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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[373] インターネット道場 ――― 感激的体験記 ・ 菊地藤吉先生 「サヨク共産主義からの廻心」 <その六・最終回> 「ここに道あり」より
信徒連合 - 2015年08月29日 (土) 10時04分



インターネット道場 ―――


 感激的体験記 


 菊地藤吉先生


 「サヨク共産主義からの廻心」


 <その六・最終回> 


「ここに道あり」より




6、 ここに道あり

 母が、昇天した翌年の春、私は東京への旅に列車にゆられながら『生命の實相』を読んでいた。いままで何度も読んだはずなのに「生命の本体は生かし合いのみの世界であり、大調和の世界であり、一にして多、多にして一なる理念が、この地上に現われて、神の創造の最初から無限の未来を通じて、今現に宇宙の一切が大調和の状態にあるのであります」のところを読んだときは、また新たな感動で吸いつけられるように繰り返し読んだのであった。

 とくに「今現に実相世界は完全に大調和の状態にある!」と太字で書かれ「これを悟ることが、真理を悟るということであります」の章(<第十一巻>「萬教歸一・上」第一章)は、まことに魂をゆさぶる嬉しい感動を受けたのである。

 フト窓の外に目をやると、ちょうど稲の苗植えの季節で、ゆけどもゆけども汽車の両側には農家の人たちが膝まで泥に埋まって植えつけの最中であった。なにげなくその光景を見ているうちに、心の奥から<ああ、あそこにも神の愛が行われている>と強く感じられた。

 あの働いている人たちの中には、あるいは働くということの本当の目的も、人生の目的も知らないで「ほんとうは働きたくないのだが、食わなければならないから、しかたなしに働く」
などと思っている人もあるかもしれない。

しかし、働く意義を知っていても、知らなくても、生命の本源(もと)である絶対の立場(真理)からみれば、すべての働きは、万物を生かす神のみこころのとおりに、この地上で愛を行なうことがほんとうの働くことの目的であったのだ。

 あの農家の人たちも、いま植えている苗が、やがて秋には豊かに実って多くの人を生かす、という尊い働きをしているのだ。今現にあの田の中で神の愛行が行なわれている。観世音菩薩がいっさいの衆生を生かすための尊い菩薩行が行なわれているのであった。

 そういえば、大自然界のあらゆるものは、すべてたえ間なく運動(働き)しながら変化(惑星の場合も自転しながら公転)している。そしてその中に一貫した秩序をみることができる。谷口雅春先生はこれを“神の知恵”と教えられる。知恵のはたらくところに秩序がある。

 大自然のあらゆるものは、秩序ある営みの中に、かならず他のなにかの役にたつことによってそのもの自体が生かされているのだ。太陽、月、星……なにか一つ欠けていてもバランスがくずれてしまうであろうこの大自然界は、すべてのものが互いに補いあい、すばらしく完全に、円満に結ばれて生かし合いをしているのだ。地球上の草木をはじめ、いっさいがまた大自然の中に相互補助であり、大調和の世界であったのだ。

 私は過去において、この完全な大調和の理想世界が今、現にあるということを悟らないで、いびつな迷いの色眼鏡をかけてながめ、互いに“弱肉強食”の世界とみて、争って強い者が弱者を搾取(さくしゅ)すると考えていたために、現象は心の影であるから、ますます住みにくい世界を周囲につくっていたのであった。それは物質としての現象面だけをみて判断したからであり、その奥なる本体としての生命という立場からみれば、互いに宇宙の意志(神の愛)を生きておるのであり、生かし合いの生活が、本来のものであったのだ。

 だからこそ、それぞれが生存するためには、動物は植物を、植物は動物を、お互いにどうしても必要とする。どちらも単独では生活ができない。すなわち、動物は植物に炭酸ガスや肥料になる成分を供給し、植物は動物の食物となり、酸素を空気中に供給しながらともに生き、ともに栄えてゆくのである。

生物の基本的な営みとなる呼吸作用をみれば、動物は酸素を吸って炭酸ガスをはいて生き、植物はその逆に動物がはきだす炭酸ガスを葉からとり入れて、繊維素や澱粉に変え、固定してまた酸素をおくりだしている。 

 なお、植物は、動物の食用になるだけではなく、薬用にも繊維にもなり、まったく互いに、完全に、もちつもたれつ助け合いの関係にあるのであり、さらに深く観ずれば、この大自然界は、なに一つ不必要なもののない相互利他であり、ただ生かし合いの世界なのであった。

すなわち、あの草を生かす生命と私の生命とは、生かし合いの一体なるものであり、太陽、月、星を運行させる偉大なる大自然の生命力は、そのまま私にも宿っているのであった。生命は本来一体であったのだ。一にして多、多にして一なる生命は無限の豊富さをもっていながら、その一つ一つは実相において、完全に調和していたのであった。

 まして人間同士は、いま着ている衣服、それの付属品いっさいはもちろん、食物の一つ一つから、家具調度のほとんどが、他の人々の生命力の働きによってできたものを使用させていただいているのであって、すなわち一人の人間が、そこに存在するということは、すべての人を生かそうとする神の愛を、一体なる生命を表現するために、そこに生きていることなのであった。それが真の人生の目的であったのだ。

