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BBS言葉の対局室

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2013年8月27日(火)22時より「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室を開設致します。

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[762] 某月某日- nonsection genre - (9) - ※ログ終了※
JC IMPACTU (/) - 2012年08月12日 (日) 12時46分

某月某日- nonsection genre - (8) -を使いきりましたら(スレッド35上限)こちらをご活用ください。

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[766] 書く場所が、、、
恵子 (/) - 2012年08月13日 (月) 09時52分

JCさんこんにちは。
もし私が2枚落ちの上手を持ったら、銀多伝をやられるのがイヤです。
自分が下手ならもちろん銀多伝をやります。
勝ちたいから〜。

本定跡と呼ばれる2歩突きっきり(これでいいのかな字?)
は、形がきれいで学べる手筋がたくさん盛り込まれていると思います。
ただ、上手からの変化が多くて下手の迷う局面が多いし、争点が限られてしまうから下手は一度間違えると軌道修正し難いと思う。

もう一つJCさんがあげておられた「5五歩」は、上手の作戦の5五歩止めのことですか?
下手側の作戦として5筋の位を取る定跡があるのかなぁ、
しらなかったです。

おもに3コースとか自分で適当に書いてしまいましたけど、私が浮かべていたもう一つの下手の作戦は、安恵プロが説
いていた矢倉のことです。
2枚落ちでも飛車落ちでも角落ちでも、すべて下手は矢倉に囲って引き角戦法は有効ですよ、と。私は角落ちでしか使ったことがないですが。
あ〜掲示板で将棋のことを書くとはとても久しぶりだわ。

追記。返信したいだけでしたがフォームを使って書き込みしたら
独立スレッドになってしまったので大慌て削除しました。
で、どこへ返信すればいいか場所わからず、すみません、また同じフォームに書きます、よろしく処理してくださいませ。

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[768]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月14日 (火) 12時43分

恵子さん

遅ればせながら、お誕生日、おめでとうございます。

昨日、月曜日は、アマ強豪の方と二枚落ちで一局。そのあと場所を移して、LPSAで石橋代表と角落で一局。再び場所を変えて、石橋代表、お母様とアマ強豪の方を交えて懇談。実に楽しい時間を過ごさせていただきました。

アマ強豪の方の第一声「今日は、変わったことをやってみましょう」

昔の定跡書にはあるそうですが、金が盛り上がってくるという、上手金多伝のような形です。結果、動揺した私は5筋の歩がつけず、即ち銀多伝にはならず、早々に苦戦、早くも未知の局面へ(笑)

しかし、将棋はあきらめてはいけません。9筋からのあやをてがかりに、なんとか、勝たせていただきました。緩めてくださったのだと思います。

恵子さんがお書きになった「矢倉」に囲えば「上手はまず勝てません」とのアドバイスをいただきました。なるほど、そういう形もあるのですね。

さて、次は石橋代表との角落ち戦です。
これまた、中飛車急戦から、下手の大苦戦。アマ強豪氏は、ニコニコ笑いながら「面白い形ですねぇ」と一言。「どう指すものですかねぇ」と泣き言を呟いても「首が飛びますからねぇ、それは」と助けてくれません。

ただ、石橋代表が、途中、何度か「アマの力を試す」局面に導いてくださり、最後は中原名人のお好きな駒、桂馬を攻守に活用することができ、何とか勝たせていただきました。緩めていただいても、勝てば嬉しいものです。好手を褒めていただけると、顔が火照ります(笑)

ある局面で石橋代表が「ここはもう、公益になっても遮断できませんね」とジョークを飛ばし、雑談も交えながらの楽しいひとときでした。

食事の場でも、石橋代表、お母様と有意義な会話に盛り上がったことはいうまでもありません。LPSAは、本当に頑張っている。そのことを私は改めて実感することができました。

今回は、代表との指導対局を楽しませていただくと同時に、公益社団法人認定のお祝いを申し上げたかったという面がありました。色々な意味で、本当によかったと思っています。

> 下手側の作戦として5筋の位を取る定跡があるのかなぁ、

すみません。書き方が悪くて。ご指摘のとおり、これは上手の戦法です。

恵子さん、今度、私に駒落の指導対局をぜひ、お願い致します。

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[772]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月16日 (木) 23時36分

黒部の太陽全記録という文庫本を読んでいる。本作の全国チャリティー上映会が全国で開催されていて、作品を鑑賞したら、どうしても、この本が読みたくなった。

ところが、この文庫本が書店には一冊もない。八方手を尽くして探してみたがない。結局、アマゾンで買い求めたのだが、何とはなく不快な気分が残っている。平成21年2月に文庫化されて、今、日本全国で上映会が行われているというのに、この映画の制作背景を監督自ら記した力作が、品切重版未定というのは、一体どういうことなのか。会場で販売すれば、少なからぬ鑑賞者は、この本の存在を知り、買い求めたことだろう。

黒部の太陽 予告編が公開されている。CGなど、全く導入される遥か以前の作品だが、実写の迫力というものに圧倒される。この作品が未だにビデオ化、DVD化されないのは、本作を「映画館という大きなスクリーンでみてほしい」という石原裕次郎の意思が尊重されているからだという。みるまでは、正直、それほどの作品か、という疑いもあったのだけれど、この出来ならば、その気持ちはよくわかるというもの。

ぜひ、みなさんにもご覧いただきたい作品だ。

トガニ 幼き瞳の告発という作品をみた。正直、私くらいの年齢になると、マイベストはそう変わりはしないと、あきらめに近い感情もあるのだけれど、これは屈指の名作である。テーマを考えれば、18歳未満、鑑賞不可もやむを得ないとは思うものの、こういう作品が多くの劇場で公開されないということが、私には哀しい。

例えば、比べても仕方ないし、主題も全く違うものの、 桐島 部活やめるってよという作品は、原作も途中で投げ出し、映画もついになにひとつわからなかった。

後日「 桐島は、偽りの自分自身を映す鏡」などの好意的なレビューも目にしたが、とにかく誰が何と言おうと、私はこういう世界はわからないし、わかりたくもない。若者の不安定さなんて、そんなもの、今も昔も当たり前のことではないか。こんな映画に無駄な時間を奪われたかと思うと、全く実に腹立たしい。

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[776]
世渡り下手爺 (/) - 2012年08月18日 (土) 05時37分

JC様

「黒部の太陽」ですか。何の縁なのでしょうか、私はその映画の石原裕次郎が演じた実際の人物との親しい交流がありました。あの映画は、ある意味で実録の部分があるのですね。
そして、その事を私は知っていながら、なぜかその話を聞くこともありませんでした。そのような、話を持ちかける隙を見つけれなかった、が本当であったのでしょう。

温厚な紳士であり、そのような熱を持って事業を成し遂げたような素振りは一切見せない方でしたが、その人生の最後に感動をさせられました。彼は癌に侵され、その最後を悟ったのでしょう。孫の七五三の祝いを一か月ほど速めると言い出したのです。当日の彼は、にこやかで、とても生死をさまよっているような様子は見えず、その話が間違っているかのような錯覚を得ながら談笑をさせて頂きました。

その二日後でした、訃報が入ったのは。

人には様々は生き方があると思っております。どのような生き方も尊重をされるべき生き方なのでしょうが、そこには「後に残った人々」へのメッセージも必要なのだ、とその時に教えさせられました。「自分の生きてきた軌跡を残す」だけであるならば、それは単なる我儘ではないのか。どのように、その後の関係した人々が爽やかな気持ちを持って彼を語れるようになるのか。一つの美学をそこには感じさせられましたし、「思いやり」の大切さを痛感させられました。

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[778]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月20日 (月) 01時21分

