[3254] 遥かなる追憶<第七部>、「曳馬野=マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (6) |
- 遮那王 - 2016年05月17日 (火) 10時35分
遥かなる追憶<第七部>、「曳馬野=マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (6)
@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。
A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。
B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。
◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。
「曳馬野」=マサノブ(偽)総裁は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。
以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!
*************************
[ W ] マサノブ君の真理のツマミ食い、特に實相と現象との混同についての検証
● 2428 :阿保トンチンカンへ (=マサノブ):2015/06/26(金) 19:33:42 ID:kEnG6jMo 困ったという気持ちにならない限り真理の実践はしないものです。
● 2496 :曳馬野 (=マサノブ):2015/06/29(月) 08:02:16 ID:kEnG6jMo 何でも話し合える仲間組織にして頂きたいです。よろしく。
● 2481 :神の子さん(=マサモブ):2015/07/01(水) 18:49:56 ID:kEnG6jMo 『暗闇の住人暗黒思想』、あなたほんとに生長の家人、どの本からの引用か判りますか? 雅春先生が斯くせよと云うのに、そうしない人は光明思想の実践者でない、つまり暗黒思想の実践者と云うことです。真理の実践は他人がどうこうということでないです。これにてあなたには何も言いませんのでお好きにどうぞ。
● 4055 :誰か教えて (=マサノブ):2015/07/05(日) 00:58:53 ID:C0U.LZaQ 皇紀は神武天皇の遷都を以て元年とします。が神武天皇は高千穂にいたときに、天孫降臨から1795148年経っているとしました。単旬に言うと天孫降臨は紀元前200万年前だというのです。縄文時代は、今から約1万6,500年前から約3,000年前とされています。では天照大神が瓊瓊杵尊に地上に行って支配せよと命じた日本人とはだれなのでしょうか?人間は猿から進化したのでなく、人間という理念が天下ったのだと云われます。ではその人間とはいつの時代の人間を指すのでしょうか?北京原人でさえ68〜78万年前とされています。
● 3307 :誰か教えて(=マサノブ) :2015/07/13(月) 23:29:18 ID:kEnG6jMo 「確かに、仰るように、天皇の御意志が優先されていたら、という仮定のお話の行く末を覗いてみたい気もしますね。ですが、そうはならなかったというところに、歴史というものの重さを感じます。やはり、「摂理としての大東亜戦争」という「神の構図」が「霊的世界」に既に存在していたのではないでしょうか。起きてしまった戦争は摂理である、確かに全ての現象は業の流転として起きるべくして起きます。でも放っておけば起きるであろうものを少しでも良くするべく人間の努力の余地があるのではありませんか? 努力と云いましたが、人間は自由自在であるとする生長の家に於いて、回避できない戦争があるとするのはどんなものでしょうか。天皇が神の顕れであっても、その意思が地上経綸の絶対の価値が無いまたは斯くすべしと主張できないのであれば、天皇存在の価値は何処に見出すのですか? 神なる天皇が戦争はしたくないと思っても、神が実相顕現の一段階として戦争を企画したとは? 天皇の意志を第一にするということが出来なかったから戦争への道を進んだのであって、仮定の話で片付けられるものですか? このような所に生長の家で言う天皇なるものの存在に疑問を感じます。起きた現象に価値を見出すのであれば、戦後70年戦争放棄の現憲法の元一度も戦争をせずに来たのは、大変素晴らし事であると云えませんか? 天皇陛下が戦争は嫌だと云っても時の政府が戦争をすると決めれば戦争への道を進む。そんな帝国憲法より、戦勝国の都合で軍備を持たず国家の意志としての戦争放棄を決められたとしても、憲法の言葉道理に70年戦争から離れていたことは事実であり、事実の歴史に重みを感じると云われるのであれば、戦争のない世界実現への偉大な先駆者の道を歩く民族として歴史に名を残しつつあると云えますね。それこそ神なる天皇陛下の悦びであるとも言えます。
