語たり深める掲示板 「自死と過労」
この掲示板は「 自死遺族の方 専用の掲示板 」です。
[13] 「光と幸さんへ」
秋生
★ MAIL
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−−2014年07月27日 (日) 00時25分
−−女性
/ 40歳台
/ 子
/ 5年以内
/ 近畿
企業が隠しても、裁判所に“証拠保全”の申し立てできます。
保管しないといけない期間があります。
是非とも、色んな方法を考える事が出来ますので、
体当たりせず、知恵を絞ることも出来るので、
慎重に。
連絡お待ちしています。
[12] 「光と幸さん」
秋生
★ MAIL
★
−−2014年07月27日 (日) 00時21分
−−女性
/ 40歳台
/ 子
/ 5年以内
/ 近畿
大変でしたね・・・
出来れば、ご連絡先教えていただけませんか?
幼き子のためにも、生きていかねばなりません。
過労死家族の会に繋ぎますので、ご遠慮なく。
皆さん、色んな思いを抱えながら闘かわれています。
一人ではありません。
労働時間が超過していなくても、パワハラなども
審査の基準になっています。
それもこれも、今まで遺族が闘ってきた証であります。
大して儲からないけども、心ある弁護士さんも知っています。
心細いと思われます。
勇気を持ってご連絡くださいね。
[11] 「もうすぐ35歳の夫が亡くなりました。」
光と幸
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−−2014年07月26日 (土) 20時34分
−−女性
/ 30歳台
/ 夫
/ 1ヶ月以内
/ 関東
私は34歳、4歳の息子と2歳の娘がいます。
今月初め、朝普通に出勤したと思っていたらそのまま行方不明になり、翌日地元の森林で発見されました。
労災の立証はできません。夫は昨年末辺りから主任という管理職に就きましたが、管理職になるとタイムカードが無くなり、労働組合からも抜けました。不正労働の始まりでした。
5月の最後の週、始業時間が8時40分なのに帰りが明け方3時と言う事が続きました。私は「不正労働だから訴える」と言いました。夫は「タイムカードがないから無理。でもパソコンOFFした時間と駐車場のゲート通る時に使うカード調べれば分かる」と言いました。結局私は何もしませんでしたが、訴えればよかったと後悔しています。
でも、一番悪いのは何も気付かなくて呑気に過ごしていた私です。首吊り用のロープを買った日(警察がホームセンターの防犯カメラで確認)今年初めて早く帰ってきました。その日は会社の創立記念日だったから皆早く退社できたそうです。私は嬉しくて浮かれてしまいました。帰宅後家族4人で息子のスイミングの申し込みをしに行き、外食をしました。子供が寝た後夫婦でお菓子とアイスを食べました。それが最後の家族の思い出です。
労災認定は難しいです。でも労災認定目的で動いているわけではなく、世の中にこの会社のブラック企業情報を拡散したいのです。恥ずかしくありません。皆に知ってもらいたいです。知ってもらう事が一番です。
私は来週から会社の人と話し合い、労働基準監督署に行きます。
[10] 「過労死防止基本法」
秋生
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−−2014年05月23日 (金) 21時34分
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今日の衆議院厚生労働委員会で過労死等防止対策推進法の採決に先立って、「全国過労死を考える家族の会」の代表世話人の寺西さんが行った意見陳述です。
なお、委員会採決の前に、関係者が意見陳述することは異例のことです。
意見陳述
全国過労死を考える家族の会 代表世話人の寺西笑子でございます。
このたびは、衆議院厚生労働委員会採決にあたり意見陳述の機会を与えてくださったことに、後藤茂樹委員長をはじめ、厚生労働委員会のみなさまに厚く御礼申し上げます。
私たちは、愛する家族をある日突然に長時間過重労働やパワーハラスメントで命を奪われました。
