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BBS言葉の対局室

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2013年8月27日(火)22時より「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室を開設致します。

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[13] 某月某日- nonsection genre - ※ログ終了※
JC IMPACTU (/) - 2011年05月05日 (木) 00時31分

某月某日(といっても5月4日の話である)

日本将棋連盟のチャリティイベント「がんばろう日本!チャリティー将棋」に参加すべく千駄ヶ谷へ。私が到着したのは12時過ぎだったが、既延々長蛇の列。開場時には200名以上が並んでいたように思う。指導対局は何とか間に合った。(三面指し)

窪田義行六段の「三面指し」私は氏のことを全く存じ上げなかった。いずれここに書くつもりだが、一昨日「激指10」というソフトを購入し、指してはみたものの「おっそろしく強い」きちんと読んでいない面はあるにしても負けは負けである。角落ちの自信は全く喪失しているので「飛車落」の手合い。最近、ようやく子の手合いは伸び伸びと指すことができるようになった。

さほど紛れることもなく会心の一局となる。他の二人は飛香落ちと平手、勝ったのは私だけである。手合いはどうあれ、初手合いの棋士に「一人だけ勝つ」というのは嬉しいものである。わはははは。

その後、色紙と扇子を買い求め、特別対局室の盤を前に森内九段や渡辺竜王、広瀬王位と記念写真。2階の道場での指導対局を見学し、一日を楽しんだ。

佐藤康光九段、郷田九段、三浦八段、木村(基)八段らが眼前にいる光景というものはやはり迫力がある。子供たちの姿も少なからずみえたし、着物姿の若い女性も指導対局に参加していた。なかなかの集客力である。イベントとしては成功と言えるだろう。

佐藤康光九段と小学校二、三年生の子供が指している姿が目に止まった。手合いは六枚落ち。正しい手を指せば勝つのはひとめなのだが、なかなかそう指せない。佐藤九段が、あまり根拠のない紛れの一手を指すのだが、相手をしてしまうものだから、局面がどんどん狭くなる。ついに下手玉は必死。子供の顔は真っ赤である。「負けました」と口にした途端に肩が震え、大粒の涙が盤に落ちた。私も思わず胸が熱くなってしまった。お母さんらしき方が寂しそうに微笑んでいる。

佐藤九段は優しく感想戦で上手に詰みがいくつもあることを指摘する。子供は涙をこらえながら懸命に頷いている。

米長会長がどうだの理事選がどうだのLPSAがどうだの女流がどうだのと、そんなことは勿論、この坊やには何の関係もなければ興味もないだろう。ここに集った大部分のファンというのはおそらく大半が同様だろうと思う。

この坊やは、最後に佐藤九段から頭を撫でてもらったそのことが、きっと一生の宝物になる。それていいじゃないか、とふと思った。というか、その視点を無視しては、おそらくwebの発言など全てが遠吠えになる。そんなことを考えながら会館を後にした。

Pass

[21]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月07日 (土) 10時05分

某月某日(といっても5月5日のことである)

カミさんと横浜中華街から神奈川近代文学館へ。彼女が幼年期に家族と訪れたいという店だが、幸いにもまだ営業していた。中華街に足を向けたのは5年ぶりぐらいだが、いたるところに「バイキング」だの「食べ放題」だのという原色の看板が飛び込んできて驚く。中華街としての「雰囲気」が全く異なっていた。大人の街ではなくなったといえば言い過ぎか。

近代文学館では「遠藤周作展」私はキリスト教の信者ではないが氏のいい意味での多様性にある種の感銘を受けてきたし、重厚な作品とおもしろおかしく描かれたエッセイを書き分けるというよりは、どちらも同じ作家の手によるという点が好きなのだ。人間には様々な「顔」があり、明暗があり、おそらくはそのどちらにも真実があるという「万華鏡」のような作家といえば、まず第一に遠藤周作を思い浮かべることができる。「沈黙」という作品は「神の沈黙」では決してないということを確信でき、満足感を覚えた。

帰宅途中に神保町に立ち寄り三省堂の古書館に。新刊書店と古書店のコラボ、うまくいって欲しいと思う。

Pass

[24]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月09日 (月) 22時40分

某月某日(といっても5月8日のことである)

ゴールデンウィーク最終日、いきつけの理髪店(もう8年近くになる)の同じ担当者の方で散髪。根が無精なのだとしみじみ思う。黙っていても仕上げてくださるという感じがいい。カミさんと待ち合わせて昼食は上野で蕎麦。古書店を3店舗ほど冷やかし、夜は実家近くの小料理屋で和食。交際した頃に比べれば食事の好みも変わったし、体力も衰えた(苦笑)

GWは「岳」「これでいいのだ!」「イヴ・サンローラン」「八日目の蝉」「ダンシング・チャップリン」を夫婦で鑑賞。「八日目の蝉」が頭一つ抜き出た作品になっていた。永作博美さんの名演に感動。作品も含めて日本アカデミー賞の候補になるだろう。「チャップリン」は、それなりにいい作品なのだけれど、ドキュメンタリーの手法としては、些か中途半端な感じがしなくもない。「岳」の長澤まさみは、正直、役者としては「大根」という他はなく、ミスキャストである。

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[26]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月10日 (火) 23時23分

某月某日

このGWに初めてパソコン用の将棋ソフトというものを買い求めた。その名を「激指10」という。昨年コンピューター将棋選手権で優勝。今年は4位という成績だった。指してみて、そのあまりの強さに驚く。最初に「女流棋士と7番勝負」というプログラムで岩根二段と指してみた。手合いは二枚落ちである。(というか二枚落ちで4勝しないと次の手合いに進むことができない)

正直に書けば、最初2連敗した。適当に指していると忽ちにして形勢がおかしくなってしまう。定跡できちんと対処しないと油断ならない。その後3連勝、まぁこの手合いは何とか卒業させてもらえそうだが、次の飛車落ちになると相当苦戦するのかもしれない。

羽生名人はかって「コンピューターソフト」と指さない理由について「人格が悪くなる」という趣旨のことを述べたことがある。コンピューター相手に「人格」を持ち出すあたり、羽生名人らしいとも言えなくもない。

このソフトの最高段位は六段だったか、とてもではないが勝てる自信は全くない。おそらく15手くらいの詰みでも、絶対に間違わないのだろう。

まだ角落ちや飛車落ちを指していないが、私のような棋力の者が体験しても、二枚落ちで勝ち切れば、確実に初段から二段の棋力はあると思う。

勤務先にソフト「だけ」で将棋を覚え、学んで実力四段になった者がいる。いずれ指す機会があるのかもしれないが、そういう将棋は、私には何とはなく「怖い」そんな気がする。

