[1036] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(5) |
- 信徒連合 - 2015年11月07日 (土) 09時04分
インターネット道場―――
体験実話特集
平岡初枝先生「子供を見つめて」より(5)
<若妻会>
私の住んでいるのは、富山市といっても駅から六キロの農村です。戸数約四十戸、先年の四月から「若妻会」というのをつくって、月一回ずつ集まっています。そして、私がその指導者というか、相談相手になっているのです。
(1) あたたかい家庭をつくって貰うこと……あたたかい家庭とは、お父さんを、夫を中心に、和顔・愛語・讃嘆で睦み合う家庭であり、年寄りを敬愛し、先祖を崇敬する家風を養成することである。
(2) 進んで日本国の実相顕現、中心帰一、国を愛し君を愛する古来の美風を顕揚すること…これなくしては、青少年に、真に生き甲斐を感じさせることは困難である。
(3) 一切の社会悪の根底ともいうべき堕胎をなくすることによって、唯物的なものの考え方を実相唯神的世界観に導くこと…健全な生活、楽しい人生を創造するための根本問題である。 これが「若妻会」にたいする私の願いです。
<どこから赤ちゃん生まれるの>
月にわずか一回、それも二時間たらずの会合ですが、もう14、5回にもなりますので、みんな楽しみにしてニコニコと集まってくれます。そしてもう何でも心おきなく話しあえる間になりました。
ある日の集まりで、私は「子供たちから受ける質問で最も難しいのは何ですか」とたずねました。
若妻の一人が、「赤ちゃん、どっから生まれるのという質問です……」と答えると、みんなも「そうよ、そうよ」と共鳴しました。「それもお風呂にはいっている時に、きくのです」と、お母さんたちは苦悶の体です。結局、ほとんどの人が……子供におへその下の青い筋を指して、ここがバーンと割れて生まれるのよ……と答えたというのです。
「本当に そこから生んだお母さんありますか?」とたずねると、みんなワーッと笑いこけました。
それで、私は言いました。「本当のことをいいなさいよ。ある賢明なお母さんは『赤ちゃんはね、おしっこの出るあたりから生まれるのよ。おしっこの出る穴とはちがうのだけれど、あのへんから生まれるのよ。だからあのへんは大切にして、いじったりよごしたりしないようにしなければいけないのよ』とおしえていられるのです」
みんな感心し、納得してくれました。 「赤ちゃんどっから生まれるの」これは、子供が宇宙の神秘にメスを入れているところで、尊い質問です。正しく答えてやることが本当の愛情です。いつか岡山県の講演旅行に行った時、一人のお母さんが、この問題について、真剣に尋ねられました。
<お母さんのウソつき>
このお母さんも、お風呂にはいっているときに、「赤ちゃんどっから生まれるの」と質問されて……青い筋のところがバーンと割れて……と答えられたのです。子供が如何にも気の毒そうな顔をして 「お母さん、いたかったでしょう」といってくれた。ここまではよかったが、そのあとがいけなかった。
近所のお友だちの家へよく遊びに行くのですが、その家がお医者さんで、しかも産婦人科なのです。そこへ行くと、お医者さんごっこをしようということになるらしいのです。そうした遊びから帰ったある日、子供が突然に「お母さんのウソつき」とプリプリおこったのだそうです。びっくりした
お母さんが「あんたに嘘などいったことない」といくらいっても聞き入れない。 「うそつき、お母さんのうそつき、赤ちゃんは、おへその下なんかから生まれるのでないわい……」 目に涙までたたえて、くってかかられたのには驚いたといわれました。
お母さんを信じられなくなった子供の悲しみです。腹立たしさです。親は何となく妙な気持でごまかしたわけで、もとより悪気のうそではありませんが、子供にとっては真剣な問題です。親の答は、いつでも真面目でなければなりません。こんなことから親子の間を不信なものにするのです。
性の問題は子供に尋ねられたとき、質問の部分に正しくこたえるのが最も大切なことなのです。どんなに間違っても「そんなことは、きかないもの」などといってはなりません。そんなこと「きくな」といわれると、いよいよききたくなるのが、秘密の魅力で、下手に「いやらしい」などというと、「ああこれは、いやらしいことか」と、それからは性を不潔なものと考えるように導かれてゆくのです。
<まじめに答えてやりましょう>
こんどは、もう一人のお母さんが言いました。 「先生、うちの二番目は、今小学校二年の女の子です。この間も御飯をたべている時、『お父さんとお母さんは恋愛結婚か、見合い結婚か』と尋ねるのです。『見合い結婚だよ』というと、お父さんの方を向いて『お父さん、見合い結婚なら、もっときれいなお母さんと結婚すればよかったのに』などとふざけ出すのです。
