【広告】Amazonから1月31日から開催スマイルセール!

「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室

本掲示板は「リレー将棋対局室」です。
リレー将棋や棋戦情報、詰将棋、次の一手検討などにご活用ください。
上記以外の「議論」に発展する内容は「言葉の対局室」にてお願い致します。
本掲示板では1スレッドの上限を100に設定しています。継続する場合は、新しいスレッドを立ててください。

合計 今日 昨日

ただいまの閲覧者

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
アップロード
URL
削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[37] 将棋図書館
まるしお (/) - 2013年09月02日 (月) 18時23分

――――――――――――――――
 ・将棋に関する本の紹介や感想
 ・将棋を題材にした映像作品
  等々
――――――――――――――――

 本館「読書 映像関連の会議室」の将棋コーナーです。

Pass

[38] 『島研ノート 心の鍛え方』(1)
まるしお (/) - 2013年09月02日 (月) 18時25分

――――――――――――――――――――――――
島朗『島研ノート 心の鍛え方』(2013年 講談社)
――――――――――――――――――――――――

 島朗とはどういう人物かというと、Wikipediaに、「麻雀愛好家であり、ハマりすぎるために牌を川に捨てた」というエピソードが書かれるほどのゲーム好きで探求肌の人。
 ところが島九段、巷間に拡まったこの伝説をこの際訂正したいと本書で述べている。
 もともと先崎八段が著書で紹介したもので、牌を捨てたのは事実だから、まあこれまで細かいことは言わなかったが、Wikipediaにまで書かれては、もうこれ以上放置できないと言うのである。

 曰く、私は牌を川に捨てるような不届き千万な反社会的行為は決してしないのだ、と。

 そこで紹介されているのがゴミの分別について。
 ――自分はゴミを捨てるときには細部まで気を遣い、とことん分別した上で、ルールに則った捨て方をしている。麻雀牌を川に捨てるというのは話としては面白いかもしれないが、それは社会人のすることではない。牌を捨てたのは間違いないが、分別ゴミとして正しい捨て方をしたのである。――

 そして更にこう述べる。

―――――――――――――――――――――――――――――――
私はペットボトルやごみなどを公園に投げ捨てる人間の気が知れないし、その思考回路がよくわからない。ちゃんとキャップを外し、ラベルを切り取り指定された場所に捨てる以外考えられない。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 かかる潔癖な人物が書いた一冊『島研ノート 心の鍛え方』は、将棋の図面が一つも出てこない読み物で、内容もなかなか興味深い。


Pass

[60] 『島研ノート 心の鍛え方』(2)
まるしお (/) - 2013年09月04日 (水) 18時21分

――――――――――――――――――――――――
島朗『島研ノート 心の鍛え方』(2013年 講談社)
――――――――――――――――――――――――

 本書では、「羽生善治・森内俊之・佐藤康光」が他の棋士から如何に傑出した存在であるかが縷々述べられている。このくらいのレベルになると、将棋に勝つのは決して技術だけではないという。日々の心のあり方が極めて重要であり、その心の揺らぎで勝負は思わぬ方向に転ぶ場合がある。
 一昨年の名人戦。この年、森内名人が連敗を続ける中、絶好調の羽生が順位戦全勝で挑戦者となる。
 誰の目にも森内失冠と映った。
 ところが島九段は、事はそう単純ではないと感じていたという。

 森内の将棋を島は、「細やかに心配する将棋」と評する。ここら辺は言い得て妙。
 さらに、「一点差を守らせたら、名人の右に出る棋士は誰もいない」とも。

 名人戦第一局はそういう森内の特性が如何なく発揮されて先勝。結局、世間の予想に反しこの期の名人戦は森内の防衛という「意外な結果」になったのだった。
 この結末、凡人には確かに意外と見えたが、本書のいちばん最後を読むと、「羽生の名人奪取確実」という世評が如何に表層的なものだったかが分かる。もっともっと微妙なものがあり、事はそう単純ではなかったのである。


 全編、示唆に富み、ページごとに箴言が現れる。
 「これほどの心の持ち主たちがいる将棋界って凄いなあ」と尻込みしそうなくらいだ。
 が、一方で、本館でJC氏が述べているように、将棋界の現状を見たときに、「ここに述べられているのはきれい事に過ぎるのではないか」という疑問も湧いてくる。

―――――――――――――――――――――――――――――――
自分たちが属する組織であり、組織における「影響力」を有する者が、今を「変」だと思わないというならば、四十も過ぎた人間の振舞として、私はだらしないと考えている。(JC氏の発言)
―――――――――――――――――――――――――――――――

 なかなか手厳しいが、島朗が書かなかったこと、将棋界の裏面、これもまた確かに存在するのだろう。
 ともあれ、読んで損はない書物だと思う。「心の鍛え方」などと題されているから、棋士がたまに出す人生指南書かと思ってしまうが、そうではない。コアな将棋ファンに向けて書かれた専門書である。


 なお、島先生のこの本を読んだからには、私も今後のペットボトルの捨て方には「社会人としての常識」を示さねばならない。
 これからはキャップを外しラベルを切り取ってから分別ゴミとして出すことをお約束します。


Pass

[174] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(1)
まるしお (/) - 2013年09月17日 (火) 18時40分

――――――――――――――――――――――――――
石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(2000年 PHP研究所)
――――――――――――――――――――――――――

 石橋幸緒が十九歳のときに出した自伝、『生きてこそ光り輝く』。もちろんずいぶん前に(図書館で借りて)読んでいるが、今改めて読み返してみようと思った。
 ところが残念なことに、地元の図書館では書庫入り本で、開架書架には並んでいない。
 もし『はだしのゲン』が閉架措置になったら一市民として図書館に抗議しようと思うが、石橋さんの著作では抗議しようがない。係員にお願いし出していただき、ありがたく借りてまいりました。

 再読のきっかけは、最近『さと子の日記』(ひくまの出版)という本を読んだこと。
 鈴木聡子という少女が綴った日記で、昭和五十七年に出版され、ベストセラーになった。
 鈴木聡子は昭和五十五年十二月十七日、十四才四ヶ月で亡くなっている。
 先天性胆道閉鎖症という生まれつきの病で、生後二ヶ月のとき「あと三ヶ月の命」と宣告された。それが、なんとか危機を乗り越え、養護学校に通いながら十四才まで生きた。

 この本を知ったのは、テレビで児童文学者・那須田稔へのインタビュー番組があり、そこで紹介されていたから。
 地元浜松で小出版社を起こしていた那須田稔の元へ、養護学校の先生から鈴木聡子の日記が持ち込まれる。これを自費出版し、仏壇に捧げ知人に配りたいということだった。段ボール箱五杯の日記はまず那須田の妻が読み、「お父さん、これは素晴らしい」と絶賛。「これは自費出版ではもったいない。公刊して世間に問おう」ということになった。

 鈴木聡子は五年生のときの日記にこんなことを書いている。

―――――――――――――――――――――――――――――――
七月六日(木)はれ
 きょうは七夕です。
 短ざくを、さきにつけました。私はあまり願いごとを書きたくありませんでした。生まれてからずっと、病気がよくなるように願っているのに、どれひとつかなったことがないからです。
 なにも書かずにいたら、沢入先生がそばに立ってにこにこわらっていました。沢入先生って、すらりと背のたかいハンサムな男の先生です。沢入先生がそばにいるだけで、うれしくなります。私はどきどきして、短ざくに「てんきになれ」なんてへんなことを書いてしまいました。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 そして、児童文学の清水達也はこの本の巻末に一文を寄せ、こう締め括くる。

―――――――――――――――――――――――――――――――
 もし、この少女に、「読むこと」「書くこと」がなかったとしたら、苦しみ、悲しみの日々を、こんなにも強く、こんなにも明るく生きぬけなかったにちがいありません。
 「読むこと」「書くこと」が、生命の灯を燃やしつづけ、生きぬくことに果たす大きな力であることを、この記録が如実に物語っています。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 鈴木聡子の母は、「十四年四ヶ月、ここまでがんばってきたのも、ひとつは、養護学校があったおかげです」と書いている。

 「養護学校か…。そういえば石橋さんも養護学校だったなあ」

 ――石橋幸緒が生まれたのは昭和五十五年の十一月二十五日である。だから、その約二十日後に鈴木聡子が亡くなったことになる。
 石橋幸緒もまた余命幾ばくもないと宣告されながら、鈴木聡子同様、養護学校で少女時代を過ごした。
 この「養護学校」というキーワードが『さと子の日記』を読む切っ掛けとなり、そして読了後、今度は、『生きてこそ光り輝く』を再び読んでみようと私は図書館に赴いたのである。

