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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[5534] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第204回
信徒連合 - 2016年10月27日 (木) 08時52分




<再掲示>


 インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第204回



マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************




もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!




霊界とは、どのようなところか?



情死者・自殺者全般

(『人間死んでも死なぬ』P.120、201−207)

(つづき)


<<霊界の教導職は与え得るだけの助力を与えてくれましょう。向上の道にある霊魂に援助を与え、力尽きんとする霊魂を力づけてやるのが彼らの使命なのです。が、彼らは罪を犯した霊魂を慰め力づけることは出来ても、その苦痛の一つだに減じてやると云うことは出来ないのです。罪の報いの一つだに宥(ゆる)してやると云うことは出来ないのです。その人の罪は他の人が代わりに積んだ功徳では宥(ゆる)されません。どんな友達も彼の罪を背負ってやることも出来ねば、彼の背から降ろしてやると云うことも出来ません。衰えつかれた勢力を支えてくれるために絶えず援助は与えられますが罪の<報い>は罪を犯したその人のみが担(にな)わねばならないのです。>>(P.205)

<<M・Cフラウルクス嬢の『わたしの過去』なる自伝のうちに霊媒トセツリ氏にサクソニーの前太子妃の霊魂が憑(かか)って来て語った言葉が載せられている。それによると、自殺した彼女の愛人は、自己のその行為のために罰を受け、「長い間その霊魂は腐爤(ふらん)しつつある肉体を離れることを許されないで、その腐爤(ふらん)し行く恐怖を、まじまじ見つつ居なければならなかった。」と言うのである。>>(P.206)

<<またスェーデンボルグ氏は或る晩、自分のところへ現れた自殺者の霊魂のことについて書いている。――一「一人の自殺者の霊魂が私のところへやって来たが、自己の胸にそれを突きさしでもしたらしく手に一丁のナイフを握っていた。併し、彼はそのナイフを自分の手からむしろ捨てようとして幾度も無駄に努力している様子であった。私の聞かされている処によると、死の瞬間にとっていた状態が消滅するには随分長い間かかるのである。」>>(P.206)

<<シェーロ氏はその著の一部を「降霊会とその帰結」を論ずることに費やしている。その章のうちに、氏は一人の六十歳の老人――高貴な魂の持ち主であったが、極端な物質主義者の医者――のことを述べている。この老人は嘗て世話したことのある一婦人と結婚するために二十年間も待っていたのだった。そしてその婦人の良人が死んだ後、とうとう彼女と結婚したのであるが、その婦人はその後十日間も経ないで死んでしまった。「この老人が突き落とされた涙の谷がどんなに深いものであったかは、言葉で言い表わすことはとても出来ない。彼は慰藉(いしゃ)を求めに行く宗教を持たなかった。彼は互いが再びあうことを祈るべき神をもたなかった。全き絶望のほかには何も、なにもなかったのである。で、彼は直ぐ自殺しようと決心した。
 たまたまシェーロ氏は、この老人と一緒に歩いているうちに、霊媒になり得る一友人の前へ来たのである。・・・霊媒はすぐ恍惚状態にはいった。五分間経たないうちにこの医者は亡妻とハッキリした明瞭な言葉で対話をまじえた。<間違いも無い>彼女の声であった。霊媒はその容貌まで彼女に似て来た。と云うには、彼女の上唇の左側の所には特殊の窪みがあったのだが、医者は先ずこれを見つけた。彼女はハッキリした明瞭な調子で、彼に自殺してはいけないと言った。『何故なら』と彼女は言った。『そんなことをなすったら、私たちのお互いに会える日が一層送れるばかるです。』そして彼女は自然の死が彼を現世から解放してくれる迄は、彼は他の人々のために働かねばならないことを説いたのだった。シェーロ氏はこれにつけ加えて言っている。――『もし降霊術がこれ以上のことが出来ないにしても、少なくとも、それは一人の人間のたましいに平和を与えたのである。そしてこの老医者がその後生きていた二年間に、数百人の人々が、この老医者から恩恵を受けたことは事実である。>>(P.199−201)

