[6408] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第206回 |
- 信徒連合 - 2017年01月07日 (土) 09時28分
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(47)
如何なる病変来(きた)るとも 生命の実相(ほんとのすがた)は常に円満完全健康なることを信じて 心を常に平和にして動揺すること勿(なか)れ。 また刻々に変わる容態に 心を執(とら)えらるる事勿れ、
病気本来なければ 病気の容態も本来無し。 病気の容態を見詰(みつ)むるよりも 汝の心を注視せよ、 動揺するは病気そのものよりも汝の心自身(こころそのもの)なり。
心動揺すれば 病気の容態も動揺せん。 病気そのものが動揺するには非ず、 汝の心が動揺するなり。 汝の心の動揺を休(や)めよ、 汝の病気の動揺もまた止(や)むべし。
されど「動揺の心」を以(も)って 「動揺の心」を鎮むること難(かた)ければ、 不安の心にて不安の心を止(とど)めんとするも亦能(あた)わざるなり。
神にわが身も心をも捧げ切ったとき、神は善でありますから、病気も、不幸も、一切の悪も無い事実があらわれて来るのでありますが、しかし、そのように、心を神に振向けようと思っても、眼の前の症状や、直接感覚に訴えて来る苦痛に気をとられて、どうしても心を神に委ねることが出来ない場合にはどうすればよいかといいますと、聖経『甘露の法雨』を一心に、余念なく朗読して、聖経そのものに心を集中することによって、病念が消え、心を神に委ねることが出来るのであります。
しかし、そんな場合、この聖経『甘露の法雨』が神そのものの言葉であり、その読誦が如何に直接、神に触れることになるかを、あらかじめ知って、それを真に信じておってこそ、その聖経の読誦そのことが、神に直接触れることになるのだという安心感が得られ、心の動揺がおさまり、病気の症状も治まるということになるのであります。
かくの如きときには、 ただ神に委ねよ 全(まった)き愛なる神に信頼して、 「神よ」と呼ぶべし。 神は常に汝に調和と平和とを与え給うべし。 神の中(うち)に汝の「心」を投げ入れよ。 「神よ、神よ」と称(たた)えつつ 汝の全存在を神にまで委(まか)せ切るべし。
心が動揺すれば、肉体は心の状態を映すのでありますから、症状は尚一層動揺して増悪して来るのが普通であり、症状の増悪を見れば益々心は動揺する。そして心が動揺すれば症状は一層悪化する……こうして循環的に連鎖反応を起して止まるところを知らずという結果となり、ついに死ぬよりほかに道がないということになるのであります。
そこで、病者は何としてもその心の動揺を止めなければならない。心の動揺を静めるには「全き愛なる神に信頼して“神よ”と呼べ」と、ここに教えられているのであります。しかし、“神よ”と呼びさえすれば心の動揺が停止するにはきまっていない。「神よ、神よ」と“心”で又は、言葉で一心に呼んでいながらでも、心配で、不安で、“一層悪くなるかも知れぬ”という恐怖で脅(おび)やかされているのが普通なのであります。
そこで、その心配、不安、恐怖を無くすためには、“ままよ!!”という自己放棄の心を起さなければならぬのであります。金光教祖はその「百節の御理解」の中で「ままよという心にならねばお蔭は得られぬ」と訓(おし)えていられるのであります。“ままよ”というのは、口語体で言えば「どうなとなれ!!」という自己放棄の気持です。「どうありたい」「こうありたい」「治りたい」「治らねば困る」というような自我的な心の動きを全部投げ棄ててしまって、「神の御心の儘(まま)よ!!」という完全な神への自己放棄、自己投入であります。だから「神の中に汝の“心”を投げ入れよ」とあるのであります。神のはからい、仏のはからいの中に帰入し、「南無(なむ)する」のであります。
さて此の「どうなとなれ!!」という気持ですが、自暴自棄的な「どうなとなれ!!」ではなく、全き愛なる神に信頼しての「どうなとなれ」であります。一寸一分と言えども「斯うありたい」という自我の希望をもたずに、神に全面降伏するのであります。その自我の全面的放棄のとき、一切の心配・不安・恐怖が消滅し、神の愛の御はからいがあらわれるのであります。
それについての実例として次に鹿児島県垂水市下後馬場56番地の西小野静江さん(当時36歳)の体験談を引用したいと思うのであります。
これは昭和46年12月5日、鹿児島県体育館にて生長の家の講習会が催された際みずから発表された体験であります。西小野静江さんは次のように話されました。──
有難うございます。只今、御紹介にあずかりました私は垂水に住んでおります西小野と申します。本日は、大変貴重なお時間を頂きまして、尊師谷口雅春先生の御前で体験談をさせて頂きますことを心から感謝申し上げます。拙(つた)ない体験談でございますが暫くの間聞いて頂きたいと思います。
私が「生長の家」の御教えに触れましたのは7年前、心臓病で入院していた時のことでございます。中学2年の春に「心臓弁膜症」と診断されましてから、私の青春は病気病気……と病気ばっかりにとらわれまして、暗い毎日が続いておりました。入院致しましたのは9年前の1月10日の夜、神経障害を併発致しまして、急に意識不明の重体に陥った訳なのです。その明くる朝に入院した訳なのですけれども、入院致しましても重体の状態が続きまして、2ヶ月間仰向け寝たままで、もうぜんぜん人とお話することも出来ないし、身動きすらも出来ない位に悪かったのです。その頃は生きているのか、死んでいるのか自分でも見当がつかないくらいの状態だったんですけれども、痩せこけて今の半分位に痩せておりましたから、そんな時に感冒が流行りまして感冒に罹って、肺炎に罹ってしまったんです。