世渡り下手爺さま

>私はその映画の石原裕次郎が演じた実際の人物との親しい交流がありました。

それはそれは驚きました。

「映画・黒部の太陽全記録」(熊井啓著・新潮文庫)を読んでおりますと、当時、斜陽に歯止めがかからない「日本映画」に喝を入れようと、石原・三船という日活・東宝の二大スター競演による映画を独立プロで制作するという意気込み、五社協定を盾に「配給を拒否する映画会社」「熊井啓監督の解雇(のちに復帰)」など実に様々なドラマが繰り広げられます。

普通、あれだけ妨害が露骨に繰り返されれば、この類の企画はすぐに「制作延期(=中止)」になるものですが、熊井監督も石原裕次郎も三船敏郎も一歩も引かなかった、負けなかった。実に気骨があると思いますし、有形無形の様々な圧力が、逆に制作陣の心をひとつにしていったのだと思います。

気概が持続するというのが、読んでいて何度も心をうたれました。

石原裕次郎氏のモデルになった方と熊井啓監督の対談が本書には紹介されていますが、氏は熊井監督にこう語っています。

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私は、よく、こう言うんだ。我々の現場には、三種類しかない。それは「最も危険な現場」「最も苦労した現場」「最も嬉しかった現場」だと。(中略)黒四の大町トンネルこそが、私にとって、最も危険で、苦労し、嬉しかった現場です。

(「映画・黒部の太陽全記録」(熊井啓・新潮文庫 平成21年2月刊より引用)
------------------------------------------

ある意味「最も危険で」「最も苦労しない限り」は「最も嬉しいこと」になど、なりはしない、という気もしてもいます。

女流棋士を目指す子どもたちにも当てはまるのかもしれませんね。指し手に震えず、苦労を厭わず、日々頑張ってほしいと、そのことを願うばかりです。

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[780]
JC IMPACTU (/) - 2012年08月21日 (火) 00時12分

過日、アマ強豪氏と飛車落二局目の対局。互いにウイスキーを呑みながらの将棋。今度は銀多伝には組めたものの、上手の右桂を巧みに使われて完敗。

無理に攻めてしまうというか、速度感が壊れたような将棋になる。将棋というゲームは実に深い。面白い。改めてそのことを痛感した。

休暇期間中の最後に「特撮博物館」をカミさんと訪れる。特撮模型の中を実際に歩くことができるというコーナーが、最後に用意されていて、実に楽しかった。

流石に今はもう、日本の特撮作品を視聴するという機会は殆どなくなったが、それでも、ウルトラマンのジャミラの回や、ゾーフィが登場する最終回などは今でもそのストーリーを鮮明に記憶している。破壊と創造が繰り返されるということを、無意識の内に感じたのかもしれない。

正義とは何なのだろう。セットの中を踏みしめながら、ふと、そんなことを考えた。

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[802]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月03日 (月) 21時03分

寅金氏に対する「投稿禁止」が発表された。

1.寅金氏へ  投稿者:管理人@山崎 投稿日:2012/09/02(Sun) 17:34 No.47570 web駒音( http://www.koma.ne.jp/に掲示)

次に

2.二番煎じ - 2012/09/03(Mon) 19:19 No.47628 web駒音( http://www.koma.ne.jp/に掲示)という発言がある。

二番煎じ氏がここを読まれているかどうか、わからないが、拙論を述べてみたいと思います。

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一日待ってみたんですが・。
もう誰もいないんですね、ここには・・。
これだけの言論封殺を見ても、誰一人発言しないなんて・・・。
ここに7年ちょっといますが、寂しい。ほんとに寂しいです・・・・。
ひと昔前であれば、それがたとえ「荒らし」によるアク禁措置であっても賛否両論、住人10人くらいの発言は、あっという間にあったものですが・・・・・。
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二番煎じさんは「七年」駒音をみていらっしゃるそうですから、おそらく「馬って得意なのよね」氏が「駒音投稿禁止」の沙汰を受けたことをご存知だろうと思います。私は自分で「駒音には発言しない」ということをある時期から決めましたので、駒音に当時、何のコメントを残してもいませんが、馬さんが発言の場を移していた「盤側の談話室」で、私自身「馬さんの葬儀委員長」を務めました(笑)

私はあの時の山崎氏の裁定は、ある意味「喧嘩両成敗」に反する行き過ぎた処分だと考えていましたし、いわゆる(片)手落ちの裁定にみえましたから、そんな処分は何ら気にすることはない。ならばいっそ「盤側」でお祝いしましょうよ、という気分があったわけです。あれから随分、時間が経ちましたが、今でもそれは間違ったことではなかったのでは、と思ってもいます。

そういうことを行ったすら私ですら、ここや盤側で「寅金氏」を擁護するつもりには全くなれません。そんなことをするくらいなら、私はこの掲示板自体をさっさとたたみます。流石にそんな恥ずかしいことは、頼まれてもできるようなことではありません。

一言でいうなら「弁護すべきいかなる一端も見出すことができない」からです。

二番煎じさんの「七年」という時間は、私の「駒音」に接した時間よりも長いので、おそらくよくご存知でしょうが、ある時期、「世渡り下手爺氏・寅金氏・藁人形氏」が「三本の矢」(笑)にみえた時代が私にはあります。当時、寅金氏が主張していたスタンスと真逆なことを氏はやっている。一例を示しましょう。

連盟VSLPSAの図式について「(連盟の)弱いもの虐めに対抗しているのだ」という趣旨のことを述べたことがあります。それはある意味、理屈抜きの感情みたいなものもあったのでしょうから、別に私はそのスタンスを「悪い」こととは思いませんでした。それはそれで「筋が通っている」とも思いましたからね。

つい最近まで、寅金氏は「中井前代表」を擁護してもいたのです。「前相談役のその点についての言及は許さない。影響力が違う」という趣旨でした。私はそのことについて「盤側」でも「言外の意を汲んでくれ」と頼まれましたから(苦笑)

ところが氏は真逆な展開に走ったのです。しかも、それらは殆どが、ある意味、寅金氏に気を許したであろう世渡り下手爺が語ったエピソードの断片を自身の都合のいいように解釈してぶちまけた。それが世渡り氏が伝えたことの「真意」を汲んでいるならばともかく、自分が気に食わないというだけで、事を歪曲し、攻撃材料に用いた。寅金氏自身が独自に得た材料というならばともかく、情報を都合よく悪用しているわけです。

だから私は二番煎じさんのいうような「寂しさ」という感情は微塵も抱くことはありません。webというのは案外、正直なものだなぁと思う事はあっても、ですが。

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寅金氏のアクセス禁止、大賛成です。
(駒音住民で、最初に意見表明しました!)
11月までとかチンケな期限付きの処罰でなく、
「ワシの眼の黒いうちは、一切出入りまかりならぬ」
くらいバーンと言ってもらいたかったと思います。
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「寂しさ」と「アクセス禁止大賛成」との間を「複雑な感情」と呼ぶのかもしれませんね。

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いつもいつも、大きな花火を2〜3発打ち上げて期待させては、
世渡り下手爺さんを始めとする取り巻きの方にさんざん邪魔されて、本論そっちのけの中傷合戦を繰り広げ、最後は、カゴメかごめのように輪になって、線香花火の消え行くさまを見つめているというそういうスレッドを連発される寅金さんは、

「今の将棋界はどう動いているのか」を知りたい、地方在住の将棋界にツテを持たない一ファンには、ストレスの蓄積以外の何物でもありません。

賀茂さんのスレッドで武者野氏に対して、
「情に訴えるような回答はいかがなものか」
と言ったその舌で(管理の制限上やむに止まれぬとはいえ)、
「館林の議員が・・・」という、武者野氏の情に訴えるような無様な投稿をするのを見たくないのです。
さっさとどこか別の場所に移動されて、そこで思う存分の主張を、途中途切れることなく最後まで展開して頂きたいと思っているのです。
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>世渡り下手爺さんを始めとする取り巻きの方にさんざん邪魔されて、

というのは実に不思議な表現です。寅金氏こそが「駒音」と「盤側」を見事なほどに使い分けていると私は思いますよ。私からみれば「狡猾」だという気がしなくもありませんが。

