいただければと思います。

いわゆる「石橋メモ」につきましては確かweb上に示されたものを私も読んだ記憶があります。要するに「出て行ってくれ」というような話ではなかったかと記憶しています。何か交通費の類についても言及されていて、ほぉと思ったものでした。

連盟HPの文書は普通の感覚で読むならば「矛盾に満ちた点」が沢山あります。ただ私は「会長自ら独立を推進する立場をとりながらも、その方向が180度変わってしまった背景」が実にわかりにくいんですね。

例えばひとつの推測として

「女流で成長も発展も望めない、使えない棋士だけが出て行けばよいと高を括っていたら、意外と本気なので慌ててしまった」

ご承知の通り連盟の主張は途中から「理事会としては女流の独立は全員一致を望んでいた。しかし準備委員会は弁護士を前面に立てて協議に当たったり、寄付、発起人、賛同人集めなどの準備に行き過ぎた面があり、女流の中に、反対、慎重派が増えたため、これ以上、放置できなくなった」(中原副会長談)と明らかな変化をみせます。この一方で「切り崩し」を平然と行う将棋連盟の感覚というものは、私には理解不能という他はありません。

世渡りさんもご自身の発言で

----------------------------------------------
その直後に、会長氏の会見が行われ、切り崩し工作が始まりました。それは、極めて辛辣な、また異常な切り崩し工作であったとだけ書いておきます。これは、書くことさえおぞましい内容であり、今はここまでしか書きたくはありません。
----------------------------------------------

と書かれています。勿論、私は世渡りさんのこの点についてのご意向を尊重します。正直に申し上げればLPSAも独立して5年が経過致しまして、当時の問題は、或いは「ひとつの歴史的な出来事」として語っていただけることも可能なのかな、という思いが私にはありました。勿論、視点の数だけ「事実がある」と申し上げていいのかもしれません。そして、おそらくはこういう問題は「LPSA」に属するみなさんは「語りたくとも語れない」ものがあるだろうと考えてもおりました。何故ならば「立場」が弱いからです。「今更何を」といった言葉を投げつけられるからです。「そんなことを振り返る以前に、女流棋士としての力をみせてみろ」という、実は全く異なる次元での「空気」に押し潰されてしまう。

ただ私は「そのこと」と「この問題」は全く別だと考えています。歴史というものは、それを知る者が何かを語ることによって作られていくという面があると考えてもいます。そういうこともあって前回は、少し踏み込んだ話をさせていただきました。ただし、それは一面的な見方でもあり「今後のLPSAと連盟」にとってそのことを開示する時期としては尚早であるという考え方も当然あるだろうと思ってもいます。

さて、繰り返しになりますが、少なくとも当初「出て行って欲しい」という立場を鮮明にされた米長会長は、世渡り氏が「書くのを躊躇われる」ほどの露骨な「切り崩し工作」を展開されたのでしょう。この点につきまして、世渡り氏が考えていらっしゃる「理由・背景」についてご意見をお聞かせいただけますと、私の理解ももう一歩、深まることになるのではと考えております。

----------------------------------------------
これは、一方的に連盟側から出されたものであり、LPSAはそ
れに対して承諾などは致しておりません。
----------------------------------------------

これも私には「驚天動地」のご指摘でありました。

日本将棋連盟とLPSAの共同声明の冒頭には当時の代表(中井さん)と合意したと明記されており、文書の最後には押印欄があります。

つまり

「文書は存在するが、当該文書の「公開」を許諾したものではない」もしくは「最終合意以前に連盟サイドがリークした」といういずれかを指してのことかと、私は理解をしました。この点の私の理解について誤りがあるようでしたらご指摘をお願い致します。というのは、いくら何でも「中井さんが全く知らないところで、この文書そのものが作成され、それが公開された」と考えることはいくら連盟とはいえ、考えにくいものがあるわけです。おそらくは押印も中井さんは承知しているという話で、そうでないならばこれはもう偽造そのものになってしまいます。

果たして「合意文書が作成される過程で」LPSAの内部でどのような議論があり(おそらく百出であったと推定されます)是とする主張、非とする主張、様々なものがあったのだろうと考えています。

私はこの文書を見たときに「ああ、これが連盟復帰シナリオの第一歩なのか、そういうことを望む棋士が少なからず存在するのか」ということをまず感じました。しかし、ちょっと待てと。

「甘過ぎるのではないか」これこそが「会長の掌で死ぬまで踊り続けるという誓約書ではないか」と考えたわけです。一体、誰がこういうシナリオを描いたのか。実に複雑な思いに駆られました。「中井さん、あなたは今、師匠に一体何を頼ろうとしているのか」ということです。

私のこの「読み」は間違っていましたでしょうか。現実にはこの「連絡協議会」は、振り返れば何であったのかという結果になったわけですが。

Pass

[470] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(10)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月05日 (土) 13時33分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/05(Sat) 03:24 No.43389・2012/05/05(Sat) 10:47 No.43393のものです。(スレッドNo.13・14)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

----------------------------------------------
この件に関しましては、米長会長の考えは、「女流は独立をして、連盟の下部組織として連盟に従属する団体となる。」であったのです。ですから、完全に独立をされては困る訳です、いつでも連盟の自由となる立場に置いておきたかったのでしょう。(中略)
これは、実は壮大な計画でもあったのです。連盟が公益法人を取得するためには、女流も男性棋士と同じ立場にならなくてはならない、が当時の公益法人等認定委員会の掲げている趣旨であるとすると、「女流をどうするのか」が、連盟が解決をしておかなければならない問題の一つでした。一方で、「出ていけ」と言われた女流棋士会は、どうすれば自分たちで自立が出来るのか、が大きな目標として突きつけられた感を否めませんでした。実際に、連盟内での当時の待遇は女流が今後生きて行く為には過酷過ぎたのも、彼女たちが真剣に独立を目指した問題でもありました。

しかし、当時の連盟内の事情(男性棋士の総体的な意見)は世間とは違う(当時の公益法人等認定委員会の見た目から)常識で溢れておりました。今でも多分そうなのでしょう。奨励会を卒業も出来ない女流を男性棋士と同じ待遇になど出来やしない体質があるのはJCさんもご存じの事でしょう。
----------------------------------------------

なるほど、このご説明で私は随分とみえてきました。要は「別組織としての独立」などは、会長以下、理事会の頭にはそもそもなかったということなのですね。しかし、これでは「女流棋士」の待遇改善や権利も結局は積み残されることになるでしょうから、女流棋士からみれば、殆ど意味をなさないことになります。で、寄付金の公募あたりから「パイの奪い合い」のような状況が出現したということになったのだろうな、と考えています。

----------------------------------------------
当初、独立に向けての動きの一つに、どのようにしてスポンサーを募るのか、という問題がありました。全員で独立を果たせれば当時からの女流のスポンサーはついてくれる可能性はありますが、それだけでは地位向上は果たせませんし、女流の経済的立場が変わる訳でもありません。その為には、新しいスポンサーが必要となりますし、その営業力をどのようにして見つけるか、が一つの目標でもありました。女流サイドの考え方の一つには、代理店方式がありました。そして、ある大手プロダクションとの話も進展をしておりました。しかし、それは分裂により難しいこととなり、一時的な負担をファンに強いる形となったことも事実でしょう。
----------------------------------------------

ここに世渡りさんが書かれた「それだけでは地位向上は果たせませんし、女流の経済的立場が変わる訳でもありません」というコメントを非常に重いものとして私は受け止めています。おそらくは「地位向上も経済的立場も」結局は「強くなる、強くあり続ける」ことに帰結するからです。勿論、女流棋士個人が、糊口を凌ぐために「企業や個人の稽古先」をいくつか有していることを私も知っていますし、それはなかなか表には出てこない部分がありますが、実際は「棋士とレッスンプロ」という図式はもう既に存在するようにもみえます。

ご承知のとおり、今は里見さんや加藤さんといった「奨励会所属の女性棋士」が注目を浴びています。また、女流棋界においても彼女たちは「違う存在」としての実績を生み出しつつあります。

私はLPSAの「ガールズ将棋プロジェクト」「女子将棋の日制定ならびにイベント開催」といった普及活動を高く評価していますし「女性で将棋を指す、楽しむ人々」を増やすといいますか、数の底上げをやっていかないと「強い女流を輩出することに結局はつながらない」という思いもあるわけですが、彼女たちが奨励会の道を選ぶためには連盟に属することが必須条件となり、歪な状況というものが改善されません。

----------------------------------------------
現在の2つの組織が反発をしあわなければならない状況は、まずは排他をしませんと、将来を語るところまではたどり着けはしません。(2012/05/03(Thu) 21:04 No.43361より)
----------------------------------------------

なるほど、まずはここからということになるのでしょう。しかしそんな時代は本当にやってくるのでしょうか。私は甚だ懐疑的でもあるのですが。

さて「連絡協議会」の問題に入ります前に、このサイトの「某月某日- nonsection genre - (7) -」というスレッドでの「金と銀」氏と私のやりとりをここに示したいと思います。

「清水・石橋の師弟関係がさっぱり見えてこない」とここに記した私の発言を受けての「金と銀」氏のコメントです。

----------------------------------------------
不思議なのは、当の二人からも、他のどこからも、何故別れ別れになったのかということの話が既に5年以上経過したにも拘わらず一切出てこない。
世渡りさんもまだ話されていないようです。
([466] 清水・石橋の師弟関係より引用)
----------------------------------------------

流石にそれぞれの組織のトップランナーであり、石橋さんは代表でもありますから、今はなかなか語ることはできないという面もあるのだろうと私は想像していますが、同じ門下であり師弟関係があり、というこの二人の「この問題についての」関係性といいますか、蠢きのようなものが見事というほど出てこないのですね。どう思っているのかさっぱりわからない。いずれ機会があれば石橋さんのお母様にでも尋ねてみようかと思うほどに、です。世渡りさんはこの点はどうお考えでしょうか。

私はあの独立騒動をみたときに「女流棋士としての、それぞれの生き方がこれほど問われたケースもない」と思っています。そういう意味で、例えば矢内さんのようなタイプの方は、私は生涯支持したいと思わないんですね。ああいう要領の良さは厭だなと、単純にそう思います。こういう棋士は強くなれないだろうなと偏見と言われようが何と言われようが、私はそう思っています。

問題の「連絡協議会」ですが、

----------------------------------------------
当時のLPSAの中井代表が米長会長に呼び出され、その文書をその場で飲め、というものでした。私は、そこで中井代表がどのように返答をしたのかを正確には分かってはおりません。しかし、その話は一度もLPSA内での理事会には出てはいない内に、その発表があった、としか書けません。
----------------------------------------------

これは驚くべき内容です。この事実だけから読み取るならば、中井さんは「ユダ」ということになるからです。仲間に諮らず自身の地位だけで独断でこれを決める。そのこと自体は「裏切り」と指摘されても仕方がありません。

最近の週刊誌の記事にありましたが、米長会長の哲学は「師匠がどんなことをしても庇うのが弟子の使命」なのだそうですから、まさか中井さんがそれに準じたとも考えたくはありませんし、おそらくは「今後の展望に疲れたのか」「或いは内弟子経験を有するものとしての絆をそこにもう一度求めたのか」「自分の思い通りにならないことが苛立たせたのか」「或いは中井さんもまた、LPSAにあっては(米長的)であろうとしたのか」そのあたりは私にはわかりません。ただ、ここにも魑魅魍魎がある。私はそう感じました。

----------------------------------------------
つまり、その件に関しては、それまでの米長氏の行動と同じで、自分で提案をし、その内容を発表したにもかかわらず、ご自身でその合意書を反故にし、立会人である大林氏の立場を侮辱した、という事になりました。
----------------------------------------------

つまりはこういうことの繰り返し、それが米長体制の歴史そのものであると申し上げていいのかもしれませんね。

どうも、LPSAに対する連盟の話を続けていますと、お互い、あまり精神衛生上、よくないような気もします(笑)次回の世渡りさんの意見を受けまして、そこでもう一度総括をさせていただいたあとに「中原-林葉問題」にステージを移したい、と考えているところです。

引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

Pass

[472] ご連絡
JC IMPACTU (/) - 2012年05月05日 (土) 21時28分

>喝采さん

ご指摘のとおり、中井さんの師匠は佐瀬勇次名誉九段でしたね。私の中には、これは記憶違いだったのですが、中井さんも米長九段宅での「内弟子時代」があるものと錯覚していました。