心臓で苦しいのに、肺炎にまで罹ってしまうものですから、その時の苦しさは実に口に言えなくて、先生も本当に良くして下さるし、看護婦さんも家族もみんな一つになって一所懸命看護するんですけれども、どうにもならない訳なのです。でも、私もこれだけして頂いて死ぬのだったら寿命はないのだろうと思いまして、自分の命に諦めをつけたような恰好になりまして、そのまま、どうにでもなれ、もう運を天に任せるよりほかに仕方がないと思いまして、少し呑気になってしまったのです。
ところがその途端に意識がなくなりまして……意識がなくなりましてから丁度、7時間後に気がついたんですけど、母は私の7歳の時に亡くなっているんですけど、その母が、若い男の人を5人連れてまいりまして、裸で筋肉の隆々とした男の人たちが向う鉢巻きをしめて私を支えているんです。母が「支えておきなさい。支えておきなさい……」と言いながら、東の方に、明かりの見える方に私を連れて出て行ってくれるものですから、人にだけ頼ってはいかんと思いまして、「これではすまん!……」と言って起き上がったんです。起き上ったところが、姉たちは、今だろうか、今だろうか?……と思って脈を握って心配して、ここに附き添っているものですから「どうしたの?貴女が何故す**とがあるの……」と言うんです。「ああ、夢を見ていたの……」と私は言いましたけれども、そうして生死の境をさ迷って、この世に生れ変ったと私は思いましたけれども、本当に生れ変りはそれから2年後のことでした。
入院患者さんで堀の内さんという方が、私に聖経『甘露の法雨』を下さったんでございます。その『甘露の法雨』を頂いた時に、何だろう?と思いましたけれども、他(ひと)様がせっかく下さるんだから、なんだって読んでみようと思いまして開けましたら、「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものに感謝せよ。特に父母に感謝せよ。……」と書いてございますものですから、私、思わず、わぁー!と泣き出して、「お母さん、すみませんでした……お母さんのこと忘れておりました」
私は今まで姉たちばっかり深切にして頂いて、そして小さかったものですから、本当の話が、母のことを一度も思ったことがなかったものですから、本当に申し訳なかった!と思いまして、「お母さん、有難う、お母さん、すみません……」と言いながら、 「いつも優しいお姉さん方がいて下さるのもお母さんのお蔭だったんですねえ……」と母に申し訳なさで、次々に『甘露の法雨』を読んでまいりまして、初めて触れる真理の言葉だものですから、胸をうたれまして、泣きながら、いつもそれを一巻読み終ってみましたら、不思議なことに、私が3年間入院しておりまして、こっちの左の胸は、心臓部のある方は薄っぺらになっているような、いつも押しつぶされているような気がしていたんです。
ところが、その聖経を読み終ってみますと、両方の胸で息をしているではございませんか。もう吃驚しまして、私、その時の嬉しさは本当に譬(たとえ)ようもない、こんな日があるのだろうか?両方の胸で息が出来る日があるだろうか?と思っていたものですから、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかったのです。(拍手)本当に谷口雅春先生のお蔭だと心から感謝申し上げます。有難うございます。皆様の御愛念のお蔭と心から感謝申し上げます。有難うございます。
以上の体験談の中で注目しなければならないところは、西小野静江さんが、心臓で苦しいのに、肺炎まで罹ってしまって、その苦しさは実に口に言えないほどの苦しさで、その苦しみのギリギリの最後に、「自分の命に諦めをつけたような恰好になりまして、そのまま、どうにでもなれ、もう運を天に任せるよりほかに仕方がないと思いまして、少し呑気になってしまったのです。その途端に意識がなくなり」というところです。
静江さんは、「神よ」という言葉で神を呼ばなかったが、「天にまかす」といっていられる。この時、もうこの病気から治りたいとも思わず、どんな踠(もが)きも棄て「自我」が運命に対する一切の抵抗を放棄して、ある「大いなる者」即ち「神」へ全托したとき、静江さんの霊魂は、そのまま霊界へ一応引き取られて往っていることです。即ち、その途端に意識を失っているのです。すると霊界で彼女を7歳まで育ててくれて霊界へ逝った母親の霊が、金剛童子のような筋肉隆々たる5人の男の人をつれて来て彼女の命を支えて、東の方へ、光の方へと連れて往ってくれて、ついに彼女は再び現象界に意識が戻って来ているのです。
霊界の母や5人の金剛童子的な姿は、全托を受けた神様から遣わされた天使(てんのつかい)として──或いは“神の救い”の霊波を象徴化して見たものと思われるのでありますが、こうして彼女は生死の境を超えて現象界に呼び戻され、健康を回復して神の慈手(じしゅ)に導かれて2年後に「本当に生まれ変る」ことになったのであります。やはり「ままよと云う心にならねばお蔭は得られぬ」であります。
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