第一、議論というのは「ひとり」で対峙するものだという思いが私には強くありますから「さんざん邪魔されて」などというのはおかしなことです。物理的に邪魔などできませんし。

私は自身の掲示板を作成して1年3ヶ月になりますが、寅金氏に「責任」という意識があるというならば、自分の掲示板を作ればいいだけのことだと私は思っています。それこそ「弾圧」も「規制」もありません。私恨を隠してぐずぐずやるよりは、その方がよほどすっきりしています。ただし「管理者」であるということは、自身の発言含めて、あらゆることを他者のせいにはできませんから、果たしてそんな覚悟があるのかな、とは思いますが。

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私も、喝采さん・寅金さんに殉死しようとする確信犯です。
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勿論、それはご自由ではありますが、美しくはない。

私はそう思います。

Pass

[810]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月10日 (月) 01時28分

某月某日

さきほどまで「盤側の談話室」における「何でも鑑定団」のスレッドを眺めていた。ある意味、寅金氏の「今更」弁論に呆れ果てたという気がしている。

何故「今更か」ということを述べてみよう。

「何でも鑑定団」の鑑定がweb「駒音」で問題になった時に、世渡り氏、寅金氏、藁人形氏は「駒音」における「三本の矢」ともいうべき存在だった。私はリアルタイムで「駒音」を眺めていたし、立場はどうあれ「三本の矢」という認識を真っ向から否定される方もいらっしゃらないのではないかと思っている。

いちいち引用はしないが、寅金氏はこの問題について「見守る」という言葉を何度か用いている。「世渡り氏を支持する」という立場も比較的鮮明に示されている。「そう、それこそが是々非々なのだ」という寅金氏の高笑いが聞こえてくるようだ。

「是々非々」というのは、勿論、決して悪いことではない。寅金氏は本掲示板を撤退されたので、ある意味、今後、世渡り氏と私との間に「鐘や太鼓を鳴らし回るような雑音」はおそらく生まれない。そういう環境が整ったこともあるので、私は近々、世渡り氏と「棋界を巡る様々な問題」について、きちんとした意見交換を改めて続けたいと思っている。

「是々非々」が成立するためには、人間と人間が「やりとり」をすることだから、そこに「基本的な信頼関係」がなければにらない。その「信頼関係」があるからこそ、同意も差異もはっきりするし、差異については、擦り合わせも可能になる。

今、世渡り氏と寅金氏の間に「前提となる基本的信頼関係」というものは、世渡り氏の「駒音」における「発言」をみるまでもなく、瓦解している。それは寅金氏の暴走によるところが大きい。

もう少し述べるならば、寅金氏が「さも自分が知り得た」ように語った情報は、その殆どが世渡り氏ラインからのものであろう。語られた事実の断片だけを捻じ曲げて、悪意に満ち溢れた発言を重ねる。真意は反映されることがない。そういう発言を「悪意」と普通は呼ぶ。少なくとも氏が様々な情報を知り得た時点において、世渡り氏と寅金氏には「人間としての信頼関係」というものが残っていた。寅金氏が工房に足を運べば、世渡り氏はおそらく歓迎されたことであろう。だから、世渡り氏が、少なくとも寅金氏から、その点においては恨まれるはずがない。これで恨むというなら、恨む方がどうかしているということになる。

ただし、恨みがないから「悪意」もそこに生じないかというと、人間はもう少し複雑だから、その悪意だけが噴き出す、滲み出るということがある。どんな時にそうなるかといえば「自分の思いどおりにならないことを」自分で解決することなく、他者にその責を求めるときだ。「俺は悪くない。俺がこうなったのはお前のせいなのだ」という、刑事ドラマのクライマックスにありがちなシチュエーションということになる。

「見守る」ということも「支持する」ということも、当然のことながら「どんな人」がそうしているかは、事がリアルであればあるほど問題になる。それが「どんな人」かによって、見守られることも、支持されることも味が悪いということがあるからだ。
「今更」というのは、そういうことである。

webというのは「仮想空間」といいながら、そこで行われる人々からの評価というのは、匿名制の掲示板であるが故に、よりはっきりするという面がある。

「是々非々」を声高に主張しようとも「おこしたこと」は「書いたこと」であり「残る」ことだから、そのことに自分がケリをつけない限りは「信用」されない。放置したままでは「清算」されることもない。当たり前のことだ。

「盤側の談話室」はある意味、駒音から派生したBBSである。どちらかといえば「web駒音」とは「考えを異とする者たち」が集った結果、立ち上がったという面が多い。どちらかといえば、自ら「駒音」を離れた者たちによって生まれたコミュニティである。故に「駒音」とは雰囲気が違うという面が当然ある。それはそれで決して悪いことではない。

私は今では自分の運営するサイトをまず念頭に考えるから、外部から「盤側」を眺めるようになった。

「場」には当然カラーというものもあれば、独自の空気も存している。寅金氏は「自ら駒音を離れた者」ではない。発言禁止という処分を受けた結果、過去に散々悪罵の限りを尽くした「盤側」に身を置いたということである。その結果「盤側」の空気がどうなていくのか、引き続き外から眺めてみることにしよう。

勿論「今」ではない。将来寅金氏があらゆる意味において「自分の思いどおりにならなくなった時の」盤側が、どうなるか、ということである。

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[811]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月10日 (月) 19時23分

ここ数日、書棚にあった2冊の本を枕元に置いている。

「武者野勝巳のこれなら実力初段(1)(2)」(NHK出版・(1)1996年2月24日第1刷・(2)1996年6月24日第1刷)この時の名人は羽生善治氏である。中原誠十六世名人はA級在籍。しかし、私のプロ棋界への関心は薄れつつあり、地方都市で現場の仕事も多忙を極めていて、実戦の機会は帰省の際の父親との対局が殆どだったが、棋書を真面目に読んだ時期でもあった。

このテキストを何故読み返しているかといえば「実力初段」という言葉の響きが、今、私を悩ませているからである(笑)

勝ったことだけ言えば、指導対局で男性プロ棋士に「平手」で白星を頂戴したことがある。「角落」で3連勝したこともある。最近では石橋幸緒女流四段に「角落」で勝たせていただいた。

しかし、これはあくまでも指導対局である。プロの先生がアマチュアの「チカラ」を引き出してくださる「場」でもある。

勝ったと「勝たせていただいた」とは全く違う。

それが証拠に(笑)と言うのも変な話だが、過日、私はアマ強豪氏と酒を呑みながらではあったけれども私が下手で2枚落を指して負けた。上手に必至も詰めろもかかっていない。困ったものである。

「平手」で勝った経験があり、角落ちで3連勝した私のお師匠さんにいつだったか「私の段位」をおそるおそる尋ねたことがある。先生は「どうでしょうかねぇ」と苦笑されるばかりだった。「何を言われてもめげませんので」と懇願するように再度、問うてみた。その時の回答は「二段くらいじゃあないでしょうかぁ」とのこと。しかし、私はこの「認定」を自分で全く信用していない。
そんなはずがない(苦笑)。これは半分以上は世辞である。

変な話だが、私も免状を取得している。中原名人が米長永世棋聖から名人位を奪われた時に慌てて申請して、取得したものであることは以前にも記した。「練達二長ケタル」を認めて頂いたということで、段位は四段である。将棋世界に「六段コース」が新設された際に五段コースから挑戦し、数年前に「六段位」の申請資格は有している。免状を申請するとカード型の段位証明書のようなものも送付されてくるのだが、人様にみせたことなど一度もない。「おとうさんは強いのね」などと目を丸くするのは将棋を知らない「カミさん」だけである。

武者野七段のテキストを再読し始めたというのは「実力初段」という言葉の響きに新鮮味を覚えたからだ。そもそも、一体、私の段位など、ここに示したとおり、一体「実力何段」なのか、そもそもわかったものではない。いや、実力の段位なんてとてもとても、実は級位なのかもしれない。嗚呼(泣)