師匠ではなく「兄弟子」と記述すべきでしたね。当該発言はそのまま残しますが、ここに訂正致します。

意見交換スレッドでは「寅金氏と世渡り氏のやりとり」が始まりました。私なりに考えることはありますが、それはここで私が目指すこととは「次元の異なる話」ですので、この点について拙見を述べることは控えます。ただし議論の当事者である世渡り氏、或いは寅金氏から見解を求められた場合はその限りではありません。

私の前回の発言についての世渡り氏のコメントは全く急ぎませんので、その点は、お気になさることがないよう、ここで述べておきたいと思います。

Pass

[480] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信(11)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月06日 (日) 22時04分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/06(Sun) 12:42 No.43456のものです。(スレッドNo.23)(引用発言は点線内)

さて、今回は「連絡協議会」の件についてご意見を頂戴しました。この点についての拙見を述べてみたいと思います。

----------------------------------------------------
ちょっと考えて頂けますでしょうか、確かに独断専行ではあるのです。そしてそれに関しましては、発表の段階では私も驚きましたですよ。しかし、その後直ぐに、その仲介役として大林さんが入られることも分かりました。中井さんも代表として苦慮をされていた筈であり、その独断専行は、大林氏との個人的な接点を彼女が持っていた事は分かっておりましたからこそ出来た事でしょうし、それは「裏切り」とは全く違う事であると思います。彼女は、米長氏に呼び出された時には、その内容を知っていたのではないか、と逆に思いましたですね。その行為が、独断専行であるのか、裏切りと捉えられるのかは、一番彼女が悩んだ筈ですから。確かに、独断専行タイプではありますが(笑)。
----------------------------------------------------

実は私自身、この案件については「独断専行」でも「裏切り」でも、極端なことをいうならば「どちらでもいい」と思っている部分があります。「共同声明文書」それ自体は、とりたててLPSAにとって表面上は「不利益を生じる」ものにはみえません。

ただ私は「そういう文書であれば尚のこそ」将来の展望や双方の団体の今日までも含めて、LPSA内で協議の場を有してもよかったのではないかという思いが拭えません。組織のトップで最終的には責任を負う立場にあるわけですから、時にそれを担保に決めなければいけないことは存します。そして経緯や手続きを踏まない事を行えば、小さな組織であればあるほど「モチベーション」が下がるということに通じてしまいます。私は連盟からLPSAが独立した際に、少なくとも組織の意思決定については、可能な限り合意形成を獲得する努力をするのだろうと考えていましたし、そのことだけでも「ストレス」からは随分解放されることになるわけです。

おそらく彼女は「良かれ」と判断して進めたことだろうと思います。故にそれを責めるというつもりはありません。ただしこういうことを繰り返せば組織は摩耗し疲弊していくということについては危惧をしています。そうならないようにと願うばかりです。

----------------------------------------------------
前に「LPSAの女流棋士は連盟の体質を背負って・・・」と書きましたが、それは仕方がない事ではないでしょうか。その中での仕事がメインであり、中には連盟棋士と結婚をされている方もあり、それを急に180度気持ちを切り替えろ、という方が酷ではないでしょうか。しかし、その切り替えが「思っていたよりは体に浸み込んでいた」、のでなかなか難しかったという事です。
----------------------------------------------------

この点はよくわかります。まぁ中井さんに限らず石橋さんにしても外から眺めていますと「意地っ張り」ですよ(笑)しかし「意地も張れないような」棋士は、やっぱり強くなれないというかならないというか、そういう面はあると感じています。

----------------------------------------------------
逆を言えば、北尾問題が起こり、それで皆さん気が付かれたのではないでしょうか。「自分たちは独立をしたのだ、連盟とはそういう処だったのだ」とですね。私がLPSAに居たのはそれほど長い期間ではないのですよ、LPSAの歴史からすれば、半分にも満たないですし、相談役とはいっても、運営に対して口出しをするつもりもなければ、してもいませんでしたね。自分たちで運営が出来なければ長続きなど出来やしませんですから。
----------------------------------------------------

北尾さんの件というのは「連盟からの大きな切り崩し工作」が背景にあったと私は認識しています。少なくとも「どうぶつしょうぎ」云々だけの話では全くありませんでした。そういう意味では世渡りさんの指摘されたように「懲りた」というと何ですが、そういう面があったと思います。

----------------------------------------------------
寅金氏が、これらの話を書く事が背任行為だと書かれておりましたが、私はその様な事は無いと信じておりますし、外部からでは見ることの出来ない事情と云うものもありますが、その点は極力書く事は抑えているつもりです。しかし、他団体からの執拗な、異常な嫌がらせに対して書く事が背任にであるとLPSAが判断をするのであれば、私は甘んじてそれに対しては受け入れるつも
りですし、またそのような事は無いとも思っております。
----------------------------------------------------

私は寅金氏は「必ず登場する」という確信がありましたので、そのこと自体は別に驚くことはありませんでしたが、世渡り氏も私も「公開で意見交換をしている」わけですし、それぞれに将棋という世界や棋士に「思い入れ」があるわけですから、何でもかんでも書いているというわけでは勿論ありませんし、読み手にも当然、そういう理解はあると思っています。そういう意味では寅金氏の主張は、私には相当部分わかりにくかったという面はありました。あの程度の記述を以て「背任」というのであれば、回想の類の殆どは「背任」になるだろうと。

----------------------------------------------------
私が、流している情報と呼ばれているものは、LPSAからなどでは有りませんですからね。その様な間を置いての情報は、相手の受けた印象等の客観性には乏しくなりますし、またそのような事はLPSAに迷惑をかけてしまう事にもなりますですから、それは避けております。
----------------------------------------------------

そのことも充分、承知しているつもりです。

Pass

[512] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈11〉
JC IMPACTU (/) - 2012年05月14日 (月) 23時05分

世渡り下手爺さま

さて、世渡りさんと私の「公開私信」も予想どおり、寅金氏の「乱入」で、少し間があいたように思われます。「乱入」の目的は、事実上「相談役在任時に知り得たことについて、世渡り氏が何かを語ることについての懸念」と申し上げていいでしょう。率直に申し上げれば、実に幼稚な手法とも思いますが、web上にあっては「方法についての選択も発言者の自由」ですし、その評価もまたご本人が背負うことですから、ここではそれ以上のことは述べません。

世渡りさんはご存知かどうかわかりませんが、私が「公開私信」を始めたときに「盤側の談話室」でも何人かの方からご質問がありました。それはそれで全く構わない話ではあるのですが、問われるほどに不思議なことなのだろうかなぁ、という気がしたことを記憶しています。

で、今回は意見交換の途中ではありますが、今回、世渡りさんとやりとりをさせていただくことになった「背景」といってもそんなに難しいものはないのですが、そのことを世渡りさんご本人さまに述べておきたいと思います。

私はどんなやりとりにしても、基本的には「相手さまと私」というものを最も重視しますし、だから「わからないこと、疑問に感じること」は直接、ご本人に伺うということを基本にしています。この「公開私信」のように、事前に当事者間で何のやりとりも強制も強要も何ひとつ存在しない、にもかかわらず、時に人は「自分だけの物語」を作りたがります。例えば「理解不能」ならば理解不能でいいわけですが、それでは面白くないのか「何かある」みたいな話を作りたがる。「世渡り氏はやらされている」だの「思う壺」だのという話です。一緒にしてくれるなよ、とは思いますが、私が現在も含めて、何をどう考えているのか。少し整理をしておくいい機会かもしれません。そのことは、今回、駒音と対局室の「意見交換」を実施する上で、駒音側でも整備をしてくださった方々もいらっしゃいますし、読者のみなさんに対しても、詳しく話をする意味がある、そう考えるようにもなりました。

◆背景〈1〉

世渡りさんほどではないかと思いますが、私自身、プライベートの世界で何人かの棋士、職員とのおつきあいがあります。彼らとの話といえば、勢い「将棋の世界」についてのものが圧倒的で、米長会長やらLPSAやら昔の棋士の話やら日常やら、それはそれは多種多様なものがあります。

男性棋士のみなさんと話をしていますと「彼らは、何だかんだいっても、女流棋界〈連盟やLPSA〉のことについて、そもそも基本的な関心がない」ということに随分と驚かされました。つまり「接点がありそうでない」ものですから「どうでもいいといえばどうでもいい」というのが、全てではありませんが大半と申し上げていいかと思います。だから「LPSAの独立の経緯や背景」についても彼らは殆ど知りません。こういうことについては、ひょっとしたら外部の者の方がみえているのかもしれないほどに。

以前、私は「何人かの棋士」に「石橋メモ」たるものをみせたことがあります。「連盟の主張とは違う、こういうものの存在があるのですよ」と。彼ら、全員驚きましたよ。

「実際はどうだったのか。みえないところで何があったのか」勿論全てを開示するなどということをできはしませんが、ある程度の「外郭」すらわかっていない状況では、支援も支持も動きもとれないというのが、棋士の中にある。ただし、それとて、私だけが知っている「話」では錯誤もあれば、一方的な視点にもなりますから、そういう問題を断片的であっても、双方のスレッドを読んだ時に「ああなるほど、こういうこともあるのだな。そういう視点も含めて、棋士ひとりひとりが何を考えていけばよいのか」という材料になればいい、と考える面はありました。というのは当時、駒音の流れを追うだけでは殆どわからないという面もありますし、正直に申し上げれば「web駒音」の書き手は必ずしも第三者に読んでもらうことを意識した発言は少なかった、という印象を私は有しています。

◆背景〈2〉

世渡りさんは盤側の発言者のおひとりとして「特別掲示板」の藁人形氏の喝采氏に対するコメントを読まれていると思います。
その内容云々については、ここでは触れませんが、私は氏の一文を読みながらこんなことを考えていました。

「情報をもつ者ともたない者の間に生じる残滓」だけが残ってしまったと私は感じました。私はそのことがいちばんの問題ではなかったかという気がしています。誰もが自分の興味のある分野については、その情報を知りたいという感情が芽生えます。それは決して悪いことでもないと思っています。

ただ、それを知ること自体が「偉いこと」かというと、必ずしもそうではないと私は思っています。敵味方という関係ならばそれは「優位性」ということになるのかもしれませんが、将棋に関する話題を取り扱う場所で、棋界の発展を願う情報交換の場所ということであれば、共有できるものについては共有した方がいい。情報というのは使い方だと思います。もっているから立派というわけでもないような気がします。私はある時期からは、開示できるものについては、できるだけ開示したいと思うようになりました。今回の意見交換は「あくまでも未来のために」と、私自身は考えています。時々の出来事について、いいことも問題点も踏まえた上で、連盟なりLPSAなり連盟女流なりが、どういうグランドデザインを描くことが理想なのか。たまたま今回は、世渡りさんと私の「意見交換」がきっかけになりましたが、こういうやりとりを掲示板の読者間で共有することにより、或いは色々と思いだされた方がやりとりに参加されるかもしれませんし、当時は尋ねにくいことも今ではということで、出てくるかもしれません。勿論、答えられること、答えられないことそれは当然ありますし、これは書き手が判断すればいいことです。

--------------------------------------------------
>駒音掲示板は多くの純情で私より少しマシなバカ住人以外は、
>米長率いる連盟よりも守るべき人の総量が少ないと言う意味で、
>マリオさんも管理人も含めて<導く手法>が心底腐っている。

>自己防衛以外は、本日以降書く日は二度と来ないだろう。

>と言いながら、背景の無い無力の寅金は、ド過剰防衛が専売特許>でも有る。
〈Re: HN世渡り下手爺の新たな恫喝(2) 投稿者:寅金 投稿日:2012/05/08(Tue) 18:42 より引用〉http://bansoku.sakura.ne.jp/bansoku/joyful.cgi
--------------------------------------------------

私は氏のこの文章など「何をいいたいのか」よくわかりませんが、それを今の氏の立場でしか「語ることができない」というのが、ある意味、氏の限界なのだろうとは思います。抗い方も幼い。

さて、私なりに世渡りさんにお伝えしたい「始めた動機」については、今日、ここで語ることができました。

本サイト「寅金氏への直球」
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=jcimpact&mode=res&log=57

の【496】にあります、

-------------------------------------------
ありがとうございます。今は世渡り氏の「連絡協議会含めて、以
>外の回答」【公開私信470・480】をお待ちしているという状況ですが、ゆっくり、のんびりと進めていければいいと考えております。
-------------------------------------------
が、現状かと思われます。

