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BBS言葉の対局室

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2013年8月27日(火)22時より「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室を開設致します。

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[460] 某月某日- nonsection genre - (7) - ※ログ終了※
JC IMPACTU (/) - 2012年05月01日 (火) 11時10分

皆さまと共に、本日、開設1周年を迎えることができました。
今後とも、よろしくお願い致します。


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[461]
寅金 (/) - 2012年05月01日 (火) 15時05分

そうですか、1周年ですか〜
おめでとうございます。

うちの末の娘の写真をプレゼントします。

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[462]
キョウ (/) - 2012年05月01日 (火) 16時21分

>うちの末の娘の写真をプレゼントします。

目元がお父さんそっくりですね〜。

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[463]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月01日 (火) 23時47分

寅金さん

それはそれはありがとうございます。
ウエルシュコーギーですか。

飼い主とは違い「グレムリン」な感じがいいですねぇ。
そのまま、そのまま(笑)

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[466] 清水・石橋の師弟関係
金と銀 (/) - 2012年05月03日 (木) 16時31分

JCさんと世渡りさんのweb対談、やはり期待通りの内容で興味深く拝読させて頂いております。

本日のご投稿では、JCさんは世渡りさんのお考えを知り驚かされましたを連発されてましたが、私は、清水・石橋の師弟関係がさっぱり見えてこないというJCさんのご発言に驚かされました。
JCさんさえも未だに全然分からないことであったのですか。

不思議なのは、当の二人からも、他のどこからも、何故別れ別れになったのかということの話が既に5年以上経過したにも拘わらず一切出てこない。
世渡りさんもまだ話されていないようです。

今回、LPSAの脱会を目の当たりに見てこられた世渡りさんがどのようなことを書かれるか興味深く思います。

追伸:掲示板開設1周年おめでとうございます。
中身の非常に濃い掲示板として今後のさらなるご発展を祈念いたします。

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[468]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月04日 (金) 21時35分

金と銀さん

お読みいただけているようで、ありがとうございます。

このあとに世渡り氏への「公開指針」を書きたいと思っています。

>JCさんさえも未だに全然分からないことであったのですか。

わからないことだらけですよ。正直に申し上げれば。

>掲示板開設1周年おめでとうございます。

ありがとうございます。どうぞ引き続きご愛顧のほどを。

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[471] いよいよ対論深化する
ポン太 (/) - 2012年05月05日 (土) 17時48分

JC様と爺様の対論はいよいよ佳境に入ってきましたね。爺様が、Y会長とのやりとり等やその他の方とのやりとりを記しておられますが、Y会長とのやりとりはほとんど爺様の掲示で読んだことがあります。つまり一貫しておられるのですね、爺様は。こんな事を書いて爺様は怒らないで欲しいですが、爺様は、キレルことがあっても、勘違いすることはあっても、嘘をつく人ではないと言うことが判ったような気がします。わたしにとっては、JC様が、爺様のそういう所を見抜いていたか、あるいは引き出したのか、いずれにしろこの間のJC様と爺様のやりとりに、ネットにおける誠実さというものにふれた気がします。
まあしかし、私は棋士としてのY氏は今に至るまで、高く評価するのですが、JC様と爺様の掲示をまとまって読みますと、指導者としてあるいは経営者としては首を傾げざるを得ません。よくいえば徹底した勝負師、わるくいえば世間知らずの専門馬鹿。考え方を変えれば、一昔前の日本にはこういう方がたくさんおられ、それなりにその存在がある種の均衡に役立っていたような記憶があります。
馬さんがY会長と爺様は似たような類の人であると書いておられましたが、私はそれはある意味で当たっていると思います。ただちがうのは、Y氏は、今自分はあらゆる意味でそして自他共に認めるように、最高の頂点にいる、と思っていることではないかということです。爺様にそんな権力意識はないように思えます。
まあJC様は、どのような人物でも、馬鹿以外は、包含していかれるかたなのだと思っています。これからの展開、とても楽しみです。
恥ずかしながら、家庭のアクシデントのため、本は読めず、漫画(劇画?)のゴルゴ13ばかりをあいた時間に読んでます。もう20冊以上、それと黄昏流星群もだいぶ読みました。

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[473]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月05日 (土) 23時41分

ポン太さん

>まあJC様は、どのような人物でも、馬鹿以外は、包含していかれるかたなのだと思っています。これからの展開、とても楽しみです。

みなさん「大人」ですから、どこの掲示板のどんなやりとりもそう心配するようなことはないと思っています。

「黄昏流星群」は私も何冊か読みましたが「人間交差点」のインパクトに比べれば、私には「いまひとつかな」という印象が残っています。



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[510]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月13日 (日) 11時56分

某月某日

学生時代の仲間内、十人ほどが集まってのちょっとした呑み会。このメンバーで呑むのは、ちょうど一年ぶりである。大学教授、メディア関係者、デザイナー、医師、会社員、教師など、それぞれが異なる職業に就いたが、適宜、メールや電話のやりとりがあるせいか「おい、何か新鮮味というか、感動がないなぁ」と、誰かが口火を切り大笑いになる。

理系の仕事を選んだ者もいて、彼らは私が掲示板の管理者であることを知っているから「お前さんの文章をみるたびに、俺の方が優れた文章を書けるという確信が、日々高まるよ。だから続けてくれ(笑)」と好き勝手な話になる。そう、好き勝手な話ができる面々との酒席は楽しい。

そうほざく輩のブログを読むと、実にいい。私よりも実に流暢な文章が並んでいる。「いい文章だ」と素直に感想を述べたら「当然だ」と可愛げがないこと、このうえない(笑)

食事を済ませ、全員がホテルのバーへ。

(人は年齢を重ねると共に「人生とはなにか」みたいな話をしなくなるよな)
と誰かが口にした。確かにそうかもしれない。気恥ずかしさがあるし、青臭いという言葉に怯えるし、そもそも語るべき人生など持ち合わせていないという思いだとか、説教めいた話になるだとか、そんな話になった。

「しかし、そういう話題が様々な場で消えていったから、人はそれと一緒に『恥』というものも忘れたんじゃないかなぁ」

「恥は悪いことじゃないだろう」

「恥を知るものにとっては、そういう面はあるさ。ただ、土台、それを知らない者は平気でそれを繰り返す。それが当たり前になっている。それが規範めいたものになっては、困るんだなぁ」

こういう話が、政治、経済、社会、歴史、医療、法律、どんどん広がっていく。「大人とは何か」みたいな話にもなる。あっという間に時を跨いでしまった。酒も時間もうつろひも、実に心地よいものだった。

Pass

[511]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月13日 (日) 22時47分

某月某日

「母の日」である。僅かばかりのものを送り、何ということもない話をする。老いても子に従わない元気な母親である。

先週は出張が多かったこともあり、移動の車内で色々な本を読んだ。その中には「大人買い」したコミックスの中の2冊も含まれている。車内販売の女性からコーヒーを買い求めた時に、彼女がまじまじとその本の表紙を捉え、視線が離れない。