Pass

[200] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(2)
まるしお (/) - 2013年09月19日 (木) 18時31分

 石橋幸緒は新生児平均体重の半分という未熟児として生まれている。しかも腸閉塞と内臓未発達で、生まれてから三日後に、医師が「三日もつかどうか分からない」と言うほどの瀕死状態だった。
 鈴木聡子よりももっと重症だったわけだ。

 四歳までベッドに釘付けで歩いたことがない。栄養はチューブで直接身体に入れるために四歳まで食事をしたことがない。
 そんなとんでもない生き方をしてきたのだが、『生きてこそ光り輝く』には全くと言っていいほど暗さが感じられない。
 本書の冒頭からして、まずこんな調子なのだ。

――――――――――――――――――――――――――
 母は、私を帝王切開で生んだ。「帝王」切開で生まれた子だから、その子は王子様になる運命だった。ところが生まれたのは、小さな小さな女の子。これでも一応白玉のように可愛かったらしい。そこで王様とお妃様は、生まれた女の子を王子様として育てることにした。そうなっていれば、私は『リボンの騎士』になる……。
――――――――――――――――――――――――――

 手塚治虫の少女漫画「リボンの騎士」の登場である。女として生まれた主人公が「王子」として育っていく物語だ。
 これには後にオチがついていて、「後になって思えば、私は『リボンの騎士』にはなれなくても、〈リボンの棋士〉にはなれたのだから……」などとシャレている。

 自分は楽天家であり、自分が死ぬことはないと子供心に思っていたという。「病は気から」と言うではないか、「病人にとって〈気力〉というのは、棋士にとっての〈棋力〉ぐらい大事なものなのだ」と、これもまた幸緒節。
 こんな調子で病院生活・養護学校生活が綴られていく。

Pass

[202]
さっちん (/) - 2013年09月20日 (金) 00時33分

 いや〜懐かしい”生きてこそ光り輝く”

 二回も読んだのに 内容はほとんど覚えていない。最近忘れっぽいのだ。でも 母親の子に対する深い愛情と母に対する感謝の気持ちが素直に書かれていたと思う。

 将棋を始めたきっかけは 電車の窓から見た将棋道場の看板だったかな?清水さんの凛々しい姿のポスターに触発されたのだったのよね。

 しかし この本を読むまで 女流棋士石橋幸緒の存在は全く知らなかった。今から5.6年ほど前にmtmtさんのブログにこの本が紹介されていて それで読む気になったのだと思う。それ以来 ずっと気になる女流棋士の一人となった。

Pass

[209] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(3)
まるしお (/) - 2013年09月21日 (土) 18時08分

 本書は全226ページだが、100ページ目を越えたあたりからいよいよ将棋との出会いが語られる。
 小学部三年の夏休み、遮断機の前で列車の通過を待っていた母が、「秋津将棋教室」の看板がピカッと光るのを見て、「サッちゃん、将棋やってみたい?」と問いかける。幸緒は「うん」と応える。
 こうして秋津将棋教室の清水友市席主による個別徹底指導が始まる。
 その教室に飾られていたポスター。そこに写っていた「優しそうなお姉さん」が友市の娘・清水市代であった。

 石橋幸緒が女流棋士を目指そうと決めるシーンは美しい。
 「十歳までもてば、なんとか生きられるかもしれない」と医師から言われていたが、その十歳を越え、だんだん体力も付いてきた。
 そしてそれは十一歳の誕生日のこと、母ははじめて幸緒のために誕生ケーキを用意した。

――――――――――――――――――――――――――
 ケーキに、母が一本一本ロウソクを立てていく。細いロウソクは、これまでの私の生命の細さを象徴しているように見えた。
 十一本のロウソクを立てて、母はしみじみ言った。
 「サッちゃん、初めてだね。こうやってケーキにロウソクを立てるのって……」
 言われてみれば、私には誕生日にロウソクを立てて祝ってもらった記憶がない。
 今までの誕生日は、ほとんど病院で過ごしていた。病院で誕生日を迎えても、入院中は何も食べることができなかったからだ。
 母は、私の誕生日を数えることなどできなかった。毎日毎日、私がこの一日を生きていられることだけを思い、日々を送ってきたのだ。
 私は、誕生日とケーキを結びつけることさえ、できなかった。
 ケーキに立てられた十一本のロウソクを、私は吹き消した。ロウソクを吹き消すことにどんな意味があるのか、私は知らない。
 だが、初めてこういう誕生日の儀式をしたことで、私にとって特別な誕生日になった。
 そのとき、私はすでに決心していた。そしてその思いは、自然と口から発せられた。
 「私、先生のところのお姉ちゃんみたいに、女流プロ棋士になる」
 (中略)
 私にとっての将棋は、生きる意味、生かされる意味、そしてこの世に私が存在する意味のすべてになっていた。

――――――――――――――――――――――――――

 この最後の部分で、「生きる意味」だけでなく、「生かされる意味」とも言っている。
 これには驚かされる。
 人が自分の人生で、「生かされる」「生かされている」という境地に到達するのは大変なことだと思う。
 病院で、養護学校で、時には死の危機に遭いながら、また、病室の子供が次の日にはいなくなっているということを実際に体験しつつ、少女はすでにこの「生かされる」という視点を持っていたのである。

Pass

[211]
さっちん (/) - 2013年09月22日 (日) 01時12分

そっか 将棋教室の看板は踏み切りで見たのか もう 悲しいくらい地方症が進んでるにゃ

 そして 清水さんの父上に棋譜並べをさせられたんだったかなぁ。意味は分からなくても 変な癖のないうちに筋のよい形を身につけたほうが上達は早いと。

これを読んで自分が全く上達しないわけが分かったような気がした。駒の動かし方を覚えた頃、指し将棋はもっぱら紙と鉛筆。ボールペンで盤を書き 授業中に隣の奴と指し将棋。ヘボ同士ゆえ玉を囲うこともなく 駒の取り合い。これでは上手くなるわけがない。

 しかし 筋の良い 形の美しい将棋を始めたのに 私の知っている女流棋士石橋幸緒は形にこだわらない力将棋。どこでモデルチェンジしたのだろう。それはともかく 順調に棋力を伸ばし、女流王将位を獲得したのが花も恥らう19歳の時かな。

 
それにしても まるしおさん文章力はすばらしいにゃ。もう一度読みたくなってきたぜよ。
 

Pass

[216] 痴褒賞授与
まるしお (/) - 2013年09月22日 (日) 19時46分

 お母さんが運転していた車が踏み切りに引っかかり、そのときに将棋教室の看板が見えたんですね。
 さっちんさんには「地方症」ではなく「痴褒賞」を差し上げます。

 といっている私自身、実は95パーセントくらいは内容を忘れていました。上記誕生ケーキの美しいシーンも全然覚えていなかった。読み返して良かったです。
 私の連載が終わったら、どうぞもう一度お読み下さい。

Pass

[217] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(4)
まるしお (/) - 2013年09月22日 (日) 20時08分

 さあこの後、本の最後七十ページほどは、いよいよ「女流王将」を獲得するまでの話だ。

 ・アマ女王戦
 ・女流アマ名人戦
 ・女流アマ王将戦
 ・女流育成会
 ・女流プロデビュー
 ・女流王位戦で清水市代師匠へ挑戦
 ・低迷と苦闘
 ・母の病気と自分の緊急入院
 ・初のタイトル獲得

 これらが順番に記されていくのだが、こちらの読むスピードもどんどん早くなってしまう。
 アマ時代のこんなエピソードが面白かった。

 五年生の三月、新設されたアマ女王戦に出ることになった。全国規模の大会出場は初めて。いわばアマデビュー戦だ。しかし前月に体調を崩して入院、出場が危ぶまれたが、何とか退院できた。
 大会はA・B・Cの三クラスに分けられているが、幸緒はいきなり最高クラスのAを希望。ところが誰も石橋幸緒などという名前は聞いたことがない。アマ大会の常連はみな対戦表を見ながら、「だれなの、この石橋っていうのは、いきなりA?」と訝(いぶか)しがる。

 ここで常連のオバさんと対戦したとき、ある事件が起きる。

――――――――――――――――――――――――――
 中盤になって駒がぶつかり合うようになったとき、オバさんはとんでもないことをやった。手番になったオバさんは、ひょいと自分の「角」をつまむと、ススッと私の陣まで入ってきて、コトンと「角」を置いた。置いたところは、最初の「角」の位置から斜め一直線のところではなく、その隣の枡だ。
 〈えっ、オバさんどうしたの?〉
 私はわが目を疑った。

