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光明掲示板・伝統・第二

 

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古事記と現代の預言 (37)
日時:2017年03月21日 (火) 05時12分
名前:伝統

古事記と現代の預言

(音声集「現代を予言する古事記」
     https://ameblo.jp/navermatomenews/entry-12355851378.html
    平成7月24日追記)

(目次)



第一章 古事記の直感把握

第二章 古事記の神

第三章 部分が先か、全体が先か

第四章 伊邪那岐・伊邪那美二神の使命

第五章 古事記の預言

第六章 霊的文化と物質文明

第七章 コトバによる宇宙浄化

第八章 天皇・日本の使命と終戦の真相

第九章 "霊主物従"の宇宙の法則

第十章 天に成る「幽の世界」の霊交

第十一章 実相世界の現象化

第十二章 赤き龍、稲田姫を覘う

第十三章 国際情勢の預言

第十四章 久遠金剛不壊の皇位の現成

第十五章 天皇の「絶対無」への還帰

http://d.hatena.ne.jp/ksugawara/20130211/p1

・・・

<序>神話というものについて

(1)日本の建国は神話からはじまる

   建国記念日を二月十一日に制定するときに、神武天皇建国が二月十一日である
   ということは神話に過ぎないのであるからとて(旧)社会党や進歩的文化人から
   反論せられたのであるけれども日本の建国が神話から始まるところに日本の建国が
   なお一層尊貴なものであることを唯物論者たちには理解できないのであったのだ。


   新約聖書の「ヨハネ傳」には「太初(はじめ)に、コトバあり、
   コトバは神と偕(とも)にあり、コトバは神かりき。

   …萬(よろず)のものこれに由りて成り、…これに生命(いのち)あり…」
   というふうに示されているのであるが、私は「はじめにコトバあり」ということは、
   「はじめに神話あり」ということだと言うのである。


   神話を排斥する唯物論者は、事物の根元を単に物質の素粒子が結合して成立した
   ものであるかの如く考えていて、素粒子や原子や分子を現実の形態に排列統合して
   それを有機的組織にまで発展せしめた「内在の力」については知ることができない
   のである。


   日本的思惟(しい)に従うならば、
   日本人は「存在」の根元を神より発したものとしてこれを把える。

   日本人には、「存在」はコト(事)であり神はミコトであり、ミコトとは
   御言(みこと)であり、”言事不二(ごんじふじ)”であり、みことを漢字にて
   表現するのに「命」(いのち)なる文字をもってする。

   存在の根本生命であるものは、”コトバ”であることを直感的に知っていたのが
   日本民族なのである。



(2)神話は虚構のものであり、架空の物語であるとして唯物論者は排斥するけれども、
   一切のものは神話によって始まるのである。

   ”東京タワー”も神話によって始まったし、
   霞ヶ関ビルも神話によって始まったのである。

   神話は「いまだ現実にあらわれていないものを心の中に想像し、心の中に
   描かれたもの」のことである。

   ”東京タワー”もはじめからあんな現実的造形物が存在したのではないのであって、
   建築設計家の心の中に、想像力によって描かれたもの即ち神話であったのだ。

   
   想像力によって、はじめに心に描かれたものが神話である。

   それを近代人は計画といったり、設計といったり、プランといったり、
   アイディアといったりするのである。

   そして計画とか設計とかプランとかアイディアとかいう語を使えば、
   それは当然のこととして反対しないのであるけれども、
   神話といったら排斥するのである。


   つまり近代人は概ね、頭脳が混乱していて
   「神話アレルギー」に罹っているのである。

   そんな混乱した頭脳から見たのでは、「存在」の根元も判らないし、
   日本建国の尊さも理解できないのは当然である。


(3)キリスト教では、「はじめにコトバあり」と宣言したが、
   弘法大師は「大日経」にもとづいて、「聲字即実相」(しょうじそくじっそう)
   と喝破したのである。

   「聲字即実相」とは、事物の本質即ち実相はコトバであり文字であるという
   ことである。

   コトバに表現し、文字に表現すれば、それは具体的事物になるから、
   具体的事物の本質即ち実相は結局「コトバ」でありは「文字」であると
   いうことを弘法大師は指摘したのである。

   その直感力のすぐれたること、現在の唯物論者や、
   進歩的文化人のとうてい及ぶところではないのである。


(4)「古事記」や「日本書紀」にあらわれたる日本建国の神話は、
   単に一個の人間の創作ではないのであるそれは民族神話である。

   日本の古代民族がいつのまにかそのような神話を想像力によって創作したので
   あって、日本の建国も日本の文化の発達も、古代日本民族の想像力がつくり
   出した神話の創作したものである。

   日本建国以来の日本の国体も、歴史の発展も、
   「古事記」や「日本書紀」にあらわれた神話の具体化に過ぎないのである。

   唯物論者は、この世界が物質の微粒子が偶然的契機によって結合して出来上がった
   という神話をつくり出したのである。彼らは、物質の素粒子が如何なる意図で結合
   してこのような宇宙や世界をつくり出したか、それを見て来た訳ではない。

   ただ彼らは自己の想像力によって宇宙の起源を想像して唯物論をつくり出したに
   過ぎないのである。だから唯物論は、物質の存在しか知ることのできない
   低次の人間精神がつくり出した神話に過ぎないのである。

   彼らは唯物論そのものが「低次の神話」であることに気がつかないで、
   もっと高次の神話であるところの神の宇宙創造や、神による日本建国の事実に
   ついては反対しようとするのである。


(5)要するに、唯物論は、西欧人のつくり出した神話である

   唯物論から出発した唯物史観からはマルクスの創作した神話であり、
   人間は猿から進化した動物に過ぎないというのは、ダーウィンの創作した神話
   である。

   それは想像力の貧困を物語るほか何ものでもないのである。
   彼らには物質しか見えない低次の意識しかもっていないのである。

   物質の奥に、物質を超えたところに霊的な本質があるということを知るだけの
   高次の意識がないのである。

   彼らにもっと高次の意識があるならば、想像力がもっと飛躍して霊的物語を創作
   し得たのであろうに、彼らは唯物論とか、唯物史観とか、類人猿の進化物語以上
   には飛躍し得ない神話しか創作し得なかったのである。

   しかし

   「はじめに神話(コトバ)あり、神話は神と偕にあり、神話は現実化する力あり」

   であるから、ダーウインが類人猿からの人間進化の神話をつくり出したとき、
   人類はその方向に動き出したのである。

   そしてそのような人間観がひろまるに従って、「人間の解放」と称して
   人間の動物面又は獣性が解放され始めたのである。


   そしてマルクスが唯物史観をつくり出し、その史観の中でやがて世界に共産主義
   が蔓延するという神話をつくり出したとき、その神話が世界各国の政治型態や、
   経済組織をその神話の通り変革し始めたのである。

   ソ連(ロシア)や中国やその他の共産主義的国家群はすべて
   マルクスの作り出した神話が具象化したものである。


(6)しかし日本人よ。もっと自己の尊厳を知り、自国の尊厳を知れ。

   西洋人のつくり出した神話によって、その国が支配されるようになったとき、
   その国は形の上では独立国であっても、中味は植民地であるのである。

   凡そその国の文化といい得るものは、その国の民族それ自身が創作したもので
   なければならないのである。そうでなければ、その国の文化が如何に絢爛たる
   ものであっても、それは輸入文化であり、植民地文化であるのである。


   ダーウインの類人猿進化説や、マルクスの唯物史観に動かされて、
   日本古来の文化の傳統が歪められるならば、日本は文化の面において既に独立国家
   たる本質を失いつつあるのである。


   吾々日本人は断じて、ダーウインのつくった神話や、マルクスの創作した神話に
   よって、日本の文化を侵略させてはないのである。

   日本の完全独立が叫ばれる聲が激しいけれども、形の上で外国軍隊が駐屯しなく
   なっても、日本人たちの精神の世界において、そして、もっと深い、そして、魂、
   の深層において、外国人のつくった唯物論的人間観や、唯物論的国家観を君臨
   させておく限りにおいて、

   精神の上、魂の上では、本来の日本国は滅びてしまって植民地となっていると
   いわなければならないのである。


   日本人よ、日本人の顔していて中味の精神は外国の神話で満たされ、
   それによって動かされている半人半獣の怪物になってはならないのである。


(7)日本民族は人間をダーウインの如く、獣人、として把握しないで、
   神人、として把握したのである。

   それゆえに、古代人は、すべて何々之命(なになにのみこと)と称したのである。
   そして男子を、日子(ひこ)即ち天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御子(みこ)
   と称し、女子を、日女(ひめ)即ち天照大御神の御子と称したのである。

   
   そして日本民族ぜんたいを天孫民族(てんそんみんぞく)と称して、
   神の生命の降臨であると把握し、国号を「大和」(ヤマト)
   又は日本(ひのもと)と称して、

   日の大神の降臨によって六合(りくごう)を照徹してこれを光明化し、
   一切の人類を大和(だいわ)の理想のもとに包容する偉大なる国家として
   この国を出発させたのである。

   「六合を兼ねて都を開き、八紘(はつこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為さん」
   という神武建国の宣言は、まさに日本民族が創作した一大戯曲であり、
   一大詩劇の一節であり、神話の実現であるのである。


   戦後の唯物論的歴史家は「実證、実證」と称して、遺跡や日本文化の残留物だけを
   探しまわって、日本民族の精神的歴史を知ろうとしないから本当の日本国も
   本当の日本民族もわからないのである。

   残留物を探しまわって日本の生命を知ろうとしても不可能なのは、
   死骸をいくら探して見ても生命が見当たらないのと同じである。


   日本国の生命の歴史は神話に求めることによってのみ得られるのである


(8)「日出ずる国」として天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
   「豊葦原(とよあしはら)の千五秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
   是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」


   という神勅(しんちょく)より出発した日本国は、世界を光をもって照らして
   地上に「大和」の天国を招来する使命をもつ国であるとの神話を自覚意識は勿論、
   潜在意識の深層にもっていて建てられた国家である。

   マルクスの神話が西欧諸国や中共を動かして特殊の文化を形成しつつあると
   同じように、

   文書以前に出発し、やがて「古事記」や「日本書記」によって傳承されたる
   日本民族の神話が、日本の建国となり、そこに独自の日本文化を形成し、
   日本独得の天皇中心国家を形成して今日に至ったのである。


   この日本民族神話の中核を形成するものは、「大和」(やまと)の理念であり、
   天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なる創造神をもって始まる神話の
   第一章の「御中」を中心として全世界が大調和にまとまる理想である。


   日本は概ね東洋文化に属し、東洋文化は霊的文化、宗教文化であると
   称せられているけれども、

   実は日本民族の創作した神話は、、御中主、の理念によって、一切万象を統合し、
   東洋の霊的文化と西欧の物質文化と両方を一つの「絶対無」の中心に包摂して、
   それを大和(だいわ)する理想を表現しているのである。

   日本民族創作の衣食住の習慣又は方式をよくよく観察してみると、
   その事がよく分かるのである。


   日本民族よ、もっと日本民族の創作した独自の文化の尊厳に自身をもって頂きたい
   のであり、ゆめゆめ、外国創作の神話に日本文化を蹂躙せしめてはならないのである。

   そして「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、
   これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、
   この国體を尊重して貰いたいものである。

        昭和43年4月22日      著者しるす

・・・

(以下、未編集)

第1章は、以下の構成となっております。
(1)直感即ち直接認識ということ
(2)現象は見る立場や角度の相違で異なる
(3)第六感と謂うもの
(4)霊眼と謂うもの
(5)霊耳及び霊鼻について
(6)霊舌と謂うもの
(7)霊触と謂うもの
(8)霊覚または第六感を所有するものは高級か
(9)頭脳智が発達すると霊的直感は減る
(10)高天原とは何処を指すか
(11)「高」と「原」と「天」との象徴するもの
(12)「成る」と「鳴る」とは語源が同じ
(13)宇宙の本源の神に名はない
(14)未発之中(みはつのちゅう)に就いて



第1章 古事記の直感把握(P3~P20)

(1)直感即ち直接認識ということ

   「古事記」という書は、ご存知の通り、天地開闢(てんちかいびゃく)の始めから
   推古天皇の御代(みよ)に至るまでの、その日本の歴史を古代日本民族の傳承に
   もとづいて書いたものであります。


   もっとも天地開闢の時に人間がおって見ていたわけではありませんから、
   天地開闢の時の記録というものは、見ておってその状態を書いたものではない。

   それではどうしてそれを知ることができたかといいますと、
   それは直感によるしか仕方がないのであります。

   直感といいますと、そのものズバリの認識であります。
   存在の実相をそのものズバリと直接に認識するのです。

   間接に何かを媒介として、例えば感覚を通して認識するのでなく、
   そのものに直接じかにぶつかって、それを知るのであります。


   我々が感覚によって知るというものは、感覚器官というものを媒介として、そして
   それに冩(うつ)てる有様を、こうである、ああであると判断して知るのであります。

   だから、我々が五官(眼・耳・鼻・舌・皮膚・粘膜等)で知るのは、
   みな直接認識ではない、間接認識であるのであります。

   謂わば、皆んな或る種の眼鏡をかけて見ているのであります。

   もっとも硝子の眼鏡をかけておらん人もいるけれども…しかし、
   眼玉という眼鏡を誰もかけている。

   眼玉の中には水晶體というレンズがあって、そのレンズによって屈折して
   網膜に冩ったところの影を見て、そして、、どうだ、こうだ、
   といっているのであります。

   眼鏡を外して直接見たらどう見えるか、それは判らない。
   だから、これは直接認識ではない。

   肉眼で見て「私はある通りに見たんだ」というかも知れぬけれども、
   それは直接見たんじゃないのであって、眼玉を介して、眼玉にそう冩った
   だけのことなのである。 だから、それは間接認識であります。


   直接認識というものは眼鏡を外し、眼球を外し、一切の感覚器官を外してしまって、
   いのちそのものになってじかに触れる。
   これが直接認識の方法であるわけであります。


(2)現象は見る立場や角度の相違で異なる

   その直接認識によらなければ、実相というものは知ることができない。
   現象というものは、現れている象(かたち)ですから、見る立場によって
   いろいろ変わってくるのであります。

   湯呑の蓋でも、正面から見るのと、裏返して見るのと、
   みな違うように見えるでしょう。
   見る角度によっていろいろに見えるのです。
   角度が違うと円いものでも、細長く見えたりする。

   これは直接認識ではない。
   そのものズバリの認識ではない。

   そのものズバリの認識を直感または直観と言いまして、
   その直感によって得られた智慧を般若の智慧というのであります。

   『般若心経』という大抵の人が知っている御経がありますが、仏教で般若
   というのは、六波羅蜜といって悟りに到るところの六つの行法がある。
   即ち、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若でありますが、その中の
   一番素晴らしい最後の締めくくりみたいなのがこの”般若の智慧”であります。

   ”般若の智慧”によって一切のものを照らして見る、
   そうすると本当のことが判るのです。

   『甘露の法雨』には、「創造の神は五感を超越している。六感も超越している」
   と書いてあります。

   五感というのは五官によって感じられる感覚です。
   神は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感を超越しているのです。
   五感を超越しているものは見えないのです。

   それなら六感というので感じたら神は見えるのではないかと考える人があるかも
   知れないが、神は六感も超越しているのであって、六感によって神姿を見た
   と言う人があっても、まだ本物ではないのであります。


(3)第六感と謂うもの

   六感というのは、五感の外(ほか)にまた別感覚が一通りあるというのです。
   それは視覚に対応するところの霊眼、聴覚に対応するところの霊耳、
   嗅覚に対応する霊鼻と口に属する霊舌と、それから触覚に対応するところの
   霊触(霊の触覚)というように、六感の中にも五種類あるのであります。

(4)霊眼と謂うもの

   神想観をしていると、往々「神様のお姿が見えた」とおっしゃる方があります。

   昭和32年の3月4日の講習会のときに、窪川の関なみえさんが体験談として、
   私たちの行く前に、白髪の老翁(神様のような姿)が歩いている姿が見えた
   というようなことをおっしゃいました。

   これは第六感によって、そういうふう姿を見た、これが霊眼というのであります。
   
   これは神様そのものを見たのではなく、
   神様の化身(象徴的姿)を見たのであります。


(5)霊耳及び霊鼻について

   神様の声が耳に聞こえるという人がありますが、これを霊耳というのであります。

   それから霊鼻というのは一種の霊的嗅覚でありますが、これは神想観に往々、
   何ともいえない香を焚くような香気馥郁とした匂いがして来たというような
   体験を語る人がある、

   これが霊鼻でありまして、神想観中に、そのような霊的な香の匂いがきかれるのは
   何故かと言いますと、我々が神想観をして居ります時には、「生長の家」の
   人類光明化運動の霊界人たちが、

   ―― これは霊界に人類の運命に関心をもっているたくさんの高級霊のグループが
   ある。それは一人じゃない。それには無数の高級の霊
   ―― ホワイト・スピリット級の霊―― がたくさん参加しているのであります。

   ホワイト・スピリットにもいろいろの段階があります。高級霊で白色の霊光を放って
   いるので、ホワイト・スピリットというのでありますが、その高級霊のさらに
   一番上は、もう人間の霊ではなく、宇宙遍満の神霊でありますけれども、

   その神霊の御心を承けて、人類を光明化しようという無数のホワイト・スピリットが
   いるんですが、そういう非常に浄まったホワイト・スピリットにとっては人間界に
   天降って来る事が非常に苦痛である。

   なぜ苦痛であるかというと、人間界の精神波動というものは実に混乱して争闘に
   満ちている。その中へ降りて来るということはとても耐えられない事なのです。

   人間界は、精神波動だけが混乱しているのではないのであって、臭気芬々たる肉体の
   汗の臭いや、各々の体臭など、私たちはその臭いをかぎ慣れているから、嗅覚という
   ものは同じ臭いを常にかいでいると、だんだん鈍覚になって感じられなくなる。

   だから自分のわきがは分からない、夫のわきがも分からない
   というのが普通であります。
   何時も嗅ぎなれていると分からない。

   併しながら、そういう高き霊界から降って来ますと、霊的嗅覚にとっては甚だ
   臭いのであります。まことにも「鼻もちならない」ということになるのであります。

   そういうわけですから、高級霊はその着衣に霊界の香をたきしめて、地上に降りて
   こられる。この霊界の香の匂いによって人間界のくさい臭いを消されるのです。

   しかしその香は、霊界の香であるから、我々の普通の肉体の鼻の嗅覚では
   感ずることはできないのですけれども、第六感の嗅覚によって感ずることができる
   事があるのであります。

   神想観中に、時ならぬ香の匂(におい)がしたというのがそれで、
   こういうものが霊鼻であるわけであります。


(6)霊舌と謂うもの

   次に霊舌というのは、これは、美味しい味が、神想観をしているときとか、神想観で
   なくても、他の精神統一の修行、禅的修行とか、神道の鎮魂の法でもしておりますと、
   神様の声で「口を開けよ」とおっしゃるのがきこえて、そして自然に自分の口が
   ひらかれると、其処に何ともいえない、肉眼には見えないけれども、不思議な
   美味しいものが口中に注がれるということがある。

   肉眼で見ると、何も無いのですけれども、実に甘露のような味がする。
   所謂、醍醐味がするところの素晴らしいものを戴くことがあります。

   モーセが広野で飢えたとき天からマナという食物が降って来たというようなのが
   霊舌の体験であります。私にも、そういう体験があります。
              (『生命の實相』自伝篇参照)

(7)霊触と謂うもの

   最後に霊触というのは霊的触覚であります。これはずいぶんあるのです。
   こんなのは神想観をしているときに、合掌を両手のひらを互いに極くわずか離して
   いると、何だかカチカチカチカチと感電するような、蟻の這うような感じがする。

   これは霊触の初歩であります。

   それから降霊会や心霊の実験会等をやっておりますと、
   霊風が吹いてくることがあります。

   実験でなくても、小林春恵さんお御主人が亡くなられた時に霊風が吹いて来て、
   物質の風がないのに榊の枝がしきりに動いたという体験談をなさったことが
   ありますが、

   ああいう霊界の雰囲気が触覚に感ぜられる、これが霊触であります。
   その部屋は密閉してあって空気は動かないんですけれども、
   霊的の風が吹いてくるのが触覚に感ぜられるのです。

   また幽霊と衝突っして、そしてその触覚が感ぜられたというような体験談も
   あります。
   そういうふうなのが第六感の霊触であります。


(8)霊覚または第六感を所有するものは高級か

   これらの第六感を得ると素晴らしく自分が偉くなったように思う人もあるけれども、
   そういうものは実相覚じゃないのでありまして、一種の霊的感覚――第六感が
   開いてきたわけで、霊媒的素質がある人にこれが多いのであります。

   この霊媒的素質というものは、半ば肉体的素質であって、その肉体の中に謂わば
   「霊的トランジスター」みたいなものを生まれつきもっている人にこういう能力が
   多いのであります。

   併し、そういう霊的第六感によって感じたものは、
   本当の実相ではないのでありまして、
   その第六感の「霊的トランジスター」みたいな感覚器官によって翻訳したところの
   相(すがた)であります。

   だから矢張り間接認識であって、直接認識ではないのであります。
   肉体の五官以上霊妙なる感覚が其処にひらけたにすぎないのであります。

   もっともこういうことができる人は、できない人よりも霊格に於いて高いので
   あるかというと、必ずしもそういうことはできないのであります。

   霊媒的素質は一種の肉体的素質によるのです。
   肉体といいましても、それは医学者が取り扱う部分の肉体じゃないけれども、
   セミ・フィジカル半物理学的な生まれつきの肉体的素質というものが、そういう
   感覚を感受する「トランジスター」の役目をする訳であります。

   ですから、魂が向上しておっても、全然、そういうトランジスター的部分が肉体に
   ない人ではそんな第六感は無いということになる訳であります。

   だから、自分は神様の姿が見られないから、駄目だということもないし、そういう
   神様の姿が見えたから、私は素晴らしく悟りを開いているんだなどと高慢なことを
   考えるのも間違いであります。

   そこで、創造の神は、そのような五感や六感で見えるものではないから
   「創造の神は五感を超越している、六感も超越している」と『甘露の法雨』に
   示されているのであって、このような超越的な存在が根源の神様であります。
   

(9)頭脳智が発達すると霊的直感は減る

   こういうように、直接認識によらなければ、天地開闢の真理というようなものは
   判らないのであります。
   古代の民族はそいう直接認識の能力において秀でておったのであります。

   直接認識というものは、余り頭脳智による間接認識にばかり頼る習慣がついて
   おりますと、間接認識ばかりが発達しまして、直接認識が減ってくるのであります。

   頭脳智の科学が発達すれば発達するほど、霊的能力が減る、
   それは霊的能力を使わないからであります。

   使えば使うほどその能力が発達するのが私たちの能力であります。
   使わずにほっておいたら、能力はだんだん萎縮してしまいます。

   だから現代の人間は直接認識の力が無い。全然無いこともないけれども、
   無い人が多いという訳であります。それは間接認識に頼り過ぎるからです。

   それは、杖をつく習慣がついたら杖に頼って歩くものですから、
   脚の力が弱ってくるのと同じことであります。

   肉体的感覚や計器や顕微鏡などを媒介として、それに頼りすぎると、
   直接認識の能力が無くなって了うのであります。

   直接認識による生命の実相のサトリが「禅」である訳です。
   「禅」という字は「示(しめす)」篇に「単(たん)」という字が書いてある。
   だから直接認識によって自分の生命の正体を知るのが「禅」であります。

   さて、その直接の認識によって日本古代の民族が如何に
   天地開闢の初発(はじめ)を感じたかという事が『古事記』の始めのところに
   書かれている訳であります。


(10)高天原とは何処を指すか

   ”天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、
   天之御中主神、 次に高御産巣日神、次に神産巣日神、此の三柱の神は、
   並(みな)独(ひとり)神成り坐(ま)して、身(みみ)を隠したまいき”
                      (天地の初発の段<くだり>)


   この「高天原(たかあまはら)」というのを「たかまがはら」と読む人が
   ありますけれども、
   これは「あま」と読むのが正しいということが「古訓古事記」の頭注に
   「高(たか)ノ下ノ天(あま)ハ”アマ”ト訓ズ」とわざわざ書いてある
   のであります。

   だから「たかあまはら」と読むのが正しいのであります。

   「高天原」というのは、一体何処に在るかといいますと、何でも、
   天の高いところにあって、神さまが其処に集会でもしているのであろう
   というふうに思っていた国学者もあるのですが、
   実は「高天原」というのは宇宙全体のことを「高天原」というのであります。

   宇宙全体といいましても、その宇宙は、我々の見ている現象宇宙ではない
   のでありまして、実相宇宙であります。霊的宇宙といってもよいのであります。
 

(11)「高」と「原」と「天」との象徴するもの

   「高」というのは、これは高く伸びる象徴であり、それを線であらわすと、
   縦の線であります。
   十字を書くと縦の線は時間の象徴であり、生命(いのち)の象徴であります。

   我々の生命(せいめい)は、下からいうと、父、祖父、曽祖父と・・・
   ずーっと上がって神に達する。

   上からいうならば、神から始まって、ずーっと下へ天降って来る。
   これは生命であります。
   上に行ったり、下へ降ったりするのは「縦の線」で象徴できるのであります。
   だから、生命(せいめい)及び時間を縦の線で象徴します。

   縦の線は「生長の家」の「生」に当たるのであります。
   縦に生(の)びるのが「生」であります。

   「生長の家」の古い誌友でも、時々「成長の家」とお書きになる人がありますが、
   「生長」と書いて頂きたい。だいたいこの「成長」という意味は、
   これは大人になるという意味に主として使われる熟語であります。

   で、大人になり成人したら、それ以上もう成長しなくなるから、
   それでは無限に伸びる意味をあらわすのには不適当ですから
   私たちは「生長の家」と「生」を使うのであります。

   この「生」は樹木が大地から出て生長する意味の象形文字であります。

   檜や杉の大木は、もう百歳になったら伸びないかというと、そうじゃない。
   百歳になってもまだ伸び、何千年の樹齢の大木でもまだ伸びるのですから、
   時間が無限に延びることを象徴して、縦の線をもってあらわします。

   縦の線は生命(せいめい)であり、時間を表しているのであります。
   縦の線を上へ遡ると高くなりますから、
   それは「高天原」の「高」を象徴しているのです。


   それから横の線は「原」を象徴しています。
   皆さんが野原をずーっと見渡すと横擴がりに擴がっているように見えるでしょう。
   だから横線をもって空間を象徴します。

   神の生命(せいめい)は高きところから縦に天降って来ます。

   縦に、こう天降って来るところの神の生命(時間)と、それが横に展開するところの
   「原」なる空間と、言い換えれば「時間」と「空間」とが十字交叉して、
   そして「天球(あま)」の相(すがた)になっているのが宇宙であります。

   「あま」というのは「顕れる、円(まる)い」という意味です。
   天文学ではこれを「天球(てんきゅう)」というのです。

   「天球(てんきゅう)」は所謂「宇宙」であって、「宇宙」は円(まる)いのです。
   「あま」である。日本人が「天球」を称して「天(あま)」といったのはまことに
   素晴らしい霊的直感である。

   近代の天文学者がいろいろ想定したり計算して見たりして、そして「天球は圓い」
   宇宙は円(まる)い(多少楕円形{と言いだしたのを、日本人は古代から、宇宙が
   円(まる)いことをちゃんと知っていて、「天(あま)」と名づけたのは霊的直感
   であります。

   「ま」は「円(まる)い」とか「完(まった)い」とか「まこと」という語に
   あらわれているように、「ま」というのは、皆「完全な」「圓満な」というような
   意味を表す言葉であります。圓満な心を「まごころ」などといいますね。

   「円く顕われている」のが天球であるから、これを「天(あま)」というのです。
   で、「あま」が転じて「天(あめ)」と読むこともある訳です。

   「マ」「メ」とは同一のマ行でありますから、「マ」が音便で「メ」に転じて、
   「あめのみなかぬしのかみ」と読んだりいたします。

   この天球のことを「家」というのです。
   宇宙というのは「ウ冠」で、ウは家をあらわしております。

   それで「生長の家」というのは、時間と空間とが十字交叉して球状の家をなしている
   大宇宙という意味であります。その実相の大宇宙を「高天原」というのであります。


(12)「成る」と「鳴る」とは語源が同じ

   『天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、
   天之御中主神』とありますが、

   天地(てんち)がまだ初発(はじめ)である時に ――「初発(はじめ)」
   というのは、必ずしも時間的流れの初めという意味では無いのでありまして、
   天地(てんち)の根元の状態をいうのであります。

   その天地の根元の状態に於いて、宇宙は「高天原」であって「高」と「原」と
    ―― 「時間」と「空間」とが十字に結び合って、そして一つの球状宇宙を
   成しているというのであります。だから高天原とは大宇宙のことであります。

   『高天原に成りませる神の名は・・・』とありますが「成る」というのは、
   神様がお成り遊ばされるという意味にとり、高天原においで遊ばされたと
   いうふうに解釈する人もあるけれども、本当はそうじゃないのです。

   「なる」というのは鳴り響くという事です。
   『高天原に成りませる』というのは宇宙全体に鳴り響いておられたという意味で、
   その神様が、『天之御中主神』であると書かれているのです。

   天之御中主神は、宇宙の何処にも遍満し、充ち満ちて、鳴り響いておられる神
   だというのであります。

   この『高天原に成りませる』とあるのは「成りませる」と現在活用で
   書かれていることに注意すべきです。

   神が宇宙遍満していられるのは永遠の現在なのであります。
   その遍満の神様が「天之御中主神」であります。


(13)宇宙の本源の神に名はない

   しかし宇宙の一番初めの元の神様に名前は無いのであります。

   神様の名前は、人間にはいろいろの人間があり、それの区別を附けなければ
   ならないので、名無しでは困るからいろいろ名前を附けてあるけれども、
   元の神様は一つだから名前なんか無いのであります。

   神様に名前を附けるのは、人間が区別のために名前を附ける。
   それで、いろいろの宗教に従ってその本尊の神様に対する名前の附け方が
   違うのです。

   それで、或る場合には「天之御中主神」と名附け、
   或る場合には「阿弥陀」と名附け、
   或る場合には「エロヒムの神」と名附け、
   或る場合には「ゴッド」と名附けたりしてます。

   「名前が違うから別の神様である」と、こう勝手なことをいうのであります。

   本来名前がない本尊の神様に、勝手に名前を附けておいて、
   「これは別の神である」というのは変であります。

   南瓜でも、その植物の果実そのものには名前はない。
   それなのに「かぼちゃ」という人もあり、「なんきん」という人もあり、
   「とうなす」という人もある。

   「これは”かぼちゃ”です」というと「いやそれは”なんきん”じゃ」と言う。
   「かぼちゃ」は、始め何も自分で名前を附けたわけではない。
   「かぼや」はそのままである。

   「わしは何という名前名前だ」と名乗っている「かぼちゃ」を見たことはない。
   それなのに人間が勝手に名前を附けておいて、名前がちがうから別のものだ
   というのは大変な間違いだというほかはないのであります。

   そういう訳で「天之御中主神」というのは人間が勝手に名前を附けたのですが、
   それは固有名詞じゃないのであります。

   その証拠に、「天之(あめの)」と「天(あめ)」の字の下に「之」を
   附けているんですね。これは説明の言葉であります。

   『古事記』には「アメノ何々」と称する神々がたくさんある。
   天石屋戸(あめのいわやど)に天照大御神がお隠れになった時に、
   裸のダンスをした「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」なんていう神様も
   あります。

   またそのほかにも「天児屋命(あめのこやねのみこと)」とか
   「天太玉命(あめの ふとだまのみこと)」「天菩比神(あめのほひのかみ」
   などという神様には皆「天(あめ)」という呼び名が附いており、

   「アメノ・・・」とは読ましているけれども、
   「之(の)」という字は附いていないのであります。

   この「天之御中主神」だけは「之(の)」が書いてあるのは、
   本源の神様に「名前なし」であって、
   ただ「宇宙の御中に主(ぬし)なるところの神」であるという説明の意味が
   名前の如くあらわれているのであります。 


(14)未発之中(みはつのちゅう)に就いて

   アメノミナカヌシの「中(なか)」というのは、この天球の真中(まんなか)だけに
   在しますのであるかというと、そうじゃないのであって、この「中(なか)」という
   のは、

   シナの『中庸』という書物に「喜怒哀楽未だ発せざるを中(ちゅう)と謂う。発して
   節に当たるこれを和と謂う」という具合に書かれているのでありますが、

   その「喜怒哀楽未だ発せざるを中と謂う」その「中(ちゅう)」が
   天之御中主神の「ミナカ」であります。

   これを「未発の中」というのです。

   「発せず」というのは「まだ起こらない」ということで、
   「喜怒哀楽未だ発せざる」とは、つまり、現象が未だ起こっていない
   その本現なるものが「中(ちゅう)」なのであります。
   「中」は偏らないのであります。

   現象が現われるということは、すべて、
   ある自己限定をして偏りに依って現われて来る のです。

   例えば○が現われて来るのは、
   これは、○という形に偏っているからあらわれるのである。
   それは△でもなければ□でもない。

   ○を離れ、□を離れて、△に偏っているから三角形があらわれている。

   或るものに偏らなかったら形というものは現われて来ないのです。

   谷口の顔になるためには、谷口の顔に偏って自己限定しているのです。
   他の人の顔を全部まぜ合わせて最大公約数をとって、誰にも偏らなぬ平等の顔に
   なったら、谷口で無くなってしまうのであります。

   それで、この「中(みなか)」というのは
   「偏らないところの本源」という意味であります。
   で、「喜怒哀楽未だ発せず」というように、或る形に未だ発せざるところの
   「本の偏らない処の本源」が、「中(ちゅう)」即ち「ミナカ」であります。

   で、宇宙の本源で、何処にも偏らない、未だ一切の姿を発せざる
   「中(ミナカ)」なる所の、主なる神様が天之御中主神であるわけです。
   この主なる神様がキリスト教で「主よ、主よ」という神であります。

   キリスト教と、神道と非常に違うように思う人もありますけれども、
   生長の家式に解釈すればすべて同じように一致して争いがなくなるのです。

   英訳の旧約聖書を観ると、
   「主」というのはロード(Lord)という英語が書いてあります。
   このロードというのは、日本語に訳すると「主(しゅ)」であって、
   「宇宙の御中に主なるところの神様」である訳です。

   「主」という字は「坊主」の「主(ず)」という字、
   「天台座主」の「主(ず)」という字で明らかでありまして
   「主(しゅ)」は「ス」であります。
   宇宙の本源の言(ことば)が「ス」である訳です。

   未だ発せざる「未発の中」の”ス”は発して起こる「ス」という字ではなくて、
   文字にも表すことができない。声に発することができない萬籟寂(ばんらいせき)
   とした眠っている時の”スヤスヤ”の声なき声の”スー”であります。

   この「未だ発せざる」無声の声の”スー”が分化して(自己限定して)
   コトバとなると、アイウエオ、カキクケコ、サシスセソ・・・と
   五十音の発音を我々はするのであります。

   この五十音が未だ発せざる時に、我々は如何なる声を発するのであるか?
   「耳ありて聞く者は聞け!」という訳であります。

   肉の耳では聞こえないのですが、「五十音未だ発せざる時の声は如何?」
   といえば禅宗の問答みたいになりますが、これが「父母未生以前の本来の面目」
   であり、「隻手の声」であり、

   「闇の夜に鳴かぬ烏の声聴けば生まれぬ前の元ぞ恋しき」の元であり、
   それが天之御中主神であります。



・・・

第2章は、以下の構成となっております。
(1)無相にして一切を蔵する神
(2)神とは何ぞや
(3)想念は事物の設計画である
(4)秩序ある形態は心によって生ずる
(5)鉱物の結晶はそれを計画した者の知性をあらわす
(6)”ナリ”の哲理について
(7)陰陽二神の文化と結合
(8)”結び”は”新価値”の創造である
(9)正月の鏡餅の意義について
(10)昔の丸薬と現代の錠剤と




第2章 古事記の神

(1)無相にして一切を蔵する神

   この宇宙の御中に主なるところの神様、これが「天之御中主神」様である。
   天之御中主尊とも謂う。
   ミコトというのはコトバを尊んでいったのである。御コトバなのです。

   宇宙の本源の、現象が未だ発せざるところの元のコトバ
   ―― それがこの「天之御中主神」様であります。

   本源の神様ですから、この神様は男にあらず女にあらず、陽にあらず、陰にあらず、
   地にあらず、天にあらず、白にあらず、黒にあらず、七色にあらず
   ―― というふうに、どんなものでもない。

   併し、一切のものがその中に”ある”のであります。
   恰も太陽光線の無色が、色々のものに触れて反射すると、赤くもなるし、
   橙色にもなるし、黄色にもなるし、緑色にもなるし、青色にもなるし、
   藍色にもなるし、菫色にもなる。

   このように七色に分光するのでありますけれども、その七色が、渾然と一つに統一
   されてしまいましたならば、もうどんな色もない。
   太陽光線は無色だと普通言われているのはそのためであります。

   無色なら全然色がないかというと、その無色の中に一切の色があるのである。
   その無色の中の色の「赤」だけを反射するものを持って来ると、紅花のように
   「赤」が見えてくるのでありまして、無色というのは、全体の色が未だ発しない
   だけの事であって、色が無いのではない。

   で、天之御中主神は、一切のものが自分の中にあるけれども未だ発していない
   のであるから、どんな姿もあらわれてないという訳であります。


(2)神とは何ぞや

   日本で「命(みこと)」と称うのは、「御言(みこと)」という意味である。
   コトバが神である。

   これが、キリスト教の聖書「ヨハネ伝」の冒頭に「太初(はじめ)にコトバあり、
   コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき。・・・萬の物これによりて成り」と。
   こう書かれているのに一致するのであります。

   「太初(はじめ)にコトバあり」です。
   宇宙の最始源に天之御中主神のコトバ即ち未だ五十音に剖判(ぼうはん)せざる
   ◎(<中心の丸は黒点>ス)言葉だけがあったのです。

   「宇宙」即ち「高天原」に「”なり”ませる」即ち「鳴っている」コトバが神
   なのです。宇宙にそれが鳴り響いているのです。

   「ヨハネ伝」にある通り「すべてのものコトバによりて成り」であってコトバが
   事物の本質である。

   「成り」というのは「鳴り」であります。鳴り響くのです。

   すべてのものはコトバによってなっておりますから、吾々は、
   「これがパンフレットなり」とか「これはマイクロフォンなり」とかいいます。

   「マイクロフォン”なり”」」と言うときには、
   マイクロフォンの形にコトバが鳴り響いてあらわれているということであります。

   「これは湯呑”なり”」というのであって、皆これは言葉の鳴り響きが、
   或る形に現われているということをあらわしているのであります。

   さてコトバというのは、吾々の口から出る音声だけをコトバだと思うから、
   「そんな馬鹿なことがあるか。陶器は言葉の塊じゃない。陶土の塊だよ」
   なんていう人がありますけれども、この口から出る言葉だけが、コトバではない
   ということは、ラジオが発達して来たので、大分説明に便利になって来たので
   あります。

   今この空間には、何ら言葉が無いように見えますけれども、もし、此処へ携帯用の
   ラジオを持って来て波長を合わしますと、じきに言葉が出て来るのです。

   それはその携帯用のラジオの中に音が入れてあってその音が出て来るんじゃなくて、
   この目に見えない空間に放送局から発した言葉の響きが充ち満ちていて、それが此処
   にも来ているので、それに波長を合わしてそれを捉えるだけのことであります。

   それに波長を合わさず、それを捉えなかったらコトバがあっても聞こえない。
   それで、ラジオの類推からでも、耳に聞こえなくても言葉があるということは、
   明らかな訳であります。

   ところが、「太初(はじめ)にコトバあり」のコトバというのは、単にそういう
   物理的な言葉だけじゃない。宇宙のはじまりのコトバというのは「想念」
   すなわち「心の想い」であります。

   未だ物質も何もできていない前、そこにあるのは、非物質のものだけであります。
   未だ発せざる”未初の中”から非物質のものが発して来て、そして或る形に
   現われるのです。

   物がある形に現われるということは、何かその形の原型を心に想い浮かべることに
   よって、その物の成立要素があるところの素粒子の、まだその元である元々子
   みたいなものを、配列するわけです。


(3)想念は事物の設計図である。

   卑近な例をもって言いますならば、建築家が家を建てるという場合には、
   設計図というものが先ず或る人の心の中に描かれまして、心の中に描かれた形に、
   その材料が集められて来て、並べられるということになるのであります。

   すべての物は皆そうして心に描かれた原型が元になってできているのであります。
   そうですから、こういう単なる物質というようなものでも、これを顕微鏡で見ると、
   単にグシャグシャと物質が固まっているのではない。

   実に素晴らしい美しい構造になっている。その結晶の美しい構造を見ると、
   たしかに偶然にモノが集まったのではなく、
   知性がそこに働いていることが分かるのであります。

   例えば、あの雪の結晶にしましても、あの六稜形の素晴らしい、美しい、役者の紋所の
   ような模様ですね。あんな美しいデザインが知性なしに偶然に出来る訳はない。
   それは、雪だけじゃないのです。

   私はある時、有田焼の工場を参観さして戴いたら、説明する人が言われた。
   此処で拵えるのは、陶器ではなくて磁器であります。

   磁器というのは、石を取って来てですね、長崎県及びもう一ヵ所の何処からか白い石を
   持って来て、それを歯磨粉のように細かく粉砕して、それを、一昼夜、水に漬けて置く
   と、水が浸潤して粘土のように柔らかい可塑性のものができる。

   それを一定の形に捏ねて焼くと磁器ができるのです。

   ところで、その石を粉砕したメリケン粉のような小さな粉末を、顕微鏡で覗いて
   見ると、単なる粉の粒ではなくて、実に美しい結晶になっているのです。

   肉眼で見ると唯の粉に過ぎないけれども、よくよく見ると、石でさえもそういうふうに
   美しい結晶に秩序整然と並んでいるのであります。

   この秩序性というものはどうして起こるのであるかといいますと、其処に生きている
   生命(いのち)があり、そして秩序正しく並べる処の知性の働きというものがあって、
   始めてその成分が美術的な造形をもって並ぶのであります。

   ものが秩序整然と並ぶのは、そこに生命(いのち)があり、心がなかったら、
   秩序整然と並ぶはずがないのであり。

   兵隊さんでもですね、死んでしまった兵隊さんを集めて置いて「右へー、ならえ!!」
   と命令しても、死んだ兵隊さんはバラバラに引っくり転(かえ)っているばかりで、
   決して秩序整然とは列(なら)ばないのであります。

   兵隊さんが秩序整然と列ぶためには兵隊さん一人一人に生命(いのち)があり、
   心があり、知性があって、その場合に「右へー、ならえ!!」と命令すると、
   しゅうっと、真直ぐに一列に並ぶ。

