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[793] 「盤上の人生 盤外の勝負」七條兼三氏について 他
JC IMPACTU (/) - 2012年08月28日 (火) 01時45分

七條兼三氏について、考えてみたいと思った。

前回、河口俊彦氏の最新刊「盤上の人生 盤外の勝負」の中で、中原誠十六世名人について回顧された内容の一部を「【再録】中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに- 」で取り上げた。

この本には11人のプロ棋士が主に取り上げられているが、私が気になったのは、実は「棋士」ではない。秋葉原ラジオ会館の創業者 七條兼三氏についてである。

幸い、湯川博士氏が「近代将棋」で氏のことを取り上げられていた。

将棋界の大旦那「七條兼三」(1)

将棋界の大旦那「七條兼三」(2)

将棋界の大旦那「七條兼三」(3)

将棋界の大旦那「七條兼三」(4)

将棋界の大旦那「七條兼三」(5)

将棋界の大旦那「七條兼三」(6)

拝読したが実に興味深く面白い。河口氏は七條氏と米長さんの関係について、こう自著で述べている。

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四段になってからは順調だったが、六段のとき、ちょっと足踏みした。B級2組からB級1組に昇るのに、三年かかっている。遊び仲間の大内が、「ヨネさんは変な詰将棋ばかり考えて、将棋の感覚がおかしくなっている」と心配した。
私はくわしく知らなかったが、将棋を教えに行っていた、七條兼三氏の影響を受けていたのだろう。
七條さんは、秋葉原駅前に大きなビルを持ち、囲碁将棋が強く、この世界での大旦那だった。先代が明治天皇にかわいがられたという名家の生まれで、昼間は温厚な紳士だが、大酒飲みで、酔うと気性が荒っぽくなり、まわりの者は無理やり酒を飲まされて大変だった。
私が四段になると、米長の紹介で、秋葉原のラジオ会館に週一回、稽古に行くようになった。
囲碁将棋用の特別な和室があり、そこで七條さんは梶原武雄九段と碁を打つ。私は社員や遊びに来た人に将棋を教える。昼の一時ごろから稽古がはじまり、夕方になると終るが、それから宴会である。囲碁の坂田栄男名誉本因坊や、藤沢朋斎九段もよく顔をみせ、楽しい宴会だった。私が助かったのは酒を無理じいされなかったことで、これには理由があった。
囲碁の高川格八段が、橋本宇太郎本因坊から本因坊のタイトルを奪った。当時、大盤狂わせと話題になったが、そこで、七條さんが上野の料亭で祝勝会を開催した。
一同そろったところで乾杯ということになったが、高川本因坊は「酒は飲めないので」と七條さんの酌を断った。
途端に七條さんは、かっとなった。
「盃を受けないのか」と叫び、座敷の中央に高川さんを引っ張り出して、背負い投げで仰向けにし、必死にもがくのを押さえ込み、盃の酒を流し込んだ。
瞬間、高川さんは気を失い、けいれんを起した。アルコール中毒である。
慌てて救急車を呼び、命に別状はなかったが、宴会どころではなくなった。
「あのときは、私もあおくなった。たった盃一杯の酒なのにね。以来、酒を飲めないという男には、絶対にすすめないことにした。だから君は飲まなくてもいい」そんな人柄だったが、囲碁将棋界には世話になった人が多く、大恩人である。
(「盤上の人生 盤外の勝負」(河口俊彦/2012年8月 マイナビ刊より引用)
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次回以降、七條氏の「時代」ということも含めて述べてみたい。氏は棋士という群像をどう捉えていらっしゃったのだろう。

Pass

[794]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月28日 (火) 18時51分

『将棋界の大旦那「七條兼三」』を読んでいると、しみじみと感じることがある。私は山口瞳氏の愛読者で、氏の作品は全て読んできたし「血涙十番勝負(正・続)」は、棋士の魅力を描いた作品としては、中平邦彦氏の「棋士・その世界」と共に今日でも代表的な作品だと思っている。

しかし、改めて考えてみると、山口瞳氏は「旦那」ではなかったのだ。ご本人は「棋界の広報」を自認し、或いは「旦那」的な意識も有していたかもしれない。しかし、七條兼三氏のエピソードをみれば、やはり「旦那」では「ない」のである。別に「旦那」でなければいけないということはないのだけれど。

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七條さんは、ただ、プロを呼んできて喜ぶ旦那ではない。旦那の初級中級はとっくに超えた、旦那強豪である。当然プロを見る目が辛い。

「将棋が強いだけではダメです。人間が出来ていないと、文化とは言えません。ボクは、碁将棋が好きですから応援しますが、筋の通らないこと(常識はずれ)は許しません」

プロ棋士なら誰でも大歓迎する優しい旦那になれていると、うるさい旦那を敬遠し、あまつさえ悪く言う人も出る。一流は一流を呼ぶというが、升田、大山ほどになると、お互いの凄さが解かってくるのだろう。
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断っておくが、私は一介の勤め人であり、間違っても「旦那」ではないし「旦那」にもなれない。ただ、子供の頃から「将棋」が好きで、学生時代は、その将棋に熱中し、勤めてからも私的な部分や仕事の部分で、棋士と接する機会に恵まれた。おそらく一生涯続く「趣味」のひとつになった。