――――――――――――――――――――――――――

 この部分を読んで私は思いました。

 「なあんだ、あの女流王位防衛戦での角飛び越え事件の伏線はこんなところにあったのか!」

 反則負けしたそのオバさんは顔見知りの出場者に、「なんだか、この子、ヘンなの。この子の顔を見てると、オカシくなっちゃうのよ」と語ったとか。

 ちなみにこの大会で石橋幸緒と優勝を争ったのは中倉彰子、当時十九歳。本戦決勝では中倉に敗れたが、一位と二位の三番勝負で初代アマ女王が決まるという規定だったので、改めてのタイトルマッチとなり、結果、幸緒は二連勝でアマ大会初制覇を果たした。


――――――――――――――――――――――――――
左はアマ女王位獲得時の表彰風景(1992年、十一歳)
右はそれから十七年後の女流王位防衛戦における飛び越し角事件の図面(2009年)

Pass

[225] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(5)
まるしお (/) - 2013年09月24日 (火) 18時41分

 アマ棋戦への出場(小学校五年の三月)から女流育成会入会(中学一年の四月)までの間に石橋幸緒は所司和晴六段(当時)に出会っている。
 これは大きなことだった。

 幸緒の最初の師匠は秋津将棋教室席主・清水友市だ。
 彼の指導は徹底的だった。変な癖が付くといけないからというので、当初は他人との対局を幸緒に禁止するほどで、駒の動かし方から始まり、将棋の基礎と原理を叩き込んだ。

 そして清水友市に代わって指導を引き受けたのがプロ棋士・所司和晴である。
 千葉県南流山の教室、北習志野の道場、それらへ往復三時間、四時間をかけて母と通う。
 指導は平手、感想戦に長時間を費やす。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 私は今までに、所司先生には一〇〇〇局以上指してもらっている。これは、所司門下のお弟子さんたちよりも多い対局数だ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここで思い出すのが、朝日杯将棋オープン戦での「石橋−所司」の対戦だ。
 2010年7月9日、最初の出会いから二十年近い歳月を経て、石橋幸緒は師匠・所司和晴と初めての公式戦で盤を挟んだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
9時45分、石橋が入室。9時55分、所司が入室。駒袋が開けられ、所司は駒を慈しむような手つきでそっと駒を並べていく。いっぽうの石橋はピシッと小気味よい音を響かせて駒を並べる。振り駒の結果、歩が3枚出て所司の先手となった。(文記者の棋譜コメントより)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 こうして始まった一戦は、▲7六歩▽3四歩▲2六歩に、▽3三角と上がる「4手目▽3三角戦法」を石橋が採用。不利な展開になったものの、勝負勝負と迫り、形勢は接近。しかし最後は133手で討ち取られている。
 終局時刻は12時15分。
 勝利した所司は午後の対局(2回戦)で橋本崇載七段(当時)と対戦するのだが、感想戦がなんと一時間も続き、13時15分頃ようやく終わる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
石橋は「休みが短くなってすみません」と深々と頭を下げた。所司は14時から次の対局がある。所司は軽く足をほぐしてから席を立つと、中継に使うパソコンのモニタを興味深そうに眺め始めた。「お疲れさまでした」と声を掛けると、「中継されるのは初めてなんです」と照れ笑い。途中まで本譜とそっくりだった将棋があるんですよ、と伝えると「あ、そうなんですか。最近は記憶力が弱くて」と苦笑い。その▲谷川△丸山戦をパソコンで再現すると、「思い出しました。そういえばありましたね、順位戦で」とうなずいていた。(文記者の棋譜コメントより)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 午後の対局を控えての長時間感想戦だった。かつて師匠と弟子の間で、こういう長い感想戦が幾度となく行われた。石橋にとっては至福の一時間だったかもしれない。所司の、そして石橋の心中は如何ばかりであったか。
 こうして短い休憩の後、午後二時から始まった橋本崇載七段(B級1組在籍)との一戦に、所司和晴は勝利するのである。
 翌日それを知り、私は快哉を叫んだ。

朝日杯将棋オープン戦 棋譜アーカイブ

Pass

[232] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(6)
まるしお (/) - 2013年09月25日 (水) 20時21分

 中学一年の四月に女流育成会に入会。十二名の総当たりリーグでトップとなり、十月、いよいよ女流プロデビュー。「中学生のうちにタイトルを」と内心思っていたが、実際はそれほど甘いものではなく、三年目の秋、養護学校高校部一年のときにようやく女流王位戦の挑戦権を掴む。
 「師匠」清水市代との対決で話題となるが、一勝三敗で実力の差を思い知る。

 高等部三年のとき、石橋幸緒は大学進学を真剣に考え、女流プロとの両立はできないかと悩む。
 今日、大学に通いながらプロとして将棋を指している人は結構いる(現役女流では香川愛生)。現在は大学進学に厳しく反対するという雰囲気でもないようだ。しかしこの当時はこんな意見が多かった。

 「大学は、十八歳じゃないと入れないわけではない。勉強したくなったら、いつでも入れる。だけど、将棋が強くなれるのは、今この時期しかない。師匠に追いつき、追い越すためには、今、将棋を指していなければだめなんじゃないか」

 こういう周囲の言葉に、幸緒は自分の人生について、将棋について、再度考える。
 そして十八歳の誕生日(十一月二十五日)、七年前の決意をもう一度思い返し、「将棋がなかったら、生きる力も湧かなかったのではないか」「好きな道を勇気をもってまっしぐらに進むことだ」という思いに至る。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 〈何か、忘れていたんだな……〉
 十一月の冴えた月がかかる夜空を見ながら、そう思った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この部分、本書には珍しく、ちょっとロマンチックである。

Pass

[236]
さっちん (/) - 2013年09月25日 (水) 23時32分

なるほど 石橋さんの実質的な師匠は所司七段ですか。そうすると 渡辺竜王は弟弟子か。 その上書の師匠でもあるから 竜王をあごで使っても 文句は言えない?

石橋「今度 日レス杯の決勝の解説よろしくね」

渡辺「ははっ よ、喜んで」  なんてことは夢のまた夢か

>午後の対局を控えての長時間感想戦だった。かつて師匠と弟子の間で、こういう長い感想>戦が幾度となく行われた。石橋にとっては至福の一時間だったかもしれない。所司の、そ>して石橋の心中は如何ばかりであったか。

う〜ん 想像すると 胸が熱くなるにゃ

>こうして短い休憩の後、午後二時から始まった橋本崇載七段(B級1組在籍)との一戦に>、所司和晴は勝利するのである。
> 翌日それを知り、私は快哉を叫んだ。

 引き込みますねぇ 読ませますねぇ 最後の一文が・・

>〈何か、忘れていたんだな……〉
 十一月の冴えた月がかかる夜空を見ながら、そう思った。
 
だめだ この部分は何も覚えていない。

この本を執筆したのは19歳でしたかね。まあ 何を見てもロマンチックに感じる年頃ですかにゃ。


Pass

[258] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(7)
まるしお (/) - 2013年09月27日 (金) 18時44分

 もうこの本も残り三十ページくらいだなというときに、母娘に起こったとんでもない事態が記されている。
 十八歳で迎えた新年のこと。
 この年末、珍しく母が体調を崩して寝込んでしまった。
 明けて元旦、今度は幸緒に熱が出てくる。実は母はインフルエンザに罹っていたのだ。これが体力のない幸緒にたちまちにしてうつってしまったのである。

 三ヶ日を何とかやり過ごすが、やがて激しい腹痛に見舞われ、五日、とうとう救急車を呼ぶことに。
 ここで一騒動があった。
 
 ふらふらしながらも、母は幸緒に付き添って救急車に乗り込む。そして、かかりつけの清瀬小児病院へ行ってくれるように頼む。ところが、「そんなところは一時間半かかる、それでは緊急の意味がない」と、隊員も譲らない。
 母も必死だ。隊員が本部と連絡している最中のその携帯電話を取り上げ、直談判。
 一週間ほどほとんど何も食べていない母。娘のために凄い迫力でまくし立てる。

