| [4195] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第66回 |
- 信徒連合 - 2016年07月18日 (月) 08時08分
谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より L
<要るものは有るもの>
無限供給ということを、私は何時の間にか「要るもんは、有るもん」という表現で、皆さんに話しているのである。
ところで、富山県の白鳩会の大幹部であるMさんは、末の娘さんを最近、良縁あって縁づけられた。その結婚式の1ヵ月ほど前に、私は2、3の友とともに、Mさんのお宅に招かれて行ったのであった。そして、その席で私は例の「要るもんは、有るもん」の話をしたらしいのである。その後、Mさんに会った時、私の顔を見るなり、いかにも嬉しそうに礼を言われた。
「平岡先生、ありがとうございます。あの時お聞きした『要るもんは、有るもん』という、先生のお言葉を合言葉に、娘も私も結婚の準備をいたしました。『要るもんは、有るもん』、本当に、言葉の神秘ですね。
その後は、いただき物でも、店屋で見つかる物でも、みんな欲しいと思ったもの、この程度の品が良いと描いたものばかりが、つぎつぎに与えられたのです。そして、最後に家が与えられたのです。本当に、先生のお蔭です。ありがとうございます」
聞いてみると、その家が与えられたのは、こういうわけであった。娘さんの嫁ぎ先は東京なので、アパートより外に住宅が見つからなかったという。広い家屋敷に住んでいられるMさんとしては、娘を六畳と三畳の狭いアパートに住まわせねばならないことが、不憫でならなかった。せめて富山だったら、百4、50万円ほどで小さな家が建つというから、建ててやりたいもの、と考えた末、東京で建ててやっても良いのでなかろうか……と、突き詰めた気持になられたらしい。
その気持を友人の一人に話されと、「奥さん、順序をまちがえたらいけませんよ。あんたは、娘さんを向こうさんへあげられたのでしょう。それだのに、娘可愛いばっかりに横から、そんな気持を起こされたら、それこそ向こうさまの感情を損ね、娘さんの立場を良くするどころか、悪くすることにもなるのですよ。私の知った方にも似たようなことから、思いもかけぬ方向へ話が発展して苦しまれた方がありますよ」と、くわしい話を聞かせてくださったのである。
「何事にも秩序が大切という教えをいただいていながら、私は本当にまちがっていた、と心を改めさせていただいたのです。ところが、平岡先生。娘の結婚式は、11月3日の文化の日ときめてあったのでございますが1週間前の10月26日に、東京から電話があって、良い家がみつかったというのです。
それは、お婿さんが家庭教師をしていたお宅の隣りで、警察関係にお勤めの偉い方の広いお屋敷で、転勤になったために荷物の置場に2室だけは使うが、あとは応接室もそのままのセット付きで使ってほしい、ということだったのです。電話もあるし、非常ベルまでついている。こんな素晴らしいお家が、留守居という名目で与えちれたのですから、夢のようでした。
その家が見つかったのが、10月26日、10月の28日には、もう荷物を運んで何時でも住めるようになったのでございます。本当に、『要るもんは、有るもん』でした。心配も何も要らないように、神さまがしていて下さってあるのに、私達は勝手に心配したり、案じたりして、申し訳ないことであります。
この頃では、坊やと2人きりの私の生活ですが、淋しくなると、すぐ電話をかけて娘夫婦と話し合うのを楽しみにしています。本当に、ありがとうございます」
要るものは、有るもの……神は、すでに無くてならぬものを与えていて下さるのである。
<光のさしこむ窓>
あまりに身近におこったことなので、名前や場所は伏せるが、彼は小さな土建業を営んでいた。そして、経済界の不況で中小企業の倒産が相ついで起こった昭和39年の秋、1千万円の不渡手形をつかまされたのである。
彼は、なす術もない思いで展転苦悶した。とうとう時節の波にまき込まれて、10数年築き上げてきた大切な仕事とも別れねばならないのかと考えろと、30数人の組のものたちの将来、家族の生活などが案じられて、頭がこわれそうになった。
「2、3日は、.本当に蒲団をかぶって、不貞寝でもしたい思いでしたが、救いはやっぱり神様を思い出すところからですね」 はじめに、こう言ってから、彼は話し出したのである。
「ともかく、道場(生長の家の教化道場)へ行って坐ろうと思い、未明に家を出て、道場のすがすがしい空気の中で、30分間の神想観と『甘露の法雨』の読誦(共に生長の家の修行)を終えると、不渡手形の悪夢が少しうすらいだ気持になり、恥も外聞も捨てて、先生の前に坐りました。
『先生、えらいことになりました。1千万円の不渡手形をつかまされましたので……』と申し上げると、
『なに、1千万円の不渡手形? それは素晴らしい。焦げつきの借金を払わせてもらったのか。あとは善くなる外ないじゃないか!』とおっしゃったのです。
『先生、冗談じゃありませんよ。1千万円は、私達のような小さな仕事をしているものには、致命的な打撃です。それに、焦げつきの借金を払ったとおっしゃるけれど、私は別に不義理な借金はしていませんのです』
『それそれ、それが思い上がりというもの。神の子を豚の子のようにおもい違いしたり、仏の子を餓鬼や畜生のようにののしる心は、みんな神さまから見れば焦げつきの借金なのだ。その焦げつきの借金は、何かのついでに払わねばならない。その点、あんたは幸せ者だ。その借金を、1千万円という金で払わせてもらえるとは、こんな幸せなこと、こんな有難いことがあるものか。
拍子悪ければ、自分の病気や家族の災難、さては子供の不良化、その他いろいろの形で支払わされる。さあさ、金で支払わせてもらえる。あんたは幸せ者なんだ。ありがとうございます、と明るい心でお受けするのです』と言われました。
しかし、私はどうしても有難いなどという気持にはなれず、 『それにしても先生、私達のような小さい仕事をしている者に、これだけの大きな穴があきますと……』と、まだ言い切らぬうちに、先生は再び目を輝かして、 『穴じゃ? 何を言いなさる。穴は穴でも唯の穴じゃない。光のさし込む窓じゃ。焦げつきの借金を払って、あとに光のさしこむ窓があいたのです。これからはもう、善いことばっかり。元気は出る。智慧は出る。力は出る。善いことばっかりだ……』と、力強く言われたときの先生の目は、愛そのものに輝いていました。
朝の行事を終わって外に出ると、『焦げつきの借金を払って、光のさし込む窓があく』という言葉に釘づけされたような気持で 先生の愛の目が追ってくるのです。家へ帰ると、自然に家族に『おはよう』がでる。現場へ行くと、働いている人達に何となく、『ご苦労さん。みんな元気で善いな』とねぎらいと感謝の言葉が出る。気がついてみると、胸を張って歩いている。道場へ出かける前の自分と後の自分とは違っているのです。
こんなふうに、心が満月のように張り切っている時に、話し合うと話がうまく行く、と長年の体験でわかっているので、その足で取り引きしている銀行を訪ねました。
私の雰囲気の中に、焦げつきの借金を払って光のさし込む清々しさがあったものか、1千万円借り入れの話がまとまり、ともかくも、大難関を突破させていただいたのであります……」
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