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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[5632] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第157回
信徒連合 - 2016年11月04日 (金) 08時59分



谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




藤原敏之先生「あなたは必ず救われる」より(10)




私の家は病気の問屋

私の家庭でも、今から28年前までは生長の家の御教えも知らず、苦しみと不安の毎日でありました。先ず私が健康に自信がなく、医者と薬だけを頼りに生きておりました。下痢は慢性であり、秋から冬にかけては、三日にあけず風邪引きで発熱しては寝ておりました。それも私はもともと身体が弱いのだから仕方がないと諦めておりました。また家内ときましたら私に輪をかけた位弱く、病気の数も勘定出来ない位ありました。頭の先から足の先までと言いますか、身体全体が弱くて病気ばかりしておりました。一ヶ所や二ヶ所なら毎日起きても、「今日は別に悪い所がない」という日もたまにはありましょうが、何しろ数が沢山ありますから、毎日何処かが悪いのですから、「今日はどうかね」という日は一日もありません。

ですから私は、朝目が覚めると、「今日は何処かね」と聞く始末でありました。 それも簡単な病気ではなく、ほとんど慢性的なものばかりであります。若い時から持病になっていたのが心臓弁膜症という厄介な病気で、医者に言わせると、「これは絶対に治るということはない。ちょうど茶碗にヒビが入ったようなもので元には戻らない。長持ちさせようと思えば、大事にしてそっとしておくより仕方がない」と言い渡されておりました。

また、その通りでありまして、ちょっとでも急がせると駄目で、急な用事で急いで2階にでも上らせますと、みるみる顔の色が真青になり、その場にぶっ倒れてのびてしまいます。脈をみると止っている。「ああ、これは死んだかな」と驚いて心配していると、暫くして、トックトックと脈が打って来るので「ああ、生きている。生きている」という訳でホッとして脈をみる。普通に打っているかなと思っていると、また、ちょっと止ったようになり、また、トックトックと打ち始めるという具合であります。

これを弁膜症特有の結滞脈というのであります。そのような身体でありますから、お産もその度に大変だったのであります。その弱い夫婦の間に生まれた4人の子供がみんな弱いという訳であります。 まあ、まるで競争で病気しているような状態で、病気の問屋みたいな家でありました。あらゆる病気に備えて病気の道具だけでも大変なもので、体温計など1本や2本では万一折れたり、壊れたり、狂っている時が心配で1箱ずつ買って置いてありました。子供が交代で熱を出して、引き付けを起すので、イチジク浣腸といって通じをつける薬等も1箱ずつ買いだめしておりました。ヒマシ油といって、腸の洗浄ををして熱を下げる下剤も切らすことはありません。その他氷嚢や水枕も大人用、中人用、小人用、予備という訳で、肺炎に供えて酸素吸入器から、湿布の道具も大人用、中人用、小人用と予備まで備え付けるという徹底した病気恐怖症にとりつかれていたのであります。

そんな具合でありますから、女中さん(お手伝いさん)も年中1人は必要で、家内がお産などしますと、2人は頼んでおりましたが、ある時戦時中、会社の命令でお正月に三重県の四日市に転勤したことがあります。

大変に寒い日でありました。ひどい汽車に乗ってやっと社宅に辿り着き、家族がホッとして、一休みしておりますと、女中さんが家に着くなり飛び出して行ったのであります。皆で「あれ、どこに行ったのかね!」と話しておりましたが、私はきっと市場(買い物をする所)でも見に行ったのかと思っていると、間もなく帰って来て「ああ、良かったですわ」と言いますから、「何が良かったの」と尋ねますと、「ちょうど3軒目が内科と小児科の病院ですわ」と言いますので、みんなで「ああそう、それは良かったね!」と言って安心したり喜んだものであります。このような風で、一家を挙げて病気を気にし、まるで病気の出ることを待っているような状態であったのであります。女中に至るまで常に病気を気にしている位でありますから、病気が絶えないのは、今思えば当然であります。

早速その晩から一番下の男の子が大熱を出し、3軒目の吉田医院の院長さんの往診を受けると、肺炎を起しているということでした。こんなこともちゃんと予想して、病気のための道具だけは別の箱に収め、赤札や印が入っていて、すぐ見つかるようにしてありますから、肺炎の手当てでもすぐ出来るという始末でした。
長女も生れついての心臓弁膜症で、私が生長の家に入信するまでは、小学校の校医が「この子は心臓弁膜症であるから、過激な運動や労働は絶対にさせてはならぬ」と厳重な注意があり、学校の先生も恐れて、体育の時間になると「藤原さんは陰で休んでいなさい」と言って休ませてもらっておりました。運動会でも、その子は父兄席に来て、お友達の体操やお遊戯を見せてもらっていたのであります。このような病魔にとりつかれたような極めて暗い家庭であり、不安の絶えない人生であったのであります。




一枚のポスターが目に止った!