   或いはここに湯呑があるとしてですね、ちゃんと秩序整然と並べますと、秩序正しく
   ちゃんと並ぶのですが、これは物質が勝手に動いて秩序正しく並んだのじゃないので
   あって、これは私に生きている生命(いのち)があって、
   私の心がこうして並べたのであります。


(4)秩序ある形態は心によって生ずる

   すべて秩序は生命ある者の知性から来るのです。

   今火星に人類がいるという説がありますけれども、先ず人類がいるらしいと
   考えられたのは、何故であるかというと、あの火星を望遠鏡で見ると、
   秩序整然と碁盤の目のように何らかの線が引かれているということですね。

   あれが天然自然に何か川のようなものの流れた痕跡であったり
   自然に山脈ができたような線であるとするならば、
   それは幾らか波のように歪んでいるはずであるというのですね。

   自然にできた地上の川なんかでも皆地図を見ると
   歪んだブル線を描いて流れているのであります。

   若し歪まないで一直線に流れている川があるとすれば、それは運河である。
   それは生きている生命(せいめい)ある者の知性がその川を設計して、そうして、
   その設計図通り川を掘ったものだというほかはない。

   だから火星にああいうふうに秩序整然と河らしいものが碁盤の目のように
   引かれているのは、あれは運河であるのだろう。
   だから、それを考え設計したところの智慧のある生物がいるに違いない。

   それは人間よりも発達した生物かも知れないと、まあ、
   こういうふうに結論を下した人もある訳です。


(5)鉱物の結晶はそれを計画した者の知性をあらわす

   それはそれとして、鉱物の結晶形というものに於いて、秩序整然と
   その分子が列んでいるということは「無機物」即ち「心のハタラキの無い物」、
   死んでいると思われている鉱物の分子に、一種の智慧があり想念があるもの
   であることを表わしている訳であります。

   それで、その智慧が、一定の形を描いて、この形に互いに「列ぼう!」という
   想念がもとになって、形がその想念の形になったのであります。
   その心の想い──即ち想念をコトバというのです。

   だから想念が即ちコトバであって、眼に視える形あるもの、眼に見えざる原型
   なのであります。想念を起こさなければ何もない、何もないけれども、
   想念を起こす時に、形ある現象ができてきます。

   宇宙の初めに於いて五十音が未だ分かれてあらわれて来ない「未発の声」
   であるときには、この宇宙に鳴り響いている声は◎(<中心の丸は黒点>ス)
   の声であります。それは「ス」とハッキリ出る声ではなく無声の声である。

   我々がスヤスヤと眠っている時のスーの声である。

   併し、鼾をかく人は、これは別であります。ガーガー、グーグー、ズーズーなんて
   眠っていても声を出す人がありますが、それは、何処か咽喉(のど)などに
   故障があって、偏って自己限定しているわけであります。

   未だ発せざる「ス」の声なる天之御中主神のミコトは
   ガーガーも、グーグーも、ズーズーも現れないところの、
   それは実にスミ切った”スー”の声であります。

   こうしてそれを声に表しますと聞こえますけれども、若し声に現さなかったら、
   皆さんには聞こえないから、説明の仕様がないから、声に聞こえる声であらわして
   「スー」と申すのですが、これは「サシスセソ」の中のスではなく、
   ◎(<中心の丸は黒点>ス)であります。

   ◎(<中心の丸は黒点>ス)という文字は、古代日本にあった「日文字(ひぶみ)」
   と称する太陽の象(かたち)を元にした象形文字であると伝えられているのですが、

   「未発の中(ちゅう)」に当たるところの、すべての声を一つに中心に統一した時の
   ”無声の声”である”スー”をあらわす象形文字としたのが
   ◎(<中心の丸は黒点>ス)で、発音はできないが、
   ○の中心に ・ をおいて偏らずに統一された象(かたち)をあらわした
   のであります。


(6)”ナリ”の哲理について

   聖経『甘露の法雨』に「完全なる神の『心』動きいでてコトバとなれば一切の現象
   展開して万物成る」とありますが、偏りなく無相に統一された
   ◎(<中心の丸は黒点>ス)の心が動き出して想念が展開して
   万物がそこに生まれて来るのであります。

   「万物が成る」ということはつまり「鳴る」ということです。
   「成就」の成も就も共にナリと読みます。
   毛利元就の「就(なり)」という字も、矢張り「なり」であります。

   万物が「成る」のは、すべて「鳴り」であって、コトバの”なりひびき”に
   由って「成る」という訳であります。

   そういって私が説明すると、皆さんは「なるほど」とおっしゃる。
   この「なるほど」というのは、「鳴り響く」、「鳴る通りである」
   「あなたの仰言(おっしゃ)るとおりです」という意味であります。

   「なり」を漢字で書けば「也(なり)」であります。
   「これはマイク也」「これは湯呑也」というのは文語体であります。

   しかしこれを口語体にいいますと、「これはマイクと”いうもの”」
   「これは湯呑と”いうもの”である」とかいうのです。「いうもの」というのは、
   即ち「言う物」──「言われたる言葉の塊だ」という意味であります。

   「これはタオルというものである」「これは籠というものである」
   「これは書物というものである」──このように一切のものは、すべて「いうもの」
   であって、「言葉の塊」にほかならないと、

   ちゃんと日本人は、直感によって知っていたからこそ、自然にこのような言葉を
   使っているのであります。

   なにしろ日本人は言語的直感が鋭い。
   宇宙はまん円いことを直感によって知っていて顕円(あま)<天(あま)>
   ──即ち「アラワレル・マルイ」と言ったのであります。

   そして事(こと)は言(こと)であり、すべての事は皆コトバの結晶であるのだ
   ということを直感によって知っていて、それを自然に言語にあわらわしていた
   素晴らしい民族であります。

   そういう素晴らしい民族に皆さんがお生まれになったことを誇りに思わなければ
   ならない。

   皆さんはみな「神の子」でありミコトである。

   「神の子」であってもその自覚がなければダメだが、日本人は古代からみずから
   「神の子」であることを自覚していたので、自己を何某(なにがしの)命(ミコト)
   と呼び、日止(人)日子(彦)日女(姫)と称したのである。

   「日(ひ)」は「日の大神」(天照大御神)をあらわす。

   諸君はよろしくこの尊き日本人の祖先の自覚を取り戻さなければならないので
   あります。   


(7)陰陽二神の文化と結合

   宇宙の本源である普遍の神なる天之御中主神というのは陰陽左右どちらにも偏らない
   神様でありますが、『古事記』には『次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
   次に神産巣日神(かみむすびのかみ)』という神様が現われているのであります。

   「高御(たかみ)」というのは、語源的に解釈しますと、
   「た」は「高(たか)」とか、「たくましい」とか、「凧(たこ)」とか
   「立つ」とか、まだいろいろありますけれども、
   とにかく上に秀でている意味をもっているのが「高(たか)」であります。

   「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の最初の「かみ」は、高御産巣日神の「高」に
   対して「カミ」は「下身(かみ)」をあらわしております。

   「タカ御産巣日」に対して「カミ御産巣日」と、もう一つ「御(み)」を附け
   なければならぬのでありますけれども、併し「カミミムスビ」となりますと「ミ」が
   二つ重なるものでありますから、「ミ」を一つ省略して、そして一方は
   「たかみむすび」、他方は「かみむすび」となっているわけであります。

   「カミ」を解りやすいために「下身(かみ)」という漢字に当て嵌めましたが、
   「か」というのは、「「高(たか)」に対して低いことを意味しています。

   低い方を「下部(かぶ)」というのですね、樹(き)の切り株(カブ) 
   大根の長いのに対して低いのを「かぶ」(蕪)又は「かぶら」といいます。
   ”かぶら”の背の高いのは見たことがないのです。

   元来「か」というのは語源的に解釈しますと、「微(かす)か」であり、
   「幽(かす)か」であって秀でていない、幽微なるもの、微かであって
   表面にあらわれないので、縁の下の力持ちみたいなハタラキをするのが、
   この「神産巣日神」が象徴している女性の働きであります。

   微かであって、表面には見えない、あんまり目立たない働きをするものの
   頭文字に「か」がついた名詞が多いのであります。

   例えば「香り」とか「霞」とか「風」とかいう。

   香りなんかでも見た人はないのであってあんまり目立たないで、よい匂いがしている。
   「霞」もあまり目立たない。霞がかかると景色がボンヤリして目立たなくなる。
   風なんかもソヨソヨと肌には触るけれども、風を見た人はないのですね。

   このように幽かであって目立たない働きが、この「か」の言霊であります。

   「カミムスビ」の「カミ」はその「目立たない身」という意味です。

   「タカミムスビ」「タカミ」は「高き身」「逞しき身」であって、
   これは目立って秀でている男性の「身」であります。

   このように”タカミムスビ”と”カミムスビ”と二柱の神様が陽神と陰神とであって
   互いに「むすぶ」働きの神様であるという訳であります。


(8)”結び”は”新価値”の創造である

   日本では古来「愛」という字を使わなかった。
   「愛」という語はシナの言葉ですが、英語では「ラブ(LOVE)」というんです
   けれども、これは煩悩の愛とも間違う。

   日本ではそのような不完全な語を使わないで、
   「産巣日(むすび)」と言ったのであります。

   「むすび」というのは
   「愛」という語よりも非常に深遠な意味を含んでいるのであります。

   「むすび」というのは、「結婚」の「結」に當たる字ですが、皆さんが羽織の紐を
   「結ぶ」と言っても、近頃の若い人では羽織を着ている人が少ないし、羽織の紐を
   知らない人が多いが羽織の紐でも寝巻の紐でも、左と右とを結び合わす。

   そうすると、前の結ばないときよりも美しい複雑な形が現れてくるでしょう。
   これは「新価値の創造」である。それで左と右、陽と陰とが完全に結び合うと、
   このように「新しき価値」がそこから生まれてくるのであります。

   愛は自他一體の働き、陰と現われ、陽と現われているけれども
   「本來一つ」であるから、互いに結ばれて一つになることです。
   「愛」というのは「自他一體」の實相の再認識であります。

   こういうふうに、宇宙の本源なるところの本來一つの神様が、二つに分かれ、
   陽と陰とに分かれたのがそれが再び一つに結ばれて「新価値」を生み出すところの
   働きをするのが、

   「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」
   である。

   「むすび」の「むす」というのは、御飯を「蒸す」とか、お米を「蒸す」とかいう
   あの「むす」であります。

   「蒸す」というのは、皆さんが正月になると、餅米を一晩水に漬けておいて、それを
   蒸籠(せいろう)に入れまして、その蒸籠を幾つも重ねて、下から火で燃やすのです。
   火力は縦にのぼるのであって、「立つ」ハタラキであって、陽のハタラキです。

   これは「高御産巣日」で、高く逞しくのぼってゆく、そして蒸籠に入れられている
   お米には、一夜、水につけたために、水分が十分侵み込んでおって、
   水は水平で「横」である。

   その「陰」(水)と「陽」(火)と「横」と「縦」との結びに依りまして、
   其処に「うまい」という味が出て來るのであります。
   即ち「うまい」「おいしい」という「新価値の創造」が出て來るのであります。

   併し、その儘では一粒一粒が未だばらばらなのであります。
   餅米を蒸した丈(だけ)では、まだ一粒一粒が別々になっている。

   それをもう一つ搗(つ)き固めて餅にするのです。
   バラバラのものが一つに統一されて餅というものになるためには努力が要ります。

   「搗く」という鍛錬のはたらきによってネバリが出て、餅となる。

   それが心の鏡にするから「鏡餅」又は「オカガミ」と呼ぶのです。
   

(9)正月の鏡餅の意義について

   鏡餅というものを、お正月になんのために床の間に飾ったりするかというと、
   あれは”心の鏡”として反省するためで、こういう円満な心まん円い心になって、
   夫婦一体に、仲良くこう重なっていないといかんぞよと、示されているのであります。

   まことに家族は皆ばらばらではいけないのであって、みんな一体になって、
   まんまるく、円満で、一つ心になって了わなければならんのであるということを、
   お正月即ち年の始めに、新たに生まれる積りで、今年はこの鏡餅の如く家族が

   バラバラでなく一体となり、円満完全に夫婦仲良く致しましょうという象徴行事が
   この正月の餅飾りである訳であります。


(10)昔の丸薬と現代の錠剤と

   兎も角「むすび」というのは個我のバラバラが滅して一体となる、そして新価値を
   創造する訳です。
   それで、お米を蒸して、そして手でにぎり”むすび”ますと、
   「おむすび」というのができる。

   「おむすび」とは「握り飯」のことですね。握り飯は、あのばらばらの御飯を
   食べるよりも、しんみりした味が加わっています。子供なんか握ってやる
   と喜んで食べるのですね。ばらばらの飯よりもあの方を喜ぶ。

   あれは本当に新しい味が加わっているのです。
   掌(てのひら)からは、霊氣が出るのであります。

   ”ヨガ”などでは、その霊氣をプラナと言っている。
   神想観や合掌の行事をやっていると、このプラナが豊かに出るようになり、単に
   手を触れるだけで一寸した病気なら治し得るようになる。

   昔の丸薬は、皆、両手の掌で、ひねくって丸く拵えたのであります。
   だから、あれはよく効くのです。
   つまりプラナの働きが加わっているのです。

   ところが、今の薬剤はオートメーションの機械で製造する。
   機械で粉砕をして、機械で丸めて出して来るから、この頃の丸薬にはプラナという
   貴重成分がないから、昔ほど効かないのが多い。本当ですよ。

   機械製のものは、掌の霊氣というものがかかっていないから、味わいがない。
   印刷した画(え)と、手で描いた絵との相違ほど違う。手でつくっても機械が拵えて
   も、形だけは似ているけれども、微妙な、顕微鏡にも見えぬ程だが、兎も角ちがう。

   それはどの程度味が違うか、効き方が違うかというと、機械で造った錠剤と手で
   こしらえた丸薬とは、普通のご飯と、握り飯を食べるほど違うということになって
   いるのです。

   そういうわけで、この「むすぶ」働きは、単に「愛する」というような甘い意味
   だけではなく、「自覚の一新」又は、「新しき霊氣」によって、「新たなる価値」
   が其処に創造されるという深い意味をもっている訳であります。



  (一即多、多即一)

   そいうムスビの働きをする神様が「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」
   「神産巣日神(かみむすびのかみ)」という訳であります。

   ところで『古事記』には、『此の三柱の神は、並(みな)独神(ひとりがみ)成り
   坐(ま)して、身(みみ)を隠したまいき』と書かれております。

   三柱のようだけれども、この神々は「独り神」であるというのは、単にこれらの
   神様が独身の神様であって、”奥さんが無い”という意味ではないのであります。

   それは三柱の神様のように見えているけれども、「一つの神」であるということが
   「独神(ひとりがみ)」であります。

   そしてそれは、物質の肉体をもっている神様じゃない。
   無相の相(すがた)無き神様であるということが『身(みみ)を隠したまいき』と
   いうことの意味であります。

   ―― 相(すがた)、形が現象的にはまだ現れていない処の恰度、太陽光線が無色で
   あって、肉眼にはどんあ色も見えないが、その中に一切のものが包蔵されているという
   無相にして一切事物の創造の根源の神様であるという訳であります。

     ”次に国稚(わか)く浮脂(うきあぶら)の如くして、くらげなすただよえる時に、
     葦牙(あしかび)の如(ごと)萌(も)え騰(あが)る物に因(よ)りて、成り
     ませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)、次に
     天之常立神(あめのとこたちのかみ)。

     此の二柱の神も独神なり坐(ま)して、身(みみ)を隠したまいき。”
               (天地<あめつち>の初発<はじめ>の段<くだり>)

   と『古事記』には書かれておりますが、『身(みみ)を隠したまいき』という唯一絶対
   の神様がまた二柱出てきた訳であります。

   こいうことが、一寸西洋人には解らない。
   三柱が一つの神であるということが判らない。
   また二つ出て来て合計五柱の神々になる。

   そしてそれが一つの神様であるということがどうも解らない。

   「五柱なら五つじゃないか、”五つ”が”一つ”ということは有り得ない」というよう
   に西洋人の科学的な頭は考え勝ちであります。併しその科学的な頭では、どうしても
   世界の平和ということは出て来ないのです。

   ”五つ”はどこまでも”五つ”で”一つ”ではないというのは、個人主義的な考え方で
   あります。

   ひとりひとり形が皆別に現われておったなら、別の存在であると思って、
   34億の全人類がいるとするならば、34億の人類はいつまでも皆バラバラの34億
   であって”一つ”ではないから、永久に一つになりようがないのです。

   そこで、どうしても”一即多、多即一”という真理が判らなければ世界平和は来ない。
   一切の生命(いのち)は”一即多”であり、”多即一”である。”多く”見えている
   けれどもそれは”一”であり、”一つ”であるけれどもそれは”多”である。

   或るキリスト教の牧師が日本へやって来て、

   「日本の民族は迷信家が多い。何故かというと、八百萬の神といって
   いろいろたくさんの神を祀って拝んでいるから、あれは迷信である。
   しかも或る形ある宮を拵えて拝んだりしているから、
   あれは偶像崇拝であってエホバの最も嫌い給う処のものである」

   なんて ―― そんなことをいった牧師があったそうですけれども、
   これは一即多という処の真理を知らないからそういう事を言ったのであります。

   真理は、すべての神は”一”であると同時に”多”であり、”多”の姿に化身または
   方便身としてあらわれるけれども本来”一”である。
   また34億の人類は、34億であると同時に”一つ”の神のいのちである。

   それが判らなければ、世界の平和をいくら叫んでも、
   バラバラに分かれて平和は来らない。
   それが解るのが日本民族である。

   今さら解ったのじゃなくて、『古事記』が書かれたその前から、ずっと悠遠な
   歴史以前から、日本民族が言い伝えて来たところの其の天地開闢の物語をそのまま
   稗田阿礼が憶えていて、それを太安万侶が書いたということになっているのが
   『古事記』であります。

   その『古事記』に、既に”一即多・多即一”の真理が象徴的に書かれているのです。
   まことに『古事記』は古代の日本民族が自覚した処の天地創造の原理と
   ”結びの哲学”が書かれているので尊いのであります。

   この”一即多・多即一”の日本的な原理に依らなければどうしても、
   世界は”一つ”にならない。そこに日本民族がこの地上に生まれた使命がある。

   この実に素晴らしい使命をもった民族の中に生まれた自分を
   諸君は祝福しなければなりません。


   (第2章「古事記の神」は以上で完了です)

・・・


第3章は、以下の構成となっております。
(1)日の丸に象徴された一即多の真理
(2)平和の原理の体現なる「やまと」の国号
(3)内的生命の自然具象化としての国号及びいろいろの日本品
(4)部分が先か、全体が先か
(5)日本人の住居にあらわれた大和(だいわ)精神
(6)衣服及び履物にあらわれた大和精神
(7)霊的素粒子の発生を象徴する神
(8)宇宙発生の初期時代には
(9)神は物理学的法則を超える
(10)”常立神”について
(11)豊雲野神(とよくもぬのかみ)について



第3章 部分が先か、全体が先か

(1)日の丸に象徴された一即多の真理

   以上述べましたところで、総てのものは個々別々に沢山に分かれているけれども、
   個々別々でありながら同時に「一つ」であるというところの原理が、皆さんには
   お判りになったと思うのであります。

   ”原理”という不可視の様式が内部にあって、それがすべて形相(かたちすがた)と
   して象徴的に現れて来るのであります。

   日本人は古代から、”一即多・多即一”の真理を直感的に把握していました。
   だから、精神的に把握したものが形にあらわれるわけで、日本における多くの事物は、
   その自覚を象徴して現わされています。

   例をあげれば日本の国旗、日の丸、というものも、日本精神の象徴の一つであります。

   これは全體は一つであるという象徴である、○というものは、我々は黒板にでも何処に
   でも図解する時に「これを皆一つにまとめて」という場合に、いろいろのものを包んだ
   ○の線を書くのであります。

   こうして、どういう場合にでも、全體一つという時はもう自然に我々の腕の運動が、
   ○い形をしてその○で包んでしまう動作をするのです。

   「私はお前を愛する」「お前と私とは一體(ひとつ)だ」という時には、両腕を左右
   から合わして、相手を両腕でできた圓環(えんかん)で包んでしまうのです。

   そういう「すべて一體だ」という愛の精神が形に現われたのが、”日の丸”であります。
   だから日本民族ぐらい平和な民族はない。

   分析でバラバラに分かれている原理では対立抗争ばかりで世界には平和は来たらない。
   バラバラのように見えても本来一體だという日本的原理に依らなければ世界は和合して
   平和にはならないのであります。

   ・・・・・

   <参考>本掲示板内”さくらふぶき さま”のスレッド「日章旗奉戴の祝詞」では、
       日の丸を他の角度から、その意義をお示しいただいております。
             http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=553

   【日章旗奉戴の祝詞】

   我れ日本建国の理想を象徴する日章旗に礼拝し奉る。

   畏くも宇宙を照らし給ふ光明遍照の天照大神、實相の世界より彦火瓊々杵尊を
   降したまひてよりこのかた、神武建国に至る一百七十九万二千四百七十余歳なり。

   この悠久なる期間、世の荒きに遭ひ、時の暗きにあたれるも、日本民族よく暗黒の中
   にも正しきを養ひ、慶びを積み、光を重ね、つひに神武天皇の建国を現象界に見るに
   至りぬ。

   神武天皇 長髄彦(ながすねひこ)に徼(さえぎ)られて進む能はず、
   爰(ここ)に天皇、神策を案じ給ひて

   「我は是れ日の神の子孫(うみのこ)にして、日に向ひて虜(あだ)をうつは此れ
   天の道に逆らへり、退き還りて弱きことを示して、神祇を敬ひて、日の神の
   威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、み影のままに襲ひ
   躡(ふ)まんに若かじ、かからば則ち、曾て刃に血ぬらず、虜(あだ)必ず
   自(おのずか)ら敗れなん」と詔りして

   紀州熊野より迂回して進み給ひ、ついに師走朔日丙申(しはすついたちひのえさる)
   の日、金色の霊鵄(あやしきとび)飛び来たりて霊光かがやきて、そのかたち
   稲妻の如く、是によりて長髄彦の軍卒、みな眩しくして戦ふ能はず、

   斯くて敕(みことの)りの如く、刃に血ぬらずして大和(だいわ)来りぬ。

   我れら日章旗を掲げて進むは、自己すなはち◯(零)となりて、
   内に日の大神の御心を蔵し、世の荒きに遭ふも、時の暗きにあたるも
   常に正を養ひ慶びを積み、光を重ね、八方に円満円相にして角たたず、
   刃に血ぬらずして世界に平和を来らすための礎石国家として誕生せる
   ヤマトの国――大和の国――の建国の理想を世界に宣布せんとするなり。

   世に平和運動多くあれども刃に血ぬらずして世界平和を来らす神武天皇建国の
   理想にまさるもの世にあることなし。

   次代の日本国の興隆の運命を担ふ生長の家の青年たちこそ神武建国の理想を自覚し、
   その理想を実現する聖使命を受けたる天の選使なりと言ふべし。

   今この天の選使たちに日章旗を授く。
   余が授くるに非ず、日本建国の聖霊が是を授くるなり。余は唯、媒介なり。
   此の日章旗を、而して大和建国の理想が全地上を覆ふ象徴として行進せよ。

     生長の家総裁  谷口雅春

     《昭和三十四年五月三日第二回青年会全国大会の日の丸行進に際して》

   ・・・・・

(2)平和の原理の体現なる「やまと」の国号

   だから、その平和原理の体現せる国として神武天皇は「やまと」と国号をつけられた
   のであります。漢字で国号を「日本(にっぽん)」とつけるようになってからも
   日本を「やまと」と読んできたのであります。

   「や」は「八百萬」の「や」、「彌生」の「や」であって
   「沢山」のことを意味します。

   「ま」というのは、「纏(まと)める」という意味です。

   「と」は「止める」という意味ですね。

   「いよいよ沢山のものを一つにまんまるく争いのないように纏めて一つに
   止(とど)める」というそういう意味の国号をつけられたのであります。

   それも自然にそういう国の名前がついたのであって、こういう国の名前にして
   おいたら、将来日本の国はこういう精神の国であると宣伝するのに都合がよいから
   とというわけで、そういう国号がつけられたのではないのであります。


(3)内的生命の自然具象化としての国号及びいろいろの日本品

   日本民族の内的生命そのものがおのずから外部に具体化して、其処に象徴的に
   このような国号がつけられ、このような”日の丸”が国旗となったわけであります。

   そういう”一即多・多即一”という真理の表現として日本人は何でも一つに毀さずに
   包むことができる所謂風呂敷というのをこしらえました。

   風呂敷というものは大変便利でありまして、何でもひとつに包む。
   これも包むし、あれも包むし何でも包むのです。
   包容精神が広いのであります。

   しかし、持ち分け、切り分ける分割精神の持ち主の西洋人の発明したハンドバックと
   いうものは、どうも一定の形以上の物は入らないのであります。

   ハンドバックに湯呑やマイクやいろいろなものを押し込むのは、どうも都合が悪くて
   入らないですね。湯呑や茶碗をハンドバックに入れようと思えば壊さないと入らない。

   ところが、風呂敷だとどんな形のものでも、それを毀さずにそのままそれを包んで
   しまうことができるのです。そしてそれを畳めば形が小さくなって掌の中におさまって
   しまう。

   「これを握れば一点となり、これを開けば無窮となる」「無我にして一切を包む」
   というずいぶん素晴らしい日本民族の融通自在の精神というものが其処に現われて
   いるのであります。

   これは、服装にいたしましても、あの西洋人の服装というものは、腕は腕で一本ずつ
   別々に入れる袋をつくり、胴は胴で、胴を入れる袋をつくり、脚は脚で一本ずつ
   入れる袋をつくって繋ぎ合わしたものであります。


(4)部分が先か、全体が先か

   西洋精神というものは、部分が先にあって、そのばらばらのものを繋ぎ合わすこと
   によって、何でもできると思っているのです。

   民主主義の国家観もそれであります。人民という部分が先ずあって、部分が集まった
   ものが国家だと思っている。これでは部分の利害関係が対立すれば国家は分裂する。
   だから本当の平和運動というものは其処から出てくるはずがないのです。

   自動車一つでも部分品の集まりだけではできあがらない。
   自動車全體の設計即ち「精神的原型」があって、その精神的原型にしたがって
   部分品がつくられ、それが原型通りに組み立てられて、
   1台の自動車ができあがるのであります。

   部分が先か、全體が先かは、哲学上重大なテーマでありますが、
   全體という「一つのもの」が先にあって、互いが本来一つだというのでなければ、
   本当にすべてのものが調和した平和は来たらないのであります。

   日本人は全體が先であって一圓相(いちえんそう)のものであるということを直観に
   よって知ったのであります。その自覚が、「やまと」という国號にあらわれ、
   日章旗にあらわれたのであります。

   そういうように、日本人の服装を見ましても、「世界は一つだ」ー
   という生命的な認識がちゃんと形に現われているわけであります。


(5)日本人の住居にあらわれた大和(だいわ)精神

   私たちの住む家にしましても、日本人の伝統的住宅である和風建築の家は
   どういうふうになっているかというと、部屋と部屋とのしきりがただ、
   紙製の襖とか、障子とかいうもので仮に隔てられているだけであって、

   自由にそれを開けて入ることができるし、隣の言葉も聞こえるし、
   何ら秘密がなく、互いを完全に分割する隔壁はない。

   即ち閾(しきい)という国境はありながら
   「全体は一つ」(八紘一宇)(はっこういちう)なのであります。

   目を転じて、アパートの西洋人の最初に設計したような、ああいう建物を見ると、
   みんな一室一室鍵を掛けてドアを閉めている。
   そして其処は李承晩ラインみたいに入れてやらんと言っている。

   分割して、ドアを設けているのは「入れてやらん精神」です。

   大体この「入れてやらん精神」から戦争が始まったのであります。

   日本民族は侵略国民だと教える日教組の先生もあるけれども、
   決して、そうじゃないのであります。

   大体アメリカが日本人移民禁止法というこしらえて、人口に比較して、
   あんな広い地面が余っているのに、面積に比較して人口が多過ぎて困っている
   日本人に移民禁止法で「入れてやらん」というのです。

   この「入れてやらん」というのが間違っているから「入るぞ」と言って
   行動を開始すると戦争になるのであります。

   大東亜戦争も、アメリカのハル国務長官が、「日本は満州国を解体して手を引け、
   満州から出てゆけ」と言いだしたので戦争が始まったのであります。

   戦争の原因はすべて分割精神から来るのであります。
   決して「互いに兄弟精神」からは起こるものではないのであります。


(6)衣服及び履物にあらわれた大和精神

   日本民族の精神というものは、この「八紘一宇精神」(互いに兄弟精神)で
   ありますから、「全ては一つ」という精神を服装にまで具体化して、全肢体
   をすっぽりと一つに包む形の服装をしているのであります。

   日本人の履く下駄でも草履でも、ちょっと大きい足でも小さい足でもどんな
   足でも入れてやる。赤ん坊でもお父さんの下駄をつっかけて歩くことができる。

   そうかと思うと子供の下駄でもお父さんが引っ掛けて歩けないこともないので
   あって、どんな大きなものでも自由自在にそれを包容してやるというところの、
   その日の丸精神というものが、象徴されているのです。

   ところが西洋人の発明した靴はどうですか。
   ちょっと寸法の違ったら足が痛くてなかなか履けやしない。

   そういうように「他のものは入れてやらん。寸法の違うものは入れてやらん」
   というのが、あの西洋式分割精神であるのです。

   これに反して全体を兄弟として一つに包むという日本民族の「一即多」の
   円相自在の包容精神のみが本当に世界を平和にならせるところの心であると
   いうことが判るのであります。

   こういう特長のある日本精神を有(も)って生まれた日本民族を好戦国民で
   あると考えるのは非常な間違いなのであります。

   兎も角そういう日本精神をもった日本民族はまことに素晴らしいのであります。


(7)霊的素粒子の発生を象徴する神

   さて『古事記』のその次には『くらげなすただよえる時に』とありますが
   「くらげ」というのは「海月(くらげ)」などという漢字を当て嵌めたり
   していますが、

   あの海の中に透明の姿でうようよと、一定の形をしないで漂うているのが”くらげ”
   であり、透明でまだ一定の形がないという意味で「暗氣(くらげ)」という
   「暗黒の氣」を引っかけて形容してある文章であります。

   『くらげなすただよえる時』というのは、まだ其処には光が顕れず暗黒であって、
   何にも形のない混沌とした”くらげ”のような透明な世界であるという意味です。

   「漂える」というのは、やはり一定の形を一定の場所に生じていない、波のように
   ふらふらしている形容であります。

   一定の形がなく、暗黒にして透明なる混沌の世界に『葦牙(あしかび)の如萌騰る物
   因りて、成りませる神の名(みな)は、ウマシアシカビヒコジノカミ・・・』と
   ありますのは、

   アシカビとは葦の芽が生まれ出てくるように、ボツボツと素粒子、原子、分子のような
   ものが出てきたということであります。

   しかし、これは現象宇宙ではないのであって、現象宇宙の本になっているところの
   実相世界における素粒子などの理念の発生であります。

   その素粒子の理念が本になって、それが現象界に具象化して現象界の分子、原子として
   生まれてくるので、その本の設計になるところの理念が「宇摩志阿斯訶備比古遲神」
   なのであります。

   「うまし」というのは、陰陽が交々(こもごも)結び合って「うまし」という働きが
   出てくるのであります。「うまし」というのは「霊妙」という漢字をあてはめれば
   意味がよく判るわけです。

   不可視の透明の混沌の世界から、霊妙不可思議な働きによって葦の芽がボツボツと
   生まれてくるように、無際涯のこの宇宙に、素粒子、原子、分子というようなものが
   出てきたのであります。


(8)宇宙発生の初期時代には

   天文物理学者の研究によりますと、星と星との間の空間は真空であるけれども、
   今も現に、其処に極く微量の、最も簡単なる元素即ち水素が発生しつつある
   ということであります。

   そして太陽及びすべての恒星が、水素の塊であることから考えると、
   天体というものは最初水素が ―― 一番簡単な或る元素 ―― が出てきて、
   それが複雑に核融合して、だんだん原子量の重い元素ができてきた訳であります。

   簡単なものから複雑なものに組成されるということは、ものの自然の順序であって、
   一番最初に水素が生まれてきて、だんだん複雑な元素が生まれてきた。

   その複雑な元素の発生にともなう放射能の半減期などから計算して、
   その天体の年齢を計算することもできるわけであります。

   さて、現象宇宙発生の最初には、最も簡単な水素が生まれてきたけれども、
   水素というものはガスでありますから、拡散して散ってしまう性質をもっている
   ものであります。
   これは水素ガスの物理学的必然の性質であります。

   水素が拡散して散ってしまうということは、子供の玩具(おもちゃ)の
   ゴム風船 ―― あの中に水素を入れると、水素は一番簡単な元素で軽いから
   ゴム風船は浮き上がる。

   ところが、あのゴム風船をちゃんと口を括ってガスが出ないようにしていても、
   24時間もたつと、ゴムの分子の隙間から水素ガスが逃げ出して、風船の形が
   小さくなって、ゴムがちぢれて皺が寄って下に落ちてしまう。

   あんなにゴムの袋に入れて密閉しておいてさえも
   水素ガスは粒子が細かいので散ってしまうのであります。

   ところが宇宙に極希薄に発生しているところの水素ガスを、ゴムの仕切りも、
   蓋も、ガス・タンクも、何もなしに、一つに”ぎゅっ”と散らせないように
   固めたところの不思議な力が宇宙にあって、水素ガスを固めて太陽にした
   というのです。

   で、拡散する物理的性質のある水素を形にして”ぎゅっ”と固めて、その圧縮熱
   によって原子核の核の融合反応が起こって、水素ガスがヘリウムに転換しつつある、
   その核融合の際の余剰エネルギーが放射される。

   それが太陽の高熱として我々に感じられるわけであります。
   

(9)神は物理学的法則を超える

   それは兎も角、ガスは拡散するのがその物理的性質で、ゴム風船みたいに
   ”ちゃん”と口を括っておいてすらもゴムの分子の間から散って行くのですから、
   それなのにゴム風船の如きゴムの袋も、ガス・タンクも何もないのに、
   それを散らせないで球体に固めて、

   しかも驚くべき圧力をもって固めて、その圧縮熱が摂氏二千五百万度になるほどの
   圧力で ”ぎゅっ”と固めて水素ガスをヘリウムに転換しているというのは
   水素の物理的性質なる拡散現象とは逆の現象を起こすところの物理学の法則以上に
   働くところの「不思議なる力」というものがこの世の中にあるんだということを
   認めなければならないということになるのであります。

   この不思議なる力が神であり、大生命であります。

   ここに大切なことがわかるのであります。生命というものは物理学の法則を
   超えたものであるということであります。

   そして生命は、必要に応じて物理学的法則を利用しながら、
   しかもそれを超えることができるわけであります。

   そのことは我々の人体の生理作用においても矢張りそういうハタラキがある。
   我々は食物を胃袋に入れると、ある消化酵素の働きによってその食物を消化する――
   それは物理学の法則で”ちゃん”とそうなるのであります。

   それは試験管に食物と消化酵素を入れ適当の温度にしておくとちゃんと消化して
   乳び状になります。そこまでは生きた人間の胃袋の中でも、試験管の中でも起こる
   物理化学現象であります。

   しかしそれからが違うのです。試験管の中の食物はそれからは腐敗分解するばかり
   ですが、胃袋の中にある食物はやがて、吸収同化されて「人間」になるのです。

   牛を食べても、鶏をたべても、それが人間になるということは、
   しかも”個性を持った人間”となるということは、これは物理学を超えたところの
   生命の作用であるというわけであります。

   で太陽ができた物理的過程も、我我の肉体がかくの如く造られている物理的過程も、
   結局それは一面から見ると極めて高級なオートメーション装置で自働的に
   行なわれるところの過程であるけれども、

   しかもそういうオートメーション装置を拵えたのは、誰がこしらえたかというと、
   物理学を超えたところの不思議なる生命の作用がこれを拵え、生命が自己表現の
   ために、それを利用しているんだというわけであります。

   それで「宇摩志阿斯訶備比古遲神」というのは、そういう霊妙不可思議な作用に
   よって分子原子を造り出すその作用を神様の名前にして表現してあるわけです。


(10)”常立神(とこたちのかみ)”について

   次に「天之常立神(あめのとこたちのかみ)」という神が『古事記』にはでてきます。

   かくの如くして創られたところの世界は「常立(とこたち)」の世界である、
   というわけなんです。

   「常立(とこたち)」というのは、金剛不壊であって砕けないという意味で、
   無常の反対です。

   「常立(とこたち)」というのは、「実相」が常に立っておって、
   常に砕けないところの金剛不壊の有様をいったので、
   その原理が即ち「天之常立神」であります。

   即ち「天之御中主」の、どちらにも偏らない「未発の中」であるところの神様から、
   陰陽に分かれる作用の原理、それからこの陰陽の原理が互いに結び合わされて、
   ボツボツと水素の原素が生まれてくるような作用を掌(つかさど)っている神様が
   「宇摩志阿斯訶備比古遲神」でありますが、

   かくの如くして元素が生じ集まって構成されて出来た世界を、
   常立(とこた)たしめて、永遠に滅びない相(すがた)に維持している神様が、
   これが「天之常立神(あめのとこたちのかみ)」であります。



     ”次に成りませる神の名(みな)は、
     国之常立神(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(とよくもぬのかみ)。
     此の二柱の神も独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)隠したまいき。
                <天地(あめつち)の初発(はじめ)の段(くだり)>

     次に成りませる神の名(みな)は、

     宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に妹須比智邇神(いもすひぢにのかみ)、
     次に角杙神(つぬぐいのかみ)、次に妹活杙神(いもいくぐいのかみ)、
     次に意富斗能地神(おおとのぢのかみ)、
     次に妹大斗乃辨神(いもおおとのべのかみ)、

     次に於母陀琉神(おもだるのかみ)、
     次に妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのかみ)、

     次に伊耶那岐神(いざなぎのかみ)、
     次に妹伊耶那美神(いもいざなみのかみ)。”
                  <神世(かみよ)七代(だい)の段(くだり)>


   『次に成りませる神の名(みな)は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)』
   ―― というのであります。

   「國(くに)」と「天(あめ)」と、こう分けてあるのは、天地(てんち)の如く、
   二つ対照的に表現してあるのであります。陰陽と天と地とを対照的に用いる場合には、
   「天」は「実相世界」であり、「地」はその表現の世界であります。

   実相世界を常(とこ)立たせる御(おん)ハタラキが
   天之常立神(あめのとこたちのかみ)であり、

   現象世界の事物を常(とこ)立たせる御(おん)ハタラキが
   国之常立神(くにのとこたちのかみ)であります。

   実相は天(てん)であり、天(てん)は即ち陽(よう)である。
   現象は地(ち)であり、地(ち)は陰(いん)であって、
   陰陽を揃えて神名(しんめい)が書かれているわけであります。


(11)豊雲野神(とよくもぬのかみ)について

   それから「豊雲野神」というのは、「豊(とよ)」は「ゆたか」で、
   「雲」というのは「組み合わされる」という「組み」というのと語源が同じ
   であります。

   水蒸気の分子が組み合わされて、いろいろな形の雲に現われてくるでしょう。
   あのお空の雲の形を見ていると、いろいろ不思議な、象の鼻みたいなものも
   あれば、豚みたいな格好をしているものもあるし、いろいろと雲の形が
   湧き出てくる。

   分子が組み合わされてそしていろいろの姿に現われてくるのは、
   その内部に無限の観念 ―― 心の思い ―― を生み出すところの
   「豊雲野神」があらせられるからであります。

   これも亦、『独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)隠したまいき』
   と古事記には書かれていますから、これらの神は「独神(ひとりがみ)」
   即ち唯一絶対の神の属性を別々の神名(しんめい)にあらわしているという
   わけであります。


   『次に成りませる神の名(みな)は、
    宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に妹須比智邇神(いもすひぢにのかみ)』
   ―― これも陰陽揃えてあるのであります。

   「宇」というのは浮き上がる作用です。「浮く」の「う」です。
   それから「いも」という のは「妹(いもうと)」という字が書いてあるけれども、
   奥さんのことです。

   「宇比地邇神」の「比地」というのはこれ「土(つち)」のことであります。
   「宇比地邇(うひぢに)」というのは、「軽(かろ)き土は上りて天となり」
   という 作用(はたらき)を神名(しんめい)としたのです。遠心力です。

   「須比智邇神(すひぢにのかみ)」の「ス」というのは「すーっ」と下へ
   すみきる作用(はたらき)であります。だから「重き土は下へ沈まって、
   地(ち)となる」と謂うハタラキを神名にしたので、

   それで「軽(かろ)き土は上りて天となり。重き土は下へ沈んで土となる」という
   遠心力、求心力という一対の作用(はたらき)であります。


   『次に角杙神(つぬぐいのかみ)、次に妹活杙神(いもいくぐいのかみ)』――
   「角杙(つぬぐい)」というのは角(つの)が出るように、外に現象を現わす作用
   (はたらき)の神様であります。それから「妹(いも)」というのは矢張り
   奥さんのことで

   「活杙神(いくぐいのかみ)」というのは、現象が外に現われるのに内に活気を
   含んでいなければ、精気を含んでいなかったならば、それが外に現われるわけには
   行かないのである。このうちに宿る活気が女性の作用(はたらき)です。

   男性が外へ角の如くに勇敢に突き出ることができるのは、それは女性の柔らかく、
   しなやかで、うるおいのある活かす作用(はたらき)というものが内にあって、
   始めて男性が勇気を得て、外へ角のように突き出るのです。

   そういう内(うち)に活気を含んでいる神様が
   「活杙神(いくぐいのかみ)」であります。


   『次に意富斗能地神(おおとのぢのかみ)、
   次に妹大斗乃辨神(いもおおとのべのかみ)』
   ―― 「意富斗能(おおとの)」というのは広大無辺という作用(はたらき)
   であります。

   これも男女の神様に並べてありますが、どちらも「おおとの」
   ――「大きな御殿」―― 宇宙の広大無辺の御作用(おんはたらき)を
   神名(しんめい)に表現されたのであります。


   『次に於母陀琉神(おもだるのかみ)』――「於母陀琉(おもだる)」というのは
   「面足(おもだ)る」です。「たる」というのは無限に「足る」ことです。
   たくさんあることです。

   「おも」というのは顔(かお)です。十一面観世音という仏様がありますね。
   顔が十一もあるというけれども、それはどんな相(すがた)にでも現われる
   という意味なんですね。

   顔がたくさんとは無限相ということです。神は広大無辺であって、
   同時に無限相である。その無限相の御(おん)ハタラキを神名に表現したのが、
   面足神(おもだるのかみ)であります。


   その次に、最後の締めくくりとして
   『次に妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのかみ)』と書かれておりますが、