夫や妻、娘や息子など、かけがえのない大切な家族を失った遺族が悲しみを乗り越え、励まし合って支え合う「家族の会」をつくろうと声を上げたことから、1989年11月に「過労死を考える家族の会」が誕生しました。
以来、毎年11月に国へ「過労死防止対策」を求めて要請行動を行い、「過労死のない社会」を願って活動しています。
私事ですが、夫は1996年2月に過労自死しました。
飲食店の店長だった夫は、平成不況のあおりを受け、会社が生き残るために、サポートがない中、達成困難なノルマを課せられ、年間総労働時間4,000時間にも及ぶ長時間過重労働を強いられました。
真面目で責任感が強い夫は、身を粉にして必死の努力を重ねたことで、業績は回復したものの、会社が命令した右肩上がりのノルマには達しなかったため、連日パワーハラスメントを受けたあげく、人格否定され、意に沿わない異動を言い渡されたことで身も心も疲労困憊し、うつ病を発症して投身自殺を図りました。
過労自死に追い込んだ社長は、土下座して泣いて謝りましたが、数日経てば手のひらを返した態度になり、職場に緘口令が敷かれました。
「会社はひどいところ」と言っていた同僚や部下までもが、本当のことを言ってくれなくなって、実態解明は困難を究めました。
無我夢中の裁判の中で過酷な労働実態は明らかになり、名誉回復することはできましたが、夫は二度と生きて帰ってくることはなく、命を救えなかった悔しさが胸に刻み込まれ、どうすれば死なずにすんだのか、考えていくことが、私のテーマになり、「家族の会」で活動しています。
過労死は今もなお増え続けており、相談者は絶えることはありません。
近年、入社数ヶ月でうつ病になり息子さんが自死された親御さんや幼い子どもを抱えた妻が悲壮な状態で相談に来られています。
懸命に育てた息子や娘を亡くした親は、親自身の人生までもが奪われ、乳飲み子を抱えた妻は、明日からの生きていく術さえ奪われます。
ましてや、これからという人生を奪われた本人の無念さは如何ばかりでしょうか。
労災申請するには、こうした高い壁が立ちはだかり、申請しても遺族が立証するには限界があるため、泣き寝入りする遺族がほとんどで、認定される遺族は氷山の一角です。
職場は違っていても、その背景には真面目で責任感が強い優秀な人が長時間過重労働で心身の健康を損ない、過労に陥り命を奪われている実態があります。
これからの日本社会を背負っていく若者が過酷な労働環境に追いやられ、優秀な人材を亡くすことは、日本の未来をなくすことであります。
私たちは繰り返される過労死をなくしたいとの切実な思いから、過労死をなくすための対策を国にお願いしたいと切望するようになりました。
このたびは、この国の過労死をなくす法案を衆議院厚生労働委員会全会一致で本会議に送っていただけることになりましたことを、大変嬉しく思っています。
この日本に初めて過労死という文言の入った法律ができ、国をあげて、過労死を防ぐ対策を進めてくださることに感謝申しあげます。
また、私たちの願いを受け止めてくださった、馳浩議員連盟世話人代表はじめ、泉健太事務局長および超党派議員連盟の先生方に、お世話になりましたことを心より感謝申しあげます。
四半世紀続いた過労死をなくし、明日にでも過労死するかもしれない命を一人でも多く救うために、過労死防止月間を今年11月から実施できますように、来年度よりは、さらに本格的な施行ができますように、この法案を今国会で必ず成立させていただきたいと思います。
「過労死防止法」法案成立後も、私たちも努力してまいる所存です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
仕事絡みで亡くなられた方もたくさんいらっしゃいます。
行政に訴える事は大変かと思いますが、過重労働、パワハラ、
これ以上被害者が増えないため地道に遺族が頑張っています。
ほとんどが泣き寝入りですが、でもなくしていかねば
ならない。
[9] 「あやははさんへ」
秋生
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−−2013年01月10日 (木) 20時20分
−−女性
/ 40歳台