世渡りさんが

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:世渡り下手爺 投稿日:2012/05/06(Sun) 12:42 No.43456のものです。(スレッドNo.23)にあります↓のとおり

-------------------------------------------
寅金氏が、これらの話を書く事が背任行為だと書かれておりましたが、私はその様な事は無いと信じておりますし、外部からでは見ることの出来ない事情と云うものもありますが、その点は極力書く事は抑えているつもりです。しかし、他団体からの執拗な、異常な嫌がらせに対して書く事が背任にであるとLPSAが判断をするのであれば、私は甘んじてそれに対しては受け入れるつも
りですし、またそのような事は無いとも思っております。
-------------------------------------------

書けないことを書いてくれと求めるようなスタンスは、私には最初からありません。その点を今一度、明言しておきたいと思います。

以上、ご質問などありましたらご遠慮なくお寄せください。

Pass

[515] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈12〉
JC IMPACTU (/) - 2012年05月17日 (木) 00時48分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:31.世渡り下手爺 - 2012/05/16(Wed) 00:45 No.43852 のものです。(スレッドNo.31)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

今回は、このやりとりでは初めて世渡りさんからのご質問を受けました。後半部分で、拙見を述べてみたいと思います。

----------------------------------------------------
に関しましては、多分私は早急すぎるのかもしれません。「未来よりも今を」が先んじてしまっている事は否めません。
----------------------------------------------------

勿論、未来を考える上での「礎」は「現在」ということになりますから、世渡りさんの想いというものは、私なりに理解したいと思っています。ただ「今」を論じるにしても、そこに何がしかの問題点はあるにしても、それを「改善できるかどうか」は組織に求められる「チカラ」でもあります。そのような視点に立って、私はここで何度か述べてきましたが、世渡り氏との「共同作業」ができれば、と思っています。

----------------------------------------------------
寅金氏の書かれたことに関しましては、実は私には良く分かる部分がございます。多分、ほんの少しの人間にしか理解が出来ない事を寅金氏は掲示板を通じて私に訴えかけてきております。しかし、今はそれは語るべきではないでしょう。と言いますより、彼は怒っているのです。それは、実に他愛もないことではありますが、彼にとっては現在における「本質」であり、それを書けない辛さが今の寅金氏にはあるのでしょう。ですので、今私が出来ます事は、そっと見ているしかありません。勿論それを止めようとしたことが現在を作ってしまってはいるのですが。。。
----------------------------------------------------

私は、今回のテーマを世渡りさんと意見交換しているということもあり、寅金氏の「内心」たるものについては実は全く興味も関心もありません。それはおそらく世渡り氏と寅金氏固有の間に生じている問題でしょうし、その「怒り」たるものが世渡り氏に向いているのだとするならば、二者間で解決するより他にはないと思います。また「怒りの対象が」別にあるというのであれば、書けないことを忖度する気もなければ、そういう必要も感じておりません。個人的には「幼稚な、人騒がせな子供じみた発言者」だとは思っています。そのあたりのことは本掲示板の「寅金氏への直球」にも書きましたので、ここでは繰り返しません。

少し余談になりますが「駒音」で世渡り氏と寅金氏との「対立」が表面化した時に、私は書かれたものだけを冷静に眺めておりました。私は盤側で「私ならば、ああいうことはしない(あのような手法はとらない)」ということを述べてもいます。ただその一方でこれは表現が難しいのですが、何とはなく「ああ、世渡り氏は泣きながら寅金氏をぶん殴っている」そういう思いに駆られたことも事実です。

いずれにしてもここで、世渡り氏からみれば面識のある方に対して私は批判的なコメントを残しました。もしそのことを不快に感じられたのであれば、ここでお詫びもしておきたいと思います。

さて、本論です。

----------------------------------------------------
しかし、私には止まることは出来ないと信じております。しかも、寅金氏との現在を作ってしまっている事は十分に理解をしているつもりでの事でもあります。ですので、それは別な機会を待つとして、JCさんとの意見交流を続けていく所存です。

今回は、私から質問をさせて頂ければと考えております。一点だけに絞ってみたいと思います。

JCさんは、「将棋連盟の常識(米長氏もその連盟の常識の中から生まれてきたモンスターとして)と世間一般の常識とが融合をできるとお考えでしょうか。」

勿論、それには幾つかの仮定の話が必要であろうとは思いますが、それらを含めてで結構ではないかと存じます。
----------------------------------------------------

私自身の「常識というか理性に」照らし合わせれば「問題だらけ」であることは言うまでもありません。風通しも悪い、言いたいことも言えない(言えば露骨な報復がある)その傾向は強まるばかり、約束は平気で反故にする。棋士は職員を大部分、守ろうとしない。職員も大部分、トップの一挙一動に踊らされるばかり、これでモラルが上がるというのが不思議だと感じます。

ただ、世渡りさんのここでの問いは「世間との融合」という問題ですから、その角度から検証しなければいけません。

「融合」というかどうかは別にして「今のような状況であるならば許容は続く」と私は思っています。鶏と卵のような話ですが、少なくとも会員は、背景やシステムはどうであれ、現在のトップを容認しているから、これが最大の理由です。

世間であれメディア(新聞社)であれ、興味と関心、注目はどこにあるかといえば、この組織のトラブルめいたことではありません。「強い棋士同士のぶつかりあいをみたい」「それを様々な環境下でみたいときにみたい」いわば「勝負」をみたい、それに尽きていると思います。それさえ充足すれば、新聞社も動画配信会社も「いい」ということでしょう。「内々のことなんだから、それは内々で解決してくださいよ。自分たちが属する組織でしょうが、そんなことにまで手は突っ込みません」これを現実とするならば、現在の「騒動云々」は、せいぜいが苦々しく思う程度で、「許容の範囲内」とみている、ということだと思います。

もう少しはっきり言うならば、各社の将棋担当者にしても、まぁ読売のS氏は多少は血気盛んな部分があるようですが、それにしても、私の期待とは全く違ってしまった面が棋士間でも露見していますし、他の記者はそもそも、そういうことに関心はないといっても過言ではないと思います。

そして、連盟もそのことをいちばんよくわかっているのだろうと思います。

連盟に関する記事は今までにも「文春」「現代」「新潮」といった週刊誌で話題になりました。中原十六世の場合は「名人の相手が女流棋士の話題の人」という点で、耳目を集めましたが、それ以外は全く不発に終わったのは世渡りさんも御承知のことと存じます。

メディアが何故連盟を問題にしないか。色々と理由はありますが、メディアそれ自体が「大きな権力批判に向かう」といういわば本能的な要素があるからだと思います。従業員250名ちょっとの売上30億にも満たない企業に斬り込むというのは、現実問題として「気合が乗らない」んですね。私は複数のメディア関係者から異口同音にそのような話を聞かされたことがあります。

「JCさん、例えば経理的に明らかに限度を超えた不適切な処理、対局そのものの不正行為や、それらと反社会勢力との結びつきでもなければ(賭博行為)メディアは動きませんよ。しかも中途半端な確証のない話で。それこそ弱い者苛めになってしまいます」

世渡りさんは不同意かもしれませんが、今のような程度の問題であるならば、実は数多ある企業の経営者としては、そんなに特筆するほどのものではない、という意識がメディア側にあるわけです。だから「許容するのがいいことなのか」という問題とは別に考えなければいけないことだと、私は考えています。

米長会長の「放談室」女流棋界(2012.4.6)を読めば「女流棋士から表彰されるようだ」と記されています。例えばこういう情報ひとつが対外的にはどう受け止められるか。「今までとは違い仕事を作る素晴らしい会長、女流棋界も大事にしている」と大多数が感じることでありましょう。

一筋縄ではいかない組織だなぁと、私は苦笑してしまいました。

以上、回答になりましたかどうか。更にありましたらどうぞ御遠慮なく。

Pass

[524] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈13)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月21日 (月) 00時54分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:33.世渡り下手爺 - 2012/05/18(Fri) 21:47 No.43960 のものです。(スレッドNo.33)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

前回の世渡りさんの発言を受けた形で、女流棋界、林葉事件は少し後回しにして、米長さんの問題について考えてみたいと思います。

-----------------------------------------------
簡単に言えば、彼は非常に「我儘」だったのでしょう。A級をいずれ落ちることは彼自身にも良く分かるだけの衰えがあり、そこでA級に在位をしながら(休会状態)参議院に出たいと「我儘」を言い出す。それが、無理とわかると、理事になりたいとして権力欲を丸出しにする。実に「我儘」そのものであったのでしょうね。そして、それを全力で食い止めようとした「当時の保守派」は、そこでは社会との融合を唱えながらも「自分たちの村社会」だけは維持がしたかったのではないでしょうか。
-----------------------------------------------

確かに「我儘」だと私も思います。ただ「我儘」というのであれば、中原十六世名人も「頑固」であり「我儘」でもあります。大山十五世名人も、ある面、中原十六世名人以上に我儘だったと私は感じますし、それは氏の「盤側戦術」にも如何なく発揮されました。今、番勝負で大山十五世のように振舞える人も、振舞う人もおそらくいない。私はそう思います。

そういう意味では「勝負に生きる人々」というのは、頑固であり我儘であり、我を通すことと「存在感」を重ねる部分がありますし、二上九段が、あれほど大山十五世名人に「好き勝手」されながら、あれだけの人徳者であり続けたということは、凄いことだという気はします。あの芹澤さんですら二上九段を悪くいうことはなかったわけですから。

で、私は「我儘」でありながらも、今までの会長経験者とはキャラクターが全く異なる「米長邦雄会長」の本質、ルーツには一体何があるのかということをしばらく考えてみた時期があります。

米長家は五人のお子さんに恵まれました。長男、次男、三男、四男の邦雄氏と長女です。ご母堂の「花子さん」は、三人の息子を東大に進学するという機会を作り、一人を一流の棋士に育て上げました。私はご母堂の手による「おふくろ塾天才教師」(昭和63年2月・青春出版社刊)を読みましたが、実に色々なことを考えさせられました。

大山・升田・中原・米長、彼らの家庭は皆、貧しかった。今と違って「貧しさ」というものが「恥を感じさせない」時代であることは勿論ですが、その中でも米長家は突出して「赤貧洗うが如し」であったと思います。

-----------------------------------------------
戦後の、米長の家の苦闘時代のなかでも、昭和二十五年から二十七年にかけての二〜三年は特に暗い、つらい時代でした。米長の家では、育ち盛りの子供たちに食べさせるものを手に入れることが、ようようやっと、それも、明日も知れぬ.....という日々でした。子供たちは、あまり口には出さねど、いつもお腹を空かせています。
そんな時、驚いたことに私の実家からお彼岸のおはぎがどっさり届いたのです。甘いものはとくに貴重品でしたから、実家もかなり無理したのだと思います。久しぶりの大、大ごちそうです。子供たちに、そんなおいしいものを食べさせてやれるのは本当に久しぶり。私もニコニコと明るい顔でした。
ところが、おはぎをお盆に盛って、五人の子供たちの前に運んだ時、思いもよらぬことが起きたんです。
「ワアーッ、おはぎだッ!」
手を打って、歓声をあげたのは下の△△と邦雄と○○だけ。当然みんなが喜んでくれると思ったのに、上の□□と▽▽はこわばった表情で、体を固くして、じっとおはぎを見つめるのです。
二人の目の中の恐怖の色をみて、私はすぐにわかりました。子供たちは気づいていたんです。親子心中なんていうのは、いま考えれば、親としていっとうしてはいけないことだけれど、当時の私たちは、たしかにそれを考えていました。しかも、子供たちには気づかれていないつもりだったのです。
ところが、子供たちの目は親の想像をはるかに超えているものなんですね。毎日、毎日、私たちの姿を見ては死の恐怖におびえていたのでしょう。
だから、いつになく私がニコニコして、おはぎをどっさり持ち出したので、
「とうとうきたか」
と思ったというのです。
こんな幼い子供たちをおびえさせるほど、私たち夫婦の抱いていた死の影は深かったなんて、もう、本当に子供たちにかわいそうなことをしたと、胸がいっぱいになりました。
(「おふくろ塾天才教師」米長花子・昭和63年2月・青春出版社刊より引用)
-----------------------------------------------

私は、米長会長のご母堂を責めるというつもりは毛頭ありません。「ただただ、大変な時代を過ごされた」ということに頭が下がります。ただ、米長さんは「将棋」という天賦の才に恵まれた自分に気がついたときに、或いは自ら「口減らし」に協力するという意味もあって、この道に生きる決意が芽生えたのではないかと、そんな気がしたのです。