   今まで述べたところの神々の神名は、即ち「天之御中主神の、姿・形の見えない
   神様の御作用(おんはたらき)」を、いろいろの神様の名前に托して

   表現されたものでありますが、神は無限の御(おん)ハタラキをもっていられます
   から、 いちいち挙げておっても尽きるところがないので、
   最後に「阿夜訶志古泥(あやかしこね)」という神名をもって締めくくった
   のであります。

   「あなかしこ、あなかしこ」と、もう「霊々妙々」と讃嘆するしか仕方がない
   というのでありますのを、この「阿夜訶志古泥(あやかしこね)」という
   神様の名前を托して書かれているのであります。
   これが即ち実相の神様の御作用(おんはたらき)であります。


   その高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様と神産巣日神(かみむすびのかみ)様
   とが、今度人格的に、と言っても肉体を持った人間という意味じゃないので
   ありますが、

   人格的の其処に出現せられて、そして宇宙の天体創造というものをせられる
   作用(はたらき)が、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)」と、
   それから「伊耶那美神(いざなみのかみ)」とであります。

   それが『古事記』には、『次に伊耶那岐神(いざなぎのかみ)、次に妹伊耶那美神
   (いもいざなみのかみ)』というふうに書かれているのでありまして、

   「伊耶那岐」の方は
   高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様の人格的顕われで男性原理であります。

   それから「伊耶那美神」様は神産巣日神(かみむすびのかみ)様の人格的表現
   であって、女性の神様ということになっているわけであります。

   伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)の両神については
   次に詳しく申しあげることにいたします。

   (第3章「部分が先か、全体が先か」は以上で完了です)

・・・

第4章は、以下の構成となっております。
(1)実相・理念の世界に於ける完全模型
(2)伊耶那岐・伊耶那美の二神の使命分担
(3)”イ”の言霊
(4)”エ”の言霊
(5)”サ”の言霊
(6)”イザナミ”の象徴するもの
(7)”イザナギ”の象徴するもの
(8)”天沼矛”の意味するもの
(9)”ヌ”の言霊
(10)陰陽の結合による新価値の誕生
(11)太陽系又は地球を旋回自転する島と表現した古代日本人
(12)伊耶那美のミコトの本体
(13)”ウ”の言霊
(14)伊耶那岐のミコトの本体
(15)小児麻痺及び無脳児の誕生
(16)小児麻痺発生の心霊的原因
(17)男性と女性とはハタラキの役割が異なる
(18)戦後日本の右側通行は何を意味するか


   、
第4章「伊耶那岐・伊耶那美二神の使命」

(1)実相・理念の世界に於ける完全模型

   今まで述べましたところを概括いたしますと、
   天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、
   天之常立神、国之常立神、豊雲野神と称せられる神様はことごとく
   相(すがた)、形がないので、『古事記』には『身(みみ)を隠したまいき』
   と書かれている神であります。

   「天之(あめの)」「国之(くにの)」と、
   これらの神々も「之(の)」という文字がついているのは、
   これらの神は絶対唯一の本源神でありますから固有名詞ではなく、
   その御はたらきを説明した名称であります。

   すなわち御体(おからだ)を隠しておられる独神(ひとりがみ)
   ―― 唯一独一の絶対神 ―― であったわけであります。

   この絶対神のおはたらきが、今までの神様のお名前にあらわれているのでありまして、
   『甘露の法雨』には「神があらわるれば乃(すなわ)ち善となり、義となり、
   慈悲となり、調和おのずから備わり」とありますが、絶対神の現われの世界には、
   善と義と調和が支配しています。

   即ち「天之御中主」の神名にあらわれている中心帰一の原理、
   タカミムズビ及びカミムスビの両神名にあらわれている陰陽の秩序が整う原理、

   それが無数の原子、分子、素粒子が出てきて、それが結合して、
   それが単なる結合ではなくして、豊雲野神のおはたらきによって、
   それが豊かに調和した姿に組み合わされて、
   無限のよき相(すがた)が創造されるという原理が支配しているのであります。

   それから遠心力あらわす宇比地邇神、求心力をあらわす妹須比智邇神は
   遠心力と求心力とで調和していることをあらわしています。

   角杙神は男性の突進的天分、外交的天分をあらわし、
   その妹(いの)、活杙神は内に生命を孕む内向的女性の天分をあらわします。

   次に意富斗能地神、妹大斗乃辨神は”大殿(おおとの)”すなわち”広大無辺”
   なることをあらわし、於母陀琉神は、面足(おもだる)即ち無限の面相がある。
   無相にして無限相のことです。

   そして最後に妹阿夜訶志古泥神という神が出て来ているのであります。

   この神名は「綾(あや)に畏(かしこ)し」という意味を神名にしたのでありまして、
   今まで実相の世界の特徴を神名の形で列記してあげてきましたけれども、
   いくら列記しても素晴らしくて一々あげていることができない、
   ただ讃えるより仕方がない。

   「畏(かしこ)し、畏(かしこ)し」と畏(かしこ)まって尊ぶよりは仕方がない
   というので、最後に阿夜訶志古泥神という神名が現われているのでありますが、

   ここまでは「身(みみ)を隠し給いき」、
   唯一絶対神の無相無限相を説明したのであります。


(2)伊耶那岐・伊耶那美の二神の使命分担

   以上の唯一絶対神が、やがて、伊耶那岐神と伊耶那美神とにわかれてこられたので
   ありまして、『古事記』には次のように書かれているのであります。――

     ”是(ここ)に天津神の命(みこと)以(も)ちて、伊耶那岐命・伊耶那美命
     二柱の神に、是(こ)のただよえる国を修理(つく)り固めなせと詔(の)り
     ごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)を賜いて、言依(ことよ)さし賜いき”

   「言依(ことよ)さす」とは、言葉をもって依頼されたということで、御委任なさい
   ましたというほどの意味であります。

   この伊耶那岐神、伊耶那美神という名前は単なる名前ではなくて、その神様の
   御働きが神名に表現されているのであります。


(3)”イ”の言霊

   「イ」というのは、「生命(いのち)」のことであります。

   われわれが生きているのは、息をする――即ち「生命(いのち)の氣」を吸うことで、
   「生きる」ことで、「生氣入(いきい)る」が「生きる」ということになるので
   ありまして、「イ」は「生命(いのち)」を表わす言霊(ことだま)であります。

   神想観の時に氣合をかけるのも、あれは「イユーッ」とかけるので、
   「イ」は生命(いのち)で、「ユー」は湧き出る言霊(ことだま)の響であります。

   あのイユーッの氣合によって、皆さんの声明の中に宿っているところの
   「実相の神なる生命(いのち)」が、ふつふつよ湧き出るように呼び出しの氣合を
   かけているわけであります。

   それで撃剣の試合で斬り合いでもする時には、「イユーッ」などという氣合を
   かけないであれは「エッ」とか、「ヤッ」とか言って相手に切り込むのであります。



(4)”エ”の言霊

   「エ」というのは、これは「切り分ける」という言葉のハタラキがあるのです。
   木の枝などの「エダ」の「エ」ですね。「梅が枝(エ)」「松が枝(エ)」などと
   言います。

   大きなものから切り分けられたのが「エ」であります。
   切るハタラキの言霊なのであります。

   また「江(え)」という字があるでしょう。
   これは海が広々としているのを「入江(いりえ)」などといって、小さく切り分け
   られた海という様な意味があるのであります。

   それからまた、いろいろと沢山ある中から「選ぶ」のも「エ」の言霊がついています。
   「選ぶ」のは沢山ある中から「切り分ける」から、そういう響きを持った語(ことば)
   がつかわれているわけであります。

   だから人を斬るときには「エーッ」といって肉体を切り分けるのであって、
   神想観の時に「エーッ」と気合をかけたのではいかんのであります。

   そういうように、日本の言葉には、みな一音一音に意味があって自然に物そのものに
   内在する意味の言葉で名づけられているのであります。

   そこで「イザナギ」の「イ」は一つの「生命」が二つに分かれて「イザナギ」と
   「イザナミ」になった其の元のイノチをさすのであります。


(5)”サ”の言霊

   「サ」というのは「触る」とか「さする」とか「支える」とかいう語(ことば)に
   あらわれていますように、互いにふれ合う響きなのであります。

   ものが互いにふれ合うときには「サラサラ」という響きがが起ります。
   「サ」の言霊はふれ合う響きであります、沢山のものがふれ合うと「ザラザラ」と
   なります。

   ザは濁音みたいに思えるのですが、これはにごっているのではなく重音といって、
   重なっている音です。触れ合う「サ」の響きが重なると「ザ」になるのであって、
   多勢(おおぜい)の音がするときには、「ザワメク」とか、「ザクザク」とか
   形容します。

   それで「イザナギ」の「イザ」というのは「生命(いのち)が重なってふれ合う」
   意味であります。
   お客さんでも来られたら「イザ、まずこれへ」と言って、上座に招待する。
   主人と客との互いに生命(いのち)と生命(いのち)のふれ合いであります。

   剣道の試合でも一礼して、「イザ」と言って立ち会うのも、
   生命(いのち)と生命(いのち)との対決であって、互いにイキがふれ合う ―― 
   さすり合うときに自然にイザという声が出るのです。

   さて、天之御中主神の一つの生命(いのち)が「イザ」と二つに展開して
   「イザナギ」と「イザナミ」とに分かれて、「イザ、イザ」と二つが一つに
   結び合う御働きのおこることが、この神様の名前に表現されているのであります。

   さて、一つの生命(いのち)が二つに分かれて一方は「イザナギ」
   他方は「イザナミ」となったのであります。


(6)”イザナミ”の象徴するもの

   イザナミの「ナミ」というのは、一つの水平なる水面が運動を起こして
   細かく分かれたのが、ナミ(波)であります。

   「ナミ」というのは細かく分割する働きをもっているわけで、
   これは物質文化を現わしているのであります。

   物質文化は物質を細かく分けて分子として、分子を細かく分けて原子とする。
   或いは医学でも解剖医学、分析の化学など、なんでも細かく分けてることによって
   物質を駆使して利用厚生に役立てようとするのですが、
   これだけでは生命(いのち)が出てこないのであります。


(7)”イザナギ”の象徴するもの

   それで次に「イザ”ナギ”」のハタラキが必要になってくるのです。

   「ナギ」というのは「草薙」などのように茫々と勝手気儘に伸びて不揃い
   であるのを、一様に刈り揃えて平らかにすることであり、
   風が鎮まってナミが静かになることをナギ(凪)というわけです。

   ナミは女性で、柔らかくしなやかであって、漂っているわけです。
   女性は結婚するまでは皆漂っている。
   どこへ漂着するかわからない動揺きわまりなきわけであります。

   それで確乎としてまだ身が固まらないのであります。
   それを貫き止(とど)める者のない間は不安定に漂うていて、
   何処のお嫁さんになるやら、誰の奥さんになるやら、
   わからないのであります。これが「イザナミ」の本質であります。

   そこで「イザナギ」―― 
   即ち、草薙剣のような「ナギ」の働きを必要とするのであります。
   イザナミとイザナギと二つ揃うて、はじめて文化が完成するのであります。

   「ナミ」即ち女性分化即ち物質文化だけであったら、波の如く、漂うて
   動揺極りなくこの世界は壊(くだ)けてしまうより仕方がないのです。

   そこを「イザナギ」(凪)の働きで動揺を鎮める。
   風がやんで波がなくなることを「ナギ」というのです。

   一つの生命(せいめい)が二つに分かれて、一方は「ナミ」の働きをし、
   一方は「ナギ」の働きをするという神様が二柱現れてこられたのに対して、

   天津神が『是のただよえる国を修理(つく)り固め成せと詔(の)りごちて、
   天沼矛(あめのぬぼこ)を賜(たま)いて言依さし賜(たま)』うたので
   あります。


(8)”天沼矛”の意味するもの

   天沼矛(あめのぬぼこ)の「アメ」というのは、天球即ち宇宙であります。
   「ヌ」というのは「沼」という字が書いてありますが、
   「貫く」という意味にあてはまるのです。

   「沼」の字を当てはめたのは、発音だけを漢字を籍(か)りて仮名まじりに
   書いた訳であります。昔は漢字をカナの如く表音文字として使ったので
   ありまして、現在の平仮名みたいなものはなかったのです。

   神代文字(じんだいもじ)というものが多少はあったということですけれども、
   そう広く使われてはいなかったのであります。


(9)”ヌ”の言霊

   大体「ヌ」というのは「貫く」という言葉の響きがあるのであります。
   皆さんが着物を「縫う」といいますね。この「縫う」というのは針をはこんで
   布の中を「貫いて行く」ことなのであります。

   沼(ヌマ)という語(ことば)も、これは沼の土がヌラヌタとして、
   サラサラとした砂ではなくて、恰度(ちょうど)鰻をつかんでも滑り抜けてゆく
   ように「ヌル、ヌル」としていて、「貫く」意味が含まれているのです。

   ですから「アメノヌボコ」は「宇宙を貫く矛」であって、
   宇宙を縦に貫いているところの真理の金剛不壊の矛であって、
   それが「イザナギ」の働きをするわけであります。

   それによって「ナミ」の動揺し落ち着くところ定まらず、
   未婚の女性のように漂っている国を「修理(つく)り固め成せ」と、
   仰せられて天沼矛を与え賜うたのです。


(10)陰陽の結合による新価値の誕生

    ”故(かれ)二柱の神天浮橋(あめのうきはし)に立たして、
     其の沼矛(ぬぼこ)を指し下(おろ)して畫(か)きたまえば、
     鹽(しお)こおろこおろに畫(か)き鳴(な)して、引き上げたまう時に、

     其の矛(ほこ)の末(すえ)より垂落(しただ)る鹽(しお)、
     累積(つも)りて嶋(しま)と成る、是(これ)淤能碁呂嶋
     (おのころじま)なり。”

   天浮橋(あめのうきはし)というのも
   別に橋がかかっているというわけではないのです。

   これは象徴的な神話であって「天(アメ)」といえば「宇宙」であって、
   「橋(はし)」というのは宇宙のはるか彼方(かなた)の端(はし)の
   方(ほう)であります。

   遠くはるかな形容を用いて宇宙の広さを表現したわけです。
   見渡すと、「宇宙雲(うちゅうぐも)が、はるばると浮いているように
   見える端(はし)の所(ところ)」というような意味が
   天浮橋(あめのうきはし)であります。

   この宇宙の遥かなる端(はし)の所にお立ちになって
   『其の沼矛(ぬぼこ)を指し下(おろ)して畫(か)きたまえば、
   鹽(しお)こおろこおろに畫(か)き鳴(な)して・・・』とありますが、

   「シホ」というのは 「シ」は「水(みず)」で「ホ」は「火(ひ)」である。

   それで陰陽の原子、分子をですね、陰陽の素粒子をかきまわして、
   それを結晶させてひきあげられた時に、その矛の末(すえ)より、
   即ち新価値が生まれたのです。

   『畫(か)き鳴(な)して』と「鳴(な)る」という字が書かれているのは、
   素粒子というのはコトバ(命<ミコト>)が鳴り響いてあらわれたものだから
   であります。

   「イザナミ」の女性的な柔らかい働きと、「イザナギ」の固い働きとが結合して、
   そして其処に新しき嶋(しま)を生み出した。
   これを淤能碁呂嶋(おのころじま)というのであります。


(11)太陽系又は地球を旋回自転する島と表現した古代日本人

   「淤能碁呂嶋(おのころじま)」というのは、自ら転ぶ――即ち自転するという
   意味で、『古事記』の原文は、漢字を表音文字として仮名同様に使っているので
   こんなむずかしい文字を並べてありますが、
   意味をとれば「自転嶋(おのころじま)」であります。

   この「淤能碁呂嶋(おのころじま)」を大きく見えれば、
   一個の太陽系ともみられるのですが小さく見れば地球とみてもいいのです。
   太陽系も地球も旋回自転しているからであります。

   太陽系も一つの旋回運動を起こしているので淤能碁呂嶋(おのころじま)で
   あります。
   地球も淤能碁呂嶋(おのころじま)であって自転しているのです。

   こういう古代に地球や太陽系を自転嶋(おのころじま)捉えた『古事記』の作者は
   素晴らしいと思います。

   『古事記』の作者は誰であるかというと、古代の日本民族で、個人じゃないので
   ありますが、『古事記』が霊感によって書かれたすばらしいものであることが、
   これによってわかるのであります。

   お釈迦さんの時代には、「西方極楽浄土」といって、地球は球体でなくて
   平べったくて、ジッと動かない固定した座標だと考えて、地球の西方と言ったら
   一定の方角にその西方があると考えておったのですけれども、

   この『古事記』の作者は、既に地球が淤能碁呂嶋(おのころじま)であって、
   宇宙の中に自転しながら浮いている島であるということを、チャンと霊感に
   よって感じ伝え書いているところに、その素晴らしさがあるのであります。

   次に『古事記』は次のように書いております。

    ”其の嶋に天降(あも)り坐(ま)して、天之御柱(あめのみはしら)を
     見立(みた)て、八尋殿(やひろどの)を見立(みた)てたまいき。”

   そこで伊耶那岐、伊耶那美の両神が、淤能碁呂嶋(おのころじま)においでに
   なりまして、

   「天之御柱(あめのみはしら)」(宇宙を支えている中心の柱でありまして、
   これは物質じゃなくて、”真理の柱”であります)その”真理の柱”を中心に
   見て、それが汎ゆる方向にひろがる
   『八尋殿(やひろどの)を見立(みた)てたまいき』とあるのであります。

   八尋殿(やひろどの)というのは、一尋(ひとひろ)は六尺であるといわれて
   いますが、ここはそんな広さではないので、「八尋(やひろ)」とは
   「弥広(いやひろ)がり」を意味します。

   「ヤ」というのは「弥生」の「ヤ」で、数多いということであり、
   「八百屋さん」の「ヤ」であり、
   八百万神(やおよろずのかみ)の「ヤ」であります。

   「ヒロ」というのは、「ひろがり」を意味します。
   現代の言葉で言えば次元であります。dimension(ダイメンション)という英語
   と訳して、”次元”といっているのですが、
   縦横厚みの三次元が現象界の次元であります。
   
   一次元、二次元、三次元といいますね。縦と横と厚み、
   それで合計三次元であります。

   それに時間を一つの広がりとみて、四次元というのが現象世界でありますが、

   実相の世界はそんな縦横厚みだけの単純な世界じゃないのであって、
   それは「イヤヒロドノ」であって、無限ひろがり――無限次元――である。
   その世界を見給うたというわけであります。
   
   伊耶那岐、伊耶那美のニ神は、真理の柱を中心に見て、その真理から八方に
   展開しているところの無限次元の世界を見立てられ給うた結果、真理に順じて
   行動を開始せられたのであります。

   真理に順(したが)って行動を開始するということは果たして、
   どんなことでありましょうか。


(12)伊耶那美のミコトの本体

     ”是(これ)に其の妹(いも)伊耶那美命に、汝(な)が身(み)は如何に
     成れると問曰(と)いたまえば、吾(あ)が身は成り成りて成り合わざる
     處(ところ)一處在りと答曰(もう)したまいき。

     伊耶那岐命詔(の)りたまいつらく、我(あ)が身は、成り成りて
     成り餘(あま)れる處(ところ)一處(ひとところ)在り。

     故(かれ)此(こ)の吾(あ)が身の成り餘(あま)れる處を、
     汝(な)が身(み)も成り合わざる處に刺し塞ぎて、國土(くに)生み
     成さんと為(おも)うは奈何(いかに)とのりたまえば、
     伊耶那美命然(し)か善(よ)けんと答曰(もう)したまいき。”

   そこで女神の伊耶那美命に、『汝(な)が身(み)は如何に成れる』と
   伊耶那岐命が問いたまうたというのであります。
   
   そこで伊耶那美命の御(おん)からだはどんなになっているかといいますと、
   この神は女神(にょしん)でいらっしゃるけれども、
   人間の女体のような生殖器がついている訳ではありません。

   伊耶那美命は「ミコト」(言<ことば>)であって、
   人間的な肉体なんかないのであります。

   伊耶那美命はミコトなんです。御言(みことば)であります。
   それは言葉であって、宇宙に充ち満ちているところの、
   どういう言葉かというと、「ウ」の言葉です。

   伊耶那岐命はどういう言葉かというと、「ア」の言葉であります。

   それで伊耶那美命に『汝(な)が身(み)は如何に成れる』
   ――「あなたの体は、お前の本体はどんなに鳴り響いていることばであるか」と、
   こうお尋ねになったというのです。

   そしたら伊耶那美命は
   『吾(あ)が身は成り成りて成り合わざる處(ところ)一處在り』と、
   こういうふうに仰せられたのです。

   さてこの「自分の本体は成り成りて成り合わさざる處(ところ)」―― 
   成り合わざる處があるというのはこれが人間の体として実現すると、
   女性の陰部に当たることになるのであって、
   そこは、成り成りて成り合わざる處であり、

   「どんなに成長しても両方から合わないで隙間のあいた處が一處(ひとところ)ある」
   といわれたのですけれども、ここでは人間の体のことじゃない。

   イザナミの”ミコト”(言葉<ことば>)ですから、
   『成り成りて』というのは「鳴り鳴りて」であって、
   『ズーッと鳴り響いて、何時(いつ)まで鳴り響いても合わない。』
   合わないというのは、皆さんが商売でもして「これは合わん商売だ」とでもいうと、

   それは”儲からない”という言葉で、積極的でない消極的であるということです。

   イザナミのミコトは内に籠(こも)るコトバであって
   外に積極的に進出するコトバではないのであります。

   『成り成りて成り合わざる』というのは、「いくら鳴り響いても、合わないで、
   凹に陥没していて積極的に上がってこないコトバである」という意味でありまして、
   これは「ウ」のコトバなんです。


(13)”ウ”の言霊

   私達が笑いましても、笑いようにいろいろあるでしょう。
   「アハハハハ」これは『成り成りて成り餘れる』ので、
   これはパーッと明るい笑いですね。
   我々は笑うにしても「アイウエオ」で笑い別(わ)けることができるのですね。

   「アハハハハ」「イヒヒヒヒ」「ウフフフフ」それから「エヘヘヘヘ」
   「オホホホホ」と笑いにも幾種類もあり、その響きに随って、
   それが表現する感情が異なるのであります。

   その「ウー」という言葉は、
   口を開かなくても出るところの内に含む言霊なのであります。
   それですから、皆さんが便所にでも行って、「ウーム」と力む。

   これは内に力を含んで、まさに外に現われようとする声です。
   これは女性の働きなんです。
   女性がお産のときにも、内にいのちを含んで赤ん坊が外へ出ようと
   するときに「ウーム」といきむ声を出すのであります。

   女性というものは、積極的に外に開かないで内に力を含んで
   一寸(ちょっと)だけ外にのぞき出す天分を持っているのであります。

   「ウ」なのです。
   それで英語は女の人のことを「ウーマン」
   ――「ウーの人間」だというのかも知れない。


(14)伊耶那岐のミコトの本体

   それはともかく伊耶那岐命の方は
   『我(あ)が身は、成り成りて成り餘(あま)れる
   處(ところ)一處(ひとところ)在り』というので
   「鳴り響いて、何處までも明るく積極的にあり餘(あま)って上(のぼ)って
   行く聲である」というので、これは「ア」の聲であります。

   口をできるだけひらいて、どこも歪めず曲げずに積極的に聲を出して御覧なさい。
   「ア」の聲になるのであります。

   さて、この「ウー」の聲は何處から出て来るかというと、
   「スー」の聲から出てくる。
   「スー」の聲といっても、サシスセソのスの聲じゃないんです。

   聲なき「スー」で、◎(<中心の丸は黒点>ス)として既に説明いたしました
   無聲の本源の聲から、自然に「スーウ」と「ウ」の聲が生まれて来るのであります。

   皆さんが眠るでしょう。眼が覚めたら五十音「イロハニホヘト」などの発音を複雑に
   混合してペラペラと雄弁に喋るけれども、生命が、外に発現することを止めて静止
   すると、覚めた時に喋るはずの言葉が中にあるけれども、それを外に出さないで
   静かに、五十音が一つになって、そのまま静まっているでしょう。

   その凡ての聲が一つに混然静止した時の聲はどういうヒビキをしているかというと、
   「スースー」と寝ている。「スースー」とは何とも言わんけれども、兎も角、
   説明するために、模擬的に聲を出して形容すれば「スヤスヤ」と眠っている時の
   「スースー」の聲なんです。

   この「スー」の聲もないところの絶対静止の聲を◎(<中心の丸は黒点>ス)を
   もってあらわしましたが萬籟寂(ばんらいせき)として聲なき聲──なんの聲も
   しないところの餘(あま)り静かな所へ行ったら「スー」というような聲がしている
   ように感じられる、その◎(<中心の丸は黒点>ス)の聲なんです。


   これが天之御中主神の聲を光にたとえれば、謂わば無色透明の聲であって、
   恰度(ちょうど)、太陽光線が内に七色(なないろ)を含みながら
   一つに統一されて無色の光であるのに似ているのであります。

   ところが「スーウ」と聲を出してゆくと自然に「ウ」聲が生じて来るでしょう。
   この聲が伊耶那美命であり、これは先刻(さっき)申した通り、内にいのちを
   含んで将に生み出そうとする聲であり女性の天分をあらわす聲なんです。

   だからお産の時に「ウーム」といきむ聲を出すのです。

   その”いきみ”が頂点に達して「オギァ」と赤ちゃんが産まれたら、
   「アー、やれやれ」と「アー」の聲になる。
   その「ア」の聲が、伊耶那岐のミコトです。

   「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」との交合──組合わせによって
   一切のものが生まれたのであります。これを佛教では「阿吽の呼吸」と申します。

   「ア」と「ウ」との声が組み合わされて、言い換えると原子核を構成している
   ところの陽子とか、中性子とか、中間子とかいうものが、それが「ア」であって、
   陰の電子は「ウ」の声であり、

   「ア」と「ウ」と、原子核と陰電子とが組み合わされて、一切の物が産まれる
   のですが、その科学的原理がちゃんと、伊耶那岐のミコト(アのコトバ)、と
   伊耶那美のミコト(ウのコトバ)の結びに現われているわけであります。

   その時に『伊耶那岐命詔(の)りたまいつらく、我(あ)が身は、
   成り成りて成り餘(あま)れる處(ところ)一處(ひとところ)在り。

   故(かれ)此(こ)の吾(あ)が身の成り餘(あま)れる處を、汝(な)が
   身(み)も成り合わざる處に刺し塞ぎて、國土(くに)生み成さんと
   為(おも)うは奈何(いかに)とのりたまえば、
   伊耶那美命然(し)か善(よ)けむと答曰(もう)したまいき。』

   というわけで、「私の成り餘(あま)っている處(ところ)を、
   お前の成り合わない處に刺し塞いで、そして國(くに)を生もうではないか」と、
   こう仰せられて「ウ」の言葉と「ア」の言葉の結びに依って國土(こくど)の
   創造を行なおうと言われまして、

   天之御柱という、宇宙(うちゅう)を支える中心真理を真中にして
   両神が左右から廻られたのであります。



   伊耶那岐命様が廻(まわ)られて伊耶那美命様がまた廻られて、
   円満に循環するのです。
   これが宇宙の法則であって、左は男、右は女であって、
   左は進んで右は退くという法則になっているのであります。

   右とは「水極(ミギ)」(水は冷たく陰極です)と書きます。
   左というのは「火足(ひたり)」(陽極)と書きます。

   陽極は内より外へと進んで陰極に働きかける。
   そして陰極は外より内へと向かって、陽極を内に抱擁する。

   これは原子の原子核(陽)と電子(陰)との関係でも、
   人間の男女の性的関係でも同じことでありまして、
   これが天地の法則になっているのです。

   ところが、これを間違えて女性の方が外へ突進して男性に働きかけ、
   女性が男性を誘惑するようになると陰陽逆転でありまして、
   よき結果が得られないことを『古事記』は次のように書いているのであります。

     ”爾(ここ)に伊耶那岐命、然(しか)らば吾(あ)と汝(な)と
     是(こ)の天御柱を行(ゆ)き廻(めぐ)り逢いてみとのまぐわい
     為(せ)なと詔(の)りたまいき。

     如此(かく)言い期(ちぎ)りて、乃(すなわ)ち汝(な)は右より
     廻(めぐ)り逢え、我(あ)は左より廻)めぐ)り逢わむと詔(の)りたまい、
     約(ちぎ)り竟(お)えて廻(めぐ)ります時に、

     伊耶那美命先(ま)ずあなにやしえおとこをと言(の)りたまい、
     後(のち)に伊耶那岐命あなにやしえおとめをと言(の)りたまいき。

     各(おのおの)言(の)りたまい竟(お)えて後(のち)に、其の妹(いも)に、
     女人(おみな)言(こと)先(さき)だちて良(ふさ)わずと告白(の)り
     たまいき。”

   さて伊耶那岐命は伊耶那美命に「お前は右より廻(めぐ)りなさい、私は左より廻る」
   と、こう仰せられて『約(ちぎ)り竟(お)えて廻(めぐ)ります時に、伊耶那美命
   先(ま)ずあなにやしえおとこをと言(の)りたまい』

   即ち、女神(めがみ)である伊耶那美命から、
   「ああ愛(あい)らしい、ええ男やなあ」と斯う仰せられまして、
   それから後(のち)に、伊耶那岐命が「あなにやしえおとめを」
   (ああ愛らしい、ええ女やなあ)と仰せられて、

   『各(おのおの)言(の)りたまい竟(お)えて後(のち)に』
   (即ちウ声とア声とを結び合わして後に)其の妹(いも)(即ち妻神)に、
   女(おんな)の方が先に出しゃばって声をかけたのでよろしくない、
   と言われたのでありました。

   その結果どうなったかと言いますと、

     ”然れどもくみどに興(おこ)して、子(みこ)水蛭子(ひるご)を生み
     たまいき、此の子(みこ)は葦船(あしぶね)に入れて流し去(す)てつ。
     次に淡嶋(あわしま)を生みたまいき。
     是(こ)も子(みこ)の例(かず)には入(い)らず。”
       (以上、みとのまぐわいの段(くだり)── 以下四行略)

   『然れどもくみどに興(おこ)して』の「くみど」というのは、
   床(とこ)を組むということです。つまり産褥(さんじょく)を組んで
   お産をされましたら、御子水蛭子(ひるご)をお生みになりました。


(15)小児麻痺及び無脳児の誕生

   わかりやすく曰(い)えば、蛭のような骨なし子が産まれたのです。
   これは小児麻痺のような子供であります。

   『此の子は葦船に入れて流し去(す)てつ。次に淡嶋を生みたまいき』とありますが、
   淡嶋というのは泡みたいなもので、中がカラッポなのです。

   そんなのが時々あるのです。
   無脳児というのです。脳髄がカラッポで一つもないのです。

   そんなのを『子(みこ)の例(かず)には入らず』というのです。


(16)小児麻痺発生の心霊的原因

   この小児麻痺には二つの原因があるのです。
   
   第一にはその子供に迷っている霊がひっかかっている場合と、
   それから嬶(かかあ)天下で夫の言うことを素直に聴従(き)かない、
   即ち女性が勝っている家庭に育った場合との二つであります。

   女性は水極(みぎ)ですから、水極(すいきょく)なる女性が勝っていると、
   しっかり逞しく形の整う姿にならないのです。

   例えばですね、皆さんが餅をついても、餅米を余りながく、三昼夜も水につけて
   おいたりして、余り水分の多い餅米を蒸して搗(つ)きますと、所謂「鼻たれ餅」
   というベチャベチャの餅になってしまう。

   その餅でお鏡餅の腰の高い、いい形のお鏡餅をこしらえても、じきにヘナヘナと
   形がくずれて、腰のたたない餅になってしまうでしょう。

   それと同じで、女性(水極<みぎ>)が勝つと腰のたたぬ、足のたたない子供が
   生まれてくることになるわけであります。

   こんな訳で小児麻痺の原因の第一は、脚の自覚のない未覚醒の霊が感憑(かんぴょう)
   すると、迷っている幽霊みたいにフラフラと手足の不自由な子供となることと、

   嬶(かかあ)天下で妻が夫より優位にあって生活している場合に、剛性の男性の
   シッカリした性質が覆いかくされて手脚(てあし)がフラフラして自由にならない
   子供ができる、

   まあそういう状態にもなるのですが、こんなのが『古事記』に「水蛭子(ひるご)」
   と書かれる子供であります。


(17)男性と女性とはハタラキの役割が異なる

   さて、男性は左から「進む」のですが、女性は右から「退く」のです。
   その「進む」と「退く」とは野球のピッチャーとキャッチャーのような一対を
   なしているのです。

   男性はピッチャーみたいなものです。
   それで女性はキャッチャーのハタラキをして調和が得られるのです。

   男性のハタラキをするピッチャーは投手であってボールを積極的に投げ込むほうだ。
   それを素直にスーッと受けとる方が、これがキャッチャーで捕手の方だ。

   妻は夫から投げかけられた命令を素直にスーッと受け取らぬといかん。
   手を後退するようにして受け取らんといかんのです。

   手をつき出してボールをピシリと受けたら、
   ボールがカツッと手に衝突して、痛くって痛くって仕方がないということになる
   のであります。

   投手の投げたボールを素直に掌(てのひら)を後方に退けながら受け取ると、
   「投げる」と「受ける」とが一体になってまことに調和したゲームがいとなまれる
   のであります。

   女性は受け取る方で素直にスーッと退いて受けるがよいのであります。
   そしたら点数をかせぐことができる。

   女性は右で「右は退く」男性は左で、「左は進む」――左進右退、
   これが天地の法則になっているわけであります。

   法則に逆(さから)うものは、法則に触れて傷つき、
   今は盛んにみえていても、やがて後退してしまうのであります。


(18)戦後日本の右側通行は何を意味するか

   それですから道路の交通でも、左側通行というのが本当に天地の法則に合致している
   のであります。

   ところが敗戦思想になった結果、「イザナミ国」(西欧文化)の進出したという形が
   表われて、そして「イザナミ」(右)なる女の方が先に進むという事になって、
   「右進む」という制度が、戦後、変化した日本人の心の具象化として

   道路交通規則が、「右側通行」に自然にそう変わってきたのであって、
   「イザナミ文化」の影響を受け、「左進右退」が、「右進左退」になって来た
   訳であります。

   そういう結果が、果たしていいかどうかということは、あの交通地獄で毎日5人か
   6人か10人位は東京都内の交通事故で死なない日はないという事実がその回答を
   与えているのではないでしょうか。

   毎日警視庁やら諸方の警察署前に前日の事故死亡何名と書いて貼ってある。
   あれは対面交通だなどと言って、右側を歩く、それで衝突しているのです。

   「イザナギ」が前進し、「イザナミ」が退けば上手に衝突なしに交通できるけれども、
   右が、次のように前進して、左もこのように前進したら衝突するより仕方がない
   のです。

   (それを図解すれば次のやうになるのであります。)

             →(衝 突)←
              
     イザナギ原理凸↑   ◎   ↑イザナミ  凸  


   調和した陰陽の調和の状態を図解すれば次のようになります。

     イザナギ原理凸↑   ◎   ↓イザナミ原理凹

                ↑中心(天之御柱)

   女性のイザナミは右であり、退くのが天分でありますから凹であります。
   男性のイザナギは前進ですから凸であります。

   この凹凸が自然の天分のように進行したとき、そこに何らの衝突も起こらなく
   なりますが、凹が天分に反して凸出(とっしゅつ)して行くならば衝突して
   夫婦喧嘩をするより仕方がないということになるわけで、

   矢張り女性は、その生殖器が示しているように、素直に夫の言うことを受け容れる
   とき、夫とピッタリと一つになり、女性としての喜びが感じられ、生き甲斐が得られ、
   一家も繁昌することになるわけなんです。


   『古事記』はこのような男性・女性の結びの法則を物語的形式に書きまして
   イザナミが先立って男性を圧したときに、「御子(みこ)水蛭子(ひるご)を生み
   たまうたけれども、それはできそこないの子であるから、葦船に乗せて流し捨てて
   しまった」というふうに書いているのであります。

   女性が女性の天分を失った生き方をすると子宮癌にかかることがあります。

   ブラジルから来られて、伊勢神宮勤労奉仕の講習会に参加せられた御婦人の方が、

   『自分が夫を屈服させるような心をしておったから、それで子宮癌になっておった。
   それが生長の家のお陰で女の道を知らせて頂き治りました』と体験発表の時間に
   おっしゃっていましたが、その簡単な言葉の中に真理が表現されているのであります。

   そういうように子宮癌というような、婦人の特色をあらわす器官が癌にかかるという
   ことが起るのは、矢張り天地の法則を守らないで、女性の特質をわすれ、女性の方が
   出しゃ張って、男性を圧迫するような状態になっている結果、

   女性なるものを表現する器官が、自然にくずれて行く子宮癌というようなものが
   現われてくるのであり、その婦人が天地自然の法則にかなって、女性なる愛の天分を
   生かすようになりますと、女性の天分をあらわす器官が健全になって、子宮癌が
   治ったのであります。

   (第4章 「伊耶那岐・伊耶那美二神の使命」は以上で完了です)

・・・

第5章は、以下の構成となっております。

(1)唯物論は戦争を生む
(2)続々と生まれる新兵器
(3)破壊の後に建設が
(4)「結び」即ち”生み出す働き”



第5章「古事記の預言」

(1)唯物論は戦争を生む

   『古事記』という書は、
   このように宇宙の真理というものを直感してそれを書いている。

   即ち宇宙が”天球”即ち円くして”アマ”であること、一切のものに中心があること、
   地球或いは太陽系が”オノコロジマ”即ち自転するところの空間に浮かぶ島であると
   いうようなことまで、ちゃんと書かれてあります。

   このように霊感によって書かれた真理の書であり、預言の書であるということに先ず
   注目しなければなりません。

   その『古事記』に、これから起るべき、将来の預言というものが書かれているので
   あります。


     ”此の大山津見神(おおやまつみのかみ)、
     野椎神二神(ぬづちのかみふたはしら)、
     山野(やまぬ)に因(よ)りて持ち別けて生みませる神の名(みな)は

     天之狭土神(あめのさづちのかみ)、次に国之狭土神(くにのさづちのかみ)、
     次に天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、
     次に国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、

     次に天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、
     次に国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、

     次に大戸惑子神(おほとまどいこのかみ)、
     次に大戸惑女神(おおとまどいめのかみ)。

     天之狭土神(あめのさづちのかみ)より大戸惑女神(おほとまどひめのかみ)まで
     找(あは)せて八神(やはしら)”
             (諸神等<しょしんとう>生坐<あれまし>の段<くだり>)

   伊耶那岐・伊耶那美の両神が国をお生みになりました後の段(くだり)に、
   このように書いているのであります。

   ただ神様の名前だけが書いてあってそれがどういう意味か、
   ということは書いていないのであります。

   それを読む人の霊感まはた霊的力量によって、その文章の奥にある秘儀を
   捉え得る程度が変わってくるのであります。

   これを言霊の解釈によって、言霊を鍵としてその秘められた意味を開いてゆきますと、
   この一節は、唯物論というものは結局、戦争にまで発展するということが書かれている
   ことが判るのであります。


   先ず大山津見神(おおやまつみのかみ)というのは ──
   「津」は「の」という接続詞であります。
   「見」というのは「身(み)」と同じで「本体」ということです。

   そこで、大山津見神(おおやまつみのかみ)とは、
   大山の御本体の神様のことであります。

   
   野椎神(ぬづちのかみ)は野津霊(ぬづち)の神であります。
   「野(ぬ)」は平野ということ、「津」は「の」という意味の接続詞で、
   「チ」というのは「霊(れい)」であります。
   だから野椎神(ぬづちのかみ)というのは、”平野(へいや)の神霊”であります。


   この山の御本体である神様と”平野の神霊”である神様とが
   『山野(やまぬ)に因(よ)りて持ち別けて』というのは、山を境とし、平野を領土と
   して、「ここからここまではわたしの国の領土である」と分け持ちていることで
   あります。


   地球と云うのは全ての人類が利用するように与えられているのに、山脈を境界線として
   此処は「わたしの国の領土だ」と言って領土争いをしておったならば、せっかく広い
   世界が狭くなってくるのであるということを、

   『天之狭土神(あめのさづちのかみ)、次に国之狭土神(くにのさづちのかみ)』と
   いう神名をもってあらわしているのであります。

   領土争いをしていては、せっかく広い土地があっても、「狭土(さづち)」即ち
   土地は狭くなってしまうのであるという預言であります。


   こうして領土に区画(しきり)をこしらえて、狭くなってきますと、日本の国みたいに
   人口は殖えるのに、住むところが狭くなって来るということになります。

   そして妊娠した子供をとうしたらよかろうか、次の時代の国民は──などということに
   なっていろいろと迷いますと、迷いの霧が立ちのぼるようになるということを、
   『天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)』という
   名であらわしております。

   こうして心の迷いが濛々(もうもう)と立ちのぼるようになりますと、
   『天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、次に国之闇戸神(くにのくらどのかみ)』と
   いうように、世界が暗黒になってくるのであります。


   これは精神が暗黒になることですけれども、もう迷って迷って、
   どうしたらよいか判らんようになってくる。

   その、どうしたらよいか判らんことを『大戸惑子神(おほとまどいこのかみ)』と
   いうので、大戸惑いをするようなことになり、

   それが男の神様と女の神様の名であらわして
   『大戸惑子神(おほとまどいこのかみ)、大戸惑女神(おおとまどいめのかみ)』と
   いう神様が出てくることになって、領土の奪い合いをして、

   いよいよ戦争にまで発展するということになる預言が、
   次のように書かれているわけなのであります。



(2)続々と生まれる新兵器

     ”次に生みませる神の名(みな)は鳥之石楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)、
     亦の名は天鳥船(あめのとりふね)と謂(もう)す。

     次に大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)を生みまし、
     次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生みましき、

     亦の名は火之かが毘古神(ひのかがびこのかみ)と謂(もう)し、
         (*かが:「火」偏に「玄」と綴られた漢字が使用されております)

     亦の名は火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)と謂(もう)す。”
                (伊耶那美命御石隠<みいわかくり>の段<くだり>)

   そうすると、空を飛ぶところの石楠船(いわくすぶね)──金剛不壊の壊けない船
   ── が出現するというのです。

   「クス」というのは「奇(くし)びな」即ち「霊妙な」ということで、
   空を飛ぶ不思議なる船というのが出て来るという預言です。

   これは飛行機、飛行船或いはさらに進んでは地球を1時間で1周するような人間を
   のせたロケットみたいなものになるかも知れないけれども、ともかく、空を飛ぶところ
   の不思議なる船が生まれてくるという預言が、『古事記』が編纂された時代にちゃんと
   出ている。

   「またの名は天鳥船」というところのものであるというのであります。
   これは、天(あめ)は「天球(てんきゅう)」ですから「宇宙船」だと考えても
   よろしいのであります。そんなものが出現するという預言がチャンとあるのです。

