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「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室

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[245] 将棋語録 ――名言・迷言・珍言―― ※ログ終了※
まるしお (/) - 2013年09月26日 (木) 21時14分

――――――――――――――――――――
 将棋界のいろいろな言葉を集めましょう。
 胸に沁みる名言
 「なんだこれは」の迷言
 「え、そんな!」という珍言
 発言者・出典・背景説明・感想なども
――――――――――――――――――――

Pass

[252] 錯覚いけないよく見るよろし
さっちん (/) - 2013年09月27日 (金) 18時19分

平凡ですが

「錯覚いけない、よく見るよろし」


錯覚や頓死は今のプロ棋士の対局においても時として見られる。そのとき、どのような言葉を吐こうとも、名言としてかほど後世に残るような事はないだろう。

升田の名言として今でも語り継がれるのは、当時の時代背景が深く影響していると思う。
普通、名人戦挑戦権はA級1位者がその資格を得るのだが この第7期は変則であった。B級1位とA級上位3名のプレーオフを行ったのである。これは当時名人戦を主催していた毎日新聞社が自社の嘱託棋士であった大山を名人戦に参画させるためと言われている。

さらに画策(定かではない)は続く。十二指腸の具合がよくなかった升田は温暖な場所での対局を依頼していたにもかかわらず、大山、升田の決戦の地として毎日新聞社は寒冷な高野山を選んだのである。ましてや2月、3月の対局である。現代のような暖房設備があるはずもなく、火鉢でのみの暖は5歳年上の升田には堪えたのではなかったか。

そして、両者1勝1敗で迎えた高野山普門院「新造の間」での第3局。先手升田、後手大山で将棋は進み、終盤、升田必勝の将棋となりますが(掲載図)、ここで▲4六玉としたがために升田玉は大頓死。その直後に彼の口をついて出た言葉が、表題のせりふです。

Pass

[256] 棒銀こそ命
まるしお (/) - 2013年09月27日 (金) 18時30分

ほとんどの棋士が大山さんに勝てなかった理由は、棒銀を研究しなかったからだ。

――加藤一二三

加藤一二三『将棋名人血風録――奇人・変人・超人』(角川書店 2012年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 巨岩のようにそびえ立っていた大山康晴。その振飛車の前に、挑戦した誰もが沈んでいった。ではなぜ中原誠だけが易々と大山を越えたのか。
 加藤は、中原が右銀を使う速攻で有利な状況を作っていったから大山に勝てたのだと言う。

 まあ、他に重要な理由が色々あるだろうに、あえて棒銀を持ち出すところが加藤の真骨頂。
 「棒銀を巧みに指せば右辺からだけの攻めで十分に戦える」――これが終始変わらぬ加藤一二三の哲学なのである。

Pass

[257] テレビマン感覚
まるしお (/) - 2013年09月27日 (金) 18時37分

「それ、ぜひともうちでやってほしかったですね」

――NHKプロデューサー

加藤一二三『将棋名人血風録――奇人・変人・超人』(角川書店 2012年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 テレビ早指し棋戦・銀河戦での一場面。
 加藤が例によって、「残り何分?」と記録係に何回か尋ねる。調子を取るための癖なのだが、このときの対戦者はこれが気になった。

 「見れば分かるんだから、答えなくてもいい!」

 こう記録係に言ったというのである。
 加藤も言い返そうとしたが、こらえた。
 場合によってはテレビ画面に修羅場が現出しただろう。一触即発の緊張状態だった。

 このことを後に加藤がNHKのプロデューサーに話したところ、返ってきたのがこの言葉。
 「NHKの将棋番組は静かなので、たまにはそういうハプニングのようなシーンがほしかったのだろう」と加藤は書いている。

Pass

[266] 奥ゆかしい言葉
まるしお (/) - 2013年09月28日 (土) 18時47分

「一年間、名人を預からせていただきます」

―――谷川浩司

1983年、名人奪取直後の記者会見における発言
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 なんとも美しい。
 かかる奥ゆかしい言葉が若干二十一歳の若者から発せられたのである。

 史上最年少で名人位に就いた谷川浩司。中原に代わって、これからは谷川の時代になる――誰もがそう思っただろう。

 ところがそう単純ではなかった。

 名人戦に限って言えば、谷川が永世資格(名人位五期)を得るまでに十四年もかかっている。逆に、その間、中原は名人位に六回も就いているのだ。
 タイトル獲得数も大山・中原には遠く及ばなかった。(大山80、中原64、谷川27)

 中原に代わって時代を築いたのは、谷川というよりも、後の世代の羽生善治だったのである。
 これを谷川の悲劇と言う人もいる。
 しかしそんな谷川を、加藤一二三はこう評価している。

 「圧倒的な質と量を誇る羽生世代に、敢然とひとり立ち向かう――そこに私は谷川さんのすごさを見ると同時に、彼の孤独も感じざるを得ないのである」(『将棋名人血風録――奇人・変人・超人』より)

 さらに、このまま精進を続ければ「最年長名人」もあり得るとエールを送る。
 史上最年少で名人に就いた男が、今度は最年長の記録をつくる。
 加藤が谷川に託したロマンなのかもしれない。

Pass

[268] 退嬰と積極
まるしお (/) - 2013年09月28日 (土) 19時35分

「名人を失ったころから、自分の将棋が退嬰的になっていました」

―――中原 誠

1985年、谷川浩司から名人位を奪回したときに語った言葉
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「退嬰的」という言葉の選び方がいかにも中原誠らしいと私は感じるのだが、どうだろう。

 1983年に名人となった谷川浩司は次期を防衛。そして1985年、挑戦者としてA級を勝ち抜いてきたのが、三年前に名人を手放していた中原誠だった。
 中原三十七歳、谷川二十三歳。

 中原は開幕から三連勝し、結局四勝二敗で名人位を奪回。翌年・翌々年と防衛を果たす。
 中原は退嬰的になっていた自分の将棋を反省し、「この名人戦では積極的に指そうと決めていました」と語っている。

Pass

[270]
さっちん (/) - 2013年09月28日 (土) 23時06分

さすが 自他共に認める大、大、大

将棋ファン

のまるしおさん

いろいろとネタが広いですにゃ  どんどん紹介してください

 あっしは ネットから何か見つけてきますだ

Pass

[272] どうなのですかね
ポン太 (/) - 2013年09月29日 (日) 17時26分

 あの有名な、(笑える時に笑っておくことだ、いずれ泣く時がくるのだから)という言葉は升田名人のことばだと思っていたのですが、ネットを調べても出てきませんが、誰か別の方の言葉なのですかね?
 私はこの言葉のなんともいえぬ、冷たさというか醒めた感じに、人生そのものの現実を突きつけられたような想いを覚えたことを思い出します。

Pass

[273] 弟への逆王手
まるしお (/) - 2013年09月29日 (日) 17時59分

「あの男の兄はバカでなければつとまらない」

―――米長邦雄の兄

弟・邦雄の言葉に対する返答
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 米長邦雄の兄は東大出だ。そのことに対し米長は、「兄貴は頭が悪いから東大に行った。自分は頭がいいから将棋指しになった」と言い放ったという。
 実のところ、真偽の程はよく分からないようだが、そんな事実検証などはどこへやら、これはもはや現代の伝説、将棋界有名語録の代表格として将棋神社の祭壇に祀り上げられている。

 「しかしねえ、この言葉、コンプレックスの裏返しじゃあないの? 米長さんはこういうレトリックが好きだから…」――などと外野から声を上げてももう無駄である。祭壇の米長語録にはじき返されるだけだ。

 むしろこの兄のように、「あの男の兄はバカでなければつとまらない」と返すのが正解手。
 米長邦雄に立ち向かおうとするにはこれくらいの機転を利かさなければいけない。さもなくばイチコロにやられてしまう。

 それにしてもこの兄、なんとも愉快ではないか。
 王手に対して逆王手で返したようで、痛快この上ない。

Pass

[274] 苦境を楽しむ
まるしお (/) - 2013年09月29日 (日) 18時01分

「努力してる人は努力してない人には勝てますけど、努力してる人でも、楽しんでいる人には勝てないなあと思いました」

―――福永佑一(競馬騎手)

渡辺明との対談番組での発言(2013.7.27放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 渡辺明竜王・王将・棋王と競馬界のトップ騎手・福永佑一が「SWITCHインタビュー達人達」という番組(NHK-Eテレ)で対談した。そのとき、福永から発せられた言葉。

 さあ、これに対して渡辺がどう反応したか。

 最初はどうも歯切れが悪かった。

 「仕事なんで、やはり勝ちたいから、楽しいかと訊かれると、まあテレもあるんですが、もう最近はぶっきらぼうに、ぜんぜん楽しくないですよと答えるんです」

 まあこんな調子だったが、話しながら考えを深めていったのだろう、最後にはこういう言葉を福永に返している。

 「苦境っていうか、そういうところを楽しめればいいなあと、自分でも思う」

 「苦境を楽しむ」。
 この境地は、いみじくも加藤一二三が羽生将棋を評した言葉と瓜二つであった。

 加藤曰く、羽生さんは苦しい局面を楽しむことができる、だから強い――。

Pass

[288] 天才肌
まるしお (/) - 2013年09月30日 (月) 20時12分

「ぼくもよく天才だと言われるんですけど、羽生さんは天才肌だとぼくは思いますね」

―――渡辺 明

福永佑一(競馬騎手)との対談「SWITCHインタビュー達人達」(2013.7.27放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「ぼくもよく天才だと言われる」などとスラッと言葉にしてしまうのはいかにも渡辺明らしいが、まあそれはともかくとして、福永から、「羽生さんってどんな方なんですか」と問われたとき、渡辺は即座に、そして神妙に、また、感嘆するように、「天才肌ですよ」と答えている。

 「天才」と「天才肌」はどう違うのか知らないが、とにかく、渡辺は、「羽生の他に天才肌の人はあまりいない」と言う。

 福永がさらに、「どういう面が天才肌なんですか」と問うと、羽生将棋を次のように評した。

 「技術的にカバーできないところがあったとしても結果的に勝つような手順に行っている。全て読み切ってやっているわけではないのは分かるが、いいところいいところに手が行く」

 羽生善治はかつて、大山康晴の棋風について、「読んでいないのに急所に手が行く」と語ったという。
 渡辺も同じようなことを羽生に感じているわけだ。

Pass

[289]
まるしお (/) - 2013年09月30日 (月) 20時17分

「突出した技術同士がぶつかり合って競ったときに、最終的に効くのって運もあるのかなと、ぼくは最近考えてるんです」

―――福永佑一(競馬騎手)

渡辺明との対談番組「SWITCHインタビュー達人達」での発言(2013.7.27放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 2008年の第二十一期竜王戦七番勝負。最強挑戦者・羽生善治の前に渡辺は開幕から三連敗を喫する。
 そして崖っぷちの第四局、劣勢の中の一分将棋で、渡辺は自玉を打歩詰に誘導する起死回生の手順を発見。それを契機に伝説の三連敗四連勝をやってのけた。