芹澤九段、中原十六世名人、谷川十七世名人、米長邦雄永世棋聖、内藤九段、大山康晴十五世名人.....。若い頃にお会いしたこともあって、棋士という人々は、実に魅力的であった。これは仕事に関わることなので、詳細は記さないが、大山十五世名人は、時に「えげつないこと」方でもあった。それはちょっとした事件にもなったのだけれど、その時ですら、当事者の私は「なるほど勝負師というのは、こういうスタンスなのか」と妙に感心したことを今でも覚えている。つまり、それほど棋士というのは今でも眩しい存在である。私には。

それは段位とか獲得したタイトルの数とか男性とか女性とか、そういうことは関係しない。白状するなら、将棋の専門棋士といわれる人々の「強さ」というものに対して、私には絶対的な尊敬に近いものがある。更に言うなら、私はひとりのファンに過ぎないから、棋士の厭な面というものを露骨に直接みてはいない。例えば芹澤九段にしても、私には優しかった。

私はこのことを最近まで知らなかったのだけれど、石橋幸緒代表理事は、LPSAで渡部愛さんが所属するまで、最年少だった。それはそれで、色々と大変な面もあるだろうなぁと推察している。だから私なりに応援もする。

七條兼三氏は「大旦那」であると同時に、おそらくは「棋士を躾ける」という役割を果たされていたのだろう。そこには「人間と人間」の交流やぶつかりあいがあったはずだ。

ある意味、将棋は「ビジネス」になった。新棋戦の発足もFCも媒体社、スポンサー、団体というトライアングルの中で「仕事」になった。棋士個人の思いや葛藤、軋轢、何が正しくて何が嘘なのかというような話をきちんと吸い上げる機能が確実に乏しくなっている。棋士本人がそれを発信しようものなら、よってたかって叩かれる。調整というような役割も存在しない。

歪である。しみじみそう思う。

例えば色川武大や井上光晴のような、ある種の「無頼派」と呼ばれる作家は今、いなくなってしまった。伊集院静ぐいだろうか。
挙げるとするならば。

過日、書店でたまたま流行作家と呼ばれる方のサイン会場を通りかかったのだが、あんなに平身低頭して、媚諂うようにしないといけないのかと、その作家が気の毒になってしまった。作家も読者も「人としては」同じ地平に存しているし、また同様に愛読者というものは、その作家を尊敬し作品を期待する。「尊敬し期待する」という部分が、何故だか削ぎ落とされてしまったように感じたのだ。

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七條さんは戦前の芸人と旦那の物差しを持っている。ところが多くの将棋ファンや旦那は戦後の物差しで、むしろ棋士に気を遣う風潮である。それもおもしろくないことで、

(本来、芸人とはこういうもの…)

そのことを示してやろうという気がどこかにある。それもこれも、金を払って雇った芸人という感覚が根底にあるからではないか。

たとえば七条サロンに来る紳士たちは、お金をもらっているわけではない。囲碁・将棋の友人関係であるから、決して七條さんが威張るような場面は出てこないし、酔ってつむじを曲げるようなこともない。だが、同席している棋士(師範)は友人のごときであるが友人ではない。

このこと(旦那と芸人の関係)を踏まえないと、七條さんのような、階級倫理観を持った人を理解できない。
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実はここが私のような、ある種の盲目的なファンにはなかなかに難しい。指導対局にしても、アドバイスにしても「教えていただいている」という意識がどうしても先に立ってしまうからだ。

ただ、将棋はともかく、それ以外の「振舞い」でおかしなことについてはおかしいと、言わなければならないのだな、という気はしている。年齢を重ねるということの中には、実はそういう役割も存するのかもしれない。