Pass

[28]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月13日 (金) 22時31分

某月某日

連休が終わってから「風邪気味」がずっと続いている。ついに昨日は会社を休んで、終日、食事以外は寝室からほとんど出なかった。「高峰秀子の流儀」など軽めのエッセイを読む。

そろそろ直木賞の候補予想。有志と行っているのだが、今月の刊行作品を読まないままに先走りはできないものの、私の中では葉室麟さんの「恋しぐれ」が受賞最有力だと思っている。ミステリーで湊かなえさんが候補になるかどうかも興味深い。

Pass

[31]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月17日 (火) 23時40分

某月某日

さきほど帰宅して「名人戦」第4局1日目の棋譜を追ってみる。△3五歩までの局面。私の棋力では優劣など全くわかるはずもなく、封じ手も、さっぱりわからない。ついつい桂成を防ごうとする手に目がいってもしまうのだが、もはやそういう次元ではないのだろう。指せというなら▲6四歩といったところか。

ここ数ヶ月、思い出したように高校時代の親友とメールのやりとりをしている。数年になるが彼の体調があまりよくない。この連休に会う予定を立てていたのだが、突然に卒倒し、病院に運ばれた。しばらくは、何度目かの自宅療養になるとのこと。

連休中は病院で過ごしていたので、見舞いを打診してみたが「まとめて快気祝いをしてくれ」とのことだったので、彼の言に従うことにした。私自身、幼年期は「虚弱」だったから、病院や入院ということについては、厭というほど知っている。そのためか昔から、人から見舞われることも、或いは人を見舞うということも苦手だった。何かこう自分の健康をみせびらかしにいくようで、そのことへのうしろめたさというものを感じるからだ。

その一方では「自分が健康である」ということの有難味を妙に感じたりもする。しかし、それはそれでまたいやらしいことではないのかという意識もあって、時折、複雑な気持ちになる。

困ったものだなぁと思わなくもない。

Pass

[33]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月19日 (木) 23時05分

某月某日

今日は指導対局の日、飛車落ちではなく角落ちで2局。いずれも惜敗。どちらも必勝の体制からの「負け」だった。「終んご盤力だけなんですよ」と先生に慰めていただく。対局前と終了後に専ら、連盟の現体制についてのよもやま話。

次期会長の問題について興味深い話がある。流石に詳細について書くことは憚られるが、LPSAと連盟の「雪解け」がみえたような気がして嬉しくもあった。そう遠くない将来、といっても時間の感覚は人によって様々でもあり、これも具体的には控えたいが、まぁ、慌てず騒がずという実感だけは確信できた。

21日には里見さんの奨励会試験2回目。前回も含めて、この戦績は奨励会員は記録としてカウントされるそうだ。なるほどそういうことであれば、前回の手合いは些かバランス的には不思議な面もなくはない。

今回は奨励会4級との香落対局。里見さんが先手番である。先手番と香落ちのハンディをどけくらいとみるか、ということだが、過日の新棋戦での里見さんの出来であれば、上手に充分目があるだろうとのこと。ここは、あえて「奨励会員」の意地を見せて欲しいという気はしなくもない。

Pass

[37]
ビストロ (/) - 2011年05月27日 (金) 20時15分

明日 将棋ペンクラブの交流会に行こうかと思っていたんですが
義父が入院して(たいしたことはありません) 鬼嫁がつきそいで
いくことになり、子どもの面倒をみなくてはならなくなり、
いけなくなりました。

もし JCさん出席なら、恵子さんによろしくお伝えください。

Pass

[40]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月27日 (金) 23時48分

ビストロさん

>明日 将棋ペンクラブの交流会に行こうかと思っていたんですが

承りました。空模様が気になるところですが、惠子さんにもご挨拶できると思いますので、お伝えしますね。お大事になさってください。

当日の模様は、ここでお伝えしたいと思っています。



Pass

[42]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月29日 (日) 22時25分

某月某日

将棋ペン倶楽部関東地区交流会。天候は芳しくなかったが4Fの会場は、おそらく80名ぐらいはいらっしゃったのではないだろうか、大盛況だった。惠子さんにお会いするのは暮れの落語会以来ということで、ご挨拶。私は盤面を前にした惠子さんを拝見するのは初めて。穏やかな表情の中にも「勝負をしている」という眼光は美しい。

アカシヤ書店のご主人が受付をされていた。船戸二段と指導対局の機会をいただく。飛車落ちで負け。プロに教えていただくと肌身に感じることがあって、飛車であれ角であれ、駒落将棋での本定跡では、なかなか勝てるものではない。途中から「捻り合い」となり、必ず未知の局面に遭遇する。「筋のいい将棋」と慰めていただいたが、この道は険しい。うん。

他には、田中(寅)九段、谷川治恵女流四段、斎田晴子女流四段といったみなさんが指導対局を行われていた。途中、米長邦雄会長もご挨拶のため来室。「これからは仲良くやりましょう」とのコメントに「これから(も)ではないのかしらん」などと突っ込みを入れる方は勿論いない(笑)

表彰式では勝数に応じて「賞品」が全員に提供される。その賞品といっても「記念品」レベルとは全く違うものだ。森内挑戦者他色紙多数、書籍多数である。連盟の売店で色紙を買い求めると15,000円である。日頃は売られない棋士の色紙もあったりして、皆さん、選択に悩まれてもいた。私は指導対局の後、1局指して何とか勝たせていただいた。選んだものは中原十六世名人の棋書であった。

湯川博士氏からは「被災地を巡る会員のみなさんの動向について」報告がある。「将棋盤と駒を被災後の自宅から探し出し持ち出された方のエピソード」などが披露された。

16:30からの懇親会は、羽生善治VS村山慈明の王位戦プレーオフを襖一枚、壁一枚で仕切って行われる。羽生名人勝利は、二次会の会場で木村弁護士から報告された。名人戦第5局も、控室でペン倶楽部懇親会が行われ、そこそこ音が聞える環境が羽生名人に勝利をもたらすのかもしれない。

ここでは湯川夫妻の家庭料理も振る舞われ、日本酒、麦酒、ワインと私も随分と呑んだ。普通は対局室の場で「酒を呑む」というのは何となく不思議な気もして、美味しい酒となった。

二次会は千駄ヶ谷近くの居酒屋、三次会は新宿の「あり」へとなだれ込む。前にどこかで書いたことがあったけれど、「あり」には芹澤博文九段の色紙が飾られている。少なくとも人生の後半を「面白い」などと感じたはずのない九段が、哀しみをこらえてそう書いたであろう色紙は、何度見ても味がある。私はカウンターに座っていたのだが、後ろのボックスでは、男性陣、女性陣のリレー将棋も開催されていた。酔って眺める盤面というものは、これはこれで面白いものである。最後は私も含めて、三人ほどで近くの「ラーメン」九州ラーメンの「パリカタ」を年甲斐もなく頼んでしまう。帰宅は3時半頃だったか。

ビストロさん、来年は参加できるといいですね。

将棋が好きな人が無邪気に集まる会というのは、楽しいものですよ。ほんとに。

湯川ご夫妻、幹事の皆様、延々と呑み続けたみなさん、ありがとうございました。改めまして感謝申し上げます。

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[45]
ビストロ (/) - 2011年05月30日 (月) 18時26分

リポートありがとうございます

来年はぜひ参加したいと思います!