 「今思い返しても、なんであんなことができたのか分からない」と渡辺は回想する。
 自分は普段「運」などという言葉は使わないが、この戦いに関して人から訊かれたときに限っては、「運があった」という言葉を使っている――と。

 この渡辺の言を受けて福永が語ったのが冒頭の言葉。拮抗した技術が相対したときの「運」。コンピュータ将棋にはない人間の世界。

Pass

[309] 平然と…
まるしお (/) - 2013年10月02日 (水) 18時42分

「迷路をさまようような内容の将棋が指せれば、というふうに思っています」

―――佐藤康光

NHK杯戦、対戦前のインタビュー(2013.9.29 放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「本局への意気込みをお願いします」と訊かれ、佐藤はこう答えた。

 平然たる顔つきでそう言った。

Pass

[330] 女流第一人者の孤独
まるしお (/) - 2013年10月04日 (金) 18時12分

「でも孤独だよ」

―――清水市代

先崎 学『孤高の大木 千駄ヶ谷市場2』(マイナビ、2012年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 これはLPSAが設立されてから後のことらしい。
 先崎学・清水市代・中倉宏美の三人で呑んだときのこと。
 中倉が、酔った勢いでか、まあ本心からなのだろうが、清水にこう言った。

 「清水さん、大好きです、生まれ変わるなら清水さんになりたいです」

 この言葉を軽いと見たのか、幾分たしなめる意味もあったのか、清水は咄嗟に、「でも孤独だよ」と返したという。

Pass

[331] 先崎の呼びかけ
まるしお (/) - 2013年10月04日 (金) 18時15分

孤独なんかじゃない。

―――先崎 学

先崎 学『孤高の大木 千駄ヶ谷市場2』(マイナビ、2012年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 先崎は、「清水ほど、誤解されている棋士はいない」と言う。
 若くして女流棋界を牽引する存在になった清水は、周りから自分を守るために沈黙を通してきた。そのことでいつのまにか「孤高の人」というイメージが付いてしまったが、実像はやんちゃで明るい女の子なのだ――そう先崎は書く。

 孤独なんかじゃない。
 君のことを誇りに思う後輩がたくさんいるのだ。

 「将棋世界」の名物連載「千駄ヶ谷市場」で、先崎学は臆することなく清水市代に呼びかけた。

Pass

[334] 市代は初めての人
さっちん (/) - 2013年10月04日 (金) 21時23分

「羽生君くらいの格になると、仕事絡みの話ならともかく、
雑談を持ちかけようなんて棋士は、そうそういない。」

これは 高橋九段のブログ「みっち・ザ・わーるど」での高橋九段の言葉です。

みっち・ザ・わーるど

清水さんも羽生さんと同じように女流トップ棋士として長いこと君臨したことが自分の意思でなく他の棋士を遠ざけてしまい疎外感を感じたのでしょう。

 先崎八段が書いているように 実像はやんちゃで明るい女の子なのです。それに 別スレでまるしおさんは次のように書かれている。

「もう師匠だ弟子だというところを越えて、一人の人間として、飾らず、隠さず、清水は石橋幸緒の全人生を祝福したのだと思う。清水市代の真心の発露であり、これが本来の彼女の姿だと信じたい。」

そうなのです、市っちゃんは優しく、明るい、素敵な女性なのです。今だからこそ明かしますが、私がプロ棋士相手に初めて指したのが女流棋士清水市代なのです。今でも戦型ははっきりと覚えています。私のひねり飛車に清水さんのたこ金、生意気にも平手で挑んだのですが、木端微塵にやられました。

そうなんです、清水市代は私にとって忘れることの出来ないはじめての女性なのです。



 

Pass

[362] 禁句
まるしお (/) - 2013年10月07日 (月) 19時52分

「そんなのやってもしょうがない」

―――渡辺 明

NHK杯戦の感想戦で(2013.10.6 放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 今期初登場、にもかかわらずあまり良いところ無く負けてしまった渡辺、感想戦も大して熱が入らず、「いやあ、ありがとうございました」とついに終了宣言。

 困ったのは解説者の佐藤天彦と聞き手の矢内理絵子。まだ放送時間が五分ほど残っている。さあどうやって場をつなごう。

 佐藤、なんとかその場を取り次ぎながら、「では▲4二飛のあたりをもう一度」と促したのだが、渡辺、ぜんぜん乗り気でない。口に出たのが、

 「そんなのやってもしょうがない」

 NHK杯感想戦史上、誰も言わなかった禁句を渡辺は画面に刻みつけた。

Pass

[363] 嬉しい自著
まるしお (/) - 2013年10月07日 (月) 19時55分

「思わず本屋に見に行っちゃいました」

―――高見泰地

初めて書いた本が出版されて(「月刊順位戦」2013年10月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 デビューして二年目の高見泰地、二十歳。石田和雄門下。
 最近『中飛車破り 一直線穴熊徹底ガイド』という本を出した。
 執筆に四ヶ月、パソコンに向かう毎日だったが、書き上げたときは達成感があったという。

 高名な棋士の著書でも、実はゴーストライターの作ということが昔は多かったらしい。しかし現在、若手の出す著書は自らの血と汗の結晶。「思わず本屋に見に行っちゃいました」と言うほど、その出版は嬉しいのだ。

Pass

[364] 十六世名人の警鐘
まるしお (/) - 2013年10月07日 (月) 19時58分

いまは棋士の方もコンピュータ化している

―――中原 誠

コラム「気になる一手」より(「週刊新潮」2013年10月3日号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 棋士は計算機になってしまったのか。
 いや、それではいけない、自分の指した将棋には己れの哲学や思想が反映されていなければ価値がない――そう中原は言う。

 哲学や思想を持ち、それを磨き上げてこそ将棋のプロなのだ。
 一局の将棋とは、その哲学や思想のぶつかり合いに他ならない。

 四年半続いた連載コラムの最終回で、十六世名人は棋界の現状に警告を発した。

Pass

[365]
さっちん (/) - 2013年10月08日 (火) 00時06分

>「そんなのやってもしょうがない」

 NHK杯感想戦史上、誰も言わなかった禁句を渡辺は画面に刻みつけた。


じぇじぇ 美味しい所を見逃した〜

 終局まで見ていたのですが 一方的だったので感想戦は見なかった。

まあ 竜王ははっきりと主張するタイプだし、解説者が仲の良い佐藤天彦七段だったので 普段着の姿を全国のお茶の間に届けてしまったのでしょう。

>思わず本屋に見に行っちゃいました

これ分かりますねえ。私も昔、地方紙に観戦記を書いたとき 掲載される日が待ち遠しく 新聞を切り抜いては保存したことがありました。自分の書いたものが活字になるのはなかなか気分のよいものでしたね。

Pass

[375] 子供の質問
まるしお (/) - 2013年10月08日 (火) 18時32分

「羽生マジックは一年に何回でるんですか?」

―――あるイベントで子供が羽生にした質問

羽生善治と脳研究者・池谷裕二との対談より(「週刊現代」2013年10月12日号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 子供の質問は時として大人をびっくりさせる。

 アニメのヒーローが敵をやっつけるために隠し持つ必殺兵器。この子供は「羽生マジック」をそんなふうに捉えていたのかもしれない。

 これに対して羽生は、マジックショウの興行ではないので云々…と答えたという。

 どうも、質問に負けている。
 この問答、子供の勝ち。

Pass

[376] プロ並みな答え
まるしお (/) - 2013年10月08日 (火) 18時34分

「君の方がプロみたいな答えだね」

―――羽生善治

将棋祭りで、子供に対して(「SWITCHインタビュー達人達」より 2013.9.7 放映)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 横浜で開かれた将棋祭りの質問コーナー。
 「好きな駒は何ですか?」と子供に訊かれ、「銀」と答えた羽生、「じゃあ、君は何がいちばん好き?」と訊き返したところ、返ってきた答えは、

 「と金」

 いやはや、この問答も子供の完勝である。

 しかし咄嗟に羽生も、「君の方がプロみたいな答えだね」と味のある一手で応じ、かろうじて棋界第一人者の面目を保った。

Pass

[377] 羽生マジックの正体
まるしお (/) - 2013年10月08日 (火) 18時38分

「〈マジック〉と言われますが、自分では結構ロジカルに考えていて、奇抜なことをやっているつもりはないんです」

―――羽生善治

脳研究者・池谷裕二との対談より(「週刊現代」2013年10月12日号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 羽生の説明はこうだ。
 絶対に負ける手、逆転の可能性のない手、こうした手を虱潰しにしていき、最もダメージの少ない手を選ぶ。つまり消去法。

 極めてロジカルなのだが、なぜか人は「羽生マジック」と呼ぶ。

 まああからさまに言ってしまえば、論理的な読みの積み重ねであり、他の棋士より読みが深いというだけの話。
 しかしそう言ってしまっては夢がない。
 この神秘的な呼称により、羽生より読みの浅い棋士はなんとなく安心するのだろう。

Pass

[393] 将棋なんて覚えていなければ…
まるしお (/) - 2013年10月10日 (木) 21時16分

「将棋なんて覚えていなければこんな人生にはならなかったのに……」

―――瀬川晶司

『後手という生き方』(角川書店、2007年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 二十六歳、奨励会三段リーグを八勝十敗と負け越し、年齢制限規定により瀬川晶司の退会が決まった。

 「もう自分の人生はおしまいだ」

 瀬川はそう思い、将棋にかかわる一切のものを処分する。
 人生の足跡である棋譜ノート、思い出が詰まった数々のものを捨てる。

 たとえタイトルを失ったとしても、これほどの絶望感・挫折感・無常感を抱く「プロ棋士」はいないだろう。
 しかし奨励会を年齢規定で退会していく者は、だれでも瀬川と同様な感情を持つに違いない。

 「将棋なんて覚えていなければこんな人生にはならなかったのに……」

 しかし――。

 その後約十年にわたる大学生活・社会人生活の中で、瀬川は少しずつ気付いていく。
 負けても人生がおしまいにはならないことを。

Pass

[394] 二手遅れて指し始めた後手番
まるしお (/) - 2013年10月10日 (木) 21時18分

後手という生き方

―――瀬川晶司

『後手という生き方』(角川書店、2007年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 瀬川は、自分の人生は「二手遅れて指し始めた後手番」のようなものだと言う。
 それは、羽生善治や渡辺明のように「先手の人生」を突っ走ってきた者とは違う生き方なのだ。

 約十年の社会人生活を経て、編入試験に合格しプロとなったとき、瀬川は三十五歳。
 しかしその遅れはむしろ自分の栄養になっている。
 「先手の人生」では味わえない様々なものを十年の間に手に入れた。
 それはこれからの棋士人生に於いても大きな財産になるのだ――と瀬川は確信する。

