第一章 此の世界の成立ちは? (47) |
- 日時:2019年10月05日 (土) 05時41分
名前:伝統
第一章 此の世界の成立ちは? (P2~13)
世界は心の「思い」でつくられた(P2~3)
人間は自分の思いで、一歩一歩、自分の運命をきずいて行きます。 国の運命も、その国の人々の思いで、築いて行くのです。 築くばかりではない、こわしても行くのです。 その人が自分の思いの善し悪しを知っておろうが、知らずにおろうが、 こわす思いは自分をこわし、生かす思いは自分をも生かすのです。
何よりも知らなければならないことは、 この世界は、「思い」でつくられていると云うことなのです。
神様がこの世界をおつくりになったのも、 神さまが心の中に先ずどんな世界をおつくりになろうかと お考えになったその「思い」によってつくられたのです。
「思い」どおりになったのがこの世界なのです。
「思い」と云うのは生命の動きでありまして、 生命の動きをコトバとも申します。
何でも考えるのは心のコトバを思い浮かべるのでありますから、 「思い」でこの世界が造られたと云うことは、 この世界がコトバで造られたと云うのと同じであります。
神様はこの世界をおつくりになって、 七日目にお休みになったと聖書には書いてあります。
これは神様は世界の大きな部分をお造りになりまして、 あとは自分の生命(いのち)をつぎ込んで神様自身のお姿に つくられた人間に一切のことをおまかせになりまして、
自分みずからは、人間のことに直接には干渉(おせっかい)しないことにして、 お休みになったことを云ったものであります。
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人間の運は自分でつくる(P3~5)
そこで神様にすべてのことをまかせられた人間は、 人生(このよのくらし)の主人公となったのであります。
人間は自分で自分の主人公なのです。 人間は奴隷ではないのです。
人間は自分の運を自分でつくるのであって、 人間の運と云うのは、よそから勝手にやってくるのではなく、 われわれの命ずるままにやってくるのです。
だから人間の運のことを命運(めいうん)とか運命とか云うのです。
命令するままに人間の運は、よい運でも悪い運でもやって来ます。 命令すると云うのは、心の中にコトバを思い浮かべるか、 その思い浮かべたコトバを口で発表するかすることなのです。
運の悪い人は、「私の運が悪い、悪い」と口でブツブツ云い、 心でブツブツ思います。 その「思い」の力、「コトバ」の力でいつまでも悪い運を引き寄せるのです。
東京裁判でわかったところによりますと、 山本五十六元元帥(やまもといそろくもとげんすい)でさえも、 「負ける」と思い「負ける」とコトバで言っていたそうです。
そして、日本人全体は 「海行かば水(み)づく屍(かばね)、山ゆかば草むすかばね」 (海へ往ったら日本軍は負けて土左衛門(どざえもん)になる、 山で戦争したら死んで屍(しがい)には草が生える)と云っていました。
そして、そのコトバを音楽と共に合唱して感情(こころ)の底に 深く思っていたのです。 何と云うこれまでの日本人は愚かなことだったでしょう。
コトバは万物をつくる。 国をつぶすのも国を起こすのも皆、人間の「思い」と「コトバ」の力です。
今まで、国をつぶして来た日本人は早く目をさまして、国を平和におこし、 国民を生かす「思い」と「言葉」をつかわねばなりません。
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自分の心の舵をとれ(P5~6)
船を海の上に走らすのにも舵が要ります。 ただ波のもてあそぶままに船を浮かべておくだけでは、 大波がきたときに其の船は岩にうち上げられて、 くだけてしまうでしょう。
人間の運命も、ただ思いついたコトバを出鱈目に云い、 ただ思いついた「思い」を出鱈目に思うだけでは 「運」の波をのり切ることは出来ないのです。
航海のとき、船長の命令するとおりに 舵取(かじとり)が舵を取るのと同じように、
人生の海をわたるにも、 一時の自分の気分の運ぶ(ハコブは「運」です)ままにまかせず、 自分の心を自分で舵をとり、命令して、 自分の運命を自分で支配しなければならないのです。
あなたは自分の心に自分で命令を与えておりますか。 腹が立ったときに腹の立つにまかせ、 悲しいときに悲しがらせるにまかせ、 なまけたいときになまけるにまかせているのでは、 それはただ成行きにまかせているのです。
お釈迦さんは、法句経(ほっくきょう)の中で、 「よく調えられた自分こそ、世界のどんな王様よりも尊い王様である」 と云われました。
「よく調えられた自分」になることが何よりも必要なのです。
どんな時にも、明るい、愉快な、楽しい、失望せず、落胆しないように、 心の舵をとり、明るい、楽しい、平和な、希望に満ちたコトバを使うことが 必要なのです。
「よく調えられたる自分」こそ、どんな都合のわるい境遇でも、 よく乗り切って、美しい楽しい希望の国へ連れて往ってくれるのです。
何よりも先ず「よく調えられた自分」をつくることが大切です。
それには「思い」の力、「コトバ」の力を上手に使うことが大切です。
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毎日の「思い」を善くせよ(P7~8)
仏教では、「思い」の力、「コトバ」の力を業と云いました。 仏教は業の力を説く宗教です。
あの人は業が深いと申しますと、 業と云うものは悪ばかりだと思えるかも知れませんが、 業の力は悪ばかりではありません。
お手本を見て習字をします。 すると最初は下手であったのが、毎日お習字をつづけて行くうちに 段々上手になって行きます。
これは毎日、よき文字の形を見、心にその形を思いうかべて、 その通り筆を動かす業をかさねて行ったからです。
