三戸ゼミ掲示板〜先生から
[41] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第26回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月26日 (土) 01時49分
「相撲は国技か?」というテーマで二題
(1)「国技館」という名前から「相撲は国技」という観念が生まれ、定着した。
という報道を聞いて、コメンテーターたちは、
「知らなかった、えー」と口々に言い、
「建物が先で、"角力館"となっていたら、
相撲=国技とはならなかった」という。
→「国技館」と名付けた理由は江見水蔭の「相撲は国技なり」という文章から。
ならば、「別ルート」で同結果になる可能性がある。
しかし、そうなったときのプロセス・背景によっては、
意識性が高くなり、「精神のあり方」が違ってきたかもしれない。
(2)「相撲は国技か?」A
「国技」の英語表記は?
考えたことないと思う。
TVでも言っているのを聞いたことがない。
調べてみると、"national sports"らしい。
「ああ、そうか」
と、思ったかね?
「なら、相撲は国技じゃないなあ…」
学校相撲は別として、
国技館で行われている「大相撲」は「スポーツ」ではない(とされている)からだ!!
例えば、
・体重別制をとらない(unfair)
・最高位横綱になるためには横審による審査で
「心技体」が備わっていることを認められねばならない。
・横綱は負ける(越す)とchampionの座から降格するのではなく、
引退せねばならない。
・審判(行司)のあり方の特異性。等々。
でも、「相撲は、日本古来の"肉体競技"だ。」
となると、
「肉体競技とスポーツは違う。必ずしも、一致しないことがある。」
「何・どこが違うのか!?
それこそが、"相撲は国技"の所以がある。」
(国技を"national sports"と訳すのは正しいのか?
という問はある。
イギリスにもラグビー、クリケットなどの「国技」はあっても、
"national sports"という言葉はあるのか?
もし、ないのなら、上の論理はなりたたないなぁ…)
[40] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第25回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月23日 (水) 10時30分
「レンガの建物」他 2011.2.23
ニュージーランド、クライストチャーチの地震の惨状が画面に流れている。
美しいレンガの建物が幾つ幾つも倒壊している。
@「三匹のこぶた」の話を知っていると思う。
「長豚は藁の家、次豚は木の家、三豚は煉瓦の家」を作り、
煉瓦の家以外はオオカミの一息で吹き飛ばされてしまった、というのだが。
日本の家は、木と紙でできている、とばかにしてきた(白人も日本人も)。
そして石(コンクリート)造りの家に、
合わぬ気候の中で、エアコンを使いながら住んでいる。
だが、煉瓦の家は実にもろかった!!
木を切り倒しすぎて、木造を建てられなくなった。
人(狼)が人(豚)を攻撃するなら、煉瓦は丈夫だろう。
自然を「自分のもの」という思い上がりが、
地震被害も環境破壊も産んでいると(も)言えよう。
A瓦礫の下敷きになっている人がいる数時間後に、
「なぜ起こったのか?」などと議論している。
国内で起こって、画が沢山とれて流せるなら、
こんな話は、翌日以降になるんじゃないか?
欧米のTVならどうだろうか?
B「耐震基準はどうなっいるのか」を問題としているが、
「地震国なので厳しい。古い建物は基準外。」と専門家は答える。
「新しそうなビルで、日本人留学生は下敷きになってるぜ!!??」
映像を見ながら、視ていない。
「視る」とは、問を立てながら、持ちながら「みる」ことだ。
CTV朝日の番組作りは、ダントツにひどい。
ニュースなのにBGMを流す!?
悲惨な映像のとき、陰鬱なメロディを流す。
事実を事実として伝える、という姿勢に欠けている。
(テレ朝以外では記憶がないが、事実はわからない。
だが、「"朝日新聞"のTV局だもんなぁ…」と言いたい気持ちが抑えられない。)
「発掘、あるある大事典」事件を「下請けのしっぽ切り」で逃げ、
反省をしなかったのを驚いていては、「初心」と馬鹿にされるだろうが…。
ネットとの「差別化」の第一は「情報の信頼性」でいかねばならないのに…。
(付)○ほぼ毎日、テロップのまちがい、テロップと音声のずれがある。
(今日は、「世界中でカジノがあるのは120以上」を「12以上」とテロップに流し、謝っていた。)
[39] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第24回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月21日 (月) 09時57分
「2011.2.21のTVから」
「大相撲八百長"疑惑"」
○名前が挙がった14人のうち携帯電話を提出したのは7人という。
壊れただのなんなのと言っているそうだが、
(当たり前だ!なんで俺だけ?みんなやっているのに…。)
大相撲教会から、各親方に協力するように指導させているのか?