Pass

[795]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月28日 (火) 20時07分

「盤上の人生 盤外の勝負」に次のような一節がある。

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ちょうどこの頃(引用者註:平成九年度)、羽生の今後に大きな影響を与えたであろうと思われる出来事が起った。
東京将棋会館が建ってから20年以上が経ち、あちこちが傷み出した。そこで、大がかりな修理をするか、いっそ建て直すか、という話が出た。
大問題であるから、例によって審議委員会が作られた。中原誠が委員長で、羽生など上位棋士が委員として加わった。
このとき羽生は、将棋界の実質的な代表者になったのだから、運営面にも関わらねばならぬ、との使命感を強く持った。そして、この問題を真剣に考えたらしい。
建築について勉強し、一級建築士や会計士などにも助言を求めたと聞く。そして、建て直すべきとの結論を得て、試案をまとめた。それをみた先崎学によると、考えられぬほど完璧なものだったという。
委員会も羽生案を答申しようという空気だった。自信を得た羽生は、東京だけでなく関西でも、若手棋士たちとの集会を開き、試案を説明し、賛成を得た。
そうして、棋士総会で羽生案が採決されることになった。念を入れて、総会当日の午前中に、鳩森神社で羽生案支持の若手棋士たちを集めて、意見を確認した。
午後から棋士総会が開かれ、いよいよ「将棋会館建設」についての採決がはじまった。
理事会が示したのは、(1)新将棋会館を建てる。(2)五年様子をみる。(3)十年様子をみる。の三つからどれかを選ぶ、という投票方法だった。建て直すか、やめるか、白か黒かと言わないで、三者択一にしたあたりが将棋指しらしいやり方である。投票結果は大差で、(3)十年様子をみる、だった。
その結果は仕方ないとして、驚いたのは、羽生案に対する支持が予想をはるかに下回ったことで、感じとしては、支持すると確約した棋士の半数が裏切っていた。
私は肚が立った。今の将棋界の若者はどうしようもない、と思った。表では羽生にへつらいながら、陰で裏切るなんて、いかにも陰湿ではないか。結果が出たときの羽生の顔を見ることができなかった。
羽生には大ショックだったろう。これ以後、運営面に関わろうとはせず、若手棋士たちとも付き合わなくなった。棋士総会には顔を出すが、それも中途に来て、すぐ帰ってしまったこともあった。
ともあれ、将棋界はあのとき、いちばん大切な人のやる気をなくさせることをしてしまったのである。それがどれほどの損失か、反対票を投じた若手棋士たちはわかっていない。私の若手の将棋を見る目は、このときから変わった。
(「盤上の人生 盤外の勝負」(河口俊彦/2012年8月刊 マイナビ刊より引用)
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.....A級に戻ってからも(引用者註:羽生名人誕生ののち)名人復帰への意欲を持ちつづけ、平成六年度、平成七年度と六勝三敗の好成績だった。
そのころ、米長は将棋連盟の政治面に直接関わりたい、と思うようになった。そして理事会に打診したら、理事会は頑としてそれを拒んだ。「会長じゃない、平理事でいいんだぞ」と言ったが、それでもだめだ、と言われ、そこで米長はカッとなったとは、後で聞いた話である。
(「盤上の人生 盤外の勝負」(河口俊彦/2012年8月刊 マイナビ刊より引用)
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羽生十九世名人の「こと」については河口氏も「総会」に参加されているし、米長永世棋聖については、直接話を聞いたとあるから、一定の信憑性はあると思い、ここに紹介させていただいた。

将棋会館を建て直すことが決まったのちに、米長氏は当時の加藤治郎名誉会長と共に「順位戦改革試案」を作成。ところがそれは大山十五世名人の「そんな話は聞いていない」の一言で、一瞬にして討議もされずに闇に葬られる。総会終了後、米長氏は「これからは、どんな案が出ても、俺は絶対に反対する」と憤ったというエピソードも本書には紹介されている。

私は今更、米長会長を再評価するという気持ちは微塵もないが、この本を読むと、氏も相当、連盟の中で「煮え湯」を呑まされたということだけはわからなくもない。こういうことが続けば、人は「人間不信」に陥ってしまう。だからこそ、この連鎖を断ち切るというスタンスに立てなかったものだろうかと、その点は残念という他はない。

羽生十九世名人も、これが事実であれば「強烈な人間不信」ということになるのだろう。しかし、棋界の第一人者で、まだまだ若い羽生十九世が、だからといって「自分のことしか」考えなくなったというのであれば、これはこれで寂しいものがある。

選ばれた者は、それではすまない。

私はそう考える。

Pass

[796]
世渡り下手爺 (/) - 2012年08月29日 (水) 00時02分

JC様

「七條兼三」これはまた、凄い題材を見つけられましたね。

JC様の「七條兼三像」これから楽しませて頂きます。

刀が飛ぶか、ピストルが吠えるか(笑)。

Pass

[798] 読了
ポン太 (/) - 2012年08月30日 (木) 23時27分

盤外の勝負、新潮当該記事読了しました。私は河口老師の著作はかなり読んでいると思いますが、新潮の中原永世名人の、フィクションという評価、はかなり興味深いものでした。まあどんな場合も当事者からみれば、他人の記述は完全な物ではないと思ってあたりまえなので、フィクションという評価も当然でしょうが。
今回のこの著書は、いままでの河口老師の著書に書かれていたこともありましたが、森内永世名人や佐藤永世棋聖のことなど新しく面白い記述もあり、なかなか興味深いものでした。
非常に失礼なことを敢えて言えば、自分の弱さを自他共に認め、ある種居直った者の強さのようなところも、著作という点では良い方に作用したのかもしれません。
新潮の米長会長に関する記事は、つまらない記事かもしれませんが、なにか終わりの始まりを予兆させるような気もします。
とにもかくにも、次は微笑みの人です!!

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