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[47]
JC IMPACTU (/) - 2011年05月31日 (火) 21時06分

ビストロさん

来年、交流会でお会いしましょう。

私が驚いたのは、女性の参加者が少なからずいらっしゃったことです。男性陣も懇切丁寧に手ほどきされていました。プロには当てはまらない世界でしょうが、こういう和やかな風景に遭遇すると、将棋というのは決して勝ち負けだけじゃない、としみじみ思います。

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[50]
JC IMPACTU (/) - 2011年06月03日 (金) 06時46分

某月某日

私は民主党という政党に一票を投じたことは一度もないので、その点、疾しさも後悔も全くないのだが、昨日の「内閣不信任案否決」の報道に接して、この国の政治家には「含羞」というものが見事に失われてしまったのだ、ということを痛切に感じた。

「解散すれば」「党を割れば」民主党は確実に大敗、退廃することになる。それをわからない党員はいない。「政策を実現するために、自身のビジョンを具現化するために政治を志す。そのためには野党よりも与党であることが求められる。マニフェスト選挙というのは、故に有権者の重要な選択要因となる」わけだが、守れないマニフェストなど罪以外のなにものでもない。できるはずもないマニフェストで有権者を騙したということになる。

管直人総理の退陣時期を巡って、鳩山前総理は「第二次補正」の道筋がついた段階であるということを明言した。その時期に曖昧な態度を崩さない管総理に「人間は嘘をついてはいけない」とぶら下がり会見で述べた。実に滑稽な話である。

退陣する総理など諸外国は相手にしない。何を話したところで意味がないからである。党派を超えての結束を管総理は求めたが、そもそも党内で結束ができたことなど一度もない。与党としての責任とは何か。この人にはわからないのだ。

「民主党を割らない」という確認事項のトップをみて、これはもう悲哀以外のなにものでもない。党を割れば「二度と与党のような振舞はできない」ということを彼らは最も感じている。だから結党時の思い出話に花が咲く。

「含羞」が失われたというのは、そういうことだ。


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[52]
JC IMPACTU (/) - 2011年06月07日 (火) 22時25分

某月某日

ある全国紙の将棋担当者と食事。
この方も2月には「公益社団法人の実現」を確信していた。「公益社団法人が実現していなければ、会長は禅譲なんて発想は絶対にしませんでしたよ」とのこと。考えてみればそうかもしれない。

「この2年間が終われば、米長会長は退かれると思います。はっきり言えば、そのあと誰になってもLPSAと女流棋士会の統一は現実味を増しますよ。間違いないと思います。ただし、それはLPSAが本当にそれを望めは、という前提があっての話ですが.....」

私もそう思う。望まないものを無理矢理、どうこうするものでもないからだ。

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[66]
JC IMPACTU (/) - 2011年06月29日 (水) 23時37分

某月某日

来月早々には第145回直木賞候補作が発表される。仲間内でわぁわぁと候補作ならびに受賞作の予想会。

この作品は必ず候補になるし、受賞して欲しいとも願っているのが葉室麟「恋しぐれ」(文藝春秋刊)本命中の本命と予想しているのだが.....。

あと個人的には島本理生さんの「アンダースタンド・メイビー」(中央公論新社刊)実に読み易いミステリーである。直木賞候補にミステリーは選ばれても、その先が難関なのだが、もし候補になれば、私は受賞を願う。

池井戸潤の「下町ロケット」これ、厳密に言えば発売時期的には前回の候補作にならなければいけないのだけれど、なぜか漏れた。しかし読み始めたら止められなくなったという意味では、この作品は実に楽しませてくれた。前回候補作の「鉄の骨」よりもスリリングだし、人間も描けている。この作品の受賞は「人々を元気にしてくれる」と思う。

あとは色々だけれど、私としてはこの3作は候補に入って欲しいと思っている。さてさて当たりますかどうか.....。

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[71]
JC IMPACTU (/) - 2011年07月11日 (月) 23時30分

某月某日

カミさんと銀座で小津安二郎監督作品「東京物語」を映画館でみる。「七人の侍」は劇場でリバイバルを3回鑑賞する機会に恵まれたが「東京物語」を大きなスクリーンでみるのは初めて。実に嬉しかった。

家内の実家、拙宅共々「CATV」のチューナーで「デジタル放送」は視聴できる環境にあるのだが、これもいい機会かと思い、それぞれ「大型テレビ」を購入。正直、今の地上波で報道番組やドキュメンタリーを除いては、どうしてもみたいという番組はない。録画して改めて視聴したいと思わせるものもない。テレビを視聴する時間よりも活字に接している時間、カミさんと「あれやこれや」と話している時間の方が圧倒的に多い。薄型の「ブラウン管」ならともかくとしても「液晶テレビ」でブルーレイだの何だの言っても私には違いが殆どわからない。

その昔「1インチ1万円」と言われた「大型テレビ」は量販店でみる限り、驚くほど価格が暴落している。買い替えるタイミングとしては今かもしれない、という気持ちが働いた。

私は「映画」というものは「映画館」でみるものだという信念が昔からある。映画館での大きなスクリーンで公開することを前提に制作されたものだから「映画館」でみる。別に難しい話ではない。だから「テレビ放映」や「DVD」を視聴しただけの作品というものは、私にとってはみたことにならない。そんな「評価」は甘くなると思ってもいる。

私は「東京物語」を衛星放送やDVDで何度も観ている。しかし今回、劇場でみて、私自身の「思い違い」に気がついた。最後に近いシーンで周吉(笠智衆)が紀子(原節子)にとみの形見として時計を渡す。私はそれは腕時計だと思っていたのだが、それは懐中時計だった。この形見が「帯どめでも指輪でもなく」何故、時計だったのかを考えることは実に興味深い。一言でいえば、あの「形見の時計」は「周吉の弱さとエゴイズム」の象徴だと私は考えているのだが、実に緻密に計算され尽くした作品だ。

エンディング、冒頭のシーンとは異なり周吉は自宅にひとり佇んでいる。その映像の傾きを私は劇場で初めて実感したのだれど、老いたる者の哀愁をこれほど見事に表現した映像を私は知らない。

