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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[5218] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第188回
信徒連合 - 2016年09月24日 (土) 08時40分



<再掲示>


 インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第188回



マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************




暗示が内在の神癒力を喚起した事実


(『神癒への道』P.49−57)




ある時、一人の外科医に複乳嘴(ふくにゅうし)突起の手術を受けてから後、痙攣性の嘔吐に悩んで一週間の間何一つも食べられない十二、三歳の少女を見舞ってくれないかという紹介をウォルセスター博士は受けたのであった。患者はボストンの或る眼耳科治療所に入院していた。医者のいうところによると、「彼女は、長く続いた痙攣状態のため完全に衰弱しており、若し次の数時間の間睡眠を取り食物を保持する事が出来なかったら生命はとり止め得ない」というのであった。

 ウォルセスター博士は病室へ入って往ったときの光景を次の如く述べています――

「部屋へ入った時、余は悲しい光景を見た。骸骨のように痩せ衰えて、弓のように体を背の方へ湾曲した一人の少さな娘が尚かすかに嘔吐を催していた。母親が泣きながら一方の腕を抱え、看護婦がもう一方を押さえていた。余は婦人達に部屋の他端へ退くことを乞い、子供の傍らに腰かけて、熊が冬どのようにして彼らの隠れ穴を作るかという物語を話してあげよう。そしてそれを話している間にあなたは眠ってしまうでしょうと言った。余は幾度も繰り返し繰り返し、熊がどんな風にして次第次第に眠くなって行くか、そしてあなたも眠いでしょうという話を続けた。

約五分の後この暗示は効果を表わし始めた。小さな娘はその痩せ衰えた体を弛(ゆる)め深い眠りに陥った。それから余は彼女に、彼女は約三時間眠るであろう。そして彼女が目覚めた時、彼女の胃は完全に平静になっている。彼女は空腹を感じ、母親に食物(たべもの)を求める。母親は彼女が望む食物を何でもくれるという暗示を与えた。---------」(ウォルセスター博士著『肉体と心と霊』15頁)

 こうしてウォルセスター博士の精神治療は終ったのである。博士は立ち去るにのぞんで母親と看護婦とに、子供が自然に目覚めるまでに彼女を静かに放置すること、子供が目覚めて食べ物を欲したら、求むるままに与えること、そして就寝前に彼女の容態を電話で報告するように話して置いたのである。

その夜の十時ごろ、その母親からウ博士に電話が掛かって来た。それによると、少女は、三時間ほど眠ったのち目覚めて、「母さん、おなかの気持がいいわよ。何か食べるものが欲しいわ」と言った。そこで看護婦が一杯の牛乳と一包みのソーダビスケットを与えた。それを食べて終うと少女は「もっと欲しい」と言った。そして彼女は与えられたお代わりを平らげて終うと、今度は「ジンジャエールを一杯頂戴」と言った。これはどうも乱暴ではあるまいかと母親は気遣ったが、もう彼女は子供は魔法にかけられて治ったのだと考え始めていたので、この飲み物をコップに一杯与えた。

子供は直ちに再び眠りに落ち、やがて晴れ晴れとした気持で目覚め、そして首尾よく翌日は通常の健康状態を取り戻して症状は決して再発しなかったということであります。

 ウ博士のこの病床で語った「熊が冬に巣を作ってその穴の中に眠る話」は甚だ興味があると思う。それはその原稿の最初に書いたところの山田明子女史の病床で、今川三郎博士が、病気に何の関係もない明るい楽しい話をして聴かせたのと一対の好適例である。

