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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[2482] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(22)
信徒連合 - 2016年03月13日 (日) 08時47分




インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(22)




  病気の伝染を聴きて恐るれば
恐怖の心境(こころ)の影としてその病気はあらわれん。
若(も)し毛虫が首筋に這(は)うと聴かさるれば
真に毛虫が居らざるときにも
過敏なる皮膚には蚯蚓(みみず)腫れを生ずべし。
「毛虫無し」と聴かさるれば
その蚯蚓腫れは立所(たちどころ)に消散せん。
凡(およ)そ内臓各器官の炎症も
此の毛虫を心に描(えが)きたる愚人(ぐにん)の
頸筋(くびすじ)に於ける蚯蚓腫れに異らず。

 人間は、暗示感応性を有(も)っているのであります。すべての人間が、「君の頸筋(くびすじ)に毛虫が這っているよ」と言われて、必ず頸筋に“みみずばれ”が生ずる訳ではありませんが、感受性の強い人にはそのようなことが起るのであります。

内臓にもそのような事が起るのであります。胃潰瘍でも何んでもないのに、「君には胃潰瘍があるから、食物を注意しなさい」と医者から言われますと、胃潰瘍はなくとも、そこへ心の注意が集中してまいりますと、血液は注意の集中するところへ集って行くのが原則でありますから、そこが異常に充血して、普通以上に血液が停滞いたします。ところが、血液にはヘモグロビンという血色素(けつしきそ)があります。この血色素は鉄成分で出来ています。鉄は金属でありますから、レントゲンは透過せしめないので血液が普通以上に停滞した部位のレントゲン写真をとりますと、そこに影が映る訳であります。それは内臓の実質に暗影があるのか、その内臓に普通以上に血液が停滞してヘモグロビンの鉄成分の暗影であるのか、なかなか医師にもハッキリ診断がつかない場合があるのです。

 ですから「君には胃潰瘍がある」と医師に言われて、その治療をしているうちに、患者自身の“心の集中力”によって、そこにミミズ腫れのように隆起が生ずることになります。その隆起は疣(いぼ)のような具体的なものでありますから、それがまたレントゲン写真に写りますし、胃カメラにも写ることになるのであり、段々具体的に症状が進行して来ることになります。そんな時に、生長の家の熟達した精神指導家の指導を受け、或いは聖経を繰返し読誦して、「そこに、胃に故障あり」というそれ迄の信念を一転すれば、その胃の故障が消えてしまうことにもなるのであります。




  悪性の胃ポリープ消える

 昭和43年12月1日、福岡市にある九電体育館で、生長の家の講習会がありましたとき、大牟田市桜町145の森光次さん(当時57歳)が次のような体験談をなさいました。森光次さんは国立工専実験助手をしていらっしゃる方であります。

   皆様、有難うございます。(拍手)私は紹介にあずかりました大牟田の森でございます。仕事は国立の有明工専といって、国立工専でありますが、その科学実験室の実習の、指導員をやって居ります。丁度、今、谷口先生が、ちょっと仰(おっしゃ)ったようなシーソーがどうの、やれプロパンがどうのというような、所謂(いわゆる)、自然科学だけの知識しかない私でございます。

今までの私は、人に誇りますような健康で、九州都市対抗剣道大会には、いつも出席する程の健康で、今だ曾(かつ)て、どんなに体を使っても、疲れを知らんという自分でございました。ところが、その私に突如として恐しいものが、やって参りました。

それは、学校に於ける集団検診があってですね、初めは、「貴方は、ちょっと胃潰瘍の気(け)がある」と言われて、「胃潰瘍の気がある」と言われたのは、50人検診して、16人が胃潰瘍の疑いということで、たいしたことはなかったのであります。ところが「薬を飲み乍(なが)ら、養生しておいたならば、胃潰瘍ぐらい良くなるだろう」と、お医者さんにも言われたし、薬を飲んで、時々レントゲン検査を受けてみました。ところが、第4日目にですね、お医者さんが、「貴方の胃潰瘍は大体、治っているけれども見落として居った」と言うんです。