昭和28年、一般家庭に勿論テレビなど「ない」時代である。良し悪しは別にして、そういう時代の人々は、相手に接して、相手の顔をみて、それはそれは多くのことを語る。人と人が交わることが当たり前だった、そんな時代の名作である。

山田洋次監督が来年、現代の「東京物語」を制作される。間違ってもつまらぬリメイクにしてほしくない。尾道と東京、大阪と東京の移動手段が全く異なる今日、その世界観を誤ると、これはもう間違いなく駄作になるからだ。

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[73]
JC IMPACTU (/) - 2011年07月14日 (木) 21時58分

芥川賞、直木賞の選考結果を「ニコニコ動画」で眺めていた。芥川賞は「該当作なし」直木賞は池井戸潤氏の「下町ロケット」が受賞された。書店員の方とメールで「結果の感想」などを何人かやりしりさせていただいた。

総体的に言うなら「選考委員にとって最もわかりやすい作品が受賞した」ということになるのだろうか。ただし、私にとってそれが不満などということは全くない。地震が発生しようがしまいが「面白く読めた小説」であった。池井戸氏のような、今後も「書く気マンマン」という作家が受賞するというのは、いいことでもある。

「ジェノサイド」のような作品が直木賞を受賞するためには選考委員が「一回り半」ぐらい入れ替わらないと厳しいのだろうなという印象を有した。あんな分厚い大作を一気呵成に読んだのは本当に久しぶりである。それほど私は夢中になった。

乱歩賞受賞作の「13階段」を遥かに凌ぐ圧倒的なスケール感がたまらなかった。本の腰巻にある文句は、読み手によっては嘘偽りのないコメントでもある。

さて、次回1月に向けての「読書」が、また始まる。

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[81] ジェノサイド読了
ポン太 (/) - 2011年08月06日 (土) 11時39分

ジェノサイドようやく読了しました。若い頃と違って、面白くてもなかなか一気に読めませんのがつらいです。わたしはやはり冒険小説として読みました。細部には陳腐な所や若干首をかしげることがありましたが、全体としてとても面白かったです。傭兵達の戦闘場面は少し偽善的な気がしますが、特にイェーガー、少年兵との戦闘場面やその選抜方法はいままでにどの小説でも読んだことがなかったので非常に悲惨な描写ながら、通常兵士との違いがわかり興味深かったです。おそらく作者はAJクイネルのような本当の戦闘を知った人ではないと思うので、ある意味あのようなウエットな戦闘場面を描写したのかなと思います。もちろん私も本当の戦闘場面は経験したことがないのですが、あの描写の方が確かにジェノサイドのテーマには沿っているのかなと思いますが。新人類については私もふだんから素人ながら考えていたので、いままでとは違う精神構造というか、単に現世人類の能力向上でなく、別の思考方法・神経回路をもつという可能性が面白かったです。つまりかれらの考え方や悩みは、我々には絶対的に理解できないであろうというところです。とにかくこの小説には、次のページをめくる力を読者に与えるということでは、大変な優れものですね。
JC様にはこれからも面白い本、興味深い本を教えて下さいませ。
私は専門書以外のほとんどの分野のほんを読みますので、よろしくお願いします。

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[82] 読書の愉しみ
JC IMPACTU (/) - 2011年08月08日 (月) 19時33分

ポン太さん

「ジェノサイド」お楽しみいただけて何よりでした。私、実は冒険小説を読んだのは本当に久しぶりだったのですが、とりわけ直木賞は、芥川賞とは様相が少し異なり「書き続けることができる」作家に与えられるべきだと考えていますので、いずれこの作者も受賞作が期待できると考えています。

ここ数年ということで申し上げればミステリーは、

「死亡推定時刻 」(光文社文庫) 朔立木

最近作では

「ある少女にまつわる殺人の告白 」(宝島社)佐藤青南が圧倒的に面白かったですね。

ノンフィクションでは「A3」(集英社)森達也が記憶に残っています。

いわゆる「文学」ではそうですね、白石一文の「この世の全てを敵に回して」(小学館)発売以来、何度も読み返しています。


ポン太さんの「お薦めの一冊」もぜひご教示ください。

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[84] ありがとうございます
ポン太 (/) - 2011年08月13日 (土) 22時37分

早速ご紹介いただいた本を、今読んでいる本が終わりましたらよませていただきます。わたしは不精者なので、同時に何冊かの本を同時に読んでいきますので、どうしても一冊読むのに時間がかかります。まあ、本当は飲み過ぎのせいかもしれませんが。
私が最近読んだ本の中で面白かったのは、英国のカズオ・イシグロの、わたしを離さないで、と麻雀の小島武夫の、ろくでなし、です。 
私を離さないで、のほうは映画化されたそうで、私は未見ですが、見たかたの映画評ではまあまあのできだったようですね。小説の方はいろいろ考えさせる内容だと思いますが、色んな疑問もわく内容でした。一本の長編にするより、12本くらいの連作集の形式にした方が良かったのではと思います。ただ、この小説は十分に続編が面白くかけそうなので、また出版的にも多分成功したと思いますし、私が感じた疑問はみなが感じると思うので、そのへんも含めて、ある程度時間をおいてから、作者は続編を書くかもしれないと思ってます。
ろくでなし、はかなり衝撃を受けました。麻雀する者なら誰でも知っている人で、まさにミスター麻雀、がこのような人生を歩んだかと思いますと、いろいろ考えます。他の現在のチャンピオンクラスの雀士のブログを見ても、まさに彼らは良くも悪くも、博打打ちですね。決して馬鹿にしているのではなく、本当に好きだからやっているのだと思います。大きなタイトルで優勝しても、将棋や囲碁の棋士のように紅白歌合戦の審査員に呼んでももらえませんし、生活の安定もまず、ないでしょう。名誉も安定も
捨てて、自分の好きな道を究めようとする、これぞ真の極道者だと感心します。ギャンブル依存症とか言う人もいるようですが、それは全く違うと思います。技術の修練と向上を目指すと言うことでは、将棋や囲碁の棋士となにも変わらないと思うのです。
JC様が馬氏らと論争なされていたことを、大変興味深く読ませていただいておりますが、私は現在の連盟の制度は、強豪アマチュアや女流棋士の制度等ベストではなくいろいろこれからも改善の余地があるとは思いますが、何とか維持発展するのが、将棋界にとって、これから棋士を目指す子供達にとっても良いと思います。これから新聞からの収入は減るでしょうが、何とか別の収入源と媒体を見つけ現状の連盟制度の維持発展を願います。又棋士は自分たちの恵まれた、先人が勝ち取った現在の制度に主体的に関わるべきだと思います。囲碁将棋と麻雀の違いはあっても、どちらも詰まるところ極道者の世界です。

