【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中

生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
写真

URL
編集・削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[5645] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第213回
信徒連合 - 2016年11月05日 (土) 10時03分




<再掲示> 


インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第213回




マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************




もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!




個性命の進化と向上

*『生命の実相』第9巻霊界篇・上巻には、「進化」という文字が数えてみますと151回ありました。数え落としもあると思いますがそれほどまでに「個性命(個々の霊魂)の進化(霊界を含めての現象世界に於ける実相顕現の過程=プロセス)」というものが重要なものである事がわかるわけであります。以下、開祖・谷口雅春先生の御著書から「個生命の進化」に関する御文章を抜粋させていただきます。なお、「個性命(霊魂)の進化」に関しては、第三代目・マサノブ君の『今の教え』では意識的に回避しているのであります。その理由はマサノブ君自身が左翼唯物論思想が基本でありますので、<霊と霊界>のことは、「自分には解からぬ(=信ぜず)」と講習会での信徒の質問に答えているのであります。




生命は死を超えて前進する

(『別冊・真理<生死を超える道>』(P.51−55)

<<大甲虫(おおかぶとむし)は樫(かし)の木の皮の中に生みつけられた卵から孵(かえ)のである。孵った時は小さな蛆(うじ)で長さ半インチ、太さは小麦の茎(くき)ほどのものです。体の色は黄色がかっており、頭は黒く、鋭い顎(あご)があって樫の木の硬い木質に孔(あな)を穿(あ)けます。孵化(ふか)すると木質の表面で生活を始めるのであります。穿孔虫(せんこうちゅう)であって三年間位は樫の木の中で生活するのであります。

 この虫の感覚は基本的なもの二つ――即ち味覚と触覚しか持っていません。見ることも聞くことも齅(か)ぐことも出来ないのであります。樫の木質について発達した味覚をもっています。又この大甲虫の棲(す)む樫の木を割って、針で突くか或いは触れると触角があると云う反応を示します。神経組織は最も簡単なものであります。

 自然この虫が最初に穿(うが)つ孔(あな)はその体の大きさしかないのです。然し体が樫の木の内部に進んで行くに従って体は生長して大きくなります。生長して大きくなった身体は、幼い小さい時に穿(うが)った孔へと引き返して帰ってくることが出来ません。この虫は木質を消化する為の「一片の腸」みたいなものにすぎないような存在ではあるが、生長するに従って、通路も大きくなる。体の前部を伸ばし、後部を縮めて前に引き寄せ、次いで後部を伸ばして前部を縮め、徐々に前進します。この虫の腹部には毛虫の腹部にあるような匍匐(ほふく)動物の廃退器官の痕跡(こんせき)とでもいうべきものが残っているが、それはもう使用しない。――しかもその跡が残っていて、この虫の生命のある時期には匍匐動物であって、物の表面で生活し、恐らくは樫の葉を食べていたのだと云うことを示しています。然し進化の或る段階で樫の木質を好むようになり、穿孔(せんこう)動物になったのであります。或いは多分、鳥はこの虫がおいしくて滋養に富んでいると云うので、この敵から逃れるために孔を穿つことになったのかも知れません。ともかく外界を去って樫の木の中の不思議な暗い所に入り、そこで生命周期の最初の部分を過ごすのであります。

 大甲虫の幼虫は三年の間、生きながらの墓場、冥土(めいど)のような闇の中でこうして暮らしています。そして遂には二インチ半ないし三インチの長さになり、人間の小指位の太さになります。次いで体内に神秘な変化が起こり、その変化のために否応なしに木の表面に向かって真直ぐに孔を穿って出て来ます。そしてさっさと仕事に取り掛かり、居心地の良い寝床になるように、直径三インチ位の適当な長さの巣を造ります。虫自身のいのちの中にある“何物か”の智慧により、樫の木から取った繊維で巣に内張りをするのです。この“何物か”を我々は何の躊躇(ちゅうちょ)も無く本能と呼んでいます。実はこの“何物か”は神の智慧が光のごとく現われたものであり、この智慧によって変貌を行うに便利な場所を準備し、その変貌によってこの虫は新しい生活と新しい運命とに入って行くのであります。

 然しこの変貌を行う場所としての彼の楽屋は、これだけの準備で完成したのではありません。幼虫は将来の出口をカモフラージュするに丁度足るだけ樫の皮の表皮をホンの少し残してその下のところを全部齧(かじ)って、不思議にも将来出て行くことを本能的に知っていて将来にそなへて、出ることを容易にしておくのであります。次に体内の分泌物からかたい粘質物を吐いて入り口を封鎖し、雨その他の侵入するものを防ぎます。このようにして一大変化の準備を終ると、この醜(みにく)い、見ればぞっとするような姿をした虫――当時は、その感覚は基本的なものが二つしかなく、どう観ても樫の木質を消化する能力を持つ長さは指ほどの一片の腸にすぎないような様子をしたこの虫は――眠りに入るのであります。