   そういう時代になると、大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)というところの神様が
   生れてくるのであります。

   「オオゲツ」というのは食事のことで、物質生産のことであります。
   宮中の賢所(かしこどころ)にお祀りしてある神様の中にこの大宜都比賣神という
   のがあるのです。それは「ミケツノカミ」と呼ばれています。

   「御膳神(みけつのかみ)」と書きます。神様にお供えする御酒(おさけ)を「ミキ」
   と謂い、「御食事」を「ミケ」と謂います。「ミケツ」の「ツ」は例によって「の」
   という接続詞であって、「ミケツの神」は「御食津(みけつ)の神」であります。

   この神に「大(おお)ゲツヒメの神」の「大(おお)」がついているのは、
   物質大量生産時代即ちマスプロの時代がくるということの預言であります。

   そしていよいよマスプロダクション(大量生産)時代になって来ますと、
   火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)といわれる神様が生れて来て、
   火をもって早く焼いてしまうという焼夷弾のような神様が生れてくる。

   その神のまたの名は火之かが毘古神(ひのかがびこのかみ)というのであって、
   これは照明弾といって、空からそれを落とすとあたり一面輝いて昼のように
   明るくするものができてくることであります。

   『亦の名は火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)と謂(もう)す』とありますが、
   これは火の道具で、爆弾や、砲弾やを、みなひっくるめて、「カグ」(火具)と
   いうのであります。そういう新兵器が続々発明される時代が来る。

   そうなったらどうなるか、というと、

     ”此の子を生みますに因り、みほと炙(や)かえて病み臥(こや)せり。”

   と書いてあります。

   「ミホト」というのは、女性の生殖器のことであります。
   伊耶那美神は物質文化を象徴する神様で、こういう戦争道具をいろいろと
   お生みになったのであります。

   その結果「ミホト」即ち、それを産み出す器官を火傷(やけど)せられて、
   臥(ね)ておられたのであります。

   なんだかワイセツなことが書かれてあるようだけれども、
   若し『古事記』というものが、特に、日本の国威を輝かすという特殊な目的を
   もって書かれたものでありましたら、こんな事は書かないはずであって、

   これはやがて来るべき事実の模型が霊的世界にある、
   それを直感して象徴物語として書いたものである証拠とも言えるのであります。



(3)破壊の後に建設が

   日本では既に、焼夷弾や爆弾が落とされて、生産機関がみんな一時焼けてしまって、
   生産会社が、皆、病気になって臥(ね)てしまったというような状態が
   出て来たのです。
   
   それから、そういう時代が過ぎると、どうなるかと言うと、

     ”たぐりに生(な)りませる神の名は金山毘古神(かなやまびこのかみ)、
     次に金山毘賣神(かなやまびめのかみ)”

   「タグリ」というのは”へど”(嘔吐)であります。
   一遍、焼夷弾に焼けて廃墟になった後(のち)に、
   今度は逆にたくさん吐き出すことになる。

   何を吐き出すかというと、ここには、金山毘古神(かなやまびこのかみ)、
   金山毘賣神(かなやまびめのかみ)というものが出てくると預言されている。

   日本でも戦争の後(あと)に、現に今の時代でも、戦争の前よりも
   鉱工業の生産が数倍増加してきたというようになっております。

   こうして一たん焼夷弾等で、生産設備がやけてしまった後(のち)は、
   その”反動”即ち「タグリ」として金山でも、銅山でも、銀山でも
   「カナ山」が沢山生産するようになって来ます。

   近頃では台所の”流し”でさえも、
   ステンレスで拵えてあるものが沢山でてきたのであります。

   また新しい列車などでも、だんだんステンレスの鉄鋼車になっております。
   これなどもみな「金山(かなやま)」から掘り出した生産物であります。

   そういうような鉱山の生産がたくさん出てくることが「金山毘古(かなやまびこ)、
   金山毘賣神(かなやまびめのかみ)」の出現であります。

     ”次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)、
     次に波邇夜須毘賣神(はにやすびめのかみ)”

   「屎」とか「へど」とかは、迷いの自壊作用であって、自壊作用の次に出てくるのは
   『波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)、波邇夜須毘賣神(はにやすびめのかみ)』
   であります。

   「ハニ」というのは「埴(はに)」であって国土のことであります。
   だから「ハニヤス」という神がでて来られたのは国土が安らかになる時代が
   次に出てくるというので、
   いよいよ世界平和が近づくのだという預言なのであります。

   このことは、アガシャの預言(谷口清超氏訳『天と地とを結ぶ電話』参照)にも
   出て来ているのであります。それによると、1965年を境として、この世界は
   平和の時代の出現というのがやってくる、

   それまでは、平和の為に努力する非常重大な時代であって、その直前に大破壊が
   起こってくるのであるということになっています。このアガシャの預言と『古事記』の
   預言とは余程よく似ているのであります。





(4)「結び」即ち”生み出す働き”

     ”次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は彌都波能賣神(みつはのめのかみ)”

   「ユマリ」というのは尿(にょう)であって、汚いものが流れ出ることです。
   その結果「ミツハノメノカミ」の出現となっています。

   「ミツ」というのは、瑞々しく充ち満ちるということであります。
   この世界に瑞雲がたなびいて、よきものが瑞々しく充ち満ちて、
   なんでもたくさん生れてくる。湧くように結びの働きがでてくる。

   「結び」即ち”生み出す働き”が出てきて、いよいよ我々が日常生活に必要なる
   よき物が、グングン生まれてくるよき時代がくるのであるというので、
   『古事記』には、

     ”次に和久産巣日神(わくむすびのかみ)、此の神の子を豊宇気毘賣神
    (とようけびめのかみ)と謂(もう)す。故伊邪那美神(かれいざなみのかみ)は、
     火神(ひのかみ)を生みませるに因りて、遂に神避(かむさ)り坐(ま)しぬ。
             (以上、伊耶那美命御石隠<みいわかくり>の段<くだり>)

   と書いてあります。
   豊宇気毘賣神(とようけびめのかみ)というのは、外宮にお祀りしてある神様で
   あります。五穀等を豊かにみのらせる天地造化の御(おん)はたらきであります。

   『故伊邪那美神(かれいざなみのかみ)は、火神(ひのかみ)を生みませるに因りて、
   遂に神避(かむさ)り坐(ま)しぬ』というのは、やがて物質文化は、霊的文化に
   その優位を譲って、最後には五穀豊穣のまことに平和な時代がくるという預言で
   あります。

   豊宇気毘賣神(とようけびめのかみ)というのは、、”稲荷の神”ともいわれている
   神様で、稲荷は実は「稲生(いねな)り」から転じたのであります。

   「イナリ」は天地間の動植物を自然に豊かに生み出す生々化育の働きを、神格化して、
   稲荷大神と謂ったり、豊宇気毘賣大神(とようけびめのおおかみ)と謂ったりしている
   のであります。


   ところが、稲荷さんというと神社の前の左右に狐の像などが並べてあるものですから、
   ”稲荷さん”といったら、”狐”の霊かと思っている人があるけれども、必ずしも
   そうじゃないのであります。

   ある神社に行くと狛犬が左右に並べてあるでしょう。稲荷神社の前にある狐の像は、
   あの狛犬みたいなもので、別に稲荷さん御自体が狐だという訳でないのであります。

   稲荷大神の御本体は、今申しました通りな五穀豊穣の、天地造化の生々化育の御働き、
   大自然の生みの働きをお祀りしてあるのですけれども、ああして狐なんかをおいて、

   皆(みんな)が「この狐さんが稲荷さんだ」と思って祈っておりますと、念ずるものが
   集まって来るわけで、”狐の霊”も集まって来る可能性もあるのであります。

   ですから、稲荷の眷属の中には、狐もいる訳ですね。

   狐もおるし、いろいろおるんです。
   霊眼で見ると、人間の霊もいるのです。
   武士の姿をしたのもいるし、天狗の霊もおるのです。

   所謂”カラス天狗”とでもいう嘴のとんがった鷹みたいな霊もいるし、霊界には
   いろいろの姿の霊がおるのであります。

   霊界は、肉眼には見えないけれども、人間以外のいろいろの霊がおって、それが念波
   の類似によってグループを成して集まっているのです。

   これは仏教の御経にも書いてあります。

   すなわちお釈迦さんが説教をなさる時に、何々菩薩が集まって、人間だけではなく
   ”キンナラ””マゴラカ””ケンダッパ”などという生物が集まったということが
   御経に書いてある、全くこの世の中に我々が見たことがないような動物の名前が

   書いてありますが、そういう霊界の不可思議なる動物が、集まってきてお釈迦さんの
   説教を聞いたというのであります。

   そういう霊界のいろいろの生物が稲荷の眷属として働いているのですね。
   こうして集まっている稲荷の眷属の中には神通力のある白狐(びゃっこ)のような
   霊もいるのであります。

   こういう霊は侠客的な性格を持っているのでありまして、そして頼んだら何でも
   善悪にかかわらず聞いてやるという性格があるのですね。

   頼まれたら後へ引かぬという性格をもっているのであって、「彼奴(あいつ)、
   けしからん」と思ったら、”やっつけてやれ”というような激しい性格を持っている、
   そういう霊もいるのであります。

   それですから、稲荷さんに、商売が繁昌するように頼んだら聞いてくれんこともない。
   そのかわり、聞いて貰った限りは、「もう、ご利益を貰ったから、あとはいらん」と
   思って、やめたりしたら、ねじ込んでくるかも知れない。

   「貴様、けしからんじゃないか。世話になる時だけ、世話になりやがってから、
   後(あと)はどうしてくれる」というわけで、今度は復讐をするというようなことが
   あります。


   宇宙創造の神は神罰も与えなければ、人に憑依するということもない。
   というのは、宇宙創造の神は個別霊ではなく、宇宙に遍満してあられるから、
   去来することもないから憑依することもないのです。



   ところで、こんな稲荷の眷属は神という名前はついているけれども、個別霊であって
   宇宙本源の神じゃないのであります。それは霊であって、姿が”隠れている身”で
   あるから、「カミ」といわれているのであります。

   宇宙普遍の本当の神は、善人にも悪人にも平等に太陽の光を与え、善人にも悪人にも、
   雨の潤いを平等に与えているところの絶対普遍的な元の神様であります。

   ところが個別霊は個個別々の性格をもち、ある多元的な働き、ある個性的な働きを
   しているわけであります。それだから気にいらぬ奴には復讐や悪戯(いたずら)を
   してやれというような性格を持っているのであります。

   それですから、そのような個別霊の神様を祀って世に出してやると非常に喜ぶのです。
   それは、個別霊というものは祀って、尊敬して、お経のような真理の言葉をきかせて、
   愛念および、真理の念波を送って貰うと、霊の神通力が増して、霊界において豊かに
   なるからです。

   物質が豊かになるのじゃない、精神が豊かになるのです。


   霊というものは、物質を食するのでもなく、物質の富を欲するのでもない。
   尊敬と愛と真理のよき念波を受けることによって、豊かになるのであります。

   それですから、多勢(おおぜい)の人間に礼拝してもらい御経を供養して貰うことに
   よって、霊界においてそれだけ神通力を増して、豊かな状態があらわれるものです
   から、祀って、拝んで貰うということが非常に好きなわけであります。

   だから、今まで多くの人々から拝んで貰える位置に公に祭ってあるところのお宮を、
   公に拝まないようなことをして、自分の邸内に入れて邸内社にしたりすると、復讐を
   することがある。それは、実際にそういうことがあったのです。



   今井楳軒先生という方があった。この人は私の結婚の仲人になって下さった人ですが、
   非常にすぐれた霊の審神(さにわ)をする人で、当時大本教の出版局長をして
   おりました。

   天才的な審神者(さにわ)でありまして、
   その今井楳軒先生の霊媒になっておったのが、
   大政みよしさんという女医の方でした。

   或る日、その霊媒の実験中、ある稲荷の霊が憑ってきた。その稲荷の霊というのは、
   住吉村の私道の道ばたに祀られていたのでしたが、Kと言う大富豪が、そのあたり
   一帯の地面を買収して、大邸宅を建てたのでありますが、その大邸宅の敷地の中に、
   その稲荷神社が這入ったのであります。

   そのために敷地一帯に生け垣の中に囲まれたようになった。稲荷神社が道ばたに
   あった時は、誰でも大衆が拝んでくれていたのですけれども、敷地がKの邸内の地面
   になって生け垣で囲いをされたので、大衆は誰も拝めないようになったのでした。

   その稲荷の霊が霊媒に憑ってきて突然喋り出したのであります。
   「Kはけしからん。わしは公衆の礼拝の対象になっておったのに、けしからん。
   わしは必ず復讐する」ということを言い出したのであります。

   ところが、今から三十年程前関西に大風水害がありましたが、あの時、洪水のため
   あの辺りが全部流れてしまった。Kさんの大邸宅も全部石ころだらけになって、
   その跡をも止(とど)めないようになってしまった。

   こんな実例もあるのであります。
   これが必ずしも復讐だとも言えませんが、兎も角そういう侠客的な性格を
   ”稲荷の霊”はもっているのであります。一種の親分気質(おやぶんかたぎ)とでも
   いいましょうか。

   「わしに頼んだ以上は必ず聞いてやる。そのかわりに、わしを裏切ったら、容赦は
   せんぞ」というような性格があるのであります。

   (第5章 「古事記の預言」は、以上で完了です)

   (次回は、第6章の紹介に入る予定です)

・・・

第6章は、以下の構成となっております。

(1)生命の永遠不死
(2)戦争の神様
(3)霊的文化と物資文明
(4)物質文明発達の最後
(5)唯物論を投げ捨てた結果


古事記と現代の預言(第6章~第10章) (38)
日時:2017年06月08日 (木) 19時08分
名前:伝統

第6章「霊的文化と物資文明」

(1)生命の永遠不死

     ”故爾(かれここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の詔(の)りたまわく、
     「美しき我(あ)が那邇妹命(なにものみこと)や、
     子(こ)の一木(ひとつけ)に易(か)へつるかもと謂(の)りたまいて、

     御枕方(みまくらべに)に匍匐(はらば)い、御足方(みあとべに)に
     匍匐いて、哭(な)きたまう時に、御涙(みなみだ)に成りませる神は、
     香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木本(このもと)に坐(ま)す、
     名(な)は泣澤女神(なきさわめのかみ)。

     故其(かれそ)の神避(かむさ)りましし伊邪那美神(いざなみのかみ)は、
     出雲国(いずものくに)と伯伎国(はゝきのくに)との堺(さかい)
     比婆之山(ひばのやま)に葬(かく)しまつりき。
             (伊耶那美命御石隠<みいわかくり>の段<くだり>)


   前章に申し上げましたように、伊耶那美命という神様は女性の神様ですから、
   火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)をお産みになったので、「ミホト」すなわち
   局部を火傷(やけど)して、そのために死んでしまわれたのであります。

   それで、その夫神(おっとがみ)である伊耶那岐神がこう言われた。
   「わが美しき妻の命よ」「子(こ)の一木(ひとつけ)に」というのは、神様です
   から、霊であり「氣(き)」でありますから、「木(き)」に譬えて神様を
   数えるのに一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)と呼ぶのであります。

   それで『子(こ)の一木(ひとつけ)』と書いているのは「一柱の御子(みこ)」と
   いう意味で、「一柱の御子、火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)が生れなかったら、
   あの妻は死ななかったのに、一人の子供と妻とを取り換えてしまって、まことに
   残念なことをしたわいな」と、こう仰せられたのであります。


     ”是(ここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、御佩(みは)かせる十拳剣
     (とつかのつるぎ)を抜(ぬ)きて、
     其(そ)の子迦具土神(みこかぐづちのかみ)の頸(みくび)を斬りたまう。

     爾(こゝ)に其の御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血(ち)、
     湯津石村(ゆついわむら)に走(たばし)り就(つ)きて、
     成りませる神の名(みな)は──”
        (迦具土神<かぐづちのかみ>被殺<ころさえ>の段<くだり>)


   これは古代の日本民族が生命の永遠不死を信じていたその信念が
   象徴的に書かれている神話であります。

   日本人にとっては、死ということがないのであって、いくら殺しても、
   また生命(せいめい)が、そこから生まれてくるという物語であります。

   物語の筋は、

   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)
   の頚(くび)を斬り給うたら、そのほとばしる血から、いろいろな神様が生れてきた
   というのでありますが、生命(せいめい)が生れるには、湯津石村(ゆついわむら)に
   たなしりつくということが必要なのであります。

   湯津(ゆつ)は”五百津(いほつ)”ということで、”数多く”という意味であり、
   ”石村(いわむら)”は”祝群(いわむら)”であり、讃嘆の声を数多く雨ふらすこと
   によって生命(せいめい)が生まれて来るのであります。



(2)戦争の神様

   こうして、その次に生れて来られた神様はどんな神様かというと、
   いずれも戦争の神様であります。

   『古事記』は度々、同じ事を別の神名や物語で繰り返してさらにこまかく説明して
   いるのですが、順次異なる物語でまた繰り返して説明しているので、

   これは迦具土神(かぐづちのかみ)を斬り給うた結果、うまれた神様ですから、
   戦争道具の「火具(かぐ)」にもいろいろある。

   それを細分すると次のようになるという意味です。

     ”石拆神(いはさくのかみ)、次に根拆神(ねさくのかみ)、
     次に石筒之男神(いはつゝのをのかみ)。次に御刀(みはかし)の本(もと)に
     著(つ)ける血も、湯津石村(ゆついはむら)に走(たばし)り就きて、

     成りませる神の名(みな)は甕速日神(みかはやびのかみ)、次に
     樋速日神(ひはやびのかみ)、次に建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)、
     亦(また)の名(みな)は建布都神(たけふつのかみ)、
     亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)、

     次に御刀(みはかし)の手上(たがみ)に集(あつま)る血、手俣(たなまた)
     より漏(く)き出(で)て成りませる神の名(みな)は、
     闇淤加美神(くらおかみのかみ)、次に闇御津羽神(くらみつはのかみ)。
    (迦具土神<かぐづちのかみ>被殺<ころさえ>の段<くだり>──以下七行略)

   いずれも爆弾みたいなものでありまして、石拆神(いはさくのかみ)は、岩も裂いて
   爆破してしまう神、根拆神(ねさくのかみ)は根も裂いてしまう神です。

   次に石筒之男神(いはつゝのをのかみ)というのは大砲(おおずつ)小銃(こずつ)
   ── という訳で、巨大な大砲や、機関銃、迫撃砲、対戦車砲などというものを
   現わしているのであります。

   ミカハヤビの神は”御火速火(みかはやび)の神”であり、樋速日神(ひはやびのかみ)
   とともに、都市や工場地帯を焼夷弾で早く焼いてしまう神であります。

   建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)というのは、猛々(たけだけ)しく雷を
   落とす兵器が出現するということの預言です。

   建布都神(たけふつのかみ)や豊布都神(とよふつのかみ)の「フツ」というのは、
   ”フッツリ断ち切る”などという”フツ”であって、物を切断するときの音から
   来た語源であります。従ってこの二柱の神は刀の神様です。

   手の指の俣の間から落ちて生れてきた神様というのは、充分の期間たもつことが
   できないで生まれ落ちた神でその名が闇淤加美神(くらおかみのかみ)、
   闇御津羽神(くらみつはのかみ)というので、これは闇から闇へと葬られた人口流産児
   が増えることが象徴されているのであります。

   そうなると、世の中が闇(くら)く暗澹となってしまうというようなことになり、
   ”闇御津羽(くらみつは)”即ち暗黒が満ち張るようになるというのであります。

   胎児の虐殺の上に、大人の生活の安全が維持されるというようなことは、因果の法則
   (原因結果の法則)から許されないことで、暗黒は暗黒を生むことになるという
   預言であります。



(3)霊的文化と物資文明

     ”是(ここ)に其の妹(いも)伊耶那美命を相見(あいみ)まく欲(おも)おして、
     黄泉國(よもつくに)に追い往(い)でましき。爾(すなわ)ち殿騰戸(とのど)
     出(い)で向(むか)えます時に、伊邪那岐命語(かた)らいたまわく、

     愛(うつく)しき我(あ)が那迩妹命(なにものみこと)、
     吾(あれ)汝(みまし)と作(つく)れし國(くに)、
     未(いま)だ作(つく)り意(お)えずあれば、
     還(かえ)りまさねと詔(の)りたまいき。”

   そこで、伊耶那美命──即ち伊邪那岐命の奥さんである神様──がなくなられて、
   ”黄泉國(よもつくに)”即ち”冥途の国”におられるのに会いたいと思われまして、
   伊邪那岐命は黄泉國(よもつくに)へ会いに行かれたのであります。

   この象徴物語は文化の交流を表現しているのであります。

   伊邪那岐神で象徴するイザナギ文化は東洋文化の特色たる霊的文化であって、
   伊耶那美神で象徴されるイザナミ文化は西洋文化の特長である物質文明を
   あらわしているのであります。

   唯物論の物質文明は伊耶那美神から発して火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)から
   石拆神(いはさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)、
   甕速日神(みかはやびのかみ)、樋速日神(ひはやびのかみ)と発展し、
   更に建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)となり、

   一切を死の灰にまでこまかく細(こま)かく砕いて爆破してしまい、この世を廃墟と
   化してしまう文化であって、死の文化であります。

   だから、この象徴的神話に於いては伊耶那美神は黄泉大神(よもつおおかみ)、即ち
   ”冥途の国”の大神として冥途に行っておられたことになっています。

   そしたら、伊邪那岐神様が自分の妻神が冥途に行っているのに、相見たく
   (会いたいなあ)というので黄泉國(よもつくに)においでになったのであります。

   そこで伊邪那岐神様がその妻神に会いたいと思って伊耶那美神を追うて行かれたのは、
   この現実世界は、霊的文化の東洋文化と物質文明の西洋文明との、即ち精神文化と
   物質文化との結合によってこの世界を作らなければならないのに、

   それがまだ完成しないうちに、お前が冥途に行ってしまったのでは困るからとという
   ので、「再び還ってくれないか」と、こう仰せられたというのであります。



     ”爾(ここ)に伊耶那美命の答曰(もう)したまわく、悔しき哉遠(かもと)く
     來まさずて。吾(あ)は黄泉(よもつ)戸(へ)喫為(ぐいし)つ。”

   そこで、「まことに残念なことでありますが、わたしは闇の国、黄泉(めいど)の国の
   食物を食べましたから、光の国へ還ることはできません」
   とイザナミの神はお答えになったというのであります。

   闇の国即ち物質文明の国の食物を食べたら、
   高天原(たかあまはら)の光明遍照の国に出て来ることができないのであります。

   この『黄泉(よもつ)戸(へ)喫為(ぐいし)つ』というのは、
   キリスト教の『創世記』にあるイヴが蛇にだまされて、『智慧の樹の果』を喰べた
   結果、エデンの楽園から追放されたという神話に一致するのであります。

   毎度申します通り、霊感によって真理を直感し、それを象徴して書かれたる神話は、
   民族を異にしましても互いに一致するのでありまして、『古事記』が霊感の書であると
   いう証拠にもなるのであります。

   この楽園追放の神話は、人間が唯物論の哲学を食べて、その霊的自覚を失い、人間は
   単なる肉体という「物質の塊」である、肉体そのものが人間であるというような、
   そんな闇の国の哲学──

   即ちそういう「智慧の樹の果」を食べたら、人間は霊的世界に於いて光の生活を
   営むことはできない、いくら伊邪那岐神が伊耶那美命に”還って来てくれ”と言っても、
   還って行(ゆ)くわけにはゆきませんと歎かれた。

   併し黄泉神(よもつかみ)と談判して還れるように努力しようと言われたので
   あります。

   それが『古事記』には次のように書かれています。

     ”然れども愛(うつく)しき我(あ)が那勢命(なせのみこと)、入(い)り
     來坐(きま)せる事(こと)恐(かしこ)ければ、還りなむを。旦(あした)に
     具(つばらか)に黄泉神(よもつかみ)と相論(あげつら)わん。
     我(あ)を視(み)たまいぞ。”

   物質文明の洗礼を受け唯物論の「智慧の樹の果」をたべたら光の国の世界へ還ることが
   できない筈なのだけれども、せっかくわが愛している
   那勢命(なせのみこと<夫の君>)が、わざわざ迎えに来て下さいましたことは、
   まことに畏れ多いことでございますから、

   還りたいと思いますから、
   『旦(あした)に具(つばらか)に黄泉神(よもつかみ)と相論(あげつら)わん』
   (冥途の看守である鬼神とでも談判しましょう)

   そして還りたいと思いますから、
   その間、私の姿を覗(のぞ)かないで待っていて下さい。──




     ”如此(かく)曰(もう)して、其の殿内(とのぬち)に還(かえ)り入(い)り
     ませる間(ほど)、甚(いと)久(ひさ)しく待ち難(か)ねまたいき。

     故(かれ)左(ひだり)の御(み)みずらに刺(さ)させる湯津津間(ゆつつま)
     櫛(ぐし)の男柱(おばしら)一箇(ひとつ)取(と)り闕(か)きて、
     一火(ひとつび)燭(とも)して、入(い)り見(み)ます時(とき)に”

   左は、「火足(ひた)り」であって、光がゆたかなことで、
   光明遍照の意味であります。

   御(み)みずらというのは髪の結い型の名称なんです。

   伊邪那岐神様は、イザナミの神が出て来られるのを、今か今かと待ちかねて
   おられたけれども、中々イザナミの神が出て来られないので、自分の御(み)みずらに
   結んであられた左の髪に刺しておられた

   湯津津間櫛(ゆつつまぐし<五百津(いほつ)ツマグシ──五百本も櫛の歯がたくさん
   ある櫛)の男柱(おばしら<一番長い櫛の歯>)を1本ひき割(か)いて、それに
   火を点(とも)してその光に照らして「イザナミの国」即ち物質文化の国の実情を
   御覧になったというのであります。

   「櫛(くし)」は奇魂(くしみたま)の象徴であります。神道では”一霊四魂”と
   いって、実相の一霊が、荒魂(あらみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂、
   和魂(にぎみたま)というふうに、四魂(しこん)にわけているのであります。

   現代の心理学者は我々の心のハタラキを智情意(ちじょうい)と
   3つにわけていますが、

   古神道では「四魂」といって、心のハタラキを四つにわけ、
   単にハタラキだけではなく、そのハタラキの”座”となる幽体を四つの
   「魂(こん)」として、夫々の名称を附しているのであります。

   荒魂(あらみたま)というのは、肉体のことであります。
   肉体は”心の波”が肉眼に見える形に現われたものであります。
   だから現身魂(あらみたま)というのです。

   人間が死んだら肉体即ち現身魂(あらみたま)を墓に埋めるんです。
   そして荒魂(あらみたま)に付随して幸魂(さちみたま)は墓地に行(ゆ)くという
   ことになっているのです。

   ですから墓地には幸魂(さちみたま)と荒魂(あらみたま)とあるわけですね。
   それで幸魂(さちみたま)というのは、肉体的な家族的な愛の魂であります。

   これに反して和魂(にぎみたま)というのは博愛的な愛の魂であります。

   心理学者の「智情意(ちじょうい)」の「情(じょう)」を日本では家族の愛の
   「幸魂(さちみたま)」と公(おおやけ)の愛の「和魂(にぎみたま)」とに
   分けたのであります。

   古代から日本民族は「愛」といっても、一つではないということを認めておったのは
   日本民族の素晴らしさであります。

   幸魂(さちみたま)は家族的な愛情、妻に対する愛情、子供に対する愛情のような
   魂です。和魂(にぎみたま)というのは公の愛情である、民族を愛し、社会を愛し
   国家を愛する愛情の魂であります。

   和魂(にぎみたま)は、その家の仏壇又は神棚におまつりされるのであります。

   奇魂(くしみたま)というのは叡智の魂です。

   それで、湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の一番長い櫛の歯を折って、それに火をともして
   伊耶那美神を御覧になったというのは、叡智の魂に火をとぼして、物質文明の
   ”なれの果て”を御覧になりましたら、

   伊耶那美神(即ち物質文明発達の最後の光景)というものは実に驚くべき悲惨な状態
   であったのであります。   


(4)物質文明発達の最後

     ”うしたかれとろろぎて、頭(みかしら)には大雷(おおいかずち)居(お)り、
     腹(みはら)には黒雷(くろいかずち)居り、
     陰(みほと)には折雷(さくいかずち)居り、

     左の手には若雷(わかいかずち)居り、
     右の手には土雷(つちいかずち)居り、

     左の足には鳴雷(なるいかずち)居り、
     右の足には伏雷(ふせいかずち)居り、

     併せて八雷神(やくさのいかずちがみ)成り居りき。”

   このような状態だったのであります。八重(やくさ)の雷神(らいじん)がゴロゴロと
   鳴っておったというのでありますが、この雷神というのは、爆弾の天地を撼(ゆる)
   がすゴロゴロと爆発する響(ひびき)であります。

   八重(やくさ)というのは八つに限らない。数の多いことをあらわします。

   そして蛆がたかって、爆死した人の死屍(しし)が累々と積み累(かさな)った
   ところには、死体が腐って蛆がたかっている──まことにいやらしい
   悲惨きわまりなき有様(ありさま)であったというのです。

   このように、イザナミ文化即ち物質文明のみ発達して霊的文化から隔絶された世界の
   最期の悲惨なる状態が、神話によって預言されているのであります。

   唯物論でこの世界が動いて行ったら、物質獲得欲にひきずられて、
   結局は、そういうことになるというのであります。


     ”是(ここ)に伊邪那岐命見(み)畏(かしこ)みて、逃げ還ります時に、
     其の妹(いも)伊耶那美命吾(あれ)に恥見(はじみ)せたまいつと言(もう)し
     たまいて、即ちよもつしこめを遣(つか)わして、追(お)わしめき。
   
   まさにイザナミが「どうぞお覗きあそばすな。冥途の神様にでも相談して、還して
   いただけるように致しますから、どうぞその間、覗かないでおいて下さい」と言われた
   のに、イザナギの神が火をとぼして、そのウジのたかって、いやらしいところを
   御覧になった。

   それで、「私の恥ずかしいところを御覧になった。この秘密の有様を御覧になったから
   には、もう還って貰うわけにはゆきません」というので、
   豫母都志許賣(よもつしこめ)を遣わして追わしめられたのであります。

   ”ヨモツシコメ”というのは、”黄泉醜女(よもつしこめ)”であって、冥途の国の
   醜(みぐる)しい女すなわち死神の軍隊のことであります。

   絵などを見ると、額に三画の紙を貼って青白い顔をした白装束の女の幽霊みたいな
   姿であります。そのような姿の死神の軍隊をつかわして伊邪那岐命を追いかけ
   しめられたのです。



(5)唯物論を投げ捨てた結果

     ”爾(かれ)伊邪那岐命黒御鬘(くろみかつら)を取りて投げ棄(す)て
     たまいしかば、乃(すなわ)ち蒲子(えびかずらのみ)生(な)りき。”

   そこで伊邪那岐命は黒御鬘(くろみかつら)を取りて、
   「クロミカツラ」というのは、頭にかぶっておられたところの黒い鬘(かつら)です。

   これは、実相の魂ではないのであって、その上に被(かぶ)っているニセ物の黒い、
   暗黒の唯物論の思想の鬘(かつら)であります。
   上に被っているから鬘をもって象徴したのです。

   さて、そういう唯物論の思想を捨てられた結果、
   「蒲子(えびかずらのみ)生(な)りき」というのは、「エビカズラ」とは、
   野葡萄(のぶどう)のことであります。

   野葡萄というのはわれわれが栽培しているような、美味しい葡萄の果実はならない
   のですが、毎年、草刈者が来て刈り取って行っても、翌年には茫々とはびこるところの
   眞(まこと)に生命力の旺盛なものであります。

   この象徴物語は何を意味するかといいますと、
   頭にかぶっておられる黒御鬘(くろみかつら<即ち黒い唯物論>)を投げすて
   られたら、生命力が豊富に出てくるものですから、いくら死の神の軍隊が追っかけて
   来ても、それを防ぐことができるという意味です。

   それでこの生命(せいめい)の豊富なブドウの果実が出て来たというので、死の国の
   軍隊がそれを食べて暇(ひま)どっている間にイザナギの神は「生命(いのち)の国」
   にお逃げになったのであります。


     ”是(こ)を□([才庶]ひり)い食(は)む間(あいだ)に、逃げ行(い)で
     ますを、猶(なお)追(お)いしかば、亦(また)其(そ)の右(みぎり)の
     御(み)みずらに刺(さ)させる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引(ひ)き
     闕(か)きて、投げ棄(す)てたまえば、乃(すなわち)笋(たかなむ)生(な)
     りき。”

   伊邪那岐神は、今度は右の御みずらに刺しておられる「湯津津間櫛(ゆつつまぐし)」
   を投げられたというのは、奇魂(くしみたま)の智慧の光によって照らされたのです。
   そしたら笋(たかなむ)即ち筍(たけのこ)がなったのですね。

   筍というのは、これも亦、生命力が非常に豊富なものであって、地上に一寸(すん)
   位芽を出しておるのを見つけて、明日採ろうと思って、翌日行ってみたら、もう一尺も
   二尺ものびておる。

   そんなに生命力の豊富なことが起こるのは、「櫛を投げる」即ち奇魂(くしみたま)の
   智慧の光を投げて照らしたら、そんな死の国の闇は消えるという象徴物語であります。



   こうして死神が筍を食べている間に、
   時間を稼いでイザナギの神は逃げてゆかれたのであります。

     ”且後(またのち)には、其(そ)の八雷神(やくさのいかずちがみ)に、
     千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(そ)えて追(お)わしめき。

     爾(かれ)御佩(みは)かせる十拳劍(とくさつるぎ)を拔きて、
     後手(しりえで)にふきつつ逃げ來(き)ませるを、猶(なお)追(お)いて、
     黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(さかもと)に到る時に、
     其(そ)の坂本なる桃子(もものみ)を三箇(みっつ)取りて、
     待ち撃(う)ちたまいしかば、悉(ことごと)に逃げ返りき。

     爾(ここ)に伊邪那岐命桃子(もも)に告(の)りたまわく、汝吾(いましあ)を
     助けしが如(ごと)、葦原中國(あしはらのなかつくに)の所有(あらゆる)
     うつくしき青人草(あおひとくさ)の、苦瀬(うきせ)に落ちて、

     患惚(くるし)まん時に、助けてよと告(の)りたまいて、
     意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)と號(い)う名を賜いき。”
                    (以上、夜見国<よみのくに>の段<くだり>)


   黄泉比良坂(よもつひらさか)の「ヨモツ」というのは、「黄泉国(よもつくに)」
   即ち闇の国で、「ヒラ」というのは、「昼の国」で
   「サカ」というのは、「闇の国」と「昼の国」との”境い目”のことであります。

   さて、その「ヨモツ国」と「ヒルの国」との、その境の峠のところ、
   「生」か「死」かの境い目の坂本というところで、『桃子(もものみ)を
   三箇(みっつ)取りて、待ち撃(う)ちたまいしかば、悉(ことごと)に
   逃げ返りき』というのであります。

   どんなにイザナミの軍隊(死神の軍隊)が来ておっても、桃の實(み)を三つ取って、
   それを死神に対して投げられたら、死の国の軍隊は、悉く逃げてしまったというので
   あります。

   その”桃の實(み)”というのは一体何んであるかといいますと、これは『生命の實相
   (せいめいのほうとうのすがた)』であります。桃の果實は生命(せいめい)の象徴で
   あります。

   この神話は一方では桃太郎の鬼ガ島征伐のお伽話となっております。
   これはお伽話といっても、実は神話であって誰の創作ということはない。

   個人的作者はなくて、古代の日本民族が、ズッと古く大昔から、霊感によって
   宇宙の真理を直感して物語りにしているものであります。



   桃太郎のお伽話は、こうであります。
   お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行ったのであります。

   この「柴刈り」というのは、心の雑草を刈り取って、そして雑草に蔽われて
   隠されている實相を、ハッキリ現わすことであります。

   そして、「お婆さんは川に洗濯に」ということは、それは實相が垢に汚れ覆われて、
   その光が輝かぬようになっているのを、御禊(みそぎ)してそれを綺麗に洗うと
   いうことです。

   心の雑草即ち、迷いの雑草を刈り取って、清らかな智慧の水で汚れを綺麗に洗ったら、
   其処へドンブリコ、ドンブリコと「桃の實(み)」が流れてきたのです。
   お婆さんはそれを拾って持って帰ったのでした。

   「桃の實(み)」というのは、
   「生命(せいめい)の樹(き)の實(み)」であります。

   死神に対して「生命(せいめい)の樹(き)の實(み)」を投げると
   死神は消滅して逃げ出すのであります。
   これが、桃太郎の「鬼ガ島征伐」であります。

   「黙示録」の第二十二章ニ節に「河の左右に生命(せいめい)の樹(き)ありて
   十二種の實(み)を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸国の民を癒すなり」
   とありますが、、

   このことは”生命の實相”の真理を説いた雑誌が毎月発行されているのに
   一致するのです。
   「生命(せいめい)の樹(き)の葉(は)」と言うのは生命(せいめい)の真理を
   説いた”言(こと)の葉(は)”と言う意味であります。

   古今、東西の霊感の書はいずれも同じ真理を指し示しているのです。

   河の両岸に”生命の樹”というのがあって、そして月毎に實を結び、その實が
   ”生命(せいめい)の河”を流れ下ってくる、それが桃の實(み)であって、
   中から桃太郎が生まれるということになっているのです。

   こういうヨハネが霊感によって見たところの状態を書いた「黙示録」と、日本人が
   神話にこしらえたお伽話の桃太郎と符節を合わせて一致しているところに、神話という
   ものや、霊感の書というものは、

   結局宇宙の真理を感じて、表現したものであって、
   その神話が別の民族のものであって、別の表現をしているけれども、
   根本的には同じものを感じているのであるということが立証されるのであります。

   それで、桃の實を割ってみたら、
   そしたら其処から桃太郎というのが生まれてきたわけです。

   桃の果(み)の形は、あれはまだ**に覆われない**の生殖器を外から見た象(かたち)
   をしております。「**に覆われない」というのは、黒い「迷いの影」にくらまされない
   生命(せいめい)そのままの、汚れない生命(せいめい)を生み出す器官を象徴する
   のに適切だというので、桃の實を「生命の樹の實」の象徴として出しているので
   あります。

   それで、その桃の果実は生命(せいめい)を生み出す器官だから、それを持ってきて
   割ったら、その中から”オギャー”と出てきたのが、桃太郎即ち生命(せいめい)太郎
   であります。 神の生命(せいめい)を内に宿した人間と言う意味であります。

   山に柴刈りに言って「心の雑草」を刈り取ってしまって、
   川に洗濯に行って「心の汚れ」を綺麗に洗いながして、
   そして生命(せいめい)の本当のスガタ(即ち『生命の實相』)をあらわしたのです。

   そして、本当の”神の子”がそこに生まれてきたら、それが生長して鬼ガ島を征伐する
   ことができるのです。鬼ガ島とは、死の国の地獄の鬼を象徴しております。

   それでイザナギの神が、黄泉国から追っかけてきたところの、死の使者(つかい)の
   鬼共(おにども)を征伐するためにお使いになった桃の實――生命の實相――は三つ
   あるというのです。

   その三つの桃の實(生命の實)は何と何とであるかと謂いますと、
   その桃の實の一つは、「日本天皇の生命の實相」
   もう一つは「日本国の生命の實相」
   それからさらにもう一つは「人間の生命の實相」であります。

   この三つの「生命(せいめい)の實(み)」の相(すがた)が本当にわかったら、
   死の国の地獄の鬼は逃げて行くのだということが、『古事記』に示されているわけで
   あります。

   そして、今までの”イザナギの大神”即ち「光の大神」によって象徴される日本の国が
   大東亜戦争で負けて逃げてきて、敗戦の状態になったところは『古事記』を預言書と
   して見るとき、この黄泉比良坂(よもつひらさか)の手前のところまでが実現したので
   あって、これから後に起こることは、『古事記』のこれから先に書かれているので
   あります。

   葦原中国(あしはらのなかつくに)というのは、高天原の「天(てん)」(實相世界)
   に対して「地」即ち現象界であります。

   青人草とは人類のことで、「人類の憂患のときには生命の實相の真理で助けてやって
   くれ」と仰せられて”オオカムツミ「大神(生命<せいめい>)の實(み)」の命”
   の名を与えられた。

   (第6章 「霊的文化と物資文明」は、以上で完了です)

・・・


第7章「コトバによる宇宙浄化」は、以下の構成となっております。

(1)陰陽の調和は、千と千五百との割合である
(2)尽十方光明遍照の世界
(3)宇宙を浄化するアイウエオの言霊
(4)日本民族の優秀なる言語
(5)用語の伝統と雰囲気を尊重せよ
(6)百人が百人ながら「私」の内容は異なる
(7)日本人の道徳は「まこと」一筋
(8)神様からの道徳と人為の道徳
(9)日本敗戦の理由
(10)天皇は如何に戦争に反対せられたか
(11)日本民族の人口問題と満州国の問題
(12)日露戦争の発端
(13)五族が大和する満州国の建設


第7章「コトバによる宇宙浄化」

(1)陰陽の調和は、千と千五百との割合である

     ”最後(いやはて)に其(そ)の妹(いも)伊邪那美命、身自(みみずか)ら
     追(お)い來(き)ましき。爾(すなわ)ち千引石(ちびきいし)を、其の
     黄泉比良坂に引き塞(さ)えて、其(そ)の石(いし)を中(なか)に置きて、

     各對(あいむ)き立(た)たして、事戸(ことど)を度(わた)す時(とき)に、
     伊邪那美命の言(もう)したまわく、

     愛(うつく)しき我(あ)が那勢命(なせのみこと)、
     爲如此(かくし)たまわば、汝(みまし)の國(くに)の人草(ひとくさ)、
     一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺(ころ)さんともうしまいき。”

   それで、いよいよ「敵将上陸す」とでもいうことになったのが『伊邪那美命、
   身自(みみずか)ら追(お)い來(き)ましき』であります。

   よもつしこめという、イザナギの死の国の軍隊が桃子(もものみ<生命の樹の果>)の
   悟りによって反撃せられまして、到頭(とうとう)、逃げ帰ったので、黄泉国の大将
   たる伊邪那美神様が、”闇の国”から一騎討という訳でやって来られたのであります。

   そこで光の国の伊邪那岐神様が、千引石(ちびきいし)――千人もかからんと動かない
   ような大きな岩――をドシンとその”闇の国”と”光明の国”との境目の”黄泉比良坂”
   というところに置いて、その岩を境として、『事戸(ことど)』すなわち離縁状を渡す
   ことになったのです。

   『事戸(ことど)』とは、”言止(ことど)”であって言葉でとどめるということで、
   離縁状に、「もうお前との交際は止(や)める」と書いて渡されたのであります。

   そしたら伊邪那美命が、
   「わが愛する夫君(おっとぎみ)の命(みこと)よ、そんなつれないことをなさいます
   ならば、あなたの国の人を千人殺して、冥途に連れてくるから、思い知りなさい」と
   いったわけです。