 こうしてようやく清瀬小児病院への搬送が決まる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 母は、清瀬の病院に行ってくれることになって一安心したのか、説得で体力を使い果たしたのか、私の手を握ったまましばらく眠り込んだ。
 母の手は、温かかった。温かいを通り越して、異様に熱っぽかった。
 私は痛みをこらえるために、母の手をしっかりと握っていた。母は握った手を通して私の痛みを吸い取ってくれているかのように、病院に着くまでずっと私の手を離そうとはしなかった。
 自分だって具合が悪くてつらいのに、母は自分のことより、私のことを真っ先に考えてくれている。私は、母の手を握っていない方の手で、おでこの汗を拭った。ついでに、目尻から出た汗も……。
 〈病気に負けちゃいけない!〉
 私は強く心に思っていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 『生きてこそ光り輝く』は石橋幸緒の物語だが、幸緒の母を主人公として読むこともできるのである。
 この母について、『オカン、おふくろ、お母さん』(文藝春秋、2006年)というアンソロジーの中で石橋幸緒は、「(将棋教室で母が幸緒に付き添いつつ)自分では見ても解らないのに、何時間でもあきることなく付き合って見ていてくれた。その時の母の表情はすごく嬉しそうで楽しそうだった」と書いている。 そしてこう記す。(「文藝春秋」2000年2月号初出)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 この母がいたからこそ今の私がある。本当に心から感謝している。
 おかあちゃん、これからも又、沢山迷惑をかけると思いますがよろしくお願いします。
 常々自分で言っている、「たよりないあんたが八十歳位で死ぬのを見届けなきゃ、あたしゃ死ぬに死ねないョ」――この目標を達成する為にも、少しは休憩して下さい、愛する母へ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

Pass

[265] 余談
まるしお (/) - 2013年09月28日 (土) 18時44分

 『オカン、おふくろ、お母さん』(文藝春秋、2006年)には九十人近い人が文を寄せている(一人二ページ)。
 この九十人の中で将棋関係者は二人。
 一人が石橋幸緒。
 もう一人が誰あろう、なんと米長邦雄なのである。
 LPSAが設立されるのはこの本の出版の翌年なので、編者に特別な意図はなかっただろうが、なんともいえぬ采配だ。

 この米長邦雄の文、意外に良い。例によって何にでもエロチックなものを絡めるというところはあるが、日本敗戦前後、この人の母も随分苦労したのだと分かる。
 母の逞しさがなかったら、「私自身の命は六歳までであったろう」と書いているが、大変な時代の中、米長自身も苦難の少年時代を送っていたのである。

Pass

[275] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(8)
まるしお (/) - 2013年09月29日 (日) 18時16分

 さて、いよいよ初のタイトル・女流王将位を奪取する場面だ。本書の210ページから。
 ところがこれは全部で四ページちょっとという分量で、私たち将棋ファンにはやや物足りないところがある。
 そこで、ここでは当時の「将棋世界」などを頼りにもう少し詳しく見ていくことにする。

 第二十一期女流王将戦五番勝負が始まったのは1999年の五月だったが、この当時の女流タイトルは、女流名人・女流王位・女流王将・倉敷藤花の四つだった。
 そのうちの三つを1994年に清水市代が我がものにし、1996年にはついに四冠全てを獲得。翌年に斎田晴子と矢内理絵子に二つ取られたものの、翌1998年には取り返し、再びの四冠王。
 つまり、清水市代が破竹の勢いでタイトルを奪取していた全盛時代に石橋幸緒が挑んだという構図だ。

 石橋、当時十八歳。年頭に緊急入院し、実は大変なことになっていた。右手中指から点滴を入れていたため、これでは痛みで駒を持つこともできないという一大事。なんとかかんとか対局をこなす、あるいは診断書を出して延期してもらうような状態だった。
 不安・焦燥・孤独・恐怖・混乱。
 そういう中でようやくつかんだのが三年ぶりのタイトル挑戦だったのである。

 このとき清水は三十歳。石橋幸緒が初めて秋津将棋教室を訪れ、そこで見た「優しそうなお姉ちゃん」のポスタ――それは清水が女流名人に就いた頃のものだろう。とすればまだ二十歳そこそこ。
 二人にはあれから十年程の歳月が流れていた。

 こうして始まった師弟対決は、第一局・第二局と石橋が連敗し、いきなり後がなくなってしまう。
 このとき、養護学校の引間先生の声が聞きたくなって電話をすると、優しい口調ながら強く励ましてくれた。
 新しい力が湧いて、第三局・第四局を連勝。
 そして決着の第五局は1999年の六月二十九日、東京の将棋会館で行われた。

第21期女流王将戦「清水市代−石橋幸緒」第五局棋譜(1999.6.29)

 持時間は各三時間。横歩取りの将棋だったが、作戦負けで早々に劣勢になってしまう。
 しかし後手石橋は60手目▽3六銀と勝負手を放つ。先手の飛車の効きに、2五にいた銀を3六へスイッと進め、「取って下さい」と差し出した。その代償として5五にいる飛車の横効きを通そうという狙いだ。

 ここの応酬が面白いので実際に「動く将棋盤」で確認して欲しい。
 56手目、先手の1五香を狙って▽5五飛と浮く。
 そうはさせじと▲1六飛。
 そこで飛車取りに▽2五銀と出る。
 ▲8六飛と逃げる。
 そして今出たばかりのその銀を、さらに、▽3六銀と差し出したのである。
 銀の千鳥捨てによりなんとか飛車を世に出そうという魂胆。
 まあ、苦肉の策とも言えるが、ここから乱戦になり、石橋側にも楽しみが出てきた。

 そして終盤、82手目、▽3八龍の角取りに▲3七桂と防いだ手が清水痛恨の敗着となった。
 ここは▲2七龍で敵龍を消す手、または▲3七歩と角にヒモを付けて受ける手が正着だった。
 以下攻め合いになったが、先手が一手負け。108手で清水の投了となる。

 さあ大変なことになった。
 珍しい師弟対決タイトルマッチ、しかも弟子が師匠から奪うのは将棋界初の出来事。さらに、二連敗から三連勝での逆転奪取は女流棋界初というおまけも付いていた。
 取材陣が部屋に殺到してくる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
左、60手目▽3六銀。石橋は銀の千鳥捨てで難局打開を図る。
右、83手目▲3七桂。清水痛恨の敗着。直前、控室では清水防衛の声が上がっていた。

Pass

[282]
さっちん (/) - 2013年09月30日 (月) 12時52分

残念なことに この頃は将棋から離れていて このタイトル戦はもとより 将棋界の動向を全く知らない。

 清水vs石橋の師弟戦は女流王位戦がかろうじて記憶の隅にありますが。

女流棋戦で師弟戦を見ることは もうないでしょうね。

Pass

[300] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(9)
まるしお (/) - 2013年10月01日 (火) 18時34分

 石橋幸緒はタイトルを獲った瞬間をこう記している。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 師匠が投了を告げたとき、頭の中はまるで深海に沈んだようになっていた。
 喜びの大きさはそれだけ重く、しかも現実から遠く離れたところでの出来事のように感じられた。タイトルを獲った、という感慨はしばらく湧いてこなかった。
 頭の中が、深い紺色から青になり、やがて澄んだ水色になって、記者の質問が耳に届いた。「師匠を敗ってタイトルを獲った感想は?」と聞いている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この新女流王将誕生のニュースは「将棋世界」1999年9月号で報じられた。
 カラーグラビアに2ページ。
 田名後健吾による第五局観戦記が6ページ。
 中野英伴の写真とインビュー「棋士達の背景」に4ページ。
 神保あつしの四コマ漫画にも取り上げられている。
 女流棋界の出来事としては破格の扱いと言っても良いだろう。

 この中で、田名後の観戦記は対局終了時の様子をこう描写している。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 報道陣他、大勢の関係者が特別対局室になだれ込んだ。筆者も喜びに満ちた石橋の顔を想像しながら入ったが、師匠からタイトルを奪ってしまった事実に当惑しているのだろうか、勝利者の表情はこわばって見えた。感想を聞く声にも「頭が真っ白で分かりません」と答えるのがやっと。目の赤いのは疲労からか、嬉しさで目を潤ませているのか分からない。(田名後健吾の観戦記より「将棋世界」1999年9月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 深海という異界から次第に浮上し、頭の中が澄んだ水色になったときに記者の質問が聞こえてきた。それに答える自分の声が自分の耳に聞こえる。石橋は現実世界に戻り着いたことを知る。と同時にふいに涙が溢れてきたのだろう。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 この涙の意味を、私は言葉に表すことができない。苦しいときもあった、楽しいときもあった。悔しいときや自分が情けないと思ったときもあった。そのすべてが、この瞬間に涙となって心の底からあふれてきたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 一方の清水は意外にさばさばしていたらしい。感想戦でも清水が声を発し、石橋は黙って駒を進める。清水は、「時には笑みを交えながら局面を振り返」っていた。
 この感想戦の後、対局室を出た石橋は様々な人に祝福される。佐藤康光名人(当時)からも声をかけられた。

 そしてその後だ。
 田名後が「あまりの突然の光景に筆者は呆然と立ち尽くしていた」と書いた場面が出現する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
左、石橋新女流王将誕生を伝えるグラビア(「将棋世界」1999年9月号)
右、神保あつしの四コマ漫画の一コマ目( 同 )

Pass

[303]
さっちん (/) - 2013年10月01日 (火) 20時48分

>そしてその後だ。田名後が「あまりの突然の光景に筆者は呆然と立ち尽くしていた」と書いた場面が出現する。

 えっ? 何、どうしたの?