「ここにこんなものが在(あ)りますよ」と、それがですね、(黒板に胃の形の絵を書いて説明している)「胃の書き方は、こうなんですね、ところが、ここらに、こういう具合に、2センチ位の大きさのポリープがある」というのです。さて、ポリープとは私、初めて聞いたし、如何なるものかと思ったですね。これにですね「胃カメラを当ててみます」と言うんです。ところが、胃カメラを直ぐ当ててもらいたかったのですが、病院の都合もあって、1週間後に、これに胃カメラを当てて見ましたところ(黒板で説明している)平面図で見れば、ここに胃があってぽっと突き出て見えるんですね。ここらが、へこんで見えるんです。

外科医と内科医、2人のお医者さんが、「これは明らかに悪性のポリープであるから、早期手術するより、しょうがない」と言うのです。私は、何ともないのに、今まで働いていたのに、急に早期手術なんて言われて、一生の中で、これだけ驚いたことはないです。どうして俺にばかり、こういう風な病気が出来るかなあ、と思って、悲観してもしょうがないし、夢じゃないかしらと思うんですけれども夢じゃないんですねえ。(笑)

兎も角、レントゲンですね、その前のも、これと同じのがあるんです。胃カメラは在るし、何とも逃げ場がないですねえ。そして、お医者様全部で、「貴方は、吐き気はないですか」と言うんで、「吐き気は無いですよ」と、そしたら、「食うたもの、よく下がりますか」って、(聴衆笑う)「近ごろはですねえ、(本人笑う)若い者よりよけい食うんですよ。何ぼ食っても、運動するか知らんけど、何ぼ食っても腹は減りますよ」と一応は答えました。

ところが、家に帰ってから、あんなに言うたから病気が進んでいるのかなあと、思って考えたところが、全く御飯は食いたくないですねえ。(笑)もうこんな馬鹿なことがあるかと自分で自分を、力づけて無理に2杯の、御飯を食べたところが、なんか御飯は、吐きそうになったですね。ははあ、これは、やっぱり大分、胃が進んでいるのやなあと、心から感じました。

その晩から寝てもよく眠れんのです。これは、愈々手術になるなあと思ってですね、そして悩んだです。その翌日、大牟田に柴田先生っていう方が居られて、そこに家内と2人で、相談に行きましたところ、「それぐらいなら、ゆにはの練成道場(福岡県にある生長の家の道場)にでも行って修行したら直ぐ、治ります」と言われたのですけど、もう医者に癌と言われて居るし、癌が、そう簡単に治るものかと、もう、愚図愚図して居ったら、却って命に関ると思ってですね。愈々入院して、手術することにしましたです。

9月14日にですね。入院して、そしていろいろ、胃や肝臓とか胆嚢とかの機能検査をやって、勿論、異状なかった訳ですから、愈々手術が近づいて来まして、金曜日の18日頃手術をやることになったですけれど、ちょっと日が延びて、丁度、翌週の月曜、10月21日が愈々手術と決まりましたですね。そして、もう私は、その間に、家の家内も、14,5年前から、生長の家をやって居りましたし、ちょっと一所懸命に、町内の方、誌友の方々と毎日、聖経を拝読するし、私も、病院に居って、1週間入院して居りましたけれど、毎日、聖経を読んでは、聖経を読むといっても、もう手術日の明け方だし、お医者さんに対する手術の成功を、祈ったのです。

看護婦さんや全てのものに感謝して、手術の成功を祈っていました。手術を、しないとかなんとか、そういうことは全然、頭になかったです。ところが、手術の当日の、月曜日の午後1時頃「浴衣とか、そういう風な物を持ってこい」と言いましたところが、家内が、「近頃の医学では、ポリープというものは、殆ど良性が多くて切らんでもいい、と云うようなことが新聞に書いてある」と言うものですから急に思いたって、その病院を秘密で飛び出して、その新聞を見、その新聞の出所である山口医大ですね。

宇部の山口医大に行って、検診しましたところ大体、その結果が3日後に出まして、「これは良性である」と結果が出まして、ところが、サンプルを充分に取られなかった為、九大の岡部内科にサンプルを充分に取りに行きましたところ、そこの須崎町に研究所が在って、そこでサンプルを充分に取ってくれたところ、それの発表が11月の6日であって、結局、異状なしということになりまして、私は手術することを、本当に夢のように思って、悲観したですけれど、今度、又良くなってみれば、夢のように覚めて、なーんともないんですよ。(笑)