「お好きですか」

「はい、大ファンでした」

おそらく、私より十年上の世代になると、極端にマンガ、劇画を読まない類の世代になる。少なくとも私自身は、マンガを隠して読もうとは思わない。そういう教育を授けてくれたのも私の両親である。例えば最近公開された「わが母の記」(井上靖)も、映画だけをみれば、特段不満が残るというものではないのだろうが、原作に接すると「監督・脚本を兼ねながら、何故(なにゆえ)にこけほど選択するシーンを誤るのか」と、私は実に悲しい気持ちになった。原作に忠実に作っていれば、おそらく日本映画を代表する名作に仕上がったことだろう。

車内で読んでいる大人買いの作品も、映像化、アニメ化されたがみるに堪えないものだった。邦画もいいかげん、オリジナルに手を染めて欲しいと、しみじみそう思うし、また願いもする。

Pass

[518]
ビ  ロ (/) - 2012年05月17日 (木) 22時34分

独り言です。

湊かなえさん、という作家について ここ10日間ずっと考えています。

この度 推理作家協会賞を受賞しました。短編です。
この短篇は まあ どうということない作品です。
(ちょっと宮部みゆき ちっく)

悪い作品ではありませんが、なんというか・・ 後付けの賞であることがみてとれます。 (つまり 告白・・以下いろんな作品に対する賞を、ここで この短編に与えた。その批判はここではしません)

ま、それはいいんですが、 告白に代表される、イメージと、
推理作家協会賞受賞作、そして最近出た 花の鎖・・ 
このギャップは・・・。

う〜ん 何者だろう

Pass

[520]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月18日 (金) 19時03分

ビ  ロさん

湊かなえさんですか。私も単行本化されたものは全て読んでいます。最新作の「サファイア」(短編集)では「猫目石」を最も面白く読みました。「告白」は過程のトリックにちょっと難があるとは思っていますが、今のところは彼女の代表作でありましょう。

この作家は「イヤな人」を書かせるとなかなかいいなぁ、と思わせるところがありますね。「境遇」を読んだときには、この作家は一体どこへ向かうのだろうかと、読むのを止めようかと思いましたが(笑)

「花の鎖」はこの作家にとっては一種の実験作ではなかったのかな、という気がしています。私は「告白」以外では「Nのために」と「夜行観覧車」が好きでした。

私見ですが、ミステリーというのは、そこに「人情」が入ってくると途端におかしくなる(笑)という気がしていましてね。そのあたりは今なら重松清さんにお任せしておけばいいのではないかと。(ちなみに私は「流星ワゴン」以外は馴染みませんが)

湊かなえさんは、以前、あるパーティで一言二言話をさせていただきましたが、あんなに腰の低いというか、丁寧というか、作家らしからぬというか、人柄を十分に感じさせてくれる方でしたね。

まだまだ若い書き手ですから、私は将来を期待しています。おそらくコンスタントに「書くことができる」作家だと、そう思いたいですね。

私は佐藤青南の「ある少女にまつわる殺人の告白」がここ数年では最も印象に残っていて、さきほどアマゾンを検索してみましたら新刊が出ていました。これは土日に読まないと。

Pass

[522]
ビ  ロ (/) - 2012年05月18日 (金) 21時30分

ありがとう ございました。 大変参考になりました。

 人間の心理、行動には幾重ものバリアがあると思います。
 自分が、不利にならない、傷つかない、嫌われない、
 かっこよく見せる・・・ ために。

その幾重ものバリア、あるいは嘘、は 「処世術」とか「表の顔」
とか「建前」とか「言い訳」とかいろいろ名前があります。

 そのバリアは、自分で意識しているものもあれば 意識していないものもあります。 それを一枚一枚、はがしていって、
「どうだ あんたの中にもこんなみにくいバリアがあるだろう」
と示して見せるような作家が、湊さん、というイメージがありました。  やな 作家です。  

 はたして・・・実像は・・

Pass

[528]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月22日 (火) 02時02分

盤側の談話室(http://bansoku.sakura.ne.jp/bansoku/joyful.cgi)における【Re: 事例への回答 No.12487 2012/05/17(Thu) 20:23 岡目八手氏のコメント】について、ここに記すことにした。勿論、本サイトの読者のみなさんには「そんなことには興味がない」という方もいらっしゃるであろうことを私は十分に承知している。また、誤解のないように申し上げておくが「盤側の談話室」で、私が直接コメントすることについて、私は何らの制限も受けていない。

では「盤側に書けばいい」という指摘があることも十分に承知している。ただ、私は「今は」「盤側の談話室」に何かを発言したいという気持ちが全くない。そして、私が私の「反論権」をどこでどう行使しようと、それは自由である。誰もがそうであるように「掲示板に」何かを「書かなければいけない」などという、あらゆる義務も存在しないからである。要は、私自身の「反論権」が行使できる時々に「ベスト」な環境が選択できれば、それでいいということだ。これは全く私個人の「感想」めいたことではあるが、ある時期から今日の「盤側」は、憎悪にも似た感情的なコメントが少ないながらも存在しているように思えるし、私自身が「甲斐がないなぁ」と感じている面もある。だから今は一定の距離を置いている。そういう場に私は身を置いて、雑談も含めて何かをしたいという想いに至らない。

今回は、以下、範囲指定をしなければ「空欄」のまま、という手法をとることにした。「読みたくはない」という方への対応という面もある。さて、それでは本論に入ることにしよう。点線部分は岡目氏の発言引用個所である。

------------------------------------------------
そもそも、アクセス禁止処分が下された後に天秤左さんが書いておられた様に、世渡り下手爺氏(も私も貴方も)には、盤側と云う公共でも何でもない私設掲示板へのアクセス権や投稿権など最初から全く存在しないのですから。
------------------------------------------------

掲示板を管理するのは「管理者」である。「アクセス権」や「投稿権」を制限することが可能な立場に管理者はある。ただし、その場合は、開設当時、全員が議論に参加する機会の中で「ルール」を定めたのだから、そのルールに沿って運営が行われるべきだと私は考えている。盤側の筒井管理者は、最終的に決定をしなければいけない役割を担っているから、定めたルールに従って運用をされてきた。幸いに「盤側」は運営議論を公開で行うことができる環境だから、例えば今回、世渡り氏の最初の処分については私は明確に反対したし、2回目の「法的手段」の時には、管理者判断を支持した。

ルールは何のためにあるかといえば、私は筒井管理者と一度だけ明確に対立したけれど、私も含めて、管理者のジャッジメントを参加者もルールに照らして考えるという面がある。もちろんルールに全てが記載されているわけではないから、記述のない問題が起きた時には「公開で議論する」ということ。

「私設掲示板のアクセス権や投稿権など最初から全く存在しない」というならば、岡目氏や私は何故アクセスができるのか、何故投稿ができるのか、ということを考えなければいけない。正確に記すならば「盤側サイトのルールを遵守するという前提で、アクセス権も、投稿権も認められる」ということである。基本的には自由な掲示板だし「思想・信条その他」で不当な扱い(制限)を受けることはない。何より、削除が少ないというのは、発言者の自己責任原則を管理者が尊重しているということだと思っている。