協会は「本気」ではない。
委員会に「丸投げ」の感じ。
(問題を)「改革(解決)」しなければとは思っていないんじゃないか。
(世間に)「対応」しなければ、と思っているだけだろう。
「騒ぐ」だけで、問題に迫らない(確認も指摘もしない)
TVも「本気」でないだろう。
「八百長」ってこれほど騒ぐほど「悪い」ことか!?
「小沢問題」とおなじだなあ…。
「倫理」を足蹴にしているマスコミが、
「倫理」を忘れている視聴者(国民)に、
「倫理」問題を騒いでいる。
そして、(当たり前なんだが)「法制度(コンプライアンス)」だけで終わる。
○「海老蔵事件の裁判」
以前からだが、暴走族リーダー(側)の情報を、checkなしで「垂れ流す」。
海老蔵の父団十郎も怒っていたが、
そのシーンをチラと映すだけで、
その「怒り」を無視する。
報道は中立・公平で「(自分が信じる)真実」を伝えるものではないのか?
○「なんで こーなるの?」
報道する対象は見ていない。
同業他社を見ているだけ。
視聴者(国民)は見ていない。
視聴率を見ているだけ。
自分の会社が「何をする会社か?」
自分は「何をしているのか?}
を「問わなくても」いいのだろうか?
あなたの会社も「そーなんじゃないの?」
[38] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第23回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月20日 (日) 11時48分
「調査捕鯨中止のニュース」〜2011.2.20のTVからB〜
日本は"テロ"に弱いなぁ…。
尖閣事件の時も、簡単に中国の恫喝に屈した。
今度も、シーシェパードの暴力に屈した。
「和」を大事にしているからか…?
「和」は"統合"であり"抑圧"ではないはずだ。
「話し合い」が成り立つためには、
相手に聞いてもらえなければならない。
聞いてもらうためには、「信頼」「威厳」が欠如していては…。
「"テロ・暴力"に弱い」と思われたら…。
毅然として、シーシェパードを非難せねばならない。
シーシェパードを扶助している豪州政府に講義せねばならない。
"戦争放棄(暴力反対)"を掲げる限り、
その主張・生き方に「誇り」を持たねばならない。
〃 を「正しい」と思うなら、
それに反するやり方に、堂々と反対・非難しなければならない。
その「誇り高い」「力強い」姿勢なくして、
他者は話を聞いてくれない。
「力」によって生きていくのではないなら、
「何によるのか?」
「品格」「見識」「徳」…。
平和憲法という「困難な道」を選択したのなら、
「法」と共に、「倫理(生き方)」をも模索すべきであったのに、
その努力を怠ったツケが回ってきている。
また「三國志講座」を再開したい。
[37] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第22回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月20日 (日) 11時47分
「爺じゃないのに…」〜2011.2.20のTVからA〜
毎週、関口宏「サンデーモーニング」を見ている。
本日から、新しいコメンテーター土井香苗
(国際NGO・ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表兼弁護士)が出ている。
まだ若い。30代半ばだろうか?
初出場だから緊張しているのだろうが"いただけない"。
・とにかく、話が実に長い!
一旦話始めると、話す話す"ペラペラ"と…。
しかも早口だから聞いていられない。
・話がくどい!