 併し、その眠りは今まで全然知らなかったような眠りです。「死」さながらの眠りです。そして本能的に頭を入り口の方にして眠るのです。これには重大な意義があるのですが、そのことは後に述べます。この点に注目して、一般の人間は「死」と云う一大変貌の起こる前にこの虫位の分別があって、肉体の「死」の後に来る「生」について準備が出来ているか確かめてみるがよい。
 一定の時が経つと「復活」と云う不思議が起こるのです。生きた大甲虫が「死んだ体」から現われます。芥(あくた)の如く「醜い虫」の死の体から生きた新しい輝かしい体が甦(よみがえ)るのです。彼はぎらぎら光る鎧(よろい)を着け、翼を持ち、味方か敵か、恋の相手か恋敵かを、その顫動(せんどう)によって見分ける鋭敏な触覚を持っています。彼は、もう味覚と触覚だけの下等生物ではない。立派に“五官を具(そな)えた”誠にすばらしい動物であります。彼は恋愛その他の高い程度の冒険をすることも出来るし、かれは、もう前方へ匍匐(ほふく)するだけしか知らない動物ではない。もう飛翔の機は熟しています。永眠の死の扉はばらばらに裂かれ、新しい生き物となって防寨(ぼうさい)を破って外界に飛び出して天空に舞い上がるのです。如何なる意味から考えても、彼は全然新しき生物です。そして新しき世界に、新しき生活を始めるのです。若し出来るなら、何がかくならしめたか、説明して戴きたい。私はその経過を説明しただけであって、その不思議を説明することは出来ないのです。この不思議を司るものこそ宇宙普遍の知性――神なるもの――ではないでしょうか。その不思議な知性があなた達にも宿っているのではないでしょうか。>>




霊魂進化の神示

(『神ひとに語り給ふ』神示講義・教の巻(P.167−168)および『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.102−103)

<<『神の子』なる人間の實相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。人間の運命とは『神の子』なる人間の實相(因子=たね)が現象世界に投影する時、時間空間的に展開するのに、おのづから一定の順序を追うて展開して行くように大体定められているのを言う。それはたとえば朝顔の種子(たね)の中には既に『花』の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象界に『花』となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遇(あ)い、芽を出し、蔓(つる)を出し、蕾(つぼみ)を生じ、ついに花を開くと云うように、大体一定の順序を追うて展開するが如きである。斯くの如く、神の子なる實相人間も、その投影を現象界に完成するには大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遇(あ)うが如く、或いは幸福に恵まれ、或いは虐運(ぎゃくうん)と戦うことによって、といに實相人間の現象界への投影を完成するのである。併し、その投影が完成するには、その投影は『念波の集積』で成立(なりた)っているのであるし、人間は心の自由を有(も)ち、自由に實相の悟りによって念波を浄(きよ)め得もすれば、迷いによって念波を一層汚(けが)すことも出来るのであるから、現象世界に實相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。念の浄化には、實相を悟ることが第一であり、物質欲に捉(とら)われざることが
第二である。物質欲に捉われざるためには、『物質本来無し』の真理を悟るのが第一である。『物質本来無し』の真理をさとる程度に達せざる者には、物質の快に捉われざるための修行として、自ら進んで苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めて却って苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われざるに到るかの二途しかない。前者は自ら進んで嘗(な)める苦行であり、後者は幸福を求むれども求むれども運命的に他動的にやってくる苦難である。その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起こる擾乱(じょうらん)現象の苦痛もある。苦難がみだりに取り去られず、多くの霊魂の霊界通信が苦行の価値を力説しているのも此の色々の理由によるのである。(昭和八年九月十五日神示)>>




『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻・はしがきP.2)

<<・・・個人の運命は国家や民族の運命と混じり合っているのである。さらにくわしく言えば地上の人類全体の運命および地球と他の天体との関係における運命とも混じり合っているのである。そして地球やその他の天体は、人間の霊魂がそこにおいて修行し、向上し、内在無限の神性をより多く発揮するための「場」だということができるのである。したがって、肉体をもっている人間の運命は、肉体を脱却して、よりいっそう進化向上せる霊魂の指導を受けて、種々に導かれ、修正せられつつあるのである。われわれはこれらの関係を無視して人間の運命を論ずることはできない。人間は決して肉体存続期間だけの存在でもなければ、その生活圏が地球上だけに関係しているのでもない。あらゆる天体はわれわれの生活の「場」であり、進化向上の「場」として造られたものであって、天体の運命と、個人の運命とは密接に関係せしめられているのである。われわれがここで言う「運命」とは運がよくて金が儲かるとか、運が悪くて失敗するとかそのような小さな問題を言うのではない。もっと人類全体と、そして宇宙全体とに、関連せるところの大いなる運命である。・・・>>

『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻・P.97)
<<「理解せんと試みることは進化することである。」>>





(4)
Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板