『こんなきれいな可愛らしいお母さんじゃないか』といえば、今度は私の方をむいて「お母さんかって、もっときれいなお父さんと結婚すればよいのに…」というのです。『こんな良いお父さん、どこにいられる、日本一だよ』といって笑ったことですが、あんなときどうすればいいのでしょう」
「それで満点、満点です」
「ところが小学校五年生の長女が、『いやらしい、いやらしい』とつぶやくのです……」
「それも、それでよろしい。ふかくとり上げないこと、そう思う時代もあるのですから。ともかくも、親子の間にそうした話が淡々とくりひろげられる家庭、それが尊いのです」 と話しあったことでした。
<ガールフレンド、ボーイフレンド>
「この頃は子供たちの間に大変なことが流行しているのですね……」 と前置きして、ひとりのお母さんが話しだされました。それは、女の子にはボーイフレンドを紹介し、男の子にはガールフレンドを紹介することなのです。
「うちの長女は今年高校一年生ですが、ボーイフレンドを紹介してくれた友だちがあったというので、そこへ出す手紙を私や兄弟たちにみせびらかすのです。そのうちに『返事がきた』『写真をほしいといってきた』といっては、また大さわぎなのです。私は仕方がないので『あ、そうか、そうか』といってはいるのですけれど、それでよいのでしょうか」
年頃になれば、異性に興味を感ずる。これは自然の姿であり、その気持を受け入れてやって、そのまま育ててやることは尊いことであるが、その間に、恋愛、結婚という問題がからんでくるのですから、そのことについてはっきりした考えをつかませてやらねばなりません。
結婚前には絶対に握手やキッスや肉体的関係をもたないこと、これは特に女の子の健全な将来のために守られねばならぬことです。そして、言葉だけでなく、お父さんお母さんの生活を通して子供は教えられねばなりません。結婚前の性的交渉で一番損失を蒙るのは何といっても女性だからです。
女性は一たん身をゆるしてしまうと、それからはいよいよその男性が忘れ得ぬものになって、しがみついてゆくようになる。逆に男性の方は、その時を境に相手に興味を失いかけるというのだから問題です。しかも女性には、妊娠ということがある。どんなに間違っても、結婚前の性交は絶対つつしまねばなりません。異性との交わりは、公明に、正大に、家庭と家庭との交わりの上に成り立つように、ガラス張りの交際に発展させてやるのが本当の親の愛情です。そしてどこまでも精神的な家族の祝福、すべての周囲の理解のなかで育ててやるべきだと思います。
<あなたの選んだ人>
子供に異性の友だちができた時は「あなたの選んだ人」として尊敬し、大切にしてやることです。
あるお母さんは、娘から「男の友だちができたから会ってくれない……」と打ち明けられたとき、大喜びで「あんたが選んでよいと思った人なら、お母さんもきっと好きになるに違いないよ、ありがとう」と言って、会ってみた。
結果は、少しどうかと思われる節もあったけれど「あんたさえ幸福であればそれでいいのだから、お母さんに無論異議などありません」と、ひたすら祝福して出入りを喜んでいたというのです。
ところが、2、3ヵ月たった時、娘の方から、「お母さんに折角祝福してもらったけれど、一生の伴侶としては、あの点どうでしょう」と、お母さんが案じていたことを娘から逆に訴えられて、結局その話は打ち切りになったと話されました。
そして「私は子供には常に「あんたの一生は、あんたの責任において決定するものである。お父さんやお母さんはあんたたちの幸福のために出来るだけの協力をさせてもらうだけなのだから』といっているのです」と結ばれました。
これからのお母さんは、まさにこうありたいと思います。子供の選んだものが親の尺度に合わないからといって、だめだとか、いけないとか一言に切りすててしまったのでは落第です。そのためにできた親子の間の溝は、なかなか癒えるものではなく、どんなに良い子でも一度は親不孝者になることさえあるのです。
前のお母さんのように「あんたの選んだ人は、お母さんも好きになるにきまっているじゃないの」といわれたのでは、子供は責任を問われなくとも責任を感じずにはいられなくなって、結果は自らのたましいの成長にもなってくるのです。
在来の、男女間の問題は、いやらしいこと、不潔なものとする考え方も、大人の世界の不潔さをあらわすもので、子供に堅実なる人生をさし示すものではありません。
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