〜 彼方へ 哀しみの詩 U 〜
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[288] :あやこさんへ :梢 2012年11月15日 (木) 02時13分
今日初めてこの掲示板を訪れました。
あやこさん、私も三年前の八月に母を亡くしました。
当時の私の気持ち、そのままのあなたの書き込みを読んで涙が止まりませんでした。
一年以上書かれていませんが、どうされていますか?
私は、三年経ち、最近ようやく、時薬が少しづつですが、効いてきたようです。(でも、一日一回は泣きます)
又、差し支えがなければ
吐き出して下さい。
私は、鬱病の母に酷い暴言を吐き、その二日後に、母は、縊死しました。
気違いになりそうな毎日でした。
でも、残された家族の支えもあり、今日まで、何とか過ごしています。
そして、亡くなった両親に今はとても感謝しています
あやこさんの、心が少しでも癒されています事を
お祈りしています。
突然に、すみませんでした
[287] :。。。。。 :そら 2012年11月11日 (日) 13時06分
6か月前に息子は硫化水素で逝ってしまいました。
父親である私は10数年間海外との行き来の仕事で
あまり息子と接して居なく、在宅時に再就職先への
提出書類で少し息子と揉めました。しかし翌日に
息子は自ら逝ってしまいました。
私は自分が息子に放った言動を思い返して後悔と
自責の念から息子へ謝罪を繰り返しています。
妻は医療関係従事者で何故息子に巣食ったうつ病を
見抜けなかったのかと自分を毎日責め続け、毎夜泣き続け
長男は息子の再就職の相談をメールで受け取り逝く当日に
長男らしく辛口の助言をメールで息子に送った事にショックと
自責に苦しめられています。
長女は逝く直前に息子の部屋を訪れ何か息子の異常を感じて
部屋から離れた事に 私が弟を止められたはずなのに止めなかったと自責から うつ状態に陥ってしまいました。
そうじゃない、息子は誰の責任でもなく息子は自らの責任で
自分で道を選んで逝ってしまった。だから息子は今、苦しみから
開放されて安穏とした日々を過ごして私達家族を見守ってくれてるよ。
だから私達家族は逝ってしまった息子の良い想い出を心に
息子と語り合い日々を過ごして行こうよ家族に語りかけて
生きて行くつもりです。息子に対して済まない
苦しくて苦しくて仕方ないのですが、その苦しみは私だけで十分です。
[286] :Sへ :きりん 2012年11月11日 (日) 10時44分
4年前の今頃、まさかこんなことになるとは思っていなかった
でも君は着々と準備を進めていたんだね・・・
22歳の君、どんな風になっていただろう
会いたいよ・・・
[285] :パスワード :sara 2012年11月10日 (土) 07時48分
キミのパソコンを使うことにしたよ。
パスワードを掛けてあったけど
母には分かってしまったんだ。
(あ、きっとこれだ)って。
キミが知らせてくれたのかな・・・
ブログやツイッターも
パスワードが浮かんできて、読んだよ。
さまざまな想いを、消去もせず逝ってしまった。
「死にたい」って言っているのに
何の応答もないまま、
次から次へ各自のことが書き込まれている。
できれば「ダメだよ、そんなこと」って
誰かに言って欲しかったなあ。
キミの選んだデスクトップの画像を眺めながら
キミが悩んだ時間を、同じ場所で過ごす。
切ないなあ・・・
[284] :ハンバーグ :りらっくまま 2012年11月07日 (水) 20時14分
今日はお休み。
毎日、仕事で朝は早くて、夜は遅くて。
たいしたもの作ってお供えできなくて
ごめんね。
今日はお休みだから、君が「美味しい」って
言ってくれたハンバーグ、作ったよ。
いつも、君の分は母さんの倍の大きさだよね。
美味しい?