------------------------------------------------
特定の私設掲示板での反論権など、そもそも最初から存在していません。
その欠如を貴方が卑怯だと思い常に保証すべきだと考えるのは、勿論、貴方の自由だが、それは単なるJC IMPACTUと云う1個人の倫理観に過ぎず憲法の言論の自由とは何の関係もない。
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そもそも「最初から存在していない」??
その私設掲示板で岡目さんも私も「反論権」を行使しているのですよ。何を奇妙なことを述べているのか、と断じておきます。

↑には明確な誤読(意図的なものかもしれませんが)があります。私は直近の世渡り氏のアクセス・発言の禁止措置というものには同意をしています。言論での解決ではなく、法的手段を盤側に対して匂わせたことは明確だと感じましたから、世渡り氏がそのことを撤回しない限り、処分が続くのは妥当だと考えています。

「常に保証すべき」などと私が述べてもいないことをでっちあげては議論にならないのですよ。ただし、それはそれとして、氏が読めないし書いても削除される環境で「批判を重ねる」ようなことは私はしない。まして、それを岡目さんから責められる筋合いは毛ほどもありません。倫理観というよりは「姿勢と信頼」の問題です。

憲法における言論の自由は国家と個人間の問題だけではないということを私は述べています。しかるべき理由で制限が続いている世渡り氏の「言論の自由」ということを主張しているわけでもない。はっきり言えば、岡目さんの中に「世渡り氏の憎悪にも似た感情が処理できないものだから、何もかにも一緒にしてしまっている」というだけのことです。私はそうみていますよ。

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それに比べれば、法令に違反しないし職務上得た秘密を漏らした訳でもないが結果として所属企業に損害を生じた社員の処分はどうあるべきかの私の事例の方が、まだしも憲法で求められている言論の自由を用いて議論する意味がある。
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私には実に滑稽でした。こじつけた事例にみえたからです。

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ついでに言えば、その社員の査定を下げると貴方は主張され、その理由として、

>企業には「従業員規則」というものが普通は存在します。
>表現は様々ですが「行為が会社に損害を与えるような事態を生>み出した場合」ケースに応じて懲戒の対象になります。

と書いていますが、会社に損害を与えた行為に違法性や従業員規則に対する具体的な違反(例えば、業務上知り得た秘密の漏洩や、職務上の怠慢つまり故障や不良に関して報告の義務のある立場でありながら報告を怠り事故が発生して損害が生じた等)がなければ、《結果としては》損害を与えても簡単には処分出来ませんよ。

そうしないと、従業員規則の「損害を与えた場合」と云う部分が、上司や企業に都合が良い様に際限なく拡大解釈が可能になりますからね。
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そんなことは、私が前回書いた発言に既に示しています。懲戒事案については「懲罰委員会」的な第三者機関がありますし、企業によっては「評価」に対して異議を申し立てる機関も存するのですから。唐突に何を言い出すのかと思いますね。

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>私は日本国憲法第21条を間違いなく持ち出しましたが、国家と>国民の権力関係における事例ばかりでは、実はありません。

そのSLAPP訴訟ですが、この事例を含む論争がされた第一次世渡り下手爺氏処分問題ではなく、その直後に起こった第二次の原因としてですが、そのSLAPP訴訟をちらつかせて他の掲示板での議論を封殺しようとしたのは、貴方が全くの場違いな憲法まで持ち出して反論権を確保すべきと主張した当の世渡り下手爺氏その人だったとは、JC IMPACTUさんにとっては実に素晴らしいエピソードになりましたね。

ついでに言えば、SLAPP訴訟の問題をアクセス禁止処分の是非との対比に持ち出すのも、比較として論外のレベルです
ね。

訴訟が起こされれば裁判を受けて立つには相当な費用・時間・労力が求められる上に、司法権と云う国家の権力を言論封殺に悪用している事になる。だからこそ言論封殺手段としてSLAPP訴訟は問題なのですよ。

他方、私設掲示板へのアクセス権や投稿権、従ってその掲示板での反論権なんて権利は最初から存在していないし、故に私設掲示板でのアクセス禁止処分も国家権力を何も使用していない。
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岡目さんの独り相撲もここに極まれりという感じがします。

私は世渡り氏への「投票」が行われた時には処分そのものにも反対しましたし投票にも参加しませんでした。何度も書きますが、私はそのあとの「筒井管理者のアクセス・発言禁止措置」については異議を申し立てていません。この段階で「世渡り氏の反論権を守るべきだ」などという主張はしていないのです。それをこういう的外れな挑発にもなっていないコメントを残すから、幼児的だというのですよ。

SLAPP訴訟が「言論封殺」の手段として用いられていると考えざるをえないのは異論はありませんが、私人間でも「言論の自由」を巡っての訴訟は存します。webコミュニケーションでは、少なくとも参加する掲示板のルールを遵守し、「訴訟」を恫喝的手段に用いることなく、言論には言論で解決することが望ましい。故に私は2回目では「管理者判断」を尊重しているのです。

岡目さんは一体何に苛立っているのかと思います。岡目さんが私の「思いどおりに」ならないからでしょうか。ならば、そんな人を「操ることができる」などというような思い上がりは私には通用しませんよ。

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私を幼児性が強いと思われるのは貴方の自由ですが、此処の住民や管理人の判断力を露骨に疑う言葉を書いて平気な貴方は、私には傲岸不遜としか見えませんね。
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筒井管理者は「盤側の談話室」【運営】世渡り下手爺氏の永久アクセス禁止提案(4〉Res: 11149で「裁定の変更の可能性」に言及されています。管理者といえども「人間」ですから「迷う」ことがあって当たり前だと私は思いますし、状況の変化は刻一刻と存するわけですから、判断の確定を見極めるのは当然のことですよ。住人の判断を露骨に疑うというのは、おそらく私の「投票に参加しなかった理由」を指してのものかと思われますが、それは単なる予測です。おそらく何を選んでも私が記したとおりになったと思いますよ。特に岡目さんからは不毛に絡まれただろうと今でも確信しています。何といっても私がしばらくコメントしないという、ただそれだけのことで「苛立つ」と感情を剥き出しにするような方ですから。

------------------------------------------------
最後に申し上げると、そもそもこのスレッドを立てた事も私には理解不能です。

貴方が評決後に感想を書き、それに関して私が香奈ファンさんと議論していた、票決に関する議論スレッドに、このスレッドの元投稿を投稿すれば良かっただけと考えます。

こういう単発の返信で独立スレッドを立てて、小さなスレッドを乱立させるのは、掲示板でのマナー違反にしか見えません。
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申し訳ありませんが、どう考えても岡目さんの指図に従わなければいけない理由が私には思いつきません。回答するスレッドが過去ログになっていましたから立てただけのことです。もし、管理者である筒井さんが「マナー違反ですよ」と指摘されたのであれば、今でもきちんと「盤側」に出向いて話をしますが、まぁ、筒井さんがそんなことを言うとは万にひとつも思えませんし、これは因縁ということでしょうね。


