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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[3376] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第84回
信徒連合 - 2016年05月28日 (土) 08時42分




<再掲示>


インターネット道場――


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第84回




マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************




< 生長の家は「空・無」の思想を超えたもの >



「今の教え」に於ける「肉体とは?」・「川とは?」


平成19年11月の群馬県講習会において、当時の谷口雅宣副総裁は次のように説かれました。(11月4日・5日の「小閑雑感」にて掲載されています。)

・常恒不変なる物質的存在としての<肉体>は無い。肉体を構成している物質分子は新陳代謝という形で常に入れ替わっている。私たちの<肉体>は高速度で生化学反応をする物質分子が通過する痕跡の一部であって、そこに肉体という形で見える仮存在である。つまり「肉体」は物質分子の流れの「呼称」にすぎず「肉体」という実体は無い。即ち「肉体はナイ」。

・同様に、「川」という実体は無い。「川」は水の流れの一つの「呼称」に過ぎない。「川」という物質が存在するのではなく一定量以上の水の流れを人間が「川」と呼ぶのである。




「本当の生長の家の御教え」に於ける「人間とは?」・「肉体とは?」・「川とは?」


・「実相金剛身の神示」には、
 本当の人間・実相人間は「空」ではない、金剛身である。永遠不滅なる実相身である。形は無いと思うな、形は確かにある。実相人間は肉体人間よりもまだまだ確かな至美至妙な形を持つ。山の形や川の形や植物の形や動物の形なども、仮に現象界のそれに似ていると思えばよいが、一層精妙なのが実相世界の姿である。

 人間の本体は、捉えどころの無い「空」なるものではなく、それは「理念の体」であり、金剛不壊の<純粋形相>が理念であり、人間の本物は金剛不壊の<純粋形相>たる「理念人間」であります。

・聖経「甘露の法雨」には、
<<人間は物質に非らず、肉体に非らず、・・・人間は霊なり、生命なり、物質の奥に肉体の奥に霊妙極まりなき完全なる存在あり、・・・これこそ神に造られたるままの完全なる汝そのものにして常住健康永遠不滅なる生命なり。汝ら今こそ物質を超越して汝自身の生命の実相を自覚せよ。>>



                         
<注釈コメント>

・「今の教え」の内容を読めば、「常恒不変なる肉体は無い」・「水の流れの無くなったものは川ではない」。ここから連想されるものは<空仏教>の教歌である「引き寄せて結べば柴の庵なり。解くれば元の薪なりけり。」であります。  

・「今の教え」の「肉体は無い」の説明は、この空仏教の教えと同じであります。なぜならば、「肉体はナイ」だけの説明、つまり学者的緻密な分析知による説明だけで終わっており、「金剛不壊なる理念としての人間」・「人間・神の子の真理」・「実在としての実相宇宙の形相」が説かれていないのであります。

・「今の教え」では、「理念は現象に先立つ」・「理念が現象として現れてくる」の所まで説明が行き届いていない。「理念としての人間」・「理念としての川」・「現象世界の無限倍層の至美至妙なる実相世界の実態」の説明がなされていない。

・空仏教の範囲だけの説明では厭世的無常感に陥り、人間の病・悩・苦の現実的救いは現われないのであります。宗教の講演・講習会は、学者の研究発表の場所ではない。話を聴くものに霊的感動を与え、病・悩・苦から現実に救われる場でなければならないのであります。

・さらに言えば、神様の自己実現としての私たち個生命は、仮存在としての本来ナイ肉体を顕して、それを乗馬としてこの仮存在としての三次元地上世界に於いて真理を学び、無限の価値の創造の過程を通して、自己の霊魂進化の階梯を登って行くのであると言うところまで生長の家の講習会であれば説かれなければならないのであります。ここにおいて、本当の霊的感動と霊的歓喜の人生が開けて来るのであります。お話を聴きに来た人達もそれを心の底から望んでいるのであります。



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