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プロローグ
今となっては、もう随分と昔の事になる。 質素な暮らしながら、妻と二人で手塩にかけて育てた一人息子はその日、家を出て働くと、私たち夫婦に暫くの別れを告げていた。 幾筋もの光が空から燦々と降り注ぐ夏の日の事だった。障子には青葉の影が映り、天の光が息子に注目を集めるかのように部屋へ射してきて、彼の顔が普段よりも眩しく見えたのを覚えている。 正座をして私の向かいに座る息子は、頬を緊張させながらも、言った。 「都で刀鍛冶のところに弟子入りさせて貰う事になったんだ。俺には才能があるって」 刀鍛冶士になるのが、息子の夢だった。いつからその夢を、どうして持ったのか、親のくせに私は知らない。ただ、その熱意が尋常でない事くらいは知っていた。 「先月行ったところで、頼んでみたんだ。そしたら、弟子入りさせてくれるって」 そう言い終えて、息子はこちらをすっと見据えた。小さい頃頃弱虫と言われた面影も、今はもうどこにもない。もう十六才だ。 最近肩が上がらないと思っていたが、そりゃあ、私も歳をとるわけだ。歳を取るのは早い、とよく老爺が言うのを耳にしていたが、この日は、初めてそれを実感した日でもあった。 静寂が辺りを支配している。突然考え込んだ私を見て、息子が唾を飲み込んだのが分かった。だが、こちらの答えはもう決まっている。 「行ってこい」その言葉を理解したのか、彼の顔から緊張が解けたのが分かった。「お前なら、何でもできる」 「ありがとう、父さん!」
次の日、息子は家を出て行った。この十六年間を思い出して感傷に浸らずにはいられないが、それでも、息子が立派になってゆくのを見ると、誇らしくもなってくる。 「それじゃ、行ってくるよ」 「気ぃつけろよ」どん、と気恥ずかしさから、息子の背中を力一杯叩いた。 今度は奥から妻が出てきて、息子にあれこれと教えているが、息子は「わかってるよ、母さん」の繰り返しだ。もう随分と立派になったから、無駄なお節介にしかならないか。 「手紙、出しなさいよー」最後に、妻も言った。 家の前のまっすぐな道に、息子が立つ。 不思議と、その道は彼のこれからの進路を表すかのようで、その道まで、私は出ることができなかった。 「元気でな」 「うん、行ってきます!」 それだけ言うと、息子は振り返らず、晴天の元、駆け足で都へと向かう。 忘れもしない。それが私の見た、息子の最後の姿なのだから。
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