一から説明を始める。
これは、"爺の話"の特徴だ。
テレ朝の鳥越がそうだ。
みんなが結論を言った段階でも、
最初のほうで説明されたことを、じぶんで一から確認・説明する。
(その光景を見るたびに「ああは、ならないぞ!」心に誓っている。
人に教える、理屈で考えるものの"末路"だからなぁ…。)
彼女は"若い女"なのに…。
・若く、初出場。
緊張してもしかたがない。
肩に力が入っても無理はない。
だが、彼女はずっと(結構長い間)こうだろうなぁ…。
すでにTVのレギュラー・コメンテーターの経験もあるのだから、
"上がっていた"わけではないだろう。
ネットで調べてみた。
"史上最年少(大学3年)で司法試験に合格"
"ピースボート参加"
"検事職「女性枠」撤廃運動"
"難民の人権保護活動"
"反戦運動「イラク国際戦犯民衆法廷」の検事役"
などなど…。
出世意欲、権力志向ではない、
真摯に生きている、
(その意味で)尊敬できる人物ではないか。
先輩たちが喋っている時の表情など、
"katsuma"ではない。
だが、惜しいなぁ…。
先輩コメンテーターの喋り方から学べばいいのに…。
「ゆったりと、長くなく」話すこと。
「話したいこと」だけに立たず、
「聞かせねばならぬこと」「聞いてもらえること」に配慮する。
つまり「話し方」が大切なのだ。
[36] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第21回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月20日 (日) 11時46分
「民主党"小沢チルドレン"16人会派離脱」〜2011.2.20のTVから@〜
民主党に会派離脱届を提出した渡辺浩一郎衆院議員らは17日、国会内で記者会見した。
執行部への抗議文と会見の要旨は次の通り。
<抗議文>
「今の菅政権は国民との約束を果たす本来の民主党政権ではない」
と多くの議員が感じている。
菅直人首相は増税への意欲をあらわにしてマニフェストを捨て、
政治主導の御旗(みはた)も捨てた。
無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない。
国民との約束の実現に取り組む我々こそが真の民主党だ。
従って民主党会派とは分かれ、新会派を設立する。
(毎日jpより)
国民のため、民主党のため、という。
誰もが「小沢のためじゃないか」と思っている。
小沢への"義理と人情"もあるだろうが、
小沢の力で議員になり、彼の力がないと次がない連中だ。
"自分のため(利)"に立ちながら、"みんなのため"と言う。
(予算に反対なら、なぜ党内で議論・反対しなかったのか!?)
なんと「薄汚い」!!
なんでこんな連中が出てきたのか?
"バブル経済"崩壊後からの"(長すぎる)失われた20年"
⇒ 社会の閉塞感
⇒ 改革(=それまでの否定)
⇒「協調(話合い)より競争(対決)」という"イデオロギー"
⇒「二大政党制による政権交代」が"理想の政治体制"の"絶対化"
⇒ 政権交代・選挙に勝つためには"数"がこそ命
⇒ 議員一人一人はどうでもいい
「民主主義は数の論理だ」
(だから、"官僚制"化する。)
いくら話し合おうと、最後は多数決だ。
「数」を"絶対化"すると(小沢、そして現代日本)、
「質」は問われず、劣化する。
「数の論理」とは"1"は"1"でしかなく、
どんな人でも「一票」でしかなくなる。
民主主義が「衆愚政治」に堕すのはこのためだ。
「表に出せ(談合=話合いはするな)」
じゃないと、報道できない=番組(商品)ができない。
話合いじゃ「ドラマチックじゃない」「つまらない」。
「戦っているのを見せろ」「勝ち負けが見たい」という、国民。
「国民・有権者の声に耳を傾けなければならない。」
このニュースを聞いて、菅は7度も
「国民に必要なことを」
と、繰り返したそうだ!!!!!!!???????
こいつも"16人"と同様に、
言っていることを「ひょっとしたら、信じているのかもしれない!」んじゃないか?