 「後手という生き方」

 瀬川晶司は自らの著書にそう命名した。

Pass

[410] 堂々たる「ひち」
まるしお (/) - 2013年10月12日 (土) 18時23分

「にじゅうご秒、ろく、ひち、はち……」

―――伊藤明日香

「銀河戦」で記録係をつとめるときの秒読み
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 生粋の江戸っ子は「ひ」を「し」と発音してしまうらしいが、逆に、数字の「7」を「しち」ではなく「ひち」と発音するのは全国いろいろなところで見られる現象らしい。

 だが、記録係が秒を読むとき、「ひち」とやってのけるのは伊藤明日香くらいではなかろうか。

 全国の将棋ファン注視の中、何の疑問も抱かずに実に堂々と「ひち」と読み上げる。
 その姿は感動的でさえある。

Pass

[428] 気にしたことない
さっちん (/) - 2013年10月14日 (月) 16時42分

>「ひち」とやってのけるのは伊藤明日香くらいではなかろうか。

ここにも一人居ります。

 生まれてこのかた ず〜〜と「ひち」

何の違和感もございません。

ひちごさん(七五三) ひちろくしじゅうに(7x6=42)

でも 質屋は「しちや」

Pass

[430] ひち派
まるしお (/) - 2013年10月14日 (月) 17時15分

 おやおや、さっちんさんも「ひち」派でしたか。

 それで分かりました。
 伊藤明日香を支えているのは全国の「ひち派」なんですねえ。

 逆に、「ひち派」の方々は「しち」と発音する人に違和感があるのかなあ。

Pass

[434] ひちこそ標準語だ!
さっちん (/) - 2013年10月15日 (火) 00時07分

>「ひち派」の方々は「しち」と発音する人に違和感があるのかなあ。

全然ないですよ。

ただ 育った田舎ではほとんど「ひち派」ですので

 「しち」はシティボーイの感じがするかなあ。

しかし これまで「ひちごさん」を「しちごさん」だよ と指摘されたこともないし、七時を「ひちじ」と言っても聞き返されたこともなし。

ただ PCは「ひちじ」では「七時」と変換してくれない。
ってことはPCは江戸っ子か?

Pass

[463] 里見香奈への呼びかけ
まるしお (/) - 2013年10月16日 (水) 18時15分

芮廼偉(ゼイ・ノイ)になれ

―――青島たつひこ(観戦記者)

読売新聞 2010.1.9 (竜王戦6組「島本亮−里見香奈」第2譜より)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この竜王戦の対局当時、里見香奈は将来の夢を、「女流の全タイトルを取りたい。男性棋士にもできるだけ勝ちたい」と語っていた。
 たが、青島はあえて、「夢はもっと大きく持て」と里見にハッパをかける。

 芮廼偉(ゼイ・ノイ)は中国出身の女性囲碁棋士。2000年、韓国で、世界最強といわれた李昌鎬(イ・チャンホ)や゙薫鉉(チョ・フンヒョン)を破って「国手(こくしゅ)」のタイトルを奪取した。
 女性棋士の一般棋戦でのタイトル獲得――初めての快挙であった。

 「日本の将棋の世界でいえば、女流棋士が四冠を保持する羽生善治名人(註・当時)を破ってタイトルを獲得するようなものだ。世界にはそんな女性がいるのである」と青島は書く。

 芮廼偉(ゼイ・ノイ)になれ

 青島たつひこがこう呼びかけたのは2010年の正月。
 里見が奨励会入会を希望しているとの報が流れたのは翌年春だったか。
 そして2011年五月二十一日、奨励会1級への編入試験に合格し、里見は日本初の「女性プロ棋士」を目指して歩み始める。

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[475] ガチンコ勝負ゆえ
さっちん (/) - 2013年10月18日 (金) 00時25分

大相撲で、上位力士が立ち会いで変化すると苦言が呈されるように 「嫌だから避けるのはプロの姿勢ではありません」
姿勢の問題以上に大きいのは相手が「俺の得意戦法がそんなに怖いか」と鼻息を荒くすること。(略)相手に自信を持たせるのは得策ではありません。(渡辺明、2007)

この考えを持つ棋士は渡辺だけでは無いと思う。であるからこそ タイトル戦において○○シリーズなどと言われることが度々見られるのである。 やはり 勝負師は負けん気が強い性格でないと務まらぬだ。


Pass

[476] 誰もそうは思わない
さっちん (/) - 2013年10月18日 (金) 00時30分

「勝ちは偶然、負けは実力とは私の将棋を表した言葉のように思える」

===森内俊之===出典元不明

これは森内名人の奥ゆかしさ、謙虚さを表しているように見えますが さにあらず。主語が省いてあるので分かりにくいですが、勝ちとは相手が森内の将棋に勝つことであり、負けとは相手が森内将棋に負けることなのである。
つまり、私(森内)の将棋に勝つのは偶然であり、負けるのは実力通りであると言っているのだ。(へそ曲がり)

Pass

[496] 森挑戦者の挑発
まるしお (/) - 2013年10月20日 (日) 16時09分

「楽な相手ですね」

―――森 雞二

「NHK特集 勝負〜将棋名人戦より〜」における発言(1978年放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 1978年、名人戦で中原誠に挑戦したのが森雞二。あの有名な「剃髪名人戦」である。
 その第三局(四月六日・七日)の様子がドキュメンタリーとして当時テレビ放映された。
 森挑戦者はこの中で、相手の中原名人をどう思うかと質問され、すかさず、「楽な相手ですね」と答えている。

 中原ファンだったらきっとカチンとくるところだろう。

 森曰く、相手の手の内はもう分かっている。棋譜を全部並べてみたが、相手が勝手に転んでいるだけであって、中原さんは強くないという結論に達した。中原さんが自分で勝っている将棋はあまりない――。

 挑発・ハッタリ・揺さぶり、そして何よりも自分自身を奮い立たせるための演技だったのか。
 十七歳で将棋をはじめた「遅れてきた棋士」森は、名人戦という千載一遇の舞台で、「将棋優等生」中原に対し、ありったけの言葉を浴びせかけた。

 一方の中原はと言えば、「森八段はやりやすい相手とは言えない。はっきり森さんの将棋を捕まえていないところがあるから」と、いたって素直で自然、何の飾りもない。
 結局、第三局までは「●○●」とリードされたものの、以後三連勝(千日手一回)で名人を防衛している。

Pass

[497] 敗者には何もやるな
まるしお (/) - 2013年10月20日 (日) 16時12分

「なんかぬるま湯みたいでね、面白くないんですよ、僕は」

―――森 雞二

「NHK特集 勝負〜将棋名人戦より〜」における発言(1978年放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 森雞二は1976年4月1日付けでA級棋士になっている。しかし名人戦移管問題の紛糾でこの年の順位戦は休止。翌年改めて「米長・大山・有吉・二上・升田・板谷進・加藤一二三・桐山・勝浦」の九人と戦い挑戦権を得た。当時三十一歳。
 十代後半で将棋をはじめた男がプロになり名人に挑戦するのは異例中の異例だった。

 そういうときに制作されたドキュメンタリーが「勝負〜将棋名人戦より〜」だが、この中で、「勝負師の世界は…」と問われ、森はこう答えている。

 「今の僕らの世界はまだ甘いんじゃないかと思っているんですよ。もっと厳しくするべきだと思う。食えない食えないと言っても皆んな生活しているんですよ、負けてばっかりの人でも。負けてばっかりでは生活できなくて、なんかアルバイトでもしながらやっているというんなら本当に厳しいんですけどね、本当に負けちゃってる人でも何とかかんとか将棋だけで生活してますからね。なんかぬるま湯みたいでね、面白くないんですよ、僕は。もっと厳しくするべきだと思うんです。それが勝負の世界でね、〈敗者には何もやるな〉というけれど、本当に何もやらなくていいんですよ、負けた者に」

 この発言から三十五年。現将棋界に、そして森雞二自身に、この言葉はどう響くのだろうか。

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[498] 鬼の形相
まるしお (/) - 2013年10月20日 (日) 16時14分

「だけどぼくはその顔が一番好きなんですよ」

―――森 雞二

「NHK特集 勝負〜将棋名人戦より〜」における発言(1978年放送)
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 「勝負の時の自分の顔は?」と問われたときの回答。

 「自分の顔がこれほど変わるのが不思議でしょうがないんですけど、普段の顔っていうのは自分の本当の顔ではないと思っているんですよ。試合やっているときの顔はね、ちょっと鬼のような形相になってね、後で自分で写真かなんか見てもちょっと怖くなるような顔してるんですよ。だけどぼくはその顔が一番好きなんですよ。普段のにこやかな顔っていうのはあまり好きじゃないんです、なんか眠ってるみたいで。試合やってるときは、本当に自分が生きてるっていう充実感があるわけですね。だからその姿が本当の姿なのかもしれないですね。結局勝負の場でギリギリになると、人間の本当の姿が出ると思うんですね」

 棋士・森雞二の本質、いや、あらゆる勝負師の本質を突く発言。

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[541] 人類の姿
まるしお (/) - 2013年10月23日 (水) 20時01分

「塚田先生のああいう姿が人類なんですよ」

―――山本一成(将棋ソフト「ponanza」開発者)

小説家・宮内俊介との対談――『ドキュメント 電王戦』(徳間書店 2013年)より
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 あの「電王戦」で、コンピュータソフト開発者はむしろ人間側を応援している場合が多かったらしい。それを宮内が指摘すると、山本は、「そうですね、ヘンな奴らですよね」と返した。
 さらに、「コンピュータは凄い」という一般の印象に対しても、

 「いや、だって、あいつらは(註・コンピュータのこと)バカなんですよ」と逆のことを言う。

 典型的な例が「塚田泰明九段 vs Puella α」戦。入玉将棋でヘロヘロになってしまったコンピュータの姿は開発サイドではお馴染みの光景だったのである。

 では、そんなバカなコンピュータに挑んだ人間の姿を彼はどう見ていたのか。

 「(塚田九段の)最後まであがくところが、僕はすごく好きでした」

 一見反語的にも聞こえそうだが、本音であろう。
 「人類」とは、ときに滑稽、しかし厳粛、だからこそいとおしい――そんなことをこの開発者は心のどこかで感じ、ちょっとはにかみながら、「塚田先生のああいう姿が人類なんですよ」と言ったのかもしれない。

Pass

[542] 歴史的な引き分け
まるしお (/) - 2013年10月23日 (水) 20時04分

「あれを見て、将棋をやる気になった女の子がいましたよ」

―――ある女流棋士が塚田泰明に話した言葉

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実(現代ビジネス+「賢者の知恵」、2013年4月29日〜5月15日 配信)山岸浩史 筆
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 第二回電王戦「塚田泰明−Puella α」戦は様々な反響を呼んだ。
 山岸は「ある意味で歴史的な〈塚田の引き分け〉」と書いているが、確かにあの対局にはドラマがあった。
 そして、そのドラマの結果、こんなことも起こる。

