[7736] 龍宮住吉本宮のご祭神 |
- 不動明王 - 2018年01月05日 (金) 23時19分
決して間違ってはならない生長の家の大神さま。
谷口雅春先生が、長崎県西海市に龍宮住吉本宮を建立された目的は 「鎮護国家」にあります。しかし、この宇宙浄化・鎮護国家の社である龍宮住吉本宮は、谷口雅宣氏によって大きく変質させられています。 龍宮住吉本宮の「宇宙浄化・鎮護国家」という主旨は降ろされ、 「世界平和」に変えられてしまいました。また、龍宮住吉本宮に 天之御中主の神 高御産巣日神 神産巣日神を合祀し、住吉大神は片隅に追い やられてしまいました。その証拠に、「住吉大神」の御神符は、龍宮住吉本宮 の社務所で取り扱われなくなったのです。 お祀りする神様の御名のついた神社なり社において、その神様の御神符が参拝 者に分けられないなど聞いたことがありません。 そもそも生長の家総本山に、住吉大神(すみのえのおおかみ)が祀られているのは。 生長の家の大神が住吉大神であるからです。 谷口雅春先生は、そのことを次のようにお説きになりました。
「生長の家大神とは誰方であるかと言いますとこれは阪神間の本住吉神社にお祀り してあるところの住吉大神であられまして、『古事記』に、天照大御神様がお生れに なるに先立って、此の大宇宙浄めの神としで、水と塩(霊)とを以つで浄め給うとこ ろの龍宮海の神様として現れられたところの上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神 と言われる三柱の神様を一体に総称して、住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているの であります」(『実相と現象』32頁) 谷口雅春先生は、神には、第一義、第二義、第三義の意義があると説かれています。 神は、第一義においては宇宙創造の絶対神を現わします。
第二義には、その絶対神が衆生救済のために人格神として応化さ れたお姿を指すのです。 そのことについて、谷口雅春先生はこ う説示されました。
「超越的絶対者は、それは。絶対者≠ナあるが故に、われらに語り かけて対話を交えることはあり得ない。それ故に絶対者の慈悲を体現し たところの相対的に顕現する人格神、又は天使、又は菩薩、又は教祖が あらわれなければ絶対者はその救済を具体化することは出来ない。 (中略)神≠ェ救済を完うし得る 本当の神となり得るためには、絶 対者が相対的人格神としてあらわれて救済の御業を現実になさなければ ならない」(『白鳩』昭和48年3月号17頁) そのことが『聖使命菩薩讃偶』の冒頭にも書かれているのです。
「掛巻くも畏こき宇宙の大神、人類の苦悩を見そなわし、応化して 仮りに聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂 う」 現象界に応化して「聖姿」を顕じられた人格神こそ、生長の家大神であり住吉大神なのです。それは、「終戦後の神示」に「われは白髪の老翁である」と示された人格神としてのお姿です。 その意味で、生長の家総本山の龍宮住吉本宮に祀られている神様は、 救済の御業を実現する人格神としての住吉大神でありますから、祭祀 の意義があるのです。一方、宇宙絶対の神は「吾れに神殿は不要であ る」と仰せられているのです。 その龍宮住吉本宮に、宇宙絶対神の天之御中主神、高御産巣日神、 神産巣日神を祭祀し、職員の手書きによる御名の木札は社務所でお分け しながら、一方で住吉大神は片隅に追いやって、それまでお分けして いた御神符を無くするというのは、谷口雅春先生のお説きになった龍宮 住吉本宮建立の意義をまったく否定し去る、言語道断たる所業である と言えます。 谷口雅宣氏は「教えの中心は少しも変わっていない」と吹聴します。 しかし、生長の家大神である住吉大神について言及することは今にお いてもまったくありません。 谷口雅春先生は「神の人類光明化運動」と説かれましたが、その主宰 される神がくらまされてしまったという事実に、私たち生長の家信徒は気づかなければならないのです。
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