ところが昭和21年2月末に、中支から復員し、長らく求職となっていた会社に復職し、広島県尾道市の支店に管理職として勤務を命じられ、そこで働くことになりました。戦争に負けた心の痛手と、敗戦による大混乱とで何の希望もなく、意気消沈して、ただその日その日を仕方なしに生きているような暗い毎日でありましたが、それでも常に心の底の何所かに絶えず何かを求め、光を求め続けていたのであります。

そんなある日、街を歩いておりますと、ふと私の目に止ったものは、生長の家の講演会という一枚のポスターでありました。前にも書いた通り、私は私なりのあらゆるもの、(宗教はもちろんのこと)心の修養となるものや、思想的な内容をもったもの等、私なりに片っ端から漁り尽したのでありますが、どうしても一つの壁にぶつかって、その壁だけは越えることが出来ないまま戦争時代に入りました。昭和19年春、一枚の赤紙(召集令状)によって動員せられ、そのまま中支に連れて行かれ、軍務という激しい毎日のお勤めに追われて、真理への求道熱は表面的に失われたかの如くなっておりましたが、人間の奥底には、やっぱり忘れたり、ごまかすことの出来ないものが燃え続けているのであります。

私はその一枚のポスターに目が注がれたとき、異様な心のときめきを感じたのであります。生長の家という教えがあるということはかねてから聞いて知っておりましたので、一遍聞いてみたいという強い願いがありながらも、これという縁に恵まれずに過していたのでありますが、今こそ時機が到来したのであります。

私はお芝居や映画のポスターはどんな大きなものでも余り目につかないのでありますが、宗教とか修養講座とか精神的な催しの広告だけは、どんな路地裏の小さな紙に書いて出してあっても不思議に目につくのであります。これは、心のそこで求めている証拠だと思うのであります。私はその時小躍りして喜びました。

講演会は夜でありました。その晩会場を探して入ってみると、「藤半」という料理旅館のダンスホールであります。見れば、かなり満員であります。

私はどんな時でも、お話を聞くのに後で聞くということは絶対にしないのであります。もっとも講演が始まっておれば我慢しますが、そうでなければどんなに満員の時でも、必ず前に行きます。それは私の奥底の心が承知しないからであります。私には、どうしても“いい加減に……”ということが出来ない性分があるのであります。それが私を駆り立てるのです。何か魂が眠らないで目を醒ましていて、そいつが私の表面の心を揺さぶって離さないのでありましょうか。

その時も幸いまだ始まっていなかったので、一杯詰まっている中を、少しでも空いているような所を見つけては、「ちょっと失礼します」と言っては足を入れさせてもらい、また見合わせては次に一本の足を断りながら入れさせて貰います。中には「この一杯詰まっているのに、どこへ行くのか」というような目で見る人がありますが、私はそんな事にこだわってはおれません。人生の一大事、今聞き逃がしたら、またいつ聞くことが出来るか、また、いつ縁に恵まれるかわからないという一心でありますから、ちょっと無理だから止めておこうという訳には行かないのであります。

宗教に救われるというのは、実はこの心構え如何に関わるのであります。神様が区別をつけるのでは、こちらの方が決めるのであります。同じ御馳走でも、腹の減り加減で味が違うのであります。お腹がすいて何か食べたいなと思っている時出される御馳走は、少々不味くても美味しいのでありますが、家で腹一杯食べて満腹している時に出された御馳走は、どんなにお金をかけて作られた御馳走でも、ちょっとも美味しくないのであります。

このように同じ御馳走でも、十人食べたら、十色に味が違うのであります。それは御馳走の方は同じものでも、食べる側のお腹の加減によって、みんな違った味となり、同じという訳には行かないのであります。神の愛も仏の救いもこれと同じように、万人に平等に愛や救いを垂れ給うのでありますが、相手によって受け方がみんな違うから、それぞれ違った結果が現れるのであります。

神の愛や仏の救いというものは、万人に平等でありまして、差別も区別もないのでありますから、受け方次第なのであります。
私はそんな訳で、いつも必ず前に出ることにしておりました。多年の経験からしますと、どんなに満員でも一番前の方に一人位は必ず入れるものであります。それは講師のお顔が少し仰向け加減で見られるところが一番前になっておりますので、首が痛いくらい覚悟すればよい訳であります。私もそんな訳で、「ちょっと失礼、ちょっと失礼」というわけで最前列まで進みました。中には便所にいって元の席に戻るのであろうかと思うのか「どうぞ」と言って通りやすいようにして下さる人もある。

とにかくそのようにして最前列に陣取って始まるのを待っていると、驚いたことには、時通り定刻にはキチッと始まったことであります。軍隊ならいざ知らず、世間一般の通念として、一般の会合で時間通り始まるなんてことはおおよそ考えられない時代であります。必ず初めから30分位は開会時間を加減し、含みを持たせて発表してあり、参加者もそれで当り前と思っているのであります。実は私もその常識で行ってみたら、前記の通り、開会15分前位の時間には、ちゃんと満員になっていて、私もいささか面食らったのでありますが、これは谷口雅春先生が“時は生命である”として、時間を大切になさり、信徒にお教え下さるからであります。

その日も定刻5分前になりますと、演壇の横の木戸が開いて、スッと出て来られて、40歳余りのズングリした色の小黒い男の人が、そこにあった椅子に腰を下され、会場の方を見回しておられる。その顔の何と嬉しそうなこと、「俺は偉いのだぞ」という気配は全然感じられません。私はその顔を見ながら、“何とまあ世の中にこんな嬉し気な顔をした男を見たことがない”と驚きました。「へえ、嬉しそうだな!」と思いながら眺めておりました。



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