減らないんだよね・・・
又、明日の母さんの昼ごはんになるんだよね。
淋しいなぁ
美味しそうに食べる君の顔、もう、見れないんだよね。。
[283] :。。。。。 :そら 2012年11月02日 (金) 05時56分
今日の仕事はうまくいったよ、嫌な事も起きなかった。
ありがとう、むすこよ。
今日は仕事が前に進まなかった、嫌な事も言われたよ、
私が未熟だね、ごめんな、むすこよ。
毎日手を合わせて会話してるけど、本当は
お前の口から意見を聞きたかったけど、もう出ないのだね。
でも生前そんな話は親子で 出なかったな
こんな結果になってしまった事はあやまります。
ごめんなさい
そしてお前との思い出は私の胸の中で
美しく飾ってそして謝り続けて
会話をつづけます。
でもんだ子の齢は数えないよ
んだ時のままのお前に話し掛けます。
私が生きてる限り
[282] :。。。。。 :そら 2012年11月01日 (木) 21時13分
息子の写真の前に梨と葡萄と柿を供えて
おいしいか?と聞いてみる
振り返れば庭にコスモスが揺れている
揺れるコスモスは秋の陽を浴びて
生きている
もう一回おいしいかい と聞いてみると
心で答えた おいしいよって
だよな おまえは私の心で生きている
でも辛いよな
お前も私も
[281] :秋 :マーガレット 2012年11月01日 (木) 03時15分
あなたは次の人生を歩んでいますか?
どこかで産声をあげていますか?
あなたが振り返ずにこのまま突き進む事を祈っています。
戻ってくる必要はありません。
僕はあなたの思い出と何もしてあげれなかった悔しさと生きていきます。
[279] :どうしてどうして :モナコ 2012年10月23日 (火) 09時19分
母がこの世に居なくなって2ヵ月半。
母がこれまで経理上、工面してきたことや
家族のためにいろいろと考えてくれたこと
震災で、2人の親友を亡くして
悲しみに打ちひしがれていたこと
この2ヵ月半、母が残した物を読んだり聞いたりして
母がどんなにか悩みあぐね
父との夫婦関係が破綻し
その末の苦渋の決断だったことを
思い知らされるのだけど。
だけどだけど
それでも生きてて欲しかった。
「ありがとう ごめんなさい」
という私宛の最後の手紙。
ごめんなさいじゃないよ。。。
こんなに辛い重荷を残して逝くなんて。。。
[278] :あれから・・・ :キリン 2012年10月22日 (月) 09時05分
「ちょっと出てくる」と言ったまま
帰ってきたときにはもう何も言わなかった
「高いところは嫌いだ」
中途半端に高い所は、落ちたら痛そうだからね
そう話していたのに
なんであんな所から飛びたかったの?
選んだ道は許したくないけど
その勇気は認めます
仕事が終わってガソリン満タンにして、家を出てから7時間
残っていたガソリンは三分の一
どれだけ走ったの?
後を辿りたくて残された車に乗っているけど
教えてはくれない 連れて行ってはくれない
最後の走り書きに
「葬式はしないでください」
書いてあった
でもその願いはきてあげなかった
後悔させたっかったから
葬儀屋さんがアタフタするほど
たくさんの友達がきてくれたね
何時間も車を走らせきてくれた先輩や
泣き崩れる女の子もいた
わかったでしょう
あなたは一人ではなかった
こんなにも大勢の人に支えられて
あなたも支えていたんだよ
小さい頃からの写真を張ったボードを飾った
式場から送り出す時も
お経でなくあなたの好きな歌で送った
あまり泣くこともできなかった
そんな私を人は
落ち着いていると見たかも知れない
そうではないの
ただ あなたが逝ってしまったことを
受け入れて、認めて、理解していな方だけ
あなたの携帯に残っていた
「生きていても意味がない」
私の大切な「生きていく意味」が残して逝った言葉
生きていく意味
そんなものは最初からあるものでは無い
生きていきながら探すもの
そんな話しなかったかな?