 気になって今夜寝られへん! う〜ん まるしおさんもなかなかのテクニシャンだ。

  で、将棋世界の石橋さんの写真 ちょっとぽっちゃりして カトモモさんかと思っちゃったよ。

Pass

[327] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(10)
まるしお (/) - 2013年10月03日 (木) 20時24分

 清水市代という人が私にはよく分からない。
 この人の本心はどこにあるのか。
 相当に自己表現を抑制しているように感じられる。

 たとえば就位式での挨拶。
 いつもいつも、どこかで必ず参加者を笑わせるスピーチをしているが、私にはどうも、前の晩までに原稿を暗記し、それをそのまま喋っているように思えてならない。参加者の笑いも、それを承知の上での予定調和のような…。
 公式の場ではアドリブを極力廃するというような生き方を清水市代は自らに強いている――そんな感じを受けるのだ。
 その清水は、「弟子」石橋幸緒とのタイトル戦をどう捉えていたのだろうか。

 この、清水と石橋の師弟関係にしても、実際に「師弟」と呼べるようなものであったのかどうか、疑問が湧く。女流棋界初の師弟タイトルマッチという触れ込みの女流王将戦だったが、プロレベルの将棋を石橋に教え込んだのは所司和晴六段(当時)なのであり、実際石橋自身も、「本当は私、所司一門じゃない?」と書いているのである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 本当に熱心に、細かい変化まで丁寧に解説しながら教えてくださり、特に先生の得意とされる序盤作戦や定跡を伝授していただいたことは今の財産になっています。教わった時間の長さ、教えてもらった手の数々を考えたら、本当の師匠以上にお世話になっていて、所司門のほかのお弟子さんとも馴染み深いので、私もすっかり所司門みたいなもの。
 そのわりに教わった将棋を指さない弟子ですみません。
(『女流棋士 石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』小学館、2008年 より)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 では石橋は清水市代「師匠」をどう捉えているのか。これも、『女流棋士 石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』に記されている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 師匠には盤上(註・公式戦のこと)で厳しく可愛がられた以外、他でそんなに可愛がってもらった思い出はないのですけれど、今はまあしょうがないとも、結果的にそれが良かったとも思っています。もともと師弟関係については清水友市先生と私の母が決めたことで、お互いがよくわからないままある日突然、「師弟」になったので、正確には姉妹弟子のほうが表現は近いかと思います。
 強くて厳しい師匠の無言の可愛がりのおかげで、それに負けまい! とここまでこられたのですから。
(『女流棋士 石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』小学館、2008年 より)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 さあ、このように清水・石橋の本当の関係を見てくると、五番勝負終了後に清水が何を思ったのかということにまた別の興味が湧いてくる。
 「クイーン王将」の称号を阻止され、四冠の一角を崩された無念は当然あっただろうが、その他に特段の感慨もなかったのではないか――私はそんなこともふと考えたりした。

 ところが、田名後健吾の観戦記末尾に描写されている次の光景!
 私は目を瞠った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 しばらくの間、筆者や新聞記者が石橋新女流王将と談笑していたときだった。そばの階段から着替えを済ませた清水が降りてくるのが見えた。石橋は階段を背にしているので気づかない。清水はすれ違いざまに両腕で石橋の頭を包み込み、「よくやった!」と微笑みかけた。それは師匠が弟子の将棋を認めた瞬間であり、師匠に最高の恩返しができたのだと悟ったに違いない石橋は、初めて顔をほころばせた。(田名後健吾の観戦記より「将棋世界」1999年9月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 敗者が、祝福されている勝者の横を通り過ぎる。
 こういう場合、自分が清水の立場だったらどんな行動を取るだろう。
 黙礼してただ通り過ぎるのか…。それもバツが悪い。
 儀礼的に何か気の利いたことを言ってやり過ごすのか…。
 いずれにしても、なんとも間の悪い場面に遭遇してしまったなあと思う。出口までの違う道はないかと一瞬思ったり…。
 それはまさに、その人間の質が試される瞬間とも言えるだろう。

 そしてその場面で、清水はなんと、「すれ違いざまに両腕で石橋の頭を包み込み、〈よくやった!〉と微笑みかけた」のである。

 駒の動かし方さえ知らなかった病弱の少女。平均体重・平均身長よりはるかに小さい小学校三年生。その少女を、父・友市が手塩にかけて育ててきた。市代自身、それをずっと近くで見守り続けていたのである。自分で指導したり手を取って励ましたりなどはしなかったが、石橋幸緒はいつもそばにいた。
 その少女が、十年後、こうして女流のタイトルを獲るまでに成長した。

 もう師匠だ弟子だというところを越えて、一人の人間として、飾らず、隠さず、清水は石橋幸緒の全人生を祝福したのだと思う。清水市代の真心の発露であり、これが本来の彼女の姿だと信じたい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
左、北崎拓「サッちゃんの駒」より、タイトル獲得の場面
右、『女流棋士 石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』(小学館、2008年)表紙

Pass

[339] もう一花咲かせよ
さっちん (/) - 2013年10月04日 (金) 22時37分

へー漫画本まであったんだ。

 ということは この頃が彼女の全盛期?

 悲しいかな 女流王位戦で清水さんに負けてタイトルを奪われ

た頃からしか知らない。

 独立騒動もmtmtさんのブログで初めて知ったのだった。

閉鎖するとのことなので、昔の記事を探してみましたが、どうも

騒動や前会長に関する記事は全て削除されているようである。

Pass

[345] 石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』(11)
まるしお (/) - 2013年10月05日 (土) 20時21分

 十八歳での女流王将位獲得をクライマックスとして、以下、『生きてこそ光り輝く』はエンディングに入る。
 まず、十二年間通った養護学校のことが綴られる。
 養護学校や障害を持った子を世間は偏見の目で見るけれど、障害を持つ人はその障害を含めて一人の自分自身なのであり、養護学校はそういう一人一人に合わせて可能性を引き出してくれる素晴らしい場なのだと石橋は言う。
 その養護学校で、病院で、将棋の指導でお世話になった人、自分を支えてくれた数多くの人々、とりわけ母に感謝を述べてこの本は終わっている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 生まれる、生きる、とはどういうことだろう。何のために生まれて、何のために生きていくのか。人間にはその存在価値があるはずだ。だから自分にも何かしら意味があるはず。でも今、それはわからない。ただひたすら将棋を指しつづけることしかできない。ときどき、ふっと考える。将棋を指すって自分以外の人に役に立つことがあるのだろうかと。たぶんあまりないと思う。
 でも、私は将棋を指す。存在価値を見つける前に自分自身が生きがいをもって輝いていないと人様の役にも立たないと思うから……。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 こう記したのは、十九歳の石橋幸緒だった。
 しかしその後、二十七歳のとき、石橋はこんなことも書いているのである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 特にこの2〜3年は女流棋士を辞めたいと思うことが本当に多くありました。どこまで行っても将棋は好きですが、好きだからこそ、将棋界やその取り巻く環境に嫌気がさしてしまったことが大きかったのです。
 客観的に見てほかの文化やスポーツと比較して、華やかさにかげりが見えてきた将棋界に将来像が描けないことがショックでした。そのことに多くの関係者が危機感を持っていないことも。もちろんそれだけが独立して、新法人を設立することになった理由ではありませんが。
(『女流棋士 石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』小学館、2008年 より)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 いろいろな願いと夢を持って参画したLPSA。その、想像以上の苦難の道は現在も続いている。