/ 子
/ 5年以内
/ 近畿
気がつくのが遅くなってごめんなさいね。
メール送りましたので、お返事待っています。
[8] 「毎日後悔と涙があふれます」
あやはは
★ MAIL
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−−2013年01月05日 (土) 22時05分
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娘は23才で自ら命を絶ちました。夢だった看護師になって7か月でした。多い時には月90時間の残業ながら手当は4月から一円もついていませんでした。自己申告の為、師長や主任からは時間外申請は新人は出さないのが当たり前な圧力をかけられていて出せなかったのだそうです。遺書や卒業した大学へのアンケートなどにも書かれていましたが、自殺した原因は100%仕事です。自殺する前日は夜勤でした。夜勤は無事すんだのですが、同じ夜勤した先輩と振り返りをした時より泣き始め、泣いている姿を見て看護主任も面談したそうなのですが、結局自宅アパートで一人命を絶ってしまいました。病院からの説明は一切なく、通夜と葬式に受付の手伝いをしたものの、健康保険証を返せ、最後の給料を現金で渡すから印鑑を持って病院に来い との電話で遺族の気持ちを逆なでする結果となりました。一人で1時間をかけ運転していく自信がなかった為、後日病院側から自宅に来てほしい旨電話で伝えたところ総務課と看護部長・病棟師長含め4人が時間よりも30分も早く来ました。説明は保身と病院側は悪くないの一点張りでした。何事も一生懸命貫く事や人の事を悪く言わない事などを言い聞かせていた自分の教育を恨みます。毎日毎日後悔の日々です。全ては私の責任です。娘が小学校5年生の時に離婚し母子家庭で育ててしまった為、全ての責任は私にあります。友達も多く、亡くなって1か月以上たっても 未だにお線香をあげに来てくださる方が毎日来られます。娘はたくさんの方から慕われていた事を改めて感じます。なのに仕事では悩み、どうしようもない精神論で責められ、パワハラと過酷な勤務状況に疲れてしまい「もう考えなくても良いと思ったら楽になりました」と遺書の最後に書かれていました。どんなに辛かったのか、どうしてその事を分かってあげなかったのか、亡くなる一週間前には自宅に一泊で帰ってきていました。それなのに察してあげられなかった自分の不甲斐なさに本当に悔しくて、どうしても前向きには生きられません。娘が一番無念なはずです。夢にみた職業につき、立派な病院に就職が決まったと春には喜んでいたのですから・・・どうしたら娘の無念さを埋められるのか 今娘はどんな気持ちで私を見ているのか どうかどうかどなたか教えて下さい。
[6] 「 mamykei さん」
秋生
★ MAIL
★
−−2012年08月13日 (月) 00時04分
−−
/ 40歳台
/ 子
/ 3年以内
/ 近畿
mamykei さん、メールを送らせてもらいましたが
エラーで返ってきました。
もし良ければメールくださいね。
[5] 「秋生」
★ MAIL
★
−−2012年08月11日 (土) 22時32分
−−
/ 40歳台
/ 子
/ 3年以内
/ 近畿
もし良ければ・・・
二度とこんな不幸を生み出さないために過酷だけども
闘いませんか。
力になってくれる仲間がいます。
良ければメールください。
[4] 「悔しくて仕方ありません。」
mamykei
★ MAIL
★
−−2012年08月05日 (日) 14時20分
−−女性
/ 40歳台
/ 子
/ 2ヶ月以内
/ 中部
はじめまして。私は6月に大切な娘を亡くしました。
娘は21歳でした。
3年4ヶ月前に高校を卒業して、今の会社に入社しました。
入社当初は、新人ですので帰宅も早かったのですが、5月の連休を過ぎてから、毎日、定時に帰ることはできず、会社のシステムが変わるまでは(入社後1年くらいあとだったと思います)月に一度は深夜まで・・・。
それでも、頑張って仕事をしてきていたようですが、その裏側には「いじめ」がありました。入社後。4ヶ月目に同期入社の方がやめられてから、ずっと・・・。
