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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[1129] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(12)
信徒連合 - 2015年11月15日 (日) 08時51分



インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「子供を見つめて」より(12)




<ほめ合い学級>


今では富山市に編入されている針原という小学校に勤めていた時のことです。三年生を担当していた私は、ある時子供たちに次のようなことをいいました。

「皆さんが学校でしていることは、先生にはよくわかるけれど、お家でしていることは、あまりわからない。今日かちお家でよくないことをした子があったら、先生にきかせて下さい」えらいことをいってしまったものです。

 あくる日、さっそく三人ばかりが報告にきました。
「先生、誰さんが田圃へ石をなげました」
「誰さんは、女の子を泣かしました」
「誰さんは、女の子に通せんぼうをしました」
こういう具合なのです。聞けば、だまってもおれないわけです。

「それはいけない、お父さんお母さんが苦労して作っていられる田圃へ石などなげてはいけないね。そんなことをすると、お米が取れなかったり、お麦がよくならないだけでなく、わるくするとお父さんやお母さんがけがをなさるようなことがないとも限らない」とか「女の子を泣かすのはいけません」とか、いろいろ説教をせずにいられなくなりました。

すると、三日目には、7、8人が友だちの悪口を言ってくる。四日目には、それが14、5人にもふえたのです。そのうちに、「あいつは昨日、僕のことをいったから、、今日はあいつの……」といった具合で、教室は悪気で殺気立ってきたのです。これには全く驚きました。こんなわけで、大いそぎで訂正しました。

「もうよろしい、わかった、わかった。今度は先生の見ていないところ、先生の知らないところで、善いことをした人のことを知らせて下さい」

これが、大成功をしたのです。
「先生、誰さんは紙屑の落ちていたのを屑籠へ入れました」
「誰さんは、便所の戸を締めました」
「誰さんはガラスのかけらを始末しました」
「誰さんは、小さい子がころんだのを見ておこしてあげました」
小さなことではあるが、数々見つけだして発表するというふうになりました。
「ああそうか、それはすばらしい、よく気がついたね。それはよいことをしましたね」
私は嬉しくて賞讃し、激励しました。こうした雰囲気に、みんな、まきこまれてきました。
「そんなことなら私だって……」
「それくらいのことなら僕だって……」
みんなが、よいことをし、ほめ合い祝福し合う級風ができたのです。

先年、私が東京都のある講演会場でこの話をしたのを聞いていられた方が、静岡県島田市のある小学校で、受売りしてくださったそうです。そこの校長先生が、さっそくこの教育法を、その学校に採用し、それまで広い廊下を運動場のようにドタバタと走り廻る子供を叱ることにかかり果てていたやり方を、即日変えられた。

堂々とあるく生徒の名前と学級をほめることにされたら、数日のうちに静粛な廊下を現出したと喜んでいられたのです。みんな、ほめられたいのです。認めたものは、現われます。心すべきことです。




 家なき子の犯罪


<殺人犯人の母>

先年愛知県のある町で講演した時のことです。講演が終ったのは午後の十時でしたが、散会後にニ人の婦人がのこられました。一人は、そこの白鳩婦人会長で新教育者連盟の会員、もう一人は四十歳あまりの質素な身なりの方でした。その人を、かりにAさんとしておきましよう。

Aさんは、先ず私に問われました。「先生、今年の三月茨城県で朝鮮人殺しのあったのをご存じですか」私は当時新聞で何となく見ていたので、知っていると答えました。Aさんは目を伏せて、「あの殺した方の三人組の中の一人が、私の息子でございます」と言われたのです。

そして、次のような事情がわかりました。Aさんは以前茨城県の人と結婚して、男の子を一人生まれましたが、夫は大東亜戦争で戦死された。それで、Aさんは息子を夫の父母の許に残して、現在の夫と再婚されたのです。その後、茨城に残した息子の祖父母が亡くなったことは知らなかったというのです。そして、今春新聞に出ていた朝鮮人殺しの記事を読んで、殺した仲間の一人が自分の息子と同名で、生年月日も間違いないとわかると、気も狂わんばかりの思いで、日頃尊敬している白鳩会長さんのところへ新聞を握って走ったというのです。




<俺のために泣くものはいない>

そして、何日間かにわたって出ていた新聞記事を総合して……犯行仲間は三人で、中の一人は直接手を下して殺したが、他の二人は人に見つからないように見張り役をしていた。Aさんの息子は、見張り役の一人だった……と解ったのであります。そして、これは後で分かったことですが、Aさんの息子は犯行後、仲間のニ人に向かって次のように言ったというのです。

「お前たち心配するな、かりにこの犯行が見つかっても、俺が一人で引受けてやる。俺は、たとい死刑になったとしても、この世にだれ一人として泣く者はいないのだ。俺が一人で引受けてやるから心配するな」