それは何を意味するか。「生きていくことも一人。信頼できる者は自分ひとりだ」と言い聞かせることではなかったかとも感じます。単に言葉面だけなら「それは必ずしも正しいことではない」と述べることは簡単ですが、そんなものは現実に置かれた状況から築いた思想の根本には空しいものなのかもしれません。あえていえば、米長会長は「女性を信じるということも」以来、どこかに忘れてきてしまった。それは不幸なことですが、少なからぬ影を落とした面があると述べれば言い過ぎでしょうか。

例えば米長さんに高柳一門の中原誠少年のように、芹澤博文という兄弟子がいたならば、金易二郎名誉九段のような「おじいちゃん」がいたならば、と考えることはあります。

全盛期を中原誠名人に阻まれ、永世棋聖就位の一件では大山康晴十五世名人と揉め「元名人」とわざわざ口にしなければ、自身が保てないという、永遠に昇華されないコンプレックス。それは会長に就任しても燻り続けていると私は思います。「さわやか日記」もしかり、氏の著作には「自分語り」があまりにも多い。誰も「自分を語ってくれない」ことを会長自身が身に沁みているという気がしますし、さりとて誰かが何かを語ってくれても、それを信じることもできない。きついだろうなと思います。

過日、ある棋士に「米長さんは内々の会合や普及指導員を前にしたときには辞任を仄めかしたりもされるようですが」と尋ねたことがあります。棋士は苦笑しながら応えてくれました。

「それは言うだけの話ですよ。米長会長自身が、辞めればタダの人になることはいちばんわかっているのですから」

-----------------------------------------------
私には、なぜそこまで「村社会」でなければならないのかが以前からの疑問でした。多分、そこには多くの「利権」が存在をしていたのでしょう。「村社会」の人間にだけ理解が出来る「利権」が存在をし、そこに触ることはタブーであったのでしょう。しかし、そのような利権はすでに様変わりをしている筈なのです。そのような過去の遺物を引きずるようなことはなくなっている筈な
のです。しかし、彼らは現在の問題が表面化をすることにより、その「過去の遺物」が世に問われるように錯覚をしているとしか思えない考えを未だに有しています。それが私の疑問でした。進歩がなさすぎるのです。前を向いてはいないのです。
-----------------------------------------------

今の会館が建設される際の「利権の奪い合い」に反旗を翻した一人は米長邦雄氏でもありました。勿論、今日でも「利権」はゼロということはないと思いますが、前回にも記しましたとおり、メディアから指弾を受けるようなものではないという印象を私は有しています。ただし、不透明な点は拭えないなぁという気もしてはいますが。

私は会長のひとつの目標は「会館の増築、或いは新会館の目処」というところなのだろうと感じています。というのは、そこまてやって「公益法人化」の意味が初めて達成されると、会長は少なくともみているだろうと思います。おそらくこの施策に正面から反対できる棋士もいないでしょうし。

村社会を維持したいという理由は、世渡りさんの指摘も存するとは思いますが、大部分の棋士たちが「将棋を指す、将棋の専門棋士であるということを理由に禄を食むことだけを」守りたいという単純な理由があるとも感じます。こんな不透明な、閉塞感の強い時代に「メディアとの交渉や機構改革なんて、そんな面倒なことは執行部でちゃんとやってくれよ。そのための手当てだろうが」と思っている棋士が圧倒的に多いわけです。村社会の維持というのは「自分たちを守る」ことに直結すると考えているのではないでしょうか。

そういう意味では、私は米長会長の後任が誰であっても、そんなに期待はしていないという面がありますね。

Pass

[533] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈14)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月23日 (水) 22時11分

世渡り下手爺さま

今週は、仕事やら将棋やら駒落ちの特訓やらで、満足に掲示板に向かい合う時間がとれそうにありません。

直近のコメントへのご返信は、週明けからとさせてください。よろしくお願い致します。

実際にこうしてやりとりをさせていただくことによって、考えさせられることが、少なからずあります。驚きもあります。次回は、そんなことも記してみたいと思います。

Pass

[545] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈15)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月28日 (月) 22時37分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:34.世渡り下手爺i - 2012/05/22(Tue) 08:16 No.44074 のものです。(スレッドNo.34)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

-------------------------------------------------
私の書きました「我儘」とは、JC様の書きました上記の様な「個人的我儘」、「勝負に対する我儘」とは全くかけ離れたものです。

私は、二上さんが大変に好きです、個人的なおつきあいも好きですし、連盟を運営されていた時の方法も好きでした。しかし、私の書いた我儘はその二上さんですら持っていたものです。そして、その内容は、今までは連盟内に於いて「タブー視」されてきたものです。芹沢さんは、自身が「負け組」になることを知った上で、我儘にふるまってはいましたが、その「タブー」だけは守ろうとした悲しい「殉教者」であったのでは。
-------------------------------------------------

私も何度か二上達也九段とは面識があります。私の父親が二上九段とおつきあいがありましたし、いくつか仕事のお願いもさせていただきました。人徳を感じさせる方という印象が今日もあります。ここで世渡りさんが示されている「タブー」というものが、例えばある種の権謀術策とでもいいましょうか、米長会長阻止のために動いたとか、そういうことを指してのものなのか、或いはもっと違う「タブー」なのかはよくわかりませんが、まぁどんな方でも「会長」という最高権力者の位置にあれば、知られてはいけないことというものはあろうかと思います。

これは次元の異なる話かもしれませんが「原田泰夫九段」棋士の特徴を示す命名者としても知られていますが、氏が全く私的な席上で「口を極めて大山康晴十五世名人をけなしている場に」遭遇したことがあります。「(中原)名人に募金箱を首からぶら下げさせて、会館建設の企業回りをさせるとは何事か」みたいな他愛のない話からどんどんエスカレートしていき、とてもここには書けない話にまで発展したのです。酒が入っていたということもあるのでしょうが、あの温厚柔和な原田九段とは全くかけ離れていました。棋士というのは不思議だなぁと思ったことがあります。

芹澤九段に関しては晩年の「全敗宣言」が、私の中には凄く印象に残っていまして、それは氏なりのひとつの「問題提起」だったのでしょうが、現実には、マルチタレントや文筆で、将棋を指すことによって得る収入よりは遥かに所得を得ていた、いわば恵まれた方ですから、いわば「棋士であることをとうに棄てている元天才が何を突っ張ったことを」という、散々な評価だったと記憶しています。全敗宣言というのは、いわば一種の「八百長宣言」でもあるわけですから、あれでよく除名処分にならなかったものだという気はしますね。今、振り返ればですが。

勿論、芹澤さんは年長者、先輩の実力者には結構、気を遣ってもいましたし、大山十五世も「いよいよの際の寛容さ」はお持ちだったと、そういう気がしています。

-------------------------------------------------
「将棋の勝負」は「実に綺麗」なものです。JC様の書かれました、今まで多くの棋士によって行われたきた「番外戦術」などを含めても、私にとってはまだまだ「実に綺麗」なものなのです。実社会においてもそのような「番外戦術」は数々あることはJC様もご存じでしょう。(笑)

そして、なぜ「実に綺麗」なのかといえば、「必ず盤上に於いて勝負が決まる」からなのですね。勿論、千日手や待将棋のような事はありますが、それでも必ず勝負が決まるまでは行われます。そこには、「勝ち」か「負け」と決まった結果が必ず存在をし、それを見る者に結果として必ず伝わります。人間は非情なもので、その「人の勝ち・負け」で楽しみを得る残酷な生き物です。ローマの剣闘士の勝者に対する人間の陶酔感にすら似ております。
-------------------------------------------------

この点は同感です。棋士の盤上以外の「盤外戦術」というのは稚拙というか、わかりやすいといえばわかりやすいという気もしています(笑)

-------------------------------------------------
しかし、「勝負のできる期間」はどのスポーツでも同じことであり、大変に短く、その後の生活に対する保障などはありません。私の書きました「我儘」とは、その後の(負け組に入ってからの)彼ら全体の生き方に対する「我儘」なのですよ。

以前、JC様も書かれていた通り、ある段階で彼らはその自分のレベルを理解してしまいます。空しく、悲しい現実を見させられてしまいます。が、その後の生活に於いては、将棋の専門バカであることを自覚されているが故に、常に不安であり、「どれだけ将棋と接した生き方が出来るのか」を常に抱えて生きているものでありましょう。
-------------------------------------------------

例えば、芹澤さんにしても内藤さんにしても、千駄ヶ谷という世界以外で「世に出る」ことに恵まれた方々です。先崎八段も、メディアにエッセイを発表する機会があります。普及に尽力される方もいれば、弟子の育成で棋界に貢献される方もいる。哲学を現役で学ぶ棋士もいますし、経済に関心を抱く棋士もいる。種々様々であります。

で、そういう種々様々な選択肢の中で「理事」を目指す棋士もいます。理事になることが目的なのか、ひいては会長になることが目的なのか、或いはそれはあくまでも手段としてであり、棋界の発展に尽くしたいという動機に裏打ちされたものであるのか、ここで「生き方」が問われるという面はあるのかもしれません。大山十五世だから言えた話ということなのかもしれませんが「理事は無給で働こう」というのは、いかにも大山先生らしいなぁと私は思っています。

-------------------------------------------------
そして、私の書きました「我儘」とはその「勝負が出来なくなった時」から生じる「我儘」です。「勝負上の我儘」などは誰もが許容範囲内であり、それも見ているものにとっては、ある意味醍醐味ですらあります。しかし、「勝負が出来なくなった段階での我儘」は醜いものであり、見ているものにとっては「ヘド」が出るようにしか感じられないのではないですか。
-------------------------------------------------

ただ「経営者」というのは大なり小なり「我儘」でしょうし、決断を求められる立場にあり、その責任を負うという面もありますし、会議ばかりやっていても事は進まないという気はします。故に「我儘」をチェックする制度が求められ、英知を集めるということが必要になるのだと思います。そういう意味ではNo.2の役割は非常に大きいわけです。そこが機能しているようにはみえないわけですが。

「弟子は何があっても師匠を庇うものだ」などというのは経営ではありませんからね。来年、どうなるかわかりませんが、おそらく「独裁体制」というものを棋士の多くが無意識のうちに望んでいるということですよ。何故かといえば、不自由なこともあるかわりに、面倒なことを考えなくていい。棋戦が増えて、仕事も増えて、棋士として一生を終えたい。強い棋士に扶養してもらっているのかもしれないけれど、今更どうにもならない。よろしくお願いしますよ、そういうことではないでしょうか。

-------------------------------------------------
残念ながら、将棋界に於いては「実際に存在をする我儘」であり、その最たる者が米長氏ではないでしょうか。つまりは、「将棋界全体」にその意識が存在がされているが故に、米長氏の「超我儘」は棋士に認知をされてしまっているようなものではないのでしょうか。だから、年に4人しかプロを認めないのです。自分たちの領域を荒らされたくはないのです。勝手な言い方をさせて頂ければ、プロ組織の「日本将棋連盟棋士」全体の保身から生まれてきた「我儘」。勝ち続けているものでも、常に将来を考えて、持ち続けてる保身性の結果生まれてきた「我儘」。「奨励会を抜け出した者のみが持つ特権と並行をした我儘」なのですよ。
-------------------------------------------------

「年に4人しかプロを認めない」ということが「領域を荒らされたくないということになるのかどうか」ちょっと考えてみたいと思います。少し時間をください。

-------------------------------------------------
ですから、その域に達していない「女流」などを認めることなども出来ないし、認めることは自分たちの首を絞めてしまう事を前提としか考えは通用をしない事となります。

数多くの人間が存在をする他の社会では到底ありえない「閉鎖された村社会の掟」と言っても良いのでしょう。
-------------------------------------------------

ここは「職能団体」(プロ集団)ということを考えると「数多くの人間が存在をする他の社会」とはなかなか一様には考えられないという部分はあるとは思います。ただ、今後少子化に歯止めがかからないことを考えれば、対局の「勝ち負け」というレベルのみに全てを集約させることが、本当に正しいことなのかどうか、とは思います。強い棋士がアマチュアの「指導」に長けているというわけでは決してないのですから。

-------------------------------------------------
「モンスター」が出来た下地には、それなりの事情があり、それなりの「バブル」を味わされた「保身者の小さな我儘」があり、それはどんどんと一般社会とは離れて行ってしまっております。しかし、そのような「村社会」は長続きなど出来る筈もなく、「モンスター」は次々と「より激しいプロパガンダ」を上げ続けなければならなくなってきているのではないですか。