<<スティトン・モーゼス氏の一友人が自殺を遂げたことがあった。その時モーゼス氏に憑ってきたインペレトルと称するスピリットはこう述べている。――『吾々は貴方の友達のことについて話したいと思います。どうして彼が祝福される筈がありましょう。彼は神が向上と発達とのために霊魂をその中に入れておいた神殿に○瀆(せっとく)の手を挙げたのです。彼は向上と発達との機会を浪費し、自分が受け持っている精霊の住家たる神殿を破壊したのです。彼は、まだ彼の霊魂がやって来るはずでないから、何の用意もされていない。孤独な、友達なき、見知らぬ世界に自分の霊魂を追いやったのです。彼は不敬虔にも許しを受けずに神の王座を涜(けが)したのです。どうして彼が祝福されましょうぞ。彼は死については不敬虔で、不従順で、我侭気侭(わがままきまま)であり、生については不注意で、懶惰(らんだ)で、利己的でありました。<その上突然死ぬと云うことは後に残る地上の友達に苦痛や悲しみを与えると云う点からも利己的であります>――どうして彼の霊魂が平安を得ることが出来ましょう。こうした霊魂は、悔恨の情が起こって、それが彼を改心に導くまでは、悲惨な、愚昧な、向上の出来ない状態にいて、平安を得ることは出来ないのです。彼の徒(あだ)なる生活についての話をこまごまと申し上ぐる必要はありますまい。彼の霊魂は残忍な利己主義で蝕まれ尽くしていました---------->>(P.202−203)

 此れで自分は自殺者の死後の運命についての霊界消息をかなり多く集めたのである。スピリットの告ぐるところは大体に於いて一致していると云わなければならない。情死も重複自殺であると見る時、やはりこの法則があてはまると思うのである。無論いちいちの場合に於いて、自殺の動機、自殺者の平常の人格等によって、起こる結果の多少の色合いは異なり来るであろう。併しそれが自然の法則を破毀(はき)した我侭(わがまま)な行為であると云う点に於いてそれは罪せられずにはいられないと云うことにスピリットたちの言葉は一致しているのである。スピリット達はいづれも「口をそろえて」自殺者の霊魂は自殺の瞬間にとったいまわしい不快な状態を長いあいだ継続して感じたのち、暗い陰惨な冥界に移され、そこで改悛の情の起こり来るまで苦しまねばならぬと云うことに一致しているのである。>>(P.207)


 
<注釈・コメント>


現代社会における自殺者対策について

ある投書(平成22年2月10日・産経新聞・東京都在住Y氏42歳より)


<<政府は真剣な自殺者対策を!―――施政方針演説で「いのち」を強調した鳩山由紀夫首相に特にお願いしたいのは、自殺者数を何とか減らしてほしいということです。自殺者数は12年連続で3万人を越え、自殺率は先進国で最悪という極めて深刻な状況です。滅多に電車に乗らない鳩山首相はご存知ないかも知れませんが、各地の鉄道では「人身事故」(飛び込み自殺)が頻発しています。先日、私は栃木県に出掛けました。そして夜、上野駅に着いてから帰宅するまでの一時間弱の間に、電光掲示などでその日首都圏で人身事故が4件も起きたのを知りました。正月三が日も人身事故は起きていました。別に調べたわけでなく、駅の掲示やラジオの交通情報で知っただけでそうです。政府はこの異常な事態を直視し、危機感を持って対処してほしいと思います。「いのち」重視を言葉だけでなく、現実のものにしていただきたい。>>

 この投書に書かれている如く、日本の自殺者数は、毎年3万人を超えておりますが、政治行政面からの対策としては、生活費の当座の援助や心の相談窓口のカウンセリング強化・拡充が精一杯でありましょう。政府等の行政面での対策の範囲は限界があります。また、自殺者は社会の犠牲者とする考え方も正しいとは云えないのであります。

