[7268] “大調和なき「中心帰一」論は・・ 単なる独裁主義≠ニ異ならず!” |
- サーチャー - 2017年08月10日 (木) 00時10分
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5062 :トンチンカン :2017/08/10(木) 00:04:23 ID:IIMV1pVY
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 “大調和なき「中心帰一」論は・・ 単なる独裁主義≠ニ異ならず!”
「フェイク雅宣」をご覧なさい・・!! 「母親を軟禁」・「ご兄弟との断絶」・・!! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<谷口雅春先生に帰りましょう・第二> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー “大調和なき「中心帰一」論は、単なる独裁主義≠ニ異ならず!” (7297) 日時:2017年08月09日 (水) 09時59分 名前:破邪顕正
教団の「中心帰一」論に“洗脳”された信徒に、何か、言い返す言葉はないでしょうか?
よく、こういう質問を受けます。
ここまで、総裁が左巻き≠ナあることが自明となっているというのに、信徒がそれに唯々諾々と従っているのが耐えられない。
生長の家教団が、総裁によって、教団まるごと左翼=護憲集団≠ニ化していくのを座視するのが忍びがたい。
そんな歯がゆい、諸々の感情が渦まいて、冒頭に掲げた質問となって表れているのだと思います。
確かに、この「中心帰一」の教義は、谷口雅春先生の教えでありますから、それを真っ向から否定するというのは、なかなか困難な面があるように思います。
総裁、並びに教団も、そこがよくわかっているからこそ、何かにつけ、これを繰り返し、繰り返し、持ち出してくるのでもありましょう。
そこで、考えたのが、表題に掲げた表現なのです。
つまり、「中心帰一」とは実相世界の秩序を表現した言葉なのであって、それは当然、「大調和」とセットとしてあるということなのです。
そこに「中心帰一」すれば、自ずと「大調和」の世界が現出する。
単に「中心帰一」を言うのだけでは駄目なのであって、「中心帰一・大調和」となってはじめて「中心帰一」が生きてくる、そう思うのです。
卑近な例で申し上げましょう。
北朝鮮を見てください。
見ようによっては、あれもまた「中心帰一」と言えなくもないわけです。
しかし、誰も、北朝鮮を見て「中心帰一」の真理国家だと認めないでしょう。
何故でしょうか。
そうです、そこに「大調和」が感じられないからです。
ことほど左様に、本当の「中心帰一」とは「大調和」を伴ってはじめて言い得ることであるのです。
それでは、今の教団は如何でしょうか。
「総裁先生に中心帰一せよ」と盛んに喧伝していますが、そこに本当の「大調和」が見られるでしょうか。
総裁の足元からして親族バラバラだし、退会する信徒にはオドシ、強迫の数々。
「北朝鮮とソックリではないか」と嘆く声、頻りではありませんか。
つまり、教団の言う「中心帰一」とは、組織を維持せんがための道具として使われてしまっているのであって、そもそもの教義とはもはや似ても似つかぬものに堕してしまっている…。
そのことを踏まえて、「中心帰一」とは「大調和」を伴うものなのですよ、それがなければ単なる独裁と同じになってしまいます、それでいいのですか?
そう伝えていくようにしたら如何かなと思った次第です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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