「勝ち・負け」の我儘ならば一般社会は許せましょう。しかし、「超我儘」に対しては、それには限度があることを示さなければならないのは、実はスポンサーであり、一般社会に生きている「将棋ファン」なのではないかと思います。
-------------------------------------------------

例えばプロ野球の一軍選手と同年齢のサラリーマンの年収というのは、そこだけを比較すると圧倒的に異なります。勿論、選手は60歳、65歳まで現役であり続けることはできませんが。

ここでいう「一般社会」とは、例えば世渡りさんはどういうものをイメージしていらっしゃるのか、ご教示をいただければと思います。

Pass

[576] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈16)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月30日 (水) 21時51分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:35.世渡り下手爺 - 2012/05/29(Tue) 05:33 No.44265 のものです。(スレッドNo.35)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

-----------------------------------------------
世の中には「法律」という基準が設けられており、それは社会を生きていく上での一つの指針とはなりますが、いくらでも「抜け道」があり、それを世論や道徳観、倫理観が問題とし、どうにかそこに追いつこうとしているだけの様にすら感じられます。

企業経営は、利益を生み出すことを「命題」として与えられている以上は、その法律のギリギリの線を超えるかどうかによって成りったっていると思われる面もあり、またそれが超えすぎますと「文化」は滅び社会全体に多くの問題を引き起こしかねません。(何を書いておりますやら)
-----------------------------------------------

「法の抜け道」や「解釈」によって、本来裁かれなければいけないことが、みすごされてしまうということは、ご指摘のとおりかと思います。少し古い話になりますが「光クラブ事件」に材を得た高木彬光の「白昼の死角」や三島由紀夫の「青の時代」といった作品を私は学生時代に読みました。自分が手を染めさえしなければ「悪の世界」というものは、不思議な魅力を読者に提供するという面があります。1968年に発生した「府中・三億円強奪事件」は、今日でも時々、色々な検証が示されますが、当時の新聞の論調は、痛快とまでは言わないにしても、その手口の鮮やかさから、犯人グループを指弾するというよりは、犯行時の遺留品があれほど残されて、逮捕できない警察を嘲笑うかの内容でした。

これは勿論「人命が犠牲になっていない」という面が大きいわけですが。

企業が利益を追求するという中で、必ずしも「違法行為」すれすればかりというものでは、おそらくないと思います〈笑〉

リーマンショック以降、国内の多くの企業は雇用、賃金の抑制を行いました。内部留保の少ない企業は、悲鳴を上げるということもありましたが、例えば円高でも「輸入型企業」にはメリットがありましたし、今はもう「内需」だけで経済を立て直せるという環境ではありません。今の若者が「それなりに幸せ」を実感するのは、デフレの影響で「物価」が上がらないということを享受し
ていますから、学生の食費などは、私の時代よりも安いんですね。

おそらく「少子化」だけは当分歯止めがかからないと私は思っています。そして歴史上、人口が減少して栄えた国はありません。そのことを私は憂いています。

その中で連盟は、メーカーのように何か「モノ」を生産するという形態ではありません。四段から名人まで、生産するものは「棋譜」だけです。人の目に触れるものは圧倒的に過ぎられてもいるのですが、BtoBが定着しているものですから、一般のファンは将棋にそう「お金」はつかいません。そういう意味では新聞社やメディア機関、スポンサーがこの文化を支えてもきました。

棋戦契約金は今後も大きな期待はできませんが、名人戦・竜王戦・王座戦・棋王戦などの棋戦は、メディアがスポンサー協賛を募ってでも、それほど環境が激変するとは私は思っていません。

報道機関は「儲かることだけ」考えているわけではありません。いわゆる「メセナ的な活動」も含めて、社会貢献を担う部分があるからです。ある意味、彼らが「文化」を守ってきたということかもしれません。そういう意味では、連盟も「守られている」ということを社会的にも自覚することが求められる。私はそう考えています。

-----------------------------------------------
つまり、私が書きたかったことは「将棋界はもっと社会の目線を気にすべき存在であるべきである」、という事です。
-----------------------------------------------

そうですね。そのためには「弱者を極端に虐めない」ということもあるかとは思います。米長会長は「ともに勝つ」という氏の著作の中で「これだけはいい表題」と思ったものがあります。その姿勢を失わなければ、この団体を全てが見棄ててしまうほど、それほどに寂しいものではないと私は考えています。

さて、テーマが何度も変わりますが、ここしばらく「女流棋界の独立問題」が本掲示板でも大きく語られました。で、北尾さんの問題を少しだけ。

例えばLPSAの理事でありながら、中井さんが連盟に発送した内容証明文書の内容を連盟側の理事に確認するというのも実に不思議なことだと私は思っていました。確認するなら中井さんに聞けばいいことです。例えばこの段階で「連盟に法人化の対応」という問題が非公式にはあり、北尾さんはその「パイプ役」を担い、LPSAからの更なる引き抜きを考えた。これは私の全くの想像ですし、或いは「どうぶつ将棋」を巡る、私などにはわからない「つばぜりあい」もあったのかもしれません。

北尾さん問題は世渡りさんも現時点では、なかなか書きにくいこともあろうかと思います。特にコメントを求めるというわけではありません。

最近、読んだ本の中に昭和54年から56年まで総務担当理事をつとめた青野八段のコメントに、興味深いものがありました。氏は26歳でした。

-------------------------------------------------
とくに目をひくのは「CU組〈昇降級リーグ四組〉の降級に関する規定」である。いうまでもなくCU組とは最下級ランクで、それまでは降級点三回とって転落すれば、事実上の棋士廃業を意味していた。ところが、青野さんの在任中に、「六十歳未満の棋士なら、どんなに敗けてもCU組からの転落はなし」という規約が改められたのだ。
この改訂、「どんなに負けても落ちないなんて、プロじゃない」「連盟始って以来の悪手」の声も出るほど、将棋関係者の間では悪評サクサク。しかし、
「評判悪いでしょ。だけど、私はこの制度に大賛成なんです。将棋界がやっと正しい姿になったと考えてるんです」
と、青野さんは強調する。

それまでの降級制度は、落ちる人が可哀相だからという感情論でズルズルと緩められてきた。それが改訂で、ようやく筋の通った、規定らしい規定に改められたというのだ。
「これはあまり知られていないんですけど、新しい規定ではCUの二十位まではプロとしての金の保障はするが、それ以下はいくら人数が増えても金銭的保障はせず、と決められたんです。四段九人で名人一人分の対局料が相場なのですが、それまではCU全員に金を分配してたんで、新四段が増えると必然的に一着賞金〈上の級の取り分〉が減ることになった。連盟の総収入は新四段の数ほどは増えませんからね。しかし、金銭的保障を二十位までに制限することで、どんなに新四段が増えても、一等賞金は減らないということになったんです。CUが楽になったと思ってる人が多いようですけど、逆。負けて二十位から落ちると、プロとしての地位は保てるけれど、生活のほうは保障されないわけですからね。それまでの制度と比べて、どちらが正しいか。人によって意見は分かれるでしょうけれど、私はいいルールになったと思ってます」

〈「スター棋士23人衆」第一線観戦記者共著 木本書店 昭和58年11月刊より引用)
-------------------------------------------------

この時期からフリークラスの導入、公益化で収入システムも変わってきたと思います。青野さんのいうとおり、評価は色々とあると思いますが、私の知らないところで、こういう努力が二十代の青年によって考えられていた、というのは嬉しかったですね。

追記:工房についてのご教示、ありがとうございました。

Pass

[615] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈17)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月04日 (月) 21時03分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:39 世渡り下手爺 - 2012/06/03(Sun) 02:57 No.44508 のものです。(スレッドNo.39)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

------------------------------------------------------
棋士の現状
=============================
――――――――――――――――――――――――ーーーーー
タイトル保持者 5名 タイトル保持者扱1名
九段 22名
八段 15名     A級   10名
七段 43名     B-1組  13名  
六段 37名     B-2組  24名 
五段 20名     C-1組  33名  
四段 17名     C-2組  44名  フリークラス36名
――――――――――――――――――――――――――――
三段リーグ  33名
============================
上記の数字をどう見るのか。青野八段(当時の理事会)の考え方がこの現況を作っております。
------------------------------------------------------

世渡りさんのコメントを拝読する限り、↑の現状、というもの、すなわち「記録にも記憶にも残らない、そしておそらくは挑決にも今後絡むことはない棋士の肥大化」ということになるのかと思います。段位でいえば「九段」が現在の最高位ですが、この昇段制度も以前に比べれば随分と緩和されましたし、まぁ変な話ですが芹澤さんですら「九段」に昇段された。これも「肥大化傾向のひとつ」ではあったと思います。

森安九段のエピソードは私も何かで読んだことがあります。棋士の制度をどうするかについては、おそらく歴代の執行部が頭を悩ましてきたことでありましょう。

---------------------------------------------------
私の今まで書いてきました「連盟棋士の保守的考え方」とは、上記の様な矛盾を生じてしまっております。クラスとは違った形で多くの高段者が生まれ、それに見合った対局料・出張手当等が支払われている現実があります。はたして、それが実力に見合ったものであるのか?
---------------------------------------------------

往時の強さを持った八段が「実力」を維持しているのであれば、当然クラスを維持できているはずですから、実力は落ちているでしょう。以前にも書きましたが、世渡りさんのコメントは、私からみると、どうも「連盟解体論」にみえてしまうのです。勿論、実力が伴わない「年功序列的なものを」私は奨励しているわけではありません。ある意味、男性棋士のトップ20が、今の連盟の屋台骨を支えていることは紛れもない事実です。

しかし、それを不満として口にする棋士がいるという話を聞いたことがありません。また今の古参棋士が「敗者もそれなりに優遇しろ」と成績そっちのけで叫ぶという話を聞いたこともありません。私は青野八段の改革案当時に「C2クラスの下位者が対局だけでは生活できない」状況にあったというのは、ちょっと意外でもありました。

私は「かっての実力者や四段になったプロ棋士に対して」資格の根幹を変えるようなことに慎重なのは、相互の存在を認め合うという「互助会的な部分」があるからだと思っています。プロ集団が「互助会組織」とは何事かというご指摘はあるかもしれません。

しかし、将棋というものは、プロ野球観戦とは違い、何万人ものファンが数千円という入場料を支払い、一喜一憂するという競技にはなりえません。それをいちばんわかっているのは他ならぬ連盟です。だから連盟はメディアに棋譜を提供する代わりにその掲載権を得ることで棋戦を維持してきたのです。そのことでファンは、殆ど対価を支払うことなく、棋譜や観戦記に接することができました。ある意味「エンドユーザー」に頼ることなく、今までは運営をしてきました。これは当時のビジネスモデルとしては画期的だったと私は思います。

私は「名人戦」「竜王戦」をはじめとする新聞棋戦が消滅することなど考えたこともありません。契約金の増減はあるでしょうが、新聞社だけの単独維持がもしも厳しくなれば、協賛企業との共催という方法もあります。現実に今、そういう運営手法がとられてもいます。その点は私は極めて楽観的でもあります。

----------------------------------------------------
以前、私は「レッスンプロの拡充を図るべきではないか」と書いた記憶があります。例えば、各県に数名ずつのレッスンプロを県連の従業員として採用をしていただき、その費用負担を国の補助制度により援助を受ける形です。現在の補助金制度は「県単位の申請」であり、「将棋連盟」に下りる形では出来ません。そこに連盟は対策としての疑問を感じていないのではないと感じております。
----------------------------------------------------

「レッスンプロ」と「トーナメントプロ」分離論として拝読させていただきました。この線引きをどう引くのかという問題はあると思いますが、もし棋士総会でこれを成立させれば、それはそれで結構なことだとは思います。ただし、それは外部の人間ではない限り、できないというのが私の考えでもあります。何故ならば「体制を変更することなく村を守る」ことこそが「会長以下執行部の信任条件のようなものですから」

----------------------------------------------------
レッスンプロと県連とのタイアップによる指導により、普及活動は飛躍的に向上するのではないでしょうか。各県に2〜3名のレッスンプロが存在をすることにより、トーナメントプロの対局内容は現在よりも数段向上をし、それこそがファンが求めているものとなります。失礼ながら、フリークラス同士の戦いを見たいファンは少ない筈です。しかしながら、彼らの指導力・普及活動力は経験に基ずいた優れた能力を有しております。
----------------------------------------------------