みんなは心配してくれた
私があなたを追いかけて逝くのではないかって
でも あなたが逝ってしまった理由が解らない
私が理由なら
追いかけるわけにはいかない
やっと自分の居場所を見つけたあなたを
苦しめる訳にはいかないから
でもなかなか辛い
私は平気って顔で生きて行くのは
永遠の19歳
あなたの不安は何だったのですか
それだけでも解ったら
素直に祈ることもできるのに
もうすぐ2年になろうとしているのに
いまだに手が合わせられない
[276] :。。。。。 :そら 2012年10月14日 (日) 16時39分
あおいそら
そよぐかぜ
白い雲から風が頬をよぎる
自然の中に生きてる
見えるもの 感じるもの この感覚
でも 皮膚で耳で目で お前を感じなくなった
意識の感覚で 過去の記憶で 写真で お前の持ち物で
意識が呼び返す 息子よ なぜ いない
ここに生を送り出した責任を 私に全うさせずに 失せた
あの 白い雲が 見えるか?
あの 青い空が 見えるか?
この 風を 感じるか?
私と共に この父と 共に 感じてくれ
お前が選んだ道 でも この私と共に感じてくれ
お前が好きだった ひまわり お母さんは 一杯庭に植えて
毎日 庭を ながめて 過ごしてる 目に涙を ためたまま
お前も あの ひまわり みてるだろ
あの ひまわりも いずれ枯れる
又 お母さんは さびそうに うなだれて しまう
さびしいよな
おまえもか
そうだよな
ごめんな むすこよ
[275] :シャボン玉飛んだ :sara 2012年10月07日 (日) 09時00分
シャボン玉を拭く。
たくさん、たくさん連続で拭く。
キミへの母からのメッセージ。
「愛しているよ」
もっとたくさん言葉にして言えばよかった。
♪
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
歌詞を改めて調べたら
野口雨情さんがお子さんを亡くした時に
作った歌詞とある。
全然知らなかったよ。
本当は、哀しい歌だったんだね。
♪
風、風ふくな
シャボン玉飛ばそ
お母さんの「愛しているよ」は
キミのところに届いたかな。
[274] :。。。。。 :そら 2012年10月06日 (土) 12時38分
私と息子の関係はあの日を境に停止してしまった
そして 二度と逢えない
そうだろうか
私の心の中で永遠に生き延びて
対話を続けています
私が決して忘れない という事は
息子は私と共に存在してることになります
息子の苦しみを息子共々背負って生きていけば
私は息子と存在出来る
私があの世へ行ったとき息子と逢える保証なんてありません
今私は生きて息子と心で向き合って行かないと
もう 息子とは向き合える日は来ないかもしれません
こんなに苦しくてこんなに寂しいのが
息子と向き合ってる証拠だと
父親が心で思いっ切り息子を抱き締めてる 気持ちです
[273] :。 :つりー 2012年10月04日 (木) 23時39分
久しぶりに掲示板にやってきました。
時が経てば...なんてまだ言えない。自分ではそんなに意識しているつもりはないのに、うつがひどくなって来ちゃったのか毎日のように脳貧血を起こす。
泣くのが夜だけじゃなくなった。
ある意味正常反応なのかな。辛いよ。
貴方は今は安らかなのかな?私はまだこの病気と一緒に生きてみるね。いつまでいけるか分からないけど。。
休ませて癒してほしいのはこっちなのに、友人の相談にのって必死に考えている自分がときどき嫌になる。相談相手は私以外にもいるでしょうに...見捨てられたら楽なのに。人に相談できるっていいよね。黒い感情も涌くなあ。
いつか自分の中で整理ができて、一緒に生きられるようになりますように。
患者さんの言葉も心のゆとりを持って聞けるようになりたいなぁ。
精神科医には辛くてなれそうもないけど。
[272] :大丈夫なフリ :モナコ 2012年10月02日 (火) 12時36分
母さんがいなくなってもうすぐ2ヶ月
あの日の前夜
ふと「どうしてるかな?」って思って
電話をしようとしたけど