だから、逮捕されてからの係の取調べに対しても、自分の犯行だと強く言い張ったが、遂に一切が明るみに出たというわけである。




<母の愛にめざめる>

この事実がわかった時、白鳩会長さんはAさんの手を握って讃嘆されたそうです。「奥さん、あなたの息子さんは、何と素晴らしい人でしょう。今の世の中には多くの財宝をもち高位高官の立場にあっても、よいことは自分持ち、わるいことは人のせいや社会の罪にして、とかく責任を他になすりつけるものが多いのに、あなたの息子さんは、罪を全部自分が引受けようとされたのです。何と素晴らしいお子でしょう。さあ、奥さん、旅費は、どうにでもなるから、あなたは大いそぎで茨城の警察へ行って、息子さんをほめてあげて下さい。間違った行ないは、愛してくれる者のいない淋しさからやったのですから、その点は深くわびるんですよ」そして、ただ狂わんばかりに泣いているAさんを励
まし、……今は泣いている場合ではない、息子さんの長い前途に光明を与える人は、あなたの他にないのだから……と力づけ、決意をうながして、茨城へ旅立たせたというのであります。

それまでのAさんは、殺人罪というおそろしい罪名におしつぶされそうになって、悲しみとも怒りともつかぬ切ないおもいにもだえくるっていたのですが、白鳩会長さんのことをわけた説明で、やっと常識をとりもどしました。

「そうだ。あの子の長い前途を見まもってやるのが私の義務であり、母の愛だった」と気がついて、気持がシャンと立直ったといわれました。




<お母さんだけが知っている>

茨城の刑務所へつくと、所長さんにあって詳しく事情を述べて、是非会わせて貰いたいと頼みました。所長さんも同情して、会わせるように取計らって下さいましたが、最初は息子さんの方で会おうとしなかったそうです。

「私には母はいません。父は戦死し、母は生んでくれただけで、あとは私を捨ててどこかへ行きました。だから、私には母はありません」こう言って、どうしても会おうとしなかった。それを所長さんの懸命の努力で、どうやら会う気にさせて下さったということです。

Aさんは、息子の顔を見るなり、泣いて詫びました。
「坊や、かんにんして。お母さんが悪かった。あんたに、こんな罪を犯させたのは、お母さんだった。お母さんさえ坊やの側にいたら、こんなことになるのではなかった。ゆるして下さい……」
「……」

息子さんは、冷然として返事もしなかったが、Aさんは話しつづけました。
「でも、あんたは実に素晴らしい。二人の仲間の人たちに言ったあんたの言葉を新聞で見てお母さんは泣いた。今の世の中では、世間から尊敬されている人でも、善いことだけを自分のせいにし、わるいことは他人のせいにしたがるものなのに、あんたは罪の全部を自分が引受けるといったそうだね。その態度が、お母さんはうれしかった。世界中の人が、あんたをわるい人間と思っているかもしれないが、お母さんだけは、あんたの素晴らしいところを知ってうれしかったんだよ」

ところが、それまで無理にも冷たい、気難しい顔をしてAさんを見つめていた青年が、俄然大声で叫んだそうです?
「お母さん、うれしい。僕は、このまま殺されてもよい。僕のことをおもって泣いてくれるお母さんがあったんだもの……」
あとは、子も母も泣いて和解できたというのであります。

「先生は今夜の講演で、……人間はみんな神の子だ。どんなにあらわれ方が間違ったように見えようが、その奥には必ずよいものがある。その奥なるものを信じ、その奥なるものにふれてやるのが本当の教育だ……とおっしゃいました。その言葉をきいて、つい打明けてきいていただきたい気持になったのです」

語り終えたAさんの表情は、すがすがしくなっていました。
それから一年後、再び私がその町を訪れた時にも、白鳩会長さんとAさんは、また残って話してゆかれました。お二人の顔は、昨年とは全く別人のように明るく輝いてみえました。

きけば、かの青年は、ほんのちょっとのところで未成年者であったこと、未決にある間の態度に改悛の情が明らかであったことなどで、罪もかるく、刑も執行猶予になったそうです。現在は白鳩会長さんのお世話で、その町のある会社に工員として採用され、まじめに働いているということでした。




<愛あらば>

この話を通じても教えられることは、相手の痛いところにさわるなということであります。それよりも、相手の心の中に希望と自信の種になるものを自覚させることが大切だということです。

世のすべての非行青少年と呼ばれているものたちは、世の中にすねたり、親に反抗したりしているのですが、なぜすねているのか、なぜ反抗しなければならないのかというと、それは自分というものに自信を失っているからです。心の底深く劣等感をもっているからです。

しかしその劣等感というものは、人間本来の性質ではない。
「お前は駄目だ。お前はあかん。こんなに数学ができない。こんな下手な字を書いて」と、相手をくさすことが激励のようにとりまちがえた親や周りの人たちからうけた言葉によって植えつけられたものなのです。

すなわち、自己本来の尊厳をおおいかくされたにすぎないのです。どんな非行少年でも、Aさんの場合のように、お母さんの愛と信じる態度さえあれば、救われないものはないのです。




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