さて、今日は私も「金環日蝕」をみることができた。カミさんからは「メガネの購入」を大変喜ばれた。【金環蝕】という映画を夜、久しぶりにみたのはご愛嬌である(笑)

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[551] 怒らないで下さい
ポン太 (/) - 2012年05月29日 (火) 00時45分

JC様お久しぶりでございます。家庭内のアクシデントが続き、この対局室は少しは読んでいたのですが、対局室を含めて、駒音や盤側はごく最近になってまとめ読みをしました。
すると、各論客の方はJC様をはじめいろいろなかたが、私のようなWEB初心者から見れば、掲示板の管理やその他いろいろなWEBをめぐる抽象的なことをめぐって、白熱の論議というか、非難合戦のようなこと(JC様に対する訳のわからない非難等を含めて)がおこなわれているように感じました。大変失礼ながら、JC様もそのような論議にずいぶん丁寧に付き合われているように思えます。本当に皆様に失礼で、JC様は特に怒らないで欲しいのですが、JC様や他の皆様はこのような論議が楽しくてやっておられるのでしょうか。私のような愚か者には、こんな論点でここまで真剣に論議するのは、実はみんな楽しんでお互いを非難しあっているのかなと思ったのです。
わたしのような初心者には、JC様の文学論や映画論や、JC様と爺様との対論や、馬さんの物理講座や、酒好きの方のとりとめもない話のほうが遙かに面白いし、勉強になります。
まあ確かに議論好きという方はおられますが、どの方のどの議論というわけではないですが、どうみても詰まらない嫌みやあてこすりや、曲解、わざとするような誤解に基づく議論が多く見られたような気がします。抽象議論をWEB上でする、ある種の仮想空間上の戦闘のようなものでしょうか。現実における不満の発散でしょうか。
何度も言いますが、JC様はそのような議論に大変誠実に、丁寧に答えておられるようにおもえます。
あたかも、本当にJC様は怒らないで欲しいのですが、JC様は、その方々の現実の苦しみの代償行為としてのJC様に対する
非難を、あえてまっすぐにに受け止めているように見えるのです。

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[552] 勿論、怒りません(笑)
JC IMPACTU (/) - 2012年05月29日 (火) 01時07分

ボン太さん

お久しぶりですね。

>あたかも、本当にJC様は怒らないで欲しいのですが、JC様は、その方々の現実の苦しみの代償行為としてのJC様に対する
>非難を、あえてまっすぐにに受け止めているように見えるのです。

それは大袈裟というものです(笑)私はそんなに人間ができておりません。ただ、私は昔からですがweb上で「誰からも好かれたい」とは思いませんし、言いたいことは言うというスタンスですからポン太さんからみれば、私の発言の中に随分と「お目汚し」のものもあったかと思います。その点、深くお詫び申し上げます。

今、盤側で「オウム事件」が議論されていますが、ボン太さん、もしお時間があれば森達也の「A3」をぜひお薦めしたいと思います。森さんが地元の取材も含めて、麻原死刑囚に関して様々な視点からの検証を行っていますので。

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[566] 空欄!
恵子 (/) - 2012年05月30日 (水) 07時31分

JCさんおはようございます。

範囲指定をしなければ空欄のまま、の手法を初めてみまして
びっくり!
いつか盤側で私が偶然(酔っぱらって)大きな空欄を作って
しまったことがありましたが、あのとき「読めるよ、読める
よ〜」と何人かが親切にからかってくれたのは、実際にこう
いうテクニックがあるからなのでしたかぁ。

で、本論(!?) 
やり方を教えてくださいm(−−)m


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[567]
寅金 (/) - 2012年05月30日 (水) 10時22分

いやいや、謙遜なされなくとも、
恵子さんが多分世界で初めて掲示板の世界に持ち込んだ<虚人技>


余白部分の正式な応用方法は<読者に任せる>ではなく、
純粋に<ホワイト・アウト>なのですよ。

JCさんは、恵子さんの<オチ無き>天然技に嫉妬してるのです!

Pass

[577]
JC IMPACTU (/) - 2012年05月30日 (水) 22時20分

恵子さん

おそらくはもうお休みではないかと思いますが、

>やり方を教えてくださいm(−−)m

以下に記しますが「盤側」では出来ない仕様のようです。
といいますのは、

「掲示板の利用の注意」の中の3番目の規定に

3.投稿内容には、タグは一切使用できません。

という記述がありますので。

例えば

色の見本・指定方法をご参考にチャレンジしてみてください。

また、感じをつかんでいただくには

文字の色を変えるも参考になるかもしれません。

どうぞご活用ください。

Pass

[591] あぶりダシ
恵子 (/) - 2012年06月01日 (金) 05時46分

JCさん、おはようございます。
ご返事ありがとうございました。
すぐクリックできるようにしてくださってて、便利でした。

行ってみたらどどっとややこしい記号が出てきてしまいましたけど、「隠し文字(あぶり出し)」だけは一発で理解できたわ。
なーるほど、その部分の文字色を背景と同じ色に指定すれば消える理屈なのですねぇ。
でも実際に使ってみるのはいま私には難しい(バスに間に合わなくなりそう。1週間出張します〜)
JCさん、スレ35本制に変更したりとか、ご自分で操作なさってるのですか。よくやられますねぇ(文系nanoni!?)

追伸・あ寅金さん、おもしろい横やりありがとうねー。

Pass

[604] A読み始めました
ポン太 (/) - 2012年06月02日 (土) 06時20分

JC様にA3を勧めて頂いたので、本日Aから読み始めました。読みやすい文体だったので、すぐに読了しました。A2もA3も読むつもりです。
Aを読んでの感想は、あまりにも正論で、少し平板だなと思いました。発刊されてから、また事件が起きてから、ずいぶん時間がたっているせいかもしれませんが。あのときにオウムについて、あのような立場でドキュメンタリーを作成するのは確かに大変勇気がいり、他にはいなかったと思います。あのときの日本に於いて、私も含めて、あのような客観的な視点でオウムを見ていた人はほとんどいないでしょう。
米軍のアフガン空爆のときに、われわれ日本人は比較的客観的に、米国の報復感情とアフガン一般人のたいへんな被害を、見れたと思います。まあ傍観者だからでしょうが。
ある意味で、このAにはその客観性としての視点のよさしかないかもしれないと思うのです。森氏はおそらくAの時点では、宗教や信仰についてあまり考えていなかったのではと思います。
とにかく、JC様おすすめのA3まで読み進める所存です。
最近、専門書以外は漫画劇画と夢枕漠ばかり読んでいたので、少し頭の中が娯楽伝奇小説モードになっていたので、なかなかの刺激になります。また感想を書かせて下さいませ。

