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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[6492] 「神の子」の自覚は・・ <立憲主義の思想>とは異なる・・・ (谷口貴康氏)
サーチャー - 2017年01月26日 (木) 00時20分

<トキ掲示板(せっかく版)>


「神の子」の自覚は・・ <立憲主義の思想>とは異なる・・・ (1588)
日時:2017年01月26日 (木) 00時07分
名前:トンチンカン


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「神の子」の自覚は・・ <立憲主義の思想>とは異なる・・・

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<田舎もんのブログ> 2017/1/13(金) 午後 7:26  谷口貴康
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重要メモ(岡正章氏のブログより転載)

     「神の子」の自覚は、立憲主義の思想とは異なる


 変えてはならないもの――それは、「久遠の今」 に立つ 「神の子」 の自覚である。

 「神の子」 は、宇宙の中の 「一切れ」 ではない。神の子は神であり、宇宙の 「一切(すべて)」 をわが内に包有する者である。すなわち、一切の現象を展開する 「認識の形式」 なる時間と空間をも生み出し、 「これを握れば一点となりこれを展開(ひら)けば無窮となる」 ものとして時空一切を掌中に握るところの王者であり、一切者なのである。

 それは対立するものなきが故に 「絶対者」 である。「天上天下唯我独尊」 である。[アブラハムの生まれぬ前よりある者」――「久遠のキリスト」 の自覚である。


 「立憲主義」 とは何か。

≪立憲主義とは、「憲法によって権力を制限し、憲法を権力に遵守させる」 ことです。ごく少数の権力者が大多数の国民を勝手気ままに支配するという多くの失敗例を経験しながら、人類が試行錯誤を重ねて生み出したのが立憲主義です。……権力者の上に存在する規範が憲法であり、権力者の行動は憲法によって拘束されるという原理が立憲主義なのです。≫

 と、ブックレット 『“人間・神の子”は立憲主義の基礎』 は言う。

 西洋成文憲法は、上記のように 「権力に対する制限規範」 ということである。

 「法思想上には、不文憲法主義と成文憲法主義とがある。……成文憲法主義はローマ法思想の流れを汲み、君主(統治者)と人民(被統治者)との間、又は各人相互の間の不信、性悪観に基づくもの。近代のヨーロッパに於ける成文憲法の制定も、マグナ・カルタ以来の歴史が示す如く、専制君主と人民との間の不信感に発した、人権保障の約束証文に由来するものである」 と三潴信吾氏はいう。

 イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた 『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」 という考え方。これが西洋成文憲法の根底にある思想であって、西洋の成文法は人間相互の不信の上に成り立つものである。

 すなわち、それは 「久遠の今」 に立つ 「神の子」――「一切者」 の自覚から発したものではない。 『“人間・神の子”は立憲主義の基礎』 と言うのはウソ、妄論である。

 神話から始まる君民一体の悠久の歴史をもつ日本国体を、このような人間不信――人間は相対的な宇宙の 「一切れ」 として成文憲法に規定すること自体、不自然なことである。


                   ○

 日本の歴史は、記紀(『古事記』・『日本書紀』)の神話から始まる。それは、

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(みみ)を隠したまひき≫


 から始まる。この 「天之御中主神」 というのが、「久遠の今」 なる、時空未発の中(ちゅう・みなか)なる本源神なのである。われら日本人の祖先は、一切(すべて)が天之御中(あめのみなか)なる 「一」 から出発したことを直感認識していた。だから自然も、人間も、みな本来 「一(ひとつ、一体)」 であり神であるという自覚が民族の超在意識に流れているのである。

 それ故、天之御中主神から発した日の大神(太陽神) 天照大御神の御神勅

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。」


 という御神勅から始まった日本国は、君は民を大御宝(おおみたから)と拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば」 と拝み奉り、君民一体、君民同治のすがたをあらわしてきた。日本国は信仰共同体であり、国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は、国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。

 これが日本肇国以来の国柄であり国体である。つまり、日本の歴史と伝統は、契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法よりはるかに優れた、類(たぐい)なき人類の宝なのである。

(参考) <久遠の今> 谷口雅春先生のご講話 
https://www.youtube.com/watch?v=oFhl9KLdBH4&feature=youtu.be
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