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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[196] インターネット道場 ーーー <終戦の月・特集> *大東亜戦争の英霊諸霊に捧ぐ  「大東亜戦争は侵略戦争ではありませぬ!安らかに鎮まりませ・・・」 <その九>
信徒連合 - 2015年08月09日 (日) 08時02分


<終戦の月・特集>


            *大東亜戦争の英霊諸霊に捧ぐ*


          「大東亜戦争は侵略戦争ではありませぬ!
              安らかに鎮まりませ・・・」



 八月十五日は、大東亜戦争終戦の日であります。今回の特集は当、ブログ(「今昔物語」)の今までの掲載記事の中から関連記事を集めました。第三代目・雅宣総裁の“侵略戦争観”は明確な間違いであります。ここに於いてこの事を再確認し、開祖・谷口雅春先生の霊的真理に基づく日本国民としての正しい歴史の見方を学びましょう!



                 <その九>


日本近代史の第一級資料「東條英機・宣誓供述書」<その一>


はじめに――
本日より数回にわたって、日本近代史の第一級資料「東條英機・宣誓供述書」の抜粋を掲載いたします。
出典は、<「大東亜解放戦争」下巻  岩間 弘 著(P.168〜245) > からであります。

現代日本に於ける、元首相・陸軍大将であられた東條英機氏の歴史上の評価は、日本を侵略戦争へと導いた大悪人であるかのごとく評価する人が非常に多いのでありますが、これは戦後日本の自虐史観教育のしからしめるところであります。そのような評価が果たして正しいのか、日本が本当に侵略を国策として遂行した悪い国であり、それを阻止した連合国(米・英・蘭・その他)が善の国であったという評価を鵜呑みにしていいものかどうかを、この「東條英機・宣誓供述書」を読んで各自で御判断いただきたいと思います。

その前に、是非とも予備知識として知っていただきたいことが二つあります。この二つのことは、戦後教育によって培われたる過てる自虐的先入観念を中和して、正しい公平な目で近代日本史を把握する為に非常に大切な役目を果たすものであります。このことを頭に入れて読んで頂きますと大東亜戦争の真実が正しく理解できるのであります。



[ T ] 『古事記と日本国の世界的使命』 (P.4〜6)

<歴史を研究する目的>:開祖・谷口雅春先生の御文章

<< 歴史というものは一体何であるかといいますと、現象界に實相が如何に投影し表現されて来るかということの、その現われ方、即ち實相が現われる場合の作用、反作用という風なものを次第に追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に實相が現われ、實相が現われんとするに当って如何に反作用を起し、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて観てそこに實相が如何なる相を以って現われるかという事を知ることによって、大宇宙に於ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生きていくべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります。ですから、歴史というものは単に過去の記録を書いたという風なものではないのであって、生命の生々流動の流れの相、實相が現象界に貫いて響き出る時のその儘の相が書いてあるのであります。その相を見ることは自分自身の生命の相を見ることであり、宇宙の相を見ることであり、宇宙が、自分が、今如何に生き抜いて、今後如何に発展すべきであるかということを知ることであります。・・・動かない過去の記述を読むようなつもりで読んで頂いては間違いで、實相が迷いを通して輝き出るときの波動紋理というものを把みださねばならない。換言すれば、吾々日本人が如何に實相を生き、如何に自壊作用と闘うて来たか、という事の記録が現われているのであります。>>


[ U ]  「大東亜解放戦争」下巻  岩間 弘 著(P.241〜245)

<東條英機の慟哭>

今、東條英機の供述書を終って思うことは米軍の逮捕の使者が自宅に来た時、東條英機はピストル自殺を図ったが、どうしたことか手元が狂い自殺を為損ったのであった。首相で陸軍大臣という最高責任者だった者がと世間から冷笑を受けたが、あれは神様が日本の為に死なせない様に、手許を狂わせたものであったと私には思えてきた。

東條英機ほどの人が普通だったら手元が狂う筈はないからである。多くの人達はそんな馬鹿な、とお思いになるかも知れないが神様は全知全能であるから、神様なら不可能を可能にすることが出来ると思う。之は信じるか信じないかの問題だから、判ってくれる人は判ってくれると私は思う。

さて余談になったが神様は東條英機にこの供述書を書く意思と時間を与えて下さったのだと私は思う。大東亜戦争について述べるのに、どんな人が書こうがこの東條英機の供述書に勝るものはないと私は思った。“神様は日本を護って下さっている”これを読むとその感が深い。多くの人がこの供述書を読むことによって、日本が戦った大東亜戦争の実相を知ることが出来て、日本は侵略国ではなかったのだという事を正しく知ることが出来るのではないかと思うのであります。

その言葉に、行間に、天皇への忠誠と、憂国と愛国の裂帛(れっぱく)の気合が感じられる。そこには死を覚悟した、いや、生死を超越した勇者のことばがあるのみである。

さて、東條英機のお孫さんに岩浪由布子(いわなみゆうこ)さん(本名岩浪淑枝=英機の長男英隆氏の長女)が居られるが、その方が書かれた『祖父東條英機「一切語るなかれ」』があるが、その中に「祖父が巣鴨拘置所にあった時に三浦先生は東條の主任弁護人、清瀬一郎先生と弁護の仕方で激論を交わしたことがある。