● 2496 :誰か教えて (=マサノブ):2015/07/22(水) 23:14:47 ID:kEnG6jMo 【一人の生命を救うことから始めたいと思っています。 】誠に立派なこととは思います。でその「救う」と云う事の内容なんです。現象の様子の良くなることを以て救いとなすのか、現象が変わらなくても自分の本性に納得して心の安定が得られること、その随伴現象としての現象改善なのかが問題です。 私には本流のように口角泡を飛ばす現象直視の人が救われているとは思えないのです。不完全のままの自分で神の子を納得したのであれば、周りを見ても不完全のままで実相を信じられなければと思います。心でどんな環境にも対処できる人はそれでよいが、できない心の弱い人のために環境整備という面から政治の世界に宗教は出ないといけない、が雅春先生の言葉だったと思います。物言わぬ自然の保護は決して生長の家の教えから外れたものではありません。とは言いながら一人一人人間としての相対からしか教えは伝えられませんから、そうすればいいですね。本部の方針が如何様であれ現場の地方講師が個人救済することまで否定はしていないでしょう。いつの頃からか拝み信心が混じりだしたとの感はあります。今しきりに宇治の霊牌供養への疑義が出されていますが、家族が信仰をしていないと云う事であれば、その入信者の方も多分救われてはいないでしょう。先祖供養を宇治に頼むということそのものが疑問です。救われた本人の事を残された家族が宇治に祀る必要もないし、救って欲しいとして祀りを頼むことそのものが、救われていない人がいるとの認識からくることであると云えるのでして、お経の種類で救われに影響が出るなどという考えは、感謝の誠の表現としての先祖供養とは縁もゆかりもないことです。聖使命勧誘にしても御利益信仰の面が多々あります。
● 4070 :ズン吉殿へ(=マサノブ):2015/07/20(月) 09:32:03 ID:kEnG6jMo 【自分の汚き心を棚上げして、相手が悪いという、これが不思議なんですね】にたいして 不思議でもなんでもないです。実相独在を悟ってたら別ですけどね。(そう悟っていないから心には浮かんでしまうでしょうね)普通は、中なか「悟る」というのは難しい。大概の人は頭で、知識で把握してるだけ・・の人が多いでしょう。やっぱり。その場合は「自力」で、悪感情を制御しなくてはならないのだから中々難しいですよ。(だからこそ光明面を見て暗黒面を見るべからずの教えの実践をしなくちゃならんわけですよ。心に浮かぶものまでだめと云ったところで出るものは出る 心に浮かんだものを文章にするまでには時間なりワンステップがあるのですから、思いとどまることは簡単にできます。文章として表現しないと決めるだけ ですからね。普通の対人関係でぱっと心に浮かんだものでも、面と向かってすぐ言わないでしょう、我慢するとかよく考えてものを言うでしょう。 要するに二重人格なんです大概の人は、人が見てようが見ていまいが同じ態度で生きる、それが真心というものでしょう。) 少なくとも他の悪を言うのはどのようなものですか、と云われたらああそうだったと思えなかったら信仰に対して真面目に生きているとは言えないでしょう。『口角泡を飛ばして兄弟を非難するものは兄弟の心に唾を吐きかける者である。腹立ちを手紙に書いて送るものは兄弟の心に紙屑を投げる者である。かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。』 (これは昭和6年9月5日大調和の神示の前の神示です。神が示されたように生きようと努力すべきではありませんか? 心に浮かぶものは仕方ありませんが、面と向かっては何かと躊躇するのに、このように掲示板と云うところで好き勝手に物言うことは上の神示を努力目標にさえしていないと云う事です。)生長の家信徒行事要目の一、天地一切のものに感謝すべし。