[35] 題名: 名前:三戸 投稿日:2011年02月19日 (土) 12時51分
このblogみたいなものも、
一応、20回まで続けることができた。
アンケートに協力してほしい。
理由があるんだ、ぜひ頼む。
【削除キー】"good"
@面白いと思ったか? 右に◎、○で(幾つでも可)。
Aもう少し読みたい、書き足してほしいなら、右に「+」で(幾つでも可)。
第1回エジプト民主化運動
第2回大相撲八百長「疑惑」 +
第3回NHK「大人ドリル」 ◎◎◎○
第4回小沢問題 ○○◎◎
第5回河村革命○
第6回河村革命A〜河村は独裁者か〜 ○
第7回河村革命B〜対決と話し合い〜 ◎○◎◎
第8回石渡嶺司『最高学府はバカだらけ』 +◎○○
第9回言葉と思考 ○○○◎
第10回「遊び」と「余力・余裕」 +○
第11回世代を越えてコミュニケーション(前)
第12回世代を越えてコミュニケーション(中) ○○◎◎
第13回世代を越えてコミュニケーション(後) ◎○◎
第14回表参道も"カモン中国観光客" ○○○
第15回自由において選択するは"目的(動機・欲求)"か"手段"か ++◎+
第16回「米国でも言葉狩り」(2011.2.16朝日新聞) ◎++++◎
第17回"バカ"になった日本 ++++++
第18回「忙・慌」という文字
第19回心は見えるか、見えないか
第20回2011.2.16「朝日新聞」のコラムにツッコミ ◎○○
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
竹田俊亮(21期)第7回◎第9回○第15回+ (2011/2/21 20:50)
…どれも面白いのですが、まずはこの3つで宜しくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
15期 日々野 (2011/2/22 1:35)
三戸先生、退院おめでとうございます。
<アンケート>○:第7回、12回、14回
◎:第3回、16回
+:第8回、10回、17回
それと、第22回も◎でした。
一から説明することを「親切丁寧」だと思い込んでる自分に気づきました。
…そういえば、年の割に落ち着いてるとよく言われる。。
新発見、ありがとうございました。
これからもとても楽しみにしております。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大野 裕喜(18期生)(2011/2/24 16:50)
三戸先生、「三つの箱から世間を覗く」シリーズ、
プリントアウトをして楽しく読ませてもらっております。
少しずつ視点を増やして、学んだことを整理し、書き込みたいと
考えているのですが、まずはアンケートに回答したいと思います。
〈アンケート〉◎ : 第3回、8回、13回
○ : 第4回、6回、12回、14回、
+ : 第16回、17回
これからも楽しみにしております!
−−−−−−―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
近藤祐太朗(22期)(2011/2/25 0:10)
「3つの箱」が何か、まだ全然わかりません。
毎回の記事から、こんな考え方ができるのだ…、と思いながら学んでいます。
それでは、アンケートに答えます。
◎ 第3回、7回、20回
○ 第4回、9回、13回
+ 第2回、15回、16回、17回
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
中村貴治(20期生)(2011/02/25 0:45)
三戸先生、「三つの箱から世間を覗く」シリーズ、楽しく読んでいます。
自分の力不足のため、立ち止まる場面もあります。
しかし、その度に自分の力の無さを実感し、学ぶ意欲をかき立てられます。
そして、考えて、少しでも「わかった!」となったときは、無類の喜びがあります。
これからも楽しく、じっくりと読んでいきたいと思います!
〈アンケート〉◎ : 第4回、15回
○ : 第3回、7回、8回、9回、20回
+ : 第16回、17回
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
坂倉尚道(22期生)(2011/03/01 2:35)
三戸先生、「三つの箱から世間を覗く」シリーズ、読んでいてとても面白く感じます。
「視点の面白さ」というものがどういうことか分かるようになりたいです。
そして自分もこのような見方ができるようになるため何度も読み返したいと思います。
〈アンケート〉◎ : 第4回、7回、12回、13回
○ : 第5回、8回、14回、20回
+ : 第15回、16回、17回
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
松井敬祐(23期生)(2011/03/02 18:05)
寝る前などにスマートフォンでこのシリーズを見させていただいてます。
私も新聞やTV番組を見ますが、こういう考えで見ることはありませんでした。
アンケート:◎ 第9回、第12回、第16回
○ 第10回
+ 第17回
[34] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第20回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月19日 (土) 12時33分
2011.2.16「朝日新聞」のコラムにツッコミ
11面コラム「経済気象台」より。
「日本人は一度コンセプトを与えられると
類いまれなる能力を発揮する。
たとえばカメラであり、自動車だ。
しかし世界を動かすコンセプトを
一度でも生んだことがあるのか」
これは米国の友人の言葉である。
言われてみればその通りで、…。
この後、こう続く。
日本が経済大国になった理由はいろいろあるが、
基本において「コンセプト依存型」だったのは
まぎれもない事実だ。
コンセプト不在のまま経済大国にのし上がった
日本の存在は世界経済から見ればある意味不気味で、
無用な存在であるに違いない。…。」
(これこれ、そこの君、笑うんじゃない!)