例えば「棋力の認定」いわゆるペーパー段位の場合「次の一手」や「詰将棋」を解き続けた結果の認定が殆どである。勿論「詰将棋」で「解けたら○段」というものもある。今はどうか知らないが「ソフトに勝って棋譜を送ったら二段」というものもあった。

武者野七段のテキストには次のように示されている。

--------------------------------------------------
私も地方の中学生だった当時に雑誌の初段認定コースに挑戦しました。1年半の期間を経て卒業し、晴れて初段を認められたときのうれしさは昨日のように思い出すことができます。
父が「一生の記念だから」と免状料の半額を負担してくれました。やがて送られてきた免状は、上質の和紙に墨書きで「夙二将棋二丹念二シテ......初段ヲ允許ス」とあり、坂口連盟会長(当時)、あこがれの大山名人、木村十四世名人の直筆の署名が添えられてあったのです。
「できることならプロ棋士になりたいな」
と思ったのはこのときからでした。
また、自分は初段なんだという自信が将棋を大きくさせるのでしょうか。このときから目立って勝ち星がふえました。その後、昭和54年に四段となり、プロ棋士への夢がとうとう現実のものとなったのです。
(武者野勝巳のこれなら実力初段(1)/NHK出版 1996年2月刊より引用)
--------------------------------------------------

中学生の頃に将棋雑誌のコースに応募されて「初段獲得」というのは、この世界でいえば「晩学」という気がする。プロ棋士になられた方がアマチュア時代に「アマ免状」を取得されるという方はどれくらいいらっしゃるのだろう。

このテキストを再読しているとメモが何枚か出てきた。本に直接点数を記入するのではなく、メモに書いたものである。今、再度チャレンジしているのだけれど、出来ない問題は出来ないのである。当時も今も(笑)

次回は武者野七段の「初段の条件」「ペーパー初段」について紹介したい。

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[813]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月11日 (火) 22時19分

「盤側の談話室」のNo.16326 天秤左氏の発言について、このスレッドで反論ではない「補足」をしようと考えているが、とりわけ急ぐ話ではないので、それは明日以降にするとして、今日は引き続き武者野七段のテキストから。

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初段になったことを報告したとき、町の道場主は、「それはおめでとう。これからは全ての定跡に精通し、すべての詰将棋を解けるように努力しなさい。たとえプロの名人でも二枚落ちで負けてはいけないよ」と教えてくれました。
これらが初段の条件だというのです。
自分でもそうありたいと願いましたが、今考えるとこれらの条件はやや厳しいもので、「すべての定跡を承知し、10手未満の詰将棋はすべて解くことができ、プロ棋士に二枚落ちで好勝負をするのが初段の条件」だと、少し柔らかくいい直してもよいでしょう。人口8万のわが町でも、有段の実力者は30人といなかったのですから、やはり初段はとても大きな存在なのです。

(武者野勝巳のこれなら実力初段(1)/NHK出版 1996年2月刊より引用)
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武者野七段が報告された道場主が示された「初段の条件」に合致するアマチュアは、間違いなく初段にはいない(笑)と私は思っている。有段者で相当上の段位でも厳しいハードルである。全てをクリアするとなると。

ここからは私の推測である。おそらくその道場主の方は、当時の「武者野少年」が「プロを目指したい」ということについて、以心伝心、気がついていらっしゃったのだろう。だからそういう「条件」をひとつの心構えとして、示されたのではなかったのだろうか。

過日、私のお師匠さんに尋ねてみたことがある。「先生、プロを目指す、或いは弟子入りを希望される者と、アマチュアに接する際の将棋の指導というのは、どう違うのでしょう」伺いながら「恥ずかしい質問だなぁ」と思ったことを今でも覚えているのだが、先生はこう回答された。

「私の場合は、ですが、悪手や疑問手は殆ど教えません。何故負けたのかを徹底して考えさせますね。二枚落や大駒落ちでも、いわゆる定跡のかたちにはさせません。言葉は悪いですが下手をどんどん脅すように指します」

なるほどと思う。「指導対局ではありませんから。試験対局とでもいうのでしょうか」
私は項垂れた(笑)

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ところで私が初段になったのが先の事情により問題集を解いた結果での認定だったので、町の道場に来る人の中には、「問題に正解して初段というのは、どういうもんかねぇ」と首をかしげる方もおりました。
私の場合、当時アマチュアの1級で勝ち越していましたし、初段になったあともむしろ強くなりましたので、その声はあまり大きくなりませんでした。最近では、ほとんどの新聞や雑誌で段位認定コースを開設していることもあって、ふだんの実力とはややかけ離れたいわゆる「ペーパー初段」を自認する方が、多くなったのは事実のようです。
「収入ばかりをめざした、連盟の免状乱発策は目にあまる」と辛口の批評をされる方もおりますが、私は一概にそうだとは思いません。私自身が初段を目標に問題と取り組むことで確実に棋力アップが図れましたし、初段となったあともその誇りは私に大きな自信を与えてくれたからです。
ペーパー初段の方に対し勝ち負けの結果だけから「実力がない」と即断するのは誤りです。少なくとも「定跡を知っているか?」「手筋を知っているか?」「詰みを発見できるか?」など、数々のテストの結果、合格点を取ったという厳然とした事実があるのですから。
(武者野勝巳のこれなら実力初段(1)/NHK出版 1996年2月刊より引用)
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四段免状を申請し、五段コースを「将棋世界」で卒業し、その後しばらくして「六段コース」が新設された際に、ではもう一度と取り組んだのが私の「ペーパーの道程」でもある。ひとつは今もそうだが、実戦不足は如何せんどうしようもなく、何か目標というか証というか、そういうものがあればいいという感じがあったような気もする。そういう意味では「試験勉強」に近かったのかもしれない。

勿論「自力」で回答を見つけ出すというのは、当然のことだが、次の一手に1時間、長い時には2時間近く休日を費やしたのも今では懐かしい。費やした時間の「資格」だったのだと時々苦笑することがある。実力とは「全く別」の話である。

さて、武者野七段は「ペーパー段位」と「対局での勝負という実力差」の問題についても記されています。次回は、この点を紹介してみましょう。

Pass

[815]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月12日 (水) 22時53分

さて、今日は「盤側の談話室」(http://bansoku.sakura.ne.jp/bansoku/joyful.cgi)No.16326天秤左氏の発言からの一部引用をまず示してみたい。

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盤側での議論を自分のブログに持ち込み、「○○氏もここを見てるだろうから」と言って、盤側での○○氏の主張に対する反論を○○氏に呼びかける形で展開した人がいました。
眉をひそめました。双方の読者層の違いを意識しての、えげつないやり方じゃないかと。
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これは私の行為に対するコメントであろう。ご本人は「そうじゃない」と仰るかもしれないが、私なりの確信もあるので、そのことを述ぺてみたい。

つまり、

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盤側での議論を自分のブログ(私的には掲示板である)に持ち込み、「岡目氏もここを見てるだろうから」と言って、盤側での岡目氏の主張に対する反論を○○氏に呼びかける形(岡目氏に呼びかけるというよりは、JCの反論権の行使という感覚がむしろ近いし、更には、本掲示板の読者(盤側参加者のアクセスも含む」に対して示したものでもある)で展開した人がいました。
眉をひそめました。双方の読者層の違いを意識しての、えげつないやり方じゃないかと。
-------------------------------------------------

と私は捉えたということである。

では、その具体的な発言とは何か。本サイトの検索欄に「事例への回答」と入力していただくと【528】発言が出てくる。氏は「持ち込んだ」と記されているが、そこに至る背景を今一度、示しておこう。

その前に、何故、私が「盤側でなくここに記すか」について簡単に述べておきたい。

天秤左氏の当該発言は「Re: 泥沼化「何でも鑑定団 葵盤」決着は?」の中で示されたものである。いわば「スレ違い」でもある私がここに今から示す内容について、わざわざ「盤側」に書き込む必要性を私自身感じない。