私は正直、棋士が等しくアマチュアへの指導力、普及活動力を有しているかどうかにつきましては、疑問があります。「教え下手」な棋士は少なからずいる、と実感していますので。

----------------------------------------------------
右肩下がりの現在の新聞社等のスポンサーだけに「資金提供」を頼る事には疑問を感じますし、ニコ動をはじめとする二重・三重の棋戦放映には疑問を感じております。また、それは本来の公益法人としての活動として認められる形なのでしょうか?スポンサーは、それを認め続けらるのでしょうか?
----------------------------------------------------

新聞社に関しては前述したとおりです。棋戦放映に関しては、それ自体が「棋士の雇用創出」に貢献しているという面がありますし「囲碁・将棋チャンネル」にしても「ニコニコ動画」にしても地方都市に住む方は「大盤解説に参加する機会も」限られますし、いつでもどこでも視聴可能な環境を提供したということについては、評価していいと私は思います。この点はファンの要望に応えたものになっているわけですから。

----------------------------------------------------
はたして、それが持続をできる形であるのかどうか。どれだけ優秀な若い人材を引き上げ、どれだけの高齢棋士の将来の生活を維持できるスタイルを形成できるのか。そして、どれだけ文化としての将棋普及活動を継続できるのか。
----------------------------------------------------

そのひとつの姿は「来年」はっきりすると思います。

私は北尾さんの問題については、関心があるとするならばひとつだけなんですね。「彼女」は一体、何を目指そうとしたのか。その隙は「LPSA」の中で、どのように形成されていったのかということです。彼女がLPSAという「組織」に満足していたならば、こういう動きにならなかったはずですから。

Pass

[641] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈18)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月12日 (火) 21時56分

世渡り下手爺さま
(金と銀さま)

録画した「名人戦第6局」を眺めながらこれを書いています。

昨日、先崎学氏の「千駄ヶ谷市場2 -孤高の大木-」(日本将棋連盟刊・2012年4月刊)を読んでみました。先崎八段の本書のタイトルにある「孤高の大木」とは何か。清水市代さんのことを指しています。そして八段は「孤高の人」のようにイメージ化された清水さんを「そうではない」と否定してもいます。

-----------------------------------------------
清水ほど、誤解されている棋士はいない。若くして、しかも可愛い女の子がスターになることへの、まわりの嫉妬は大変なものがあったろう。清水はそれらに対し、沈黙を通すことで自分を守り抜いてきた。
素の清水は、やんちゃで明るい女の子である。それが、いつの間にか孤高の人みたいなイメージになってしまった。いや、あれよあれよという間にさせられてしまった。
「千駄ヶ谷市場2 -孤高の大木-」(日本将棋連盟刊・2012年4月刊)
目次より引用
-----------------------------------------------

女流の第一人者という点は誰もが現在認めることですし、CPUとの対局や女流王座戦でも、特に後者の最終局については、清水さんの「敗者の弁」は、取り上げられることがありませんでした。人は残酷なもので、時に同門の「世代交代にも似た一局」を落とした女流棋士の「呻きにも似た声」を聞いてみたいと思ったりもするのですが、加藤桃子さんが終局後、きちんとしたご挨拶をしたことで、それが「高柳一門の棋士」であったことも含めると、これはこれで、私を清々しい気持ちにさせてくれたことも事実です。

-----------------------------------------------
その辺を知る業界人に清水のファンは多い。業界人だけではない。彼女ほど後輩に尊敬されている女流棋士はいない。私は、まったく意外な人からも「清水さんが憧れです」ということばを聞いたものだ。連盟もLPSAもない。彼女は女流の棋界において一本そびえたつ大木なのである。北海道の対局の後、清水と中倉宏美と三人で呑んだ時、酔った中倉が「清水さん、大好きです、生まれ変わるなら清水さんになりたいです」といった。いきなりの発言にちょっと面食らった清水だが、咄嗟に「でも孤独だよ」と返した。
孤独なんかじゃない。君のことを誇りに思う後輩が沢山いるのだ。
「千駄ヶ谷市場2 -孤高の大木-」(日本将棋連盟刊・2012年4月刊)
より引用)
-----------------------------------------------

米長一門の先崎八段が、とか、LPSAの中倉さんが、とか、そういうことを論じるつもりはありません。ただ、おそらくこういう会話があったことは「事実」だろうと私は推測しています。おそらく清水さんという方は同姓からみても魅力的な、そして慕われる方なのでしょう。

私は清水さんの「でも孤独だよ」という、さりげない一言に感銘を受けました。おそらく彼女は「それが当たり前なのだ」という覚悟と矜持があり、ある意味、後輩の中倉さんにそのことを伝えたかったのでしょう。

群れ続ける理事会、勝負師であるということ、孤独とは何かということ、孤独であっても慕われる方は存在するということ、そんなことを棋界に思いました。

Pass

[642]
世渡り下手爺 (/) - 2012年06月12日 (火) 23時08分

JC様

書き込みが出来ず申し訳ありません。現在、未だに工房の改修を終えることが出来ず、その間に急な仕事も突然に入り、ほとんど毎日、徹夜の状況となっております。

これから、海外へ向けて出発をする準備をしなければなりませんが、それに伴う件で体が3つほど必要となっております(冷汗)。現在は、時間的に書き込みが出来無い状態であり、名人戦もどうなっているのか気にはなりますが、18日夜の帰国まではオアズケ状態です。(笑)

さて、また準備に戻らなくてはなりません、お許しください。

Pass

[643] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈19)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月12日 (火) 23時19分

世渡り下手爺さま

>書き込みが出来ず申し訳ありません。現在、未だに工房の改修を終えることが出来ず、その間に急な仕事も突然に入り、

いえいえ、とんでもありません。全く急ぎませんのでそのようなお気遣いは無用です。

世渡りさんの年齢を想像するに「徹夜続き」は大変だろうと推察致します。どうぞご自愛くださいますよう。

Pass

[645]
金と銀 (/) - 2012年06月13日 (水) 22時58分

駒音での喝采さんのご紹介がありこちらを拝見しましたらなんと世渡りさん以外に( )付きで私への呼びかけにもなっておりましたので。

私は清水さんや石橋さんのご実家とは隣の市に居住し、私の息子は高校の後輩です。
そんなことから、私が女流棋士に初めて注目したのは彼女が初タイトルを取った時に息子から教えられてからでした。
中井、林葉との3強時代には当然将棋に興味のない家内とともに清水さんを応援しておりました。

ご実家の道場では指導対局をやっておられたようで、地元の将棋愛好家が今日はいっちゃんがどうこうと良く話していたものです。

孤高であることとは別に、女流独立時に流れた清水さんは人望がないからという情報(噂)は果たしてどうなのでしょうか。

また、清水さんに関してはやはり以前にも書きましたが石橋さんとの師弟関係が将棋界において全く情報がないということが不可思議です。

しかし、現在ではおそらく師弟としての関係は切れているのでしょうが、石橋さんは今でも師匠としての意識は持ち続けていることは確かです。

師匠は孤高、孤独の存在で、弟子は多くの仲間を率いていく存在となっているというのも面白い師弟の状況と思います。

去年タイトルこそ逃しましたが、清水さんの活躍はすごかった。今年は石橋さんの巻き返しに期待しています。

以上、取りとめのないことを書かせていただきました。

Pass

[646] 金と銀さんへ
JC IMPACTU (/) - 2012年06月14日 (木) 21時51分

金と銀さん

>ご実家の道場では指導対局をやっておられたようで、

そうですね。ご本人の著作によれば「子ども教室」も行われているようで「勝負だけにこだわることのないよう、きちんと礼節を教えている」とのことでした。

>女流独立時に流れた清水さんは人望がないからという情報(噂)

この点は私は知りませんでした。ただ、彼女の動向というかスタンスについては、ご本人が何かを語ったというものを私自身、未見ではあるのですが、沈黙を通したという印象はあります。

それはそれでひとつの考え方だという気はしますし、或いはその姿勢に対して「批判めいたものが」(人望がない)という噂につながったのかもしれません。

一方は連盟の代表的女流棋士であり、もう一方は組織の代表者ですから、今後の女流棋界を考える上では、この二人はどこかで力を発揮して欲しいという気はしています。

ただ、今は盤上での二人の対決をみたいという気はします。LPSAにとっては認知を高める上で、それは必要不可欠なことですから。

Pass

[647]
金と銀 (/) - 2012年06月15日 (金) 01時29分

JCさん

>或いはその姿勢に対して「批判めいたものが」(人望がない)とい>う噂につながったのかもしれません

姿勢に対する批判ではなく、清水さんが女流棋士カレンダーに関して谷川さんに語ったことに対することでした。
情報(噂)の真偽についてはご確認下さい。

Pass

[666] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈20)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月20日 (水) 01時11分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:40 世渡り下手爺 - 2012/06/18(Mon) 23:12 No.44983 のものです。(スレッドNo.40)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま
(金と銀さま)

海外からご無事で帰国されたようで何よりでした。

>う〜ん、「人望が無い」というよりは「人望を持とうとはしない」ではないのか、

そうですね。こう書いていただくと私も「そういうことなのだろうなぁ」と思いますね。私は清水市代さんという棋士を活字になったもの以外知りませんが、高柳名誉九段との思い出についても「私と高柳先生だけのものにしておきたい」という趣旨のことを述べたことがあります。ある意味、非常に禁欲的だなぁという印象がありますし、世俗という言い方が正しいかどうかは別としても「将棋(だけ)に一生を捧げる」という強い意志を感じます。

それこそが私が担う唯一の道、という決意がぶれないんですね。メディアから伝わってくる彼女の印象でしかありませんが。

以前、世渡り下手爺さんとやりとりをしましたし、同意いただいたことのひとつに「師匠が弟子にしてやれることなど、将棋のチカラという点では、さしたるものがない」ということがありました。そういう意味では清水さんが石橋さんに「できる」ことはもうないのかもしれません。石橋さんが清水さんとの対局で、清水さんもまた石橋さんとの対局で「盤上の対話」を続けることぐらいでしょうか。

先崎八段がこういうことを自著で述べていました。
添付ファイルをご覧ください。倉敷藤花戦の清水VS里見戦からです。(おそらく予選だと思います)清水さんが▲2六金と指したところです。

--------------------------------------------------
何のことはない。ここから里見は△4四角と出て、▲2五金で飛車を詰まされてしまった。以下△同飛▲同飛△4八金に▲4五歩で銀が助かりそれまでである。(中略)(△4四角ではなく・引用者挿入)いきなり△2六飛と切る筋もあったのだ。▲同飛に△4八金でこれなら銀が助からない。形勢はそれで後手がいいとはいえないが、そういう筋があったことがポカの伏線になっている。
ある若手棋士がいった。「里見さん、清水さんにぐっと2六に金を出られて委縮したんじゃないかな」
そんなことはないと思うが、通常ではありえない見落としだった。
投了するや、里見は泣いた。さすがに涙がこぼれるまえに席を立ったものの、戻ってきた時の目は真っ赤だった。
そりゃそうだろうな、と思う。晴れの舞台に立てるチャンス、相手はずっと目標としてきた先輩である。なによりも内容が内容である。この棋譜を残すことを恥と思わないプロはいない。
しかし私はそっとこのページの片隅に記してみるのである。
プロである以上、勝てば勝つほど相手は強くなり、負けることが多くなる。数多く指し、数多く負ければ、ポカなんて年柄年中である。そのたびに恥ずかしい思いをする。その代わり、我々は飯を食うことができるのである。いわば、プロは恥を売って生きているともいえる。
もし里見の将棋人生が春秋に富むものならば、今回のことは、今後重ねてゆく恥のページを一枚増やしたに過ぎない。
里見はひたすら将棋の勉強をしていればいいのである。そうすれば、すぐに今日の日のことなんてすっかり忘れ去っている自分がいることに気がつく。そして月日はたち、泣こうと思っても、流れるはずの涙が流れないことを知った時に、ひとりのタフな棋士が屹立し、その棋士は相手を泣かすのである。本局における清水のように。
(「孤高の大木・千駄ヶ谷市場2」(先崎学・日本将棋連盟刊・2012年4月刊)より引用)
-------------------------------------------------

私はこの一文に接して、先崎八段を見直しました。素直ないい内容だと思います。この本には、ハンカチで口元を押える里見さんの写真が掲載されていますが、これもいい写真でした。

勿論「泣けばいい」という意味ではありません。

>金と銀さん

2週間程度「駒音」を離れられるとのこと。また、元気な姿をみせてください。おそらく金と銀さんがいなければ、場を横断してのこのような環境はスムースには実現しなかったと思っています。