 ある女流棋士が通りかかろうとして塚田に気付き、近寄っていって、嬉しそうに話しかけたという。

 「あれを見て、将棋をやる気になった女の子がいましたよ」

 塚田自身も、「引き分けてこれほど喜んでいただけるとは思いませんでした」と山岸に語っている。
 賛否はともかく、そういう現実がこの対局には確かにあったのである。

Pass

[543] 将棋指しの誇り
まるしお (/) - 2013年10月23日 (水) 20時06分

二度とこういう将棋は見たくない

―――河口俊彦

第2回将棋電王戦 第4局 観戦記(ニコニコニュース 2013年4月19日 配信)
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 事前に「習甦」の癖を見抜き、電王戦第一局で勝利した阿部光瑠四段は、「コンピュータとの勝負は人間どうしの将棋とは違う、別のゲームだと考えています」と語っている。
 そうであれば、「人間対人間」の論理で対コンピュータ戦を裁くのは筋違いということになるだろう。

 「塚田泰明−Puella α」戦もそう考えれば別にどうということもないのだが、大駒を全て取られてもなお指し続ける塚田に対し、控室では投了を促す声が上がっていた。見るに耐えない、プロの美学がとても許さないのだ。

 ニコニコニュースの観戦記を担当した河口俊彦も立会人に対局を止めるように促すのだが、局後に落涙する塚田を見て考えを変え、こう書いている。

 「あの将棋を指しつづけるのは、大した根性である。周囲、いや動画を見ているファンの眼を意識しながら指しつづけるのは、投げるより、よほど辛かったに違いない。将棋史上に残る名勝負には、投げるに投げられず、指しつづけて、本局のようになった例がいくつもある。それらを憶い出した」

 しかしそう書いた河口だが、観戦記の末尾には、きっぱり、「二度とこういう将棋は見たくない」と断言する。
 対人間であれ、対コンピュータであれ、でき上がった棋譜の美しさこそ将棋指しの誇りなのだと河口は言いたかったのだろう。

Pass

[548] 東海の鬼
さっちん (/) - 2013年10月23日 (水) 20時32分

将棋のコツは、相手の嫌がる手を見付けてそれを指すこと。たとえ最善手でなくともだ。

===花村元司===

真剣師として名を馳せ東海の鬼(静岡出身)と恐れられた花村九段らしい言葉である。妖刀使いと言われ、定跡を避けて力戦に持ち込み 終盤力で相手を倒したのである。多くの弟子がいるが 殊のほか森下には手取り足取りの指導をしたとか。

しかし、この言葉 感情を持たぬPCには全く通用しない。さあ 森下九段 お師匠さんの教えではPCには勝てぬ。森下システムでは尚の事じゃぞ。

Pass

[550]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月23日 (水) 21時49分

>しかし、この言葉 感情を持たぬPCには全く通用しない。

さっちんどの、花村将棋は一つの『芸術』。機械は芸術など理解が出来ないのでは(ニヤ)。

花村さん一番のミスは森下さんに『芸術』ではなく『数学』を教えた事では。だって、らしくないもん。

Pass

[551] 歩5枚が壱森下
さっちん (/) - 2013年10月23日 (水) 22時47分

花村九段は駒落ちがめっぽう強かったらしい 

 そういえば 世渡りさんも駒落ち将棋が得意とか どこかで聞

いた気がしますが

まさか 花村九段に手ほどきを受けたとか? 

そうか 森下九段が駒を集めるのは 数学を教えられたからか

 で、壱森下なんて単位が生まれたのじゃな

 

Pass

[553]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月23日 (水) 23時04分

>まさか 花村九段に手ほどきを受けたとか? 

は〜い!一番将棋にのめり込んでいた十代に2枚落ちで73番みっちりとシゴキまわされました〜〜〜!   結果??w72連敗。。。

あれは、理論とか計算とかでは測りきれない『芸術は爆発だ〜〜』の世界でしたね。

当事、アマ最強と言われた方がおりまして、平手から一番手直りで、2枚落ちまで行ったwww.有名な話でございますwww.

Pass

[555] 推測ですが
さっちん (/) - 2013年10月23日 (水) 23時27分

 どうりで 強い訳じゃ 

って 盤をはさんだ事はありませんが

10代の頃なら 花村九段は たぶん50代?

で、そのアマ強豪は おそらく小池でしょう


Pass

[557]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月23日 (水) 23時51分

>で、そのアマ強豪は おそらく小池でしょう

いえ、小池は中京から丁度出てきた頃で、その道場の手合い係りをしておりまして、道場から金を・・・・してトンズラ致しましたw。

Pass

[561] 裏話は面白い
さっちん (/) - 2013年10月24日 (木) 08時54分

ふむ、ふむ いろんなエピソードをお持ちですにゃ。

 折を見て また何か聞かせてくだされ。

小池の話は「小池重明物語」か何かで読んだ記憶があります。

確か団鬼六の著作だったかと。

 この時代はプロ棋士でなくても 将棋の話題が豊富でしたね。

印象に残っているのが 七條兼三氏。

もしかして この方々とも面識があったりして?

Pass

[563]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月24日 (木) 09時55分

>印象に残っているのが 七條兼三氏。

七条さんは私の知っている限り最後の『将棋界の大旦那』であります。

囲碁、詰め将棋、詩吟と多趣味な方ですが、現在の秋葉原の基を作った方で囲碁界、将棋界に多大な影響を与えられました。

逸話も多く、数え切れない程で、一つのスレッドが必要となるほどですね。上野公園の中の料亭が自宅(今では考えられない話でありますが)で百畳間があり、戦争で対局する場所がなくなった棋院の大手合いをそこで開いていたそうです。

では一つだけ、七條さんの話を。

現在の連盟会館の建設時、彼はその建築資金の連帯保証人をされておりましたが、何を間違えましたか上棟式に七條を招くことを忘れて怒っているとの話を聞いて、当事の会長の塚田と大山が七条邸に謝りに行ったが、七條は升田と囲碁を打っており、幾ら頭を下げても相手にしてくれない。

その内、一升瓶を盤の傍らに置くとコップでグビグビと飲み始めた。酒好きであった塚田が『七條さん私にも一杯頂けますか?』と聞くと、はじめて顔を向けてからスタスタと別室へ行き、一枚の紙を持ってきて『これが解けたらね』と渡し、また囲碁を打ち出した。

紙には詰め将棋が一題。塚田と言えば子供の頃よりの詰め将棋の大家。しかし、20分ほど考えても答えが出てこない。七條は『君!どうなんだ、解けたのか、解けないのか!』と聞くと、塚田は『七條さん、解けません』と頭を下げたそうです。

9手の詰め将棋、塚田が解けない筈が無い。

すると、七條はニヤッと笑って『君、一杯やりたまえ』と酒をすすめた。つまりは、七条流の「もう許したよ」、と言う事。

寡黙で知られる塚田は人に「お上手」など出来ない性格で『塚田正夫一生に一度のオベッカ』と呼ばれたそうな。

(升田幸三談)

Pass

[567] 長編趣向詰めの大家
さっちん (/) - 2013年10月24日 (木) 18時15分

あれ〜 この七条さんの逸話は知ってるぞ。誰に聞いたか、どこで見たのか定かではないが、覚えてはいる。

七條さんで思い出すのは詰め将棋。たぶん、近代将棋だと思うのですが 長編の 趣向詰めを発表されていました。

 この頃、棋力も 解く気力も無かったのでチャレンジしたことはありませんが、凄い才能だなあと感心したの覚えています。

Pass

[569] 「七條−塚田」逸話
まるしお (/) - 2013年10月24日 (木) 18時28分

 ↑

 「七條−塚田」逸話、以前駒音で話題になりましたね。
 その詰将棋は「尻金」のやつでしたよね。

Pass

[578]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月25日 (金) 00時25分

>その詰将棋は「尻金」のやつでしたよね。

はい、端の空中玉の問題でした。

Pass

[588] 完全解明の後
まるしお (/) - 2013年10月25日 (金) 18時32分

「将棋もいつか振り駒だけで決まる日が来てしまうでしょうね」

―――瀧澤武信(コンピュータ将棋協会会長)

『ドキュメント 電王戦』(徳間書店 2013年)より
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 サイコロを振らない対戦ゲーム――つまり将棋・囲碁・オセロなどだが、これらには必ず必勝手順が存在するという。そういうことが学問的に分かっているらしい。
 必勝手順そのものはまだ分かっていないが、「存在する」ことは理論的に証明されているというのだ。
 幸か不幸か、将棋の場合、その必勝手順はまだ見つかっていない。完全解明には五十年以上かかるだろうと瀧澤は予測する。

 しかしその日が来ると、もう将棋は振り駒で先後が決まったときに勝負が決着してしまう。
 恐ろしい話だが、だからと言って、将棋がつまらなくなるというわけではない。

 「人と人の戦いには、人の心を動かす力がありますから」

 瀧澤はそう付け加えた。

Pass

[589] 負けたらすべてを失う覚悟
まるしお (/) - 2013年10月25日 (金) 18時34分

「命を削って戦っている姿を見せるしかありません」

―――野月浩貴

『ドキュメント 電王戦』(徳間書店 2013年)より
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 野球のホームランやボクシングのノックアウトなどには誰が見ても分かる華やかさがある。しかし将棋にはそれがない。そのためにも、プロの技術や情熱を魅力的に見せる工夫が必要だと野月は言う。
 だが、究極的には、「命を削って戦っている姿」こそ人に感動をもたらす。

 「もっと自分を律し、負けたらすべてを失う覚悟で対局しないと。それではじめて、見ているファンにすごさを訴えられるし、感動してもらえるんだと思います」

 「電王戦」の経験から、棋士に求められているものを野月浩貴はこのように語った。

Pass

[590]
世渡り下手爺 (/) - 2013年10月25日 (金) 20時52分


言葉的には確かに美しい。

だが、どの様な職業にせよ人間は皆命を削って生きているのだ。

冷静に考えればプロの将棋は実は一局で終るものではない、積み重ねの中にその真価が問われるのでは。

三段リーグのその削り方と比べると、なぜか虚しく感じられるのは何故だろうか。

Pass

[615] 先手の優位性
まるしお (/) - 2013年10月27日 (日) 18時26分

先手番のときは将棋盤と戦い、後手番のときは相手と戦う。

―――森内俊之

あるインタビューにおける言葉
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 何やら禅問答のようだが、現代将棋に於ける先手の優位性を語った言葉。
 瀬川晶司はこれをこう翻訳している。(『後手という生き方』より)

 「先手番のときは正しく指せれば相手が誰でも勝てるはず、後手番では相手にミスしてもらうための戦略が基本となる」

 ただ、「先手が優位」と言っても、統計的には52勝48敗程度の微差。
 しかしそのわずかなものを鋭く感じ取り、しかもそれをできるだけ生かす。そうでないと棋士はトップになれない。
 森内俊之はそういうことに誰よりも長けているというのが瀬川の分析だ。