   そしたら、伊邪那岐命は、

     ”爾(ここ)に伊邪那岐命の詔(の)りたまわく、愛(うつく)しき我(あ)が
     那迩妹命(なにものみこと)、汝(みまし)然(し)か爲(し)たまわば、
     吾(あれ)一日(ひとひ)に千五百産屋(ちいほうぶや)立(た)ててんと
     のりたまいき。”
             (以上、夜見国<よみのくに>の段<くだり>――以下四行略)

   「お前が一日に千人殺すのなら、よろしい、
   私の方は一日に千五百人生ませてみるから」と、こう仰せられた。

   これは陽は陰よりも積極的であり、それによってすべての事物が
   伸展してゆく原理が象徴的に述べられているのであります。

   事業なら支出よりも収入が多くて、その事業が発展するのであります。
   人間も死より生が多いので地上に人類が絶滅しない。
   幾ら死んでも人間はますます増えるということになるのであります。

   『古事記』の神々の物語を表面の言葉の通りに受け取って、神が殺し合いをするという
   ふうに解釈してはならないのであります。

   これは千人を「殺す」とかいう残酷なことを説いたのではなくて、実は、伊邪那美命は
   女性であって、これは”後(うしろ)ろに退く働き”が千であって、
   そして伊邪那岐命は男性であって、積極的に前方に進出する方の働きであるから、

   いくら千だけ生命(せいめい)が後退しても差引き五百は残ってますます積極的に栄え
   てくるのである、という陰陽調和の生命の原理が象徴的に書かれているのであります。


   こうしていよいよ、黄泉国(死の国)の軍隊は後退し
   黄泉国の大将・伊邪那美命自身も、その千引石という大きな岩にさえぎられて、
   もうこの世の中に出て来ることができなくなり、光の軍隊の大勝利となったときに、
   伊邪那岐命がこう仰せられたのであります。

     ”是(ここ)を以(も)て伊邪那伎大神の詔(の)りたまわく、吾(あ)は
     いなしこめしき穢(きたな)き國に到りて在(あ)りけり。”
     と仰せられたのであります。

   醜女(しこめ)というのは”みぐるしい女”であります。死の国の死神の女をいいます。

   この死神が充満していた汚き国に行っておったというのは、
   唯物論の世界に於いては、結局、みぐるしい原爆、水爆等の人殺し兵器をつくって
   黄泉国に人間を誘うことになる。

   その唯物論の脱却がこの禊ぎ祓いなのであります。

     ”故吾(かれあ)は御身(おおみま)の禊爲(はらいせ)なとのりたまいて、
     筑紫の日向の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐原(あわぎはら)に到(い)で
     坐(ま)して、禊(みそぎ)祓いたまいき。”
                 (以上、御身<みみ>滌<そぎ>の段<くだり>)

   こうして伊邪那伎命が「自分はこれから唯物論で汚(けが)された世界の禊ぎ祓いを
   しなくてならない」というので、禊ぎ祓い(世界浄化)をされた時に生まれてきた
   ところの神様が、住吉の大神であるのであります。

   その禊ぎ祓いは如何にして行なわれたかと申しますと、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原
   に到(い)で坐(ま)して、禊ぎ祓いをせられたのであります。

   筑紫というと九州だと思う人があるが、これは九州だと仮に思ってもいいですけれど、
   それは表面の解釈であります。

   その密議を申しますと、
   「ツクシ」というのは、尽十方――即ちあらゆる方角を尽くしてという意味で、
   『宇宙全体』ということであります。



(2)尽十方光明遍照の世界

   日向(ひむか)というのも表面は九州の日向(ひゅうが)の国でありますが、
   正しくは「ヒムカ」と読んで、日に向かうということで、光明遍照のことであります。

   それで「筑紫の日向」というのは「尽十方光明遍照の大宇宙」であります。
   「橘小門」というのは、「竪端(たちはな)の音(おと)」ということであります。

   皆さんが、”アイウエオ”と五十音を五字ずつ並べて書いて御覧なさい。

    アイウエオ
    カキクケコ
    サシスセソ
    タチツテト

   というふうにですね、五十音を並べて書きますと、
   アイウエオの母音が、一番最初にあります。

   この”アイウエオ”の母音を称して「竪端の音」というのであります。

   「アハギハラ」の「ア」というのは、「あらわれる」
   「ハグ」というのは、「追いはぎ」などの、「ハグ」(剥ぐ)という語(ことば)と
   同じで、包んで隠しているのをハギ取って、実相を現わすという意味のものです。

   それで「竪端の音」によって、今まで覆われていた完全の実相を現わすので、
   その禊ぎ祓いの「場(バ)」がアハギハラでありまして、其処へおいでになって
   禊ぎ祓いをせられた、という意味であります。

   さて、既にのべたところでおわかりになりましたように、伊邪那伎大神は宇宙の
   創造主(つくりぬし)の神様ですから、尽十方に充ち満ちておられる。

   だからその「ミソギハライ」は宇宙全体の浄化を意味いたします。
   そしてこの大神は「イザナギノミコト」でありますから、宇宙に満つる「コトバ」
   なのであります。

   そのコトバは如何なるコトバによって、この宇宙全体の濁っている不完全なコトバを、
   浄(きよ)められたかというと、「タチハナノ音(おと)」即ち「縦の初めからある
   ところの、”アイウエオ”の音(おん)」をもって清められたというのであります。



(3)宇宙を浄化するアイウエオの言霊

   一体それは、どういう意味であるかといいますと、少しも濁りがなく、
   ひっかかるところがなく、スラスラ出るのがこのアイウエオの声であります。

   これは、日本では”母音”といって、すべての声音の根源になる母なる音(おん)
   であります。このアイウエオの母音が入って来ないと、すべての音(おん)は
   不完全音になるのであります。

   例えば英語でいうならブック(book)という字の綴りの終わりのKですね。
   これには母音が欠けているから完全に発音できない。
   Kは「ク」とハッキリ発音できない不完全音であります。

   あたかも犬が喉に骨をたてて”クッ、クッ、クッ”と咽喉(のど)にひっかかって
   嘔吐(へど)をはいているような、不完全音であります。

   このKにアイウエオ(aiueo)を加えますとKaKiKuKeKoとハッキリと
   完全に発音ができるようになって、言葉が浄(きよ)まってくるわけなのであります。

   宇宙のコトバを浄(きよ)める為には、どうしても、アイウエオというこの五つの
   母音をもって清めなければならないのでありますから、
   皆さんも神想観をなさいますとき、招神歌を歌ったあとで、

   「アー、イー、ウー、エー、オー」と、十回でも二十回でも朗々と称えて、
   その「竪端(たちはな)の音(おと)」を耳を澄まして聞いておられると、
   心が実に澄み切ってくるのであります。

   自分が澄み切るだけではないのであります。
   宇宙のコトバが澄みきって宇宙が平和になるのであります。

   練成会などでは、神想観の招神歌のあとで、
   「アー、イー、ウー、エー、オー」を朗々と十回ばかり称えてから
   「思念の言葉」を念ずるようにされえると一層いいのであります。

   自分の心が浄(きよ)まり宇宙の心が浄(きよ)まります。

   これが、伊邪那伎大神が宇宙をコトバに依って、
   浄(きよ)められたというのであります。



(4)日本民族の優秀なる言語

   ついでに申し上げますが、日本人の本来の言葉は非常に清らかな言葉であって、
   子音(しいん)だけで終っているような言葉はないであります。
   みんな、この母音(ぼいん)が入ってちゃんと、
   陰陽が完全に揃っているのであります。

   ここに、日本人の優れたる天分があるということができるのであります。

   母音以外の音(おん)を我々は仮に子音と名づけていますけれども、
   本当は陰音(いんおん)<カゲの音(おん)>であります。

   陰音という意味は、
   それだけでは音(おん)が隠されていてハッキリと出ない声だからであります。

   で、人間の言葉というのは口喉内の摩擦だけで生ずるハッキリ出ない陰の声と、
   それから声帯の振動によってハッキリ出るところの「アイウエオ」の陽の声と、
   陰陽が揃ってはじめて完全な声となるのであります。

   また日本人の言葉の中には、語尾にン(n)のつく言葉が古代は使っていなかった
   のであります。ン(n)は外来の言葉なのであります。
   だから、”いろは”四十八文字の中には「ん」は無いのであります。

   「ラン」とか、「サン」とか、「キャン」とかいう、「ン」という発音は、
   これは下等な存在の音(おん)なのであります。下等な物の発する音(おん)が
   「ワン」とか、「カン」とかいう音(おん)を発します。

   例えば茶碗を叩くと「カン、カン、カン」と音(おと)がしますが、
   終わりが「ン」の音(おん)になっているでしょう。
   この机を叩くと「ドン、ドン、ドン」と音がする。

   終わりが「ン」であって、
   無機物の音(おと)は大抵みなこのように「ン」がつくのです。

   それでは動物の声はどうかというと、犬はなぐれば「ワン」と言うし、
   猫は「ニャン」と言う。
   やっぱり無機物の音(おと)のように「ン」がつくんですね。

   さらに鉱物の音(おと)で、「ン」のつかないのには拗音(ようおん)という
   拗(ねじ)れた音(おん)がありますね。
   「キュウ、ギュウ、チュウ」というような音(おん)です。
   革や瀬戸物などの物質の摩擦したときの音(おと)であります。

   そういう発音は古代の日本人にはなかったものです。
   だから日本の古い書物にはそういう発音の文字はないのであります。

   古代の日本人はそのように、
   一番優れた純粋な濁りのない言葉を使っていたのであります。

   コトバは神であり、コトバには創造力があり、言葉は文化発達の道具であり、
   指標でありますから、言葉が発達しているということは、
   その人の精神が発達しているということを現わしているのであります。

   日本人はもっと人種的劣等感を抛棄(ほうき)して
   大いに自信力を持たねばなりません。



(5)用語の伝統と雰囲気を尊重せよ

   戦後の日本人の一部には自信力を喪失して、漢字を制限してみたり、
   当用漢字といって、簡約した文字(もんじ)を拵えたり、
   発音通りの仮名遣いと称して、だんだんと言葉の複雑さを制限したり
   しているけれども、

   そんな制限は実は無駄のことであり、
   伝統あり、複雑な歴史的雰囲気のある漢字を制限しながら、
   外国語を発音ちがいの片仮名で無闇に文章に書き入れることは制限しない。

   だから、古き伝統と幾年間の洗練を経て醇化された言語を制限して、
   不熟な新造語や、発音ちがいの外来語が何等の統一もなく氾濫している。

   もっとも海外の語を輸入するのに私は反対しないが、
   伝統ある醇化した文字(もんじ)を制限することには反対です。

   言葉は多い程、その国の、その民族の文化が発達しているということが
   できるのであります。



(6)百人が百人ながら「私」の内容は異なる

   言葉が複雑に分化されればされるほど、言葉の内容が複雑になり、
   微妙な変化まで味わえる訳であります。

   日本人は、「私」という意味でも、沢山もっています。

   「俺」という人もあれば、「わし」という人もあるし、
   「わい」という人もあるし、

   「わたし」という人も、「わたくし」という人もあれば、
   「拙者」という人もあり、「それがし」という人もあり、
   「わちき」という人もあり、「僕」という人もある。

   ・・・それは無数にあるのです。

   これらの言葉は、日本人だったら、おなじ「わたくし」という意味だけれども、
   それぞれの異なる内容の「わたくし」があり、
   その語のニューアンスの違うのを感じわけることができるのであります。

   その夫々の語の微妙な感じというものを味わいわけることができる日本人は、
   それを味わい分け得ない外国人よりも精神が発達していることを
   あらわしているのです。

   戦後の日本人は民主主義を最高のイデオロギーだなどと思って
   人間の階級を否定し、言葉に敬語をつけることを封建的であるとかいって
   嫌がる人がありますけれど、
   本当は平等なんていうものは現実には存在しないんです。

   人間の細胞でも、それは四百兆あるとか一千三百兆あるとか
   いろいろ計算されているけれどもみんな位置が違って、
   それぞれ位置に従って働きが違うのであります。

   それですから、人間も「平等な私」なんていうものは単に抽象概念であって、
   「同じ私」なんていうものは、一つもない。

   それはいろいろの種類の「私」が、みんな異なる「個性」をもって、もし細かく
   わけたら、人間が34億おったら、34億のニューアンスの違う「私」がある。
   だから「私」という語にも34億種類の語があっても不思議ではない。

   まだまだ日本人の使っている20種類の「私」という意味の語位(ごくらい)
   では足らんのであります。

   それなのに外人は、英語なら”I(アイ)”という1種の「私」しか表現する
   言葉がないほど、言語が貧弱なのであります。

   そして民主主義は”I”は平等であって、
   「人間は平等である」という一辺倒に陥っている。

   これでは、結局、人間は、どれもこれも同じ類形になってしまって、
   本当に「生きた個性ある人間」でなくなってしまいます。

   ひとり、ひとり、それぞれ異なる「私」がある。
   これを自由に使い分けているのが日本民族なのであります。

   このような言語の点から言っても、
   日本民族がそんなにすぐれた民族であるかということがわかるのであります。

   日本民族は大和精神の民族であるから外来の言葉も排斥しない。

   仏教が来たら仏教を入れキリスト教がきたらキリスト教も取り入れるし、
   シナ語も、フランス語でも、ドイツ語でも盛んに入れて、それを渾然一体
   としてしまうところの不思議な力を持っているのであります。



(7)日本人の道徳は「まこと」一筋

   日本人はそういうふうに、「私」という語でもニューアンスの異なる語をたくさん
   拵えましたけれども、道徳という面になりますと、いろいろなものを拵えないで、
   ただ「マコト」と言ったのであります。

   君臣の間では忠となり、親子の間では孝(こう)となり、
   兄弟の間には友(ゆう)となり、
   夫婦の間には、貞(てい)となるとかいうようになるのでありますが、
   これらの言語的な区別はシナから輸入されたものであります。

   何事にもマコトを貫くのが日本民族であります。

   マコトの「マ」は「マルイ」の”マ”で、真円(まんまる)く、円満で、
   欠けるところがなく、一切包容の、そして中心に一致する心であります。
   これが、日章旗にもなっているわけであります。

   日本ではマコトを尽くせばすべての方面にあらゆる徳が整うのであります。

   外国のように彼に対する道、是に対する道、家族に対する道、
   社会に対する道などと別々にあって、その一つを完(まっと)うすれば、
   他の諸徳と衝突するなどということはないのであります。

   「マコト」というのは、このような八方正面の○(まる)い心であって、
   この○(まる)い八方正面の心をハッキリと把握していると、平重盛のように、
   「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と云って
   困ることはないのであります。

   八方正面で、八方が眞円(まんまる)いのが、
   これが日本人の根本道徳であるというわけであります。


(8)神様からの道徳と人為の道徳

   人為的な私のハカライの道徳というものは、一方で社会をよくしようとしたならば、
   家族と逆らうなどということになるのでありますが、

   マコトを一切のものに振り向けて、中心に一致して道(みち)を行ずる
   ということになれば、一切の他の徳をも同時に
   完(まっと)うすることになるのであります。

   それで日本ではただ一つの道(みち)――神(かん)ながらの道、
   ”神(かみ)そのままの道”があるのであります。

   この「神(かん)ながらの道」が忠であり、中心に一致しますと、
   一切がおのずから整うのであります。



(9)日本敗戦の理由

   日本が大東亜戦争に敗れたのも、敗れるのには敗れる理由がある。
   中心を失っていたのであります。
   即ち日本天皇のみこころに背いて米英に戦争を布告したから負けたのであります。

   大東亜戦争の直前の御前会議で、天皇が如何に平和愛好の心で、
   宣戦に反対せられたかを知る人は知っているのであります。

   しかし、明治の初めに既に「万機公論に決すべし」という民主主義的な
   御誓文が出て、それが日本の国是になっていましたので、時の勢力階級の
   大衆(軍閥)の戦争賛成論の多数決のために戦争が始まったのでした。

   これは、天皇をロボットにした結果であったのであります。

   民主主義というものは大変結構なことのように現代では考えられております
   けれども、本当の民主主義というものはあり得ないので、

   大衆をキャッチする少数のボス階級、またそれに雷同するジャーナリズムの
   論説や報道に引きずられて大衆の与論というものはつくられ、

   それに与論であるとというので、「民衆の声」だという仮面をかぶって
   少数の野心家が民衆を支配するのであります。

   それで常に私は大衆の声よりも
   叡智ある無私の賢者の政治がよいというのであります。

   若しあのとき、天皇の御心の通りであったならば、あの米英に対する
   宣戦の布告も出てこなかったのでありますけれども、天皇をないがしろにして、
   ただ天皇を政治上の布告を行なう機関というものにして、

   天皇は衆議が決めたところのものにただ判を捺すところの機関であり、
   蓄音機であるという意味で、天皇を機関にしてしまったところに
   あの大東亜戦争ははじまったのであります。

   当時、美濃部達吉博士の”天皇機関説”に対しては、最右翼の蓑田胸喜氏や
   軍閥の心ある者は反対しておったのでありますけれども、
   然し、それは言葉の上で、”天皇機関説”に反対しておっただけであって

   実際軍部の人たちは虎の威をかる狐のように、天皇を看板にして、
   そして自分の権力増進とか野心を満足せしめるために、
   「これは天皇の御心である」という形をとるから誰も反対し得ない
   というので、天皇を利用していたのが、

   あの大東亜戦争に敗(ま)ける根本的原因となったわけであります。



(10)天皇は如何に戦争に反対せられたか

   天皇が戦争に反対であられたということは、『天皇と戦争』という
   徳久克己編纂のパンフレットに、詳しく出ているのであります。

   これは徳久克己博士が、終戦後、古本屋をさがし廻って、
   天皇陛下が戦争に対して、その折々にいろいろと仰せられた事が書かれて
   いる本を、かたっぱしから探し出して、
   戦争に関する部分だけを、集めてまとめられたパンフレットであります。

   このパンフレットには、大東亜戦争がいよいよ末期に近づいて、
   ポツダム宣言を受諾するか、或いは広島、長崎の次に、もう一ヵ所どこかに
   「原爆を落とすぞ」という脅し文句の宣伝文が飛行機で撒かれまして、
   そこへソ連が、日ソ中立条約を破って宣戦して来たので、

   戦争を維持すべきか、ポツダム宣言を受諾すべきかにつき、
   天皇陛下が御前会議でどの様に言われたかということが書いてあるので、
   一寸、一部分を引用してみます。

   「これより先、日米交渉が一向進捗しないので、陸海軍の少壮将校が動き出す。
   首脳部は何をしているのか、米国からくる新聞電報を見ても、
   態度は逐次硬化してくるではないか、もし逡巡していれば
   米国から先に攻撃されるかもしれない。

   先んずれば人に制せられる。今こそ蹶然(けつぜん)起つべき秋(とき)であると
   騒ぎ出す。こんなことがいつともなく陛下の耳にも達し
   『いよいよ開戦は避けられないものだろうか』とご心配になる。

   まだハル・ノートに接していない11月19日、

   陛下は木戸に『どんなものだろうか』とご相談になると木戸は
   『仮令(たとい)この状態で11月一杯過ぎたからとて、直ちに
   戦争に入ることは考え物である。

   交渉は相手のあることだから、様々な段階を経て終局に到達するものであって、
   この状態で暫く推移することも亦その一段階の経過と看てよい。
   従って最期の決意をするまでまだまだ残されている手段があろう』
   と奉答したといっている。

   その残された手段というのは、陛下が直接お乗り出しになって交渉を纏められる
   ことだと後日述懐している。

   陛下から直接大統領に御親電を発せられるというようなことができて
   いたなら、或は局面の打開ができたかの知れない。

   これは野村大使からも進言があったが、惜しいことには、その進言の電報が
   ハル・ノートより少し遅れて着いたので、東條は問題にならんと斥(しりぞ)け、
   東條も強いてこれが実現を主張しなかった。

   木戸が真実陛下のお乗り出しを希望したものなら、
   この19日頃が適切な時期であったかも知れない。
   すべては六菖十菊(ろくしょうじっきく)の憾(うら)みとなって
   ハル・ノートを受け取った。」

   このように書かれているのであります。

   このハル・ノートというのは、アメリカのハル国務長官が日本国に対して、
   「満州国をやめてしまって、日本人はこの小さな日本列島の中に帰れ、
   そうでなければ何処までも蒋介石を援助して、武器の供給をやめない」
   というものであったのであります。
 
   日本民族は日本の古書にも「天(あめ)の益人(ますひと)」と書いてある
   ように、人口増殖率が非常に高いわけなのであります。



(11)日本民族の人口問題と満州国の問題

   大東亜戦争が始まる昭和16年の時分にはまだ、日本の国土が狭くて、
   人口を入れるのにたりないという訳でもなかったのですけれども、
   やがて生まれて来る所の子孫が、生活の「場」として
   如何にこの小さい日本列島で生活するかということを考えてみたら、

   将来の日本民族のことを考えてみますとき、
   何処かに日本民族はその子孫を移民さすより仕方がないのです。

   これは、常識で考えると、この様に増殖する人口を人口流産で
   胎児を殺すことなしに生かして行くことにすると、
   何処か広い土地に移民するより仕方がないのです。

   それですから、日本民族はアメリカへも多少移住しました。
   ところが、アメリカでは当時移民した日本人の風俗が、
   アメリカ人の風俗と合わないので排斥されたのであります。

   日本の家庭における躾は大変いいのですが、日本人は社会道徳にかけることが
   時々あるのです。それがアメリカに嫌われた原因だったのであります。

   それで、アメリカでは、日本人”移民禁止法”というのが議決されまして、
   日本人はアメリカに移住できなくなったのであります。

   ブラジルでは日本人は大変歓迎されまして、
   日本人は50万人ないし60万人は移民しまして、日本人の勤勉さが
   みとめられて大いにブラジルの産業開発に貢献したのであります。

   それでブラジルの産業が今日あるのは、
   日本人のおかげであるとまで言われるようになっているのであります。

   あそこは広大な土地があるので、移民の日本人は幾らでも受け入れて
   くれるのですけれども、距離が余り遠いので渡航費用も大変かかるし、
   故郷が懐かしくても容易には帰れないような気がする。

   節約して渡航しても、あそこまでの渡航費用が一人30万円もいるとしたら、
   5人家族で移住するには150万円もかかる。

   その位の資本がある位なら、遠い他国へ行くよりも、
   日本内地で商売でもした方が得じゃないか、などと考える人が多いものですから、
   誰でもブラジルへ移民できるという訳には行かないのです。

   それですから将来の日本民族の子孫のことを考えると、
   何処か近い所に広い地面がなければならんと、その頃考えておったのです。

   その時に、ロシアが北方から南下して来て、そして黒龍江を越えて、
   満州に侵入し、そして満州の利権を得てさらに南下して、南に下ってきて、
   朝鮮に入って来、朝鮮を足場として仁川に軍港を拵えたりして、
   日本を窺うということになったのであります。




(12)日露戦争の発端

   当時のロシアという国は、世界第一の陸軍国といわれておって、
   その強大なロシア軍が日本に上陸して来たとなったら、

   日本は縦には長い国だけれども、横には幅が狭いですから、奥行がない、
   敵に上陸されて南北に分断されりしたら大変である。

   敵が上陸してから防ぐのは不便である。だからロシアの侵略を防ぐためには、
   こちらから出かけて行って、相手を討つより仕方がなかった。

   つまり先制攻撃をするより仕方がなかったという訳で、当時朝鮮の仁川港に
   おったところのロシア海軍のワリヤークその他一隻を撃沈して朝鮮を北に進んで、
   到頭ロシア軍を奉天、遼陽の戦いに打ち破って、勝利を得た。

   その結果、アメリカが仲裁に入ってポーツマス条約が結ばれ、
   ロシアは日本に対して賠償として「満州の利権」を日本に譲ったのあります。

   これは決して、日本が満州を侵略したのではなく、
   自衛のための戦いに勝ったために、ロシアから譲られた利権なのであります。

   それにも拘わらず、日教組の先生方の中には生徒に対して、
   「あれは、満州に対する日本の侵略である。日本民族は侵略民族である」と、
   わざと日本民族自身を悪くいうような自虐的な教育を施す先生もある
   とのことですけれども、

   本当は、満州に日本が進出したのは、侵略で進出したのではなくて、
   守るために戦って、その戦いに勝つことができた。

   そして戦争においては、負けた方が賠償するというのは
   当時の戦争道徳になっていたので、
   (現在でもそうであって、日本は敗戦したために賠償を背負わされている)
   ロシアは自分が中国から横取りしておった満州の利権を
   日本に譲ったのであります。

   こうして日本が満州に足場ができてアメリカやブラジルのように
   遠いところへ移民しなくとも、こんなに近いところに移民してもよい土地が
   できたのであります。



(13)五族が大和する満州国の建設

   然し日本民族が移民すると言っても、日本人だけの国を満州に拵えたら、
   それは侵略ということになるから、土着の満州民族を生かさなければならない。

   それで、清朝の皇帝の血統をひいた愛親覚羅(あいしんかくら)家の
   溥儀(ふじ)という人を連れてきて、それを満州国の皇帝にしたのです。

   満州の国に満州民族の清朝の皇帝の血筋を連れて来てその皇帝にする
   ということは、別に悪いことではない。

   そして、以前からあの国に住んでいた民族も生かさなければならないので、
   あそこに五族協和の理想国を拵えたのであります。

   五族協和というのは、蒙古民族、漢民族、満州民族、朝鮮民族、
   日本民族という、五種類の民族が異民族でありながら、それが集まっていて、

   八紘一宇(大家族)の大和精神で、八方の民族がみんな別の民族でも
   仲よくくらせるという、そういう模範国家を作ろうというので、
   あすこに満州国ができたのであります。

   こうして将来の日本人の子孫を胎児のままで人口流産で殺さなくてもよい
   という繁殖の場ができたのであります。

   こうして日本が強大なるロシアと戦って、勝つか負けるかわからん
   必死の戦いに於いて明治時代の我々の祖先が血を流して、やっと得た
   ところの利権をもとにつくられたところの
   日本民族の生命線ともいうべき満州国をやめて、狭い内地だけに引っ込め、

   そうでなければ、どうしても蒋介石を援助して武器の補給をやめないという
   通告が、時のアメリカの国務長官ハルから日本へ送られてきたのであります。

   それには、日本の当局としても我慢ができなくなったのです。

   日露戦争で、われわれの祖先が幾多の同胞の血を流し国の運命を賭して、
   やっと造り上げた子孫が移民し得る公の土地、それを放棄するということは、
   日露戦争に血を流して子孫のために戦った吾々の祖先に申し訳がない。

   満州国ができたので我々の子孫が堕胎もしないで、
   人口流産して腹の中の子供を殺さないで、ともかく日本民族がのびて行く
   ところの足場ができているのに、それをやめて引っ込めてしまえというのは、
   どうしても日本国民として耐え忍ぶことができないという
   ので、これはどうしても短期決戦にもって行かなければならない。

   相手のシナの民族は五億もあり、それを総動員して戦う。
   そして、それに要する武器は、アメリカの生産力に物をいわせて、いくらでも
   援助してくるということになれば、これは長期戦にひっぱり込まれる。 

   そうなれば、資源も人口も軍需品の生産力も劣っている日本が
   これに立ち向かうには、短期決戦でアメリカをたたくより道がない、
   ということに軍部も閣議も衆議一致したのが当時の状態だったのであります。

   当時の日本の立場としては、軍の首脳者としても政治家としても、
   そこに結論がゆくのは、当然のことであって、
   侵略とか、そんなものではなかったのであります。

   だけども、天皇陛下は戦争に反対であって、平和政策で、
   戦争に関しては木戸公などを呼ばれて、いろいろと意見をきいて心配しておられ、
   いよいよ最後の御前会議の時には、

   明治天皇の御製、

     よもの海みなはらからと思ふ世に
           など波風のたちさわぐらむ

   という御歌(おうた)を朗々とお読みになりまして自ら、
   戦争に賛成しないのであることを表明されたのでありました。

   それにも拘らず、いよいよ戦争が終わりますと、
   天皇陛下はマッカーサー元帥を訪問して

   「この戦争には、私は重大なる責任を感じている、
   国民は自分の命令に背くわけに行かないから戦争に参加したのであって、
   国民には責任はない。それ故私は絞首刑も覚悟しているから、
   これ以上国民に過酷な重荷をかけないようにして頂きたい」

   とお願いになったのであります。

   (第7章 「コトバによる宇宙浄化」は、以上で完了です)

・・・

第8章「天皇・日本の使命と終戦の真相」は、以下の構成となっております。
  
(1)マッカーサー元帥が語る天皇の犠牲精神
(2)天皇 杉山大將を叱咤し給う
(3)既に預言されたる大東亜戦争
(4)大東亜戦争の責任は誰であるか
(5)日本民族の歴史的使命
(6)白色人種のアジア侵略
(7)有色民族独立の基礎工事成る
(8)日本は何故敗戦して後退したか
(9)キーナン検事の天皇観
(10)天皇は身を捨てて国民を救われた


第8章 天皇・日本の使命と終戦の真相

(1)マッカーサー元帥が語る天皇の犠牲精神

   「古事記」に、「故各(かれおのもおのも)依(よ)さし賜(たま)える
   命(みこと)の隨(まにまに)、知(しろ)し看(め)す中に、速須佐之男命
   (はやすさのおのみこと)、命(よ)さしたまえる国を知(しら)さずて、
   八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。

   其の泣きたまう状(さま)は、青山(あおやま)を枯山如(からやまな)す
   泣き枯らし、海(うみかわ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。是(ここ)
   を以(も)て悪神(あらぶるかみ)の音(おとない)、狭蠅如(さばえな)す
   皆涌(みなわ)き、萬物(よろずのもの)の妖悉(わざわいことごと)に
   発(おこ)りき」と、

   住吉大神の御出現後、宇宙浄化の自壊作用(じかいさよう)として終戦前後の
   暗澹(あんたん)たる状態が描写されています。


   マッカーサー元帥が最初に天皇陛下の御訪問を受けたとき、
   天皇がどのように仰せられたかということは、秘密にされていたので、
   今まで傳(つた)えられていたことは、
   側近の人の憶測か、あの時の通訳だった人から不用意に漏らされたことを、
   つなぎ合わせて想像上に再生されたものであったのですが、

   衆議院で西武鉄道会長であった故堤康次郎氏が(同席者堤夫人、
   ホイットニ少将)アメリカを訪問した際、マッカーサー元帥と会談する機会
   を得ましたが、そのときマ元帥は次のように、
   天皇との会見の模様を堤氏に語られたというのであります。

   それによると元帥はこう言っています。──

   「天皇は侍従をつれていなかった。私も副官をつれていなかった。
   天皇と私が他人を交えないで、ただ通訳一人をはさんで会見した内容は、
   これまで互いに秘密にして、どこにも公表しなかったが…

   天皇は私に会うと『今回の戦争は誠に申し訳ないことした。しかしながら、
   これは私一身の責任であるから、国民が個々に戦犯として罰せられたり、
   国家が賠償の責任を負うたりするということは、私には忍びないことで
   あるからどうか私一身を処刑してお許し願いたい』と語った。

   …この時、
   私は、日本の天皇は国民に対する愛情と責任感をもった立派な人だと思った。」


   このように述懐して、またマ元帥は、

   「ソ連はまっ先に天皇を戦犯にすべし、と主張したあとがその後に、
   不思議なことにイギリスも賛成した。又、豪州も賛成した。
   しかも、ソ連は、北海道に駐兵させろということまで、執拗に要求した。

   しかし、アメリカはこれに強く反対した。
   もし、あの時、ソ連の駐兵を認めていたら、日本は今頃ドイツのように
   なっていたかも知れない」と言ったというのであります。


   堤康次郎氏は、
   「私はこれらの話を元帥からきいて、人間一人の責任感が、国家に対する
   アメリカの信用となり、現在の日本の繁栄を招いたのだと思って、
   まったく感激した」
   と言っていられる。


   このマッカーサー元帥の談話によって、
   今まで憶測されていた天皇陛下は開戦には責任がないに拘(かかわ)らず、

   陛下が「この戦争には自分は重大な責任を感じている。
   随って絞首刑も覚悟している。国民に罪はないのである。
   自分に全責任があるのだから私一身を處刑して国民を救けて貰いたい」

   という意味のことを言われて一身を犠牲にして国民を救おうとせられた
   ということが本当だったと判明したのであります。


   ソ連等の要求に応じないで天皇制が護持され、北海道へのソ連の進駐も
   なかったのも、マッカーサーが天皇に面謁(めんえつ)して
   その人格に打たれて日本に好意をもってくれた結果だとわかるのであります。


   天皇陛下は大東亜戦争には責任がないと言いましたが、
   陛下がどんなに戦争に対して反対であったかと言いますと、
   時の外務次官(後、内閣情報局総裁、欧亜協会会長)だった
   天羽英二氏が次のように語っています。


(2)天皇 杉山大將を叱咤し給う

   ”九月五日――天皇は永野と杉山陸軍参謀總長とを呼んで、
   「一に戰爭、二に外交という様子だが、日米が開戰したら、
   どのくらいで片づくか?」
   と、杉山にたずねた。

   杉山が、「南洋方面だけで、3か月ぐらいです」と答えると、

   天皇は、「お前は支那事変勃發のときの陸相で、
   そのときも1か月ぐらいで片づくといった。
   が、4か月たっても片づかないでは な い か」と詰問。

   恐れいった杉山が、「何分、支那は奥地が廣いので」と釈明明すると、
   天皇は、「大平洋はなお廣いではないか」と、杉山を叱った――

   というようなことがあったにもかかわらず、
   東條たちは開戰論をとって譲らなかった。

   ……十月十二日近衛首相の私邸――荻外荘に、
   東條、及川、豊田、鈴木氏が集まった。
   東條は「支那からの撤兵は譲れない、陸軍の生命だ」という意見だった。

   及川海相は、陸軍と正面衝突を避けるために、
   「總理一任」といって、反對といわなかった。

   豊田外相は「交渉が決裂しても武力行動は不可」と考えていた。

   この會議のあとで、豊田氏は「東條によく話してこい」というので、
   たしか十四日の夜だったと思うが、折からの仲秋の名月、夜おそく、
   私は東條をたずねた。

   「撤兵したっていいじゃないか」というと、東條は、「支那駐兵は
   一番大事なものだ。男子のキンタマ」と言って譲らなかった……こうして、
   ついに十月十四日の閣議で、豊田外相と東條陸相とが衝突し、
   収拾がつかなくて近衛は内閣を投げ出してしまった。

   そして十月十八日東條内閣が誕生した。”


   それは天羽英二氏の回顧談でありますが、
   恰度、この直前のことだったのだろう。

   近衛公の内命を受けて、民間外交の平和工作を行なうために
   紫雲荘の橋本徹馬氏と久保久治氏とがアメリカに旅立って
   アメリカの有力者と話し合って、

   相互に平和を維持するために、
   これ以上、アメリカが日本を刺戟しないように
   愼重に行動して貰うように懇談して廻ったのであった。

   そして日本へ帰って來ると、東條内閣の憲兵隊につかまって
   橋本氏は監禁され、当時、平和運動工作者は國策に反くものとして、
   厳重に拘束されたのであります。

   毎日毎日橋本氏は憲兵から拷問同様にして色々と苦痛を與えられ
   訊問をつづけられたのであります。


   橋本徹馬さんは、生長の家の誌友でありましたから、
   憲兵隊にいじめられている時に
   「汝ら天地一切のものと和解せよ」の神示を想い出されて、
   その趣旨によって神想観をして憲兵隊長と心の中で和解をせられた
   のであります。

   そして、憲兵隊長と自分とが、
   互いに一体であって仲が好い有様を心に描いて、
   その調和した姿を念じられたのであります。

   普通、相手と和解するときに念ずる言葉は
   『私はこうして祈る』の本に書いておきましたが、
   次の通りであります。


   「私は貴方を許しました。貴方も私を許しました。
   私と貴方とは、神において一体でございます。

   私は貴方を愛しております。貴方も私を愛しております。
   私と貴方とは、神において一体でございます。

   私は貴方に感謝しております。ありがとうございます。ありがとうございます。
   私と貴方との間には、今何らの心の蟠(わだかま)りもございません。

   私は心からあなたの幸福であることを信じ祈ります。
   あなたがますます幸福でありますように。」


   この様に相手の顔を眼の裡に思い浮かべて、そしてその名前をとなえて
   呼び出す意(つも)りになり、念ずるのであります。

   此の本にはいろいろの祈り方が書いてありますが、
   橋本徹馬さんはこの通りの言葉を念じられたかどうかは知りませんが、
   兎も角、神想観をして憲兵隊長と心の中で和解をせられたのであります。


   そしたらその翌日から憲兵隊長が出てきて訊問する時に、
   尋問の態度がクラリと変わってしまったのであります。

   今までは、なるべく有罪になるように誘導尋問をするような調子であった
   のが、全然、逆に変わって無罪になるように、無罪になるように誘導尋問
   してくれまして、ともかく戦争中は紫雲莊を解散するという條件だけで、
   無事に釈放されたのでした。

   橋本徹馬さんは憲兵隊から釈放されて帰って来られた時に、
   久保久治さんと一緒に私に宅にやって来られて、
   その時の事情を報告して御礼をいわれたのであります。
   以上の話はその時の私の記憶によるものであります。

   ともかく、そういう状態で、東條内閣の出現と共に、急角度で、
   戰爭せねばならぬように情勢が展開して往ったのであります。だから、

   天皇陛下だけが、

     よもの海みなはらからと思ふ世に
           など波風のたちさわぐらむ


   と、明治天皇の御歌を朗詠なさって戰爭は嫌いだと言われても、アメリカから
   「日本軍は支那全土から撤兵すべし。満州からも軍隊と警察をひけ」という
   ハル・ノートが來るに及んで、

   満州國をやめて後退することのできない日本は、アメリカをたたくより他に、
   日本を救う血路はないのだと結論するより仕方のないような、もうギリギリの
   線に來てしまったのであります。

   併し、今から考えて見ると、それはアメリカが悪いのでも、日本の軍閥が悪い
   という訳にもゆかんのであります。


(3)既に預言されたる大東亜戦争

   このようにしてはじまった大東亜戦争には、
   天皇陛下は責任がないことは明らかなのであります。

   また当時の国際情勢と、日露戦争に於ける我々の明治時代の祖先の努力を基礎に
   して築き上げた日本民族子孫の生命を護持するための、最後の線、である満州国、
   をも解散して、日本は小さい島だけに還ってしまえというアメリカの要求に
   対しては

   随(したが)うことができないというので、ついにアメリカを叩いて、
   蒋介石政府への武器の補給路を絶つよりほかに道ははない、
   と衆議が一決したのも亦、無理がない。

   そして衆議が一決したものに対しては専制君主でないところの
   天皇は私意をさしはさまず、衆議の一決したものには御璽(ぎょじ)を捺す
   制度に従われましたことも無理はない譯(わけ)であります。

   こうして天皇の御心に反する戦争に、
   天皇の名に於いて英米に対する宣戦布告の詔勅がが出るに至ったのであります。


   それではこの大東亜戦争は誰の責任であるかと言いますと、
   それは天皇の責任でも軍閥(ぐんばつ)の責任でもない。

   あるべきものが人類進化の過程として、
   あるべきようにあらわれて来たというほかはなかったのであります。

   第一次世界戦争の預言からズーッと続いて、アジアの民族が独立して続いて
   其の独立の精神がアフリカに及ぶという預言がチャンと書かれてあります。

   このアジア及びアフリカの民族が独立するためには、何らかの契機(けいき)を
   興(あた)える出来事が起こらなければならないのであります。

   このように、預言された事実というものが、どうしてその通り起こってくるので
   あるかという事を考えてみますと、現象界の事件というものは、現実に起こる
   までに、念の世界、にチャンとそういう事件のフィルムというものができておって、
   それが現実世界に、映画のスクリーンみたいに映ってくるものだからであります。


(4)日本民族の歴史的使命

   ところで、そういうふうに、アジアの民族が独立し、アフリカの民族が独立する、
   その預言が実現するためには、その独立精神に火をつける役目をする者が
   なければならない。

   その使命を承ったのは誰であるかというと、
   それは日本民族であるのであります。

   今まで、有色民族は、白色人種にはかなわないのであると、
   大体信じられておったのであります。

   西暦1497年バスコ・ダ・ガマという人が喜望峰を回航してインドの方に
   視察にやって来て、アジアには無限の資源がある、そして其処にいるところの
   人間は科学精神がなくて、醇朴(じゅんぼく)である。

   彼らを科学的武器で嚇して、領土を植民地としたら、
   白色人種がいくらでも儲けることができるのであるということを
   視察して帰り、その事を報告した。

   その後、白色人種が次から次へと、侵略しにやってきて、
   アジアの諸国を植民地や属国にしてしまった譯であります。


(5)白色人種のアジア侵略

   このようにしてインド、ビルマ、マレー等はイギリスの勢力圏に入り、
   インドのちょっと東の方にあたるインドシナはフランスの領土になってしまい、
   インドネシアはオランダが侵略して、オランダの領土になってしまい、
   フィリピンはアメリカの領土になるという具合に、

   有色人種である原住民は科学が発達せず、
   どうせ何も抵抗する力はないのであるというので、
   白色人種は、有色人種を科学兵器をもって脅かして侵略したわけであります。

   シナ(当時は清国)は割合に文化が発達していたけれども、
   それも侵略せねばならぬという譯で、

   イギリスはシナに阿片(あへん)を大量に売り込んで、大儲けをすると同時に
   シナの国民を阿片に酔わしてふらふらにし、阿片の中毒患者にし夢遊病者の
   ような無能力者しなければならないというので、広東(かんとん)を
   拠点として阿片を沢山密輸入したのであります。

   そしたら、清国政府が怒って、林則徐(りんそくじょ)を遣わして
   阿片の密輸入の拠点を押さえて、イギリス商人のもっていた阿片を
   全部押収してしまったのです。
   こうして所謂、阿片戦争、というのが起こることになったのです。

   すなわちイギリスの財産権を清国が侵したというので、
   1840年6月イギリスの遠征軍は広東湾に侵入して攻撃を開始した。

   イギリスの兵力は軍艦25隻、武装汽船14隻、陸兵1万余でしたが、
   清国よりもすぐれた科学兵器を沢山もってやって来たので、

   清国は敵することができず、イギリス兵は揚子江をやくして
   南北の交通路を遮断してシナの経済生活に大打撃を与えたので、

   交戦3年、ついに清国は屈服して、
   1842年8月、南京で講和条約が結ばれ、香港島のイギリスへ割譲、
   広東、上海等の5港の開港、治外法権、関税協定などで、

   事実上、シナ大陸の有力な拠点をイギリスに押さえられるような事となり、
   結局、シナ大陸も白色人種に分割支配され続々と植民地となり、
   属国になる形勢が顕著になってきたのです。