全く、言葉の力というものは不思議ですねえ。皆様、生長の家の深さを御存知だろうと思い、私も今から、家内とか子供に任せず自分が中心になって一所懸命に、谷口先生の教えに接したいと深く感じて居ります。有難うございます。

 この森光次さんのような体験は胃のポリープであり、前癌症状とみとめる医者もあり、現に医師は前癌症状とみとめて切除をすすめていたのが、色々の事情で手術が延びのびになっているうちに、生長の家の誌友たちが聖経を集団読誦して快癒を祈って下さるし、自分も入院中に聖経を繰返し読み、看護婦をはじめ、全てのものに感謝するこころを起しているうちに、切除不要、病気なしということになったのであります。ここに注意しなければならないのは、「すべての物に感謝のこころ」を起されたということ。聖経を読誦するのも、もう病気を「聖教読誦で治そう」と思わず、そのまま手術を受けて、神のおはからいに全托する気
持になっていられることであります。病気は単に暗示だけで起ったり治ったりするのではなく、暗示は“言葉の力“でありますから症状をあらわしたり、消したりする有力な要件にはなるのでありますが、それが発病・治病の原因の全部ではなく、癌のような硬結のできる病気には必ず、それと同じような「心の硬結」(憤り、憎しみ、嫉妬、貪り、不平などの心のかたまり)があるのであって、それが暗示によって具体化の機会をつかむことになって、癌とか肉腫とかの肉体に塊の生ずる症状を発生して来るのでありますから、その“塊ある症状”を消すためには、そのような“心のかたまり”を鎮めなければならないのである。その“心の
かたまり”を鎮めるところの対処剤になる心は“感謝”なのであります。

感謝が徹底的に起れば憎しみも、嫉妬も、慾心も、不平も、憤りの如き“心のかたまり”も消えてしまうから、その具象化である肉体のかたまりも消えてしまうのであります。 しかし森光次さんのようなポリープはまだ本当の癌ではなく、良性のポリープであったから消えてしまったのであって、本当の重症の癌であったら、心の変化ぐらいで消えてしまう筈はないという人に、胃癌に、更に肝臓癌、膵臓癌を併発し、手術のために試験開腔してみ
たが、手術不能でそのまま縫合したのが治った実例をあげたいと思います。これは聖経『甘露の法雨』の読誦を毎日2巻あげ、写経を78巻して、しかも「良人と妻は一体だから、良人が深い信仰に入ってくれなければ、私が良人の代わりに聖経の読誦と写経をしよう」と決意してそれを実行されたら、その手術不能の重症の胃癌・肝臓癌・膵臓癌がことごとく消えて、毎日体重が殖(ふ)えて、今は58キロに体重が恢復して丸々とふとっている。それも本人が「治った気がする」というのではなく、実際に4枚のレントゲン写真をもって来られて、完全治癒を証明されたのであります。




  写経の功徳で胃・肝臓・膵臓癌消える

 昭和42年12月3日、九州電力体育館で生長の家の講習会がありましたとき、北九州市若松区小糸町2の林すみれさん(当時47歳)が良人の癌について話された体験であります。

   皆さん、ありがとうございます。私は私の主人が胃癌、肝臓癌、膵臓癌になり、先生が手術をするため開けて見ましたら、到底手術ができないから、そのまま縫いつぶして下さいまして、「まあ1ヶ月から3ヶ月はもつでしょう」と先生がおしゃって、私はもう目の前が真暗になりまして、どうしたらいいだろうと思っておりましたら、誌友の皆さんが“とに角『甘露の法雨』を誦げて、御先祖様に感謝して、よくこのみ教えの真理を納得したら必ずよくなるから”と、おっしゃったんです。そして又、下川先生、戸畑の淵村先生、若松の相愛会長さんなどに、色々と個人指導を受けまして『甘露の法雨』を誦げますけども、なかなか主人がよくなりません。“おとうさん、『甘露の法雨』を誦げてごらんなさい、『生命の実相』を読んでごらんなさい、あなたの病気はよくなるんですよ”と主人ばかりを責めておりました。そしたら誌友の方が、“主人が信仰しなくっても、奥さんの心さえ変われば病気はなくなるんですよ”とおっしゃって下さいました。