だけの実践を言うだけでなく、五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず、の実践をすべきでしょう。この8つの要目のうち、7つまでは「すべし」で終わりしただけ宜しいの推進条項であるのに対し五の一つだけは「べからず」で終わる禁止条項なのです。なにはともあれ『五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず』の実践をするべく努力する人を名付けて生長の家の家族というものと考えます。 ● 5626 :誰か教えて(=マサノブ) :2015/07/22(水) 21:32:35 ID:kEnG6jMo 自然界との調和を言うと、自然界は現象ですよねと云ってa hopeさんは総裁を批判するけれども、こと人間だけは今生きている自分を中心に考えてものを言う。波と水は一体です、水を離れた波なんてないし風が吹くという因縁があれば水は波立つのです。絶対界と云う大実在があればこその万物の存在があるのです。万物の調和の中には自然界もあるのは当然です。その自然界を人間(体験上の想いの塊であって真の人間ではない)の欲望のままにする、それへの警鐘なんです。その運動がなぜ変なのですか?万教帰一が当たり前であるように、万法は一つに帰一するのです。絶対なるものに。その世界に入ることが神想観の目的ではないですか?神想観する人間が自然界は現象でしょうということが解らない。人間同士の調和はもちろんですが自然との調和も同じく必要なことです。
● 2633 :誰か教えて(=マサノブ) :2015/07/17(金) 19:04:26 ID:kEnG6jMo 生長の家の信徒は人柄は良いでしょうが、生活の幸せ感があれば事足れりとする程度の人が多く、学会やものみの塔の如き伝道魂のある人は少なかった。今の自称本流派にしても、真理の拡大、光明化運動そのものを第一義とするのであれば教団の悪口を言う必要はないのです。今の分派も同じことで、新人勧誘はさほどされていないのでしょう。生長の家の教えはタコができるほど聞いている人を取ろうとしているだけで、新人獲得に最大の目標を定めているのであれば、件の如きつまらん宣伝はしないでしょうから。つまるところ昔も今も信徒の信条は大して変わっていないと云うとです。まあ森田安東お二人の子分が昔ながらの事を言っているだけと云う事です。清超先生の下では組織に寄生していたのにね。
● 2504 :神の子さん(=マサノブ) :2015/07/26(日) 11:17:55 ID:kEnG6jMo 未来の結果を求めて今を生きるのか、今しかないから今を生きるのか。何かを否定する、と云う事は変化を未来に求めることです。
● 695 :曳馬野 (=マサノブ):2015/08/02(日) 05:40:07 ID:kEnG6jMo 法罪といわれるが本当に行われているのかどうかですね、総裁が間違ったことをしているのかどうか?、あなたの見方からすれば筋道から外れているという訳ですが、『心の影が環境でありますが又心は環境の影でもあります』わたしはスマホからガラケーに戻りました、自分がネットの世界を利用するのであればまあいのですが、ネットに縛られた人たちが大勢います。心が環境に支配されている例ですね。今の経済的豊かさを当たり前とする心の影でもあります。今まで日本が進んできた道が正しいのかどうか?違う道を進む方がよいと考える人を過っての道がよいと考える人が理解できなくても、違う道が間違っているという事にはならないでしょう。未だ生まれたことのないのが神の子人間である、という生長の家に於いて輪廻転生する当体は一体なんでしょうか?人間は高級霊になるまで輪廻転生を繰り返し、何時か高級天体に転生すると云われてはいます。でもそうすると『地上天国実現』と云うのは掛け声だけで実現不可能なお題目で信徒を釣ったということになりませんか?『何が』輪廻転生するのか?
● 698 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/03(月) 09:50:55 ID:kEnG6jMo 私の返事が以下、未だ生まれたことのないのが神の子人間である、という生長の家に於いて輪廻転生する当体は一体なんでしょうか?『現象界の人類の運命の遷(うつ)り易(かわ)りや死後の霊の進化の如きは、いづれも「差別界」のことであるから』と、述べられています。これが輪廻転生とどう関係するのでしょうか?
