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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[1083] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(9)
信徒連合 - 2015年11月11日 (水) 07時14分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「子供を見つめて」より(9)




  愛情にうえた子ら


幼年期における愛情の不足は、何といっても寝小便と、指をなめ、爪をかむ姿にあらわれます。もうすこし大きくなると、親の金をぬすむとか、次は性愛の目覚めが早くなるとかいう姿となり、青年期ともなれば酒、女、パチンコ、競馬、競輪にこり、さもなくばノイローゼ、精神分裂症、自殺にまで行きかねないことになるのです。

しかしこんなことをいうと、お母さんたちの中には、私がこんなに愛しているのに、夜の目もねむれないほど心配しているのに、と言われる方があります。しかし、それは単に案じたり、心配したりしているだけです。心配過剰がかえって、お小言となり、説教となり、子供の心に反抗心をさえ植えつけているわけです。この点についても、是非はっきりとした正しい教育法を掴んでいただきたいのです。




<寝小便をする子供>


兵庫県の西宮市で ある施設の子供の世話をしていられる65、6歳の男の御老人に会ったことがあります。

「わしが一ヵ月だいてねてやると、どんな寝小便でも必ずなおる。小言で治るんじゃないですよ」といわれました。一緒に小便の中で寝てやる愛情が通ずるんですね。

「子供が三、四歳になって、もうおむつもいらなくなっていましたのに、下の子が生まれると間もなく、寝小便がはじまて……」といわれたお母さんがあります。これなどは、はっきりと親の愛情を求めている姿だということがわかります。

赤ちゃんが生まれると、あたりの者の目が赤ちゃんに集中され、それまでのように自分に注目してくれない。それが、何ともいえない淋しさとなって、子供は気むつかしくなり、「赤ちやんは良いな、赤ちゃんになりたい」という気持をおこす。心理学では、これを退行現象というのですが、この退行現象が、赤ちゃんの象徴である寝小便となってあらわれるのです。

下に赤ちゃんが生まれるということは、子供にとっては何といっても恋人以上の母をうばわれることになるのですから、このときこそ、その子の気持を察して、今までより以上の愛撫を必要とするのであります。

赤ちゃんは、まだ何もわからないのですから、お乳を与えるときのほかは抱くことなどしないことは、抱きぐせをつけないためにも大切なことなのであります。もし、赤ちゃんにお乳を与えているときに、 子供が側に寄ってきたら、それこそじっと見つめて、ニッコリ笑い、「あんたが赤ちゃんのときも、お母ちゃんはこんなにして、あんたにお乳をあげたんですよ」といってやるのです。すると子供は、「ああ僕もこうしてもらったのか」と満足し、赤ちゃんをも愛する子供になるのです。

そうでないと、寝小便をするだけでなく、母をうばった赤ちゃんをにくんで乱暴する子になることもあります。子供の寝小便は、お母さんの心のかげとして現われている場合も、よくあります。すなわち、お母さんが暗い心、じめじめと笑えないような気持になやんでいると、子供が寝小便をするのです。




<寝小便は母の涙>


いつか、北海道の札幌で寝小便の話をしたときのことです。その晩、一人の婦人が訪ねてきて、次のような話をされたのです。

「先生、私は夫の病死により、子供を三人連れて、夫の兄さん夫婦の世話になりました。みんないい方たちではありましたが、兄さん夫婦にも子供があり、何かと気を使うことが多く、いつの間にやら笑いを忘れた私になっておりました。

ちょうど次男が中学二年のときでした。朝からとてもよいお天気でしたので、息子が私に、『お母さん、こんな天気に蒲団をだして、かわかしましょう。僕も手伝うから』といってくれました。それでほしましたら、次男の蒲団に地図がニ重にも三重にも描かれているのです。私は、思わず蒲団を抱きしめて、泣きました。

『坊やかんにんして。お母さんが、いつもジメジメした思いでいるから、あんたにこんな悲しい思いをさせて……』と泣きながらあやまり、あやまりながら泣いていました。そのとき、次男が学校から帰ってきました。私は蒲団をほうりだして、子供を抱きしめました。それっきり子供の寝小便は止んだのでございます」




<父を恨んで寝小便>


大きい女の子の寝小便を二人ばかり治したことがあります。これも北海道での出来ごとでした。講演後個人指導を頼まれて、二、三人を指導したのですが、その中に高校二年とう女の子が、どうしてもあとからといって話さないのです。

それもそのはず、高校ニ年の女の子が毎晩寝小便するのだというので、私もやり場のない可哀そうな気持に誘われました。ちょうどその頃、私は鹿沼景揚先生の著書『子供のしつけと勉強」の中の「三ちゃん物語」を読んでいたので、申しました。

「毎朝目が覚めたとき、また毎晩床につくとき十分間、寝床の上で端坐瞑目して『お父さん、お母さん、ありがとうございます。身心健康、身心健康』と唱えなさい」喜んでくれるかと思ったら、彼女は案外なことを言うのです。

「先生、お父さんありがとうだけは、いえません」きいてみると、生みのお父さんは亡くなって、今のお父さんは継父であり、自分の子だけを愛して、この子につらく当る人だというので、深く恨んでいることがわかりました。そこで私は、父なるものの理念を話し、お父さんの理念には血縁は関係ないということを説き、血のつながったお父さんを本当に愛する道は、今のお父さんに孝養をつくすにあることをよくよく話しました。

涙の中に納得さすまでには、一時間以上をついやしたのです。翌朝、私はその町の駅につきました。深い雪の中をその娘さんは、長靴をはいて見送ってくれましたが、そっと私のオーバーのすそを引き、「先生、ゆうべは出ませんでした」と目に一ぱい涙をためて喜んでくれました。





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