[1072] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(8) |
- 信徒連合 - 2015年11月10日 (火) 08時19分
インターネット道場―――
体験実話特集
平岡初枝先生「子供を見つめて」より(8)
明るい言葉を家庭に社会に
先年、生長の家白鳩会では「よい言葉、明るい言葉で、家庭や社会を明るくしましょう」という運動を起こし、次のようなビラ数万枚を配布して、家内の見やすいところに貼ってもらって、実行し合うことを約束しました。
すなおにハイ ありがとう すみません おはよう おやすみ ああうれしい
これだけの言葉です。これだけの言葉が、何の抵抗もなくスラスラとでる家庭は立派であり、人間関係も必ず美しいに相違ありません。とくに、家庭雰囲気の中心者である主婦が、素直に夫に対してハイが言え、姑に対してもハイが言え、子供に対してハイが言えたら、もう満点です。
ハイには、我がありません。ずばり相手と一つになった境地です。家族の心が一つになった姿です。悪いことのあろうはずはありません。
<素直にハイ>
子供が「お母さん」といったら、朗らかに「ハイ」と返事をし、「お父さん」といったら、朗らかに「ハイ」と返事をしてやってください。これが、子供を素直で運のよい子に育てる秘訣です。
これは、子の体験ずみ、絶対間違いのない方法です。体験をだした幾人かの方たちにも、お礼をいただいているのであります。呼ばれたら「ハイ」と返事をする。これは、常識であります、当りまえのことなのです。
ところが、この当りまえのことが、一番大切な親子の間で粗末にあつかわれていないでしょうか、夫婦の間で、おろそかにあつかわれていないでしょうか。この「ハイ」が粗末にあつかわれているところに親子の間の悲劇、夫婦の間の歎きがつくられていることが、案外見落されているのです。
ともかく、子供が「お母さん」といったら、「ハイ」とすぐ返事をしてやってください。必ず、素直で温和な子になりますから。ところが、子供だと思って馬鹿にするのか、おろそかにするのか、すぐに返事をしてやらない親が時折あります。それでも、子供は二度、三度「お母さん、お母さん」と呼びますが、三度目ころになると言葉の端に、かなり興奮と憤慨の思いがあらわれてきます。その興奮と憤慨の思いが、親子の間を決定して行くのです。
世の中には、この子供の興奮と憤慨の思いが、自分の身から出たものとは気がつかず、三べん目ぐらいの「お母さん」がでてから、やっと「何なの、やかましいわね」と目に角をたてるお母さんさえあります。
返事というものは、三度目ぐらいにしたらいいものだ。そして、三度目の返事は、いやーな声を出してもいいものだ、という実物教育をしているということには、まるで気づいていないのです。 だから、その後でお母さんが、「坊や、お隣へお使いに行ってきてちょうだい」といっても返事をしない。だって、まだ一ぺん目じゃありませんか。「坊やよ……」といったって、まだニへん目です。お母さんがかんを立てて、「坊やったら!」と、金切り声を上げる。坊やは、 やっといやーな声で「ウーン」と返事をする。そこで、お父さんもお母さんも、「まあ、この子は一度で返事をしたことがない」と、まるで子供のせいのようにいわれる。それは、ついさっきの実物教育の結果であることには、一向に気づかれないのです。
だから、子供が呼んだら必ず直ぐ朗らかに返事をしてやる。「ハイ」と返事をしてやる。これが家庭教育の第一カ条だ、と私は考えています。その習慣をつけると、子供は実に素直に育ちます。素直に育つだけで一なく、運のよい子にも育つわけです。
なぜなら、近代の心理学によると、人間はその心に描いている波の高さだけの運命に、ぶつかって行くものだというのです。つまり、平和なおだやかな心の持主は、常に平和なおだやかな運命を作ってゆくが、常に不平不満の心をいだいている子は、知らず識らず不幸な運命にすいつけられて行くということであります。
実際、子供が「お母さん」と呼んだとき、すぐ「ハイ」と返事をしてやれば、子供の心は実に平和です。それが二度三度、「お母さん、お母さん」と呼ぶときは、日本海の荒波のように心が波立っているのです。たまらない気持です。親に対する反抗心だけに止まらず、その心の余波が友達との喧嘩になり、先生への反抗心にもなる。そのために、子供の成績も悪くなるという結果も、現われてくるというわけです。