● 711 :曳馬野 (=マサノブ):2015/08/03(月) 18:57:10 ID:kEnG6jMo 『輪廻転生なんて用はないです』と云ったことに対し「輪廻転生」「因果応報」の法則により罰せられます、との言い分でしたので、輪廻する当体は何ですか?とお聞きしている。【今生きている事だけがある】のですから、あえて言えば『永遠の今』を生きる人には霊界とか実相世界とかの区別はないと思います。何時でも人間は一つ世界に生きているものでしょう、それを見る立ち位置により色々の見方、名の付け方をしているというだけのものと思います。
● 733 :曳馬野 (=マサノブ):2015/08/06(木) 02:36:30 ID:PtMY/S2c 『永遠の今』を生きるという事が本当にお分かりですか? 永遠の今に『闇』があるのですか? 本流派の方々は実相世界と云うことを頭に描きながら、結局は現象でしか生きられないのではないかと思います。霊の進化有としますと、何時個別霊なるものが誕生したのでしょうか? 霊の進化有として高級霊になると高級天体に移行するという事を雅春先生が言われるから、それでは高級霊になると地球を去るという事ですから、『地上天国実現』なんていう言葉で信徒を釣ったのですか?
● 4209 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/08(土) 22:02:19 ID:PtMY/S2c 「物」と見えているものも実は「生命の波動」であり、「心」と見えるものも実は「生命の波動」であるのであります。云いかえれば「見るもの」と「見られるもの」とが一体であるからであります。・・・神癒への道。左翼唯物論者の総裁は、などと云う言い方をする御仁が本流派には居るけれど、物というものは何処にもないと云われているこの本は読んだことが無いのだろうか? ● 4211 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/08(土) 22:48:26 ID:PtMY/S2c 物なんてものが在るのかどうか
● 4215 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/09(日) 11:36:34 ID:PtMY/S2c 「実相世界」は、決して死んでから行くところではなく、吾々はすでに「実相世界」に居るのである。(これが実感された事実であればすべてのもの完全と見えるのが当然、然るに総裁は実相と現象の区別も知らない阿保、に見えるという。となるとそう見えるあなたの心が可笑しいということになります。脳内反応としての実相世界と云う言葉の概念だけで、事実は五官の世界に住んでいると自己証明しているのです。輪廻転生して地獄に落ちるなんて戯言を言うから、輪廻転生するものは何かと聞いたのです。) 実相世界に現に住んでいるという人間が、生まれたり死んだりする訳ないでしょう。死んで霊界に行く?誰が?常に今此処に住んでいるのが人間。実相だ現象だ霊界だなどと認識するものは何? その自我が死に切って初めて今ここ実相世界の事実に至るのです、ある意味死んでから行く世界ですね。 ● 4218 :曳馬野 (=マサノブ):2015/08/12(水) 13:03:29 ID:HWCIF6GQ 今の政治家のしていること日本会議のしていることを陛下は喜ばれているのだろうか? 貧しさが次世代を力強く牽引する人物達を養うのである。何も心配せず、貧乏暇ありの道を進めばよいと個人的には感じるところである。
● 4224 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/13(木) 16:03:13 ID:HWCIF6GQ 親から貰ったものは仏心一つ、どこに因縁に縛られた人間がいるのでしょう。
● 4226 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/14(金) 02:56:18 ID:HWCIF6GQ 盗みを致そふと、致すまひと、我が心のままで、業じゃごらぬわひの。」「念の集積である業」なんてこと言う信徒ばかり作って来たんだね。五蘊皆空といわれているのにね、本当に救われた人なんているの、生長の家。業に縛られ輪廻を繰り返すのが人間とは、人間神の子の自覚から『神の子人間の自覚』に入れとは聖経の言葉。