Pass

[616] 「調子」のない世界
まるしお (/) - 2013年10月27日 (日) 18時30分

「不調ということを意識したことはない」

―――渡辺 明

瀬川晶司との対談より(『後手という生き方』角川書店、2007年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 渡辺の論理はこうだ。
 ――やるべきことをやっていて不自然な負け方が続いたら不調だと思うが、自分にはそういう経験がない、敗因はすぐに分かる――。

 「さぼっているから負ける。やるべきことをやって負けが込んだっていう経験はないですね。負けが込むときは必ず自分の中で負けが込む理由はわかっている。それは不調じゃないですから」

 この2007年の態度は現在でも変わっていない。
 渡辺は最近の福永佑一(競馬騎手)との対談(2013年7月放映)でも、福永の、「勝負は〈調子〉などというぼんやりしたものではない」という言葉に大きく頷いているのである。
 自らも、「〈調子〉というものは自分にはない。調子というような偶然的要素を含む言葉は不適切で、勝負はあくまでも実力の世界だ」と発言している。

 「不調」だとか「好調」だとか、そんな安易な言葉で勝負の世界を語って欲しくないというのが福永や渡辺の姿勢だ。

Pass

[658] あまりの早指しに……
まるしお (/) - 2013年10月31日 (木) 19時57分

「番組を御覧の皆さん、これは早送りじゃないです。通常スピードで今放映されております」

―――神崎健二

銀河戦「糸谷哲郎六段−小倉久史七段」解説の一場面 2013.6.6 対局
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 糸谷六段の超早指しは有名だが、この対局では小倉七段も負けていなかった。中盤の難所でも糸谷同様早指しで応じるものだから、神崎七段、なかなか解説する余裕がない。
 とうとうたまりかねて発した言葉がこれ。

 「うちのビデオデッキ調子悪いなあと思っている方、たくさんいらっしゃると思いますけど、これは通常スピードです」

Pass

[659] 「振り飛車」対「棒銀」
まるしお (/) - 2013年10月31日 (木) 19時59分

「これは鈴木さんも知らない手なんですね」

―――井上慶太

「NHK将棋講座」にて 2013.10.13 放送
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「振飛車で勝とう」という主旨で半年間鈴木大介八段から指導を受けたつるの剛士・岩崎ひろみのお二人、講師が井上慶太九段に代わるや、「棒銀で四間飛車を撃退する方法」を習う羽目に。

 いやはや、笑えるじゃありませんか。

 振り飛車党十数年のつるの剛士、さすがに、「振飛車も負けませんよ」と井上講師を牽制。
 ところがこの講座で井上は居飛車側の決め手である▲1六角という手を披露。つるの、思わず、

 「あらら、これ、こんなの鈴木先生に教えてもらってない!」

 それに対して井上先生、関西弁でやんわりと、

 「これは鈴木さんも知らない手なんですね」

 巧みなユーモアでこの日の講座を締め括った。

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[684] 森信雄七段の人徳
マキ (/) - 2013年11月03日 (日) 21時48分

森信雄七段と言えば、超短編詰将棋の大家であると同時に将棋の名伯楽として有名。将棋世界12月号の福崎×浦野対談で、関西人らしいボケがでてたのでご紹介。

浦野:(略)あと世話になったのが森信雄さん(現七段)。

福崎:森さんは垣根がない人や。どんな動物とも話ができる。

いやー、福崎九段かましてくれますねー。「どんな動物とも話ができる。」には目が点になりました(笑)。


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[722] 節穴
まるしお (/) - 2013年11月06日 (水) 20時10分

「あの将棋じゃねえ……」

―――ベテラン棋士たちの羽生評

加藤一二三『羽生善治論――「天才」とは何か』(2013年 角川書店)より
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 羽生善治がデビューした頃の話。

 史上三人目の中学生プロ棋士の誕生――これはまさに将来の名人候補であり期待の星。
 それは間違いないのだが、実は当時のベテラン達はあまり羽生の将棋を評価していなかったという。

 筋にこだわらない将棋は大成しない。「あの将棋じゃねえ……」というのがベテラン棋士たちの印象だったそうだ。

 そんなベテラン達が自分の目が節穴であったことを思い知らされたのが、1988年度のNHK杯。高校生の羽生は大山康晴・加藤一二三・谷川浩司・中原誠という現役名人(谷川)と名人経験者を撃破して優勝。「羽生、恐るべし」という強烈な印象を棋界に植え付けた。

Pass

[723] 妖術
まるしお (/) - 2013年11月06日 (水) 20時12分

“妖術”を使われたとしかいいようがない。

―――加藤一二三

『羽生善治論――「天才」とは何か』(2013年 角川書店)より
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 羽生善治がB級1組で加藤一二三と昇級争いの大事な対局をしたときのこと。

 勝てると思っていた将棋を加藤は落としてしまう。
 最近になってその昔の将棋を調べ直してみると、なんだ、誰でも指せるような手を終盤で見落としているではないか。何でこんな当たり前の手が当時は見えなかったのか?

 加藤はこれを、「妖術によって頭が麻痺させられたからとしか考えられない」と断言する。

 実はこの将棋、中盤で羽生は手刀を切るような奇妙な動作を何回もしたそうだ。そして席を立つと二時間近く戻ってこなかった。

 ミステリアス羽生ワールド。

 そんな思い出を加藤一二三は実に楽しげに記すのである。

Pass

[762] 名著『羽生の頭脳』
まるしお (/) - 2013年11月09日 (土) 18時54分

「そこまで書くか」

―――加藤一二三

『羽生善治論――天才とは何か』角川書店、2013年
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 羽生が二十代前半に書いた定跡書『羽生の頭脳』(全十巻)を賞賛した言葉。

 加藤一二三はこの中の棒銀の部分に注目する。
 「棒銀の加藤」から見てもこの本は名著で、読んでみて、「そこまで書くか」と思ったという。「羽生さんはかなり突っ込んで本気で書いている」と絶賛するのである。

 さらに、この本で紹介されている手を自分の実戦で試し、二度勝ったことがある、と体験談まで付け加えている。

 二十年くらい前のアマチュア向け定跡書は、「……にて先手優勢」といった安易なものが結構多かったような気がする。しかしそんな中で、プロとして真剣に定跡と向き合った著作『羽生の頭脳』は専門棋士からも参考にされ、高い評価を得た。

Pass

[763] 名著『四間飛車破り』
まるしお (/) - 2013年11月09日 (土) 18時56分

「ここまで正直に書いちゃっていいのかな」

―――勝又清和

浅川書房の棋書広告より
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 2005年に浅川書房から出た『四間飛車破り』(全二巻)は渡辺明の最初の著作。竜王を獲得する半年程前の出版。
 これを読んだ勝又五段(当時)、「ここまで正直に書いちゃっていいのかな」と驚いた。

 それもそのはず、渡辺は編集者に、「この本を出すことによって白星をいくつか損をすることになるはず」と打ち明けていたという。

 アマ向け指南書の域を越え、プロ棋士の参考書にもなり得る定跡書。羽生が若き日に『羽生の頭脳』を完成させたように、渡辺もまた妥協を許さぬ作品を書き上げて世に問うたのである。

 そして現在、気鋭の棋士が書く定跡書は、それぞれの専門分野をとことん掘り下げたような、まるで将棋学会の学術書のような感を呈してきている。

Pass

[783] 真横に神が降臨す
まるしお (/) - 2013年11月10日 (日) 21時59分

「八段、今ならぼくに将棋負けちゃうんじゃないですか? 大丈夫ですか!」

―――ビビる大木(タレント)

NHK-BSプレミアム「オール中島みゆきナイト」にて(2013.11.3 放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 歌手・中島みゆきを神として仰ぐ先崎学八段。自分の文章中では必ず「中島みゆき様」と敬称を付す徹底ぶり。対局中、大詰めを迎えせっぱ詰まったときには彼女の「わかれうた」が頭の中に流れてきたりするという。

 「オール中島みゆきナイト」はそんな中島みゆきフリーク数人が集まって互いに語り合った一時間十五分の番組。
 ビデオを観ながらこの歌手の魅力に迫っていくというものだが、事件は番組が一時間経過したあたりで起こった。

 突然ドアから女性郵便配達員が入ってきたのだ。番組進行役のビビる大木に書留を渡し、受け取りのサインを促す。
 これが先崎八段の真横。先崎の和服の左腕と女配達員の右腕が触れ合って交差するほどの近距離。

 しかしこの配達人、顔といい声といい、中島みゆきそっくりではないか!
 スタジオ騒然。

 そんな中、配達人は、「力うどんは天カス抜きでお願いします」という謎の言葉を残して去っていく。
 この間わずか四十秒。

 突然の神の降臨に、先崎、茫然自失。固まってしまい、もう番組どころではない。
 その後番組が進行していっても全然頭に入っていない様子。
 たまりかねたビビる大木、先崎に向かい、

 「八段、今ならぼくに将棋負けちゃうんじゃないですか? 大丈夫ですか!」

 かろうじて「大丈夫です」と答えた先崎だったが、朦朧として意識が飛んでいるのは明らかであった。

Pass

[796] 研究しないベテラン
まるしお (/) - 2013年11月11日 (月) 19時28分

研究しないベテランの作戦

―――森下 卓

NHK杯戦における解説 2013.11.3 放送
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ▲2六歩▽3四歩の後に▲2五歩と突く指し方のこと。

 森下によると、「横歩取り」の勝ち負けを左右するのは研究が九割だという。
 現代将棋では研究量と研究の質により勝負が決する場合が多いのである。

 だだ、▲2六歩▽3四歩▲2五歩と進めば「横歩取り」も「ゴキゲン中飛車」も避けられる。しかしこれは、「私は研究をしていません」と白状するようなもので、棋士として恥ずかしいこと。

 「研究しないベテランの作戦」――テレビでこうもはっきりと言われ、思わずドキッとした棋士も多かったのではないか。

 ただし、今年の名人戦で森内俊之名人が新解釈の元でこの手順を採用したことにより、「研究しないベテラン」も堂々と指せるようにはなってきた。

Pass

[811] 父と娘
まるしお (/) - 2013年11月13日 (水) 18時50分

「辞めたらまた普通の仲よしの父娘の関係に戻れるかな」

―――飯野 愛

「将棋世界」2013年11月号掲載のインタビューより
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 飯野愛、二十六歳。父は飯野健二七段。
 高校二年のときに女流棋士になろうと決心するが、将棋が好きというだけで、別にアマ強豪だったわけではない。女流育成会・研修会に所属するもなかなか芽が出なかった。

 父はといえば、師弟関係になった途端に厳しくなり、衝突したり喧嘩したりと、良好だった父娘関係が一転してしまう。
 そんなつらい時期にはふと、「辞めたらまた普通の仲よしの父娘の関係に戻れるかな」と悩むことが度々あった。

 2013年六月、飯野はついに研修会C1に昇級、女流3級の仮資格を得る。
 さらに翌七月、マイナビチャレンジマッチを突破、八月のマイナビ女子オープン予選一斉対局でも勝ち進み、ベスト16の本戦入りを果たす。規定により女流2級の正資格を得たのである。