それでも、娘は今の世の中の現状を考えて我慢して働いておりました。しかし、昨年の10月頃、とうとう高熱を出し動けなくなってしまったので、会社に私から連絡を入れ、今までの経緯も含めて話をしました。その翌日も会社に行ける状態ではなかったので、連絡をしましたら「絶対にお嬢さんを守ります。安心しておまかせ下さい」との上司の方のお返事を信じて、月曜日から会社に戻りました。しかし、それから、ますます針のむしろになってしまったようでした。私が「辞めてもいいよ」と言っても、「今、私がやめたら会社に迷惑がかかる」と頑張っていましたが、派遣社員の方がやめることが決まって、1ヶ月も時間がないのにも関わらず、自分の仕事のことをマニュアル化しろとか、辞める人からの引き継ぎをしろだとか、挙句に果てには移動の指示があった直後、それをこっそりと聞き耳たてていた人から通りすがりに「ざまーみろ」と言われて、娘は泣きながら帰ってきました。仕事も「おまかせ下さい」といった方からは離れてしまっていたようですし、娘を守るどころかますます、仕事は大変になり、「いじめ」は相変わらずなくならず、仕事が残ると迷惑がかかるからと残業していれば「夜勤の人にからまないでよ」と訳のわからないことを言われ・・・亡くなった日の前日も、休みにも関わらず夜の22時半近くに、電話がはいりその電話の直後から何も話さなくなり、ただただ、か細い声を出して泣いていました。その翌日の朝、誰にも何も言わず、何も残さず一人で逝ってしまったのです。
お給料の明細にも固定残業代しかつかず、毎日最低1時間半は残業していました。始業時間も移動直後から30分早く出勤になったにも関わらずです。これだけ一生懸命に働いてきたにも関わらず、いまだに会社の社長はお線香をあげにもきません。高齢で腰を抜かしたそうです。私は娘が無駄死させられたとしか思えません。
しかし、どこに相談していいのか解らず、気持ちも落ち着かなく、苦悩していたところに、友人からこちらのサイトのお話を聞き、悩みましたが、書かせていただきました。
私は今回の娘の件は過労死にあたるとは思っていますし、会社での「いじめ」は犯罪だと思っております。
あの子の悲しみ、辛さに気づけなかった不甲斐親ですが、あの子を死に追いつめた、会社や人間を許せないのです。
このような企業がたくさんあるのは、今の日本が衰退していく原因になっているのではないでしょうか?
人を思いやる心のないものに良い仕事ができるわけありません。
私自身、娘の心の内を解ってあげられなかった、不甲斐ない親ですが、娘の無念さをこれからも訴えていくつもりです。
長々と書かせていただき、ありがとうございました。
[3] 「ありがとうございます。」
秋生
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−−2011年11月22日 (火) 17時06分
−−女性
/ 40歳台
/ 子
/ 3年以内
/ 近畿
管理人様ありがとうございます。
kazuさん、こんにちは。
うちも一人暮らしさせていた息子が突然行方知れずに
なり、あれよあれよと言ううちに自死してしまいました。
心当たりが見当たらず、息子の考えていたことを
捜しに捜し、仕事が原因であることを突き止めました。
色んな縁があり、現在は仕事がらみで20代30代の方々の
過労自死が増えていると知りました。
就職難で次の仕事を探すなら、心が病んでもしがみつき
挙句の果てには、自分でもコントロール出来なくなり
終には、出来ない自分が悪いと責め命を落としていく
現実を知りました。
現実を知るたびに息子の心を想うと心が引き裂かれる
思いですが、私に出来るのは一人でも異常な職場から
離れ、心身ともに健康でいて欲しいと願っています。
一人が亡くなれば、家族は無茶苦茶になります。
幼い子を抱えた奥さんは、途方にくれます。
親を亡くした子は、母を支え大変苦労します。
子を亡くした親は、弱く生んでしまったのか
責めてしまいます。
不景気だからサービス残業当たり前。
お前の代わりはいつでも雇えるんだとパワハラ。
人を使い捨てて当たり前な企業は人であるのか?と、
思わせるような発言にビックリです。
書き込ませていただき、ありがとうございました。