清瀬さんは東條の罪を軽くすることに奔走されていた。しかし、三浦先生の考え方は違っていた。たとえ死刑になったとしても、法廷では東條は堂々と自分の考えを述べるべきだと。そうでなければ、何故戦争を始めたかの一番大切なところが曖昧になるという立場をとられた。祖父もまったく三浦先生と同じ考えだったからこそ、あれほど堂々と法廷で自論を述べることが出来たのであろう。」と書かれている。供述書の終りの摘要に堂々と述べている。再び述べると

「私は茲に重ねて申上げます。日本帝国の国策乃至は当年合法に其の地位に在った官吏の採った方針は、侵略でもなく、搾取でもありませんでした。

一歩は一歩より進み又、適法に選ばれた各内閣はそれぞれ相承けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い之を処理して行きましたが、遂に我が国は彼の冷厳なる現実に逢着したのであります。

当年国家の運命を商量較計(注・左右する)するの責任を負荷した我々としては、国家自衛のために起ったという事が唯一つ残された途でありました。

我々は国家の運命を賭しました。而して敗れました。而して眼前に見るが如き事態を惹起したのであります。

戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題とは、明白に分別の出来る二つの異なった問題であります。

第一の問題は外国との問題であり、且つ法律的性質の問題であります。

私は最後まで此の戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。

私は未だ嘗て我国が本戦争を為したことを以て、国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、又敗戦国の適法なる官吏たりし者が、個人的の国際法上の犯人なり、又条約の違反者なりとして糾弾せられるとは考えた事とてはありませぬ。

第二の問題、即ち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味に於ける責任は、私は、之を受諾するのみならず真心より進んで之を負荷せんことを希望するものであります。」と結んでおります。


大東亜戦争は自衛戦であったというのは、その日本と戦った米国の連合国最高司令官マッカーサーは昭和二十五年五月二十五日、北朝鮮が突如三十八度戦を突破して韓国に攻め入った朝鮮戦争によって、共産主義国の脅威にはじめて目覚めて、朝鮮戦争に原爆を使うかどうかについて、トルーマン大統領と意見が合わず解任された後、アメリカ上院で証言し、「日本が太平洋戦争を戦ったのはSecurity(セキュリティー・防衛安全保障)の為即ち自衛の為だったと証言したのである。

日本とフィリッピンで死闘を戦った最高司令官が証言した意義は重大である。東京裁判を指揮して七名を絞首刑、残り十八名は全員有罪としたその人が、防衛・安全保障のためだった即ち侵略戦争ではなかったと証言したことは、東京裁判は間違っていたと証言した事と同じである。

これを念頭に置いて、再び岩浪由布子さんの書物から次の文を読むと東條英機の心情に心が打たれるのである。

即ち「・・・開戦を避けるために日夜必死に続けられていた日米交渉は遂に決裂し、昭和十六年十二月八日、日本は米・英に対して宣戦を布告した。十二月六日深夜から七日にかけて、祖母たちは祖父の寝室から忍び泣きの声が洩れてくるのに気がついた。その声は次第に慟哭(どうこく)に変わっていった。祖母がそっと寝室を覗くと、祖父は蒲団に正座して泣いていた。和平を希求される陛下の御心に心ならずも反する結果になり、宣戦布告をするに至った申しわけなさで身も心も、ちぎれる思いだったに違いない。慟哭の涙はとめどなく流れた。祖母は寒い廊下にしばし茫然と立ち尽くしていた。」とあります。

これを読むと、東條英機はこの戦争に、日本が勝利することは、きわめて難しいと覚悟をしていた様に思われる。それが判って居ても日本は戦わざるを得なかったのである。そして死中に活をもとめたのだろう。

日本は戦争はしたくはなかったのだ。しかし戦争をしないでハルノートを受諾したらどうだったか。

日本は一戦も交えずに敗けたと同じに、支那、満州、仏印から、陸、海、空軍及警察の撤退、満州政府の否認、汪兆銘政府の否認ということになれば日本の面子は丸つぶれとなり、日本国内に反対の声が湧き起こり、三国干渉で旅順、大連を返還した時と比べものにならない騒乱の発生が予想されるのである。

そうなれば戦はず敗戦国となり、収拾がつかなくなる恐れがあったのである。

インドのパール判事はハルノートについて次の様に語っている。「現在の歴史家でさえも、つぎのように考えることができる。すなわち、今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本に送ったものと同じ通牒を受けとった場合、モナコ王国、ルクセンブルグ大公国のような国でさえも、アメリカにたいして武器をとって起ちあがったであろう」(田中正明「パール博士の日本無罪論」)と言っているのである。

再び云う。日本は自ら好き好んで戦ったのではなく、自存自衛の為の戦いで侵略戦争ではなかったのである。


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(参考)

「大東亜解放戦争」上下巻  岩間 弘 著

発行所

〒 981−1505
宮城県角田市角田字裏町156−31

TEL: 0224−62−1783
 
FAX: 0224−62−1778

郵便振替: 02240−9−46042

(尚、著者・岩間弘氏は誌友信徒の方でもあります。)






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