現代社会の一大欠陥は、すべての問題を唯物的(物質世界の範囲内だけ)に捉えて、物質世界の領域を超えて考えない事が社会の大勢となっている、と云うことであります。現代教育は唯物的(物質世界の範囲内だけ)教育が中心で、眼に見えるものや科学的計測器で確認できる事柄以外は非科学的として信頼しないのが普通であります。

 この世界(眼に見える現象世界)に起こって来る事柄は、何の理由もなく突然に、或いは偶然に起こって来ることは一つとして在りません。すべて100%が、“原因・結果の法則”に基づいて起こって参ります。このことは、仏教ではお釈迦さまの説かれた「因果律」のことであり、正確には「因縁果の法則」のことであります。宇宙の一切の現象には、必ずその元になった“原因”が存在してその原因が“一定の条件”が整った時(これを“縁(えん)と云う)”に眼に見える現象と云う“結果”が現れる。此れは“法則”ですから、地球上の人類すべての人々に適応されるのであります。

また、“原因”と一口にいっても、その中には根本原因(第一原因)と中間原因(第二原因、第三原因-----)というものがあり、“結果”はまた次の原因や縁となって循環し発展・展開して行くのであります。

 このような形而上的観点から自殺者対策を構じなければならないのであります。

(1)自殺の原因と現代社会が認めているものは、生活苦・人間関係における絶望・将来への絶望・極端な厭世思想・極端な現実逃避・来世へのあこがれ等々であります。

(2)自殺者の共通点は、人間は死んで此の肉体が灰になれば一切のこの世の悩み苦しみは無くなる。病気も生活苦も無くなる。或いは、現世では到底自分の希望は叶えられないので悩み苦しんで苦労して生きて行くよりも早く死んで(天国・極楽という)幸せな世界へ行きたい、(来世に)生まれ替りたい。と云う考えであります。

(3)以上のような、自殺の原因は根本原因ではなく、自殺の“動機”であって因縁果の法則(因果律)の中の“縁”であるのです。

(4)では、自殺の根本原因(第一原因)は何かと申しますと、自殺者本人の持っていた「人間観」・「人生観」であります。更に云えば「世界観」・「宇宙観」であります。人間とは一体何なのか?人間は父母が勝手に生んだのか?この世に生まれてきた目的と云うものがあるのだろうか?この世には何故多くの苦しみや悩みがあるのだろうか?世界には多くの人々がいるが全部が自殺するわけではない。何故一部の人だけが自殺をしなければならないのか?人間の幸不幸の原因はどこにあるのか?一部の人達は生まれ替り(輪廻転生)を信じているが本当だろうか?人間は**(確認後掲載)ば自分の存在も含めて自分に関する全ての事が消えて無くなってしまうのではないか?等々に関して正しい答えを見出せず間違った考え方を持っていた事が根本原因(第一原因)であります。

(5)科学的合理性と云う現代社会の“理性”なるもので物事を判断する人は理解できないのですが、自殺の動機にはその人に関係ある今は霊界にいる人(死者)の霊魂の想いが影響を与えている場合も結構あるので在ります。このこと(憑依)も見落としてはならないのであります。

(6)以上の事柄を前提として、開祖・谷口雅春先生の御教えに従って、現代日本に於ける<自殺者対策>を考えて参りますと、

*正しい人間観・人生観をもって生きること、そしてそのような教育を日本社会全体に広める事、

*過去に於いて自殺者のある家庭に於いては、その自殺者の霊供養をその家の人が自分で毎日の日課として励行すること、例え、自殺者の無い家庭であっても、先祖供養は子孫の義務だと認識して毎日の日課として自分の家庭で家族自らが行う習慣とすること、

*正しい霊知識を広く社会に普及すること、特に、自殺者は自殺しても生前の悩み、苦しみは決して無くならず、霊界で更なる悩み苦しみは増大して続き、自らの悔恨の想いが出てくるまで苦しまなければならない、それは生前の現世以上の苦しみである事を社会全般の常識となる事を目指さなければならないのであります。