   1856年にはイギリスの船アロー号が、広東で清国の官憲に突如臨検されて
   イギリスの国旗が侮辱されたというのを口実に、イギリス、アメリカ、
   フランス、ロシアの4国連合で圧迫が加えられ、天津条約が結ばれた。

   その頃(1856年5月)ロシアは清国と愛軍条約(あいぐん)を結んで
   黒龍江以北の土地をロシア領に編入したが、時あたかも、天津条約の
   批准書交換のために英仏の使節が艦隊に護られて白河(はっこう)に
   入ろうとした時ターク砲台が過ってそれを砲撃したのを口実に
   英仏連合軍がターク砲台を占領し、北京に殺到した。

   その時ロシアは英仏両国への斡旋をしてやるというのを口実に、
   露清条約を結んで、ウスリー江以東の沿海州を自国の領土とし、
   そこにウラジオストックの軍港をつくった。

   このようにしてアジア大陸は分割されつつあったにも関わらず、
   こんな島国の日本だけが、何処の国にも取られないで、そしてさらに
   白色人種を撃破して、そして有色民族の気を吐いたということは、
   これはまた素晴らしいことであるあると考えられるわけで、

   それは日本民族の優秀性にもよるけれども、時の日本の科学の発達の程度や、
   物量の比較から考えると、この日本の国が何処の国の侵略をも受けなかった
   のは単に人間だけの力によるとは考えられない、

   特に日本の国を、その将来の使命を思って守っておられるところの
   神さまの御心によるものと考えるより仕方がないのであります。


(6)有色民族独立の基礎工事なる

   まことにこんな小さな国でありながら、
   アジアの諸民族の中で侵略を受けなかった民族は、
   日本しかないのであります。

   それが、アメリカを叩くより仕方がない国際情勢立ち到って、
   いよいよ大東亜戦争がはじまったのであります。

   そして日本軍は南方にむかって一年間は連戦連勝で殺到して行ったのでした。

   そして今までアジアの南方諸国を侵略し、其処を植民地とし、
   属国としていた白色人種の軍隊を駆逐したのであります。

   それでアジアの南方における有色民族は、今までは有色民族は
   白色民族に絶対にかなわんと思っていたのであるけれども、
   「日本は有色民族でもやりよるぞ」と思ったのであります。

   そして「われわれ有色民族も白色民族よりも下等につくられているのでは
   ないのだ。
   みんな人類は平等だから白色人種に屈服している必要はない。

   我々有色民族も起ち上がろう」という民族精神が、
   それによって喚起されることになったのであります。

   それですから、大東亜戦争の目的というものが、

   「大東亜民族の解放戦である」

   という旗印が戦争中にかかげられることになったのも、
   「天に口なし人をして言わしむ」
   であったのであります。

   実際第二次世界大戦に日本が参戦して大東亜戦争を分担したことは、
   実際にそれによって、大東亜の民族の解放という役目を果たした
   わけであります。


   霊界の本に、ヴェッテリニという高級霊がレイヌという霊媒を通して
   霊視せしめているところの預言「アジア民族及びアフリカ民族が独立する」
   ということが現象界に起こってくるためには、

   どうしても何処かの有色民族が白色民族を一度たたきつけて、
   有色民族の奮起する精神を喚起する契機をつくらなければならない。

   つまり有色民族の劣等感を取り除いて民族独立の精神を培養しなければ、
   アジア民族の独立、アフリカ民族の独立というものは起こるはずがない。

   だから「有色民族も同じく、人間、であっていつまでも白色人種には
   負けてはおらんぞ」という自主独立の精神を有色民族が得るために
   有色民族はどうしても一度はアジアの南方に殺到して白色民族を駆逐する
   必要があり、

   日本民族はあの際そういう役割を使命づけられておったのであります。


(7)日本は何故敗戦して後退したか

   だけども、あの大東亜戦争に於いて、緒戦と同様その後もあの儘(まま)、
   勝って勝って勝ち通しておったらどうなるかといいますと、

   インドからイギリスを追い出し、インドシナからフランスを追い出し、
   フィリピンからアメリカを追い出しインドネシアからオランダを追い出して
   そのまま勝ち通しておったら勝った軍隊が引き返して来る譯にも行かない。

   勝ち通していたら、やっぱり傲りたかふった気持ちになり、其処に総督なり、
   日本の司政官をおいて永久支配したくなる。

   勝っているのに、負けたかの如くに本国に帰還して南方の土着の民族に
   「お前たち勝手に自治せよ」という譯にもゆかないのであります。


   そしたら今までアジアを侵略していた
   白色人種の侵略者の後継者になってしまいます。
   ところが日本民族はそのような侵略者の後継者になるような民族ではない。

   本来侵略民族ではなく、救世主的使命をもつ民族だから、
   ともかく、一辺、白色人種を追い出して
   南方民族に民族精神勃興の種子を播いてしまたっら、

   あとは、もう既に日本民族の役目終われりという譯で
   「敗戦」という形をとって還ってくるということになったのであります。

   そして日本民族はアジア、アフリカの民族独立のために、
   十字架を背負ってキリストのように、
   他の民族を救って自分が敗戦したのであります。


   キリストが磔刑(はりつけ)になった時にユダヤ人の誰彼が、
   十字架上のキリストを指さして
   「あれを見よ、あれを見よ。人を救い得て己を救い得ざるものよ」と言った。

   キリストはいろいろと奇跡を現して、人の病気を治したりしたのに、
   自分自身は救われないで磔刑になったではないかと嘲笑ったのでありますが、

   それと同じように、日本民族は他の民族に独立の機縁を与えながら、
   自分は敗戦という惨めなる状態において、

   暫くキリストのように磔刑にかかておったのであるけれども、
   キリストが3日後に復活して天に昇って
   「神の右に座した」と傳(つた)えられているように、

   日本も今や復活して、アジアの盟主となり、やがては
   全世界の平和の指導者になるという時期が近づきつつあるのであります。


(8)キーナン検事の天皇観

   ところで話をもどして、

   天皇陛下が、戦争に対して、どういう考えを持っておられたか
   ということに還りますが、
   「文藝春秋」の昭和34年10月号に、
   当時キーナン検事の秘書兼通訳をしておられた山崎晴一氏が、

   キーナン検事から、生きている間は発表してくれるなと頼まれた

   キーナン自署の手紙の内容その他を発表して、題して、
   「鬼検事キーナン行状記」という記事を載せているのでありますが、

   その記事の中で、私の注目をひいたのはキーナン検事が裁判終了後、
   天皇と会見したときの述懐を次の様にしていることであります。

   即ちキーナン検事は、「天皇はまったくウソのない正直なお方だと思った。
   日本人は天皇を紳士であり学者であるとだけ思っているが、
   私はよく知っている、天皇は非常に強い性格の持主だ。

   こういう天皇をあの裁判の最中に法廷に引き出したら、
   陛下は必ず被告席を指して、
   ここにいる者たちは全部自分の命令によって戦争を遂行したのである。

   責任は全部自分にあるのだから、
   直ちに全員を釈放して、自分を処刑してくれと言ったに違いない。

   こんな立派なことを言われたら。
   俺としても、まったく打つ手がなくなってしまい、
   わがアメリカの円満なる占領政策などどこかに吹っとんでしまっただろう。
   俺は天皇に直接会って、あのとき陛下を証人台に立たせなくてよかった、
   とつくづく思ったよ」


   このキーナンの言葉によって、かって某週刊誌に、
   「天皇を極東裁判に起訴したら、みんな朕の責任であると
   天皇だけが責任をかぶって、
   ほかの戦犯を裁判くことができなくなるから天皇を起訴しなかった」

   という内情が報ぜられていたが、この内情が、「文藝春秋」誌のこの
   山崎教授の記事によって側面から証明されたことになっているのであります。


(9)天皇は身を捨てて國民を救われた

   天皇がどんなに、一身を犠牲にしてでも、日本國民をたすけたいと
   思われたかということについて、
   以前鈴木終戰内閣の書記官長だった迫水久常(さこみずひさつね)氏が、
   『終戰の眞相』と題する冊子をものして送って來られましたが、

   その中に、その席に参列した内閣書記官長の記録として、
   終戰直前の御前會議の模様が詳しく語られていますので、
   從來の第三者の復聴(またぎ)きの断片的な記録を
   もととして天皇の御徳につき話したこともありますので、

   その多少の誤聞を訂正する意味もあって、最も信憑し得るものとして
   次にそれを引用させて頂きます。

   この記録は、長崎に2發目の原子爆彈が投下され、
   原子研究の権威・仁科博士が廣島の原爆の現地視察の後、
   「残念ながら原子爆彈に間違いありません」と答申して、
   「原爆所有國に對してはとても抗戰できない」と
   驚天動地の脅威を専門家が感じていた直後の御前會議の記録であります。


   迫水氏はこう語っています。
   ――「御前會議は8月9日夜11時から開かれました。
   列席者は、總理、外務、陸軍、海軍の四大臣、陸軍参謀總長、
   海軍軍令部總長、平沼枢密院議長の7名が正規の構成員でありまして、
   陪席員は、私、陸海軍の軍務局長、内閣綜合計各局長の4名、
   合計11名であります。

   正規構成員7名の中(うち)、現存者は豊田軍令部總長だけであります。
   會議場は宮中防空壕内の一室で約15坪程のお室でありました。
   地下10米(メートル)であります。一同席について陛下をお待ちしました。


   陛下は足取りも重く、お顔は上氣したるが如くにて入って來られました。
   今も深く印象に残っておりますのは髪の毛が数本額に垂れておられた事です。

   會議は總理が司會致しまして、先ず私がポツダム宣言を讀みました。
   日本に耐えがたい條件を讀むのでありますから全く堪まらないことでした。


   次に外相が指名されて發言しました。
   その論旨はこの際ポツダム宣言を受諾して戰爭を終わるべきである
   ということを言葉は静か乍ら断乎申されました。


   次に阿南陸軍大臣は、外相の意見には反對でありますと前提して、
   莊重に涙と共に今日までの軍の敗退をお詫びし、併し今日と雖(いえど)も、
   必勝は期し難しとするも必敗ときまってはいない。

   本土を最後の決戰場として戰うに於いては、
   地の利あり人の和あり死中に活を求め得べく、
   若し事志と違うときは日本民族は一億玉碎し、その民族の名を青史に
   止むることこそ本懐であると存じます、と言われました。


   次の米内(よない)海軍大臣はたった一言、
   外務大臣の意見に全面的に同意でありますと言われました。


   平沼枢密院議長は列席の大臣、總長にいろいろ質問されたのち、
   外相の意見に同意であると言われました。


   参謀總長・軍令部總長はほぼ陸軍大臣と同様の意見であります。

   この間約2時間半。


   陛下は終始熱心に聞いて居られましたが、私はほんとうに至近の距離で
   陛下の御心配氣なお顔を拜して涙のにじみ出るのを禁じ得ませんでした。


   一同の發言の終わったとき、
   私はかねての打合せに從って總理に合図致しました。
   總理が立ちまして徐(おもむろ)に

   『本日は列席者一同熱心に意見を開陳(かいちん)致しましたが、
   只今まで意見はまとまりません。しかし事態は緊迫して居りまして
   全く遷延(せんえん)を許しません。
   誠に懼れ多いことでは御座いますが、ここに天皇陛下の思召しをお伺いして、
   それによって私共の意見をまとめたいと思います』

   と述べられ静かに歩を移して陛下の御前(ごぜん)に進まれました。
 

   その時、阿南さんはたしかに『總理』と声をかけられたと思います。
   併し總理はおきこえになったのか、おきこえにならなかったのか、
   そのまま御前に進まれまして丁寧に御禮(ぎょれい)をされまして

   『只今お聞きの通りで御座います。何卒思召しをお聞かせ下さいませ』
   と申し上げました。
 

   陛下は總理に對し席に帰って居るようにと仰せられましたが、總理は元來
   耳が遠いためによく聞き取れなかったらしく、
   手を耳にあてて『ハイ』というふうにして聞きなおしました。

   この間の図は聖天子の前に八十の老宰相、君臣一如と申しますか
   何とも言えない美しい情景でありました。總理は席へ帰りました。

   天皇陛下は少し體を前にお乗り出しになるような形でお言葉が御座いました。
   緊張と申してこれ以上の緊張は御座いません。


   陛下は先ず『それならば自分の意見を言おう』と仰せられて
   『自分の意見は外務大臣の意見に同意である』と仰せられました。


   その一瞬を皆様、御想像下さいませ。
   場所は地下10米の地下室、しかも陛下の御前。
   静寂と申してこれ以上の静寂な所はございません。

   陛下のお言葉の終わった瞬間、私は胸がつまって涙がはらはらと前に置いて
   あった書類にしたたり落ちました。

   私の隣は梅津大將でありましたが、これまた書類の上に涙がにじみました。
   私は、一瞬、各人の涙が書類の上に落ちる音が聞こえたような氣がしました。
   次の瞬間は號泣であります。

   涙の中に陛下を拜しますと、始めは白い手袋をはめられたまま親指を以て
   しきりに眼鏡をぬぐって居られましたが、ついに両方の頬をしきりに
   お手を以てお拭いになりました。陛下もお泣きになったのであります。
 

   建國二千六百餘年、日本の初めて敗れた日であります。
   日本の天皇陛下が初めてお泣きになった日であります。

   ああ何とも申す言葉がございません。

(聖断の理由)

   お言葉はそれで終わりかと存じました。
   然るに陛下はしぼり出すようなお声をもって
   『念のために理由を言って置く』と仰せられました。

   このことは私、今日まで公開の席で申し上げたことはございませんが
   今日は申し上げます。(註・これは道徳科學研究所での講演であります)

   陛下の次に仰せられましたことの要領は次の通りであります。


   『大東亞戰爭が初まってから陸海軍のして來たことを見ると、
   どうも豫定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も
   大臣、總長が申したように本土決戰の準備をして居り、勝つ自信がある
   と申して居るが、自分はその貼について心配している。

   先日参謀總長から九十九里濱の防備について話を聞いたが、
   實はその後侍從武官が實地に見て來ての話では、總長の話とは
   非常に違っていて、防備は殆ど出来ていないようである。

   又先日編制を終わった或る師團の装備については、
   参謀總長から完了の旨の話を聞いたが、
   實は兵士に銃劍さえ行き渡って居らない有様である事が判った。


   このような状態で本土決戰に突入したらどうなるか、
   自分は非常に心配である。

   或いは日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのでは
   なかろうかと思う。

   そうなったらどうしてこの日本という國を子孫に傳えることができるか。
   自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。

   今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、
   その人達が將來再び起ち上がって貰う外に、
   この日本を子孫に傳える方法はないと思う。

   それにこのまま戰いを続けることは世界人類にとっても不幸なことである。
   
   自分は明治天皇の三國干渉の時のお心持も考え、
   自分のことはどうなっても構わない。
   堪えがたきこと忍び難きことであるが、
   この戰爭をやめる決心をした次第である。』


   陛下のお言葉は人々の號泣の中にとぎれとぎれに伺いました。
   日本國民と更に世界全人類の為に自分のことはどうなっても構わないという
   陛下の宏大無邊なる御仁慈に對し、唯ひれ伏すのみでありました。


   ……陛下が日本人のみならず、世界人類の平和と幸福のために、
   自分のことはどうなってもよいというお考えで、この聖断を賜りました
   ことは何とも有難いことであります。

   ……私は親鸞の教えのことはよく存じませんでしたが、
   唯常識として阿彌陀様は
   『衆生を済度することが出來なければ佛にはならぬ』という誓願を立てられて、
   ただひたすらに、衆生済度の本願に生きて居られるのだということを
   聞いて居りました。

   阿彌陀様にこの本願であるが故にこれを信ずることによって、
   衆生はその他力によって済度されるのだというのであります。


   私は陛下のお姿を拜しお言葉を伺っている中に、
   陛下が御自分のことはどうなっても構わない、
   日本人が一人でも多く生き残って、否、世界全人類が幸福になるように
   というお心持を拜しましたときに

   彌陀の本願というものはこういうものではなかろうかと考えました。

   陛下のお姿には後光がさしていたと申す外はありません。
   もし繪に寫すのならその尊い有難いお姿は後光を書きそえて
   表わす外はないでありましょう。

   私は陛下におすがりすることによって、
   そのお力によって救われると思いました。」

   迫水久常氏は当時の感想をこのように書いているのであります。


(第二回目の聖断)

   その後、ポツダム宣言を受諾した場合の日本の「國體の護持」について
   疑問があり、そのために連合国に対しての回答が遅れていたのでありますが、
   米國側からは日本の回答を迫ってまいります。

   それで迫水氏は鈴木總理を促して陛下より最終段階の御前會議を
   召集して頂くことにしたのでした。
   迫水久常氏は、終戰直前の御前會議の模様を次の如く語っていられます。


   「總理は14日早朝参内して拜謁して陛下の方から16人の大臣全部、
   枢密院議長、海軍の總長のお召しを願って、おさとしを頂くことに
   お願い申し上げお許しを受けました。

   14日午前10時一同はお召しによって参内、先般の御前會議の室に
   集まって陛下の御出席をお待ちしました。私も出席致しました。
   今度は全部で13人であります。

   總理より経過の概要を説明したあと、陸軍大臣、参謀總長、軍令部總長
   からそれぞれ先方の回答では國體護持について心配である。

   しかし先方にもう一度たしかめても満足な回答は得られないであろうから
   このまま戰爭を継続すべきであるという意見を聲涙共(せいるいとも)に
   下って申し上げました。

   陛下は總理の方に向かって、外に發言するものはないかという意味の
   御合図があって後、『皆のものに意見がなければ自分が意見をいおう』
   と前提せられてお言葉がありました。


   『自分の意見は先日申したのと変りはない、
   先方の回答もあれで満足してよいと思う』と仰せられました。


   號泣の聲が起こりました。
   そして陛下は玉碎をもって君國に殉ぜんとする國民の心持ちはよく判るが、
   ここで戰爭をやめるほか日本を維持するの道はないということを、

   先日の御前會議と同じように懇々とおさとしになり、
   更に又皇軍將兵戰死者、戰傷者、遺族更に國民全般に御仁愛のお言葉があり、
   しばしば御頬を純白の手袋をはめたお手にて拭われました。

   一同の感激はその極であります。
   椅子に腰かけているのに堪えず、床にひざまずいて泣いている人もありました。


   しかし私共を現實の敗戰の悲しみを超えて、寧ろ歓喜にひたらせたものは、
   この次に仰せられた陛下のお言葉で御座います。

   陛下は『こうして戰爭をやめるのであるが、
   これから日本を再建しなければならない。
   それはむずかしいことであり、時間も長くかかることであろうが、
   それには國民が皆一つの家の者の心持ちになって努力すれば
   必ずできるであろう。自分も國民と共に努力する』と仰せられました。


   ……陛下のお言葉の中には全く他日の復讐を期するという
   お心持はないのであります。
   宏大無邊な御仁慈は國民のみならず、廣く、人類の安心平和幸福を
   希(こいねが)い給い、又將來日本が國際社會の一員として世界平和の
   確立に大いに寄與するため、新しき日本が新しき民主主義の基礎の上に、
   道義の香り高き文化國家を再建することを希い給うたのであります。」
 

   こうして陛下は一般國民に對しては納得の行くように、
   みずからマイクを通じて
   話しかけてもよいと仰せられ、昭和20年8月14日午後11時、
   米國にポツダム宣言を受諾する旨の電報が發せられたのであった。

・・・


第9章は、以下の構成となっております。

(1)三貴神の御誕生
(2)鹽乾珠、鹽盈珠とは何か
(3)”霊主物従”の宇宙の法則
(4)天徳より切り離されて地徳のみでは治まらぬ地球







・・・

第9章「”霊主物従”の宇宙の法則」

(1)三貴神の御誕生

   住吉大神(すみよしのおおかみ)が出現せられ宇宙の浄化をなさいました其の直後に、
   『古事記』には次のように書かれているのであります。

   (註・イザナギの大神の御禊祓い、住吉大神出現までの『古事記』の解釈は
    『限りなく日本を愛す』の252頁から269頁までに詳解してありますから
    ここには略します)

     ”是(ここ)に左の御目(みめ)を洗いたまいし時に、
     成りませる神の名(みな)は、天照大御神、
     次に右の御目を洗いたまいし時に、成りませる神の名は、月讀命。
     次に御鼻を洗いたまいし時に、成りませる神の名は、建速須佐之男命。”
                           (『御身滌の段』)

   すなわち天照大御神の御誕生は、
   住吉大神(『古事記』では”墨江大神<すみのえのおおかみ>”とある)が
   出現せられて宇宙の御禊すなわち大浄化を行なわれた直後に誕生せられている
   のであります。

   謂わば、住吉大神は、天照大御神の産婆役をせられた神であらせられることに
   注目して頂きたいのであります。

   住吉大神は、常に日本が危機に直面している時にあらわれて、日本国の新生に貢献
   せられる神様であって、三韓征伐のときには、神功皇后が新羅(しらぎ)の海軍を
   迎え撃つために船出をして瀬戸内海を御通過あそばされたときに、

   現在、住吉と称せられている地点に上陸せられて、住吉大神をお祀りになり、
   戦勝の祈願をなさったのであります。

   そこで住吉大神はは神功皇后さまを御守護申し上げて、如意宝珠を授けられ、
   その如意宝珠の力によって神功皇后さまは、新羅の侵略軍を全滅せられたので
   あります。

   まさしくあの時は日本一の大危機に直面していたのであります。
   それを守護して日本を安泰ならしめたのが、住吉大神であり、そこから新しき日本の
   誕生または復活が行なわれたのであります。

   その住吉の地に私が住んでおりました時に、毎朝私は”勇湯”という銭湯へ朝風呂に
   出かけることになっておりましたので、朝湯で浄(きよ)めた直後住吉神社に
   毎朝参拝することに致しておりましたら、

   其の際、霊感を頂いて出発したのが”生長の家”であり、”生長の家”とは全く
   住吉大神の宇宙浄化運動(換言すれば人類光明化運動)なのであります。

   新羅の海軍を、あの際住吉大神が全滅せられたと申しましても、それは、決して
   殺人的武器をもって全滅せられたのではないのであります。

   住吉大神の神示には、

   「日本の国民よ、嘆くな。
   迷いの自壊の後には必ず”住みよし”の世界が来るのである。
   われを戦いの神と思うな。われは平和進駐の神である。住吉とは平和の理想郷という
   ことである。わが行くところに平和は来り、わが行くところに龍宮無限の供給は来る
   のである。」(『秘められたる神示』4頁参照)

   と示されているのであります。
   住吉大神のお使いになるところの武器は刹人的武器ではなく、
   言霊の武器であり、想念の武器であります。
   

(2)鹽乾珠、鹽盈珠とは何か

   即ち”如意宝珠”なのでありまして、”如意宝珠”とは”鹽乾珠”と”鹽盈珠”との
   二つであります。

   ”珠”というのは”言霊”又は”魂”の象徴でありまして、”鹽乾珠”は、
   「悪しき現象はアルが如く現れて見えていても本来存在しないのである」と念じて、
   それを否定する言霊又は想念であります。

   病気の場合などには、「病気はアルが如く見えていても、それは神が造らないもので
   あるから本来存在しないのである、既に消えたのである!!」というように心の中で
   言葉で唱えて、その存在を、心の世界で否定してしまうことなのであります。

   新羅が敵としてあらわれている場合には、「新羅が日本へ敵としてあらわれている
   けれども、敵は本来無いのである。無いものは消えるより仕方がないのである。
   既に消えつつあるのである」というふうに念じて”心の世界”でその存在を否定して
   しまうのが鹽乾珠のハタラキである。

   一切の事物は唯心所現のものであり、心によって支えられて存在しているのであります
   から、このようにして”心の世界”でその存在を否定されてしまうと”心の支柱”が
   なくなって、それは存在し得なくなるのであります。

   次に鹽盈珠というのは、心で否定してそこが空っぽになったあとへ、”実相”(又は
   ”実在”と称す)の完全なる相(すがた)を心の中に言葉をもって念じて、実相の完全
   な相(すがた)を、唯心所現の現象界にもって来て、実現する方法であります。

   三韓征伐のときに住吉大神が新羅の海軍を撃滅するために用いられたこの方法は、
   現在の”生長の家”の人類光明化運動にも引きつづき活用せられているのであります。

   (註:鹽乾珠・鹽盈珠の「鹽」の意味は、神話としての住吉大神は龍宮海の神であり、
    潮の満干(みちひ)を司り給うことの擬(なぞら)えてありますがその密義は
    「鹽」は「水火(シホ)」であり、水(シ)は陰、火は陽であり、陰陽の分化・結合
    によって一切のものを消滅又は実現する意味が、この神話的表象に含まれているので
    あります)



(3)”霊主物従”の宇宙の法則

   さて伊耶那岐大神は”靈”の神として、伊耶那美大神(體の神)と共に宇宙を創造
   せられた神でありますが、この世界は”靈”と”體(たい)”とによって成り立って
   おります。

   しかし、その両者は同一の重さをもって結合してはならないのであって、どうしても
   ”靈”が”體”よりも優位に立たなければならないのであります。

   併し、創造の初期に於いては、「衣食足って礼節を知る」の諺の如く、物質的なものが
   稍々(やや)整うてからでないと霊的な礼儀とか節度とかいうものは守れなくなる訳
   であります。

   だから、一時的便法として、文化の基盤を兎も角も整えるという意味に於いて、
   伊耶那美(物質文化、”體”的分化、肉體分化)が先ず発達することになったので
   あります。

   これは伊耶那岐・伊耶那美両神が天地を創造せられる際に、先ず伊耶那美命(體の神)
   が「あなにやしえおとこ」と声をかけていられるのでも明らかであります。

   しかしそれは一時的便法であって、それをいつまでも続けていると結果は悪いので
   あって、先には水蛭子(ひるこ)や淡嶋(あわしま)という未熟児を生み、

   後には、伊耶那美命の御体(みからだ)に、「うじたかれとろろぎて・・・」
   即ち原爆水爆で死屍累々と横たわって蛆蟲(うじむし)が一ぱいにたかっている惨状を
   呈しているのであります。

   こうして物質文化の先行している世界は惨憺たるまことに浅ましい有様を現出するので
   あります。だから物質偏重の文化から霊主物従又は霊主体従の文化にかわらなければ
   世界の平和は来たらないのであります。

   物質の所有が多いほど、富とか領土というような物的所有が多いほど、人間が幸福に
   なるというような唯物論的世界観から脱却するように人類を導かなければ世界平和は
   来たらないのであります。

   この唯物論的世界観を人類から洗い流す運動が人類光明化運動であり、住吉大神の
   禊祓いなのであります。

   そしてこの禊祓いが完(お)わったときに、天照大御神が伊耶那岐大神の左(光足り
   ―― 光の充満)の御目(みめ)から御誕生になるのであります。
   即ち天照大御神は”霊の神の光の極点”から御誕生になったのであります。



(4)天照大御神御誕生の意義

   天照大御神の御誕生は神話でありますけれども、神話というものは単なるお伽話
   ではなく、”宇宙の真理”を古代人が霊感によって感得し、一種の創作本能によって、
   宇宙の真理を物語化して言い伝えたものであります。

   日本の皇室の祖先を天照大御神であるとすることは次のような意味をもっている
   のであります。

   すなわち日本の皇室は、物欲によって侵略や征服によって王となったのではなく、
   ”霊の光”の輝きの極点(光足<ひたり>の眼)の天降りによっておのずからなる
   徳をそなえて自然”天”成の王であるというので、”天津日嗣”とも申し上げ、
   天皇とも申し上げるのであります。

   さて天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴神をイザナギノ命がお生み遊ばして
   大変およろこびになった事が『古事記』には次の如く書かれています。



(5)天津日嗣の意味するもの

     ”此の時伊邪那伎命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔(の)りたまわく、
     吾は子(みこ)生(う)み生みて、生みの終(はて)に、
     三貴子(みはしらのうずのみこ)得(え)たりとのりたまいて、

     即ち其の御頸珠(みくびたま)の玉緒(たまのお)もゆらに、取りゆらかして、
     天照大御神に賜いて詔りたまわく、汝(な)が命(みこと)は、
     高天原を知らせと、と事依(ことよ)さして賜いき。

     故(かれ)其の御頸珠(みくびたま)の名(な)を、
     御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と謂(もう)す。

   ここに高天原というのは、光明遍照の実相世界のことであります。
   実相世界を支配する正しき霊の人格的表現として天照大御神は誕生しておられる
   のです。

   その天照す正しき霊の伝統を継嗣して、地上に理想世界(天国浄土)を実現する
   使命をもっておられるのが日本天皇であらせられますから、
   ”天津日嗣天皇”と申し上げるのであります。

   御頸珠(みくびたま)というのは御頸(みくび)に懸けていられた
   曲玉(まがたま)を連珠にした頸飾(くびかざ)りでありますが、
   「頸(くび)」というのは頭部を祖先の象徴といたしますと
   「胴体」は「わが身」であり、祖先と「わが身」をつなぐ連綿として
   つながる「珠(たま)」即ち「たましい」であります。

   その皇統連綿とつながる天津日嗣の霊的継承を象徴するものであります。

   イザナギノ大神は宇宙創造の大神であられますから、その大神から
   「天津日嗣の霊的伝承」をつたえられたということは、宇宙創造神の御心を
   つたえられたことでありまして、その天照大御神から瓊々杵尊→神武天皇→歴代の
   日本天皇と連綿として霊統がつたわるということは、

   日本天皇の「国を治め給うあり方」が、宇宙創造神のみこころをそのままに
   伝承して国を治め給うということでありまして、それは神話でありましても、
   古代の日本民族が、日本天皇の”在り方”をそのように霊的直感によって
   感得してそれを物語的に表現したのでありますから、依然として尊いのであります。

   しかし、この段(くだり)では、天照大御神は、高天原即ち実相世界の司配者で
   あらせられるだけであって、地上にその霊嗣(ひつぎ)が降(くだ)っていない
   のであります。

   御倉板挙(みくらたな)とその御頸珠(みくびたま)を称したのは、
   ”御倉(みくら)”は”高御座(たかみくら)”であり、
   ”板挙(たな)”(棚)は”あり場所”であり、
   高御座の在り場を表象するのが、この御頸珠だと謂うのであります。

   天照大御神の神霊が太陽系宇宙を司配せられる時は、
   太陽の霊として万物を生かす力があらわれているので、
   太陽神として吾々は受け取らして頂くのであります。
   (『限りなく日本を愛す』271頁~272頁参照)


     ”次に月読命に詔りたまわく、汝(な)が命(みこと)は、
     夜之食国(よるのおすくに)を知(しら)せと事依(ことよ)さしき。
     次に建速須佐之男命(たけはやすなのおのみこと)に詔(の)りたまわく、
     汝が命は、海原(うなばら)を知らせと事依さしたまいき。”
    (以上、三柱の貴<うず>の御子<みこ>御事<みこと>依<よさし>の
                                段<くだり>)

   月読命の御使命については、月を機関として夜の世界を司配せられる御役目であり、
   地上の潮(しお)の満干(みちひ)や気候の変化等(など)に隠れたる色々の
   御徳を発揮せられるのであります。

   太陽暦が成立しますまでは、月(太陰)を中心とした暦(こよみ)即ち
   「太陰暦」というのを我々日本では用いていたのでありまして、農漁村の
   日常生活には今でも太陰暦の方が実際に当て嵌(はま)るとして珍重されている
   位に、

   月の御ハタラキというものは地球に対して影響を与えていることは明らかなので
   ありますが、この御ハタラキが月を機関としての月読命の御徳のあらわれである
   と考えてよろしいのであります。


   ・・・・・

   天照大御神は絶対無限無量光無碍光

   上記「(5)天津日嗣の意味するもの」において、谷口雅春先生は、

   「天照大御神の神霊が太陽系宇宙を司配せられる時は、
   太陽の霊として万物を生かす力があらわれているので、
   太陽神として吾々は受け取らして頂くのであります。
   (『限りなく日本を愛す』271頁~272頁参照)」と示しております。

   以下に、『限りなく日本を愛す』(271頁~272頁)より、
   天照大御神に関する部分を抜粋し、紹介しておきます。

   ・・・・・

   高天原といふと全大宇宙であります。
   茲(ここ)に全大宇宙の主宰者としての天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
   御職能(ごしょくのう)が確立したのであります。

   同じく宇宙創造の神からお生れになりましても浄化の神(住吉大神)としての
   天分と中心神位(天照大御神)としての天分とは、各々異なることに注意しな
   ければなりません。

   (中略 ~ 月讀命(つくよみのみこと)に関する機能の確立)

   天照大御神は絶対無限無量光無碍光(ぜったいむげんむりょうこうむげこう)の
   働きをなし給うところ三貴神中(きしんちゅう)最も尊貴(そんき)な神様で
   あります。

   無量光無碍光(むりょうこうむげこう)と申し上げましても、
   その「光」と云っても単なる物質的光線ではないのであります。

   それは愛の温かき光と、智慧の一切を知ろしめす光と、生命の一切を生かす
   ところの光と、あらゆる善きものを育て供給し給う光とを兼ねた光でありまして、
   その光で宇宙を照らし給うと申し上げましても、

   単に物質的光線のみで照らし給うのではありませんから、
   夜は天照大御神のお光が照らしてい給うはないと云うような照らし方では
   ないのであります。

   天体的に顕現せられますと、
   太陽神(たいようしん)として吾々は拝し奉るのであります。
   併し、太陽神として拝せられると申し上げましても、
   太陽のほかに天照大御神は在(いま)さないと考えると間違いであります。

   天地万物すべて太陽神の生かす力によって生きているのですから、
   太陽神は天地万物一切所に在(いま)すと考えるのが本当であります。

   これを物質科学では一切の地上のエネルギーは太陽のエネルギーの変化したもの
   であると云っていることに当たるのです。

   併し太陽を単なる物質的な火の塊(かたまり)であると考えると間違いであります。
   物質からは生命は生まれないのでありますから、
   吾々の生きるエネルギーの根源である太陽は単なる物質ではないのであります。

   大体吾々が太陽をマン圓(まる)い火の塊だと見るのは太陽から来る放射の波を、
   五官と云う翻訳機関を通してあゝいう形に翻訳して天空に懸(かか)るが如く
   反映(はんえい)し出して見ているだけであって、
   本当はあんな小さな火の塊ではない。

   日大神(ひのおおかみ)は全宇宙に遍満する智慧と愛と生命と供給と一切を包括する
   無量光無碍光であって何ものもその光を礙(さ)えることは出来ないので、
   夜と雖(いえど)も吾々を照らして居給う生命の本源であります。

   それであればこそ吾々は夜と雖(いえど)も生命があり生きているのであります。

   吾々は天照大御神の恩恵がなければ1分時も生きることは出来ない。
   斯(か)かる偉大なる神様が天照大御神であります。

   (以下略 ~ 建速須佐之男命のお働き)

   ・・・・・




(6)天徳より切り離されて、地徳のみでは治まらぬ地球

   次に須佐之男命に「海原を知らせ」と事依(ことよ)さし(言葉でもって依頼し
   又は委任すること)給うたのは、須佐之男命に、「地球の支配者として、地球の霊魂
   として、地球を治める」と宇宙創造のイザナギ大神が御命令になった事であります。

   「海原」を地球だというのは、私が『生命の謎』(新選谷口雅春選集18)の本の中
   に詳しく説明して置きましたように、地球創造の当初には、全地の表面が悉く海で
   あったのが、

   地球の冷却と共に水分が地下に浸潤して表面が乾いて来たから陸地があらわれて来た
   のでありますから、地球創造の当初に於いて其の司配者たる”地球の霊魂”とも称す
   べき神を定める頃には、地はまさしく「海原」だったのであります。

   それで須佐之男命に「海原を知らせ」と仰せられたのであります。

   このようにして、天照大御神・月讀命・建速須佐之男命の三貴神の分擔が確定しました
   けれども、天照大御神(霊の霊なる神 ――イザナギノ命の光足<ヒタリ>の眼より
   出生の神)の霊から切り離されたる単なる「土(つち)」又は鉱物としての地球
   (唯物論的世界)に於いては幸福生活のありようはないのであります。

   そこで、その生活の行き詰りから来る自壊作用、住吉大神の禊ぎ祓えの作用として
   惨憺たる状態が現出したのであります。
   『古事記』には次のように書かれているのです。


     故(かれ)、各(おのもおのも)依(よ)さし賜(たま)える命(みこと)の
     随(まにまに)に、知(しろ)し看(め)す中に、速須佐之男命、命(よ)さし
     たまえる国を知(し)らさずて、八拳須心(やつかひげむな)の前(さき)に
     至るまで、啼きいさちき。

     其の泣きたまう状(さま)は、青山は枯山如(な)す泣き枯らし、
     河海(うみかわ)は 悉(ことごと)に泣き乾しき。

     是(ここ)を以(も)、悪神(あらぶるかみ)の音(おとない)、
     狭蝿(さばえ)如(な)す皆涌き、萬物(よろずもの)の妖(わざわい)
     悉(ことごと)に發(おこ)りき。

     故(かれ)、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔(の)りたまわく
     「何由(なに)とかも汝(みまし)は、事依(ことよ)させる国を
     治(し)らさずて、哭(な)きいさちるとのりたまえば、

     答白(もう)したまわく、僕(あ)は妣(はは)の国根之堅州国
     (ねのかたすくに)に罷(まか)らんと欲(おも)うが故(ゆえ)に
     哭きともうしたまいき。

     爾(ここ)に伊邪那岐大御神大(いた)く忿怒(いか)らして、
     然(しか)らば汝(みまし)此の国にはな住(す)みそと詔(の)りたまいて、
     乃(すなわ)ち神(かむ)やらいにやらい賜(たま)いき。”      
                  (速須佐之男命御啼きいさちの段<くだり>)


   ”天徳(てんとく)”から切り離された”地徳(ちとく)、
   天照大御神から切り離された速須佐之男命、
   霊的な内部的生命から切り離された唯物的世界観の生活、
   それが”地球の霊魂”とも謂うべき速須佐之男命の生活でありまして

   このような生活には何の希望もなければ、理想もないから、
   大東亜戦争終戦直後の日本の青少年がな焼け野原になってヤクザの生活に
   陥(おとい)って往(い)ったように、生活がみだれて統一がつかない状態に
   なったのであります。

   これが『悪神(あらぶるかみ)の音(おとない)、
   狭蝿(さばえ)如(な)す皆涌き、萬物(よろずもの)の妖(わざわい)
   悉(ことごと)に發(おこ)りき』であります。

   そこで地球上の人類の生活が混乱をきわめるじょうたいになったもので
   あるから「何故(なぜ)そのように地上を治めないで、泣いてばかりいるのか」
   とイザナギノ大神がおたずねになりますと、

   須佐之男命は、「私は母のいられる根之堅州国(ねのかたすのくに)に
   往ってしまいたいから泣いているのです」と答えたというのであります。

   霊(天照大御神)から切り離された唯物論的世界には幸福のありようはありません。

   『妣(はは)の国(くに)根之堅州国(ねのかたすのくに)』というのは、
   ”妣(はは)”はイザナミノ神であり、
   イザナミノ神は”黄泉大神(よもつおおかみ)”と称されて、
   "冥途の国”の神でありますから、

   ”母の国に行きたい”というのは、「もうこんな唯物論の世界では生き甲斐が
   感じられないから死んでしまいたい」という意味であります。

   そうすると伊邪那岐大御神は大変お怒りになりまして
   「もうお前は地球に居(お)るな」と仰せられたのであります。

   ここに須佐之男命が、大決心をして天上に舞い昇り給うて、
   天照大御神の神霊を受霊(うけひ)して地上に天の霊を受け、
   地上最初の人類をお生みになることになるのであります。

   (第9章 「”霊主物従”の宇宙の法則」は、以上で完了です)

・・・

第10章は、以下の構成となっております。

(1)統(す)め丸める魂
(2)人間誕生の真理
(3)”事物の明るい面を見る”清明心(あかきこころ)







・・・

第10章「天に成る「幽の世界」の霊交」

(1)統(す)め丸める魂

     ”故是(かれここ)に速須佐之男命の言(もう)したまわく、然(しか)らば
     天照大御神に請(もう)して罷(まか)りなんともうしたまいて、乃(すなわ)ち
     天に参(ま)い上(のぼ)ります時に、山川(やまかわ)悉(ことごと)に
     動(とよ)み、國土(くにつち)皆(みな)震(な)りき。

     爾(ここ)に天照大御神聞き驚(おどろ)かして、
     我(あ)が那勢命(たせのみこと)の上(のぼ)り來(き)ます由(ゆえ)は、
     必ず善心(うるわしきこころ)ならじ。

     我(あ)が國を奪(うば)わんと欲(おも)おすにこそ詔(の)りたまいて、
     即(すなわ)ち御髮(みかみ)を解き、御(み)みずらに纒(ま)かして、
     左右(ひだりみぎ)の御(み)みずらにも、御鬘(みかずら)にも、
     左右(ひだりみぎ)の御手(みて)にも、

     各(みな)八尺(やさかの)勾瓊(まがたま)の五百津(いほつ)の
     みすまるの珠(たま)を纒(ま)き持たして、そびらには千入(ちのり)の
     靭(ゆぎ)を附け、亦(また)いつの竹鞆(たかとも)を取り佩(お)ばして、
     弓腹(ゆはら)振り立てて、堅庭(かたにわ)は、

     向股(むかもも)に踏みなずみ、沫雪(あわゆき)如(な)す蹶(くえ)
     散(はら)らかして、いつの男建(おたけび)蹈(ふ)み建(たけ)びて、
     待(ま)ち問(と)いたまわく、何故(など)上(のぼ)り来ませると
     といたわいき。

     爾(ここ)に速須佐之男命答白(もうし)たまわく、・・・僕(あ)は
     妣(はは)の國(くに)に往(まか)らんと欲(おも)いて哭(な)くと
     もうししかば、大御神(おおみかみ)、汝(みまし)は此の國には
     な在(す)みそと詔(の)りたまいて、神(かみ)やらいやらい

     賜(たま)う故(ゆえ)に、罷往(まか)りなんとする状(さま)を
     請(もう)さんと爲(おも)いてこそ、參(まい)上(のぼ)りつれ。
     異心(けしきこころ)無しともうしたまえば、
     
     天照大御神、然(しか)らば汝(みまし)の心(こころ)の清明(あかき)
     ことは、何(いか)にして知(し)らましと詔(の)りたまいき。
     是(ここに)速須佐之男命、各(おの)うけいて、子(みこ)生まなと
     答白(もう)したまう。”

                         (御うけひの段<くだり>)


   さて須佐之男命は、もう”この国”即ち”地球”に住むなと伊邪那岐大神より
   厳命されて、地球を去って、天上へおのぼり遊ばされることになったのでありますが、

   地球は須佐之男命の”体”であり、須佐之男命は地球の”霊”でありますから、
   霊がその体から脱出する際でありますから、
   その体に非常な痙攣が起こるのは当然のことであります。