 早(はや)三十数年前のことであるが、彫刻家の服部仁三郎氏は、肺炎に肋膜炎を併発し更に頚部が異常に脹(は)れていてその脹れが呼吸を圧迫して呼吸が困難なような状態で、いつ危篤の状態に陥るかわからない状態であった。その時、同じ彫刻家仲間の片岡環(たまき)氏が訪問して来た。そして『生命の實相』の小さい分冊を持って来、人間本来神の子であり、病気は本来無いものであると云う話をし、読めるならばこの小冊子を読んで見るようにと薦(すす)めたのである。そして神に祈る方法として神想観の話をし神想観は本当は正坐して行なうんだけれども、仰臥のままでもその心境となれば好い。心のうちで招神歌(かみよびうた)をとなえて精神統一の状態に入れば好い――こう言って次の招神歌四首を毛筆で白紙に書いてくれたのである。

  生きとし生けるものを生かし給えるみおや神もとつみたまゆ幸(さきは)えたまえ
  わが生くるはわが力ならず天地(あめつち)を貫きて生くるみおやのいのち
  わが業(わざ)はわがなすにあらず天地(あめつち)を貫きて生くるみおやのちから
  天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし生長の家の大神まもりませ

服部仁三郎氏は病床『生命の實相』の分冊を読み、片岡環氏が書き残して往った此の四首の歌を繰り返し繰り返し読んだ。それを心でとなえながら読んでいるうちに、自分が生きているのは自分の力ではないのだ。神の無限生命力が今此処で生きているのだという感銘が急に内部生命から爆発するような感じで沸き起こって来たのである。自分の力で生きよう生きようと思って焦っているのが間違いだったのだ。そうだ神が生かしているのだ――こう自覚するともうその重態の病床から起き上がって、帝展に出品するつもりでやりかけて病気になって中絶していた「心の影」と題する塑像を元気にやり出した。

すると不思議な事に即座に病気が消えてしまったのでした。その翌日のことであった。近所のある彫刻家の奥さんが服部仁三郎氏の病気見舞いに来た所が、もう病床もなにもない、綺麗に片付いて、服部氏はアトリエで制作に熱中しているというので、アトリエに往ってみると服部氏はセッセと仕事を励んでいる。

 「まあ、よほど御重態と承って来たのですのに、もうそんなにお治りになったのですか」と其の彫刻家の奥さんは言うのであった。服部氏は実は、こういう教えを片岡環君からきいて、人間は神の子で自分の力で生きているのではない。神の力で生かされているのだと悟りましたら身体が急に軽くなって治ってしまって昨日から仕事を一所懸命にやっても何ともない―――と話していると、その奥さんは急にあらたまって、
「先生、まことにありがとうございます」と手をついてお礼を言うのであった。

「え、どうしたんですか」と服部氏が驚いて聞くと、
「先生のお話をきいているうちに、ほんとうにそうだな、人間は自分の力で生きているのではない、神様が生かして下さるんだ、ほんとうにそうだと思っていますと、先生、私の此の手はリュウマチで指が思うように動かぬようになっていたのですが、そんな筈はない神様が生かして下さるんだという気がすると共に動くようになってしまったので、思わず有難うなって御礼をもうしたのですわ」と言うのでした。

 それ以来、服部仁三郎氏の話をきいて治る者が無数にあって、その奇蹟の如き治病経過は『生命の實相』第三巻(頭注版第5・6巻)に連載した通りである。真理は伝えられて癒された人がまた次へ真理を伝えるとまた癒される、聖霊の火が次から次へと点火されるような状態がつづいたのであった。----------途中のことは省略する。


一昨年のことであった。東京都内の藪(やぶ)照子さんの娘が奇病にかかった。一種の脊椎カリエス病状で脊椎がまがらないし、右の股関節も自由にならず、座るにも右脚を真直ぐに伸ばしたまま座らなければならないのである。それだけなら好いが、夕方のある一定時刻になると悲鳴を挙げるほどその曲がらない方の脚が疼(うず)いて、もがき苦しむのである。