Pass

[85]
JC IMPACTU (/) - 2011年08月16日 (火) 23時56分

ポン太さん

>英国のカズオ・イシグロの、わたしを離さないで、と麻雀の小
>島武夫の、ろくでなし、です。

「わたしを離さないで」原作は未読ですが、映画は公開初日に家内と鑑賞してきました。日本映画が同じ題材でこれを映像化しても箸にも棒にもかからないだろうなぁと感じながらスクリーンを眺めていました。

麻雀を題材にしたものといいますと、色川武大の「麻雀放浪記」を私などは思い出します。この作品はモノクロで映画化もされましたが、なかなかいい出来でした。将棋という分野はミステリーは別としても、なかなか小説にするには難しいのか、最近では、URLに紹介されたような作品もありましたが、なんでこの作品が選考委員満場一致なのか、私は激しく(笑)首を捻りましたね。

小島武夫氏の小説、さっそく買い求めてみたいと思います。

>私は現在の連盟の制度は、強豪アマチュアや女流棋士の制度等
>ベストではなくいろいろこれからも改善の余地があるとは思い
>ますが、何とか維持発展するのが、将棋界にとって、これから
>棋士を目指す子供達にとっても良いと思います。

そのとおりだと思います。ただ、私は馬さんもまた「棋界の発展」を願っての主張をされたのだとは感じています。捉え方の違いではなかったかのかな、という思いがありますね。

>囲碁将棋と麻雀の違いはあっても、どちらも詰まるところ極道
>者の世界です。

なるほど確かにそうかもしれません。戦前、戦後初期に比べれば今日、それなりの「お化粧」はできたようにも感じますが、今の揉め事の全てと言ってもいいそれらを「全て勝負事」として捉えてしまう。仁義なき戦いになるのかもしれません。もうしばらくすれば。

[86]
ポン太 (/) - 2011年08月17日 (水) 23時09分

JC様さっそくありがとうございました。ご紹介の真剣士の本を次の読書目標に入れます。ところで、麻雀小説では阿佐田哲也のものが一番面白いと思います。私の記載した小島武夫の、ろくでなし、は小説ではなく自叙伝ですが、その中にも阿佐田哲也(色川武大)のことがでてきます。

Pass

[87] 小島武夫「ろくでなし」を拝読しました。
JC IMPACTU (/) - 2011年08月19日 (金) 23時24分

ポン太さん

この本の帯には「囲碁・藤沢秀行、将棋、芹沢博文らと並ぶ最後の大物勝負師」とありました。私などは芹澤さんの名前が出てくるだけで喜んでしまうようなところがあるのですが、一読、芹澤さんを遥かに凌ぐという感じがしましたね。

競馬や競輪、競艇などの公営ギャンブルでは「通算で勝ちになることはない」と言われますが、小島さんはおそらく麻雀では勝者であり続けたのだろうと思います。私は麻雀は学生時代に覚え、社会人になって、ほんの少し遊んだくらいでここ10年以上牌を手にしたことはありませんが、いや、プロというのは凄いものです。

私は小島武夫氏と同県の出身であるということを本書で初めて知りました。本書に出てくる「方言」はまさに本物で、出てくる地名も場所もわかります。こういう本は読んでいて実に楽しいものがあります。ありがとうございました。

11PMの「実践麻雀教室」放映の頃、私は子供でしたので何のことだか殆どわかりませんでしたが、それでも「イカサマの手口公開」には、目を丸くしたものです。

Pass

[89] 死亡推定時刻読了
ポン太 (/) - 2011年08月27日 (土) 00時57分

JC様お薦めの、死亡推定時刻、読了しました。冤罪が形成される過程が、作者が法曹関係者の為でしょうが、きわめてリアルに描かれていると思います。結局、チンピラの命などはどうなろうとかまわないという思想が警察検察にあるのだと思います。大変失礼ながら、足利事件の冤罪においても、あのかたがもっと社会的地位のあるかたならあのような扱いを受けたか大変疑問です。まあ私が主人公なら、やはりマスコミにリークすると思います。しかしこの小説も、最高裁までやって冤罪をはらして登場人物がどうなるかまで描ききる続編を書いて欲しいです。
最近、昔読んで面白かった作家のものの新作を読みましたが、ガッカリしました。どうも最近は、自分で選んだ小説はハズレが多いです。ノンフィクション、とんでも史観や科学を論破する本などはあたりだったのですが。今東光の河内風土記をボチボチ読むのが楽しみです。JC様がお薦めしていただいた本を読んでいきますので、また拙い読後感を投稿します。

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[90]
JC IMPACTU (/) - 2011年08月29日 (月) 22時50分

ポン太さん

以前、新書で「人は見た目が9割」という一冊を書店でみかけました。「理屈はルックスに勝てない」のだそうです(笑)

ふと思ったのですが、昔から「ネクタイとスーツ」というスタイルにはさほど抵抗を感じませんでした。というのは、まぁ、それがいちばん「無難」という面があるからでしょうね。その中で小さな小さな「こだわり」というものがあったりもします。

もう随分昔のことになりますが、20時過ぎでしたか、八重洲近くを家内と歩いていて、強盗に遭いました。幸い、バックは失ったものの、命に別条はありませんでした。相手はナイフを有していましたので、若干、もみあった時に私は左手の薬指を骨折しましたが。

で、直後から現場ならびに警察署で事情聴取が始まるわけです。婦警さんが犯人の似顔絵も書かれた。しばらくして私たち二人を刑事が手招きし、取調室に案内します。マジックミラーの部屋に通されました。その向こうには、刑事たちが連行したであろう一人の男性が両手を抱えられながら立たされていました。フード付のコートは着ていたものの、風貌も体型も明らかに異なります。
似ていたのは髭をはやしていたということくらい。彼はホームレスのようにみえました。

勿論、私たち夫婦は「明らかに違います」と答えました。おそらく彼はそれでお役御免となったはずです。

しかし、もし私たちが何らかの錯誤で「彼のようにも思う」或いは「確かに似ているような気もします」と答えたとしたら。

彼自身が「犯人ではない」ことを自ら立証することは相当に困難な状況が生まれたのではないか、そんな気がしますね。

まだ犯人はつかまっていません。私は今も毎年、犯行当日に警察に状況を確認しています。

>昔読んで面白かった作家のものの新作を読みましたが、ガッカ
>リしました。

私も珍しくありません。そういう腹立ちと苛立ちを覚えることは。例えば東野圭吾であれば「白夜行」以降、この作品を凌ぐものに出会えていませんし、白石一文なら「私という運命について」が、私からみた「代表作」ということになります。それでも読み続けるというのは、そういう作品を超えるものを、いつかこの作家は提供してくれるという期待があるからだと思います。

