[7677] 富岡八幡宮事件に思う |
- 不動明王 - 2017年12月09日 (土) 08時18分
富岡八幡宮の悲しく悲惨な事件をテレビ報道で知り、驚きと悲しみを感じた。報道ではその原因は理解出来ないが、そこには大きな原因があるのだろう。 しかし起きた事柄は事件としの解明は警察に任せるとして、そのような悲惨な事が富岡八幡宮で起きたと言う事が考えさせられるのである。 戦後一貫して日本神道の王道を歩み日本文化を守る中心的な社として先々代宮司が活動されてきた神社である。
生長の家もほぼ同じ事が起きている。確かに殺傷事件は起きていないが、その内容は同じであると言っても過言では無い。生長の家で起きている事はもっと陰湿である。教団内では自ら命を絶った者や、精神的心労から命を落とした理事らがおられるのである。
富岡八幡宮も生長の家も戦後左傾思想が拡がる中、日本国の本来の姿を取り戻す運動で大きく社会を正しい方向に動かしたのである。その運動の成果で革命戦夜と言われた昭和45年を乗り越え大阪万博を成功させ、左翼勢力は弱小化していった。
それから47年が経過、安定した社会生活に再び日本人の心から吾が国の素晴らしさや伝統文化を守る心が薄れてきているのである。 其の結果それぞれの事柄は日本人全体の想念の現われとして現象界に顕われてたと思われるのである。
八幡宮の事件は日本社会への大きな警鐘としてとらえ日本人の心に愛国心を取り戻し心明るくする“光明化運動”を展開しなければならないのである。
生長の家こそが “光明化運動”に復帰し谷口雅春大聖師に帰依しなければならないのである。心ある信徒よ各自立ち上がろうではありませんか。
この運動は、地方各地にある道場や教化部であれば明日から出来る事である。自分の収入や立場を離れ、生命の實相の真理に生きる事が“自我を死にきる事”である。それが出来ず教化部において自分の立場を守る事第一での教化活動はご自分の心と運命の預金通帳に負の数字を増やしていることであります。
一般信徒は自分の全てをささげて生長の家信徒として信仰しているから救いがあり、喜びがあるのです。教化部長や講師先生も一般信徒に見習う事が大切ではないでしょうか。
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