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滝の歌






[1002] 題名:兵頭信ニさんを偲ぶ 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月28日 (日) 00時48分


京都乃鬼新聞
2024.7.28
特別編
🟰兵頭信ニさんを偲ぶ🟰

本日7月28日は兵頭さんの一周忌です。
「西の友岡、東の兵頭」と言われ「創価学会の良心」であられたご両人が共にお亡くなりになられたことは大きな損失です。

生前の友岡さんについては弊社「妙法の万葉集」に詳しく紹介していますのでそちらを参考にしてください。

http://oniyuri.fc2web.com/syominretuden08.html


一方、兵頭信ニさんは池田先生の随行記者として有名ですが、池田先生から信頼厚き方でスピーチでもたびたび紹介されています。
1989.2.14 第12回全国青年部幹部会

https://gmate.org/gs/lib/gs041ex.cgi?sno=S72100000&dan=1&ori=&K=

ここではソクラテスとプラトンを通じて、賢人が陥れられたり社会が滅ぶ原因は衆愚政治であり市民の「嫉妬」であると喝破され
「アテネ市民は自分たちの卑いやしい″気休め″にすぎない中傷を、『民主主義を守る』という
″体裁のよい″言葉で、カムフラージュした。
プルタークの眼にアテネの風景は、恐るべき退廃と欺瞞ぎまんの社会、正邪が逆立ちした転倒社会の暗黒として、映ったにちがいない。
 一流の人物、第一人者の存在を認めない社会。それが、次第に低俗化し、二流、三流の人物によって動されていくことは、必然である。」

という本質を突いたスピーチをされていますが、殆どが兵頭さんによるものと思われます。
今現在の日本や世界で起こっているさまざまな事象にも通じていますので、ご一読されることをお勧めします。

またここでは「ある青年」として紹介されていますが、兵頭さんのことです。
1988.10.12 墨田、荒川区記念支部長会

https://gmate.org/gs/lib/gs041ex.cgi?sno=S71210000&dan=1&ori=&K=

池田先生は、「英雄には悲劇がつきものである」との戸田先生の言葉を紹介されながら、この書も「歴史に埋もれた悲劇の英雄を描いたものです」と兵頭さんから届けられた子母沢寛『大道』について語られています。悪人として歴史の闇に葬られた土佐藩の野中兼山の真実を描いた小説です。

「彼らには、『藩のため』『領民のため』という透徹した一念がなかった。その無私の一念さえあれば、何も怖いものはない。それがないゆえに彼らは、ひたすら時流におもねった。
兼山に信任厚い藩主の時は、保身のため、それにへつらい、流れが変わると、本性をムキ出しにしてきたのである。
旧藩主に追従したのも、ずる賢い『憶病』。
新藩主にとりいり、幕府の権力を利用したのも、ウソつきの天才の『憶病』。
そういう自らの醜みにくさを見つめることができない弱さも身勝手な『憶病』。
表面は変われども、その本質は一貫していた。終始、彼らは『状況の奴隷』であり、自身を律しきれぬ『エゴの奴隷』であった。」

「のちに彼らは、ごていねいにも、町人・農民・漁民の代表を呼び、政治への苦情を上申させた。封建制度にあって、藩政を公然と批判させること自体、特例中の特例である。ふだんは、民衆のことなど考えもしない彼らが、この時ばかりは″民衆の声″を持ち出してきた。
ここにも彼らの狡猾さと、いかに追放の口実を欲していたかを見ることができよう。
事実、土佐藩において、このように民衆の意見に耳を傾けることなど、このあと、ただの一度もなかった(横川末吉著『野中兼山』吉川弘文館)
『民衆のために』──
口では何とでも言うことができる。しかし、現実に彼らは何を行ったのか。ただ、自分の利益を守り、拡大することにのみ動いたのではないか。それこそ、権力にすりより、民衆と権力を利用する者の正体である。」

「″傲りの力″に『正義』が負ける時、敗者に声なく、″ウソ″に″真実″の装いを着せて歴史はつづられていく。その意味で『正義』であるがゆえにこそ、断じて最後には勝たねばならない。負ければ、その『正義』もゆがめられてしまう」