今日は清水義範の「迷宮」という作品を読了する予定です。アマゾンサイトの評価はいまひとつですが、結末がどうなっているのか、まだわからないもののなかなか読み応えのある作品です。

昨日、山口瞳氏の十七回忌に参列してきました。氏の作品は現在入手できるものが極端に限られていますが「血族」(文春文庫)は氏の代表作と申し上げていいと思います。ちょっと調べたいこともありまして、何回目かの再読を試みる予定です。

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[91]
JC IMPACTU (/) - 2011年08月29日 (月) 23時10分

民主党の代表選挙が終了。野田佳彦前財務相が選ばれた。管総理辞任に伴う任期1年の代表ということになる。小沢一郎氏の影響力に「翳り」がみえたという論調もあるが、いずれにしても党内最大の勢力に変わりはない。私は小沢氏は、今回「それほど本気ではなかったのではないか」という印象が拭えない。氏の禊ぎは未だ終わってない以上、今回は「模様見程度」のものだったのだろうという気もしている。

綱領ひとつ存在しないような政党に「挙党体制」など生まれるはずもなく、民意の反映されたものではない以上、一丸となる力など、民主党には残されていない。幹事長に誰がなろうと、その瞬間から「終わりの始まり」が加速することになる。

民意の総体として選んだものである以上、理不尽であろうと泣こうと喚こうとこれはもう仕方のないことだ。できるだけ速やかな時期に、民意を問うことである。

私は「派閥制度」にはいい面と悪い面、両方があると思っているので、それを解消することを金科玉条のようには考えない。派閥が希薄になって、誰もが政治家を育てなくなってしまった。与党とは何か。国家を動かすことの重大さ、国家を守るということ、そういうことを殆どの政治家が、腹の底から考えなくなった。だから、守れもしない「マニフェスト」を恥じない政治家が、ほら、貴方の近くにも。

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[94] 愛を読む人
ポン太 (/) - 2011年09月06日 (火) 20時30分

いつも有意義なブログをありがとうございます。先日スカパーで
、愛を読む人、の映画を見ました。原作の、朗読者、は未読ですが、なかなか興味深かったです。主演のハンナの裁判における態度がある意味見事です。おそらく彼女は、無学であることを考えても、ほとんどその犯罪性について無自覚なのだと思われます。実際、客観的に見たら犯罪的であっても、主観的には業務を全うしたに過ぎないのでしょう。アイヒマンも裁判において、私がやらなくとも誰かがやり、私は不服従で死刑になったでしょう、というようなことを言っていたと思います。またマイケルの態度はナチス本国のドイツ人として、たとえ戦時中は幼児であっても、弁護士として、インテリとしてはあれがぎりぎりの好意だったのだと思います。ハンナは戦中の行為より、マイケルに与えた影響の重さやそれによりマイケルがとったさまざまな行為に、おそらく自分自身を許せなくて自殺したのだと思います。この映画も原作もヨーロッパで好評をはくしたのは、このへんだと思います。おそらくドイツに占領された国民もユダヤ人の被害は認識していたと思われますので、虐殺行為にたいする不作為ということでは、ドイツ国民も被占領国民も同じでしょう。逆らえば己が殺される、という点においても。まあなかなか難しいです。以前別のホロコースト関係のドキュメンタリーで、収容所で生き延びたユダヤ人女性が、虐殺の話を知る一般の人と話しているとその一般の人が泣きながら、人間はどうしてこんな残酷なことができるのでしょう、とそのユダヤ人女性に嘆くことがあるが、自分たちユダヤ人こそその問いを一般の人に問いたいと言っていたことを思い出します。

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[95]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月07日 (水) 00時44分

ポン太さん

「愛をよむひと」を検索しましたところ、9/23に字幕版がムービープラスでオンエアされるようですので、私も番組録画しては意見したいと思っています。この10年間は、劇場でも邦画8割という感じですので、今から楽しみでもあります。

確か「盤側の談話室」で、とんぐりさんだったと思うのですが、先崎八段の将棋エッセイを読んでいるという記述がありました。で、昨日から「千駄ヶ谷道場」(日本将棋連盟刊 2011年7月刊)を読んでいます。

ところが、これ、棋譜解説はともかくとして、地の文章がよろしくない。面白くない。響くものがないのです。

棋士の人間像、勝負師像が描かれていない。河口さんの「対局日誌」に遠く及ばないのです。何故だろうかと考えてみたのですが、強く踏み込めない。話が今一歩浅い。氏はB2ですし、まだまだ欲もあるのでしょうが、棋士仲間から「恨まれたくはない」という意識が強いのでしょう。私は河口七段の芹澤論や山口瞳氏とのいきさつ云々の視点が嫌で、氏を好きではないのですが、それでも作品としてみれば「対局日誌」の方が遥かに厚みがありますね。

いよいよ明日から王座戦が始まります。
カードに注目することは勿論ですが、観戦記の担当者も実に面白い人選です。

朝吹真理子氏(作家)若島正氏(英文学者) 柳瀬尚紀氏(英文学者)河口俊彦七段 島朗九段

棋譜と観戦記、両方楽しめそうです。

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[97]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月08日 (木) 00時07分

食後、王座戦をPCで追う。

添付図をみて、私は驚いた。大山康晴十五世名人のような指し手だった。結果はともかく、こういう手が指せるというのは凄いなぁと、しみじみ思った。そして、端歩絡みでいうと

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プロ将棋は、わからない。プロにしかわからない。
わからないのは、それが「芸」だから、プロが使う「味」、「ふくみ」、「模様」。これが難解なのだ。
9六歩と端歩を突く。アマも突く。が、プロが突いたその指し手の影の部分、氷山の下にある無数の意味。それがプロの芸だ。相手に主導権を渡し、ついていく「もたれ」や、自分の手番ゆえに不利だという局面でやる「手待ち」。それら高等戦術の応酬。
「それは私たちの"理解"を超えている。超えたものを伝えようがない」。三十年も観戦記を書いてきた天狗太郎さんは、悲しげにそう語る。
「こと将棋に関しては、評論家は存在しない」といったのは、ベテラン観戦記者の田村竜さんだった。
「芸術作品が芸術作品たりうるのは、その表現しているものが他のどんな言語にも移しかえられない場合である」といったのは確かアランたった。
(「棋士・その世界」中平邦彦・昭和54年7月・講談社文庫より)
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という一節を思い出した。

矢内さんが控室にきていたという。棋譜を追うだけなら「自宅」でも後日でも可能な話。他に目的があったのかもしれないが、男性棋士の言葉が飛び交う場に身を置くという熱心さは、立派なものである。