<いっていらっしゃい、お帰りなさい運動>
心が運命をつくるという話で、思い出すことがあります。あの大東亜戦争当時のことであります。
戦争に一切を集中したため、国内で働く人がだんだん足りなくなった頃でした。大阪の産業報国会で、家族を職場へ送り出すとき、「行っていらっしゃい」と送り出し、帰ったら「お帰りなさい」と迎えてやってほしいという運動を起こしたことがあります。
その理由が大阪朝日新聞に出ました。それによると会社や工場で、工員が腕を折ったり足を折ったり、生命にもかかわるような大事故を起こした場合、家族関係を調査してみろと、85パーセントまでが、夫婦喧嘩をした後であったり、親子喧嘩の後だったということが分かったというのです。
このことは、心理学でも明らかになっている通りです。こんなわけで、大阪の産業報国会では、家族関係を調整することが何よりも大切なことであると気づいて“行っていらっしゃい、お帰りなさい”運動を起こしたわけです。
<ハイの名人>
私の尊敬している方に、大阪の寺田繁三という生長の家の先生がおられました。79歳で亡くなられました。いつも、かくしゃくたる健康体で、亡くなられるまで疲れるということを知らない方でした。
この先生に、 息子さんが一人ありますが、その息子さん教育は徹底した「ハイ」の実行と一切をほめるということの2つでありました。
寺田先生の「ハイ」の実行は、それはそれは徹底したもので、「御飯にいたしましょう」というと、「ハイ」と、もうお尻があがっているのでした。
寺田先生は、午後一時からの講演の時は、聴衆が一人でも午後一時に始められるのです。聴く人が一人の時に話し始めたことが、十ニ回もあるといわれました。こんな先生ですから、息子さんが「お父さん」といったら絶対「ハイ」の返事で育てたとおっしゃるのです。息子さんは、実に明るくて素直で、すべて優秀に育たれたのです。
こんな話をきいたこともあります。息子さんの名前は、良一さんといいます。今度の戦争では南方派遣軍に従軍して、長らく御苦労なさったのです。あのみじめな敗戦のために復員される日はわかったが、到着の時間がわからなかった。時間がわからないので 寺田先生は、その日も講演に行かれたらしいのです。夕方、帰宅されると、30分ほど前に帰られたという良一さんが、 「お父さん行ってまいりました。留守中ありがとうございました」
と挨拶された。すると、お父さんも、 「ああお帰り御苦労でした」とおっしゃったが、すぐ言葉をついで、 「良一、お仏壇におまいりなさい」とおっしゃったそうです。良一さんは「ハイ」と、すぐ仏壇に御燈明をあげて線香をたき、鐘をならしてお詣りされたというのです。そこへ、お母さんが台所から手を拭きふき出てこられて、 「お父さん、良一は帰るとすぐに、御仏壇におまいりしたんですよ」 と告げられた。つまり御先祖さまへの帰還の報告は、もうすましてあったわけですが、お父さんのお言いつけに、素直に「ハイ」と従われたというわけです。
私は、このお話をきいたとき、素直さということについて何とも言えない厳粛なものを感じさせてもらいました。そして、一家の主婦に、そういう「ハイ」の実行が出来たら、いやでもその家庭は天国になるはずだ、と深く思ったのです。
<孝行市長さんの話>
あるとき、寺田先生が、良一さんの「絶対ハイ」のお話を舞鶴市の講演会で話されたそうです。その席には、舞鶴市長さんも見えていた。お名前を忘れましたが、もとの陸軍中将で、万年市長、親孝行市長として市民の信頼の厚い方だそうでしたが、良一さんの話に深く感激されて、自ら来賓席から立って感謝の辞を述べられたそうです。
そして、市長さんは、その日帰宅されるとさっそく御仏壇にお燈明をあげて「お父さん、お母さん、御在世の間に良一さんのような気持になれなかった親不孝を、どうぞお許しください」と涙と共にお詫びなさったということを、あとで聞かせて頂いたことでした。
良一さんは、学校の成績も勝れて優秀で、東大を卒業されました。今は、三菱の会社でも重要なポストにあって、時折は社用で、世界の各国に出張したりしておられるのです。子供の教育に当って、家庭環境の改善は言葉からです。それも、先ず「ハイ」からであることを提唱したいのです。
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