そのあと、"「和魂漢才」から「和魂洋才」、
現在我々がかつて経験したことがない
未到の「和魂和才」の時代を迎えようとしている、
千年に及ぶ日本人の生き方そのものが問われている…。"
いかがお思いかな?
以下、感想を数点述べてみたい。
(今更、朝日のコラムを「論じる」なんて言ったら笑われちゃう。)
@まず、誰でも(朝日以外)気づく軽いツッコミから。
下線のような考えはどこから出てくるんだ?
(たぶん朝日に入社すれば、
こんな発想もできるようになるんだろうが…。)
理由は「権兵衛(欧米)が種撒けばカラス(日本)がほじく る」
ことをみんな(欧米?それとも世界中?)が
もう御免だと思っているからだそうだ。
たぶんアンケートでもとったんだろうなぁ…。
A「コンセプト」ってなぁに?
このコラムのタイトルは「コンセプトの創造」であり、
文中には5回出てくる
(その5箇所の前後は引用している)。
その「コンセプト」とは何を指して言っているのか?
最初の米国の友人の言葉では「商品のコンセプト」を指 している。
だが、次の「経済大国日本とコンセプト依存・不在論」 では、
「商品のコンセプト」であるようで、ないようで、
よくわからない。
最初の「コンセプト依存型」は
「商品のコンセプト」でも意味が通るが、
次の「コンセプト不在のまま…」は
「商品のコンセプト」では意味が通らない。
同じパラグラフで違う意味とは…!?
最後5回目のものは、
明らかに「商品のコンセプト」のことではあるまい。
「個人のコンセプト」と言うのだから。
また、「求められているのは日本の未来、
立国のあり方についての真摯な議論」と言っている。
「あり方」となると「規範性」を持つ。
だが、「商品のコンセプト」には「規範性」はないぞ。
最後のパラグラフの文頭で、
「果たして和才ありや」と問うている。
それ以前の「和魂漢才・洋才」から察して、
「コンセプト=才」であり「制度や技術」を指すのだろう。
うーん、頭が痛い。
最初は「商品コンセプト」のことだが、
途中で「あり方」に代わり、
だが、「制度・技術」なのか、と思いきや、
最後の最後で、また「あり方」となった。
Bなぜ、日本は"コンセプト依存型"だったのか?
なぜ、「世界を動かす日本発のコンセプトがなかったのか?」という問い
このコラムの最後が泣かせる(笑わせる?)ぜ。
「…略…国は国、企業は企業、個人は個人なりに、
コンセプトを文字通り「一所懸命」に
追求すべき時期に来ているように思われる。」
諸君、学んだか?
「○○なりに」とか「思われる」を使うテクを。
自分で言って・書いておきながら、
実は自分では信じていないことを
大上段(大冗談)から他人に説教するときには、
朝日のコラム・社説を学ぶといいぞぉ。
入試の小論文対策になるそうだから…。
これだけ「書くネタ」を提供してくれる朝日新聞。
うーん、150円は実に安い!!!
比較するために「産経新聞」も一緒に買ったのだが、
「書きたいっ!」と思わせてくれるネタは、
やはり朝日新聞だなぁ…。
だが、こんなネタ・話、何日持つかなぁ…?
書く方も、読む方も一週間持たないだろう。
[33] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第19回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月19日 (土) 11時06分
「心は見えるか、見えないか」
「心は見えるか?」と聞かれたら、
多くの人は少し考えて、「ノー」だろうが、
一部の人は「イエス」と答えるだろう。
「心は見えるとしたら、どしたら見えるか?」
と聞かれると、まずほとんどの人は
「うっ」と詰まるのではないだろうか。
「心は見えるんだなぁ…、"心遣い"を見れば。」
だから、
「"思い"も見えるんだなぁ…、" "を見れば…。」
見方は、ちょっと難しいよ。
「目で見るんじゃないんだ。
心で"○○る"んだ。」
[32] 題名:「三つの箱から世間を覗く(第18回)」 名前:三戸 投稿日:2011年02月19日 (土) 10時43分
「忙・慌」という文字
以前から、ひっかかっている「問」がある。
《忙》の「亡くす"心"」の「心」とは何だろうか?
《慌》の「荒れた"心"」の「心」とは何だろうか?