更に言うなら、私自身はしばらくの間「盤側の談話室」に発言者としてさしたる貢献もしていない。そのような状況下で、氏が名前を伏せて(こんな書き方をすれば、少なくともその当事者はそれが誰のことか、瞬時にわかるにしても」書かれた内容について、わざわざ足を運ぶということは、私の感覚にはない。自分のBBSに記すことによって、私の反論というよりは補足は伝わると考えているからだ。

氏は「双方の読者層の違いを意識しての、えげつないやり方」と述べているが、盤側の談話室で、常にかどうかは別にしても、本掲示板の存在を知り、アクセスしている方が少なからずいらっしゃるという認識が私にはある。何故かといえば、私が本掲示板で「世渡り氏との意見交換」を実施すべく、事を進めているときに「盤側」で何人かのアクティブから質問や意見を頂戴したからだ。それは「本掲示板」をアクセスしない限りはわからない性質のものでもある。勿論「盤側」にアクセスすることなく本掲示板をお読みの方もいらっしゃるかもしれない。ただ、私はどういう状態にあっても、盤側のサイトでそこに至る経緯を確認できるような「内容」を私の反論の中で示している。関心を有する方は、
調べていただければいいだけのこと。

私は「盤側の談話室」

[Res: 11966] Re: 事例への回答 投稿者:JC IMPACTU 投稿日:2012/05/28(Mon) 00:00

でこう述べています。(引用符省略」

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

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最後に申し上げると、そもそもこのスレッドを立てた事も私には理解不能です。

貴方が評決後に感想を書き、それに関して私が香奈ファンさんと議論していた、票決に関する議論スレッドに、このスレッドの元投稿を投稿すれば良かっただけと考えます。

こういう単発の返信で独立スレッドを立てて、小さなスレッドを乱立させるのは、掲示板でのマナー違反にしか見えません。

(「事例への回答」スレッド・No.12487 岡目八手氏発言)
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対論者からスタイルまで指図され、挙句どうみても難癖としか思えない「マナー違反」などという理解不能な発言者に対して、当該スレッドに何かを残すという対応を選ぶことは完全になくなりました。甲斐がないからです。人間には誰しも「自尊感情」というものがありますが「岡目氏は必要性を感じた時のみ反論する」と述べ「私もそれでいいのだろう」と考えていたら「苛立つ」だの「反故にした」だのと感情を剥き出しにし、回答すればしたで難癖をつける。そんな我儘な発言者に私は「親切心」などは示しません。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

つまり「事実に至る背景」をここに残しておきたかったということである。私自身は、天秤左氏に「顰めた眉を何とかしてくれ」などというつもりは毛頭ない。判断の基準や感性は、人それぞれだからだ。

ただし、天秤左氏が示した発言だけで「判断」されることについては、材料不足だと感じる面があるので、ここに補足をさせていただいた。その上で「えげつないかどうか」を私のスタンスも含めて、読んでくださった皆さんに判断していただければいいと私は考えています。

「対論者からスタイルまで指図され、挙句どうみても難癖としか思えない「マナー違反」などという理解不能な発言者に対して、当該スレッドに何かを残すという対応を選ぶことは完全になくなりました。甲斐がないからです」と私自身述べましたが、少なくとも岡目八手氏からは「反論はないだろう」と思っていました。

最後に、天秤左氏がもしも「そんな事例を示したのではない」と万一にも仰るのであれば、私の「読み違い、解釈の誤り」ということになりますので、そのことをここに記しておきます。

Pass

[825]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月18日 (火) 23時00分

武者野七段が述べる「初段の条件」「ペーパー初段」について。

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テストにより、初段程度のうまい手を指す能力を認められたのに、ではなぜ実戦では初段の実力を発揮できないのでしょうか。
それは将棋には、うまい手を指して形勢がよくなる要素と、疑問手を指して形勢が悪くなる要素との2つの作用が働いて、勝敗という冷厳な結果が出るからなのです。
つまりペーパー初段を自認する方は-----うまい手を指す能力は初段のレベルであるが、通常の応酬で転倒しがちである-----といえると思います。すべての局面において最善手は1つだけ、同時に現状維持の指し手が2、3あり、残る指し手の可能性はすべて悪手というのが将棋というゲームのもつ本質ですから、これは無理からぬことなのです。
これには、問題を解く際の時間はたっぷりあるが、実戦では瞬間的に着手を決めなければならない、という原因もあることでしょう。またペーパー初段とは逆に、実戦では勝負強さを発揮するが、形に暗いのでいつも形勢を損じて伸び悩んでいるという方も多いことでしょう。
いずれにしても、まず自分の苦手を認識するということが上達と飛躍には欠かせないことで、この弱点を認識することが、絶好の対症療法になると思われます。
(武者野勝巳のこれなら実力初段(1)/NHK出版 1996年2月刊より引用)
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通勤時に「5手詰」の詰将棋本を持参するようになって随分になる。毎日にらめっこしているというわけではないし、他の本を読んでいることもある。酔ってぼんやりした頭で、回答がわからず電車を乗り過ごすということもあったし、たまにはスイスイ解けて嬉しいときもある。

1週間、詰将棋の本をみなかったということは、ここ数年はないかもしれない。で、それで強くなるとか、棋力がどうとかいうことではないのだけれど、例えばプロの先生に教えていただいている時に、終盤「何かあるんじゃないのかなぁ」とふっと浮かぶことはある。「かたち」の問題なのだ。

そういう意味では「将棋」というのは「記憶力」も試されるのである。益々、自信がなくなっていく。

しかし、それでも将棋は面白い。アマチュアというのは「面白いから」何がしか本を読んだり、指導対局を受けたりと対価を支払うのだろう。それは「勝ち切ることの難しさと快感」が同時に襲ってくるという、何ともいえない喜びがあるからだ。それを経験すると、私のようなヘボでも、その感じをまた味わいたいと思うのである。

武者野七段の言われる「苦手の克服」というのは、実戦経験をなかなか得られない者には至難の業でもある。今はCPU対局含めて、将棋を指す指す環境は増えた。そもそも自分の苦手は何かということがわかっているかというと、これとて危ういものがある。まだまだ、将棋を楽しみたい。

Pass

[829]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月22日 (土) 22時38分

昨日、第24回将棋ペンクラブの授賞式に参加させていただいた。

授賞式の概要については「将棋ペンクラブログ」に記されているので、そちらを御覧いただきたい。

米長会長も出席された。

1983年の夏、米長会長をある将棋大会の審判長として、私の郷里に御足労いただいたことがある。米長会長でなければ「いけない」という縛りがあった。会長からも快諾を頂戴した。法外ではないにしても、安価なギャランティで参加していただいた。そのことについて、私は今でも感謝している。大会に参加した者には、いい記念になったはずだ。その御礼だけはいい機会なので、どうしても申し上げたかったのである。

タイミングを逃してしまった。私が別の場所に設けられた喫煙場所にいた時に、会長はパーティー会場を一足早く、退席された。その際、見送られた湯川幹事に「私が先に帰ることを、参加者の皆さんには黙っていてね」と伝えられたそうである。正直に言えば、少しばかり、胸が熱くなった。

谷川専務理事とは、その大会の思い出話をさせていただいた。専務理事に参加いただいた年は記念大会だったので、大山康晴十五世名人との特別記念公開対局をお願いしたのである。十七世名人も、そのことを覚えていてくださった。

授賞式の最後に湯川博士幹事が三本締めの音頭をとられた。
「日本将棋連盟の益々のご発展を-----」
湯川幹事は、そのことを心底願われたからこそ、冒頭にそう発声されたのだと、私は思っている。

