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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1026] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(4)
信徒連合 - 2015年11月06日 (金) 08時20分



インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「子供を見つめて」より(4)




U 良い子は良い家庭から

あたたかい家庭をつくりましょう
家庭は子供の苗代であります。そこにゴツゴつした夫婦いがみあいの言葉があったり、そこにするどいとげをもった目と目、心と心の刺しあいがあったのでは、やわらかい子供の苗木は育ちません。

始終病気にかかったり、神経質でイライラし、育ちのわるい子は、そうした雰囲気の中で苦しんでいる姿なのです。

子供は、まだ目や耳で判断ができなくても、霊感的に周りの雰囲気を直感するのです。だから、子供が育つための最も大きな栄養素は何といっても家族の人々の−和顔・愛語・讃嘆−です。やわらかい言葉、あたたかいまなざしで祝福し合う家庭環境にしたいものです。




<お母さんの勉強会>

ある日、私は10人ばかりの御婦人の集まりで話しました。
「御主人に出世してもらいたい奥様、成功してもらいたい奥様は、1日に一度ぐらいは必ず、夫をほめて祝福するんですよ。また、子供をよい子にしたかったら、これも1日に一度や二度はほめるんですよ。祝福するんですよ」

夫人たちは顔見合わせて、言ったものです。
「そんなやさしいことなら、すぐやりましょう」
「毎日ですよ」
私は、もう一度念を押して、その日は別れたのでした。十日ほどすぎた頃、再びその方たちの集まりがあったので、私も行きました。私は、先ず尋ねました。

「どうです。その後ほめることをやっていますか?。」
みんなニヤニヤ笑っていて、返事がないのです。私は重ねて言いました。
「みなさん、どうしました、やっていますか?」
すると、グループのなかの一人が勇気を出して、答えはじめました。

「それがですね。……」
「それが、どうしたのですか?」
「それが毎日やろうと思っても、ほめることがないのです……」
「なるほど、ほめようと思ってもほめることがないというわけですね。これは面白い。それでは今日の勉強は、何をほめたら良いかをテーマとして学習しましょう」

お母さんたちの勉強は、こうあるべきだと私は思います。




<ほめる勉強>

3人でも5人でも、せいぜい10人までのこうした集まりを作って、その日帰って生活に役立つ勉強を、具体的にすすめることが大切です。

「ほめるととがないと言われるのですね。それでは、何をほめたら良いのかヒントをさしあげましょう。あなたたちは、子供に対して日に一度や二度は叱ることがあるでしょう、どうですか?」

「一度や二度や三度どころじゃないですわ」
「そんなにたくさんの叱る材料を一体いつ、どこで勉強したり、仕入れてきたりなさるのですか?」
みんな、キョトンとしていられました。

「それでは、その仕入先の問題は後回しにして、ほめる材料はどこにあるか、どこにかくされているかの問題にはいりましょう…。実は皆さんが叱る、1日に二度も三度も叱る。その叱る材料の裏側は、全部ほめる材料なんですよ。

例えば、子供が鼻汁を出していろと『きたない、ふきなさい』と叱るでしょう。しかし、鼻汁の出ていない瞬間もあるものですよ。その瞬間が、ほめる時なんですよ。『あれ坊や、今日は鼻の下がきれいなんだね……、素晴らしいね…」とほめるんですよ。すると、坊やはうれしくなるのです。そして、その次からは、変わるんですね。鼻汁の出ている時に、お母さんの顔を見た坊やが先に気がついて、『あっ、そうだ』と袖で鼻汁をふくのです」
みんな「そうや、そうや」とわらい出しました。そこで、私は話を続けました。

「御飯をこぼして叱られる子供も、箸をもった瞬間には、まだ一粒もこぼしてはいないのです。そのこぼれていないときに、ほめるのです。『今日は、上手にこぼさないね……』と。そうすれば、こぼした途端に、両手で御飯粒を拾う子になるのです。お母さんたちは、鼻汁が出ている、御飯をこぼしたと言って、当り前の状態がくずれたときに叱るのは上手ですが、当りまえの時に誉めるべきだとは気がつかないのです。

当りまえが尊いのです。下駄が当りまえに脱いであったら、それを誉めればよいのです。ところが、当りまえをほめることを知らないお母さんが、当りまえになっていないことばかりを見つけて小言をいう。そこで小言過剰の、子供に好かれない母親ができあがるのです。

朝、子供が、泣かないで起きてきた。御主人が、お勤めがすむとまっすぐに帰られた。こうして当りまえのことに感謝し、祝福できる奥さんになってください、と言いたいのです。

大体、子供が鼻汁を出しているぐらいのことで、そうやかましくいうこともないでしょう。年頃になって髪を梳き分けする頃ともなれば、どこに鼻汁をたらしている子供がいますか。私の孫も、幼い頃には、よく鼻汁をたらしたものです。しかし、私は時々言ったものです。『いいよ、いいよ。兵隊検査の日までたらしておきなさい』と。兵隊検査はなくなったが、もう女房も貰っていまして、鼻汁などたらしていることは一度もないのです。たかが一年や半年間、鼻汁をたらしているからといって、親と子がかたきのように騒ぐほどのことでもありますまい。

靴が揃えてないといって、ひどく騒ぐお母さんもある。でも、百遍に一遍ぐらいは、きちんと並べてあるはず、その百遍に一遍を見つけてやってください、というのです。

ところが、ある賢明なお母さんは、『その百遍の一遍が見つからなかったのですけれど、一策を案じて、ある時私が揃えておいてから、誉めたのです。“今朝は、靴をきれいにぬいでおいてくれたのね。その後で、お客さんがみえたので、お母さんは嬉しかったよ“……と、言ったら、子供はキョトンとしていましたが、それでも誉められたことがよほどうれしかったとみえて、それからは三度に一度は履物を揃えられる子になりました』と、いわれたのであります」




<叱る材料は親ゆずり>

「以上で、何をどうほめたらよいかということが、多少わかっていただけたと思いますが、叱る材料はいつどこで勉強し、仕入れてきたかという問題があります。これは、もうお気づきの方もあると思いますが、子供のときにお母さん方がよく叱られたということが原因です。お里をあらわしているのです。

鼻汁をたらしていると言っては叱られ、御飯をこぼしたといっては叱られたのです。それが、潜在意識にレコードされているのです。そして、目の前に鼻汁をたらしたり、御飯をこぼしたりしている子供を見たときに、潜在意識のなかの蓄音機が自動的にブーンと鳴り出して、子供時代に叱られたそのままを再現するのです。これは、仏教の言葉でいうと、“業の流転”です。近代心理学でいう“条件反射”もここに作用しています。

叱ることはたくさんあるが、ほめることがないと言われるのは、皆さんの潜在意識にほめられた言葉がレコードされていない、ということです。これで、子は親の業をつぐということも、お解りと思います。第I章のとし子さんの場合も同じことです。この業の切りかえ作業に、二代三代の長い時を要することさえあるのです。さあ、これからは毎日、家族を祝福できるお母さんになってください」

私が、こんなふうに話を結んだとき、お母さんたちの顔に明るい光がさしていました。




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