   これが『山川(やまかわ)悉に動(とよ)み、国土(くにつち)皆震(ゆ)りき』と
   書かれているのであります。

   文章通り解釈いたしますと結局、上の通りでありますけれども、これは結局、
   ”地の氣”の上昇と、”天の氣”との下降とによって、陰陽の結びが行なわれて、
   五男三女の人間誕生のことを象徴的に表現されたものとして解釈すればよいので
   あります。

   天照大御神がその御髪にも御鬘(みかずら)にも、おのおの
   八尺勾たま(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)のみすまるの珠(たま)を
   纏(まと)っておられたというのは、
   天照大御神の御天職が表現されているのであります。

   ”珠”というのは”霊(たま)”の象徴であり天照大御神の神霊の天職は
   八尺勾たまのようだというのであります。

   八坂と謂うのは、”弥栄(いやさか)”であります。
   ”いよいよ栄える”という意味、マガタマと謂うのは眞輝魂(マガタマ)であり
   眞に光輝燦然たる魂だと謂う意味。

   五百津(いほつ)というのは”五百つづき”即ち「数多く」ということであります。
   数多くの国々の魂が一つに連珠のようにつなぎ合わせて”統(す)める丸める魂”を
   もっていられるというのが『みすまるの珠(たま)を纏(ま)き持(も)たして』
   であります。

   このみすまるの珠は、一つ一つの珠を壊さないで、それを生かしながら、互い互いの
   連関に於いて其の美が顕揚されるのでありまして、天照大御神の御天職は、世界の
   国々をつぶしてしまって一つの団子のようにまとめるのではなく、

   それぞれの国々の特徴を生かしながら、互いに夫々が敵対することなく、各々の美が
   顕揚されるように世界連邦的な統一をせられるのが御天職であり、
   それはとりも直さず、日本国の使命なのであります。


   しかし日本国の使命は、決して無武装でそれが遂げられるのではないことが、
   天照大御神が武装して須佐之男命をお迎えあそばされた事であきらかであります。
   武装は必ずしも敵を殺したり、殲滅するためのものではなく、それは国家の権威の
   象徴であります。

   武装がなければ人体に人体に白血球がないのと同じで
   細菌の侵入にまかせるより仕方がないのです。

   いのちのある有機体で、白血球的防御整備をそなえていないものは一つもないので
   ありまして、国家も有機体である限り侵略を防止するための国家の権威の象徴として
   ”武力”を備えていなければ、隣国から馬鹿にされて滅亡するほかないのであります。

   現に日本はソ連や韓国などに対して対等にものが言えない。韓国には竹島をとられ、
   エトロフやクナシリをソ連領だと言い張られても、犬の遠吠えのように口上書や、
   首相宛の手紙で、何の役にも立たない抗議文を送っているだけであります。

   武力を背景にもたない国家は、その発言に権威がないのであります。

   そこで天照大御神は、曾毘良(そびら)<背中>には千本の箭(や)の入れもので
   ある靫(ゆぎ)<矢を入れる容器>をつけていられて、比良(ひら)<前面>には
   五百本の箭(や)の入った靫(ゆぎ)を附け、威風堂々と左の手の肘には
   竹鞆(たかとも)をつけていられた。

   竹鞆(たかとも)は、革でつくられた弓弦(ゆづる)の反動を受ける道具である。
   竹製ではないが、タカはその反動を鞆(とも)に受けたときの音を形容したので、
   ”竹(たけ)”という漢字はタカの音標文字(おんぴょうもんじ)として使った
   のである。

   次にある「男(お)タケび踏(ふ)みタケび」にあるタケも同じく音(おと)を
   立てることであります。”男(お)タケび”は雄々しく叫ぶことであり、
   踏(ふ)みタケびは堂々と音を立てて足踏みすることであります。

   このように天照大御神は須佐之男命との外交折衝に、先ず"武力”をしめして国家の
   権威を明らかにせられたのであります。

   そうしますと須佐之男命は、前述の通りの事情を申しあげて、「地球にはもう住む
   ことならぬと伊邪那岐大御神が仰せられたので、一応あなた様にお暇乞いに
   あがったのでございます」と申し上げたのであります。

   すると天照大御神は、「お前の心が清く明(あか)きことは何をもって知ることが
   できるか、その証拠は如何に?」と仰せられたのであります。

   そこで須佐之男命は、「それでは受霊(うけひ)をして子供を生んで、その結果と
   して生まれた子供の善悪によって、私の心の善悪を知って下さい」と申し上げた
   のであります。


   もっとも、日本の古代民族は、善悪正邪という言葉を使わなかったのであります。
   善くない心を「きたなき心」と言い、善き心を「清く明き心」又は
   「清明心(あかきこころ)」と称したのであります。

   日本民族は「汚れる」ということを、きわめてきらう民族でありました。
   毎日入浴又は水浴したり、上厠(じょうし)した後には必ず手を洗う。
   建物にはゴテゴテ塗料を施さないで白木(しらき)を使う。

   神官は白装束をつけるなどの風習は皆この”汚れ”を厭い、清きことを好む国民性
   からおのずから発した習慣であります。

   恥辱を受けたら切腹又は自害するとかいうふうも、単に”生命軽視”の精神という
   よりも、生命(せいめい)の清らかさを保存するために、汚辱のこの世界には生きて
   いたくないという積極的な”清明心(せいめいしん)”の発露だったのであります。

   ”うけひ”は漢字では”誓(ちかい)”という字を書きますけれども単に
   ”誓う”だけではなく、言葉で誓った事柄を、互いに霊を交えて
   (霊交<ちか>いて)具体的結果によってその誓いを立証するのであります。


(2)人間誕生の真理

     ”故爾(かれここ)に各(おものおもの)天安河(あめのやすかわ)を
     中(なか)に置きて、うけふ時に、天照大御神、先(まず)建速須佐之男命の
     佩(みは)かせる十拳劒(とつかのつるぎ)を乞(こ)い度(わた)して、
     三段(みわた)に打(う)ち折(お)りて、

     ぬなともゆらに、天之眞名井(あめのまない)に振(ふ)り滌(すす)ぎて、
     さがみにかみて、吹(ふ)き棄(す)つる氣吹(いぶき)の狹霧(さぎり)に
     成りませる神の御名は、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、亦の
     御名(みな)は、奧津嶋比賣命(おきつしまひめのみこと)と謂(もう)す。

     次に市寸嶋上比賣命(いちきしまひめのみこと)、亦の御名は狹依毘賣命
     (さよりびめのみこと)と謂(もう)す。
     次に多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)。

     速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、天照大御神の左の
     御(み)みずらに纒(ま)かせる八尺勾玉(やさかのまがたま)の
     五百津(いほつ)のみすまるの珠(たま)を乞(こ)い度(わた)して、
     ぬなとももゆらに、

     天之眞名井(あめのまない)に振(ふ)り滌(そそ)ぎて、さがみにかみて、
     吹(ふ)き棄(う)つる氣吹(いぶき)の狹霧(さぎり)に成(な)りませる
     神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかあかつかちはやびあめの
     おしほみみのみこと)。

     亦(また)右の御みずらに纒(ま)かせる珠(たま)を乞(こ)い
     度(わた)して、さがみにかみて、吹(ふ)き棄(う)つる氣吹(いぶき)の
     狹霧(さぎり)に成(な)りませる神の御名は、
     天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。

     亦(また)御鬘(みかずら)に纒(ま)かせる珠(たま)を
     乞(こ)い度(わた)して、さがみにかみて、吹(ふ)き棄(う)つる
     氣吹(いぶき)の狹霧(さぎり)に成(な)りませる神の御名は、
     天津日子根命(あまつひこねのみこと)。

     又(また)左(ひだり)の御手(みて)に纒(ま)かせる珠(たま)を
     乞(こ)い度(わた)して、さがみにかみて、吹(ふ)き棄(う)つる
     氣吹(いぶき)の狹霧(さぎり)に成(な)りませる神の御名は、
     活津日子根命(いくつひこねのみこと)。

     亦(また)右の御手(みて)に纒(ま)かせる珠(たま)を
     乞(こ)い度(わた)して、さがみにかみて、吹(ふ)き棄(う)つる
     氣吹(いぶき)の狹霧(さぎり)に成(な)りませる神の御名は、
     熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)。

                    <御(み)うけひの段(くだり)>


   いよいよ地球の霊魂たる須佐之男命が地球から追放されて暇乞いに天上に昇って
   天照大御神にその由(よし)をつげられる処でありますが、
   それは象徴的神話の表面のすがたであります。

   これは”地の氣”が”天の氣”を受けて、陰陽の受霊(うけひ)又は
   ”むすび”によって人間が誕生する真理を物語的に書いたものであります。

   人類の最初の発生はメソポタミアとか、アトランチス大陸とか、ムウ大陸とか
   いろいろの説がありますが、『古事記』にあらわれたる地名を典拠として
   想像してみますと、琵琶湖付近ということになります。

   天之眞名井(あめのまない)というのが琵琶湖にあたるのであります。
   琵琶湖付近に安河(やすかわ)という河があります。

   ”眞名(まな)”というのは”眞魚(まな)”であって、
   ”淡水魚”のことであります。
   古語で魚(うお)のことを”魚(な)と呼んだのであります。

   もっとも、これは地上の”眞名井”ではなく、”天之眞名井(あめのまない)”
   天上の””眞名井(まない)”であり、神話に語られたる真理は、真理だから、
   幽(ゆう)・中(なか)・顕(けん)といろいろあらわれ且つ当て嵌まるので
   あります。

   イエスの主の祈りの「みこころ天に成れる」幽の世界に於いて陰陽の霊交
   (れいこう)が行なわれた”天之眞名井(あめのまない)”が、葦原中津国
   (現象世界)の琵琶湖となってあらわれ、さらに、顕(けん)の世界では、
   それが男女人体の霊交となってあらわれるのであります。

   人体に於ける”天之眞名井(あめのまない)”は女性**にあたるのであり、
   そこは凡そ琵琶湖のような形をしているのであります。

   十拳剣(とつかのつるぎ)というのは、 
   ”剣(つるぎ)は””男性の魂(たましい)”だとされております。
   須佐之男命の魂(たましい)であり、”地の氣”であります。
   それが人体にあらわれては男性**となってあらわれております。

   その「男性魂(だんせいこん)」を”天之眞名井(あめのまない)”に
   振り滌(すす)いで子供を産まれたのであります。

   『さがみにかみて』というのは、互いに交(か)み合い、結び合うことであり、
   ”さがみ”の”さ”は”触れ合う”言霊であります。
   サラサラ、ザワザワ、ササエル””サワル””サスル”など皆、
   互いにサワリ触れ合うことの自然発生の言霊であります。

   こうして陰陽の”霊交”が地上世界に顕現して最初に自然発生した人間が
   多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、
   市寸嶋上比賣命(いちきしまひめのみこと)、
   多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)の
   三女神(にょしん)だということになります。

   もっとも”天”に成れる「幽の世界」の”霊交”の投影は、
   単に琵琶湖だけに映写されるに限っていない。

   譬えば、映画のフィルムは、一つの映画館だけに上映されるのではなく
   数館に同時上映ということもあり得ると同じく、
   地上人類の発生の琵琶湖付近だけではなく、
   地上の他の地点にも人類が発生していても差支えはないのであります。


   次に”みすまるの珠(たま)”というのは天照大御神(表面は女神)の
   もってあられる魂でありますので、その魂を須佐之男命が、かみて
   お産みになりました”神の子”が
   正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかあかつかちはやびあめの
   おしほみみのみこと) 以下合計五柱の男神であられます。


   その霊交の状態を図解いたしますと、次の通りになるのであります。
   (図はここでは省略いたします)

   図の如くして、肉体は男神の姿をもって天照大御神の霊魂を宿して
   御誕生になりました最初の人間が天之忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
   であらせられます。
   その御子(おんこ)が瓊々杵尊(ににぎのみこと)であらせられ、
   これらの方々が日本皇室の皇祖皇宗とおなり遊ばされているのであります。

   これは神話だから”作り物語”で
   何の価値もないと評される方があるかも知れませぬ。
   神話は、現代の作家のように、大衆や商売主義の出版屋や、ジャーナリズムの
   批評家に迎合したり阿諛(こびへつらう)したりする必要がなく、

   古代民族が、自然に直感された真理を、創作衝動によって物語に表現されたもので
   ありますから、真理が一層純粋に象徴的に書かれているので、

   日本天皇は「天照大御神の霊を受けて」(註・宇宙神霊の”みこころ”の
   地上降下の意味)この世に出現していられるので誠に尊い限りであります。

   この事を『古事記』は次の如く書いております。

     ”是(ここ)に天照大御神、速須佐之男命に告りたまわく、
     是(こ)の後(のち)に生(あ)れませる五柱(いつはしら)の
     男子(ひこみこ)は、物實(ものざね)、
     我(あ)が物(もの)に因(よ)りて成(な)りませり。
     故(かれ)自(おのずか)ら吾(あ)が子(こ)也(なり)。

     先に生(あ)れませる三柱(みはしら)の女子(ひめみこ)は、
     物實(ものざね)、
     汝(みまし)の物(もの)に因(よ)りて成(な)りませり。
     故(かれ)乃(すなわち)汝(みまし)の子也(みこなり)。
     如此(かく)詔(の)り別(わ)けたまいき。”
     <男御子(ひこみこ)女御子(ひめみこ)御詔別(みのりわけ)の
                               段(くだり)
      ―― 以下4行略>



(3)”事物の明るい面を見る”清明心(あかきこころ)

   さて天照大御神の「みすまるの珠(たま)」(即ち一切に調和する”愛”の霊魂)を
   宿して生まれた神様は五柱(いつはしら)の男の神様であり、

   これに反して須佐之男命の剣(男性の魂)を天照大御神の体(たい)をもって包んで
   生まれた神様が三柱(みはしら)の女の神様でありましたので、

   須佐之男命は「私の物實(ものざね)で成った神が、このようにやさしい姿の女神
   となって生まれたということは、私が清く明るい心をもっている証拠にほかならない、
   私は勝ったのだ」というので次のように乱暴をせられたことになったのであります。


     ”爾(ここ)に速須佐之男命、天照大御神様に白(もう)したまわく、
     我(あ)が心清明(こころあか)き故に、我(あ)が生(う)めりし子(みこ)、
     手弱女(たわやめ)を得(え)つ、此(これ)に因(よ)りて言(もう)さば、

     自(おのず)から我(あれ)勝ちぬと言いて勝(か)ちさびに、
     天照大御神の營田(みつくだ)の 阿(あ)離(はな)ち、溝埋(みぞう)め、
     亦(また)其(そ)の大嘗(おおにえ)聞こし看(め)す殿(との)に、
     屎(くそ)まり散(ち)らしき”


   ここに「勝ちさびに」とあるのは、「勝(かち)に乗じて」という意味であります。
   須佐之男命は、勝に乗じて天照大御神のおつくりになっている田圃の畔(あぜ)を
   こわして水田を乾してしまったり、水を通すべき溝を埋めたり、

   亦、大嘗(おおにえ)<宮中での御食事の美称>をおあがりになる御殿(ごてん)
   のあちこちに、屎(くそ)を垂れて実にみぐるしい乱暴をおはたらきになった
   のであります。

   これらの行為が何故悪いかというと、それは”処を得ない”からであります。

   即ち田圃の畔は水田に水を溜めておくための処であるのに、それを切り離したこと、
   溝は水を通すべき処であるのに、それを埋めてしまったこと、食堂は清潔にして
   おかなければならない処であるのに、それを屎(くそ)をもって汚したこと、

   すなわち、すべて処を得ない行為が悪なのであります。

   併し天照大御神は、それでもなお、実相を見て、良い方へ、善い方へ、善い方へと
   解釈してお怒りにならなかったのであります。
   すなわち『古事記』は次のように書いております。


     ”故然(かれし)か爲(す)れども、天照大御神は、とがめずに告(の)り
     たまわく屎如(くそな)すは、醉いて吐き散らすとこそ。
     我(あ)が那勢命(なせのみこと)如此爲(かくし)つらめ。

     又(また)田の阿離(あはな)ち溝(みぞ)埋むるは、
     地(ところ)をあたらしとこそ、我(あ)が那勢命(なせのみこと)
     如此(かく)爲(し)つらめと、詔(の)り直(なお)したまえども、

     猶(なお)其(そ)の惡しき態(わざ)止(や)まずて、轉(うた)てあり、
     天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)しまして、
     神御衣織(かむみそお)らしめたまう時に、其の服屋(はたや)の
     頂(むね)を穿(うが)ちて、

     天斑馬(あめのふちこま)に逆剥(さかはぎ)に剥(はぎ)ぎて、
     墮(おと)し入(い)るる時に、天衣織女(あめのみそおりめ)
     見驚(みおどろ)きて、梭(ひ)に陰上(ほと)を衝(つ)きて
     死(みう)せにき。”
            (以上、須佐之男命御荒備<みあらび>の段<くだり>)


   そこで天照大御神は、須佐之男命が田の畔を切り放ち、溝を埋めたりするのは、
   表土と深土とを交換して土地を新しくして稲作をよくするためにした事であろう。

   御殿に屎(くそ)をひち散らしたというのはそれは本当ではない。
   屎(くそ)のように見えるのは、あまり酒に酔ったために吐き気がして嘔吐を
   はき散らしたのであろう。

   私の弟は決して悪い気持でそんな事をする男ではないと仰せられたのであります。
   ここに、日本民族の本来の性質たる”事物の明るい面を見る”清明心が
   あらわれているのであります。

   このように”詔(の)り直す”(即ち悪しきことでも、善き言葉をとなえて、
   ”言葉の力”で悪を消し善をあらわす)ことをせられましたけれども、須佐之男命
   の乱暴はなかなか止まないで、「轉(うた)てあり」というのは、いよいよ進んで
   甚だしくなったというのであります。

   そのように甚だしくなったかと言いますと、天照大御神の宇宙経綸の機(はた)を
   おって居られる其の御部屋の屋根に穴をあけて、天斑馬(あめのふちこま)を逆剥
   (さかはぎ)に皮を剥(は)いで、血みどろの馬の屍骸(しがい)を、その御部屋に
   投げ込まれたのであります。

   そのために天地経綸の機(はた)を織っていた織姫(おりひめ)が驚いて尻餅を
   ついてそこに倒れると折悪しく其処にあった 梭(ひ)を陰部につき立ててて死んで
   しまったのであります。

   天斑馬(あめのふちこま)というのは「天馬空(くう)を翔(かけ)る」とか、
   「白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如し」というような、時間の早さを
   形容する語でありますように、「時間」の象徴としてあるのであります。

   何事も現象界の事物を成就するには、時間的秩序が必要であります。
   理想世界を実現するにも時間的秩序を通して、徐々に平和裡に理想世界を実現する
   その経綸が、天照大御神の”天地の機織(はたお)り”なのであります。

   それに反して時間の秩序を逆さまにかき紊(みだ)すのが、
   天斑馬(あめのふちこま)を逆剥(さかはぎ)にすることで、その時間の秩序を
   紊(みだ)して、一挙に理想世界を実現しようとすると、それは結局、”革命”
   ということになって、血みどろの馬を忌服屋(いみはたや)投げ込んだような
   悲惨な状態が生まれてくるのであります。

   そすると折角、自然の秩序で理想世界の建設の織物を織っていた
   服織女(はたおりめ)が死ぬようになるのであります。

   天地経綸という語を私がこの説明につかったのは、天照大御神の天地を治めたまう
   ”創造的まつりごと”を服織(はたお)りにたとえたのであります。

   ”経”はたていと、”綸”は綛(かせ)や梭(ひ)などに巻いてある輪になっている
   絲(いと)で、経(たていと)に、綸(まきいと)をほぐしながら緯(よこいと)と
   して組み合わせていろいろの織模様をつくり出して行くのであります。

   その秩序をあやまると織模様が滅茶滅茶になるのであります。


   (第10章 「天に成る「幽の世界」の霊交」は、以上で完了です)

・・・

第11章 「実相世界の現象化」は、以下の構成となっております。

(1)この世を光明化すための行事
(2)天照大御神は実相界の主神






第11章 「實相世界の現象化」 (41)
日時:2018年03月30日 (金) 13時36分
名前:伝統

第11章 「實相世界の現象化」

(1)この世を光明化するための行事~その1

     故是(かれここ)に天照大御神見畏(みかしこ)みて、
     天石屋戸(あまのいわやど)
     を閇(た)てて、刺(さ)しこもり坐(ま)しましき。

     爾(すなわ)ち高天原(たかあまはら)皆(みな)暗(くら)く、
     葦原中國(あしはらのなかつくに)悉(ことごと)に闇(くら)し。
     此(これ)に因(よ)りて常夜(とこよ)往(ゆ)く。

     是(ここ)に萬神(よろずのかみ)の聲(おとない)は、
     狹蝿(さばえ)なす皆(みな)湧(わ)き、
     萬(よろず)の妖(わざわい)悉(ことごと)に發(おこ)りき。

     是(ここ)を以(も)て八百萬神、天安之河原(あめのやすのかわら)に、
     神(かむ)集(つど)い集(つど)いて、
     高御産巣日神(たかみむすぎのかみ)の子(みこ)
     思金神(おもいかねのかみ)に、思(おも)わしめて、

     常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集(つど)えて、鳴(な)かしめて、
     天安之河(あめのやすのかわ)河上(かわら)の天堅石(あめのかたしわ)を
     取り、天金山(あめのかなやま)の鐵(かね)を取りて、
     鍛人天津麻羅(かぬちあまつまうら)を求(ま)ぎて、

     伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おお)せて、鏡(かがみ)を
     作(つく)らしめ、玉祖命(たまのやのみこと)に科(おお)せて、
     八尺勾たまの五百津(いほつ)の御(み)みすまるの珠(たま)を作らしめて、

     天兒屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を
     召(よ)びて、天香山の眞男鹿(まおしか)の肩(かた)を内拔(うつぬき)に
     拔(ぬ)きて、天香山の天之波波迦(あめのははか)を取りて、
     占合(うら)えまかなわしめて、

     天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を、根(ね)こじにこじて、
     上枝(ほつえ)に、
     八尺勾たまの五百津(いほつ)の御(み)すまるの玉(たま)を取り著(つ)け、
     中枝(なかつえ)に、八咫鏡(やたかがみ)を取り著け、下枝(しずえ)に、
     白丹寸手(しろにぎて)青丹寸手(あおにぎて)を取り垂(し)でて、

     此の種種(くさぐさ)の物(もの)は、布刀玉命(ふとたまのみこと)、
     布刀御幣(ふとみてぐら)を取り持たして、天兒屋命(あめのこやねのみこと)、
     布刀詔戸言(ふとのりとごと)祷(ね)ぎ白(もう)して、

     天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、
     戸(みと)の掖(わき)に隱(かく)り立たして、
     天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、
     天香山の天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)に繋(か)けて、
     天之眞拆(あめのますき)を鬘(かずら)と爲(し)て、

     天香山の小竹葉(おさば)を手草(たぐさ)に結(ゆ)いて、
     天之石屋戸(いわやど)に汗氣伏(うけふ)せて、蹈(ふ)みとどろこし、
     神懸(かみかが)り爲(し)て、胸乳(むなぢ)を掛(か)き出(い)で、
     裳緒(もひも)をほとに忍(お)し垂(た)れき、
     爾(かれ)高天原(たかあまはら)動(ゆす)りて、
     八百萬神共(とも)に咲(わら)いき。

                   (天石屋戸<あまのいわやど>の段<くだり>)

   須佐之男命の乱行により、時間の順序を司る天斑馬(あめのふちこま)が逆回転して、
   昼が夜になってしまった。
   即ち明るかるべきこの世界が暗くなってしまったのであります。

   すると、高天原も暗く見えるし、葦原中國(あしはらのなかつくに)も
   ことごとく暗く見えるようになったのであります。

   高天原は実相世界ですから永久に暗くなることはないのですが、
   見る人の心の秩序が顛倒して心が暗くなれば、
   どんなに光明遍照の實相世界でも暗く見えます。

   それは悟りをひらいた人には、この世界は「唯心所現の世界」即ち心の想いが
   展開した世界だとわかりますが、悟りのひらいていない人には、
   この世界が物質の塊の暗黒世界だと見えるようなものです。

   高天原は實相世界(生命の世界)であり、
   夜見国(よみのくに)は暗(やみ)の国(無の国・暗は”光の無”であって
   積極的存在ではない)であり、黄泉国(よもつくに)とも称(い)われて、
   死の国であります。

   「生命の世界」が「無の国」にはたらきかけて、
   その中間にできた現象界が葦原中國であります。
   葦(あし<悪>)とも蘆(よし<善>)とも称する青人草(人間)の
   生(お)うる世界で、善悪混淆の現象世界が葦原中國であります。

   それが心の持ち方が顛倒して”悪(あ)し”の面ばかりがあらわれるようになり、
   喧々囂々として、あたかも安保反対闘争時の国会内外の乱闘さわぎにも似た状態が
   あらわれて、所狭きまでむらがる蠅(はい)がブンブンと湧き立つような大騒ぎで
   いろいろの妖(わざわい)が無数に起こって来たというのであります。

   そこでこの乱闘騒ぎを如何にして取り鎮めようかというので、
   天安之河原に、神々が集って神廷(しんてい)会議が催されるということになり、
   高御産巣日神(たかみむすぎのかみ)の 子(みこ)・思金神(おもいかねのかみ)
   が、その神廷会議の議長として八百萬神を招集せられたのであります。

   (『日本書紀』ではこの神は思兼神とあります。あらゆる問題をすべて”兼ね備えて”
   思いをめぐらす叡智の神であります。

   『古事記』に高御産巣日神は伊邪那岐命とあらわれていられることを観れば、
   高御産巣日神の御子・思金神は、伊邪那岐命の御子・住吉大神と
   あらわれていると見られる。神の系列・順序による神秘を考うべし)

   兎も角、思兼神は、住吉大神と同じ系列の神で、
   暗黒世界に光明をもちきたす方法を教えたまう神であります。

   暗黒世界に光明をもち来たすのには、「常世(とこよ)の長鳴鳥
   (ながなきどり)を集(つど)えて、鳴(な)かしめる」ことが必要なのであります。

   「常世(とこよ)」は「常夜(とこよ)」のアテ字だという説もありますが、
   長鳴鳥というのは、声を長くひっぱる鶏(にわとり)の一種でありますから、
   そして鶏は暁を告げるために鳴くのでありますから、
   「常夜(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)」では意味をなさないのであります。

   だから「常世」はどこまでも「常世」であって、
   「常住不変の實相世界」を指すものでなければなりません。

   即ち暗黒世界に光明をもちきたすには、常住不変の實相世界の真理を
   長鳴鳥のように大いなる喇叭(らつぱ)をもって宣(の)べ伝える必要がある
   というのであります。


   その次には伊斯許理度売命(いしこりこめのみこと)に命じて
   鏡を作らしめたとあります。
   これは現象世界を支配する“心の法則”を鏡をもって象徴したのであります。

   イシコリドメは“意識凝止め(いしこりどめ)”であります。

   即ち現象世界は“意識”即ち“心”の想いが凝りかたまって一定の形に止められて見える
   世界で、心の法則という鏡に照らして自己反省して、自分の心の想いをかえることが
   暗黒世界に光明をもち来す道なのであります。

   次に『八尺勾玉(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の御(み)すまるの珠(たま)』
   というのは、
   「弥栄(いやさかえ)の眞輝魂(まがたま)が五百津(たくさん)充ち満ちていて、
   それが統(す)べ丸められた大調和の世界」が實相として存在するのだということを
   ハッキり悟ることが必要だという意昧であります。

   この弥栄の大調和(みすまる)の世界は誰につくられたかというと、
   玉祖命(たまのやのみこと)即ち、一切の魂の祖(みおや)(根元)なる“本源の神”
   からつくられたものであって、それが常住不変金剛不壊の實相世界だということを
   悟らなければならぬという意昧であります。

   次に天香山の眞男鹿(まおしか)の肩の骨を抜いて、
   天波波迦(あまのははか)という桜の木を燃やしてその骨を焼いて、
   骨のヒビワレの形を見て神意をウラナウということが書いてあります。

   これは「俺が、俺が」と肩をいからして闊歩している傲慢な「我の心の骨」を抜いて、
   素直な幼児の心になって、神意を受けて神意の通りに実行するということであります。

   そうすれば“暗黒の世界”が“光明の世界”に展開するというのであります。


   我(が)の心を抜いて素直に神意を実践するのは最も大切でありますが、
   それを実践するに当たっては、常に「栄える」ところの明るい積極精神を
   身につけて置かなければなりません。

   賢木(さかき)は栄氣(さかき)であります。
   これが『五百津眞賢木(いほつまさかき)を、根こじにこじて』であります。

   實相世界の栄氣(さかき)即ち「栄えの雰囲気」を、
   そっくりそのまま現象世界に移植して来るのであります。
   それによって暗黒世界に光明が持ち来されるのです。

   そして「栄氣(さかき)」の上方の枝には“御統丸(みすまる)の玉”即ち
   大調和の魂をとりつけ、中程の枝には自分の心を八方から照らす鏡をとりつけ、

   下の枝に白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)をつけるというのは、
   和(にぎ)は荒(あら)に対する言葉で、人に接する場合、
   和顔愛語の布でつつんで人と調和することを専らにすることであります。

   『白和幣(しろにぎて)』は梶の木の繊維を材料とした布で、
   『青和幣(あおにぎて)』は麻を材料とした布だということであります。



   次に本尊として布刀御幣(ふとみてぐら)を
   布刀玉命(ふとたまのみこと)が取り持ちて捧持するのです。
   布刀(ふと)は「太」であって「大生命」を象徴する御幣(ごへい)が
   ”布刀御幣(ふとみてぐら)”であります。

   その御幣(ごへい)を、本尊を祭祀するための象徴(しるし)として樹(た)て
   太祝詞すなわち”天津祝詞(あまつのりと)”を高誦(こうしょう)して、
   言葉を持って宇宙の不浄(ふじょう)を浄(きよ)めるのです。

   善き言葉で祝福して、不浄を浄めることを、
   言祷(ことほ)ぐ<賀(ことほ)ぐ>というのであります。

   生長の家では聖経『甘露の法雨』を読誦(とくじゅ)するのに当ります。


   その次には、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が
   天之岩戸(あまのいわど)の脇に立って待ちかまえております。
   天手力男神と謂うのは、機会を逃がさず勇気と力とを象徴しております。

   岩戸がすこしでも開いたら、その機会をのがさずに断乎として
   天照大御神をお引き出ししようと待ち構えているのです。


   その次には、日本一の「お多福娘」と謂われている
   天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が裸おどりをするのでありますが、
   裸おどりというのは、人為をまとわないでそのままに動くこと ―― 
   即ち法爾自然に、神のみこころそのままに行動するということであります。

   即ち、何事をなすにも、自分の我の力でするのではない、
   それは天(あめ)の御光(みひかり)のお蔭であると、御栄(みさか)えを
   神に帰するのが『天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)に繋(か)け』
   であります。

   そして人間の幸福というものは天から割(さ)き與(は)えられているもの
   であって、人間自力のハカライではないことを頭に銘ずるのが
   『天之眞拆(あめのますき)を鬘(かずら)と爲(し)て』であります。

   そうして合掌して神想観をする。
   その合掌の姿が「天香山の小竹葉(おさば)を互いに結び
   合わした格好をする」という風に書かれているのであります。

   そうして合掌して、天之石屋戸(あまのいわやど)の前に坐して神想観して、
   心が空っぽのように全然雑念妄想をなくしてしまうのが
   『汗氣伏(うけふ)せて』であります。

   「汗氣」とあるのは、ただ音標文字として「空桶(うけ)」を表現するために、
   その発音を利用したのであります。

   自己がなくなり、我執妄想が去りますと、神が来臨せられることになり、
   霊媒的な人に於いては霊動が起こることがあります。
   我の霊動ではなく無我の霊動であり、自由ダンスが行なわれる、
   これが『蹈(ふ)みとどろこし、神懸(かみかが)り爲(し)て、
   胸乳(むなぢ)を掛(か)き出(い)で』であります。

   そしてほと(陰部)だけには衣装の帯がその上に垂れさがっているというのが
   『裳緒(もひも)をほとに忍(お)し垂(た)れき』であります。

   この天宇受賣命(あめのうずめのみこと)の自由ダンスを見て、
   八百萬の神々はみなともに哄然(こうぜん)と咲(わら)ったというのであります。


   以上、天照大御神が天之岩屋戸(あまのいわやど)にお隠れになったために
   世界が暗黒化してしまったのを、再びこの世に天照大御神を喚招(かんしょう)し
   奉って、この世を光明化するための行事を行なったのでありますが、
   その行事をわかりやすくするために要約しますと、大体次のようになります。

   一、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を啼かす。
      (常住不変の實相世界の真理を宣布する)

   二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
      (現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

   三、弥栄(やさか)の眞輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋ける。
     (實相世界はすべての魂が眞(まこと)に輝いていて美しく、
      各々の魂は孤立分離していないで、一つの玉の緒によって統一された
      大調和の世界であることを観ずる)

   四、實相世界の眞栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
      (現象が如何に暗黒に見えていても其の暗黒を見ないで、
       實相の根元世界の光明遍照の有様をジッと観ずる)

   五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って
     下枝(しずえ)につける。
       (人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

   六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀して祝詞をあげる。
      (“大生命”及び祖先の生命をお祀りして聖経又は祝福の祭文を読誦する)

   七、天手力男神(あめのたぢらおのかみ)をして待ちもうけさせる。
      (機会をはずさず断行の決意をする)

   八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、
     天之眞拆(あめのまさき)を鬘(かずら)として……云々。
      (心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

   九、踏みとどろかし、神懸(かんがか)りする。
      (いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。
       その指示のまにまに、自然に行動する)

   十、八百萬(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
      (暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、
       明るい笑顔をもって行動する)


(2)天照大御神は実相界の主神

   以上、十箇条が、人生の暗黒を去り、光明を再び呼び迎えるために
   必要な事項であると『古事記』は示しているのであります。

   そうするといよいよ天照大御神が天之岩屋戸からお出(で)ましになりまして
   この世が明るくなるのであります。
   この事を『古事記』は次の如く書いております。


     “是(ここ)に天照大御神怪(あや)しと以為(おも)おして、
     天石屋戸(あまのいわやど)を細(ほそ)めに開きて、内より告(の)り
     たまえるは、吾が隠(こも)り坐(ま)すに因(よ)りて、
     天原(あまのはら)自(おのず)から闇(くら)く、

     葦原中国(あしはらのなかつくに)も皆闇(くら)けむと以為(おも)うを、
     何由(など)て天宇受賣(あめのうずめ)は樂(あそ)びし、
     亦八百萬神(やおよろずのかみ)
     諸々(もろもろ)咲(わら)うぞ、とのりたまいき。

     爾(すなわ)ち天宇受賣、汝(な)が命(ながみこと)に益(まさ)りて
     貴(とうと)き神坐(い)ますが故に歓喜咲(えらぎ)樂(あそ)ぶ、
     と白言(もう)しき。

     如此(かく)言(もう)す間に、天児屋命(あめのこやねのみこと)
     布刀玉命(ふとたまのみこと)、其の鏡を指し出でて、
     天照大御神に示(み)せ奉る時に、

     天照大御神、逾(いよいよ)奇(あや)しと思おして、
     稍(やや)戸(と)より出でて、臨(のぞ)み坐(ま)す時に、
     其の隠り立てる天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、
     其の御手を取りて引き出(いだ)しまつりき。

     即ち布刀玉命(ふとたまのみこと)、尻久米繩(しりくめなわ)を
     其の御後方(みしりえ)に控(ひ)き度(わた)して、
     此(ここ)より内(うち)にな還(かえ)り入りましそと白言(もう)しき。

     故(かれ)天照大御神出(い)で坐(ま)せる時に、
     高天原(たかあまはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も、
     自(おのず)から照り明(あか)りき。”

                  (天石屋戸<あまのいわやど>の段<くだり>)
                      

   このように、まだ光が現象界にあらわれていなくとも、
   「既に光がある。立派なものがある。嬉しい、楽しい」と悦んで、
   神々及び祖先を祀って、明るい気持でいると、本当の光(天照大御神)が
   実相世界の扉をひらいて現象化してあらわれて来られるという原理が
   爰(ここ)に説かれているのであります。

   これが光明思想の実践であります。

   日本民族は本来、光明思想をもっていたので、どんな暗黒に面しても、
   その奥にある光明を見つめて、大祓祝詞(おおはらいのりと)などの言葉によって、
   「暗黒の無」を宣言し、言葉によって罪穢(けが)れを消除して、
   光明世界を築いて行ったのであります。

   そして、岩戸の扉がひらいて、ほんの一寸(ちょっと)、光が射して来たならば、
   その機会を看過(みのが)さずに、断行の勇気を鼓して、実相界の光(天照大御神)
   を現象界にまで引き出し、決して退却しないぞという決意をして、
   後方に尻久米繩(しりくめなわ<〆繩、しめなわ>)をひいて、
   後方の退路を断ち切り、ただ前進あるのみの積極精神を発揮したものであります。

   こうしたならば、最初はちょいと出(で)ていた光も、段々大きくあらわれて来て、
   葦原中国(あしはらのなかつくに=現象界)全体が明り輝くようになるのであります。

   この『古事記』の一節で注目すべき点は
   天照大御神が天之岩屋戸(あまのいわやど)にお隠(こも)りになりましたならば、
   現象界のみならず、”高天原(たかあまはら)”即ち
   ”実相界”も闇(くら)くなったということでありまして、

   天照大御神は決して単なる現象神の護り神であらせられるだけでなく、
   実相界の主神にましますことをあらわしているということであります。

   (第11章 「実相世界の現象化」は、以上で完了です)

・・・


第12章「赤き龍、稲田姫を覘う」は、以下の構成となっております。

(1)須佐之男(地球霊)の追放
(2)困難、逆境、失敗も功績への踏石
(3)「黙示録」にあらわれたる赤き龍
(4)八岐大蛇なる赤き龍、日本の稲田姫を覘う
(5)八俣にひろがる”ロシアの智慧”
(6)日本原水協のこと
(7)空飛ぶ円盤が八岐大蛇に呑まれる



第12章「赤き龍、稲田姫を覘う」 (42)
日時:2018年04月06日 (金) 08時04分
名前:伝統

第12章「赤き龍、稲田姫を覘う」

(1)須佐之男(地球霊)の追放

     ”是に八百萬神共に議(はか)りて、速須佐之男命に、千位置戸(ちくらおきど)
     を負(お)わせ、亦鬚を切り、手足の爪をも拔かしめて、神やらいやらいき”


   さていよいよ天岩戸の扉石(とびらいし)ひらかれて天照大御神がお出ましに
   なりますと、高天原も葦原中國(あしはらのなかつくに)も、
   自然と明るくなったというのであります。

   高天原というのは「實相の世界」(生命<せいめい>の世界)であり、
   黄泉國(よもつくに)というのは「陰府(よみ)」とか「冥途(めいど)」とか謂い、
   暗黒の世界、死の世界であります。

   「生命(せいめい)の世界」の光が「暗黒の世界」に射し来って
   明暗の交錯せる中間の現象世界が葦原中國(あしはらのなかつくに)であります。

   つまり、天照大御神の御出現によって
   高天原も中國(なかつくに)も明るくなったということは、
   天照大御神は實相世界の主宰神であらせられることをあらわしております。

   さて、天照大御神が天岩屋戸にお隠れになる原因となった須佐之男命はそ
   の乱行の責任を問われて、『千位置戸(ちくらおきど)を負(お)わせられる』
   即ち数多き罪の譴(とが)めを負わせられて
   (註・置戸<おきど>は置咎<おきとが>めである)

   もうそのように乱暴はいたしませんと、
   乱暴の原因になる武装解除をさせて追放せられたというのが
   『鬚を切り、手足の爪をも拔かしめて、神やらいやらいき』というので
   あります。


     ”又食物(またおしもの)を大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)に乞いたまいき。
     爾(ここ)に大氣都比賣、鼻口(はなくち)また尻より、種種(くさぐさ)の
     味(うま)き物(著者註・”たなつもの”と讀む人もある。
     そのように讀めば種の生ずる穀類のことである)を取り出でて、

     種種作(つく)り具(そな)えて、進(たてまつ)る時に、
     速須佐之男命其の態(しわざ)を立ち伺いて、穢汚(きたな)きもの奉る
     と爲(おも)おして、乃(すなわ)ち其の大宜津比賣神を殺したまいき。

     故(かれ)殺さえたまえる神の身に生(な)れる物は、
     頭(かしら)に蠶(かいこ)生(な)り、
     二つの目に稻種(いなだね)生(な)り、
     二つの耳に粟(あわ)生(な)り、鼻に小豆(あずき)生(な)り、
     陰(ほと)に麥(むぎ)生(な)り、尻に大豆(まめ)生(な)りき。

     故(かれ)是(ここ)に神産日御祖命(かみむすびみおやのみこと)、
     茲(これ)を取らしめて、種(たね)と成したまいき。”
        (以上、須佐之男命御被避<みやらはえ>の段<くだり>)


   だいたい須佐之男命は「海原(うなばら)」即ち地球の司(つかさ)であり、
   地球の霊魂であります。

   それが亂行をして、
   『山川(さんせん)悉(ことごと)に、國土(くにつち)皆震(ゆ)りき』
   というふうになったのは、地球の生成の過程に於いて最初は、
   地球が全部海水に覆われていて「海原(うなばら)であったのが、

   やがて火山の爆發や地震、海瀟(つなみ)などが頻々(ひんぴん)として起こり、
   その立ちのぼる噴煙や雲霧(うんむ)によって太陽が見えなくなったのが、
   天照大御神の天岩屋戸への御退避であり、その地球の大變動がやや鎮まって來たのが、
   天照大御神が天岩屋戸からの出御というふうに象徴物語が書かれているのであります。

   そして、地球の霊たる須佐之男命の鬚を切り、手足の爪を拔いて武装解除の姿になって
   あらわれたのは、地球が大分安定状態になり、火山爆發の噴煙や地震、津波などの
   荒々しい状態が一應落ち著いたことを示しております。


(2)困難、逆境、失敗も功績への踏石


   さて、須佐之男命(地球の霊)が大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)に食物を
   たてまつるように乞われたというのは、
   一応火山爆発、地震等による急激な地殻の変動がなくなったら、
   その後の自然の作用として地上にはいろいろの植物が発生することになり、
   その中(うち)にもいろいろの人間の食物に適する穀物が発生したということを
   あらわしております。

   大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)というのは既に説明したことがありますが、
   宮中の賢所(かしこどころ)に祭祀してある御膳津神(みけつのかみ)と同一の神で
   あります。

   神様におそなえするお酒を神酒(みき)といい、
   神様におそなえする食物を御食(みけ)と申します。

   それで御膳津神(みけつのかみ)は、神様におそなえする食物調達の神様であります。
   豊受大神宮にお祀(まつ)りしてある神様も、この神と同体の神であり、五穀豊穣の
   天地自然の霊気(造化のハタラキ)を人格化して神様として表現されている
   のであります。