たまらなくいい会だった。掛け値なしに、心の底からそう感じた。


Pass

[839]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月24日 (月) 23時44分

永井英明さんの訃報に接しました。

NHK杯の聞き手として、例えば大山康晴十五世名人とやりとりをされる際に、あれほど「初心者」を装われて楽しませてくださったことを忘れることができません。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


Pass

[847]
JC IMPACTU (/) - 2012年09月26日 (水) 22時58分

安倍晋三氏が自由民主党第25代総裁に選出された。私自身は石波茂氏か安倍晋三氏の総裁選出を願っていたので、第1回目の党員、党友〈地方票〉投票で、安倍晋三氏が2位となったことで、いずれにしても、ということになりホッとした。

「元総理」の時代、これほど朝日新聞に叩かれた政治家はいないと私は思っている。メディアは常に「権力機構へのチェックと批判」という役割を担うから、批判されることはやむをえないという面がある。

小川榮太郎「約束の日-安倍晋三試論-」(幻冬舎刊 2012年8月〉を読むと「安倍の葬式はうちで出す」と安倍内閣当時、朝日新聞の幹部が述べていたと記されている。「安倍を叩くのは朝日新聞の社是だ」と語った論説主幹がいる。

私は新聞各紙が不偏不党だとも公正中立だとも考えたことは一度もないが、それにしてもこのスタンスは思い上がりも甚だしい。

健康に留意して、戦後レジームからの脱却を果たしていただくことを願っている。


Pass

[861]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月02日 (火) 23時35分

今日はのんびりA級順位戦の谷川九段VS三浦八段を観戦中。
三浦八段がよさそうにみえる。

米長永世棋聖も、いつかは会長を退かれる日がくる。棋士の中からということになれば、おそらく谷川九段が次期会長ということになりそうである。ここ数日、私の周囲では誰と話をしても、もうそういう「声」しか聞こえてこない。

以前、ここだったか盤側だったかに「谷川九段が会長に就任すれば「谷川浩司の家」などというコンテンツは絶対できないだろうと記したことがある。良し悪しというのではなく、米長永世棋聖のような自己顕示欲というものが感じられない。

何度か記してきたが、谷川九段は「棋界政治」というものが嫌いであり、おそらく関心もない。芹澤九段があれほど谷川九段を高く評価した「凜」たる部分に通じるということなのだろう。

しかし、棋界であっても、組織である以上、谷川さんが会長になったとしても、批判がなくなるということはない。まぁ、かってのライバルと言われた、芹澤九段が怒鳴り上げたある棋士の評判は頗る悪いようである。

「政治」が嫌いなら嫌いでもいいのだが、そうなると「支える者は誰か」ということが、大きな問題になる。

Pass

[866]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月10日 (水) 20時47分

某月某日

ある会合で都内にある将棋センターの席主に偶然にもお会いすることができた。氏と交流の深い方が「JCさん、こちらが○○さんですよ」と紹介してくださったのである。

「HNを存じ上げております」とご挨拶。間抜けな話である。氏も苦笑されておられた。少しばかり立ち話をさせていただいた。

いずれ改めてご挨拶に伺いたいと思っている。

週末は来年2月に発行予定のある広報誌に掲載される対談がある。私も聞き手のひとりとして参加することから、ここ数日、資料をあれこれと読んでいた。

気まぐれに阿川佐和子さんの「聞く力」を読んでみる。一夜漬けの試験勉強のようなものだ。

さて、明日は女流名人戦A級の石橋四段VS上田女王の対局が行われる。web中継も実施されるとのこと。

この勝負に勝てば、石橋さんの挑戦権獲得が、また一歩近づくことになる。明日は、目が離せない。


Pass

[869]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月11日 (木) 12時48分

某月某日

何を私は錯覚していたのだろう。

今日の女流名人戦A級、石橋四段vs上田女王戦の中継は実施されていなかった。

夜にでも連盟に聞いてみよう。

Pass

[874]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月17日 (水) 00時36分

最近、こういうものを買い求めた。

1960年代、おそらく1968年か69年のものである。

「ヨネザワの立体野球盤」同じメーカーから発売された「サッカーゲーム」は当時を知る人にとっては、そう珍しいものではない。父親と遊んでいる写真が今でもある。

いわばその「野球」タイプである。私はこの価格を今でも覚えていて、確か2750円だった。サッカーゲームは1800円。いずれにしても当時の玩具としては破格の値段だった。私はこういうものを強請らない。というか強請って買い与えられるような玩具ではないし、あまりに高価である。私自身、家の者に何かを強請ったという記憶は、本当に「芹澤博文九段の将棋カセット」くらいで、他には思い出せない。

家庭にあった玩具といえば、これではない普通の野球盤とレーダー作戦ゲーム、あとボード系でダイヤモンドゲームくらいではなかっただろうか。

では何故「立体野球盤」が我が家にあるかといえば、私ではなく父親が見惚れて買ってしまったのである。母親が吹き出していた光景を今尚、鮮明に記憶している。

だからというと何だが、父親ともあまりこの「立体」で遊んだという記憶がない。何か大事なものという感じがしたのだろう。何度かの引っ越しで、やがて家からは消えてしまった。

選手は立体で、守備側は外野後方の「棒」を動かして磁石のついた立体の選手を動かす。打者もまた立体でピッチャーマウンドから転がる玉を、キャッチャー後方の「棒」を動かして当てるという感じだ。変化球もない。シンプルといえばシンプルである。

しかし、この玩具をセットして眺めていると、何かこう当時の様々なことが思い出される。例えば初めて野球場に連れられた日のこと、このゲームをひとりで遊んだこと、そのうちに実況を始めたりして、母親が首を捻っていたこと。仕組みを調べようと盤の裏の厚紙をはがしてみたいと思い、父親と分解してみたことなどなど。

そういうことに浸る時間というものを久々に体験した。こういう玩具の方が、別の意味での「広がり」があると、しみじみ思ったりもする。

Pass

[904]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月27日 (土) 11時06分

過日の「お稽古日」の話。

先生に「香落」で勝ちそうになる〈笑〉最後の最後に合駒を間違えてしまったのだけれども。

以前にも書いたかもしれないが「角落」から「香落」になってから、先生の指し手は「早い」のである〈笑〉私の存在など「ない」かの如く「スイスイ」と指していく。「ニコニコ」笑いながらである。

「香落ですが、それで上手は先手ですからね。大駒落ちに比べれば、上手の心理は全然違います」とのこと。

「香落」の定跡を示したものがないわけではない。しかし「角落」や「飛車落」定跡を並べるような感じとは全く異なるのだ。
紛れなど無数にある。だから自信が生まれない。

それでも並べ続けた。平手の際の「得意戦法」を復習してみる。「大山康晴全集」も並べている。わかるとかわからないとか、もうそんな話ではない〈笑〉

その日、私は居飛車で1筋を攻め、更に引き角で焦点を定めた。

先生が「うん」と少し首を捻る。私の前にいる時間が長くなる。

普段、私は絶対にそんなことはしないが、序盤から中盤に入るあたりで先生におそるおそる尋ねてみた。

「この時点での形勢判断はどんなものでしょう」と。

先生、顔を上げて「下手がいいですよ。全然いいですよ」

そこで私は舞い上がるのである。指し手がわからないという局面が延々と続く。いよいよ終盤。私はいちばん奥で先生と平手で指していた後輩を呼んだ。

「おとりこみ中悪いんだけれどちょっときてくれる?」

「はぁい」

「貴方なら、上手と下手、どっちを持ちたい?」

全員から笑いが漏れる。先生も吹き出してしまった。

「そうですね.....。今なら〈笑)JCさんを持ちたいですね」

先生が言葉をつないだ。

「〈今なら〉というのがいいですねぇ」会場、爆笑になる。

で、私は負けた。理由は冒頭に示したとおりである。

感想戦、「最後の合駒だけでしたね。それまでは立派なものです。悪手も疑問手もないと思います。その前に勝ちがあったかもしれませんが、すぐには私にもわかりません。本当は投げてもよかったのですが〈笑〉」