改めてこのスピーチを読むと、池田先生も兵頭さんも今のように、いち会員が自分の考えや建設的意見を言うと「査問だ!処分だ、除名だ!」という傲りの幹部が出現することをありありと見通しておられたのだと感じます。

兵頭さんの最期も、表面だけを見れば、野中兼山のようにまことに寂しいものでした。生前に兵頭さんにさんざん世話になった人々たちでさえ執行部の目を恐れてか、弔問すら訪れなかったのです。



さて先生の広宣流布のリズムに不協和音が混ざりだすのは、ちょうど兵頭さんが学会職員を辞めさせられた2000年からです。
その後兵頭さんは東哲に在籍されますが、表の舞台からは完全に排斥されました。

そしてこれ以降の四半世紀、特に先生が表に出られなくなった2010年以降は心ある弟子には納得できないこと、腹の立つこと、情けないことが連続に起こってきたのはみなさんがご承知の通りです。

また兵頭さんは中島みゆきさんの曲がお好きだったようで、その中でも「小さき負傷者達のために」という曲は近しい方々に聴くようにとおっしゃっていたとか。

この曲が納められているLPのタイトルが「真夜中の動物園」なので動物虐待をテーマにした曲だとは思いますが、少し目線を変えると人間社会にも通じている曲です。

例えばネグレクトや子供虐待、或いはパワハラ等の社会問題にも当てはまるのではないでしょうか。

また私たちのような立場の者が聴くと原田学会の幹部達が、
健気に現場で頑張っている創価学会員に宗教的権威を押しつけ活動を強要していることは「負傷者」を作っているのではないか!という怒りが込み上げくるのではないでしょうか?

そこで端的に分かりやすく替え歌にしてみました。


中島みゆき
「小さき負傷者たちの為に」
カバー
https://m.youtube.com/watch?v=nntEQAo4eMM

替え歌
「健気な負傷者たちの為に」

---

♪声出さない 信ずる者たちは
見開いた瞳は曇って
力なき 信ずる者たちは
ひれ伏して 心まで縮めて
信心ある幹部と信心ない幹部の
微笑みの違いなど
読みわけるすべもなく
疑わず まっすぐに付いてゆく

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

仕方なく 信ずる者たちは
己(おの)が身を 組織に委ねる
傷ついた 信ずる者たちは
己(おの)が身の 落度かと詫びる
心ある幹部と 心ない幹部の
さしのべるその腕を 選びとるすべもなく
助け無く 宿命に耳を澄ます

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか

卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

---
提供は敵からは恐れられる
味方からは怖れられる京都乃鬼新聞社でした。

[1003] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2024年07月28日 (日) 09時04分

[62] 題名: 名前:京都乃鬼 投稿日:2008年08月03日 (日) 21時22分

おにゆりさま!
ありがとうございます!

こんな駄文をこのような素晴らしいHPに掲載していただき、
大変に喜んでおります。

今後とも、宜しくお願いいたします。


[63] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2008年08月03日 (日) 22時04分

夢とちゃうやろか…

「鬼とおに」との 『心の砦』
ワシも負けんと、前進や!

おおきに!   おおきに!  おおきに!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

鬼さま おはようございます。初めてお越しいただいてから随分月日も経ちました。
私ね愚壮さま、友岡さまの足音を頼りに一人静かに生息していたのですよ。

「友も歩いているのです。私のように歩いているのです。その存在を想うだけで、その足音だけで、私は一人で歩けるのです。姿が見えなくてもよいのです。離れていてもよいのです」(友岡雅弥 ブッダは歩む ブッダは語る P5)

鬼さまがそっと響かせて下さった足音に、どれほど心が震えたことでせぅ。
拙サイトは鬼さまのご厳命によりネットの大海原に泳がせてあるサイトです。
「忘れ得ぬ風景掲示板」は鬼さまのお心のままにお使いくださいませ。

>卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

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おにゆり拝



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