Pass

[99]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月08日 (木) 21時38分

毎日、できるだけ時間をとって「激指10」を1局乃至2局、指す日々が続いている。CPU将棋というのは、自分の棋力の弱さを棚に上げていうなら「実に非情なもの」である。

勝っても負けても2局以上は指さない。荒れるような気がするのである。

以前、何かの雑誌で「ソフト勝負」だけで、アマの実力3段まで駆け上がった猛者がいるという記事を読んだことがある。そんなバカなと思ったが、今ではそのことが実感としてわかるようになった。

持ち時間15分、切れると1分単位で10回の考慮時間というのは、実に辛い。CPU側はどんなに考えても10秒くらいである。それもまた辛い(苦笑)

Pass

[100] 河口老師
ポン太 (/) - 2011年09月09日 (金) 21時32分

私も河口老師の文章が好きで、かなり、ほとんど?の本を読んだような気がします。全集というか選集が10巻まででると、どこかで読んだのですが、結局7巻プラス晩節大山名人で終わったのが残念です。河口老師という言葉自体、先崎氏が命名したとどこかで読みましたが、彼が河口氏を尊敬してのことだと思います。週刊文春に長い間、彼はエッセーを連載していますが、だんだんと面白くなくなっていると思います。ただ彼のエッセーと米長会長の日記を読めば、ほとんどお互いの事を書いたりしないところが、ある種の師弟間の微妙な関係がかいま見えるように感じるのは、ゲスのかんぐりでしょうか。中川七段との関係とはずいぶん異なる師弟関係なのでしょうか。まあいずれにしろ、将棋愛好家は少なくなったといってもまだまだたくさんいると思いますが、プロ将棋界とその周辺は実に狭そうですね。ごく最近、駒音に、JC様をさしているような表現がありましたが、それを読んで感じたことの一つに、駒音、盤側、それにこの言葉の対局室を合計しても、どれほどの人々が書き込みし、また読み専門の人々がいるのかということです。おそらくビックリするほどすくないのではと思います。もちろん多い少ないから良い悪いということではなく、なんとなくさびしい気がします。この私の予想がハズレていたら良いと思うほどです。米長氏の、駒音やそこの方達にたいする、滑稽なほどの対応も、実は全く観客のいない劇場での滑稽なパフォーマンスであるとしたらなにおかいわんやです。

Pass

[101]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月12日 (月) 09時26分

ポン太さん

以前に比べれば殆どと言っていいほど「テレビドラマ」というものをみなくなりましたが、それでも9月10日、11日は前々から楽しみにしていました。テレビ朝日系列で「砂の器」が放映される日だったからです。

私は「リメイク」そのものを殊更に否定するつもりはありません。前作の評価が高ければ高いほど、制作側には「比較される」というプレッシャーは当然あるでしょうし、それを超えるのだという強い意志があるのならば、どんどん作ればいいと思っています。

しかし、このドラマにはそういう「覇気」は微塵もありませんでした。本浦千代吉と秀夫が流浪の旅を続けなければいけなかった当時の社会的な背景と偏見、ハンセン病という問題を見事に回避し、全く別の設定にしてしまった。これは原作の改竄ともいうべき行為です。実は1974年に映画版が公開された時にも、そういう抗議がありましたし、それに応えるかたちで制作側は、エンディングにテロップを入れました。そしてこの作品は、ハンセン病訴訟の劇的な「和解」(小泉総理時代)に大きな役割を果たしてもいます。

今回のテレビ版制作スタッフには「そんな覚悟」は全くなかったのだと断じざるを得ません。それならいっそ制作しない方がいいのです。

1974年の映画版「砂の器」は後半、捜査報告会場とコンサートホールと回想シーンをカットパックで四十数分間みせていくという新しい「映画の文法」を作り上げました。親子の放浪シーンには台詞は一切ありません。今回のテレビ版は「心象」を悉く台詞で説明してしまうという愚作です。何もかにも言葉にしなければ伝えることができないなどという、脚本家に自信がそれほどないという証明になってしまいました。URLは当時の映画の予告編です。
ご覧になってみてください。

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ごく最近、駒音に、JC様をさしているような表現がありましたが、それを読んで感じたことの一つに、駒音、盤側、それにこの言葉の対局室を合計しても、どれほどの人々が書き込みし、また読み専門の人々がいるのかということです。おそらくビックリするほどすくないのではと思います。もちろん多い少ないから良い悪いということではなく、なんとなくさびしい気がします。
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勿論、圧倒的に少数だと思います。将棋ファンにとって最大の関心は「タイトル戦」であり、羽生前名人や渡辺竜王ら超一流棋士たちの勝負であり、その関心が満たされれば、事足りるというのが殆どでありましょう。何度か記しましたが、少数であるということを別に寂しいと感じたことはありませんが、大部分の会員が現体制を支持するという現実があり、それを覆すべきものを私も含めて、書き手はもっていないということです。

米長会長に問題点はあるわけですが、それだけじゃないということなのでしょう。天秤にかければ「評価」が上回っているから棋界内部でムーヴメントが起きないわけです。それと、一方の当事者でもある「LPSA」が、以前とは違い沈黙を守っている以上、それはそれなりの理由があるのでしょうし、沈黙している限りは別にどうこういうことでもない。ドラマのタイトルではありませんが「それでも生きていく」ということでしょうから、極端なことをいえば「それはそれでいい」のかもしれません。

[104]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月15日 (木) 19時49分

さきほど「駒音」を覗いてみたら「掲示板異常?」という文字が飛び込んでくる。人間というのは面白いもので、自身が管理する掲示板にアクセスしてみた。いつものとおりということで、ホッとする。典型的文系の私には「どうしてそういうことになるのか」がさっぱりわからない(苦笑)

管理者のコメントも示された。私は「駒音」は極めて短い期間で撤退させてもらったが、それはそれとして、多様な言論の場というものはあった方がいいとも思っている。早期の復旧を願いたい。

Pass

[110]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月17日 (土) 14時27分

某月某日

「web駒音」のログ消失の件について、私は「談話室」でこれを話題にしなかった。具体的なやりとりについては明確な記憶が薄れてしまっているが、談話室の管理者(筒井さん)と「駒音云々の話題について」「控えてもらった方が望ましい」的なコメントが示されたことを私自身が記憶していて、勿論それは「禁止」とかそういう強いニュアンスではなかったし、あくまでも「ゆるやかなお願い」のような感じだったという印象があるのだが、私はその要請を受け入れた。その「気持ち」を理解しようという意識が私の中に働いたからである。