 通算八年の長い長いトンネルから飛び出た瞬間だった。

 「私は歩が好きです。一歩一歩しか進めないんですけど、成ってみんなに追いつくというのが、私に似てるかなって」

Pass

[830] 孤独の美
まるしお (/) - 2013年11月15日 (金) 19時18分

孤独感がもやのように二人をつつんで美しくさえありました。

―――蛸島彰子

「プロは孤独」より(『将棋かくしふで』講談社、1987年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 高段者の対局は、勝っても負けても、「終わったときに胸に突き刺さるような寂(せき)とした孤独感が生まれてくる」と蛸島は言う。

 対局の最中よりも、結果が出てしまった後の二人。
 全てを出し尽くして闘いを終えた二人の姿。
 そうして残る「棋譜」という共同の作品。
 対局後、「寂とした孤独感」を抱えて対面する二人の男。
 それこそが「真実のプロ」の絵であり、それはどんなドラマよりも感動的で、勝ち負けをはるかに越えたものなのだ――。

 「孤独感がもやのように二人をつつんで美しくさえありました」

 かつて「中原誠−米長邦雄」の名人戦で記録係を務めたときの感動を蛸島彰子はこのように記すのである。

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[852] ちょっとオーバー?
まるしお (/) - 2013年11月17日 (日) 19時43分

地球の裏側から桂馬が跳んでくる。

―――森下 卓

▲1七桂から▲2五桂と跳ねる軌跡を表現した言葉
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ▲3七桂からではなく、▲1七桂から▲2五桂と跳ねる。
 一度将棋盤の裏側に潜り、再び忽然と姿を現すといったような感覚。それを「地球の裏側から跳んでくる」と表現したのは秀逸。
 こういう桂馬の使い方もまた現代将棋の特徴だろう。

 第二十一期銀河戦準決勝「行方尚史八段−稲葉陽六段」戦でこれが現れた。
 解説の深浦康市九段、同じ花村門下の兄弟子森下九段のこの言葉を紹介したまでは良かったが、

 「〈地球の裏側〉はちょっとオーバーだと思いますけど…」

 言わずもがなの一言を付け加えたのがかえって面白かった。

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[868] 大ポカの末に
まるしお (/) - 2013年11月18日 (月) 19時08分

「将棋は残酷なゲームですね」

―――行方尚史

NHK杯「大石直嗣−行方尚史」戦の感想戦にて(2013.11.17 放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 図は▽9三桂と跳ねた手に対して先手大石直嗣六段が▲8八歩と遮断した局面。
 ここで先手行方尚史八段はさほど時間を使わず▽同馬と切った。

 解説の北浜健介八段、ささやくような声で、「え! 同馬ですか? そんな手があるんでしょうか」
 しばらく沈黙して、「これは▲同銀だとどうするんでしょうか?」

 実は行方の大ポカだったのだ。
 すぐ直前まで先手の銀は4九に浮いていた。それが残像となっていて、▲8八同銀なら▽4九龍と取れると錯覚したのである。

 「取った瞬間にハッと我に返りました」

 ……。

 感想戦は近年稀に見る重苦しいものになった。
 意気消沈した行方、しばらくは無言。
 なんとか気を取り直して「感想戦」という義務を果たそうとするのだが、出てくる言葉は、

 「この後はちょっと並べたくない」
 「しかしこれを勝てないというのは…」
 「こんなことやっちゃったのは初めてです」
 「自分はこういうポカをやる歳になっちゃったんだ、ひどいな」

 そしてついに、「将棋は残酷なゲームですね」と力なく呟いて首をひねる。

 「いやあ、あきれたね」
 「台無しにしました」

 将棋が残酷なゲームなら、感想戦もまた残酷な儀式。
 行方だけでなく、勝った大石も、解説の北浜も、聞き手の矢内も、終始沈痛な面持ちで十分程の時間を耐えた。


 NHK杯「▲大石直嗣六段 VS ▽行方尚史八段」棋譜(2013.11.17)

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[870]
さっちん (/) - 2013年11月18日 (月) 22時40分

ひや〜^棋譜見たいけど 録画してあるので

録画優先ですぅ なんか とんでもないポカらしいですね。

ああ〜 見たい 早く見たい でも明日だにゃ〜

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[873] 「姿焼き」の歴史
まるしお (/) - 2013年11月19日 (火) 19時15分

「穴熊の姿焼きだね」

―――大山康晴

第49期A級順位戦最終局終了後、控室にて(1991.3.5)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 相手の穴熊にはいっさい手を付けず、敵の攻めを受け潰す。万策尽きた相手は、これ以上指してもじわじわいたぶられるだけだと、たまらずに投了。
 こうして、自分の穴熊囲いが奇麗に残ったままの無念の投了図ができあがる。

 この様子をいつの頃からか「穴熊の姿焼き」と表現するようになった。
 いったい誰が言い始めたのだろう。

 図は1991年三月の「大山康晴−真部一男」戦終局図。A級順位戦最終局で、真部はすでに降級が決定していたが、大山の方は開幕五連敗の後三連勝して残留を決めていた。
 いわば消化試合だったが、穴熊に囲った真部が優勢になる。
 ところが大山は、龍を引いたり寄ったりまた入ったりと、のらりくらりと受け続けた結果、とうとう真部の方に手が無くなってしまう。

 局後控室を訪れた大山は、

 「穴熊の姿焼きだね」

 そんな冗談を飛ばしたそうだ。
 もう二十年以上前の話である。

 第49期A級順位戦最終戦「大山康晴 vs 真部一男」棋譜(1991.3.5)

 ※ この逸話は、湯川恵子「67歳の鉄人・大山康晴」より(「宝石」1991年5月号掲載)

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[883] 天才論を吹っ飛ばす
まるしお (/) - 2013年11月20日 (水) 18時38分

「天才だと言われる間はまだまだだと思いますね」

―――大山康晴

NHK-BS2「命がけの一手」より(2009年8月20日放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 大山の最も重視するのは「安定」だ。
 天才の将棋内容は出来不出来がある。それではいけないのであって、勝率七割を目安にするなら、七勝三敗の成績をどれだけ続けられるか、その実績の長さこそが本当の強さなのだと主張する。

 「天才だと言われる間はまだまだだと思いますね」

 「神武以来の天才」が書いた『羽生善治論――天才とは何か』を読んだ後で大山のこの言葉を聞くと、いやはや、あらゆる天才論がすっ飛んでしまう。なんとも痛快ではないか。

 自分は世に言う天才など屁とも思っていませんよ――実は露骨にそう大山は言いたいのだ。
 しかしそれを、あたかも聖人の言葉の如く淡々と語ってお茶の間の皆さんを納得させてしまう。

 大山康晴の真骨頂、ここにあり。

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[884] もし生まれ直せるならば
まるしお (/) - 2013年11月20日 (水) 18時43分

「今度は丈夫な身体で、名人を角落ちくらいでからかってみるのも面白いなと、こう思う」

―――升田幸三

NHK-BS2「命がけの一手」より(2009年8月20日放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 かつて王将戦で名人に香車を落として勝った升田。
 その最晩年に語った言葉がこれ。

 戦前、さあいよいよこれから将棋界の頂点を目指して……というときに升田は兵隊に取られる。それで身体を壊し、戦後も何度か休場を余儀なくされた。

 升田は言う――もし生まれ直すことがあれば、二歳から三歳くらいの間に将棋を覚え、もう一度やり直してみたい。

 「今度は丈夫な身体で、名人を角落ちくらいでからかってみるのも面白いなと、こう思う」

 そう言って笑う升田幸三の姿。その映像はファンを魅了して止まない。

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[898] 立ち読みしちゃった
さっちん (/) - 2013年11月22日 (金) 00時17分

最善手は対局者が見つけ出すものであり、勝負手は作り出すものである

今月のNHKテレビテキスト将棋講座の「女流棋士リレーエッセイ」の中で、香川愛生が逆転の勝負術について述べている。

劣勢な時はどんな手を指しても、その先には形勢の悪い局面しかない。
(確かに 相手が最善手を指せばそうである)
そこで、相手に好手を指させないこと、そのための勝負手が必要であると言う。
つまり、勝負手をひねり出す力、悪手を誘う力が逆転を生むのであると結んでいる。
(記憶を呼び起こして書いてるので正確ではないかも)

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[919] 大事な「対局」
まるしお (/) - 2013年11月23日 (土) 16時24分

今回は、対局を五局いたしました。

―――関根金次郎

加藤治郎が受け取った葉書の文面(「サライ」19号、1993年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 関根金次郎十三世名人は旅行好きで、旅先から知人によく葉書を出したという。
 あるとき加藤治郎の元へ、「今回は、対局を五局いたしました」という文面の葉書が来た。

 将棋には厳しいが普段はユーモアの人でもあった十三世名人。
 「対局」とは「将棋」ではなく、実は「女性との一戦」だった。

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[929] なるほど納得
さっちん (/) - 2013年11月24日 (日) 22時10分

「取らせることで、駒は働く」

倉敷藤花戦の第3戦、中盤、里見倉敷藤花の▲2四歩を手抜きして、後手が4筋から反撃した局面での棋譜コメント

「▲2三歩成なら△4六歩▲3ニと△4七歩成。これは3二の金が取られて働く格好になる。」

確かに、金を取らせる間に3手稼いだことになる。金一枚で3手稼げれば充分働いたと言えるでしょうね。


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[932] 数学者
まるしお (/) - 2013年11月24日 (日) 22時31分

「そもそも将棋というのは、純粋な数学なんですよ」

―――加藤治郎

「サライ」19号、1993年(小学館、1998年刊『上手な老い方【虹の巻】』に収録)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 先崎学八段の千駄ヶ谷市場シリーズ最新刊の書名は「棋士が数学者になる時」だが、これは、「棋士は詰将棋の時はまるで数学者のように考える」ということらしい。

 加藤治郎は、将棋そのものが純粋な数学なのであり、だから棋士を「勝負師」などと呼ぶのは嘘っ八だと語っている。棋士はそもそも数学者なのだと言っているのだ。

 「勝負師というと、イチかバチかのイメージでしょ。けれど、イチかバチかじゃ勝率は五割。プロはそんな確率じゃ、怖くて絶対やれませんよ。棋士の思考法は、純粋に数学的なんです。この駒をこう動かすと、歩を一枚得することになるとか、最後は向こうより一手早く攻めることができるとか、全部計算で動いているんです」

 加藤治郎、1910年生まれ。早稲田大学卒業後に将棋の道に進む。将棋界初の「学士棋士」。しかし当時は周囲から「大学まで出て、情けない奴」と言われた。1996年没。

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[942] 後悔せず
まるしお (/) - 2013年11月25日 (月) 19時33分

指した手が最善

―――阿部健治郎

阿部健治郎五段の座右の銘(2013.7.3 の発言)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 阿部健治郎――山形県出身の二十四歳、2009年に四段昇段。
 この新鋭に銀河戦の対局前、高群佐知子女流が「座右の銘は?」と問うたところ、阿部はこう答えたそうだ。