Pass

[607] A2読了、いよいよA3
ポン太 (/) - 2012年06月04日 (月) 00時16分

A2まで読みました。AもそうですがA2も映像に基づくものなので、本も面白いのですが、今ひとつ感があります。映像作家の方やその道を目指す若者にはとても興味深いと思いますが、私にとっては、A2のほうが、オウムを取り巻く群像を描いたせいか、Aよりいっそう散漫とした感じです。作家の方にしたら映像を見てから、物を言えといいたいところでしょうし、わたしも映像ではなく、単に本の印象ですので、頼りない話です。
昨日NHKでオウム特番の後編の再放送をしていたので、まえよりゆっくり見ました。例のスクープ放送だという麻原の説話の録音テープですが、麻原が何か台本のようなものをよんでいるように思える部分がいくつかありました。麻原が教団当初から武装化を目指していたのは事実でしょうが、おそらく幼稚な素人のレベル、多分サリンやマスタードという名前も知らないような、から実際に毒物生産やテロ実行の行程を指揮したのは誰だったのでしょうか。
今、さきほど菊地直子が逮捕されたというNEWSがありました。年末の平田自首もありましたが、いよいよ麻原の死刑執行でしょうか。このまま本当のことは判らない未解決事件で終わるのでしょうか。
わたしは恥ずかしながら、20数年以上前に、色々人生で悩んでいたときに、オウム神仙の会の富士山裾野での短期間の修行募集にもう少しで応募するところでした。行かなかったのは高額だった(90万円以上したと思います)のと、そのオウムの雑誌に載っていた麻原の顔がどうにもこうにも暗く陰湿に見えたからです。ラッキーでした。
いよいよ、JC様お薦めのA3に、読突入(?)します。

Pass

[608]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月04日 (月) 00時21分

ポン太さん

ポン太さんの読書のスピードには驚かされます。読み慣れていらっしゃるのですね。

「A3」をお読みになりましたらお知らせください。私は今、別のオウム関連のテキストを読んでいるのですが、その題材もご紹介しながら、やりとりをさせていただければと思います。

Pass

[638]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月11日 (月) 22時14分

「在特会」の問題を調べているときに、「11.25自決の日」(若松孝二監督)をみる機会があった。

「三島事件(私の中では平岡事件という位置付けである)」が起きた時に私は小学生だったが、それでもこの日、家族とテレビニュースを視聴していたことだけははっきりと記憶している。

当時、私は三島由紀夫の作品を何一つ読んでいない。没後、新潮社から全集が刊行されたが、父親もこの本をそれほど読んでいたという記憶はなく、私も代表作を思い出したように手にとったのは大学の時だった。「作品と作家の生き方」は別の問題として当時からも考えてはいたが、仮にも文学者のやることかという意識に支配されていたのだろう。積極的に読みたいという気にはならなかった。

「11.25自決の日」の制作が発表された時に、私には強い違和感があった。若松監督が「連赤」をテーマに映画を作るというのはよくわかるのだけれど「三島」をやるというイメージが私にはなかった。思想的に対極にあるような気がしたからだ。

思想的に一刀両断するというなら、そういう映画を観たくはないなぁという想いが先に立った。

しかし「いい映画」だった。史実をなぞった作品ではない。丁寧に作っているし、挿入されたエピソードにも誇張や嘘がない。楯の会を考える上でも見事に仕上げている。

1970年11月25日、三島由紀夫は「陸上自衛隊東部方面総監部二階総監室(益田総監)」を楯の会メンバー4名と共に訪問。氏を人質にとり、集められた自衛隊員を前に決起を促す。バルコニーからの演説であったために拡声器はない。三島の演説はやがて自衛隊員たちの怒声と取材のために空を舞うヘリコプターの轟音にかき消される。

三島由紀夫の檄文がここにある。市ヶ谷駐屯地のバルコニーからこの檄文は自衛隊員に捲かれた。

演説を終えた三島由紀夫は総監室に戻って「こうするより仕方なかったんだ」と呟いている。三島は追い込まれたのか、或いは自らを追い込んだのか、事件発生後、数多ある三島の動機や背景が語られ、行為そのものは当然批判の対象になった。「死」というものがこれほど意味づけられようとした事件もまた珍しい。

新聞は「民主主義とは、文士劇のもてあそぶ舞台ではない」(朝日)「警備当局が『楯の会』を警戒していなかった怠慢と、自衛隊が、かれらを体験入隊させ、訓練に"協力"していたうかつさはきびしく反省されなければならない」(読売)「われわれは、三島事件を"狂気の暴走"と断ずるほかないが、三島のいうように、高度成長のもと、謳歌する繁栄の中で、一種の思想的空白の状況と、いくたの政治、社会のひずみが存在し、それがまた左右の対立を招く原因ともなっている。そうした社会的状況のもとで、一部の過激な少数勢力が、左右を問わず、三島の死を契機として、一種の危機感を感じていることも想像として難くない」(毎日)と述べている。私は毎日の社説に考えさせられることが多かった。

文壇からの意見では「三島事件ではなく平岡事件」という主張が少なからず見受けられたし「三島由紀夫の完全なる諌死(かんし)」という説も示された。

私は三島のアピールによって「自衛隊決起」が起きるなどと三島自身が夢にも思っていなかったと確信している。こういう問題を「滅びの美学」などという陳腐な言葉で片づけてしまうと「思考停止」が忽ちにして蔓延してしまうからそういうスタンスに私は立たないが、諌死というのはおそらく三島の中に相当強くあったのではと私は思っている。ただし、それは三島を弁護する意味でそう述べているわけでも、そういうつもりもない。

「人が命を賭けて行ったことに対して」真摯ではありたいと考えているだけである。

この問題については次回以降も改めて考えてみよう。

「在特会」という問題を考えていくと、彼らの運動に「本質」というか「核」となるものなど、実は何もないのではという気がしてくる。人のいいおじさんや、優しそうなおばちゃんや、礼儀正しい若者の心の中に潜む小さな「憎悪」が「在特会」を生み出すという構造。「周辺を含めた集団化」である。リスクとハザードの感覚が妙なことになってきているのだろう。

過日、DVDでもう何度目かになる「踊る大捜査線」を視聴していた。私はあの映画をみていて、必ず涙線を直撃するシーンがある。犯人逮捕後、瀕死の状況にある青島(織田裕二)を室井(柳葉敏郎)が車で病院に運ぶ、道路の至るところに敬礼を以て青島を見守る湾岸署の署員、仲間たち。

先日、高校時代の仲間たちと呑んでいる時に一人から、こんなことを問われた。

「メディアは何故、石原慎太郎都知事を極右として報道しないのか」という話である。禅問答みたいな話だが私は「それはメディアは石原さんを極右とは捉えていないからだろう」と。

「うーん。俺は海外メディアのニュース報道もよくみるけれど、メディアに向かって敬礼する首都のトップなんて、誰ひとりいませんよ」

こういうさりげない会話の中に、色々と考えさせられることがあったりもする。

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[639] A3
ポン太 (/) - 2012年06月11日 (月) 22時18分