その娘は生長の家本部前の脇田博士の病院に入院していた。脇田博士の医療も説得も何の効果もなかったので、博士は服部仁三郎氏を招(よ)んであげようということになった。

 丁度、痛んでいる最中に服部氏が到着したのでした。そして、人間本来神の子、円満完全で病気は無いという話をその娘の枕元で話した。すると、十分間ほど話しているうちにその痛みがピタリと止まってしまった。

藪さんの奥さんはこの娘が不思議な病気で、天気の日にはあまり尿量はないが、雨が降る日には多く尿量がある。少し降る日には少し多いし、多量に降る日には無闇に多量に尿があって、病褥(びょうじょく)を濡らして困るということを訴えた。娘は夕方の疼痛時の放尿には疼(いた)んで便所につれて行けないので、「おむつ」を利用していたのである。

服部氏は、「それは雨が降るのを見ると、水を連想するので尿が多く出るのでしょう」と心理的な尿量増加だろうと話した。藪夫人は、私もそう思って、雨が降る時には雨を見せないように室をたて込んで警戒して置くのですが、本人は雨の降るのを全然知らない時でもその尿量は雨量の指示計であるかの如く、正確に増減するという事を訴えた。

「それでは、その雨の降る時間に来てみましょう」と言って、服部氏は次の日、雨の今にも降りそうな時をはかって病院を訪れたのである。そして、病気の娘の枕頭(まくらもと)で、生命は神の子、完全円満、そんな不調和なことはないという真理をまた話していたのである。

ところが雨がザンザ降って来た。娘はきげんよく聞いていて、少しも尿意を催さないのである。それ切り、雨量と共に増減する不思議な尿の病は治ってしまったのでした。

 脇田博士も此の奇病の奇跡的治癒には驚いてしまった。まだ脚と脊椎の硬直はとれないが、疼痛と尿の異常は治ってしまったし、この種の病気は物質的医療の範囲外であるので、もう自宅へ帰って養生せられるが宜しかろうということになった。

服部氏は短冊に「生命円満完全」と書いて「これを部屋にかけておきなさい」といってそれを渡した。

 自宅へ帰ってから数日後の或る時、藪夫人は娘の枕頭(まくらもと)で『甘露の法雨』を読んでいた。突然その時、柱にかけてある服部氏自筆の短冊「生命円満完全」の文字の上からパッと白い火が出たことを感じた。オヤ不思議なことがあるものだと思って娘の方を見ると、娘がしきりに首を枕の上で持ち上げようとしているのである。そしてとうとう首をもち上げて硬直していた脊椎を自分で勝手にまげて起きてしまったのである。

やがて脚も自由になるしどこも完全に健康になった。この娘さんは今も完全に健康で、女学校の三年になっていて、先日の白鳩会に来て以上のような体験をのべてお礼を言われたのであります。

 私は斯ういう奇跡的な治癒の事件が面白いから引用しているのではないのである。何が斯かる奇跡的治癒の内在原理であるかとうことを諸君に知らしたいと思うのであります。

 それは「人間神の子・本来円満完全」と云うこの真理が、それが以心伝心に、或いは招神歌を書いた紙を媒介として、その真理を書いた『生命の實相』の小冊を媒介として、或いは「生命完全円満」と書いた短冊を媒介として、或いは『甘露の法雨』の読誦を媒介として伝わるという事であります。

「人間完全円満」という事は、人間の本性それ自身(即ち生命の實相)の中に宿っている真理であり、同時にそれは、神自(みず)からの創造の原理として宇宙に充満している真理なのであります。

この宇宙に充満する「人間完全円満」の真理が、人間の本性それ自身の中に宿る「人間完全円満」の真理を呼び出せば自然に病気が治るのであるが、その神の真理が、人間の真理を呼び出す触媒のような、アンテナのような働きをするのが、「人間完全円満」を表現する言葉であったり、文字であったり、説教であったり、書物であったりするのであります。それは人間内部にやどる超越的内在神のはたらきによって治るのであるから、これを超物質的治癒(メタフィジカル・ヒーリング)というのであります。





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