[7730] ≪教団変質≫の淵源は、谷口清超先生、雅宣氏、貴康氏の「三者会合」にあり! |
- サーチャー - 2018年01月01日 (月) 22時51分
<トキ掲示板(せっかく版)>
≪教団変質≫の淵源は、谷口清超先生、雅宣氏、貴康氏の「三者会合」にあり! (2490) 日時:2018年01月01日 (月) 22時47分 名前:トンチンカン
<谷口雅春先生に帰りましょう・第二> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 教団変質の淵源は、谷口清超先生、雅宣氏、貴康氏の「三者会合」にあり! (8604) 日時:2018年01月01日 (月) 14時42分 名前:破邪顕正
明けまして、おめでとうございます。
平成30年は、明治維新150年に当たり、歴史的な節目となる年です。
皆様にとって、素晴らしい1年となりますよう、心からお祈り申し上げます。
さて、今年、私の最初の投稿は、表題に掲げたように、この「三者会合」こそが、今日の教団の変質を決定づけたという問題提起であります。
昨年、私は《緊急重大情報!》(8243)というタイトルで、上記の件について、連続投稿してまいりましたが、その中で、「事情通」さんより、とても重大な情報をご紹介いただきました。
これこそ、間違いのない歴史的な事実だと感じ、年が改まった今、この「事実」を多くの信徒に知ってもらうべきだと痛感し表題にさせていただいた次第です。
それでは、改めて、その投稿を引かせていただきます。
>信実とフェイク情報に驚く (19304) 日時:2017年12月06日 (水) 21時25分 名前:事情通
(前略)
雅宣氏がまだ普及協会で本部職員でなかったころに三者会合が原宿の某中華料理店で行われました(南国酒家より下った小さな料理屋です今は洋菓子店になっています)
参加者は谷口清超先生・谷口雅宣氏・その会合を企画した谷口貴康氏です。
当時、生長の家に距離を置く谷口雅宣氏を正式に本部職員として迎え入れたいという貴康氏の意向があったようです。
(ちなみに、のちに学ぶ会の靖国神社における講演会で貴康氏が「すべて今の様な状態になったのは私の責任でもあります」と証言したのがこの出来事を指すと思われます)DVD参照
清超先生のなぜ本部に入らないのかと言う質問に対して答えたものが三項目に関連する事で、本部内には清超先生(当時副総裁・青年会総裁)を利用しつつその裏で別の行動をしている幹部がいて信用できず、そういう現状では仕事をすることが出来ないという趣旨が述べられたようで、生政連および青年会内部の話になったようです。
(雅宣氏は箇条書きのように明確に述べたのではなく)
青年会中央部とそのOBには表と裏のある信用できない人達がいるので何とかならないのか。
そういう人たちの中ではとても仕事ができない。
そのために正しい情報が総裁や自分に入る組織を作ってもらわないと困る。
という事が主な内容で、それに対して清超先生は「誰から聞いたのかは知らないが私はそのような事を感じたことが無い・・外から見ていないで中に入ってきちんと自分で確認してはどうか」
そして、最後に席を立つときに、雅宣氏が疑いを持っている人達(祖国と青年協議会賛同者 筆者註:『祖国と青年』を発刊している日本青年協議会賛同者)を差したものだと思われるが、「そもそもあんな古臭い皇国史観ではだめだ」と言い放ち、それに対して少し驚いた清超先生は「まあそういうことは自分で確かめてからにしなさい、貴方の思っているような本部ではないと思う」
そののち、本部情報宣伝部?におそらくご本人の希望で入られたのでしょう(推測)
異常(筆者註:以上)の事、事情通は谷口貴康氏から直接うかがいました。
松下氏と貴康氏は大変懇意だったのでそれが伝わり三項目として要約され伝聞が拡がったのでしょう。
ですから、雅宣氏が清超先生に三項目を要求しそれを清超先生が認めたという事は飛躍がありすぎて事実とは言えません。
そもそもそんなことを了承するような清超先生であるわけがありません。<
「情報通」さんは、ここで「雅宣氏が清超先生に三項目を要求しそれを清超先生が認めたという事は飛躍がありすぎて事実とは言えません」と書いています。
しかし、その後の経緯を見れば、総裁が、この三項目≠ノ従って、事を進めたことは間違いのない「事実」ではないでしょうか。
例えば、「本部内には清超先生(当時副総裁・青年会総裁)を利用しつつその裏で別の行動をしている幹部がいて信用できず」ということについて、その後、どういうことが起きたか?
生政連の活動停止となり、旧青年局は解体されたではありませんか。
更に、人事異動において、左遷や退職せざるをえない憂き目にあう人がどんどん生まれたではありませんか。
そして、更に面妖なのは、それが決してその場だけで終わらなかったという事実であります。
何と、それは30有余年の年月を超えて、『日本会議の研究』の聖典化として表れ、はたまた、スリーパー・セル等の表現となって立ち現れたのであります。
30有余年もの長きにわたって同じ思いを抱き続けるというのは、もはや、それは尋常とはいえません。
怨念≠ニでも言うほかはないものであると私は思っております。
加えて「そもそもあんな古臭い皇国史観ではだめだ」という表現もまた、その後、愛国聖典の絶版という形で、或いは総本山から「鎮護国家」や住吉大神を外すという形で顕著に表れたわけであります。
今の教団が、なぜ、ここまで左傾化してしまったのか。
その淵源を辿れば、どうみても、この「三者会合」にゆきついてしまうのです。
ご存知のように、今、光明思想社から『「生長の家」教団の平成30年史 なぜ三代目総裁は教えを改竄したのか』が発刊されています。
もし、その改訂版が発刊されるとすれば、私はこの「情報通」さんの情報をこそ巻頭に掲げるべきだと考えています。
何故と言って、この情報を元にすれば、教団の「平成30年史」、つまり、なぜ、教団がかくも左傾化してしまったのか?
何故、教団が、尊師・谷口雅春先生の教えから外れてしまったのか?
その謎が、すべて、これで合点がいく。
少なくとも、これまで以上に、鮮やかにくっきりとそれが浮かび上がると確信するからです。
そういう意味で、今年も、この「三者会合」の内容に拘りつつ、如何にそれが深刻、かつ重大な問題を投げかけているか、投稿し続けていきたいと思っております。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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