● 4226 :曳馬野(=マサノブ) :2015/08/14(金) 02:56:18 ID:HWCIF6GQ 「念の集積である業」なんてこと言う信徒ばかり作って来たんだね。五蘊皆空といわれているのにね、本当に救われた人なんているの、生長の家。業に縛られ輪廻を繰り返すのが人間とは、人間神の子の自覚から『神の子人間の自覚』に入れとは聖経の言葉。横浜の思い込み婆さんは総裁とは歳が合わないなどと戯けたことを言い出すし、思い込みをどんどん確信に変えて妄想を膨らませる、思いの心は實在じゃないといくら聞いても何にもならないね。念の集積を業と云うのだよ、つまり業を増やしているだけ。いい加減夢から覚めたらいかがです。 ● 4228 :曳馬野(=マサノブ):2015/08/14(金) 11:18:05 ID:JPiKJZkg 縁なき衆生は度し難しと云います、実相だ現象だと区別しているのは『曖昧に説明してあったのでありまして、今こそ私は眞實を語るのであります。』との意味が分からない人の台詞です。肝心な真理の言葉は理解できず、云いたいことだけ言う人を可哀そうと思い色々書いているだけで、やはり時間の無駄です、『人間神の子』と『神の子人間』の違いが分かるようになったらまた話しましょう。
● 4285 :曳馬野 (=マサノブ):2015/08/28(金) 13:21:26 ID:JPiKJZkg 「『因果応報』の永遠人生の “蜘蛛の糸” の業苦」などと云う人は、「久遠の今に常にいる」という生長の家の教えを分からないからこそ無いはずの現象界を、因果応報の夢を心に仮作し、時間の流れに浮き沈みする。時間空間を越えなくて何の救いだろう。『因果応報』の永遠人生、なんてものは真理を知らない人間の心に浮かぶ夢でしかない。夢見る人は夢の中の出来事をすべて事実と思うのである。夢から覚めない人は如何ともしようがない。
<検証とコメント>
@ マサノブ君は肉体頭脳知(人間知)には事の他すぐれている。つまり、理屈を言わせれば天下一品と云ったところである。その理屈付けのために『生命の實相』の中の真理の片言を活用するのである。彼の利用する真理の言葉を上記の投稿文から挙げれば、「光明思想」・「暗黒思想」・「真理の実践」・「人間という理念が天下った」・「摂理」・「神の構図」・「霊的世界」・「業の流転」・「實相」・「霊牌供養」・「實相独在」・「大調和の神示」・「輪廻転生」・「因果応報」・「永遠の今」・「霊の進化」・「地上天国実現」・「自我が死に切って」・「五蘊皆空」・「念の集積である業」・「聖経の言葉」・「久遠の今」・「人間神の子」・「神の子人間」―――このような言葉であります。これ等のコトバは、唯神實相の真理を解説するためと、非真理の虚説を摧破するためと、自己生命の進化向上によるより高度な實相顕現のために取り入れられるべき言葉であります。サヨク唯物現象論の立場に立って、唯神實相思想を批判攻撃するために真理の言葉を使ってはならないのであります。マサノブ君は『御教え』の中味の真理の言葉を、自己のサヨク唯物現象論を正当化する為に“利用”しているのであって、彼がこれ等の真理の言葉を本当に悟っていないからして当然に實相と現象との混同が生じているわけである。これ即ち、マサノブ君の『生命の實相』の読み方が、アラ探しと自己弁護のコトバとして利用できるところだけの拾い読みである事が証明されているわけである。
A だから、次のような馬鹿げたことをマサノブ君は言うのである。
1、< 未だ生まれたことのないのが神の子人間である、という生長の家に於いて輪廻転生する当体は一体なんでしょうか?人間は高級霊になるまで輪廻転生を繰り返し、何時か高級天体に転生すると云われてはいます。でもそうすると『地上天国実現』と云うのは掛け声だけで実現不可能なお題目で信徒を釣ったということになる >