*これらの“根本的な自殺者対策”は政府や行政機関では出来るものではありません。此処は矢張り宗教者の担当なのであります。宗教団体の本来の存在理由はここにあることを理解し、その方向へ強力に向かって行かなければならないのであります。

*正しい人間観、正しい人生観とはどのようなものか?その要点をのみ記すれば、―――

(イ)人間の生命は神さまから生まれ出た。その神とは創造神即ち、唯一根元の神様・宇宙大生命であり、全てに於いて完全にして円満且つ無限の創造をなす存在である。人間一人一人は皆、神の自己実現即ち<神の子>である。

(ロ)神の自己実現たる神の子人間は完全なる想念の自由と云う特権によって本来持っている無限の完全円満なる内容を無限の想像力で以って宇宙のあらゆる天体を神の子としての実相顕現の“場”として活用(輪廻転生)する。この無限の実相顕現過程が現象界から見ると、個性生命(個性命)の霊魂進化の階梯(修行の梯子段)なのである。

(ハ)宇宙のあらゆる天体のうちから、今生は地球と云う天体を自らの意志(時には、宇宙の摂理)によって選んで地球と云う霊魂進化学校の制服=肉体(修行服)を着て生まれてきたのである。父母が勝手に子供を作ったのではなく、子供が今生の霊魂進化の為の人生学校として最も相応しい両親を選んで地上に生まれて来ているのである。

(ホ)かくして、此の世に誕生したのは、霊魂修行道場としての地球人生学校への入学であり、学校であるから卒業するまでには色々な課題(人生苦・悩み)が与えられるのは当然のこと、併し、与えられる問題(人生のテスト)の範囲はその人の実相顕現程度(今生での能力)の範囲内であり、必ずその人(個性命=霊魂)の解決能力で解答できるものであります。それなのに、此の課題解決の最大限の努力をせず途中放棄(中途退学)すること、此れが“自殺”なのである。人生学校におけるテスト(病・悩・苦)は、その人(霊魂)の進化向上のためには必修過程のテストであるから安易な途中放棄は絶対に許されない。形を替え、品を替えて合格(卒業)するまで与えられ続けるのである。そして努力してテストに合格して初めて上級学校(幸せな来世の人生或いは他の勝れた天体)への入学が許可されるのである。上級学校へ進むにつれ実相顕現の輝きは大きく(霊魂の進化は進み)魂の歓喜のレベルは更に高まって行くのである。

(へ)肉体と云う修業服を着て地球人生学校で学ぶ必修科目の一つが「霊供養」であり、代表的なのが『先祖供養』であります。先祖は父母を含めて“根”・幹は“自分”・枝と葉は“子孫”と云う霊的系譜の自覚を養うと共に<先祖と父母あっての自分の存在>と云う事実への素直な絶対的感謝の大切さを学ぶのである。また、霊界で修行中の身近な人(個別霊)の供養の大切さを自己の人生苦を通じて自分の霊魂は学び修業して行くのであります。


 以上の事柄が<自殺者対策>の根本なのであります。政府も他の行政機関も誰も気がついていないことであります。なぜか?それは冒頭で指摘させて頂いた如く現代人の90%以上が唯物的思考であるからであります。宗教団体でも此の事を明確に指摘しているのは『幸福の科学』教団のみ?、吾が『生長の家』教団に於いては開祖・谷口雅春先生が明確に説かれているにも拘わらず、三代目マサノブ君は“霊的なことについては宗教間の<合意>が出来ていない、霊的なことは霊界へ往ってから考えなさい、現世では霊的な事柄は、解からないし、霊的なことは危険が伴うから『今の教え』では採用しません”と言って炭素ゼロ運動や趣味と芸術センスを磨く誌友会の方向付けを採っているのは、明らかに宗教本来の使命の放擲であるのみならず、現代社会に対する背反行為でもあります。






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