A3を読み始めました。水木金土日と出張していたので、まだ半分くらいです。ただAやA2のように映像の文章化とは違い、読み応えがあります。とくに今回はいろいろな人との面談がとても興味深いです。早川のところは興味深く読みましたが、彼を黒幕だという人もいるようですが、どうもあの記事ではそういう感じはないですね。
非常に語弊があるのですが、今まで読んだところでは、森氏はオウム事件をヒューマニズムの観点で理解していこうとなさっているように思えます。しかしこれでは信者の行動は理解できないと思います。宗教というのはある意味でマインドコントロールそのものだと思います。教主のマインドコントロールは信者にとっては至福そのもので、教主の言葉を疑うなどは、まさに信仰が薄い輩となると思います。オウムは麻原の本質に粗暴な暴力的な部分が多くあったため、信者はあのような行動に至ったということことはあったと思います。教主が、暴力より、金儲けが好きだったり、好色な人だったりするとまたかわると思います。現実にそういう教団もあるように思えます。
そしてまた、オウムは宗教的な拘束力が強かったと思いますが、そのような強い拘束力に魅力を感じる人は、信仰を持つ人の中である程度いると思います。つまり思考停止、行動制約にこそ信仰の魅力を感じる人です。オウムに限らずその所属する教団の教義を理解している信者はほとんどいないと思います。またオウムには教義の体系はなかったのではと思いますし、新新宗教で、教義の体系があるほうが少ないと思います。それゆえに、オウムにおいても、テロを実行したような幹部連中も、教義の故にテロ行為をしたのではないと思うのです。教主に喜んでもらうことこそが信者の至福でしょうから、まさにその単純な個人と個人との関係によりテロに走ったと思います。幹部であればあるほど教主との個人的関係は深いでしょうから、まさに教主が喜ぶなら、売国も殺人も厭わない、というふうになったのではと思います。まあ良くも悪くも麻原にはその魅力があったのでしょうが。
もう少し読み進めて、また投稿します。

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[640]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月12日 (火) 21時07分

わざわざ「盤側」に足を運んでまで発言を残すようなことではなし、さりとて「双方の読者」にとって「誤読」が生じるのも如何なものかという気もするので、ここに記しておこう。

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当事者間だけに解る明らかな嘘を、
平気な顔をして書いていることが確認できたからですよ。

指摘する為には、リアル情報を書かざる得ないが、
掲示板上の嘘に対してでも、
多分?リアルは持ち込むべきではないと言うJCさんが、
靴に付いたウンコを舐める様な対応で、
駒気分ちゃんに会うと宣言しておられるので、
そこまでの事を邪魔したと言われても困りますし、
酔狂にも幇間欲望を持っておられるので、
真実を書く事は結果邪魔になる筈なので、
気を遣っただけです。
(No.13410 Re: 寅金の雑談室(5)寅金 2012/06/12(Tue) 16:08)
http://bansoku.sakura.ne.jp/bansoku/joyful.cgi より引用)
----------------------------------------------------
オフラインで会い酒を呑む。
そもそも「web主催のオフ会」ではないから「ルール」というものがない。故に色々な話が飛び交う。そういう面がある。誰がとか何をというつもりは全くないが、少なくともあの場で「当事者」もそこにいない状況での、人によっては極めてセンシティブとも考えられる、ただし真偽は判明しないことについて、第三者が面白おかしく書けるはずなどはない。

「当事者間だけに解る明らかな嘘」と寅金氏はいう。オフで知り得たことを「書かない」からといって「明らかな嘘」などと言われてもどうしようもない。冗談まがいに書けること、匿名だろうが何だろうが「書いてはいけないこと」というものが存するのは当然のことだ。こういう区別がつかない人というのは、ほとほとに困ってしまう。

寅金氏は弁舌爽やかにこの日、色々なことを語った。後半になって、私は氏に問うたことがある。「あれやこれや語ったことについて、一体、私がそれを寅金氏情報としてwebに晒したらどうするのか」と。

「いや、JCさんは書かない。書きませんよ。それは信用しています」という趣旨のことを彼は述べた。それはそれで別に構わないが、普通はこれで終わるものである。一方が騒ぎ立てない限りはそれで完結する。それがwebから派生したオフラインミーティングの「掟」というものだ。だから私は以前同様に、オフのことについては一切webには記さない。webの参加者に誰にも迷惑のかからないエピソードや、自分に限ったことを稀に記す程度に限る。

「明らかな嘘」というものとは違う。人は誰もが寅金氏と同じように考えて、同じように動くわけではない。オンとオフの峻別がつかない「寅金氏がいる」というだけの話である。はっきりいうなら「ネットワーカーとしての質の問題」なのだ。

>そこまでの事を邪魔したと言われても困りますし、

別に邪魔されているという認識もなければ、邪魔されたところで世渡り氏と私が「将棋」を通じて「酒を呑む呑まない」など、両者間で誰に遠慮するようなことではない。遠慮する必要もない。

撤退する前に、綺麗な言葉で終わったことを私は喜んでもいたが、この人の場合は、世渡り氏を「盤側」で庇った際もそうだし今回もそうだが、自分が発した言葉、スタンスというものを最後まで持続できない。ポリシーというものがない。何故これほど幼稚なのかは、私には謎である。

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「放火魔の火事場見物〜火消し手伝い〜消防表彰願望者」

と言う事で、誤解を恐れず溢れる考えを書きたい人ではなくて、
「褒められたい人」「認められたい人」

ですね。

ネット掲示板にはいろいろな楽しみ方があるもんだと感心してます。
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「放火魔」?? 私が寅金氏と世渡り氏の騒動に「放火」などできるはずがない。何を「放火」したというのか、明らかにしてもらいたいものである。更にいうなら「二者間の争いの仲裁」など私は行うつもりは全くない。もっというなら頼まれてもしない。

私であれ寅金氏であれ誰であれ「webでの評価」は「残した言説」
だけである。

>私は、過信し過ぎと思われがちですが、
>どなたかが言ったように、野に咲く一輪のタンポポです。

タンポポの悔し泣きが私には聞こえた。
しかし、一体、誰がそんなことを言ったのだろうか(笑)

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[644]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月13日 (水) 20時53分

今期の名人戦七番勝負第6局は106手までで森内俊之名人が勝ち名人位を防衛した。森内名人の快心譜という気がしないでもない。

全ての対局を中継で視聴したわけではないのだが、両対局者はおそらく「扇子」を開くということはなかったのではないだろうか。故に静寂が際立った番勝負という印象が私にはある。

手に汗握る対局だった。将棋を覚えたての子供たちがこの中継をどれだけみているのか私にはわからないが、対局風景の美しさや全力を出し切ったであろう二人のコントラスト、負けを認める一瞬、勝っても動じない姿というものが、何かを残してくれると私は信じたい。将棋ファンに届くであろうことを願いたい。

両対局者、関係者のみなさん、本当にお疲れ様でした。

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[648] A3読了
ポン太 (/) - 2012年06月16日 (土) 00時49分