 自分の指した手が最善手。
 将棋界には以前からそういう考え方があるようだが、出たての新人が言うとなんとも傲岸な態度に見えてしまう。
 しかし実はこういうことだろう。

 たとえ間違えた手を指しても対局中に後悔していてはいけない。いちいち後悔していては将棋に悪影響がある。だから、常に「指した手が最善」という気構えで対局に臨む。

 阿部五段はこの先人の言葉を座右の銘にして、自分自身への戒めとしているのだろう。

Pass

[943] 反省は対局後に
まるしお (/) - 2013年11月25日 (月) 19時35分

「自分なんか、悪い手やったなと思うと、感想戦の第一声目に何と言おうかとすら考えちゃうんですね」

―――鈴木大介

第二十六期竜王戦第四局二日目、NHK-BS放送解説の一齣(2013.11.22)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 鈴木大介八段「自分だったら後悔しますよ。▲6一飛のところでもっと手があったんじゃないかとか、▲6六歩を先着するべきだったとか……」
 室田伊緒女流初段「対局中に反省しても……」
 鈴木「私、対局中よく反省するんですよ」
 室田「私もしてしまうんですね」
 鈴木「良くないらしいですね」
 室田「良くないですね。後で考えればいいんですよね」
 板倉卓人アナウンサー「やっぱり、対局中に反省しちゃうと駄目ですか?」
 鈴木「って言われますよね。自分なんか、悪い手やったなと思うと、感想戦の第一声目に何と言おうかとすら考えちゃうんですね。この手が悪かったねとか言おうかなと思ったり」
 室田「反省は終わってから…」
 鈴木「現局面より、手前の間違えた局面のところを考えちゃう」
 板倉「そうすると、先の局面を考えるのがだんだん嫌になってきちゃうんですね」
 鈴木「何なんですかね、一種の現実逃避なんですかね」
 室田「ちょっと振り返ってしまいますが…」
 鈴木「自分は結構それがよくないなとは思うんだけど…」
 室田「この局面からスタートしたと思えば…」
 鈴木「そうですね」

Pass

[944] 記憶が不確かですが
立会人 (/) - 2013年11月25日 (月) 22時16分

「指した手が最善(手)」は元々は森下卓九段の発言だったと思います。
(横からクチを出してすみません)

Pass

[946] ご指摘感謝
まるしお (/) - 2013年11月26日 (火) 05時28分

 立会人さん、ご指摘ありがとうございます。

 阿部五段が座右の銘としている言葉は誰の発言なのかと思っていましたが、森下さんですか。
 ちょっと調べてみると、羽生さんも同じようなことを言っていますね。
 森下さんも、「将棋の世界にはそういう言葉がある」というニュアンスで語っているときもある。

 森下オリジナルなのか、昔誰かが言い出して定着したのか、私も現段階ではよく分かりません。
 しかしなるべく正確を期したいので、これからも何か気付いたことはお教え下さい。

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[952] 残酷・優雅と女性
まるしお (/) - 2013年11月26日 (火) 22時22分

「囲碁は優雅だが、将棋は残酷ともいえるだろうね」

―――坂田栄男(囲碁棋士)

「サライ」5号、1993年(小学館、1998年刊『上手な老い方【虹の巻】』に収録)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 どんなに有利に展開していてもたった一手の誤りで逆転してしまうのが将棋。確かに残酷とも言える。

 と共に坂田は、「相手の王将を取れば勝負も決まりだ。動かし難い現実を、突き付けられるわけだね」と、そのルール自体に将棋の残酷さがあらわれていると指摘している。

 一方囲碁はゆったりと優雅、洗練されており、緊迫感がストレートに表に出る将棋とは違い、それは内に秘められている。
 「それで女性も、将棋より囲碁の方が好きなんじゃないかな」というのが坂田の考え。

 1920年生まれの坂田は1929年(昭和四年)に増淵辰子というプロの女性棋士(六段)の元に預けられた。囲碁界の大棋士・坂田栄男の師匠は女性棋士だったのだ。

 「どうだい、すごいだろう。囲碁の世界には、当時からプロの女流棋士がいたんだ。将棋でプロの女流棋士が出たのは戦後もずいぶん後のことだからね。今考えると、日本棋院はずっと昔から、男女平等だったんだね」

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[961] 師の言葉
まるしお (/) - 2013年11月27日 (水) 20時01分

「定跡とは歴史です」

―――金子金五郎

テレビ番組の打ち合わせの席での発言
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「定跡とは何ですか?」と問われ、一言、「定跡とは歴史です」と答える。

 見事と言う他ない。

 山田道美はこの金子金五郎の弟子である。
 弟子は師のこの言葉を次のように噛み砕き、美しい言葉でわれわれに説明してくれている。

 「どんな深い山にも、一筋の登山道がある。それは、過去に歩いた人たちの足跡によって踏みかためられた、長い風雪の歴史である。
 将棋の定跡もまた、過去の人たち――木村十四世名人の言葉を借りれば、先哲――の足跡によって踏みかためられた、ルートなのである。私たちは古典定跡をひとり静かにひもとくとき、そこに先人の叡智や、苦悩や、勝利の喜びの声をきくことができると思うのは、感傷的にすぎるだろうか」(「近代将棋」1970年1月号)

 金子金五郎、1902年(明治35年)生まれ。1950年に引退後出家。
 山田道美が内弟子として金子の元へ入門したのは1949年。

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[984] 「気」
まるしお (/) - 2013年11月29日 (金) 19時43分

私はデーターの虜(とりこ)になり、技術の奴隷になった。

―――山田道美

「近代将棋」1969年9月号より(『現代将棋の急所』復刻版に収録)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 山田道美は1969年、第十四期棋聖戦で中原誠に挑戦するが、三連敗を喫し、復位はならなかった。
 その真の敗因を山田は、技術の奴隷になっていたからだと自己分析する。

 そして、自分に欠けていたのは「気」であり、大山や升田が自分たちと違うのは技や心ではなく、この「気」なのだと書いている。

 「気」とはなんとも難しい概念である。
 しかしそういう「気」の充実無しには、いくらデータを調べ技術を磨いたところで、それは勝利に結びつかない――そう山田は言いたかったのだろう。

 「私には本当の意味の努力、本当の意味の勇気が、まだまだ欠けているのであろう」

 このように書いた翌年、1970年六月十八日、血小板減少性紫斑病という奇病で山田道美は急逝する。
 三十六歳だった。

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[985] HDDの中には……
まるしお (/) - 2013年11月29日 (金) 19時45分

「対局以外で駒に触ることは滅多にないです」

―――渡辺 明

囲碁棋士・井山裕太との対談より(「文藝春秋」2013年11月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 山田道美の死後四十年以上経った現在の将棋界。研究は専らパソコン頼り。

 井山裕太の方は、「正座して碁盤に向かい、石を自分で並べないと頭が働かない」と言っているが、渡辺は、「将棋盤ではなくパソコンの前にいる時間が圧倒的に多い」と言い切る。
 マウス操作で指し手の研究をする――これが現代のスタイルなのだ。

 「データーの虜(とりこ)」、「技術の奴隷」、そんな言葉はもう何処にもないかのように、現代の棋士たちはパソコンの電源を入れる。
 ハードディスクの中の膨大なデータにアクセスし、何かを見付け出そうとしている。

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[1001] 意外な発言
まるしお (/) - 2013年11月30日 (土) 16時50分

「ずっと将棋を続けていこうとも考えてない」

―――羽生善治

U25 Survival Manual Series インタビュー(2013.1.1 アップ)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 棋界第一人者の羽生がこんな発言をしていたとは驚く。

 ただしこれは、「一つのことを続けるコツはありますか?」という問いに対する答えの中で語られたものなので、逆説的なニュアンスのある言葉だ。

 「継続するためには、適当ないい加減さが大事」と羽生は言う。
 あまり突き詰めてしまうと自己否定や自己嫌悪状態に陥って立ち往生してしまう。だから、考えてもしょうがないものは考えない、突き詰めてもしょうがないものは突き詰めない。そういう生き方が大事だというのである。

 「僕はあまり先のことを考えていないんです。ずっと将棋を続けていこうとも考えてない。でもきっと続けていくんでしょうね。そもそも継続しよう、という視点がない。無理に継続する必要もないと思いますね。その瞬間に何を打つか。それだけを考えていればいいので、将棋も続くんだと思います」

 U25 Survival Manual Series インタビュー「常に自分が指した手が最善手(羽生善治)」2013.1.1

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[1020] 「大坂田」も参った話
まるしお (/) - 2013年12月01日 (日) 21時52分

「ああ、あなたがあの阪田三吉さんですか」

―――世間の人の言葉

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(2011年、新人物往来社)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 世間でいちばん有名な棋士は、大山でも羽生でもなく、ひょっとしたら阪田三吉なのかもしれない。
 歌謡曲になり演劇になり映画にもなった。

 一方、囲碁界で「サカタ」と言えば二十三世本因坊・坂田栄男。「大坂田」とも呼ばれ、タイトル獲得は六十四回。昭和三十九年には年間三十二勝二敗という記録をつくり、坂田が負けるとニュースになったという。

 「世間は坂田というと、タイトル獲得64回、本因坊戦7連勝、2度の7冠王獲得なんかを評価してくれるけど、僕自身は、この32勝2敗をいちばん誇りに思うね」(「サライ」5号、1993年)

 そんな坂田だが、初めて会った人に、「棋士の坂田です」と紹介すると、「ああ、あなたがあの阪田三吉さんですか」と言われたことが何回かあったという。
 山田史生が直接聞いた話で、「あれには参りました」と「大坂田」は話していたそうだ。

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[1021]
升田がNo.1 (/) - 2013年12月01日 (日) 22時19分

まるしおさん

バラエティーに富んだ各スレッドをありがとうございます&お疲れ様です。私を始め、楽しみにしている方々はとても多いと思います。大変とは思いますがが、これからもよろしくお願い致します。

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[1025]
まるしお (/) - 2013年12月02日 (月) 19時19分

 升田がNo.1さん、励まし、かたじけなし。

 こちらこそ、これからもよろしくお願いします。

Pass

[1050] さりげない一言
まるしお (/) - 2013年12月03日 (火) 19時06分

「いえいえ、またいつでもお世話しますよ」

―――小田尚英(読売新聞文化部記者)

渡辺明ブログ(2013.12.1)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 たった一言の言葉が、思いがけず胸に深く沁みたり、失意の中からまた新たな勇気を奮い立たせてくれたりもする。
 ちょっと落ち込んでいる人にそんな言葉をかけられたらどんなに素晴らしいことだろう。

 2013年十一月二十九日、九連覇した竜王位を失った渡辺明。
 「打ち上げ」という儀式を終え、翌朝、まだ真っ暗な時間に露天風呂に入り、一人帰路に就いたそうだ。

 慌ただしい打ち上げの席では担当者に挨拶もできなかった。
 ――思えば九年間もいろいろと世話をして貰ったんだなあ。

 帰宅して読売の小田尚英記者に、「長いことお世話になりました」と電話をした。すると、

 「いえいえ、またいつでもお世話しますよ」

 前竜王をジーンとさせた一言。

 渡辺明ブログ「昨日、今日。」(2013.12.1)