その点、今一度深く感謝したいと思います。

Pass

[667] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈21)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月21日 (木) 22時30分

引用発言は「web駒音」(http://www.koma.ne.jp/)スレッドタイトル「JCさんとの意見交流」

投稿者:41 世渡り下手爺 - 2012/06/21(Thu) 03:06 No.45047 のものです。(スレッドNo.41)(引用発言は点線内)

世渡り下手爺さま

---------------------------------------------------
実は私は、その本が週刊将棋に宣伝をされた際に、「いわば、プロは恥を売って生きているともいえる」とのサブタイトル的宣伝文を見た瞬間に買う気を失いました。それは、プロの将棋棋士でない一般人でも同じであり、そのような事はあてはまるではないか、との思いからでした。実に素直でない人間であります(笑)。
---------------------------------------------------

確かに「恥を売って生きているともいえる」ということを、プロ棋士自身が口にすることへの抵抗感といったものは、私もなくはありません。それは「棋士の世界」をみる者、いわば第三者が語ってこそ、その言葉は輝くのではないかという印象を有しました。「恥を売るばかりになれば、それこそ恥を噛み締めて身を引くことを考えれば」という主張もあり得るからです。

ただ、それでも尚、私が感じたことは「棋士は勝っても負けてもある意味孤独なのだ」という呟きめいたものを先崎八段の行間にみたからなんですね。棋士のピークは、それぞれに異なる面がありますが、引退までそれを持続することは、まぁ不可能です。

サラリーマンであれ、商売を営む方であれ、負けることは必ずありますし、負け続ければ経営危機、果ては倒産という事態も生まれます。とはいえ「感じる孤独感」といったものは、質的な違いというものもあるのかもしれません。というのは「勝ち負け」の要因というものが、案外はっきりしないということがあるからです。或いはその原因もまた、何とはなく分散化されてしまうという事例も少なくありません。プロジェクトなどでは、最終的にこれでいこうという合意が前提になるわけですが、負ければある意味「共同責任」でもあるわけです。

---------------------------------------------------
瞬間の勝ち負けで立場が変わる世界である将棋界は、いかにも厳しい世界に見えますが、それは実はどの世界にも当てはまる事であり、それを「売り」の材料とする事は、私のような天邪鬼(うん?どこかにいたな)には、逆に興味をそがれてしまう事となりました。
---------------------------------------------------

確かにそういう面を感じる方も少なからずいらっしゃるだろうとは思います。ただ、よくも悪くも、将棋に負けるということは、相手が自分よりも「強いから」であり、好手が多いから。負けた者には疑問手、悪手、敗着が必ず存します。アマチュアにわかるかどうかは別にして、負けた理由は対局者の中では「はっきり」します。ただ、同じ局面は二度と出現することはありません。そういう意味でも魅力的な世界でもあります。

---------------------------------------------------
一つは、自分ですでに書いたブログと全く同じ文章で、原稿料をいただくとは、如何なものであろうか、との一般的感覚の疑問点。
---------------------------------------------------

私は週刊将棋の当該号を買いそびれてしまいましたので、田丸さんが紙媒体にどのような原稿を寄せたのか、わかりませんが、いわゆる「焼き直し」という類はそれほど珍しいことでもないのかもしれません。山口瞳さんの作品にも「えっ、またこの話(笑)」なんてものは時々ありました。

---------------------------------------------------
私の記憶では、引退はその棋戦に勝ち続けている限り続くものでした。それは、期が変わっても続くことはないのでしょうか。
---------------------------------------------------

私もこの一文に接するまでそう思っていました。

---------------------------------------------------
もし、私が師匠であるならば、勝ち続ける以上は「プロとしての資格を維持してほしい」と連盟に対して直訴するでしょう。また、そうあるべきであろうと思います。
---------------------------------------------------

この点は全く同感ですね。

まさか来年の理事選挙を睨んで云々ということでもないのでしょうが、以前私はこのBBSに以下のようなことを記しました。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
--------------------------------------------
 山口は将棋と棋士をこよなく愛し、自ら連盟の宣伝部長と名乗った。しかし、ある時期から将棋を指さなくなり、将棋界や棋士と距離を少し置いた。
 ひとつは健康上の理由で、将棋を指すと血圧が上がったという。長年の願望だった名人戦の観戦記を書いた達成感もあった。それから、親しくしていた何人かの棋士と考え方で行き違いが生じ、不和になったことも一因だったようだ...。
(田丸昇「実録名人戦秘話」2011年12月マイナビ刊より引用)
--------------------------------------------

「長年の願望だった名人戦の観戦記を書いた達成感」というのは、明らかに違っている。山口さんにとって名人戦の観戦記を発表することは、確かにひとつの願望ではあったが、それが第37期で終わることになった「理由」を田丸八段が知らないとは言わせない。終わらせたのは「誰か」ということだ。

それを知っていながら「達成感」などと勝手に締めくくってもらっては困る。この点、私は失望した。それは狡いと思うから。

この時代のことを知っている人は、到底納得できない。こういうことを「達成感」などとごまかしてはいけない。数年前の私ならば、この一節だけで怒り狂い、そうではないという事実を示しただろう。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

こういう意味でも、私にとっては「眼中の人」ではない、ということになります。

痴愚神礼賛さんが「web駒音」「米長さんのお言葉(八)」の2012/06/18(Mon) 19:41 No.44977 で下記のように述べていらっしゃいます。

----------------------------------------------------
中原さんには、せめて 〈これらの処分を撤回していただけないままの状況では、日本将棋連盟会長の職をお引き受けする資格など、私にはありません〉くらいのことは云ってほしかった…というのが、私の(あくまで個人的な)考えです。もとより、中原さんがそういう発言をすることなど、実際には不可能だったに違いありませんし、ましてや私ごとき第三者(しかも一介の素人にすぎない者)には、今頃になってそんなことを口にする権利など、ある筈もないのですが…
----------------------------------------------------

ここは私は「同意」できませんでした。全く筋の違う話だからです。痴愚神礼賛さん、もしここをお読みでしたら「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに- 」のスレッドにぜひアクセスしてみてください。

Pass

[676] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈22)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月28日 (木) 23時56分

世渡り下手爺さま

林葉さんのことを振り返るということは、中原誠十六世名人のことを考えることであり、高校生の時の林葉さんに何度かお会いしたこともあり、十六世名人の大ファンである私には、どうにも辛くなるという面があります。林葉さんのことについては、中原名人の唯一の反論「【再録・決定版】林葉直子との真実」や「【再録・決定版】林葉直子さん関係」に当事者の発言を中心に拙見を述べたものが本サイト内にありますが、それを読み返してみたり林葉恵男さんが書かれた著作を再読したり、当時のことを思い出しながら、私なりに考えたことをもう一度、ここに残しておきたいと思います。

林葉さんが米長永世棋聖の弟子入りを果たしたのは小学校卒業後でした。奨励会試験は四勝二敗で突破。二年後には四級、中学三年の時に蛸島四段から女流王将位を獲得します。

ここで高校進学という問題に直面。米長会長の自宅からの高校通学を懇願しますが、米長会長は「進学するにしても自分の家には置いてはおけない。彼女はもう年頃だからだ」という話をされました。となると、東京で一人暮らしをしながらの高校通学ということになり、ご両親もそれは反対。結果、彼女は福岡に戻り地元の高校に進学することになります。

対局のたびに上京するということを選んだわけです。ご両親は。

米長会長は「将棋にとってはプラスにならない」と難色を示されたようですが、最後には根負けされたとのこと。福岡に戻ってからも女流名人位を獲得。ここがピークだったのかもしれません。以後、彼女の奨励会の成績は下降していきます。高校一年の三学期に彼女は再び上京。米長会長の「できるだけ近くに住まわせる」ということで彼女は東京での一人暮らしを手に入れます。

ところが彼女は「自己管理」はできなかった。奨励会も七級にまで落ちてしまう。ここからは父親の「五通の手紙」「連盟への直談判」「破門」ということへと話は進んでいきます。

「自己管理」ができないというのは本人の問題でもあるわけですが、その予兆がある以上は、やはり一定期間、保護者が林葉さんを東京でサポートする必要があったのではないかと感じます。

林葉さんが連盟に休養届を出して失踪したのは94年5月ですが(95年8月に退会届)林葉さんは「中原さんとの不倫問題が大きい」と述べています。しかし、父親は失踪直前の「倉敷藤花戦で斎田さんに負けたことで、逃げたかったのではないか」ということを述べています。そもそもこの時点で林葉さんの中に「将棋」というものが一体どの程度を占めていたのか、極めて懐疑的なんですね。「ライトノベル作家としてのデビュー」「ペントハウス騒動」etcetc.....。おそらくは彼女に魅力的な世界は沢山あったのだろうという気がしてもいます。

もうひとつ不思議だったのは、この問題について、結構、中原十六世名人は米長邦雄永世棋聖を頼っているということなんですね。これもまた不思議で仕方がない。そう思います。

数年前、米長会長が林葉さんに復帰の可能性を仄めかし、騒動にもなりましたが、これもまた全く私には理解できませんでした。何のためにどうしたかったのかということが、ですが。

Pass

[678]
世渡り下手爺 (/) - 2012年06月30日 (土) 02時57分

JC様

久しぶりに、時間を取ることが出来、「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに」並びに「【再録・決定版】林葉直子さん関係」を拝読することが出来ました。そして、なぜか今回も「駒音」ではなく、この「言葉の対局室」に書かせて頂こうと思います。

「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに」は昔を思い出しながら、楽しく読まさせて頂きました。特に終わりに近づき、花村先生の話を読みながら「なぜ、中原誠が、花村元治だけにいやな思いをしたことがなかった」と語ったことには目をつぶりながら花村先生の徳を感じたものです。

中原誠は、私にとって、というよりも私たちの世代にとって、やはり「若き太陽」でした。穏やかで、将棋が強く、憧れるのには事欠かない人物でありました。しかし、書かれているものを読んでいる内に「もう2人影響を与えた人間がいるのでは」とも感じたことは事実です。一人は山田道美、そしてもう一人は米長邦雄です。

93年に名人を失ってからの中原はまるで別人となってしまったようにも思えます。それ以前より若手の台頭があり、一端は毟り取られた数々のタイトルを奪い返したころには、まだそのような感じは受けず、中原時代はまだまだ続くものと思っておりましたが、そうではありませんでしたね。

正直なところ、「【再録・決定版】林葉直子さん関係」には違和感を持って読ませて頂きました。JC様は文春の記者を信じていらっしゃるようですが、果たしてそうであったのでしょうか。あのテープは、実際にはどのような手段で公開をされたものであるのか。そこには、世間でいう綺麗ごととは違う、穏やかならざる動きがあったと思っております。

林葉問題は、98年頃であったでしょうか、しかしお二人が不倫へと走られたのは92年後半からでは。そこをよく見直して頂きたいと感じております。不倫などと言うものは、もともとが常識では計り知れない部分が多く存在をするものでしょう。しかも、お二人の不倫問題は、本人たち(JC様は違うと思われているようですが)以外の他から流れた不可思議な部分があります。単なる男女間の不倫問題とはかけ離れた暗い闇がそれを覆っております。

私が読ませて頂いた「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに」で、一番共感を得たところは、中原が「素直」であるという事と、「友人がいなかった」というところではないかと思います。「若き太陽」は実は孤独で、遊びすらうまく「人から習う」ことが出来なかった人間なのではないでしょうか。遊びを若くして知らない(習わない)人は不幸なのかもしれません。また、「素直」という側面には「人に騙されやすい」部分もあります。
「騙した人」は、林葉さんではありませんよ。(笑)

あのテープが公開をされ、ワイドショーで話題となり、なんと自宅の前でのインタビュー。そこで彼がとった行動は悪びれもせず、淡々と話をし、時々(3度程)家の中に戻っていましたよね。いったい何の為に、家の中に戻っていたのでしょうか、奥様と相談をされた?まさかね(笑)。どうやら、どなたかと電話をされていたようですよ。いったい何の為に?