 私は車中で思わず合掌した。涙が止めどもなく頬を伝わった。そしていままでの人生観、世界観、宇宙観が全く一変した。それはまるで、全身の細胞も、血液も全部が新しく体内に入り、新しく生まれ代わった嬉しさであった。

 生かし合いの世界。生かし合いの生命。なんという尊い世界であり、尊い神の生命であろうか。すべての人の生命が尊く、私自身の生命もまた神の生命そのものであり、まことに尊いものであったのだ。それが自覚できたことは人生最大のよろこびであった。それは迷いもなく悪もなく、ただ愛のみの世界、善のみの世界であった。

 大生命が万物を生かす霊々妙々、いたれりつくせりの行きとどいた知恵と愛。その中に生かされている大生命の分身である私たちは、大生命の万物を生かす意志と一致して愛行に生きることが必要なのだ。新しい世紀の人々は、それを自覚して人生の大道を邁進することが人生の目的を正しく歩むことなのだ。ここに道があったのだ。

 夜に入って、静寂の中を列車はひた走りに走っていた。周囲の人たちは、どの人も列車の動きに揺られながら眠っていた。私は悦びと感謝の中にひたって、なかなか眠れなかった。

 フト真暗な窓外をみると、急行列車は、小さな駅にはなんの関係もない、といったふうに速度もゆるめず、ひた走りに走っているのだが、そんな小さな駅でも、巷(ちまた)には名も知られないような駅員が、真剣なまなざしで、青いカンテラをふりながら、走りさる列車の安全を見守っていた。あの人も小さな職場ではあるが、多くの人の幸せのために働き、車中の人たちも、おかげで安全に目的地で使命を果たすことができるのだ。どんな小さな仕事であっても、いっさいの人を生かす“神の愛”を生きることになるのだ。

 今までの人生をふり返ってみれば、“生長の家”に導かれて今日の悦びを得るまでには、私の周囲にあったすべての人が、やはり私には導きの観世音菩薩であった。父母、妻子はもちろん、隣局の高橋主事さん、特高警察のYさん、小学校の老校長、リンチにきた共産党の青年など、

みんな私を生かし、私の魂の向上のために、神の愛が現われて下さった人たちであり、同時に私の生命もまた、それらの人たちを含めてみんなのために生かされている尊い生命であった。

 人間はみな大いなる愛の神の生命であったのだ。一人として本来悪い人もなく、生命の本質は愛だからこそ、日常生活の中に愛を行じたときはじめて、本当の悦びを覚えるのであった。

そして真に愛を出しきるとき、大生命(神)の英知もまた同時に内から発現して、理想世界建設の方法も、あやまりなく行なわれることは間違いないのである。

 つぎからつぎへと悦びが頭の中で重なって、車中で眠っている一人一人を心から祝福したい気持でいっぱいになり、さらにすべての日本人を、そして全世界の人々を祝福し、感謝を捧げずにはいられなかった。さらにいっさいの生命に、ものに、ことに、祝福と感謝をせずにはいられなかった。
 
 理想世界とは、これから闘いとるのではなく、すでに実在する大調和の実相世界を、われわれはただ素直に正しい心で眺め、信じて、和顔、愛語、讃嘆を実行してゆくところに現われるのであった。もう私の心の中で、以前のような不安は全くどこかへ去ってしまった。

 青年期には、とかく理想を美しく心にもっているだけに、あまりにもみにくい現実に腹を立てたり悲観したりして、憎しみや闘争に走ったり、あるいは反対に無気力なノイローゼになったりすることも多いが、その根本的な原因は、人間観、人生観、世界観をまず人生の出発に際して、正しく把握していないからであるのだ。私は過去において、人生観のあやまりによって多くの人々に迷惑をかけ、有為な青年の進路をも、あやまらしめた。

 いまこの真理に目覚めることができた悦びを、自分だけで悦んでいることなく、一人でも多くの青年に、一日でも早く伝えさせていただいて、それによって、思想的な左右を超越した、永遠中道の真理をみんなが悟って、悦びの人生を生活する同志をつくりたい。そして真理に目覚めた若い同志とともに、人間として本来の使命を遂行するために、正しく“人生の目的”を究明し、いま悩み迷っている若人たちに対して、一体の生命であり、無限の知恵、無限の愛、無限の可能性を、一人一人のうちにすでに宿しているのだから、ともにそれを語り合い、励まし合って、まず最も身近な家庭や、職場、学園を光明化することの一大運動を展開しなければならない。

 さらに愛する祖国で、国民同士が生命一体の自覚をもった明るい思想で、本来の大和の国(大調和の国)の姿を実際に現わして、全世界が真の平和となる模範国を創造しなければならない。そのために、終生を人類光明化運動に捧げ、偉大なる尊師のあとにつづくのだ。

 ますますつのる感謝と、悦びの中に列車は、闇の中を、明るい希望を乗せて力強く、ぐんぐんとひた走りに走りつづけるのであった。(完)






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