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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[7277] “ムスビ”の強調は「住吉大神」を外すための、まさに為にする§_であった!
サーチャー - 2017年08月12日 (土) 21時28分


<トキ掲示板(本流対策室/6)>


5372 :トンチンカン :2017/08/12(土) 21:23:45 ID:IIMV1pVY

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“ムスビ”の強調は「住吉大神」を外すための、まさに為にする§_であった!
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<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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“ムスビ”の強調は「住吉大神」を外すための、まさに為にする§_であった! (7326)
日時:2017年08月12日 (土) 13時14分
名前:破邪顕正


総裁は、2014年11月22日 (土)付けのブログ記事で「龍宮住吉本宮に“造化の三神”をお迎えする」と題して、実質的に総本山のご祭神から「住吉大神」を外した理由をこう述べています。

《現代において最も必要なことは、個人が自己主張しながらバラバラに生きることではなく、また似たもの同士が寄り集まってグループの利益を護ることではなく、さらには一国が自国の繁栄のために他国を犠牲にすることでもなく、人類の利益のために自然を破壊することでもありません。

私たちにとって“他者”と見えるもの、一見“別物”と見えるものも、それらとムスビ合うことによって、新しい、より大きな価値を創造することができるという真理を多くの人々に伝え、また自ら生活に実践し、名実ともに“自然と共に伸びる”運動を力強く展開していこうではありませんか。》

つまり、今の時代には、ムスビ合うこと≠ェ大事で、そのためにタカミムスビノカミ、カミムスビノカミを勧請したというわけです。

しかし、よく考えてみたら、ムスビ合うこと≠ヘ「住吉大神」のハタラキそのものであって、何もことあらためて神様を勧請しなければならない筋合いのものではなかったはずなのです。

そのことを教えてくれているのが『神の真義とその理解』(134〜135頁)であります。

《大体、生長の家の大神−生長の家の本尊−は、如何なる神であるかといいますと、本来は宇宙創造の神であります。

−宇宙創造の神で塩椎の神ともいわれている。
「シ」というのは「水」であり「ホ」というのは「火」であり「水」は陰であり「火」は陽であり、「ツ」は「繋ぐ」「続く」の「ツ」であって、「シオツチ」とは陰陽がつながりつづき、結ばれて一切のものを生み出すところの「チ」即ち霊をいうのであります。…

「シオツチ」という名称は、陰陽結び合わされて一切のものを生み出す「創造の霊」なる本尊の神であるということがわかるのであります。》

ここに明示されていますように、「住吉大神」即ち「シオツチの神」のハタラキをみていけば、陰陽結び合う、大調和の、スミヨキ世界を表し出す神さまであるのです。

ですから、総裁の言わんとするところを目指すとしても、何も新たに「造化の三神」を勧請する必然性、必要性など何一つ、なかったのです。

にも拘わらず、総裁は、祀ってはならない、絶対神たる「造化の三神」を勧請してしまいました。

何としても「鎮護護国」の「住吉大神」は外したい。

理由もなく外すと、信徒から不信を招く。

だから、新たに「造化の三神」を勧請して、まずは「住吉大神」を脇へと追いやる、押し込めてしまう…。

そのうちに、完全に外してしまう…。

そういう策略を巡らしたということなのです。

そして、それをわざわざ正当化せんとするためにムスビ≠フ世界を持ち出してきた、そういうことなのです。

改めて申し上げます。

総裁が、心底からムスビ≠フ世界が必要と思っていたのであれば、ムスビの神を持ち出さずとも「シオツチの神」のハタラキ、その意味、意義を諄々と説いたら、それで良かったのです。

自分の勝手な考えに基づいて、祀ってはならない神様を勧請してみたり、外してみたり等、まさしく“神をも恐れぬ所業”を繰り返す総裁には、必ずやその責めを負うべきときがくると思うものであります。

神は裁かないが、法則が裁く。

そんな気がしております。
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