JC様は「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに」の中で「番外戦術」についても触れていらっしゃいましたが、将棋界における「番外戦術」は将棋の中にだけあるとは限りません。

プロの将棋人生とは一般的には短いものです。大山さんや有吉さん、花村さんや加藤さん、彼らのように長い人は稀なものです。一度、前に書いたことがありましたが、二上さんが私に語った「やっと、大山さんの記録を抜くことが出来ましてね」には、実は大きな衝撃を受けたものです。そして、私が将棋界の「本当の闇」を知るようになったのは、それから程なくしてからでした。もう、太陽は登らなくなってしまいました。

Pass

[679] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈23)
JC IMPACTU (/) - 2012年06月30日 (土) 11時29分

世渡り下手爺さま

おはようございます。

--------------------------------------------
書かれているものを読んでいる内に「もう2人影響を与えた人間がいるのでは」とも感じたことは事実です。一人は山田道美、そしてもう一人は米長邦雄です。
--------------------------------------------

ご指摘のとおりですね。もう随分と前になりますが、将棋部の後輩が「山田道美作品集・日記」を持参して「JCさん、本当にこういう棋士がいたのですか」と興奮したことがありました。経済的にも苦しく、生活にも疲れて、稽古でお愛想もできず、それでも将棋に打ち込み、結婚する女性をあれほど大事にした棋士はいないと思います。私の父親は「定跡書を何冊か読んだけれど、山田道美さんの著作がいちばん血が通っていた」と話しておりました。はっきり書けば米長会長とは真逆な印象があります。

----------------------------------------------
正直なところ、「【再録・決定版】林葉直子さん関係」には違和感を持って読ませて頂きました。JC様は文春の記者を信じていらっしゃるようですが、果たしてそうであったのでしょうか。あのテープは、実際にはどのような手段で公開をされたものであるのか。そこには、世間でいう綺麗ごととは違う、穏やかならざる動きがあったと思っております。
----------------------------------------------

「【再録・決定版】林葉直子さん関係」はメディア報道から私の拙考を組み立ててみたものですが、勿論、週刊誌メディアであっても「書かない」ことはあります。時間も経ちましたので、私なりに今、思うことを述べてみることにしましょう。

「週刊文春」と「林葉さん」を繋いだものは「誰、どこだったのか」ということがひとつ。「男女間のプライベートな問題とはいえ、名人と花形女流棋士の関係が取りざたされたことについて、連盟としての公式見解が存在しないのはなぜか」ということがありました。「週刊文春」とのコーディネートというのは、林葉さんのご両親ではないご親族のひとりと、棋界を代表する花形棋士のひとりだったと私は考えています。「花形棋士のひとり」は中原名人からの相談も受け「ご両親ではないご親族のひとり」から「意向も確認し」彼は棋士としてアドバイスしたのではないかということですね。変な話ですが、騒動を収拾するための「法律関係者」なんてひとりもでてこないわけです。林葉恵男さんも全くでてこない。私は実に奇妙な印象を覚えました。更にいえば、当時の連盟会長もこの問題から逃げた。そのことが私には哀しいんですね。

はっきりいうなら「林葉さんひとりで」できることではないということです。ただ、ここは世渡りさんと私の考えは異なるかもしれませんが、林葉さんにしても「最後は金銭を巡る泥沼」になってしまった。勿論、中原十六世名人も同様ですが、不倫であっても「ルール」はあるし「覚悟」もいるものでありましょう。免疫がないといってしまえばそれまでですが、ある意味、中原十六世名人は「社会的制裁」は充分に受けたと私は認識していますし、林葉さんが「このネタ」を様々なメディアで語り散らかしたことについては私は全く評価できません。他に生き方はあったと今でも思いますよ。

----------------------------------------------
私が読ませて頂いた「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに」で、一番共感を得たところは、中原が「素直」であるという事と、「友人がいなかった」というところではないかと思います。「若き太陽」は実は孤独で、遊びすらうまく「人から習う」ことが出来なかった人間なのではないでしょうか。遊びを若くして知らない(習わない)人は不幸なのかもしれません。また、「素直」という側面には「人に騙されやすい」部分もあります。
「騙した人」は、林葉さんではありませんよ。(笑)
----------------------------------------------

例えば大山十五世名人に「友人」がいたかどうか、ふと私は思ったのですが、まぁ「大山さんと友人になりたい人がいたかどうか」(笑)という話は別としても、例えば丸田祐三九段のように「苦しい時代を歩んできた」人々との親和性は有していたように思います。芹澤さんは大山十五世に批判的でしたが、この時に芹澤さんが鬼籍に入っていたことは、中原名人にも将棋界にも不幸ではなかったかなぁと感じます。

----------------------------------------------
あのテープが公開をされ、ワイドショーで話題となり、なんと自宅の前でのインタビュー。そこで彼がとった行動は悪びれもせず、淡々と話をし、時々(3度程)家の中に戻っていましたよね。いったい何の為に、家の中に戻っていたのでしょうか、奥様と相談をされた?まさかね(笑)。どうやら、どなたかと電話をされていたようですよ。いったい何の為に?
----------------------------------------------

泥沼な話ですね(苦笑)

----------------------------------------------
プロの将棋人生とは一般的には短いものです。大山さんや有吉さん、花村さんや加藤さん、彼らのように長い人は稀なものです。一度、前に書いたことがありましたが、二上さんが私に語った「やっと、大山さんの記録を抜くことが出来ましてね」には、実は大きな衝撃を受けたものです。そして、私が将棋界の「本当の闇」を知るようになったのは、それから程なくしてからでした。もう、太陽は登らなくなってしまいました。
----------------------------------------------

ある意味、大山十五世は後輩の副会長や理事を育てるなどという意識はなかったと思います。それは悪い意味ではなく「オレほどこの世界を想っている者は他にはいない」という確固たる自信が
あったからでしょう。頭はふたつはいらない(笑)と。

私は、来年「棋士」が「会長」を再任するということは、ある意味「暗黒を背負う」ということをはっきり決めたことだと理解します。そうなったら勝手にしやがれですね、もう。

お時間がある時にこの掲示板のトップページの「最下段」の(最新のページ)の右側に1(1-25)の窓がありその右に▼があります。
これをクリックしていただき2(26-41)に飛んでいただきますと「【再録・決定版】林葉直子との真実 」があります。これは中原さんがご自身で書かれた唯一の反論でした。未読でしたら、ご覧いただけますと嬉しく思います。

Pass

[680]
世渡り下手爺 (/) - 2012年06月30日 (土) 18時32分

JC様

「【再録・決定版】林葉直子との真実 」読ませていただきました。

大体の事は、理解をしていたとおりでありますが、中原の文を読めば読むほど悲しくなるものがあります。人と人との争いには2つの真実があるから起こるものではないでしょうか。しかし、この2人の問題にはその2つの真実以外に、他からのたくさんの嘘や企みが入っておりましたが、中原はこの文を書くまで、それすら気が付かないでいたのでしょうね。

棋界の太陽は、若くしてもて囃され、それが当然のこととして生きていたのでしょう。そのまま16世名人としての生涯を終えられると漠然と生きていたのでしょう。人間の欲がどれほど強いものかなどは全く分かる必要もないほどの恵まれすぎた「専門バカ」であるとしか言葉が見つかりません。林葉がイギリスへ行った時に、「インドのサイババに会いに行った」「近親相姦だ」などのでたらめな騒動があった段階で気が付かなければない事であった筈です。そのようなことが嘘であることを一番わかっていたのは彼なのですから。

銀座の夜の街では「男は見栄を張って生き、女はそれにたかって生きる」という言葉があります。中原の場合には「見栄」ではなく、その人生そのものが「漠然とした自然」であったのでしょうね。今更ながら、「自然流」と命名された原田さんが偉大に見えます。(笑)

美しい女性の周りには、必ず何人かの男性が居り、その奪い合いを見ながら女性はしたたかに成長をしていくものではないのでしょうか。しかし、中原にとって言い寄ってくる女性は全てが「自然」なこととして受け止めていたかのようにすら見えてしまいます。芹沢ともあろう兄弟子がその事を一番大事にしていた弟弟子に何故それを教えてやれなかったのか。それを思うと、何故か理解ができるような、できないような。

ところで、私は何回手紙を燃やしたのかなあ。。。

Pass

[684] 【独立】世渡り下手爺氏への公開私信〈24)
JC IMPACTU (/) - 2012年07月02日 (月) 19時47分

世渡り下手爺さま

-------------------------------------------------
中原の文を読めば読むほど悲しくなるものがあります。人と人との争いには2つの真実があるから起こるものではないでしょうか。しかし、この2人の問題にはその2つの真実以外に、他からのたくさんの嘘や企みが入っておりましたが、中原はこの文を書くまで、それすら気が付かないでいたのでしょうね。
-------------------------------------------------

当時、中原誠十六世名人にも林葉さんにも「言いたいこと」は沢山あったと思います。私がこういうことを「書かなければいけない」ということは、ある意味辛くもあるのですが、中原十六世名人にも「甘さ」はありました。「永世名人は必ず守られる」という錯覚と「プレーンがいなかった」という孤独です。

勿論「週刊文春」の掲載を抑えるなどということは大山十五世が存命であろうと誰であろうとできることではありません。ただ私はあの「3回の記者会見というか晒された中原名人の姿と、それを見守る奥様の視線」をテレビで眺めていながら、一体誰が「棋界の太陽」をひとり立たせて話をさせるという無様な演出を誰が仕掛けたのかと、そればかりが悲しかったですね。反論する、説明するというなら、他に方法はいくらでもありました。

-------------------------------------------------
棋界の太陽は、若くしてもて囃され、それが当然のこととして生きていたのでしょう。そのまま16世名人としての生涯を終えられると漠然と生きていたのでしょう。人間の欲がどれほど強いものかなどは全く分かる必要もないほどの恵まれすぎた「専門バカ」であるとしか言葉が見つかりません。林葉がイギリスへ行った時に、「インドのサイババに会いに行った」「近親相姦だ」などのでたらめな騒動があった段階で気が付かなければない事であった筈です。そのようなことが嘘であることを一番わかっていたのは彼なのですから。
-------------------------------------------------

中原名人の「結婚」に最も気を揉んだというのは高柳名誉九段でした。「恋愛」などという問題に発展する前に「将棋に専念できる環境」として、お見合いをプロデュースしたわけです。おそらく名人には「恋愛」などという経験がない。

恋愛を経験したことがない方が「溺れた」わけです。件の録音テープにしても、送付されたというFAXにしても、それ自体は「嘘」ではないと私は思いますし、中原名人にもその「疾しさ」は当然あったでしょうから、ある意味、林葉さんの反逆に「言葉を失った」という面はあったかもしれません。何もみえなくなってしまったというのが実情だったという気がします。

私は今でも思います。中原名人とタイトルを争う常連棋士が米長邦雄永世棋聖でなかったら。もし米長邦雄永世棋聖が「佐瀬一門」ではなく、高柳一門や他であったなら。もし中原名人よりも後輩であったなら。しみじみそう感じますね。

--------------------------------------------------
銀座の夜の街では「男は見栄を張って生き、女はそれにたかって生きる」という言葉があります。中原の場合には「見栄」ではなく、その人生そのものが「漠然とした自然」であったのでしょうね。今更ながら、「自然流」と命名された原田さんが偉大に見えます。(笑)
--------------------------------------------------

「自然流」といいますか、何といいますか(苦笑)

ただ「人生の名人」ではなかった。そう感じます。

--------------------------------------------------
美しい女性の周りには、必ず何人かの男性が居り、その奪い合いを見ながら女性はしたたかに成長をしていくものではないのでしょうか。しかし、中原にとって言い寄ってくる女性は全てが「自然」なこととして受け止めていたかのようにすら見えてしまいます。芹沢ともあろう兄弟子がその事を一番大事にしていた弟弟子に何故それを教えてやれなかったのか。それを思うと、何故か理解ができるような、できないような。
--------------------------------------------------

芹澤九段と何かの話の時に、まぁその時は相当酒も入っていたのですが「名人になってからの中原は、遠くなってしまいました。ほんとうに」と氏が呟かれたことがあります。

教えることができるかできないかは別にして、あの二人ですら「名人位」は距離を作るということなのでしょう。私は唸ってしまいました。

>ところで、私は何回手紙を燃やしたのかなあ。。。

このコメントはつけにくいですね(笑)

LPSAも公益社団法人となり、渡辺愛さんも3級として正式にプロデビューしました。まぁ、俗だといえば俗な話でもあるのですが、いずれ決算資料もwebなどで公開されるようになると思いますし、その数字はみてみたいと思っています。

ただこれで「統合」はなくなったのかな、と私は思っています。この点、世渡りさんはどうお考えでしょうか。

Pass

[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2025年01月31日 (金) 09時10分

最大レス件数「35」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazonからスマイルセール!1月31日から開催
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板