そのように吾々の「思い」の力も、最初は自由に思うようにならないでも、 つとめて明るいことを思う、楽しいことを思う、人のよい方面ばかりを見る、 悲しいときにも笑うようにして行きますと、習字がだんだん上手になって行くように、 心もだんだん善くなって「よく調えられた心」になって来るのであります。
心がよく調ってくると、何事も都合よく往くようになり、 仕事も、勉強も、成績も、健康も、すべての運命が調ってくるのであります。
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民主主義とは何か(P8~9)
自分が自分の主人公であると云うのが民主主義であります。 これは自分勝手な我儘をしても好いと云う意味ではないのであります。
他(ひと)にたよらずに、自分で自分の心の調子をととのえること が出来ると云うことであります。 また自分の運は自分の心で思うようになれると云うことです。
先ず朝目がさめたら、学生ならば口のうちで自分にだけ聞こえる言葉で、 「自分は神の子だ、いつも達者だ。いつもたのしい。品行方正、学術優等」 こう云う言葉をニ十ペン程となえてから元気に愉快に起きることにし、 夜寝床で眠りしなにも 「眠っている間に神様が一層わたしをよくして下さる。達者で楽しく優等だ」 と心のうちでとなえながら眠ってしまうことです。
そうすると、夢を見ても楽しい夢が見られますし、寝ている間に健康となり、 頭がよくなり、どんな勉強もすぐれて出来るようになります。
何故なら、この世界は、神が先ず、コトバと「思い」でおつくりになり、 あとは、人間自身が、コトバと「思い」で自由に出来るように おまかせ下さったからであります。 ・・・
幸福になるには幸福の種をまけ(P9~10)
われわれがこの世で幸福な生活を送ろうと思いましたならば、 「自分は不幸である、幸福になりたい」などとかんがえては だめなのであります。
「自分は不幸である」という心の思い種をまけば、 心がもとで、すべてのものがうまれてきたのでありますから、 「自分は不幸である」という心の思いが種となって、 形に見える世界に「不幸」なすがたがあらわれてくるのであります。
だから幸福になりたい人は、 今、不幸であっても、今、幸福がなくとも、どちらでも 「わたしは今、幸福である、幸福である」ととなえていれば 幸福がでてくるのであります。
神さまは太陽も地球も、天も地も、お星さまもない世界に 「天がある、天がある」と思われますと、 すなわち心で「言葉」を宣(の)べますと、 「天」があらわれてきたのであります。
「地がある、地がある」と心でとなえられますと、 しまいには地球がうまれてきたのであります。
草も木もない世界に「草がある、草がある」と心でくりかえしくりかえし 思われますと、「草」があらわれてきたのであります。
そして「人間がある、人間がある。神さまのように、 なんでもできる力を形にあらわしたものがでてくる、でてくる」 と心でねんじられますと、人間がうまれてきたのであります。
「人間が神のすがたにつくられた」と聖書に書いてありまするのは、 「神さまのような、なんでも知り、なんでもできる力をもった すがたにあらわしたら人間になった」という意味であります。
だから、人間は神さまとおなじように、 心で思うことを、この世界になんでもつくり、 なんでもうみだす力をもっているのであります。
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うれしいきもちで父母に感謝していると良いことが出てくる(P11)
うれしい、うれしい。お父さん、お母さん、ありがとうございます、 と心のなかで、つねに喜んでお父さんやお母さんに感謝していますと、 人間は自然とうれしいことがでてきて、 ありがたい感謝すべきことがうまれてくるのであります。
それは「うれしい、うれしい」という心の種をまくから、 そのとおりのものが、形の世界にあらわれてくるのであります。
また「お父さま、お母さま、ありがとうございます」という 心の種をまきますから、形の世界に本当の深切な、ありがたい お父さんお母さんのすがたがあらわれてくるのであります。
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ふくれ面をしたら面白くない事がでてくる(P11~13)
ふくれっ面をしたら、ますますふくれっ面をしなければならないような 面白くないことがでてくるのは、 自分が「心」の世界に面白くないことを、心に思いうかべて 「面白くない、面白くない、つまらない、つまらない」 という心の種をまいているからであります。
朝目がさめた時から「今日はうれしいぞ。すばらしい日だぞ。 よいことがでてくるぞ。たのしいぞ」 とかんがえなさい。
そうすると、よいことが、たのしいことが、 ぞくぞくと皆さんの身のまわりにでてくるのであります。
「愉快を思えば、愉快がでてくる」 「つまらないと思えば、つまらないものがでてくる」のであります。
心でえがいたものがはえてきて実をむすぶのであります。
この法則を利用しますと、自分の成績でもなんでもよくすることができます。 勉強する時にでも、「自分は算術がへただからよく勉強しましょう」 などと考えてはなりません。
「へただから」などと思うと、その「へた」ということが心の種になって、 じっさいへたになってしまうのであります。
そこで、勉強する時には、「自分はへただから」などとはかんがえずに、 「自分は、神さまのえらい力が、形にあらわれたのが私だ。 自分にはえらいえらい力がやどっている。 自分は天才だ。自分はよくできる。よくできるから、喜んで勉強するのだ」と、 こう心にとなえながら勉強にとりかかるのです。
すると心にえがいたとおりが、形にあらわれてくるのであります。
(第1章 終り)
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