私は筒井さんのようにプログラムについての知識は皆無に等しいし技術的なことについては殆どわからない。だから掲示板を開設するにあたって、色々なことを考えた。運営会社のサポートがきちんとしていること。それでも困った時に、技術的なことについて相談できる面々をもっておくこと、である。幸い、前者については、24時間体制のサポートシステムがここには存するし、打てば響くように回答が届くから、この点について不満はない。後者についても、何人かの面々が定期的にアドバイスをしてくれる。

私は「駒音」で書いていたごく短い時期に、サイトの管理システムがよくわからなかったし、そのことが不安であり不満でもあった。管理者の権限というのは「コマンド行使」に他ならないというのが私の考えにあるのだけれど、駒音の場合、一体誰が管理者で、その構成はどのようになっていて、何人いて、例えば運営上の異議申し立てをすれば、山崎氏だけがそのメールをみることができるのか、複数の人間が閲覧できるのか、特別掲示板の管理者と駒音掲示板の管理者の権限行使(コマンド使用)は違うのか違わないのか、よくわからない。

例えば「盤側の談話室」の管理者は筒井さん(だけ)であるし、この掲示板の管理者は私だけである。他にコマンドを行使できる者は誰も存しない。

開設者=管理者ということにならざるをえない面があるわけだが、その点、私は「空気」のような管理者でありたいと思っている。

「駒音」のようなトラブルというものは、起こり得る可能性はどのBBSにも存在する。その意味で、私はある意味、勉強になった。時計の針は戻せないのだから、あとはどう「説明」されるかということになるのだろう。ただ、原因の特定ということについて、少々時間がかかり過ぎているのでは、という気はしなくもない。

ただ、この件の「盤側の談話室」における馬さんや岡目氏の論調は、私自身、ざらざらしたものを感じた。それは何だろうかと思っている。冒頭に記したとおり、私はこの問題を盤側に持ち込むつもりは毛頭ない。

匿名であれ、人間が書いている。不思議だし、面白い。

Pass

[115]
キョウ (/) - 2011年09月19日 (月) 02時14分

JCさん、こんばんは

>この件の「盤側の談話室」における馬さんや岡目氏の論調は、私自身、ざらざらしたものを感じた。

「ざらざら」ってどんな感じなんでしょう?「もやもや」みたいな感じですか?

岡目さんが書かれてる

>>
そもそもシステム管理人氏が最初に出していた調査報告なるものが、住人をそういう推論へと誘導する意図を持ったような代物だと私には感じられました。
>>

私もシステム管理人の最初の調査報告だと外部からの進入者が原因と思ってしまいます。
但し、意図的に書いたとはちょっと思えないですね。

馬さんの

>何でもかんでも米長の陰謀ちゅうて騒ぎたい駒音のマヌケ連中にはエエ餌になったみたいやけどな。

に関しては同感ですね。
但し、マヌケとは思いませんが揚げ足取るのが上手な人達だなとは思います。

Pass

[116]
JC IMPACTU (/) - 2011年09月19日 (月) 11時36分

某月某日

このスレッドは私のこの返信でRESが上限の35になります。実験ということも含めて、まずはこのスレッドを終わらせてしまいましょう。

>「ざらざら」ってどんな感じなんでしょう?「もやもや」みた
>いな感じですか?

実はこういう質問があるということを、正直、想定していませんでした。ただ、いい機会でもありますので「ざらざら」について考えてみましょう。

一言でいえば、馬さんや岡目氏の発言のスタンスに批判同様、何か「憎悪」に近いものを感じたということでしょうか。私は岡目氏が駒音に書かなくなった理由は知りませんが、馬さんについては管理者の投稿禁止処分をリアルにみていますので、状況が少しはわかります。この場合の「投稿禁止」というのはweb上にあっては明確な「排除」を意味していると考えています。

私は「駒音」の撤退宣言をしたのちに、と金倶楽部で発言の場をいただき、その後、盤側の談話室という場に参画させていただくことになりました。その時に「公開運営システム」含め、運営思想について、管理者と意見の一致をみる点が多かった。その点がある時期まで共有できたことについて、私は今でも感謝しています。

キョウさんはご承知かと思いますが、盤側の談話室で「藁人形氏のアクセスを制限する」という措置がとられました。この経緯については当時の運営会議室に全ての発言が残されていますので、ここでは繰り返しません。徹底してこの措置に反対したのは、当時の常連メンバーでは私が最右翼だったと思います。

管理者は「アクセス制限の継続」を決定されました。私は一度撤退をし、再び舞い戻ったという経緯があります。筒井さんが「盤側の談話室」を作られた時に、私には明確な意地のようなものがありました。参加者の数やアクセス数だけじゃない。「駒音」とは違う「敷居の高い環境と場」を作りたい。今考えれば不思議なほどそういう意識がありました。おそらく今、盤側で「米長会長絶対支持」「米長会長絶対反対」どちらのスタンスに立っても、そういうことが「書きにくい」ということはなかろうと思います。そういう「場」がなければならないと、当時は考えていました。

たまたま確かビストロさんだったと思いますが、エキシビジョンで「米長VS加藤(一)」の公開対局についての紹介が盤側であり、それをビストロさんが「駒音」で話題にしたとき「駒音では書きにくい話題」という趣旨の「前振り」をしたことがあったと思います。私はその発言をみた時に「ビストロさんですらやりにくいのなら、みんなやりにくいに決まっている(笑)私の推定もそう外れてはいなかった」とひとり納得したものです。

「盤側」ができた当時、私など「退会宣言」のことも含めて、相当に批判を受けたことがあります。その「反論権」を行使するために「盤側」で「批判に応えた」こともありました。当時は「盤側」で「駒音」について述べたこともあります。

今回、駒音がスレッドの大量消失という今のところ、原因不明の問題に遭遇しています。ただ、現時点でそれを「改竄」「都合の悪い部分を編集」云々と、想定であれ馬さんのように論じるのは私からみれば「ざらざらした感じ」がするわけです。

もしそれがひとつでもみつかれば、あの掲示板への評価は消失してしまいます。コミュニティの場としては、終わります。

掲示板では何を言ってもどう主張しても「いい」のですが、極端に根拠の希薄な、脆弱なことは軽々に口にすべきではないと私は思います。その背景には何か「憎悪」に近いものがあるのかなぁと思った。そういうことです。もっというなら「そこから」何か生まれてくるのかなぁと、ふっと思ったわけです。

>揚げ足取るのが上手な人達だなとは思います。

例えば、LPSAと連盟女流の再統合にしても、LPSAが果たして現在、そういうことを本当に望んでいるのかなぁ、とは思いますね。少なくとも、今の方が、イヤな上司の顔などみることなく自由にやれるわけですから。

Pass

[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2025年01月31日 (金) 15時09分

最大レス件数「35」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

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