Pass

[1052] できた嫁じゃ
さっちん (/) - 2013年12月03日 (火) 20時43分

>前竜王をジーンとさせた一言

さらに、さらに、嫁はんも・・・

何気ない家族愛にジーン

3枚組みの絵がよく出来ている。

妻の小言

Pass

[1055] 嫁さんの絵
まるしお (/) - 2013年12月04日 (水) 06時06分

 トイレでひり出したあと、すくっと立って、「よしっ。出直しだ」

 いい絵ですねえ。

Pass

[1056] アレンジがうまい
さっちん (/) - 2013年12月04日 (水) 08時10分

1枚目の絵は どうやら前竜王が描いたものらしい。
何を描いたのか分からないのだが(丸が二つ)・・

それに 嫁はんが書き足したのが2枚目の絵。
1枚目の絵から想像して、トイレの絵に仕上げたのだ。

そして、なにげなく 角番で踏ん張っている旦那にエールを送っている。

 がんばれ

この一言がいいなあ。

そして3枚目、失意のどん底から 逞しく出直す決意が描かれている。
前竜王の代弁なのか、前竜王への激励なのか・・・

ともかく できた嫁ではある。


Pass

[1089] 行方武勇伝
まるしお (/) - 2013年12月05日 (木) 19時31分

「羽生に勝っていい女を抱くのが目標」

―――行方尚史

雑誌のインタビューで(1994年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 なんとも凄いことを言ったものだ。
 当時行方は二十歳。
 二十歳前後の現在の若手は皆お行儀が良すぎて、とてもこんな言葉は口にできないだろう。

 十九歳の秋、行方尚史は四段昇段を果たす。その年十二月から始まった竜王戦ランキング戦ではいきなり六組優勝。1994年七月からの本戦でも白星を重ね、とうとう挑戦者決定戦まで勝ち進む。最も下のクラスからの挑決進出という快挙である。(この記録は現在でも行方のみ)

 この挑戦者決定三番勝負の相手が羽生善治だった。
 羽生は当時、名人・棋聖・王位・王座・棋王の五冠王。
 全冠制覇へ驀進中であり、マスコミも大いに湧いていた。

 そういう中、羽生より三歳下の新進棋士行方は、九月五日から始まる三番勝負を前に、雑誌のインタビューに答えて、「羽生に勝っていい女を抱くのが目標」と語ったというのである。

 リップサービスもあっただろう。雑誌記者に言わされた面もあっただろう。
 しかしこの意気軒昂ぶりは見ていて爽快でもある。
 行方武勇伝として今日に伝わる名言。

 (なお、挑決三番勝負は羽生の連勝となり、竜王位決定七番勝負でも佐藤康光を破って六冠王となる)


 ※ この行方の言葉はいろいろなバリエーションで紹介されており、ここでは山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(2011年、新人物往来社)によった。

Pass

[1142] 泣くとき
まるしお (/) - 2013年12月08日 (日) 20時31分

「実は負けて泣いたことが一度だけあります」

―――渡辺 明

囲碁棋士・井山裕太との対談より(「文藝春秋」2013年11月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 棋士が泣く。
 それはどんなときなのだろう。

 渡辺が負けて泣いた一度きりの経験とは、羽生善治に初めて挑戦したときのこと。
 2003年の王座戦五番勝負、初のタイトル戦である。
 当時十九歳、五段の渡辺。二勝一敗と羽生をカド番まで追い込んだものの、第四局は千日手、その後二連敗して羽生の十二連覇を許した。

 「最終局で負けてタイトルが取れなかった。対局が終わって自分の部屋に引き揚げた時、急に涙が出てきた。あれは何だったんだろう」

 対談相手の井山裕太も、初挑戦だった2008年の囲碁名人戦最終局で負けたときには、渡辺同様、部屋に戻ってから涙が出てきたという。

 「大人になって囲碁で泣いたのは、あの時が最初で最後です」

Pass

[1143] 汗か涙か
まるしお (/) - 2013年12月08日 (日) 20時33分

「あれは汗です」

―――木村一基

他人から涙のことを言われたときの応対
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 2005年の竜王戦七番勝負。
 前年に竜王位に就いた渡辺明の初防衛戦である。
 挑戦してきたのは木村一基だった。

 準決勝で森内俊之名人を破ったときも、また挑戦者決定三番勝負で三浦弘行八段を下したときも、木村はハンカチをしばらく目に当てていたという。
 この竜王戦のとき、木村は三十二歳、苦労の果ての初挑戦であった。

 木村一基。奨励会を十二年かかってようやく突破した苦労人。
 解説で見せる物腰の柔らかさと巧みなユーモア。
 それとは対照的に、火の出るような闘志を持って対局に臨み、勝って泣き、負けて泣く。

 でも、「あれは汗です」とは本人の弁。

Pass

[1154] 突然泣かれて…
まるしお (/) - 2013年12月09日 (月) 21時30分

「佐藤さんに泣かれ、おれはこの負けでタイトルを取られちゃったのかと錯覚に陥った」

―――渡辺 明

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(2011年、新人物往来社)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 2007年の竜王戦七番勝負。渡辺明に挑戦してきたのは佐藤康光。前年に引き続きの挑戦である。
 第一局は渡辺の勝ち。そして第二局も必勝の将棋だった。
 ところが終盤で読み抜けがあり、大逆転。
 負けを覚悟していた佐藤が白星を拾った。

 終局後の写真が当時の中継ブログに載っている。
 佐藤は涙を流し、ハンカチで口元を押さえている。
 目や鼻のあたりが真っ赤だ。

 この対局は棋譜を伊勢神宮に奉納するという趣向だったので、「重要対局を逆転で勝った嬉し涙であったろう」と山田史生は書いているが、渡辺竜王の方は何が起こったのか分からない。中継ブログの写真もポカンとした感じに写っている。

 後日語ったところによると、突然の佐藤の涙に、まだ第二局であるのに、タイトルを奪取されたような錯覚に陥っていたのだった。

 竜王戦中継ブログ(2007.11.1)

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[1168] 貰い泣き(1)
まるしお (/) - 2013年12月10日 (火) 19時16分

妻も一緒に泣いてくれたそうです。

―――塚田泰明

「われコンピュータ将棋と引き分けたり」(「新潮45」2013年6月号)より
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 2013年四月十三日、第二回電王戦で Puella α と対戦した塚田泰明九段。執念の入玉将棋で引き分けに持ち込んだのだが、終局直後、「投了も考えたか?」という記者の質問に、「自分からは……」と言った途端、突然涙が込み上げてきた。

 この様子がニコニコ生放送で視聴者に流される。
 塚田の妻は女流棋士・高群佐知子である。
 涙する夫の姿が映し出された瞬間、パソコンの前で自分も貰い泣きしてしまったらしい。

 結婚前、塚田と高群は親しい友人にすら交際を隠していた。
 ところが、二人で極秘の沖縄旅行をしていたとき、台風で帰りの飛行機が欠航。予定されていたテレビ棋戦の収録(高群は読み上げ担当)を二人揃ってキャンセルする羽目に。
 世に言う「南の島事件」で、これで二人の交際が発覚。後、結婚に至る。

 そんな二人なのだが、電王戦の対局後家に帰った塚田を、高群はどう迎えたのだろうか。

 「見てたわよ」
 「どうしてなのか、突然涙が出てきちゃってねえ」
 「うん、私も貰い泣きしちゃった」

 というような夫婦の会話があったに違いない。

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[1169]
世渡り下手爺 (/) - 2013年12月10日 (火) 19時52分

「超 名 人」

升田幸三の箱書き

この他、「名人の上」というものもある。

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[1170]
さっちん (/) - 2013年12月10日 (火) 22時08分

>「見てたわよ」
 「どうしてなのか、突然涙が出てきちゃってねえ」
 「うん、私も貰い泣きしちゃった」

 というような夫婦の会話があったに違いない。


いや まるしおさんは御自分達を参考にされるから↑のようになるんです。

我が家を想定すると

「見てたわよ。みっともない真似は止めてよね!負け将棋をだらだら指すことさえ恥ずかしいのに、大の男が泣くなんて!
機械相手に勝ってもしょうがないじゃないの。対局料上がるわけじゃなし。あなたは一応九段なのよ、ずいぶん前だけどタイトルを取ったこともあるのよ。それなのにみっともない将棋を指して!あ〜恥ずかしい、仲間の女流棋士に何を言われるか・・まして、泣くなんて・・くどくどと続く」

「ごめん」

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[1184] 現実は厳しい?
まるしお (/) - 2013年12月11日 (水) 19時07分

 むむむ、さっちん殿に一本取られたか。

 塚田家は(どなたかの家同様)恐妻家庭でありましたか!
 しかし上の会話が現実だとすると怖いね。

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[1185] 貰い泣き(2)
まるしお (/) - 2013年12月11日 (水) 19時09分

ファインダー越し、一カメラマンの目にはにじんでこう見えた

―――松本博文(中継記者)

松本博文ブログ(2007.11.5)
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 敵兵士が肉迫してくるのを直近真正面から捉えた写真。
 それは手振れでピントが合っていない。
 しかし戦場の真実をリアルに伝える歴史的一枚として今日に残った。

 戦争と将棋対局を比べるのは不謹慎であろう。
 しかし、次に示すこの写真、何か心を揺さぶられるものがあるのだ。

 石橋幸緒が女流王位を奪取した瞬間(2007.11.5)

 清水市代との久々のタイトルマッチ。
 二十六歳の石橋が七年半ぶりにタイトルを獲る。
 しかも、半年前には日本女子プロ将棋協会が大嵐の中を船出していた。
 撮影者はこの出航を支え、設立後も行動を共にしてきたらしい。

 「基本的に失敗した写真は載せたりはしないのですが、ファインダー越し、一カメラマンの目にはにじんでこう見えたという例です」

 新組織にもたらされた「女流王位」というタイトル。
 そこに寄せる人々の思いが、このピンボケ写真の中に凝縮されているのかもしれない。

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[1187] いい写真だ〜^
さっちん (/) - 2013年12月11日 (水) 19時32分

残念なことに この頃の出来事はリアルタイムで見ていないのよね〜^

で、この写真

>ファインダー越し、一カメラマンの目にはにじんでこう見えた・・

ピンボケでへたくそなカメラマンだなあ、では無く、その後の幾多の出来事を知ってしまうと、こちらの涙腺も刺激してしまう写真ですねえ。一粒の涙がこれほど切なく、美しいものなのか!これはmtさんのベストショットでしょう。

で、こんないい写真を何処から拾ってきたの?
見つけてきてくれてありがとうね、まるしおさん。



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[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2025年01月31日 (金) 08時52分

最大レス件数「100」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

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