2、< 先祖供養を宇治に頼むということそのものが疑問です。救われた本人の事を残された家族が宇治に祀る必要もないし、救って欲しいとして祀りを頼むことそのものが、救われていない人がいるとの認識からくることであると云えるのでして、お経の種類で救われに影響が出るなどという考えは、感謝の誠の表現としての先祖供養とは縁もゆかりもないことです。>
3、< 天孫降臨は紀元前200万年前だというのです。縄文時代は、今から約1万6,500年前から約3,000年前とされています。では天照大神が瓊瓊杵尊に地上に行って支配せよと命じた日本人とはだれなのでしょうか? 人間は猿から進化したのでなく、人間という理念が天下ったのだと云われます。ではその人間とはいつの時代の人間を指すのでしょうか?北京原人でさえ68〜78万年前とされています。>
4、< 天皇が神の顕れであっても、その意思が地上経綸の絶対の価値が無いまたは斯くすべしと主張できないのであれば、天皇存在の価値は何処に見出すのですか? 神なる天皇が戦争はしたくないと思っても、神が実相顕現の一段階として戦争を企画したとは? 天皇の意志を第一にするということが出来なかったから戦争への道を進んだのであって、仮定の話で片付けられるものですか? このような所に生長の家で言う天皇なるものの存在に疑問を感じます。>
B マサノブ君の人間としての一大特色は、掲示板でも諸氏から度々その事実を挙げて指摘されているように『言行不一致』という事である。上記のマサノブ投稿文でも、――― < これは昭和6年9月5日大調和の神示の前の神示です。神が示されたように生きようと努力すべきではありませんか? 心に浮かぶものは仕方ありませんが、面と向かっては何かと躊躇するのに、このように掲示板と云うところで好き勝手に物言うことは上の神示を努力目標にさえしていないと云う事です。生長の家信徒行事要目の一、天地一切のものに感謝すべし。だけの実践を言うだけでなく、五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず、の実践をすべきでしょう。この8つの要目のうち、7つまでは「すべし」で終わりしただけ宜しいの推進条項であるのに対し五の一つだけは「べからず」で終わる禁止条項なのです。なにはともあれ『五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず』の実践をするべく努力する人を名付けて生長の家の家族というものと考えます。> このようにシャーシャーと偉そうに説教をするが彼自身はちっとも実行できていない。宗教指導者の総裁として実践していないのである。
C 結局のところ、 マサノブ君は「人間は常に實相世界にのみ存在しているのであって、現象世界は仮現の世界・夢見る世界であって、因果応報とか輪廻転生とかは絶対的存在ではない。存在すると思う人だけに仮存在として認識されているだけのことである。自分(マサノブ)は、常住、久遠不滅の實相世界の住人であり、夢の世界、仮現の世界に生きてはいない。故に、自分(マサノブ)は、輪廻転生を未だしたこともなければこれからする事もない。したがって、因果の法則や因果応報のこと等は認識外のことで関係のない事柄である、このような屁理屈で絶対独裁総裁として教団を恐怖運営してやりたい放題に振舞って「破壊と蕩尽」を実行しているのである。
D < 脳内反応としての実相世界と云う言葉の概念だけで、事実は五官の世界に住んでいると自己証明している>・< 『人間神の子』と『神の子人間』の違いが分かるようになったらまた話しましょう。> とこれまた偉そうにマサノブ君は嘯いているが、本当は、―――
1、 マサノブ君こそ「脳内反応としての實相世界と云う言語だけを知っているだけで、実際は實相世界の実在を信じていないで、唯物現象世界のみが実在していると信じて破壊と蕩尽のやりたい放題の生活をしているのである」
2、 マサノブ君こそ『人間神の子』と『神の子人間』の違いが、言葉の配列の順序が違っているだけだと思っているのであって、脳内理解としての「人間神の子」だけであって、マサノブ君自体は生命としての「神の子人間」の自覚は持っていないのである。「神の子人間」は迷妄によって完全に神性隠蔽されてしまっている。だから、「言行不一致」を平気で行い恬として恥じることがないのである。
|
|