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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[7195] 「フェイク雅宣」こそが・・ 正真正銘の <一闡提(いつせんだい)> なり!!
サーチャー - 2017年07月19日 (水) 15時12分

<トキ掲示板(「コメント」板)>


4169 :トンチンカン :2017/07/19(水) 15:07:24 ID:IIMV1pVY

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「フェイク雅宣」こそが・・ 正真正銘の <一闡提(いつせんだい)> なり!!

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<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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「谷口雅春先生を学ぶ会」を一闡提(いつせんだい)≠ノして組織維持に必死になる人も現れました… (7042)
日時:2017年07月19日 (水) 11時15分
名前:破邪顕正


信徒の教団離れは、予想以上に深刻化しているようです。


で、教団は、あの手この手で引き留めに躍起のようです。


表題に掲げたのもその一つ。


ある信徒が、退会しようと申し出ました。


すると、ある教区の幹部が、こう言ったというのです。


「辞めるのは自由だから、引き留めたりはしません。


ただ、辞める前に、これだけは読んでほしいの」


そう言って手渡されたのは、『大般涅槃経解釈』の116〜117頁のコピーでありました。


そこには、何が書いてあるか。


かいつまんで要約すると、「正法の師を軽蔑して悪口雑言する過咎(あやまち)を犯す者」は「一闡提」であって「叱責しなければならな」いという話なのであります。


結局、「谷口雅春先生を学ぶ会」は総裁の悪口ばかりを言っている、それはまさしく「一闡提」に当たるのであって、そういうところに行くのはよくないのではないのか。


暗にそれを仄めかしているということなのです。


ご存じのように、教団内では、“「谷口雅春先生を学ぶ会」は悪口集団”というレッテル貼りが広く行き渡り、盛んにそれが喧伝されてもいますから、こういう文書を読まされると、一旦、退会しようと決意した信徒も、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行くのは敬遠しようかな…という気にもなるというわけです。


こうして、まんまと、教団側の術中に嵌(はま)ってしまう信徒さんもいるやもしれませんので、こういう詐術にひっかからないよう、敢えて反論を試みたいと思うものであります。


釈尊がここで言われていることの本質的な問題は、「一闡提」が、「正法の師を軽蔑して悪口雑言する過咎(あやまち)を犯す者」であるからに他なりません。


しからば、果たして、今の総裁は、正法の師≠ニ言えるのか、それに値するものなのか、それこそが根本的に問われなければならないと思うのです。


実は、それに関して、同じ『大般涅槃経解釈』の114頁に重大なことが記されているのです。


これは、極めて大事なご文章ですから、そのまま引用することにいたしましょう。


《釈尊には弟子が非常に多かった。その弟子の中には…釈尊の教えを受けながら、その教えに救われて、相当先輩の導師となりながら、その教えによって自然に衣食が与えられるのに満足せず…釈尊の教団から脱退して別の教団を立て、その殆ど全部を盗用しながら、その表現する言葉の言い回しを一寸かえたり、重大な一二の別異の説をもってその表面を塗り替えたりしながら「釈尊の教えよりも、この教えの方が立派であるぞ」と言って自分への信者集めに狂奔して師を攻撃するような弟子もあったのであります。》


察しの言い方は、私が何を言いたいか、おわかりになるでしょう。


そうです、ここに描かれているのは、まさしく現総裁そのものではないのか、ということなのです。


つまり、現総裁は、谷口雅春先生のおかげで「自然に衣食が与えられ」ているわけです。


ところが、それに「満足せず」に、「その殆ど全部を盗用しながら、その表現する言葉の言い回しを一寸かえたり、重大な一二の別異の説をもってその表面を塗り替えたりしながら」自分勝手に『経本』等をつくり、しかも、それは「聖経」を“補強”するためにつくったのだと、あたかも、谷口雅春先生の「教えよりも、この教えの方が立派であるぞ」と見せかけて、「自分への信者集めに狂奔し」、あまつさえ「谷口雅春先生も間違った」などと「師を攻撃」したりしているのです。


確かに、現総裁は、ここに言うような「教団から脱退して別の教団を立て」たりはしていません。


しかし、総裁がつくった“今の教え”なるものをよーく見ていけば、看板は「生長の家」でも、その中身は谷口雅春先生のそれとは全く似て非なるもの、「別の教団」と言っても何ら不思議はないような代物になっているのです。


先の教区幹部には、どうせ渡すのであれば、ぜひ、この114頁も含めて渡してほしいものであります。


でも、114頁は渡せないでしょうね。


だって、ここを具に読めば、何のことはない、現総裁こそが一闡提≠ナはないかと察知せられてしまいますからね。


ともあれ、こんな小細工を弄してまで、信徒を引き留めなくてはならないというところに、教団のおかれた厳しい現状があると改めて思ったことでした。
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