先生を階下にお送りするのは私の役目である。先生も喜んでくださった。

私は何より「ふり」であっても先生の足を止める将棋が指せた。
そのことが嬉しい。来月も頑張らないといけない。

Pass

[919]
JC IMPACTU (/) - 2012年10月30日 (火) 00時34分

どこにいてもこういう配置図の局面だとすぐに思い浮かべることができます。故に「詰まない」と悲しみも倍増するのでありますが。私は3時間以上かかってしまいました。

高柳名誉九段から石橋さんが初めてみせてもらった詰将棋なのだそうです。


Pass

[951] とても
あせあせ (/) - 2012年11月05日 (月) 13時31分

武者野さんがお好きなんですな。笑


Pass

[956]
JC IMPACTU (/) - 2012年11月07日 (水) 00時53分

先週末から三日間、来年2月下旬に完成予定のメディアに掲載される「対談」をまとめる作業に没頭していた。私も聞き手として参画したものである。

対談の編集ということをたまにやることがあるのだけれど、これもなかなか難しい。私の場合は、粗方時間だけ決めてもらって、「校正を出しますから」ということで、何も気にすることなく自由に語っていただくという手法をとる。双方初対面の対談だから固くなってもらっても困るからだ。

1時間半の対談の第1稿が昨日完成。勿論「編集」したものである。そのまま活字に出来ないものもあるし、私の判断で削るものもある。ただ削ったものは、大体において「面白い内容」になっているものだから、削っても「全体の雰囲気」は極力壊さないようにする。これがなかなかに大変なのである。

少し寝かせてお化粧をして、中旬には完成稿を仕上げたい。

で、ホッとしたので、私にしては実に珍しいことだが、少し酒を呑んで寝ることにする。

私の父親が時々こんなことを口にしていた。勉強しろなどと言われたことは、実は一度もない。

「自分のことだけで精一杯などという、そんな大人にはなるな」みたいなことは、時々笑いながら、色々な話をしてくれた。

ふと、そんなことを思い出している。

Pass

[1003]
JC IMPACTU (/) - 2012年11月19日 (月) 01時15分



「東京ラブストーリー」を題材に学生のみなさんに何度か講義をしたことがある私としては、このCMに爆笑してしまった。

織田裕二という役者さんも、ようやく吹っ切れたのだなと感じたからである。以前なら、こういう仕事を彼が受けるはずがないからだ。

Pass

[1118]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月03日 (月) 21時33分

私は勿論「師」ではないけれど、それにしてもここ数日は本当に忙しかった。本掲示板の推移については、深夜に一度、チェックはしていたけれども、ゆっくりと「発言する」という環境には全くなかった。

そんな過日「米長会長の次の体制」について複数のメディア関係の方と懇談。私は何とはなく「谷川専務理事」が就かれるのだろうと、ぼんやりとは想像していたが、棋界の動きというものは、必ずしもそうではなさそうというあたり、なるほどこの組織らしいといえばらしい気がしなくもない。

以前、ある方と「次の会長って誰か思い浮かびます?」という四方山話に盛り上がったことがある。勿論、その際に「谷川専務理事」の話は出たのだけれど、それは何とはなく「消去法」みたいな形で示されたものであり、正直に記せば「それがベスト」という感じにはならなかった。

関西では「谷川会長」というムードは少なからず存しているようだが、もし氏が「関西を離れない」という選択肢を選ぶのであれば、この話の実現はそう簡単にはいかなくなる。

理事には関西のある棋士の立候補が求められてもいるようだ。私も「いいこと」だと思うのだけれど、誰かを蹴落としてまでもという気はなさそうという面もあり、これも一筋縄ではいかない。

「ひょっとしたらあるかもしれません。この人が」

私はその名前を聞いて愕然とした。氏が立候補して票が集まるとは考えにくいからだ。ある〈元〉理事が「連盟の財務面を知りたい」と、連盟で資料の開示を求めた際に「お前はそんなことしなくてもいい」と一喝した方である。今でも「連盟の財務をよくも悪くも知り尽くした方」との評価がある。

「しかし.....」私は言葉を失った。少なくとも私は全く歓迎しない。この掲示板で一度も話題にしたことはないと記憶しているが、それにしても.....。という気がしている。

Pass

[1133] 年賀状
JC IMPACTU (/) - 2012年12月08日 (土) 08時55分

年内のスケジュールがびっしりになり、今日は早々に年賀状の作成。私個人のもの、カミさんと連名のもの、毎年結構な分量になる。

年賀ハガキだけではない、元旦に出す電子メールや「声の年賀状」を合わせると一仕事である。

とはいえ「ハガキ」の賀状が私は今でもいちばん好きだ。電子メールは元旦当日だから、それなりの「気分」は確かにあるのだけれど、ただでさえ「手書きの機会」が減っていることもあり、何かこう「想い」が違うような感じがある。

やはり私は「古い」のかもしれないなぁ。

Pass

[1135]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月08日 (土) 09時16分

年賀状の準備の傍ら、昨日放映された「勘三郎氏のドキュメンタリー」を視聴している。氏が手術という選択をしなければどうだったのだろうと、考える。

ご本人の無念さが伝わってくるドキュメンタリーだ。

Pass

[1139]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月12日 (水) 22時31分

赦す人 大崎善生を読了した。時間を要したのは丁寧に読んだからでもある。「将棋の子」「聖の青春」はいずれも私の記憶に残る作品でもあったし、団鬼六氏のSM以外の小説やエッセイ、将棋関係の著作を読んできたこともあって、私は本作に期待した。故に発売日に買い求めもした。

ところが読み続けても私の心に響くものがない。何故だろうかと思った。読了して少し考えてみた。改めて団氏の著作も読み返してみた。そして合点がいった。

私は大崎氏が「将棋世界」編集長の職にあり、当時氏が十分に意識したであろう「将棋ジャーナル」発行者の団鬼六氏に迫ったのであれば、本作は全く違う輝きを放っただろうと思っている。

元気な者が老い先短い大先輩を前にしての取材、そこには優越感にも似た感情が行間に匂うのだ。字面の問題ではない。何かこう狡いというか、狡猾な気すらする。棋界と団氏のエピソードなど既知のものばかりで、さしたる発見もない。例えば団鬼六氏にとって、奨励会員とは何か。棋士とは何か。氏が精魂傾けた世界の魅力とは何であったのか。掘り下げられていないのである。

書き手が対象に迫ると決めた時に、そこには「どうしても」という理由がなければならないはずだ。「将棋の子」「聖の青春」にはその思いが満ち溢れていた。理屈抜きである。

大崎氏は本著で繰り返し述べている。「大山・中原のことなどは連盟の中にいては表面的なことしか書けない」のだと。「プロアマ対局などだんだんできなくなった」のだと。

別に私はそのことは責めない。それは当時の氏の立場ではできないだろうと思うからだ。ならばそのことを今「団氏を通して踏み込むことを」しなければいけない。よしんばそのことで、今日引退された高橋和さんがどうこうなるわけでもあるまい。

私はこの本を読んでいて、団鬼六氏が芹澤博文九段について記した作品があることを知った。検索してみるとなかなか評価も高いようである。そのことを発見する機会を得た。この点については著者に感謝しなければならない。年末に本を探す楽しみがひとつ増えた。

ノンフィクション、評伝を書くというのは大変なことである。労多くして、実り少ないことが多々ある。例えば「講談社ノンフィクション賞」にはエントリーされるかもしれない。しかし受賞するとはとても思えない。あまりに中途半端である。

今書くというならば、喧嘩してでも書かなければいけないことをみつけなければいけないのだ。書き手の中に突けば血を噴くという迫力がない。だから読み手に響かないのである。