 なお、本書の発行日付は2000年10月19日なので、実はこの本の出版時には前年獲得した女流王将のタイトルを清水市代に奪い返されていたのである。
 石橋が再びタイトルを手にするのは2007年11月で、女流王将位失冠から七年半を要した。石橋、当時二十六歳。このときの対戦相手も清水市代で、奪取したタイトルは女流王位。日本女子プロ将棋協会設立から半年後のことだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
石橋幸緒の揮毫「万物生光輝」(万物生きて光り輝く)

Pass

[420] 異色の名言集
まるしお (/) - 2013年10月13日 (日) 18時10分

―――――――――――――――――――――――――――
後藤元気『将棋棋士の名言100』(2012年 出版芸術社)
―――――――――――――――――――――――――――

 昨年の暮れに出た本で、将棋ペンクラブ大賞の文芸部門優秀賞に選ばれた。
 筆者はあの烏記者(後藤元気氏)。
 「出版芸術社」という出版社を私は良く知らないが、マイナビ以外から出る将棋本は大歓迎である。

 さてこの本、異色の名言集だ。
 たとえばこんなエピソードが紹介されている。

 2011年度のNHK杯戦決勝。
 「羽生善治−渡辺明」というゴールデンカードだったが、結果は羽生の勝ち。連続四回優勝という驚くべき記録をつくった。

 羽生はたとえ優勝しても平然としている場合が多いが、このときはやけに笑顔が多かったという。
 後藤と渡辺は表彰式の後二人で寿司屋へ行き杯を交わしていたのだが、そのことを後藤が渡辺に話したところ……

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 しばらく他愛のない話をしたあとに、ふと今日の羽生の表情を思い出し、「羽生さん、妙に嬉しそうにしていたね」と聞いてみた。すると渡辺はキッと顔を上げ、「そんなの、嬉しいに決まってるじゃんか」と口をとがらせる。かなりアルコールが入っていたとはいえ、棋士はこちらの疑問手は見逃してくれないのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 この、「そんなの、嬉しいに決まってるじゃんか」が名言として取り上げられているのである。
 実に面白いではないか。名言集の新機軸と言っても良いだろう。

 もう一つ、こんなのもある。

 あの「3.11大震災」のときのこと。
 将棋会館でも対局が行われていたが、経験したことのないような大きな揺れだったという。
 このとき、一度避難してから戻ってきた郷田真隆は、そばの記録係に、「次に何かあったら、こちらを気にせずに自分の判断で逃げるように」と告げたという。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 後日、郷田は「対局者が動かないのに、記録係の奨励会員が逃げられるわけない。棋士はいいんだ、自分の身は自分で守れるし、棋士になってやれることをかなりやったんだから。でも修行中で、まだ何もやれていない奨励会員に何かあったら、ぼくは耐えられない」と語った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 いい話である。私は郷田が好きになった。
 この、「修行中の奨励会員に何かあったら、ぼくは耐えられない」も名言として本書に収録されている。

 人口に膾炙した有名な句もあるが、上記二例のような独自取材に基づくものこそ筆者の真骨頂と言えるだろう。
 また、一人一言ではなく、羽生・渡辺・大山などの有名棋士からは多くの言葉を選んでいる。
 大変読みやすく、遅読の私でもはあっという間に読み終えてしまった。
 名言100だけではなんとも物足りないので、自分で「将棋語録――名言・迷言・珍言――」スレッドを立ち上げた次第である。

Pass

[512] ドキュメント電王戦そのとき人は何を考えたか
大吉 (/) - 2013年10月21日 (月) 06時53分

ドキュメント電王戦(2013年 徳間書店)
電王戦の記録保存版として購入、内容豊富でベリーグット、満足。

雑感を少々。機械対人間の興行の賞味期限は終わったと感じました、第三回の電王戦にはときめくものが無い、祭りの後というかチョット寂しい感じですね。第二回電王戦をリアルタイムで観戦出来た事は幸運でした。

「算盤とパソコン」、「すし職人とすしロボット」例えはいろいろあるけれど、算盤名人もすし職人の名人も存在します、将棋名人も存在し続けるでしょう、この点は安心して良いですね。



Pass

[517] Re:異色の名言集
マキ (/) - 2013年10月21日 (月) 21時19分

まるしおさん、ご紹介ありがとうございました。

amazonでも取り扱っていたので、さっそく注文しました。

Pass

[518] 『ドキュメント電王戦』
まるしお (/) - 2013年10月22日 (火) 05時52分

 おはようございます。

 大吉さん、『ドキュメント電王戦』、私も今読んでいます。
 私は地元の図書館で借りました。
 リクエストしたら購入してくれたのです!

 内容もなかなか興味深い。
 まさに、「電王戦、そのとき人は何を考えたか」ですね。

Pass

[701] 加藤一二三『羽生善治論――「天才」とは何か』
まるしお (/) - 2013年11月05日 (火) 19時47分

――――――――――――――――――――――
加藤一二三『羽生善治論――「天才」とは何か』
             (2013年 角川書店)
――――――――――――――――――――――


「論」というほど堅くはない。むしろ「放談」の楽しさ。

 今年四月に出た本。
 気楽に読める一冊で、加藤一二三ファンなら読みながら何度となく「ニヤッ」とすることだろう。まあ「論」というよりも、羽生善治について思うことを自由に書いたエッセイといった印象。自分自身についての記述も多く、全体の三割くらいはありそうだ。
 巻末には「加藤・羽生 血涙三番勝負」というおまけまで付いていて、これはこれでまた楽しめる。

 羽生将棋の特徴を加藤は、「戦いを好む」「冒険をしてくる」ことだとしている。
 これが大山・中原・米長・谷川らと違うところで、「ちょっとどうかな」「無理ではないかな」と思われるところでも、羽生は積極的に「打って出てくる」と指摘する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 といっても、「いきなり殴りかかってくる」という感じかといえば、そうでもない。(中略)羽生さんの場合は非常にシャープなのである。ナタというより、カミソリ。剣でいえば、正眼の構えで押してくるという感じではなく、居合抜きのようにピュッと抜くという感じであるのが特徴なのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 こう記した後で、「羽生さんが〈戦いを好む〉といってもそれは将棋の話であって、実生活の羽生さんはむしろ慎重な人だと私は思っている」と付け加えているのが加藤流の気遣いか。


謎の記述

 羽生以外の多くの棋士についても触れられているが、渡辺明と羽生善治の比較をした文章の後に加藤はこんなことを書いている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 (渡辺の)今後の活躍が大いに期待できるが、ふたりの対戦が一〇〇局に到達することはまずないと思っている。理由はいわないが、私の考えにもとづいた見通しである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「羽生−渡辺」の対局数は現在五十を少し越えたくらいか。ほぼ指し分けであるが、今後百局には達しないというのだ。そしてその理由は言わないとはどういうことなのか。
 私はこれが気になってしょうがない。
 楽しみながらすらすら読めた一冊だったが、この部分のみ、著者は読者に謎を投げかけている。

 ああ、本当に気になる。

Pass

[703] まだまだ続く羽生時代
さっちん (/) - 2013年11月05日 (火) 21時44分

加藤九段は たぶん 羽生ファンだと思いますね。

以前、ニコ生の解説で、一生懸命、まるで対局者のように羽生さ

んの勝ち筋を探していたことがあります。

 もう 間違いありません、羽生の信奉者ですにゃ。

100対局に達しないと予想しているのは、羽生さんの年齢から

来る衰えを予想しているのでしょう。

しかし、この予想は外れると思います。今の羽生さんを見ればま

だまだ当分活躍する気がします。

王将戦でも棋王戦でも挑戦者争いに残っています。

今期の王座戦のように 若い中村六段と比較しても、棋力、体力

は全く遜色なかったですよね。

Pass

[1099] 現代将棋の急所
まるしお (/) - 2013年12月06日 (金) 17時33分

――――――――――――――――――――――――――――――
山田道美『現代将棋の急所』(1969年 文藝春秋社)
――――――――――――――――――――――――――――――

 初版は昭和四十四年だが、後の平成二年(1990年)に日本将棋連盟から復刊されている。
 復刊時の定価は三千円。382ページというボリュームの重厚本だ。
 現在Amazonで中古本が814円で入手できる(送料込み)。ずいぶん安いなあと思う。

 棋書などあまり買わなかった私だが、この本はなぜか気になり、古本屋でオリジナル本を購入したことがある。ずいぶん前のことで、この本にただならぬものを感じていたのだと思う。

