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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[7273] “今の教え”が生まれた背景には何が?
サーチャー - 2017年08月10日 (木) 22時07分

<トキ掲示板(「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板)>


3006 :トンチンカン :2017/08/10(木) 22:03:06 ID:IIMV1pVY

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“今の教え”が生まれた背景には何が?

結局、それは『谷口雅春先生の教え』を切り捨てるための 仕掛け としてあった!
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<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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“今の教え”が生まれた背景には何が?結局、それは谷口雅春先生の教えを切り捨てるた
めの仕掛けとしてあった! (7310)
日時:2017年08月10日 (木) 12時19分
名前:破邪顕正


表題は、機関誌『生長の家』8月号の56頁を読んで、改めて痛感したことです。

そもそも、“今の教え”という表現を用いた段階で、宗教・信仰としてはアウトだった
のです。

「真理に新しいも古いもない」  それが至極当然のことだからです。

 もかかわらず、どうして、総裁は、“今の教え”という言い方を用いたのでしょうか?

“今の教え”ではなく“今の解釈”というのであれば、まだ話は分かります。

ところが、総裁は、敢えて“今の教え”という言い方に拘った?!

そうです、総裁にとって、“今の解釈”では駄目で、それはどうしても“今の教え”と
いう表現でなければならなかったのです。

何故と言って、それによって初めて、谷口雅春先生の教えは“古い教え”という考え方
を信徒に周知せしめることができるからです。

それを如実に物語っているのが、この56頁であります。

この中で、山岡睦治・国際運動部次長はこう語っています。

《戦後の愛国的な説法は、当時の東西冷戦の影響で、国内でも左翼革命が起こりそうな
状況下で説かれたものです。》

つまり、谷口雅春先生の“愛国論”は、すべて昔の時代、即ち革命前夜の時代状況を背
景にして説かれたものであって、今の時代にあってはそぐわない!

だから、『聖典』と雖も絶版にもするし、何だったら神さまだって変える!

そういうことだったのです。

つまり、“今の教え”という仕掛けをつくらないと、谷口雅春先生の教えを葬り去れな
いということだったのです。

総裁は、3代目を継ぐ条件として、自分の好きなようにさせることを挙げました。

その、好きなようにさせることというのが、谷口雅春先生の教えを葬り去って、自ら
の教えを説くということにあった…。

みんな“まさか”、如何に何でもそこまではしないだろう…。

そういう甘い認識をもった人達が、今となっては懐かしい話になってしまいましたが、
やたらと“和解せよ、和解せよ”と言い募ったわけです。

自らの不明を恥じてか、今や、誰もそんな“和解論”を唱えたりはしません。

総裁がどんな人で、どんな考え方をもっているか、その本性、正体が見えてきたからで
す。

結局、総裁が谷口雅春先生の教えの破壊者であること、そしてそれを目指して総裁は教
団に乗り込んできたのであり、その仕掛けとしてあったのが“今の教え”なるものである
ということなのです。

言うまでもなく、谷口雅春先生の教えは、或いは運動論は、すべて「神示」に基づいて
展開されています。

「神示」に基づいて成り立っているものを、単なる“状況論”でしか捉えようとしない、
そこにこそ、総裁が尊師の教義を歪めた一番の問題があるです。

その総裁に媚びるかのように、訳知り顔に回答している山岡理事の姿には、嫌悪感以外
のなにものもありはしません。

尊師・谷口雅春先生に誓ったあの魂は、いったい、何処に行ったのか?

そう思うばかりです。

“飯の食いようで言い方も変わる”とはよく言ったものです。

「人はパンのみにて生くるにあらず」という聖句は、少なくとも、今の教団幹部にとっ
ては歯牙にもかけたくないようなそれなのでしょうね。
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