[6366] 住吉の大神のみならず、天照大神の神霊符を求められない、いや求められなくしてしまった神道のふりをしている似非モノは誰か |
- サーチャー - 2017年01月03日 (火) 23時33分
<田舎もんのブログ> (谷口貴康) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 新年そうそう閲覧注意、目が痛みます 2017/1/3(火) 午後 9:51
白内障と診断されて迎えたお正月。自己分析で
「見たくない事件をもうこれ以上見たくない心の現れ・・・」
と現象の悪に迷わされないようにと思い迎えた新年。
新たなる年を迎えて潔斎し龍宮住吉本宮へいつもは2日に参拝するのだが
今年は元旦早々に心を新たにするため参拝した。
毎年のことであるが、神棚を清め新たに伊勢皇大神宮の神霊符と住吉大神の神霊符を新たに求めることが新春の始まりとなる。これは住吉本宮の巫女であった人を妻としてから36年毎年続けてきたことである。東京に勤務していた時は、土地産土の神社である金毘羅神社で伊勢皇大神宮の神霊符を受け毎年新たにしていた。日本人としては当然あたりまえのことであると認識していた。
さて、今年はまず古い神霊符を納札し顕斎殿にすすみ、心の中で宇宙浄化の祈りを行い三首目を
「スミノエの大神生長の家教団の迷いを清め給う、護り給え導き給え」
と唱えて参拝した。
その後に社務所に立ち寄り、毎年恒例にしている縁起物の干支人形の鈴を求め神霊符を求めるために社務所右側の場所へと向った。
実は、今年の大祭の折に住吉の大神の神霊符が求められなかったという人の声が届いていたので少し心配していたが、実際に社務所のどこを見ても奥の棚を見ても住吉の大神の神霊符は見当たらない。
ここは住吉本宮なのに住吉大神の神霊符が求められないという信じられない現実を目のあたりにすることになった。
あまりにも信じられない現実を振り払うように、社務所内の人に尋ねた。
「伊勢皇大神宮の神霊符を求めたいのですが」
「えっそこにあるお札しかありません」
「いえいえ、だから天照大神のご神霊符をいただきたいのです、毎年ここでいただいています」
「わかる人に尋ねてみます」と言われ待つこと三分
「わかる人がいませんので・・・」と答えが返ってきた。
「ここは神社なのですからそんなわけがないでしょう」
これしかありません。と見せられたのが造化三神セットなるものであった。
おそらく間伐材を利用して素人が書いて作ったのであろうものが・・・神霊符に代わるものとして展示されていた。ありえないことである。
後からついてきた初代の巫女であるわが妻はそれを見てしばし絶句した後
「なに?これ・・・誰が書いたのこんな下手な字で恥ずかしい信じられない」
伊勢皇大神宮の神霊符を求められない異様な神社となり、住吉大神のご神体が鎮座されている神社であるなのに、そのご神霊符を求められないという異常事態に直面して心に浮かんだのは
「恥ずかしい!!この現場には誰も来てほしくない見てほしくない」
少しでも神道の知識がある人に見られたら・・生長の家そのものに傷がつくという思いだった。
そののち、納札所に戻り心からの非礼をお詫びして、再び収めた神霊符を持ち帰ることになった。この時の悲しい思いは言葉では言い表せない。
奥津城にそのあと参拝して、心から雅春先生にお詫び申し上げた。
「申し訳ありません。必ずこの総本山を雅春先生の誓願通り元の状態に戻すようにいたします。もし私の代で出来なくても確実に子らに孫たちに次の世代に伝え実現させます」
住吉の大神のみならず、天照大神の神霊符を求められない、いや求められなくしてしまった神道のふりをしている似非モノは誰か。生長の家を名乗ることを止めて、自分の信じる環境団体でも新たに作り給え。あなたのやっている事は、ペテン師と同じで看板に偽りありのカルト宗教と同じである。共産党と手を結ぶような言説をするものが神道の神の名を利用するなかれ。恥を知れ
至上の御祖神の名を粗末な字でかまぼこ板のようなものに書く非礼を詫びよ!!
ああ目がかすんできた…私の目が本来ないはずの現象を見ている事が悪いのか・・
偽物はみな吹き払え大空に無きこそ元の姿なりけり ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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