Pass

[1145]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月17日 (月) 23時14分

老婆心さんの「運営会議室」(2)【1141】コメントへのRESです。

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私が不思議に思ったのは、所詮、ヴァーチャルなインターネット掲示板という場において、何故、あそこまでムキになるのかな?という点でした。
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一般論として申し上げれば「ムキになる」ということは、時にあることだと思います。私も若い頃には、少なからずそういうことがありましたよ(笑)

私は秋に本掲示板で「オフラインミーティング」の募集告知をここで行いました。例えばそういう時に一瞬ではありましたが、考えたことがあります。「ああ、これでJCは世渡り氏と酒を呑んだ→オフ仲間だ→一派だという図式が出来上がるかな」と。

はっきり言えばそういう意見については「放置する」と決めたという面があります。何かもうそれ自体が「悪意というレッテルに満ち溢れたもの」だと思いますし。

そして、どう考えても「オフラインミーティング」自体が「悪い」などというはずもありません。そもそも隠れてやるようなものではないという考え方が私にはありました。

ただ「誰が参加した」とか「どんな話が出た」という話を一切ここに示すつもりもありませんでした。プライベートな「時間」の話ですから、そのことについて第三者が書くようなことでもないし、書く必要もないことだと判断したからです。

「過度な思い込みが妄想を生みレッテルを貼る」という構図が瞬時に出現する。ネットって不思議だなぁと感じますね。

Pass

[1147]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月18日 (火) 00時06分

衆議院議員選挙は不在者投票を行うことにしている。昨日NHKの開票速報をみながら、戯れに落選が決まった候補者数名のHPを今日も含めて何度かアクセスしてみた。

たまたまかもしれないが「支持者への御礼」的な更新を行っている候補者は私がみたものではひとりもいなかった。この感覚というものが私は不思議で仕方がない。単なる「ツール」であり、終わってしまえば関係がないということなのだろうか。

捲土重来を期するにしても、或いは政治の世界から足を洗うにしても、態度未決定であるにしても、こういう「基本的なこと」ができないと、彼らは次のステップに進めないのではないか。「大切なのは負けた後」というのは、それ自体は正しいことだと私は考えている。

「第2回電王戦」の記者発表VTRを視聴した。3月からの対局、私は視聴すると思う。勝ち負けなど、まぁやってみないとわからないのだろうが、例えば人間側が「3勝2敗」どころか「1勝4敗」「0勝5敗」などという結果になったとしたら、興行的な成立条件はあるにしても、羽生十九世名人、森内十八世名人の「対局」というものが実現するのだろうか。

「1勝4敗」「0勝5敗」という結果になって、次回以降は「現役棋士の出場は控えます」などということになると、対戦して負けるよりも更に「味の悪い状況」が出現しそうな気がする。

Pass

[1149]
山岡 (/) - 2012年12月18日 (火) 22時07分

JCさん、お久しぶりです。

>たまたまかもしれないが「支持者への御礼」的な更新を行っている候補者は私がみたものではひとりもいなかった。

公職選挙法に抵触する可能性があるとのことです。

「第百七十八条  何人も、選挙の期日(第百条第一項から第四項までの規定により投票を行わないこととなつたときは、同条第五項の規定による告示の日)後において、当選又は落選に関し、選挙人にあいさつする目的をもつて次に掲げる行為をすることができない。
一  選挙人に対して戸別訪問をすること。
二  自筆の信書及び当選又は落選に関する祝辞、見舞等の答礼のためにする信書を除くほか文書図画を頒布し又は掲示すること。」

Pass

[1151]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月18日 (火) 22時38分

山岡さん

ご無沙汰しています。

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当選又は落選に関し、選挙人にあいさつする目的をもつて次に掲げる行為をすることができない。
一  選挙人に対して戸別訪問をすること。
二  自筆の信書及び当選又は落選に関する祝辞、見舞等の答礼のためにする信書を除くほか文書図画を頒布し又は掲示すること。
-----------------------------------------------

なるほど、これは私の「無知」でした。ご指摘いただきありがとうございます。

落選した閣僚経験者がさっそく「駅前」で道行く人に頭を下げている報道に接しましたが(黙々と頭を下げる)これができることのぎりぎりということなのでしょうね。

ありがとうございました。

Pass

[1155]
JC IMPACTU (/) - 2012年12月26日 (水) 23時50分

米長会長の通夜・告別式の日、私は「Les Misérables」をみたり、玉三郎の舞台を楽しんだりしながら過ごしていた。足を運ぼうと思えばできないことではなかったし、行けば行ったで何人かの知人に会えるであろうことも予測できたのだが、参列しなかった。

「通夜」も「葬儀」もある意味「故人を思い切る儀式」だと私は思っている。米長永世棋聖について、改めて「思いきらなければいけない」何かというものは、私には生まれなかった。

おそらく暫定的なことなのだろうが「谷川専務理事」が会長に、田中寅彦九段が専務理事に昇格された。私自身、谷川十八世名人に含むところなど何もないが、この体制「だけ」では、連盟は確実に衰退への道を歩むことになるだろう。はっきり記すなら連盟のクライアントでもあるメディアとの交渉、調整能力は「ない」に等しいと私は考えている。

というか「交渉や調整に値することをした」という経験が彼らにはない。「会長」や「専務理事」に今更、そういうことを求めることがもう、土台、無理なのである。連盟という存在だけでは棋譜というコンテンツを「換金」できない以上、私はこの組織に「将棋」というものを根本から真摯に考える「哲学の復興」こそが問われるはずだ。

それがなければ衰退するし、形骸化する。棋士にはそういう危機感を持って欲しい。「将棋が強ければそれでいい」という、ある意味豊かな、やさしい時代などもう到来しないのだから。

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[1167]
JC IMPACTU (/) - 2013年01月10日 (木) 22時39分

「名人400年の今年〈2013年)を最後に日本放送協会はA級順位戦最終戦の放送を行わない」そういう話が棋士会で行われたという話を昨年聞いた。2014年の番組編成が今の時点で通告されるということ自体、極めてイレギュラーでもある。

今年から

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放送日時 2013年3月1日(金)午前9:30〜 2日(土)午前2:00予定 ※延長の場合あり

放送ch 【BSスカパー!】(無料放送)BS241ch(マルチ画面等で各対局を放送)

【スカチャン】  (無料放送) スカチャン0(羽生vs橋本)、スカチャン1(渡辺vs郷田)、スカチャン2(三浦vs高橋)、
スカチャン3(谷川vs屋敷) 、プロモ100 (佐藤vs深浦)

【囲碁将棋チャンネル】CS363ch(各対局を切り替えながらの解説付き総合放送)

開催会場 東京・将棋会館(東京都渋谷区千駄ヶ谷2-39-9)

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一瞬、この告知をみて考え込んでしまう。或いはNHKは来年ではなく今年から「将棋界のいちばん長い日」をON-AIRしないのだろうか。これはNHKに問い合わせてみなければならない。

しかし、いずれにしても来年以降のこの状況というか、選択は日本将棋連盟にとって、やはり敗北である。もちろん、連盟が望んで選択したことではないのだろう。推測するにそう局側から通達されたということだと考えられる。交渉力に既に綻びがみえはじめたということか。

ある意味、暢気なものである。

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[1168]
JC IMPACTU (/) - 2013年01月11日 (金) 15時30分

結論だけ書いておこう。

NHKは地上波、BS共々、本年「A級順位戦最終戦」の放送を行わない。2013年3月中旬に「Eテレ」で順位戦を振り返る番組を放送することになる。

「JCさんは囲碁将棋チャンネルに加入しているからいいじゃないですか」と問い合わせた人間は私に言う。

「しかし、何でまたそんなことになったの? 大人の事情??」

氏はこう述べた。「子供の事情ですよ〈苦笑〉」

おそらくもうHHKがリアルタイムに「A級順位戦最終戦」を放送することは今後ないだろう。失われた放送を再開することは、難しい。暢気であり、世間知らずである。そのことに尽きる。

社会というものがみえていないのだ。

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[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2025年01月31日 (金) 12時04分

最大レス件数「35」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

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