   ですからここでは天地に存する生命(せいめい)の出口を表現するために、
   それを大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)の、鼻や口や尻をもって
   表現されているのであります。

   この神を須佐之男命は斬り殺されましたが、
   造化のハタラキというものは殺しても殺しても
   殺し切れるものではないことを表現しているのであります。

   日本人は常に「破壊」や「死」の現象の中にも、
   破壊されざるものを見たのであります。

   それだから、大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)を斬り殺したかと見ると、
   その殺されたと見える御体(みからだ)から、蚕が生じ、稲が生じ、粟が生じ、
   小豆が生じ、麦が生じ、大豆が生じたのでありますから、
   まったく素晴らしいのであります。

   須佐之男命も追放されたかと見ると、
   その追放が次なる功績を遂げる一つの踏石になっているのであります。

   諸君も、どんな困難や、失敗や、逆境が来ようとも、それを次なる功績の足場として
   積極的に前進していただきたい。これが日本精神であります。


     ”故避追(かれやらわ)れて、出雲國の肥河上(ひめかわかみ)なる
     鳥髮(とりかみ)の地(ところ)に降(くだ)りましき。
     此の時(おり)しも箸其(はしそ)の河より流れ下りき。

     是(ここ)に須佐之男命、其の河上(かわかみ)に人有(ひとあ)りけりと
     以爲(おも)ほして、尋覓(ま)ぎ上(のぼ)り往(い)でましかば、
     老夫(おきな)と老女(おみな)と二人在りて、
     童女(おとめ)を中に置(す)えて泣くなり。

     汝等(いましたち)は誰ぞと問い賜えば、其の老夫(おきな)僕(あ)は
     國神(くにつかみ)、大山津見神の子なり。

     僕(あ)が名は足名椎(あしなづち)、
     妻(め)名は手名椎(てなづち)、女(むすめ)が名は
     櫛名田比賣(くしなだひめ)と謂(もう)すと答言(もう)す。

     亦(また)汝(いまし)の哭(な)く由(ゆえ)は何(なに)ぞと問いたまえば、
     我(あ)が女(むすめ)は本(もと)より八稚女(やおとめ)在りき。

     是(ここ)に高志(こし)の八俣遠呂智(やまたのおろち)なも、
     年毎(としごと)に來て喫(く)うなり。
     今(いま)其(そ)れ來(き)ぬ可(べ)き時(とき)なるが
     故に泣くと答白言(もう)す。

     其の形は如何(いかさま)にかと問いたまえば、
     彼(それ)が目は赤加賀智(あかかがち)如(な)して、
     身一つに八頭(やつのかしら)八尾(やつのお)有り。

     亦其の身に蘿(こけ)また桧榲(ひすぎ)生(お)い、其の長さ度谿八(たにや)
     谷峽(たにお)八尾(やお)に度(わた)りて、其の腹を見れば、
     悉(ことごと)に常(いつ)も血(ち)あえ爛(ただ)れたりと答曰(もう)す。

     爾(かれ)速須佐之男命の老夫(おきな)に、是(これ)汝(いまし)の
     女(むすめ)ならば、吾に奉らんやと詔(の)ちたまうに、
     恐(かしこ)けれど御名(みな)を覺(し)らずと答白(もう)せば、

     吾(あ)は天照大御神の伊呂勢(いろせ)也(なり)。

     故(かれ)今(いま)天(てん)より降(くだ)り坐(ざ)しつと
     答詔(こた)えたまいき。
     爾(ここ)に足名椎手名椎神(あしなづちてなづちのかみ)、
     然(し)か坐(ま)さば恐(かしこ)し、立奉(たてまつらむ)
     と曰(もう)しき。”

                          (八俣遠呂智の段<くだり>)

   さて須佐之男命は、千位(ちくら=多く)の置譴(おきとが)を背負わされて追放
   されたのでありますが、元来、地球の霊魂であらせられますから、地球以外の何処
   (どこ)にも行くところはない。

   それで須佐之男命は、”地球の霊魂”として地球内部に鎮座せられたところから
   追放されて地球表面の現象活動に移られたのであります。

   そこで出雲國においでになったというのは、地球上の出雲(いずくも何処も彼処も
   一切処)においでになったのであります。

   肥河上(ひめかわかみ)においでになったことは、”日(ひ)の源(みなもと)”
   即ち”日本(ひのもと)”を中心に世界を治めようとせられたのであります。

   そして流れて来る箸(橋に通ずる、此岸と彼岸徒を渡す橋である。此岸は現象界で、
   彼岸は實相界である。現象界と實相界とをつなぐ橋である)によって
   現象界に導かれておいでになりましたら、其の現象の”日本(ひのもと)”は
   實に危機に瀕していたのであります。

   (註・神話は時間を超越した世界にある”心的原型”<映画のフィルムに当るもの>
   を古代人が感受して、それを象徴的に表した物語でありますから、古代に伝えられた
   象徴物語に、現代の模型があるのであります)

   そこに二人の老夫(おきな)と老女(おみな)がいて斯ういって嘆いているのです。

   「私には8人の娘があったが、7人とも八岐大蛇(やまたのおろち)にくわれて
   しまって、あとにのこるのはこの櫛名田比賣(くしなだひめ)一人だのに、それを
   今年はいよいよ取って食いに来る。ものこの娘・櫛名田比賣が八岐大蛇にくわれて
   しまったらあとにひとりも残らないのです」といって泣いているのである。

   そこで須佐之男命が「その大蛇(おろち)というのはどんな形をしているのか」と
   お尋ねになりましたならば、

   「その目は、赤い酸醤(ほおずき)<赤加賀智>のように真赤であり、
   胴体は一つだが、頭も八つ、尻尾も八つあり、腹も真赤に血でただれている
   赤い大蛇でありまして、それが地球全体を取り巻いているのです」

   と答えたのです。

   (註・谿八谷(たにやたに)、峽八尾(おやお)を度(わた)るというのは、
   ”八”は”弥”でありイヨイヨ大きいことを、谷も山も越えて地球を取り巻く
   森林全体が、謂わば、この八岐大蛇みたいなもので、
   その身体(からだ)には檜や杉が一杯はえているというのである)

   大蛇(おろち)、蛇(へび)、赤き龍(たつ)などは諸国の神話に
   サタン又は悪魔の象徴としてあらわされているのであります。

   旧約聖書の「創世記」第二章にも、蛇が人類の祖先たるイヴとアダムとを欺いて
   「智慧の樹の果」をたべさせたところに、
   「人類の楽園追放」が始まっているのであります。

   この蛇を捉えて底なき所に投げ入れて封印することによってのみ、人類は再び
   ”エデンの楽園”に還(かえ)って来ることができるのであります。


(3)「黙示録」にあらわれたる赤き龍(たつ)

   「黙示録(もくしろく)」第二十章には次の如く書かれております ――

   「我また一人の御使(みつかい)の底なき所の鍵と大(おおい)なる
   鎖(くさり)とを手に持ちて、天より降(くだ)るを見たり。

   彼は龍(たつ)、すなわち悪魔たりサタンたる古き蛇を捕らえて、
   之(これ)を千年のあいだ繋(つな)ぎおき、底なき所に投げ入れ閉じ込めて、
   その上に封印し、
   千年の終わるまでは諸国の民(たみ)を惑(まど)わすこと勿(なか)らしむ。

   ・・・・・千年終わりて後(のち)サタンは其の檻(おり)より解(と)き放たれ、
   出(い)でて地の四方(ほう)の国の民、ゴグとマゴクとを惑わし
   戦闘(たたかい)のために之を集めん、その数は海の砂のごとし。

   斯くて彼らは地の全面に上(あが)りて聖徒(せいと)たちの陣営と
   愛せられたる都(みやこ)とを圍(かこ)みしが、天より火くだりて
   彼等を焼き盡(つく)し、彼らを惑わしたる悪魔は、
   火と硫黄(いおう)との池に投げ入れられたり。

   ここは獣(けもの)も偽(にせ)預言者もまた居(お)る所にして、
   彼らは世々(よよ)限りなく昼も夜も苦しめらるべし。

   我また大なる白き御座(みくら)および之(これ)に坐(ざ)し給うものを見たり。
   天も地もその御顔(みかお)の前を遁(のが)れて跡(あと)だに見えずなりき。
   我また死にたる者の大なるも小なるも御座(みくら)の前に立てるを見たり。

   而(しか)して数々の書展(ふみひら)かれ、
   他(ほか)にまた一つの書(ふみ)ありて展(ひら)かる、
   即ち生命(いのち)の書(ふみ)なり、死人は此等(これら)の書に
   記(しる)されたる所の、その行為(おこない)に随(したが)いて
   審(さば)かれたり。

   海はその中にある死人を出(いだ)し、死も陰府(よみ)もその中になる死人を
   出(いだ)したれば、各自(おのおの)その行為(おこない)に隨(したが)いて
   審(さば)かれたり。

   斯(かく)て死も陰府’よみ)も火の池に投げ入れられたり、
   此の火の池は第二の死なり。
   すべて生命(いのち)の書(ふみ)に記(しる)されぬ者は、
   みな火の池に投げ入れられたり。」     (1一3節 7一15節)


(4)八岐大蛇なる赤き龍、日本の稲田姫を覘う

   兎(と)も角(かく)、こうして”赤き龍(たつ)”又はサタンは、
   地球全體(ちきゅうぜんたい)を取りまいて八人の稚女(おとめ)のうち、
   七人までを食いつくしてしまったのであります。

   これは赤い思想によって世界の君主という君主の「七つ(すべて)」が
   滅びてしまって、あとに日本の天皇のみが残っているが、
   その天皇の位置も風前(ふうぜん)の燈火(ともしび)のようで、
   いつ八岐大蛇(やまたのおろち)なるサタンに食われてしまうか分からない
   状態なのであります。

   櫛名田比賣(くしなだひめ)というのは、
   霊(く)妙(し)稲田姫(いなだひめ)でありまして、
   「奇(く)し」とは霊妙(れいみょう)なこと、

   稲田姫とは稲田(いなだ)の栄える瑞穂(みずほ)の国の、未だどこの国にも
   汚された事のない處女(しょじょ)の如き神聖(しんせい)な国即ち
   日本国の 魂(たましい) のことなのであります。

   ”地球の主宰霊(しゅさいれい)”なる須佐之男命(すさのおのみこと)は、
   この日本国を護らんがための騎士となるべく
   「是(こ)れ汝の娘ならば私に下さってはどうですか?」と
   結婚を申し込まれたのであります。
   此処に”地球の主宰霊”の御心と一致するものなのであります。


     ”爾速須佐之男命(かれはやすさのおのみこと、
     乃(すなわ)ち其の童女(おとめ)を
     湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に取り成(な)して、御(み)みずらに刺して、
     其の足名椎手名椎神(あしなづちてなづちのかみ)に告(の)りたまわく、

     汝等(いましたち)、八鹽折之酒(やしおおりのさけ)を醸(か)み、
     且垣(またかき)を作り廻(もとお)し、其の垣(かき)に
     八つの門(かど)を作り、
     門毎(かどごと)に八(や)つのさずきを結(ゆ)い、

     其のさずき毎(ごと)に、酒船(さかぶね)を置きて、
     船毎(ふねごと)に其の八鹽折酒(やしおおりのさけ)を
     盛(もと)りて待ちてよとのりたまいき、

     故(かれ)告(の)りたまえる隨(まま)にして、
     如此(かく)設(ま)け備えて待つ時に、其の八俣遠呂智(やまたのおろち)、
     信(まこと)に言いしが如来(ごとき)つ。

     乃(すなわ)ち船毎に己頭(おのもおのもかしら)を垂入(たれ)て、
     其の酒を飲みき、是(ここ)に飲み酔いて、皆伏(みなふ)し寝たり。

     爾(すなわ)ち速須佐之男命(はやすさのうおのみこと)、
     其の御佩(みは)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、
     其の蛇(おろち)を切り散(ほう)りたまいしかば、
     肥河血(ひのかわち)に變(な)りて流れき。

     故其(かれそ)の中尾(なかお)を切りたまう時、御刀(みはかし)の刃(は)
     毀(か)けき。怪しと思おして、御刀(みはかし)の前以(さきも)ちて、
     刺(さ)し割(さ)きて見そなわししかば、
     都牟刈(つむがり)の太刀(たち)在(あ)り。

     故此(かれこ)の太刀を取らして、異(あや)しき物ぞと思おして、
     天照大御神(あまてらすおおみかみ)に白(もう)し上げたまいき。
     是(こ)は草那囈之太刀(くさなぎのたち)也(なり)。”
                (八俣遠呂智<やまたのおろち>の段<くだり>)


   湯津爪櫛(ゆつつまぐし)というのは五百津連全櫛(いほつつまぐし)で、
   数多くの櫛(くし)歯が全體にギッシリ連(つま)っている櫛の事であります。
   『取り成して』の「成(な)して」は「化(け)して」という意味であります。

   そこで須佐之男命(すさのおのみこと)は櫛名田比賣(くしなだひめ)を
   湯津爪櫛(ゆつつまぐし)の形に変化させて姫を大蛇(おろち)から
   見つからないように、
   ”みみずら”に結(ゆ)っていられる御自分の髪に櫛として刺されまして、

   その両親なる足名椎手名椎(あしてなづちてなづち)の神にむかって、
   「お前たちは八鹽折(やしおおり)の酒を醸(かも)して、
   垣(かき)をつくりめぐらし、其の垣に八ヵ所入口をつくって、

   その入口毎(いりぐちごと)に桟敷(さじき)のような臺(だい)をつくり、
   その桟敷毎(さじきごと)に、酒槽(さかぶね)を置いて、
   各々の酒槽(さかぶね)に、その八鹽折の酒を一杯入れて、
   八岐大蛇(やまたのおろち)のくるのを待っていなさい」
   といわれました。

   そこで須佐之男命(すさのおのみこと)の仰せられる通りにしてまっていましたら、
   八岐大蛇が本当にやって来たのであります。

   そして、八つの首を八つの酒槽に突っこんでその強い酒を飲み
   酔っぱらってグッスリ眠ってしまったのであります。

   そこで須佐之男命は佩(お)びておられる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて
   八岐大蛇を切り殺された。

   そして大蛇(おろち)の中の尾を切ろうとなさいますと、カチリと音がして、
   十拳剣(とつかのつるぎ)が毀(か)けたので、これは変だと思って剣(つるぎ)
   の先でその部分を切り割(さ)いて見ますと、

   切れ味のよい素晴らしい太刀が出て来たのでこれは珍しいものだとお考えになって、
   その発見の経緯(いきさつ)を申し上げて天照大御神に献上(けんじょう)せられた。

   これが後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と称せられる太刀(たち)であります。


(5)八俣(やちまた)にひろがる、ロシアの知恵

   さて「古事記」は、八岐大蛇(やまたのおろち)のことを、
   「八俣遠呂智」(やまたのおろち)と預言的にその性格を説明しているのであります。

   八俣遠呂智とは、現代に於いては、八俣(やちまた)にひろがる
   「遠き呂シアの知恵」であるマルキシズムのことを表しております。

   それには澤山の頭(かしら)や尾(お)があるのです。

   それはマルキシズム運動の前衛または、フロント、と称せられているものであって、
   一見(けん)、単なる人類愛的な平和運動のような形をしていながら
   世界の国々を呑みほすため前衛又は後衛部隊を形成しているのであります。

   その一例を挙げますと、日本原水協がそれであります。


(6)日本原水協のこと

   これは昭和29年3月のビキニ水爆被災事件を契機として、
   安井郁氏(やすいかおる)を事務総長として出発したもので、最初はその趣意書に、

   「原水爆の脅威から、生命と幸福を守ろうとする全国民運動であり、
   さまざまな立場と党派の人たちが、この一点で一致するところに重要な意義があり、
   したがって、一切の党派的、個人的エゴイズムによって汚されてはならない」

   と書いてあったのです。

   世人はこれを不偏不党の国民運動だと思って、それに同意する人が多く、
   比較的短時日に2千万人以上の原爆反対の署名をかち得たのでしたが、

   その後、ウィーンで開かれた世界平和評議会(註・共産系)に安井郁氏が招かれて
   出席するに及んで、それが不偏不党の国民運動でなくなり、
   原水爆問題をとり上げることによって西欧陣営のみを攻撃し、

   ソ連のそれには少しも触れずにいる、
   ”遠呂智(おろち)”的性格を帯びて来たのであります。

   そして昭和34年8月2日より1週間、広島で開かれた第5回世界大会には、
   アメリカ、西独、イギリス、フランス、インド、ソ連、東欧諸国など
   36カ国88名の外人代表を含めて、約1万人が集まり、広島アピール、
   国民アピール、科学者アピール、などが採択されて盛会であったが、

   この大会の途中、西ドイツ、イギリスなどの代表5名が
   「大会の核武装禁止の攻撃対象が、もっぱら西欧に向けられていることは
   政治的偏向だし、不合理だ。なぜソ連をふくめて
   核武装禁止をつよくアピールしないのか」と主催者側につめより、
   政治的偏向の原水禁運動では意味がないと大会を脱退した一幕もあった
   のであります。

   ついで原水協は次第にその左翼偏向を明かにし、
   日教組の「勤評反対」をも支援し、安保改定問題のときにも、
   「安保改定は日本の核武装と海外派兵につながる」といって
   安保改定を著しく妨害した。

   そして安井郁氏理事長は35年2月21日、中共(ちゅうきょう)を訪問して
   北京で大いに歓迎され中共側代表の寥承志氏(りゅうしょうしし)から

   「安井先生を理事長とする日本原水協は、多年にわたる核兵器禁止のため、
   また日本の核武装に反対し、日本をアメリカの核武装基地に変えようとする
   アメリカ帝國主義と日本反動派のたくらみに反対してたゆみない努力を続け、
   重要な貢献をしてきました。

   日米安保条約に反対する幅ひろい大衆運動のなかで、
   日本原水協は日本の民主・平和団体および平和を愛する日本人民とともに、
   積極的に闘争をくりひろげて来ました」
   とその反米運動の功績をたたえられて得意になった。

   そして安井氏はソ連からは同じような意味で、
   「国際平和レーニン賞」をさずけられているのである。

   その代わり原水協の偏向振りが明らかになったために、毎年広島で開催されていた
   原水協の例大会を広島市民が拒絶して広島で開催できなくなり、
   東京都体育館で開催したりしているのであります。

   このように、共産陣営のフロントはなかなかカムフラージュが巧みであって
   一見人類愛的平和運動と見せかけながら天皇制反対、親ソ反米、
   憲法改正反対などの線をいつの間にか打ち出して、
   その方向に日本国民を誘導しているのであります。



(7)空飛ぶ円盤が八岐大蛇に呑まれる

   ( 前半部分、文脈上、一時的に省略しました。後日追加予定 )



   (P200、6行目より)
   共産陣営の侵略方式の巧妙さは最初は純粋な平和運動又は人類愛運動に見せかけて
   置いて、だんだんその運動が発展するに従って遠呂智(オロシアの智恵)が
   呑み込んでしまって、日本的愛国運動がいつの間にか裏返しになって
   ソ連又は遠呂智を祖国とする反日本的運動と摺りかえられることである。

   だから諸君はいろいろの平和運動らしい名目の団体にまどわされることなく、
   純粋の生長の家運動をわき目もふらず推進すべきであって、

   生長の家によく似た宗教運動だとか教育運動だと思って、
   それに興味をそそられていると、いつの間にか反日本的運動に摺りかえられていた
   というようなことのないようにすべきである。
   君子は危うきに近づかずであります。

   
   ともかく、八岐遠呂智(やまたのおろち)には「八つの頭(かしら)」即ち
   「多数のフロント」があって此処には書き切れないが、かって
   「アジア人民反共連盟京城臨時大会」で日本の千葉代表が語ったところを
   北岡壽逸氏(きたおかじゅいつし)が次の如く要約しているのは、
   現在の日本のフロントの紹介としては簡単で要を得ているので
   引用すると、

   「①日本では、新聞雑誌並びにマスコミが共産党に支配せられ、
   殊に1500人の会員を有する新聞雑誌編集者の集まりである日本ジャーナリスト
   会議は、大部分共産党員で中共に支配されていること。

   ②彼らの影響によって、日本人は共産党の実態を知らず、
   反共の闘士は保守反動の烙印を押されること。

   ③世界に勇名を轟かせた全学連は、其の後勢力減退して、
   共産党員は二千人となったこと。

   ④これにかわって新しく勃興したものは民主青年同盟で、その数は8万人に達し、
   そのスローガンは、”共に歌おう。共に楽しもう。共に闘おう”と言うにあり、
   そして性の解放によって、一は若者をこの運動にひきつけ、一はこれによって
   国民道徳の退廃を目標としている。

   ⑤日本に於いて最も、著しい現象は、
   公務員に1万2千人の共産党員がいることである。
   そのうち6千人は、小中学の教師であって、
   これは日本の前途に対する脅威である・・・。」


   このように櫛名田姫(くしなだひめ)を呑みほそうとしている遠呂智(おろち)
   (「目示録にあらわれたる赤き龍」)は八方にその恐怖すべき首をのばしている
   のであるから、

   しかも表面は平和運動、人類を愛する運動、
   子供を愛する運動の仮面をかぶっているのであるから、
   諸君はそれらに誘惑せられないように充分警戒を要し、ひたすら生長の家の
   人類光明化運動ひとすじに邁進せられんことを繰り返し希望する訳である。


・・・

第13章「国際情勢の預言」は、以下の構成となっております。

(1)霊魂安住の地

(2)大国主神の御誕生

(3)稲羽の白兎

(4)国際情勢の預言




第13章 国際情勢の預言 (44)
日時:2018年04月25日 (水) 02時51分
名前:伝統

(1)霊魂安住の地

     故是(かれここ)を以(も)て其の速須佐之男命(はやすさのおのみこと)、
     宮造作(みやつく)る可(べ)き地(ところ)を、出雲国(いずものくに)に
     求(ま)ぎたまいき。

     爾(ここ)に須賀(すが)の地(ところ)に到り坐(ま)して
     詔(の)りたまわく、
     吾此地(あれここ)に来まして、我(あ)が御心(みこころ)すがすがしと
     のりたまいて、其地(そこ)になも宮作りて坐(ま)しましける。

     故其地(かれそこ)をば、今に須賀(すが)とぞ言う。
     この大神初(おおかみはじ)め須賀宮作(すがのみやつく)らしし時に、
     其地(そこ)より雲立(くもた)ち騰(のぼ)りき。

     爾御歌作(かれみうたよみ)したまう。其歌曰(そのみうた)は、   


         やくもたつ 出雲やえがき つま隠(ご)みに
            やえがきつくる   そのやえがきを

     
     是(ここ)に其の足名稚神(あしなづちのかみ)を喚(め)して、
     汝(いまし)は我(わ)が宮の首任(おびとた)れと告言(の)りたまい、
     且名號(またな)を稲田宮主須賀之八耳神
     (いなだのみやぬしすがのやつみみのみ)と負(お)おせたまいき。

                      <須賀宮(すがのみや)の段(くだり)>


   須佐之男命(すさのおのみこと)は既(すで)に述べました通り
   地球の霊魂(れいこん)でありますから、
   地球上の《いずくも(何處も)》にもその霊魂は宿るべきであります。

   《いずくも》を「出雲(いずくも)」と漢字に移して「宮造作(みやつく)るべき
   地(ところ)を、出雲国(いずものくに)に求(ま)ぎたまいき」と
   あるのであります。

   つまり現象界の出雲国は、地球上何處(ちきゅうじょういずく)も
   土地の象徴(シンボル)として存在するのであります。

   それはあたかも、現象界の日本国が、
   実相世界のヒノモトの象徴(シンボル)として存在するようなものであります。

   須賀の地(ところ)は、現象界では島根県大原群須賀山のところでありますが、
   すべて霊魂がその当然あるべき位置に於いて安住するところが須賀(すが)の
   地(ところ)であります。

   須は「巣」であり「栖(す)」であり、「住む」であり「澄(す)み」であり、
   心が落ち着いて住み(澄み)切るところであります。

   そうして霊魂はやどるべき其の中心に宿ったときに、
   須賀々々(すがすがしい)心になるのであります。

   人間でも自己の中心に神が宿っているということを自覚したとき本当に
   須賀々々しい気になります。

   その須賀々々しい気持ちは恐らく釈迦が菩提樹の下に坐し
   暁の明星を見ながら悟りをひらかれた心境もこのようであろうかと
   推察せられます。


   そして須佐之男命(すさのおのみこと)は、その須賀々々しい気持ちで、
   雲の立ち騰(のぼ)るのを御覧になってお歌をおよみになったのであります。

    『やくもたつ出雲やえがきつま隠(ご)みにやえがきつくるそのやえがきを』

   「もくもくと雲がたち騰る」という意味が、「八雲立つ」であります。
   「八」は「数多い」という意味であります。

   「その出(い)でた雲が八重(やえ)に垣のように重なって、
   わたしが新婚の妻との愛情を交わす其の生活をあたかもつつみ隠してくれる
   ように八重垣をつくってくれている。
   この八重垣は神の愛の表現でもある、素晴らしい雲ではないか」
   というような意味の歌であります。

   人間は須賀々々(すがすが)しい気持ちになったときに、
   ともすれば心に隙ができるのであります。

   「もうこれで悟った」と思う。
   禅宗では「悟ったと思ったときに、その人は悟っていないのだ」という。

   逆説のようでありますけれども、悟ったと思ったときに
   「無師独覚(むしどくかく)」「《われ》こそは偉いぞ」というような
   増上慢がでて来るのであります。

   
   須佐之男命(すさのおのみこと)は本来、地球の主宰霊でありますから、
   地的な性格、唯物論的な性格をもっておられるのであります。

   それが天照大御神と受霊(うけひ)をせられて天照大御神の和魂(わこん)を
   お受けになりその地的な性格に、天的な霊的な性格が加えられて、

   唯物論を償却して、八岐大蛇(やまたのおろち)
   (いや数多(あまた)のフロントを持つ遠呂智(おろち))
   であるソ連的マルキシズムを征服せられたのでありますが、

   その征服後はいつのまにかアメリカ的な唯物論に陥り、民主主義といいながら
   それは肉体主義の民主主義で肉体的快楽主義にふけって、
   沢山の女性と関係をもって子供を産んでおられるのであります。


   (「古事記」には一々その娶(みあ)いました姫の名前や、
   その姫が産んだ子供の名前が列記してあります。
   それらの女神(にょしん)たちを或る学者は須佐之男命が関係をもった
   女性神(じょせいしん)ではなく、その子がその次の女性神を娶り、
   更にその生んだ子がまた別の女性神を娶りして第六世又は第七世の孫として
   生まれた子供が大国主命だと解釈しておりますが

   「日本書紀」の方では、大国主命は素盞鳴命(すさのおのみこと)の
   第一世の御子とハッキリなっているので、
   第六世、又は第七世の妻神の如く見えている女神は、
   実は須佐之男命の妻神だとみとめられます。

   ここにはその多くの神名の部分の「古事記」の原文は繁瑣(はんさ)になるので
   書かないでおくことにします)

   
   そして最後に刺国大神(さしくにおおのかみ)の女(むすめ)、
   刺国若比賣(さしくにわかひめ)と通じて生みたまうた子が
   有名な大国主神であります。
   「古事記」には次の如く書かれております。



(2)大国主神の御誕生

     ”刺国大神(さしくにおおのかみ)の女(むすめ)、
     名は刺国若比賣(さしくにわかひめ)に娶(みあ)いて、
     生みませる子(みこ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)。

     亦の名(みな)は大穴牟遲神(おおむちのかみ)と謂(もう)し
     亦の名(みな)は葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)と謂し、
     亦の名は八千矛神(やちほこのかみ)と謂し、
     亦の名は宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)謂す。

     并(あわ)せて五名有(みないつつあ)り。
                 <大国主神の御祖(みおや)の段(くだり)>


   父君(ちちぎみ)である須佐之男命(すさのおのみこと)がソ
   連的唯物論の遠呂智(おろち)
   (遠きオロシアの智慧(ちえ)なるマルキシズム)を克服されましたが、

   アメリカ的唯物論は克服し切れないで、人間を肉体と観た上での
   民主主義であるから、肉体の欲望を満足するのが人間の基本人権の自由である
   というので肉体的快楽主義に陥られたので、その生まれた子供は
   大国主命のほかに沢山あるのであります。

   それを「八十神(やそがみ)」というふうに『古事記』には書いてあります。
   そして最後にお産(う)まれになったのが大国主命であります。

   神の名はその御使命またはこの神話に於いて何を象徴しようとしているか、
   その内容をあらわす名前がついているのであります。
   大国主命は、アメリカのような大国の主宰者という意味をもっております。

   「大(おお)」は「多」にも通じまして、「多くの国々の主宰者」という意味
   ―― 即ち「国連の精神」の象徴と考えてもよろしいのであります。

   大穴牟遲神(おおむちのかみ)という神名(しんめい)は
   「多名持神(おおなもちのかみ)」であって多くの名前をもっていられる神
   という意味もあり、また名が多くあるということは
   富が多くあるということであります。

   現代でも富豪の名刺を見ると○○会社重役、○○会社重役社長などと
   多くの名がついております。

   また「大穴(おおな)」は「多くの女性」の象徴とも見ることができるのであります。
   多くの女性をもっていた豊葦原第一(とよあしはらだいいち)の色男の神というのが、
   葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)という神名が象徴する意味であります。

   八千矛神(やちほこのかみ)というのは矛(ほこ)は武器のことで
   八千矛は多くの武器であって、軍備強大なる国を象徴いたします。

   宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)というのは、ウツシは現象界のことであり、
   現象界の国々の国魂神(くにたまのかみ)として大国主命は多くの国々を
   支配しているアメリカ的自由主義陣営を象徴しております。


   アメリカ的民主主義に一応、
   八十神(やそかみ)は世界の支配権を譲ったのであります。

   これを『古事記』は『故此(かれこ)の大国主神の兄弟(みあにおと)
   八十神坐(ま)しき。然れども皆国(みなくに)は大国主神に避(さ)りまつりき』
   と書いているのです。

   「避(さ)りまつりき」とは「退いて譲った」ということであります。
   八十神は国連に於いて一応アメリカ的民主主義の自由陣営に指導権をゆずっている
   国連加盟の数多くの小国たちの象徴であります。彼ら小国は一応アメリカに牛耳られて
   いましたが、やがてソ連側に賛成する小国がふえて来まして、
   八十神は「ソ連側」を象徴することになるのであります。

   何故、八十神たちが大国主命を「避(さ)りまつりた」(遠ざかること)のであるか
   というと、大国主命と八十神との間に一人の姫の争奪戦が行われたからであります。
   その姫というのは稻羽(いなば)の八上比賣(やかみひめ)であります。

   前述の如く大国主命は、大国の主人公アメリカ合衆国を象徴しており、
   稻羽の八上比賣とは、豊葦原(とよはしはら)の稻原に在(ま)す
   八百萬(やおよろず)の神々のうち最も上れたる姫神で日本の国を象徴しております。

   日本国は米国と安保条約を結ばないで、スイスやインドやオーストラリアのように
   中立国となれば、たとい米ソが原水爆戦争をはじめても、それに介入することなしに
   済むというような安易な考えをもつ人がありますけれども、

   それは日本国が八上比賣(やかみひめ)のように美人であることを考えに入れない
   偏った意見なのであります。スイスやオーストラリアやインドやラオスなどは、
   八上比賣のように魅力はないのであります。

   醜婦はしつこく狎れついて来られたら却って迷惑であって、中立宣言してくれたら、
   むしろ厄介拂(やっかいばら)いくらいに考えられるのでありますが、
   美人はそうは行きません。

   引く手あまたであって、誰か決まったしっかりした旦那様がなければ、
   皆のもの(八十神)が彼女を、自分のものにしたいと思って強姦でも
   しかねないのであります。

   日本国は八上比賣のように八百萬(やおよろず)の国々に上(すぐ)れて魅力がある。
   ヨーロッパにも比肩する国がない位すぐれた知能をもった東洋一の工業国であります。
   この国を自分の妻にすることができれば東洋を制することができるのであります。

   だから日本がアメリカと手を握らなければ、八十神のうちの強大な国が、
   多分ソ連や中共が手を握りに来るでありましょう。

   そのことを「古事記」は、八上比賣をめぐる大国主命と八十神との争奪戦のかたちで
   象徴的に書いているのであります。


(3)稲羽の白兎

      ”故此(かれこ)の大國主神、兄弟(みあにおと)、
      八十神坐(やそかみま)しき。
      然れども皆國(みなくに)は大國主神に避(さ)りまつりき。

      避りまつりし所以(ゆえ)は、其の八十神(やそかみ)各(おのもおのも)、
      稻羽(いなば)の八上比賣(やかみひめ)を婚(よば)わんの心有りて
      共に稻羽に行きける時に、大穴牟遲神(おおなむちのかみ)に?(ふくろ)を
      負(お)おせ、従者(ともびと)と爲(し)て、率(い)て往(ゆ)きき。

      是(ここ)に気多之前(けたのさき)に到りける時に、裸(あかはだ)
      なる莵伏(うさぎふ)せり。

      八十神其の莵(うさぎ)に謂いけらく、汝爲(いましせ)んは、
      此の海鹽(うしお)を浴(あ)み、風の吹くに當(あた)りて、
      高山(たかやま)の尾上(おのえ)に 伏してよと言う。

      故其(かれそ)の莵、八十神教(おし)うる従(まま)にして伏しき。

      爾(ここ)に其の鹽(しお)の乾く隨(まにまに)、
      其の身の皮悉(かわことごと)に風に吹き折(さ)かえし故(から)に
      痛苦(いた)みて泣き伏せれば、

      最後(いやはて)に來(き)ませる大穴牟遲神(おおなむちのかみ)、
      其の莵を見て、何由(なぞ)も汝泣(いましな)き伏せると
      言(と)いたまうに…”


   八十神たちは八上比賣(やかみひめ)を得ようと思うものですから、
   大国主命に立派な服装をさせてはならない、権威ある様子をさせて、
   八上比賣が大国主命を尊敬したり、愛着を感じてはならないというので、

   大国主命を荷物かつぎ人夫のように仕立てて、
   一番あとから随行させるというようなことをさせていたのであります。

   そうすると気多之前(きたのさき)に来たときに
   毛皮を剥がれて裸になっている兔が倒れていたのです。

   すると八十神たちは、その兔の苦痛をとってあげるような顔して深切らしく
   「お前がその痛みをやわらげるのには、海水の中にひたって、風に吹きさらされる
   ために高い山の峯の上に臥(ね)ているがよい」と教えました。

   稻羽の兔は教えられたようにいたしますと、鹽水(しおみず)が風に吹かれて
   濃厚になるにしたがって、毛皮を剥がれた肌に滲(し)み込んで痛くて
   たまらないので泣いていたのです。

   そしたら最後に袋をかついで従者(ともびと)のような装(よそお)いでやって来た
   大国主命が、その兔を見て「とういうわけでお前は泣いているのであるか」
   とお問いになりましたら、兔は次のように答えたのであります。


(4)国際情勢の預言

      ”莵答言(うさぎもう)さく、僕淤岐嶋(あれおきのしま)に在りて、
      此の地(くに)に度(わた)らまく欲(ほ)りつれども、度(わた)らん
      因無(よしな)かりし故に、海のわにを欺(あざむ)きて言いけらく、
      吾(あれ)と汝(いまし)と、族(ともがら)の多き少(すくな)きを
      競(くら)べてん。

      故汝(かれいまし)は、
      其の族(ともがら)の在りの悉率(ことごとい)て來て、
      此の嶋より気多前(けたのさき)まで、皆列(みなな)み伏し度(わた)れ。

      吾其(あれそ)の上(うえ)を踏みて、走りつつ読み度らん。是(ここ)に
      吾(わ)が族ともがら)と孰(いず)れ多きとういうことを知らん。

      如此言(かくい)いしかば、欺(あざむ)かえて、列(な)み伏せりし時に
      吾其(われそ)の上を蹈(ふ)みて、読み度り来て、今地(いまつち)に
      下(お)りんとする時に、

      吾汝(あれいまし)は我に欺(あざむ)かえつと言い竟(おわ)れば、
      即ち最端(いやはし)に伏せるわに、我(あ)を捕えて、悉に我(あ)が
      衣服(きもの)を剥(は)ぎき。

      此れに因(よ)りて泣き患(うれ)いしかば、先だちて行(い)でませる
      八十神(やそかみ)の命以(みことも)ちて、海鹽(うしお)を(浴)あみて
      風に當(あた)り伏せれと誨告(おし)えたまいき。

      故教(かれおしえ)の如爲(ごとせ)しかば、我(あ)が身悉(みことごと)に
      傷(そこな)わえつともうす。

      是(ここ)に大穴牟遲神、其の莵に教告(おし)えたまわく、
      今急(いまと)く此の水門(みなと)に往(ゆ)きて、水以(みずも)て
      汝(な)が身を洗いて、

      即ち其の水門(みなと)の蒲(がま)の黄(はな)を取りて、
      敷(し)き散らして、其の上に輾轉(こいまろ)びてば、汝(な)が
      身本(みもと)の膚(はだ)の如(ごと)必(かなら)ず差(い)えなんものぞ
      とおしえたまいき。

      故教(かれおしえ)の如爲(ごとせ)しかば、
      其の身本(みもと)の如(ごと)くになりき。
      此稻羽(これいなば)の素莵(しろうさぎ)という者也(ものなり)。
      今者(いま)に莵神(うさぎがみ)となも謂う。

      故其(かれそ)の莵(うさぎ)大穴牟遲神に白(もう)さく、
      此の八十神(やそかみ)は、必ず八上比賣(やかみひめ)を得たまわじ。
      ?(ふくろ)を負いたまえれども、汝(な)が命(みこと)ぞ獲(え)
      たまわんともうしき。
                     (以上、稻羽の素莵の段<くだり>)

   この「古事記」の原文は、注意して讀をでいただけば、現代語に直さないでも、
   皆さんによく理解(わか)ると思いまして、漢字ばかりの原文を
   假名混(かなま)じりに書くときに、送りガナを現代的に書き改めておくことに
   しました。

   こうして、八上比賣が大国主命に嫁ぐことになったのは、八上比賣を前述の如く
   「魅力ある美人」の如き日本国の象徴として見るとき、

   大国主命をもって象徴する大国なるアメリカが、日本国と手をつないで
   安保改定條約に踏み切った事の預言的表現だとみることができるのであります。

   国連加盟の多くの国々を象徴する八十神も最初、加盟国数が五十数カ国だった間は
   大国主命(アメリカ)を支持していましたが、日米安保改定頃から加盟国に
   アフリカ等の独立小国が加えられて来るにつれ、、

   八十神が大国主なるアメリカにだんだん反抗して、
   アメリカが不利になって来ることを、
   「古事記」はいろいろの象徴的寓話をもって書いているのであります。
   この貼は今後の国際情勢に注目しなければなりません。
          (註:これは昭和43年<初版発行>以前に書かれたものです)


      ”此(ここ)に八上比賣(やがみひめ)、八十神(やそがみ)に答えけらく、
      吾(あ)は汝等(いましたち)の言(こと)は聞かじ。
      大穴牟遲神(おおあなむちのかみ)に嫁(あ)わなと言う。

      故爾(かれここ)に八十神(やそかみ)怒りて、大穴牟遲神を殺さむと
      共議(あいたばかりて)、伯耆國(ほうきのくに)の
      手間山本(てまやまもと)に至りて言いけるは、
      此の山に赤猪(あかい)在(あ)るなり。

      故(かれ)われ共追(どもおい)下りなば、汝待(いましま)ち取れ、
      若(も)し待ち取らずは、必ず汝を殺さんと言いて、猪(い)に似たる
      大石(おおいし)を火似(ひも)て焼きて、轉(ころ)ばし落としき。

      爾追(かれお)い下り、取る時に、
      其の石に焼き著(つ)かえて死(みう)せたまいき。”
                  (手間山の段<くだり> ―― 以下九行略)

   この一節も、ただ物語的叙述で、別にむつかしい事も何もありません。
   八十神(ソ連側)が大穴牟遲神(おおあなむちのかみ)即ち
   大国主命(アメリカ)を窮地に陥れるために、

   「赤い猪を山の上から追いおろすからそれをお前は捕らえよ。
   それをつかまえなかったら、お前を**」と威嚇(いかく)しておいて、
   猪の形によく似た大きな石を火で真赤に焼いて、
   山の頂上から轉(ころ)がし落としたのであります。

   大国主命はそれを捕らえようとして大石を抱きかかえると大火傷(おおやけど)を
   負って死なれたのであります。

   その後、大国主命の母神が、赤貝と蛤(はまぐり)の分泌液をまぜて火傷のあとに
   お塗りになってマジナイをされますと大国主命は麗(うるわ)しき壯夫(おとこ)と
   なって生き甦(かえ)って來られたとあります。

   それからも後も、八十神は大木の割れ目にはさんで大国主命を殺そうとします。
   
   大国主命は、そこから辛うじてのがれ出て須佐之男命のおられる
   根の堅洲国(かたすのくに)においでになり、須佐之男命の御娘須勢理比賣命
   (みむすめすせりひめのみこと)と結婚せられますが、

   そこでも大国主命は、蛇の室(むろや)に入れられて苦しめられたり、
   呉公(むかで)と蜂の室に入れられて苦しめられたりせられますが、
   須勢理姫(すせりひめ)の助言によって助かっておいでになります。

   ・・・そのほか須佐之男命からいろいろの試練を課せられますが、ついに八十神を
   追い伏せ、追いはらいて、その試練に及第せられて須勢理姫を
   正妻(嫡妻)(むかいめ)とせられたとあります。

   須勢理姫は須佐之男命の娘でありますし、大国主命は須佐之男命の
   幾代(いくだい)も後の孫ということになりますと、
   この夫婦関係は年齢の上から無理でありますので、

   「日本書記」の記述の如く、私は大国主命は須佐之男命の御子であるとするのが
   正しいと思います。

   人口の少ない古代に於いては兄弟結婚ということは、
   あるべき當然としてあったのであって、
   別に道徳的に罪悪ではなかったのであります。

   無論これは象徴的神話でありますが、今後、アメリカを象徴する大国主命と
   国連のソ連側小国群を代表する八十神との関係はどうなるでありましょうか、
   興味津々(きょみしんしん)たるものがあるのであります。

   (第13章 「 国際情勢の預言」は、以上で完了です)

・・・

   (次回は、第14章「久遠金剛不壊の皇位の現成」の紹介に入る予定です)

第14章は、以下の構成となっております。

(1)「國」は先ず「理念の世界」にある

(2)太陽の靈気と地球の靈気との交合

(3)久遠金剛不壊の皇位の現象化

(4)寶鏡(みかがみ)の神勅(しんちょく)(宇宙意志による日本の建國)



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