A3読了しました。やはり文章を前提とした文章?なので読み応えがありました。
森氏が何度も書いているように、オウム以後いろいろ日本における我々一般人も含めての、危機に対する警戒の度合いというかある種の神経質さが増したような気がします。が、それはオウムも一因でしょうが、それよりも経済的にもいろいろな面で、日本に閉塞感が満ち、我々の関心が内側に向かっていく時期のせいではないでしょうか。
そしてそういう時期だからこそオウムは暴走したのではと思うのです。
森氏は最後の方で、幹部信徒達の暴走が事件の本質だと確信しておられますが、私もソウダと思います。
ただ、暴走したのはやはりあの手の暴力的な行為を、麻原が好んだため、幹部信徒達が麻原に気に入られるために、ある意味過剰に暴走したのかもしれません。
それでもやはり、信仰の原点から麻原も幹部も大きく離れていると思います。本の中にもオウムの、ヒンヅーや佛教からのような教義がありますが、そういう観念的なことはただの遊びだと思います。遊びのうちなら良いが、現実と勘違いしたのだと思います。
信仰について深く論じるつもりはありませんが、彼らの行動は実にマンガそのものの幼稚さと残虐性のものであり、自分のうちを観て(神を観て)心の安らぎを求めるという信仰の姿とは無縁のものだと思います。
その面で、森氏は宗教的な側面からのアプローチより、社会的側面からのアプローチを重視したのは、おそらく森氏はあまり信仰心はお持ちではないかもしれませんが、誠実な態度の結果として正解にたどり着かれるためだと思います。
たしかにこの書物によって、オウムにかんする出来事のいろいろな側面がわかりました。というか何が判らないかということが、なんとなく判りました。
警察庁長官事件にしても、村井殺害にしても、謎は残っている訳ですが、麻原は無理でも他の信者達が何か語ってくれないかと思うのですが。
ところで、一橋文哉氏のオウムに関する本の要約のようなものをネットで読みましたが、どうも謀略史観というか、針小棒大のような感じを受けるのですが、一応読んでもみようかとも思うのですが、JC様は読まれましたか?
私はグリコの本は読んだのですが。
しかし、年末の平田の自首、NHKの特番、最近の菊地、高橋の逮捕、と急にこう続くと、一橋氏でなくとも何か裏にあるのかと思いますが。

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[650] A3のことなど
ポン太 (/) - 2012年06月17日 (日) 10時05分

今、森氏のブログを読んでいたのですが、なんとなくA3を読んでいたときに感じた不思議な感じが判りました。彼は、論理的で一貫した姿勢を貫くのですが、そのブレのなさが、内心では葛藤があったかどうかは判りませんが、妙に人工的に感じたのです。
麻原が精神病で、弟子達が暴走したのも、真相が解明されないのもすべてその通りだと思いますが、わたしなら被害者やその関係者、信者やその関係者、その他のかたを考えると、あのような真っ直ぐな書き方はできないと思うのです。
つまり事実部分ではなく、その事実にたいする著者の解釈部分です。事実に関しては、水俣病のことはあきらかに書きすぎだと思いますが。
私は、文筆家ではないので、ウエットな感想にすぎないのでしょうが、できうるならば、あれだけの事実を積み重ねたのなら、もう少し解釈の幅を広げて頂きたかったと思います。

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[653]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月18日 (月) 00時20分

ポン太さん

森達也氏の「A3」(実は「下山事件」のときにも取材対象者との見解というか(言った言わないの話で)誤解というか、そういうところで相当な消耗戦が行われたことがありました。おそらく読後、或いはポン太さんは以下のURLの内容をお読みかと思いますが、一応貼りつけておきます。

http://www.tsukuru.co.jp/mori_column3.pdf

http://www.tsukuru.co.jp/mori_column5.pdf

私はここで展開された森氏の主張に首肯できる部分が相当ありますし、実はこの論争というのは、今の様々なwebサイトでも、結構みられるのではないかな、と思いながら読んでいました。

河野善行氏が「麻原被告がどう刑されるかは私にとって最重要の問題ではない」ということを述べています。(1996年3月6日ユビキタスタジオ)

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例えば私は、「恨まない」というスタンスを取っています。それは.....例えば妻の状態が良くなるのであれば、私は恨みますよ。しかし、いくら恨んだって妻の状況というのは変わるわけではない。それから「恨む」ということそのものがすごくエネルギーを遣う。自分としては、そんな、言ってみれば不幸の上にまた「恨む」という不幸を重ねたくない、ということです。
罪を犯したのであれば罰を受けるのは仕方のないことですが、「それはあなたのことでしょ」ということです。
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私は河野さんのように達観も超越もできないとは思いますが、カミさんとこんな話をしたことがあります。

「もし、私が駅の構内で突然、通り魔に刺される。(誰でもよかった)の一人として。犯人が捕まった。あなたは犯人に何を望むか、どうしたいか」と。

カミさんは「しかるべき手続きでしかるべき刑の執行を望む」「犯人が死刑になろうが、無期であろうが、はたまた執行猶予がつこうが、39条絡みで無罪になろうが、おとうさんが戻ってくるわけではないから、それ以上のことは求めない。何が真実であれ犠牲者は生涯、浮かばれないのだから。求めないのと同様、あらゆる謝罪も受け付けない」

おそらく、私でもそうだろうなぁという気はします。

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[654] 少し思うこと
ポン太 (/) - 2012年06月18日 (月) 09時36分

高橋が逮捕され、これでオウムの特別手配犯が三人とも逮捕されました。昨日の読売テレビの関西ローカルの番組に上祐史浩氏が出ていました。じょうゆう氏の客観性にもいまさらながら驚きましたが、パネリストの何人かが謀略論を声高に論じていました。
あのような謀略論を聞いていますと、どんどん被害者のかたから離れていくような気がします。
しかし本当に謀略によるものならとんでもないことです。
この三人の逮捕で、麻原の死刑をはじめ、いろいろなことが論じられていますが、私にしろ、事件自体についてはなにかはるか昔のことのように論じているような気がします。

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[659]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月18日 (月) 21時45分

ポン太さん

この国は憲法で「言論の自由」が保障されていますから「どんな謀略論」でも語ることができるわけですが、メディアもまた「それを煽る」ような部分が相当にあります。

変な話ですが「その方が」みかけのインパクトを作ることができますし、あたかも「新事実」のような印象を与えることも可能になります。視聴率にも直結します。

困ったものだと思いますね。

私は今、若松孝二の「自決の日」をみてから、三島由紀夫と楯の会について色々と調べているところです。楯の会の二人に対して示された判決文を読んでいると、当時の世相というものが実に浮き上がってきます。また改めて紹介できればと思っています。

