[6622] 雅宣の暗き足跡。 |
- がんこ親爺 - 2017年02月23日 (木) 18時51分
雅宣氏は政治が好きでした。しかし後でわかった事ですが愛国運動は嫌いだったようです。選挙結果や自民党との関係はいわば口実
で、政治活動からの撤退は、雅宣氏の意向と、其れに配慮した清超先生による、親子合作の方針転換でした。
昭和六十年雅春先生が死去.清超氏が総裁、雅宣が副総裁。するとこの年「大東亜戦争」を日本による侵略戦争だったとする見解を発表した。
雅宣に批判的な古参信者たちは雅宣を[愛国運動嫌い」どころか 左翼とよぶ。
雅宣は青山学院大学在学中、左翼セクトのメンバーだった。国際反戦デーの日に、夜中にヘルメットをかぶって自宅に戻ってくる雅宣 の姿を複数の職員が目撃した。
変節したのではなく、もともとそういう人間だったのだ。
平成四年雅春先生の新書刊発行停止、三十二冊に及ぶ既刊書籍。 占領憲法下の政治批判などのほか、教団三十年史。四十年史。五十年史。と云った歴史を記録した書籍も絶版。
平成十一年。清超と雅宣の力関係を決定的なものにしたのは、 法人規則の改正によって、総裁の権限が縮小され、副総裁の権限はほとんど、なくなったから、自分は辞める。と云う。清超氏は、 雅宣に二千万円もの退職金を支払う一方で、三代目を雅宣に継がせ たい為に。「何でも好きなようにやらせてもらう」と云う条件まで 飲んでしまいました。 父親が息子に無条件降伏してしまったのです。
雅宣は親子対決を制しただけでは無く。「教団を左翼化するため」雅宣は三十年の歳月をかけて自分に権力を集中させるよう組織を 変えてしまったのです。
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