 まず序文でこんなことが書いてある。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 将棋の本はできるだけやさしく書く方がいいという定説ができてから久しい。しかし、将棋の本質は決してやさしくないのである。(中略)その将棋の難解さにふれずに、やさしい部分だけ書いて、これが将棋だとする考えはどこか間違っているのではないか。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 資料集めに二年、執筆に一年を要し、「現代将棋と真正面から取りくんだ」書で、「たった一つの変化に、半月もかかる始末だった」という労作。
 棋士・山田道美が渾身の力を込めて書き起こしたのがこの『現代将棋の急所』なのである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 しまいに、現代将棋というものが、だんだんふくれあがり、巨大な怪物のように思われてきた。(中略)
 私は、あたかも大人国にはいりこんでしまったガリバーのごとき心境で、机に向かうことが多かった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 いやはや、大変な本を買ってしまったものだ。たぶん、当時もろくに読んでいなかったのではないか。技術的な部分は飛ばして、山田道美の文章の部分から彼の思想を感じていたのかもしれない。
 ただ、第一章が「詰みと必至」となっており、この部分はきちんと読んだと思う。

 第一章第三節に山田の創った詰将棋代表作十題を掲載している。
 この第十番が相当な作品で、プロの七、八段が数人がかりで挑んでも解けなかったといういわく付きの十三手詰。
 以前「駒音版妙手選」で出題したことがある。
 私にとっての『現代将棋の急所』とは、実はこの詰将棋なのであった。

 山田道美はこの書を上梓した翌年、三十六歳で急逝。
 この本が正に将棋界への遺書となった。

Pass

[2076] 竜王位失冠直前の出版
まるしお (/) - 2014年02月06日 (木) 21時47分

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

渡辺 明『勝負心』(2013年11月 文藝春秋社)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡


渡辺流おやつの食し方

 地元の図書館に入ったので借りて読んでみた。
 渡辺明らしい、なんとも率直な記述が気に入った。

 タイトル戦に於けるおやつの食べ方などというものが書いてある。
 渡辺流は、まず第一の掟として、自分の手番で食べること。これは、相手の考慮時間中に食べると対戦者の思考の妨げになる可能性があるからという理由。渡辺明、なかなかの「配慮の人」なのである。

 ところが、さらにここからが渡辺の真骨頂。
 もしおやつの時間(三時)の十分前に次の自分の手が決まってしまった場合どうするか。これが悩みの種なのだという。
 もし指したとすると、その十分後におやつが運ばれてくる。ところが相手が長考してなかなか指さない場合がある。相手の手番中に食するのは自分の原則に反する。だからといって一時間も考えられたらおやつも一時間お預けになってしまう。
 さあさあ困った、どうしよう。

 ええい、そんなこともあるかもしれないから、手は決まっているが十分待って、おやつが運ばれたらすぐに食べ、食べ終えてから指そう。
 一瞬そんな思いもよぎるのだが、貴重な持時間をそのようなことのために消費するのも馬鹿馬鹿しい。
 ああ、悩んじゃうなあ。

 羽生世代はそんなこと全然気にしないらしい。
 しかし渡辺とタイトル戦を争うのは誰もが「先輩」である。渡辺流おやつの食し方は後輩としての礼儀なのだと彼は書く。
 配慮の人、礼儀の人――ユーモラスながら一本筋が通っているようだ。


準優勝の花束

 NHK杯決勝で羽生に敗れたときのこと。
 準優勝ながら花束を貰った。
 さてこの花束をどうしようということが書いてある。

 仲間と打ち上げ。
 店を出たらもう相当な時間で、家族はもう寝ている。そこへこの花束を持ち帰って置いておいたら、翌朝、妻は優勝したと勘違いするのではないか。「優勝おめでとう」などと言われるかもしれない。
 これは勘違いする方もバツが悪いし、「準優勝だった」と説明する自分も味が悪い。

 渡辺明はこんなことで悩んでしまうのである。実に繊細な心遣いというべきであろう。
 結局この花束がどうなったか。皆さん、本書を読んで確認して下さい。


自信満々のふり

 ある対局で敗勢の局面になった。
 ここでしおれたような態度を見せてはいけない。
 堂々たる手付きで王手をかけた。
 取られれば自分の負け。逃げれば逆転。

 すると相手は逃げてくれたというのである。
 自信満々のふりをして指したのが功を奏した。

 そんなことを平気で書いてしまうのである。
 渡辺明、実に素直。


率直な提言

 対局者の携帯電話所持をチェックすべきではないかと渡辺は言う。
 これは棋士の間では少数意見。
 しかしこれほど電子機器が発達した現在、「不正をする棋士などいない」と言うだけでよいのか。対局中は電子機器を立会人に預けるべきではないのか。――そう渡辺は考え、理事会に一度意見を述べたことがあるという。そのときは聞き入れられなかったが、棋士総会で機会があれば提案してみたいと書いている。(そう強い希望でもないとも述べてはいるが…)

 このように、率直、素直に自分の意見を堂々と述べている点が本書の特徴だ。
 ただ、発行日付が11月20日。ということは、竜王位防衛戦が始まる直前に原稿を書き終えて出版したわけだ。本書中にも何度か、「十連覇を懸けた竜王戦が……」という記述がある。
 しかし、その後の結果はご承知のとおり。もし十連覇を達成していれば、重版の際に「未踏の十連覇」などと帯が付いただろうに、ファンとしてはそれが残念。
 けれどもまあ、竜王位失冠により渡辺の将棋人生に一区切りが付いたとするなら、本書もまた区切りとしては良い時期の出版だったのかもしれない。

 地位は人をつくると言われるが、この本を読むとそういう感じを受ける部分もある。
 月並みだが、本書を読み、ますます「今後に期待」したくなった。

Pass

[2502] 山田史生の遺書とも言える一冊
まるしお (/) - 2014年03月08日 (土) 16時53分

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』
                   (2011年10月 新人物往来社)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡


亡くなる二年前の出版

 昨年七十六歳で亡くなられた山田史生さんの著書。この本を書き終えて二年ほどで他界したことになる。
 山田さんは囲碁将棋チャンネルの「週刊!将棋ステーション」で長らくキャスターをつとめておられた。良い番組だったが突然無くなってしまい、そのときはどうしたことだろうと思ったものだ。やはり体力が持たなかったのだろう。

 棋士に対する温かい眼差しを強く感じたが、かといって連盟ベッタリということではなく、批判すべきは批判するというスタンスだったと思う。それはこの著書にも現れている。
 棋戦結果のコーナーでも、「トーナメントで残っているLPSA勢はすでに一人だけなので、次の戦いはどうしても勝ちたいところでしょう」というようなことを普通に言っていた。


平成棋界の動き

 本書は「激動!平成将棋界の今」というサブタイトルを持つ。平成になってからの将棋界を振り返るには格好の書だ。

 羽生善治という天才が登場し七冠独占へと歩みを進めていく過程。
 世代交代により谷川浩司がタイトル戦線から退いていく過程。
 渡辺明などの新世代が羽生を追いかけていく過程。
 これらが臨場感豊かに語られていく。

 筆者は元々読売新聞文化部の所属で、竜王戦創設にも深く関わっていたという。退社後も観戦記執筆や囲碁将棋チャンネルのアドバイザーとして将棋界と深く関わっていた。従って直接体験した裏話も多く、それがまた本書を読み進めていく上での楽しみになっている。


恋愛は将棋の敵?

 たとえばB級2組所属の森下卓に、「あなたは何度もタイトルに挑戦しているが、結局奪取できなかった。実力者なのに現在の位置も私には不思議でならない」といったことを山田は直接森下に訊いたらしい。
 こういうことを相手に不快感を与えずに訊けるというのも山田の人徳の成せる技だが、森下、これに答えて、タイトル奪取ならなかった理由を次のように語った。

 「理由ははっきりしています。十代から二十代初めは全てが将棋でした。そうでなくなったためです。具体的に言えば、二十四歳から二十七歳の間、初恋愛をしました。こちらにエネルギーを取られたのです。これまでの貯金で、将棋のほうは何とかある程度の成績は残していましたが」

 このような独自取材による裏話がところどころに紹介されており、平成将棋史に彩りを添えているのである。


朝日への苦言

 名人戦移管騒動のことにも触れている。
 このとき筆者は読売新聞に論評を発表したそうで、その文章が収められている。
 要約すると、

 ・毎日が名人戦と王将戦の二つを抱えることには問題がある
 ・朝日が名人戦を横取りしたという印象はぬぐえない
 ・朝日は「将棋文化の発展、振興のため…」と談話を出しているが、それを言うなら、お荷物化している王将戦を引き取り、この伝統ある棋戦を三億円規模の大棋戦に復活させたらどうか。ファンや棋士は朝日の度量の大きさを称賛し喝采を上げるだろう。