Pass

[661] 憂国の情あるいは帝国主義打倒
ポン太 (/) - 2012年06月19日 (火) 19時47分

三島由紀夫にしろ70年代の学生運動にしろ、はたまたオウムにしろ、おそらく最初の動機はかなり純粋なものだったと思います。しかし運動を、行動を進めていく限りは必ず人と人の関係の問題が出てくると思います。
そしてそれが未熟な組織であればあるほどより先鋭的に出てくると思います。
そして自壊していくことが多いのではないでしょうか。
先日日曜日の読売テレビの関西ローカルの、たかじんの〜、にはじょうゆう氏の他に若松監督も出ておられ、三島由紀夫の映画についても、また自身の連赤の映画についても語っておられました。私は映画は観ておりませんが、本音ではみたくありませんが、かっての盾の会の一般隊員が、あるいは連赤以外のかってのBUNDやMLのひとびとはどのようにあの映画を観られたのでしょうか。
オウムにしても右翼左翼の過激派にしても、ある程度その団体に深く関与したなら、その組織のなかにおける自分の立場を中心に、すべてのことを考えるようになるように思えます。
最初の大義よりもです。すべての団体、企業や任意団体も、公益
団体も含めてですが。

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[665]
JC IMPACTU (/) - 2012年06月19日 (火) 23時10分

ポン太さん

昭和9年2月26日 いわゆる「226事件」(軍部クーデター)が勃発しました。あの時に鈴木貫太郎氏は一命をとりとめましたが、もしそうでなければ、終戦時の内閣は誰が預かることになったのかを考えるとゾッとすることがあります。おそらくは相当に遅れていたことでありましょう。

1988年9月、山本義隆元東大全共闘議長に北野隆一氏が「当時の話を聞かせて欲しい」と一通の手紙を出しました。氏は東京大学新聞の編集部員、手紙は3通出され、面会も果たすことはできましたが、回答は全て拒否されました。当時の「東京大学新聞」をみる機会がありましたが、露骨な民青寄りの編集方針でしたので、或いは山本議長には未だそういう抵抗はあったのかもしれません。

私は学生生活を東京で過ごしたことはありませんし、そもそも全共闘世代よりは送れていますから、リアルな記憶というものもなく、子供の頃にニュースを家族とみていた程度ですが、首都と地方都市では、それなりの温度差があったような気がしますし、私は「全共闘白書」(新潮社刊)を発売されると同時に読み、実に厭な気がしたものですが、そもそもどれだけの人間が「革命の成就」などというものを信じていたことか。

「連赤」についてもこちらは関係者が色々なことを語り始めましたが、足並みの乱れが「女性問題だの恋愛だの」という話になると、これで総括されてはたまったものではないという印象があります。そんな利害はないだろうということですね。

若松監督の「連赤」は、まぁ潤沢な制作費ではありませんから「あさま山荘」のシーンは貧弱ではありますが、少なくともこの作品は前衛的ではありませんし、学生側から撮った作品ですから「内実」の一端にふれることはできます。DVDでレンタルもされていますので、思いを超えて、ぜひ、チャレンジしてみていただければという気もしております。

当時の関係者・支援者、ブントも含めてですが、やはり今みればある種の「幼さ」を感じたのではないでしょうか。当時を。

それらを振り返って一番面白く読んだのは宮崎学の「突破者」「新・突破者」でした。

今、私は三島の裁判記録を読んでいるのですが、楯の会の決起もまた、クーデターなどと呼べる代物ではありません。市ヶ谷を襲撃して、拳銃の類を一切所持しない、そんなクーデターはないと思いますし、三島はそんなことは考えもしなかった。

ただし、判決文は私をある意味驚かせてくれました。改めてご紹介しますが、優しいんですよ。一言でいいますと。

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[668] 大江健三郎
ポン太 (/) - 2012年06月24日 (日) 01時03分

私は宮崎氏の突破者は昔読みました。なかなか痛快でした。ただ、たいへんつまらないことですが、この本の中かまたはどこか別の所かもしれませんが、彼があかつき部隊を率いていたことを、とくとくと書いていたのはなにか奇妙な気持ちがしました。
またグリコ犯について、あの事件はエセ同和団体のやりかたに似ているというような事を言っているのをどこかで読みました。
一橋氏の著書でもそのような記述がありましたが、これもある種の謀略史観だと思います。
ところで、私は、洪水、までの大江健三郎は好きでかなり、多分全部読みましたが、その後はまったく観念的になったと思うので、2,3読んでギブアップしました。
三島由紀夫は初期の作品を読みましたが、文章が大江と違い、大変美しいと思います。
どちらも巨匠で、川端康成の次のノーベル賞候補といわれ、若い頃は澁澤龍彦と三人で三島の家で、歓談したと聞きます。
また二人とも政治的な発言を、左右の違いがあっても、よく発していたと思います。
私のような凡人にとっては、三島の憤死と比べると、大江はノーベル賞以後、もう少し前からかもしれませんが、何となく偽善者めいた感じがします。
しかしそれすら、大江にとっては自然な流れなのかとも思います。まるで、死の直前の三島がとても忌避した老大家のように見えてもです。

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[669]
世渡り下手爺 (/) - 2012年06月24日 (日) 03時20分

全学連「全日本学生自治会総連合」、全共闘「全学共闘会議」

両者は、よく混同されることがるが、実態は全く違っており、前者は学生の学費問題や自治、交流を目的として作られた全国組織であり、後者は70年安保を控えた68年をピークとして日大や東大等の個別的大学闘争から発展をした組織であり、もともとは前者には政治的な色合いは少なかったが、後者は政治的なバックを基に70年安保闘争組織としての傾向が強く表れるようになる。

第一次ベビーブームによる戦後の子供数の増加は好景気による生活安定を超え、急激な学費増加により都市圏における求学問題は各大学に起こり、その全国的組織が「全学連」であったであろう。それに対して、「全共闘」はセクト間を超えたラジカルな大衆が結集して作った組織であり、個々の政治思想を表面に打ち出した攻撃的要素を備えていた。そこには単なる学生自治を超えた政治闘争や性的解放運動や、芸術的思想運動なども含み、当時の社会性に対する若者の国家に対する不満へと変化を続け、69年の全国全共闘結成によりその頂点を迎えるが、実際には独自のセクトのバラバラな意識の違いにより逆にセクト間の闘争へとも変革をしてゆく。

その中で、私は大学受験を迎えることとなるが、その前々年に「安田講堂事件」による東大入試試験中止が起こり、漠然と国外への逃避を考えだすようになる。高校はほとんどロックアウト状態で授業を受けることも少なく、その為であろうか将棋の会所へと向かう毎日が続いた。あの頃の若者達は、何を求めていたのだろう。

デモに参加をし、石を投げ、共通の意識を求めながら、実は体力の余った欲求不満のはけ口としての学生運動を否定することは出来ない部分を感じている。JC様の「盾の会」の文字を見た時に感じたその空虚感は、その後の「しらけ世代」に対する空しさが転化をしたことによるものではないかとも思う。

あの時代は、左も右も実は同じ思いで国に対する抵抗をすることにより、自己を求めなければならない伝染病(ある種の洗脳を求める集団体質への欲求)が蔓延をする変革期だったのではないかと。そして、その時代を嫌い、私は海外へと逃避をした。夢をもつ事自体は、大差がないのではあるが。。。。などと取り留めもなく感じ、漠然と書いている自分が滑稽にすら思えるこの時代である。

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[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2025年01月31日 (金) 12時18分

最大レス件数「35」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

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