「っま、いっか」って寝てしまった私。
結婚してから、遠くに離れて暮らしているので
母さんとの連絡は電話がメインだったのに。
会いに行かれないから電話をこまめにする。
それだけのことなのに
ここ半年間は、電話をしても
繋がらないことが多かったし
ここ半年間は、やたらと宅急便が届いて
思い出の品や写真や手紙が同梱されていて
着々と準備をしていた母さん。
あの晩、叔母に「ありがとう」って
携帯にメールを送っていたのに
叔母が気づかなかったこと。
あの晩、兄は、母のすぐ近くに居たのに
寝ていて、母の行動に気づかなかったこと。
母の訃報を受けて、半日経って
私が実家に帰ったとき
開口一番、父が私に
「ゴメン、全部、お父さんの責任なんだ」
って、謝ってくれたことが
今となっては、腑に落ちてくる。
叔母さんにも兄にも
「仕方ないよ、自分を責めないで」
って、声をかけてるけど
ほんとは
「なんで、メールに気づかなかったんだよ!」
「なんで、お母さんの言動の変化に気づかなかったんだよ!」
「なんで、毎日、近くにいたのに、踏みとどまらせなかったんだよ!」
って、言ってやりたい。
それに、母さんは
私と電話でやりとりしていても
決して、私には心配をかけまいとして
弱音を吐かないし
私も電話口の母には心配をかけまいとして
弱音を吐かなかった。
2人とも大丈夫なフリを貫いてきたんだ。
ほんとは、大丈夫なんかじゃなかったのに。
[271] :夢 :名無しのマリー 2012年10月01日 (月) 19時38分
泣きながら目が覚めた。
「お願いだから、後ろからギュッとして」と頼んでる夢だった。
あの日からいつもいつも、温もりを探してる。
最近ちょっと楽しい事があったから、均衡を保つように
哀しい夢を見たのかな。
ごめん、私ばかり楽しんで。
もう笑う事出来ないと思ってたのにね。
でもホントは 一緒に笑いたかった。
一緒に感動したかった。
一緒に生きていたかった。
逢いたくて逢いたくてたまらない。
[270] :会いたい :恋空 2012年09月30日 (日) 00時59分
会いたいけれど、私には守らなきゃいけない子供たちがいる。
でも、それも限界…。
ずーっとそばにいるって約束したのは、うそだったの?
私は強くなんかない。すぐにでもあなたのそばに行きたい。
私の命を救ってくれた子供たちが、今では重荷におもえてしょうがない。
こんな母親、最低…。生きることも死ぬこともできない私はどこへいけばいいの?
[269] :。。。。。 :そら 2012年09月22日 (土) 02時07分
死を身近に感じて
死と対話するのは
良いこと
でも
死に魅力を感じない
唯一息子が私に教えてくれたのは
残された哀しみ孤独
[268] :ムカツク :こはく 2012年09月21日 (金) 13時07分
あれから一年。
どんなふうに季節が変わっていったのか
わからない
毎日寝て起きて
ご飯を食べて
普通の生活ができていたのか
わからない
今日が何月何日何曜日なのかもわからない
でも一番わからないのはあんたが今いないこと
なんで?
何があったん?
なんで私を一人にしたん?
今はただただあんたにムカツク
[267] :何か耐えがたい事があったんだね :きい 2012年09月19日 (水) 14時33分
8月末に20歳になったばかりの長女が入院中の病院で
自ら逝ってしまいました。安全なはずの病院で何故??
遺書はなく突発的に何かあったんだと思います。
昼間に書いたであろう日記には「夜の8時にミュージックステーションを見るのが楽しみだ♪」との内容が。
それなのに何故8時10分に自ら命を絶って発見されることになったのでしょう。
主治医(80歳台)と合わず病院とかけあっても担当医も変えずケースワーカーと転院の話を進めている中、担当医やナースの嫌がらせに耐えながら
日記には転院を楽しみにする記載がある中、私には知ることの出来ない(病院の隠ぺい)想像を絶する何かが長女の身に起きたとしか思えません。辛かったであろう長女。悔しく悲しいです。
亡くなる3時間前に転院先が決まったばかりの出来事です。