 というようなことになる。
 直言ズバリという感じで、成程一本筋が通っている。


最晩年の力作

 第四章では「世代交代の旗手」として十二人を紹介している。
 最初が渡辺明、二番目が広瀬章人、三番目が阿久津主悦。
 この広瀬・阿久津が来期からついにA級である。
 私自身は、阿久津に対して今ひとつという印象だったが、山田史生の目は確かだった。

 終章は「将棋界への提言」。これが約十ページ。
 契約金減少の現状と新聞社への依存から脱却する必要性を説く。
 また、囲碁界同様、椅子対局の導入を訴えている。

 全254ページ。あっという間に読めてしまう。
 私は図書館から借りて読んだが、購入して手元に置いても良いかなあとも思っている。
 山田史生、最晩年の力作だと感じた。

Pass

[2584]
升田がNo.1 (/) - 2014年03月13日 (木) 20時18分

昨日発売の天野氏著『オールイン』をAmazonに発注した。
注文前に読んだレビューが可笑しかった:

昨日、仕事が終わってから大急ぎで読んだ。天野氏と意見は違うけれど、凄く面白かった。
理解に苦しんだのは本書125から126ページ。

「はっきり言えば、いまの奨励会三段より弱いプロはたくさんいる。だからといって『なぜこんなに強い人がプロに入れないのか?』とは思えない。」

という箇所。天野氏が日本将棋連盟に怒りの矛先を向けないことに非常に驚いた。、奨励会三段リーグが狭き門なのは、質の維持のためではない。利権の維持のためだ。

加藤一二三 6勝18敗
内藤國雄 5勝16敗
桐山清澄 5勝17敗
森けい二 6勝17敗
田中魁秀 5勝17敗
田丸昇 0勝10敗
淡路仁茂 3勝10敗
青野照市 5勝16敗
小林健二 9勝15敗
田中寅彦 5勝17敗

将棋世界2013年11月号83ページの田丸昇九段の記事を読み、勝負師の風上にも置けない甘ったれだと思った。

「(順位戦C級2組の)降級制度を厳しくすることは、棋士生命に影響を及ぼして難しかった。」

とのことだ。この甘ったれはスポンサーに対して全く説明がつかない。弱い高齢高段者の対局料をスポンサーに負担させるかわりに、若くて強い奨励会三段棋士の対局料はタダに抑えているからだ。

高齢高段者はおしなべて成績が悪い。二十代・三十代の頃はタイトル戦に出場するだけの棋力があった。現在は無理だ。これらの高齢高段者と奨励会三段棋士のどっちが強いか?

奨励会三段リーグは、弱くなった高齢高段者の生活の安定のために必要不可欠な存在だ。高齢高段者の地位を脅かす若くて強い四段は半年に原則二人しか増えない。

相撲の世界ではこんな甘ったれた仕組みは存在しない。幕内優勝の経験のある十両力士であろうが、新進気鋭の幕下力士に勝てずに負け越せば大部屋暮らしに逆戻りだ。

「一度関取になった力士は、幕下力士に負け越しても十両フリークラスに編入して生活の安定を保障しましょう。」

などという甘ったれた考え方は観客も親方も現役力士も絶対に受け入れない。ここに列挙した高齢高段者が奨励会三段棋士と七番勝負をやって負け越したら、奨励会三段リーグに降格させる。勝ち越した奨励会三段棋士はプロ昇段だ。甘ったれた高齢高段者を奨励会三段リーグにどんどん降格させれば、奨励会三段棋士のチャンスを広げられる。

都成竜馬新人王にとっては、奨励会三段リーグを勝ち抜くより田中寅彦九段に勝つほうがはるかに易しいと思う。格下相手に勝ち越せない高齢高段者を三段リーグに降格させるのは、「勝負の世界のケジメ」の履行だ。誰一人同情する将棋ファンはいないと思う。

本書を読んで、天野氏の実力が原因でプロ棋士になれなかったとは全く思えませんでした。格下相手に勝ち越せもしないくせにバカ高い対局料をもらえると思い込んでいる高齢高段者の甘ったれが原因で、理不尽な退会を強いられたと思いました。

奨励会三段リーグの実態は、外部に非常に見えづらい。本書は当事者の貴重な記録だ。天野氏と意見は違うけれど、本書に星五つです。



Pass

[3471] 遺言と言われて読んでみたけれど……
まるしお (/) - 2014年06月24日 (火) 18時37分

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
林葉直子『遺言――最後の食卓』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                  (2014年2月 中央公論新社)
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 何とも拍子抜けしてしまう本だった。
 書いてあることの八割くらいが食べ物についてである。

 私たち将棋ファンは林葉直子を女流棋士として見るが、彼女はかなりの数のライトノベルを書いてもいる。そちらの読者にとっての林葉直子像は将棋ファンのものとはだいぶ違うのかもしれない。その人達がこの『遺言――最後の食卓』を読んだ場合、将棋ファンとは全然別の感想を持つということもあり得る。「拍子抜けなんて失礼ではないか」とお叱りを受けるかも…。実際、「涙が止まらなかった」などというレビューもあるのだから、やはり読者の視点によっては感動の書にもなるのだろう。とくに重病を背負った方や、近親にそのような方がいる人達にとっては…。

 この本の中で私がいちばん印象深かった箇所は、大山名人と飛行機に乗り合わせたときの会話の場面。

 「林葉さん、死ぬときはどうして死にたい?」
 こう突然切り出され戸惑っている林葉に、
 「私は飛行機が落ちて、一瞬で死にたいね」
 この大名人の言葉に林葉はびっくりする。

 こういう場面をもっともっといろいろ書いて欲しかった。
 しかしまあ、「最後の食卓」という書名なのだから致し方ないか…。

 林葉直子の生涯については、誰かしかるべき書き手が渾身の筆を振るって欲しいと願う。林葉自身がもし自伝を書いたとしても、なんだかチャラケたものになってしまうような気がする。
 女流棋士・ライトノベル作家・タロット占い師、様々な面を持つこの女性の人生を、綿密な取材に基づいたノンフィクションとしてまとめ上げて欲しい。

Pass

[4130] 元奨励会員の書いた小説第二弾
まるしお (/) - 2014年11月27日 (木) 21時17分

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
橋本長道『サラは銀の涙を探しに』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                     (2014年10月 集英社)
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 作者の橋本長道は2003年、十九歳で奨励会を退会。大学を出てから三年後の2011年に「サラの柔らかな香車」で「小説すばる新人賞」を受賞している。本作はその続編だ。

 護池サラの持つ女流天衣というタイトルにライバルの北森七海が挑戦するところからこの物語は始まる。
 ところが、第一局開始の時刻が来てもサラは現れない。失踪してしまったのである。
 この謎の失踪の理由は物語の最後で明らかにされるが、実に切ない。

 数年後、ネット上の国際将棋サイトに「SARA」と名乗る強豪がいることを七海は知らされる。その棋譜を調べると、まさに護池サラそのものである。護池サラの行方を求め、七海は行動を開始する。

 と、こう書くと、本作の主人公は前作同様「護池サラ」だと思ってしまうが、実はさに非ず。サラより九歳年上のプロ棋士・鍵谷英史がこの作品の主役なのだ。

 鍵谷は十七歳でプロデビューし、一時は新世代の旗手として脚光を浴びたが、当初の志は「長い時間をかけてゆっくりと腐敗し、ある日突然それが失われていることに気付く」という低迷状態にあった。
 その鍵谷の再生の物語が「サラは銀の涙を探しに」であり、と同時に、本作には再生の後の壮絶な結末も用意されている。これまた切ない。

 物語の最後には最強将棋ソフトと時の名人による三年にわたる死闘が描かれる。そして、その果てにあるものは……。

 「将棋エンターテインメント長編第二弾」の本作、元奨励会員が書いただけに将棋に関する記述は壺を押さえている。また将棋界の現状も如実に反映されており、安心して読める。
 ただ、私の本音を言えば、物語世界にどっぷり浸かるところまではいかなかった。面白いのだが、文学的興奮状態にまでは至らない、そんな感じだ。

 作者もまだ小説家としては新人の部類。これからもずんずん腕を磨いて、第三弾第四弾とこのシリーズを続けていって欲しい。北森七海や鍵谷英史、そして護池サラがこの後どうなっていくのか、私は後の物語を楽しみにしている。

Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazonから1月31日から開催スマイルセール!
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板