私は本当に主人の苦しみを見、主人は本当にあんなに善い人なのに、どうしてこんなに苦しまなければならないんだろう。私はそこに心が引っかかっておりました。ああ主人の苦しみは妻の苦しみ。──“夫婦は一体である”と谷口雅春先生の御本によりまして、よく知りながらも私その事がわかりませんでした。それでまあ一所懸命に『甘露の法雨』を誦げました。そしたらある時に“写経をせよ”と言います神のみ言葉と申しますか“声なき声”と言うのがありまして、写経を始めましょうと思って、6月11日に決心を致しまして、家族の者に迷惑にならないように、朝の5時から6時迄、金、土、日の朝の谷口先生の御放送を聴きながら写経し始めまして、今日で78巻目でございます。

8時から9時迄は、御先祖様に『甘露の法雨』を2巻読誦致しまして、会社に出勤しているのでございます。そしたら6月12日、13日の日でしたか?主人の体に変調をきたしまして、お父さんが「僕は痛さが除(と)れた」と言いました。それでも私は未だよくなったとは信じませんで、又、2、3日したら──。私の主人は毎日、朝から晩まで食べないと痛むのでございます。そして2、3日写経を一所懸命しましたら主人が、「おかあさん、ご飯はもう朝、昼、晩と3食でいいから」と申します。それからだんだん日が経つにつれて、身体は41キロから45キロ6キロ、58キロとなって、今はもう丸々とふとって、医者(せんせい)に自分から精密検査をして下さいと言って、8月の15日に精密検査をして頂きました。

そしたら胃癌、肝臓癌、膵臓癌がきれいに消えていまして、医師(せんせい)がびっくりしてですね、「あらっ、僕が診(み)違えたんじゃないんだけれど」とおっしゃいました。今は本当に喜びと感謝の気持ちで、毎日を幸せに暮らさせて頂いています。皆様もどうぞこの教えを、真理を充分に、心の中に体得して、幸せに毎日を送って頂きたいと思います。ありがとうございました。




  聖経写経の功徳

 この場合、私たちが考えなければならぬ事は林すみれさんが「夫婦は一体であるから、夫が毎日聖経をあげるほどに熱心になれないなら、夫と一体であるところの妻が聖経をあげても妻、と一体であるところの夫にその功徳が廻向(えこう)して行くであろう」と信じて、聖経を毎日2巻読誦し、更に毎日聖経の写経をしていられることであります。写経というと、今迄仏教では『般若心経』の写経の習慣が日本人にはあるので『般若心経』を写経する人も多いのでありますが、聖経『甘露の法雨』の写経は一層功徳が高いのであります。

この『甘露の法雨』によって原爆を至近距離から受けても少しも被害を受けなかった宮崎県の甲斐延佳君や長崎県の天辰静雄氏の如き稀有の体験が得られているのであり『般若心経』も尊いお
経ではあるけれども生長の家の信徒が先ず聖経『甘露の法雨』を写経しないで『般若心経』を写経している人が時々あるのは、少し本末を顚倒(てんとう)しているのであります。何故なら『般若心経』は現象(五蘊(ごうん))を否定するために空の真理を説いているのであって、釈尊は般若部の諸経をお説きになった後に、(一切を皆空と否定なっさった後に)「“実”の世界」を肯定された『法華経』や『涅槃経(ねはんぎょう)』をお説きになっているのであります。

だから、“空”の真理は、“実”の世界を肯定するために、まず現象の無情世界を否定しておかないと都合が悪い(現象世界を“実”の世界だと混同するおそれがある)から、現象世界を否定するためにお説きになったので、『般若心経』は実相世界をお説きになる前提としてのお経であるからであります。

皆さんは暇があれば聖経『甘露の法雨』を写経せられれば、この林すみれさんのような素晴らしい功徳も得られるのであります。写経の時の注意を言えば、一字毎に「ありがとうございます。この写経の功徳が一切衆生の悟りの因(たね)となりますように」というような気持になるか、その通り実際に心で唱えながら写経せられるがよいのであります。



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